Fate/after Silent Noise (フェイト/アフター サイレント・ノイズ)   作:どっこちゃん

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三章 加重細動「アンダー・ベクトル」-15

 

 静かな夜の森の中で真っ赤に炸裂する炎の華と砲弾の雨。もはやあの一帯は禿山どころかクレーターになってしまっていることだろう。

 

それを見届けて、オロシャはトランシーバーの向こう側に声を掛けた。

 

「聞こえるかい? そこまでで良いよ、サー」

 

『首尾はどうかな、マスター?』

 

「上々だと言いたいけれど、ちょっとやりすぎたね。これじゃ死体の欠片も残ってなさそうだ」

 

『フハハ。それはしまった。追及を受けねばならんかな?』

 

 無線機の向こうから上機嫌に笑い返すライダーの声が聞こえてきた。どうやら今宵の些事は、よほど彼の豪勇の無聊の慰めとなったらしい。

 

「その必要はないよ。でももうちょっとそのままで待っていてくれるかい? ――飛び入りのお客さんが、まだ残っていたらしいから」

 

『ふむ?』

 

 周囲にはいつの間にか彼を囲むようにして、淡い鬼火が群れを成していたのであった。

 

 それらは次第に数を増しながら、無残に破壊された昏き森の残骸を仄かに照らし出していく。

 

 オロシャは既に察していたのか、磁器のような面貌に漣ほどの驚愕も浮かべようとしない。

 

「そこまでよ」

 

 オロシャは声のほうに振り向く。そこには左腕を掲げて彼を睨みつける、一人の少女の姿があった。

 

「誰かと思えば君か。……始めまして、たしかミス…………トオ、サカ。だったかな? お会いできて恐縮の至り」

 

 失笑を交えて応える様は余りにも無防備だ。まるで突き出された彼女の左手が、必殺の銃口に他ならないのだということを、知らないかのように。

 

「さて、これは……蛍石(フローライト)だね? なるほど、君は鉱石を使うんだったね。これは面白いな。うん、芸が細かくていいよ」

 

 それは鬼火の結界であった。

 

 凛は雑兵たちが一勢にキャスターを追っていったのを見計らって細かく砕いた蛍石の欠片を撒き、即興で小規模の結界を作り上げていたのだ。

 

 無論、それはこの奇襲が既に完成したことを意味する。後は詰めを打つだけと言う段階だ。

 

 にもかかわらず、この鳥かごの中の鳥はその揚々と歌うような美声を詰まらせることすらなく、少女に語りかける。

 

「しかし、君はこんなことをしている場合じゃないだろうに。なぜ僕を狙うんだい?」

 

「言うまでもないわ。私はこの冬木を管理する遠坂の魔術師よ。アンタ達にこれ以上この土地で好き勝手はさせないわ!」

 

「フン、くだらないな。これだから外の魔術師は……」

 

 再び嘲笑をもらしそうとした青年の前髪を、ガンドの軌跡が揺らした。オロシャをかすめたそれは、周囲の鬼火を巻き込んで連鎖的に炸裂し、仄暗い夜気を払う。

 

「戯言はそのくらいにしておきなさい。次は当てるわよ?」

 

「おや、今のはわざと外したと?」

 

「ええ、あなたのサーヴァントにも伝えてあげなさい。下手な狙撃なんてしようものなら、余波だけでご主人様が黒焦げになるってね」

 

「……なるほど、僕のこの状況は絶体絶命というわけだ。さすがに、一度聖杯戦争を生き抜いたというのは伊達ではない、ということかな」

 

 確かに、このような機雷のごとき鬼火の群れに囲まれていては、砲撃によるライダーの助勢は期待できない。

 

 万全の策を用意し、装備を使い尽くしてまで敵を討ったなら、その後の機微にまで心を配るべきだったのだ。バトルロイヤルにおいて、勝利を確信した瞬間こそが最大の隙となるのだから。

 

「そういうことね。それと、私が目の前のチャンスは絶対逃がさない主義だってことも、よく覚えておきなさい」

 

 会話を続けながらも、凛は離脱のための身体強化と軽量化に加えて、爆風避けの気流調整の準備を既に始めている。ここでマスターを倒したとしても、サーヴァントがどんな挙動に出るのかは予測できない。

 

 故にこちらの攻撃と同時に砲撃が開始されても、この場から生きて離脱できるだけの用意をしていた。

 

 そうして気を張り詰めていたからこそ、――次の不意打ちにも彼女は十全に対応することが出来たと言えるだろう。

 

 突如として地中から繁茂するかのように突き出した何本もの腕が、彼女の足を捕らえようと蠢いたのだ。

 

「――なッ?!」

 

 まだ伏兵がいたのか!? 寸でのところで身をを躱した凛は、すぐに起爆のガンドを放とうとした。しかし、凛を捕らえそこなった雑兵たちは、ぞろぞろと地表へ這い出し、そのまま彼女への攻撃に廻るのではなく、主である青年の元へと寄り集まったのだ。

 

 そして彼らは何を思ったのか、主であるオロシャの身体を覆うようにして纏わりつき、己の身体を次々に積み重ねていくのだ。

 

「――ッ!?」

 

 目の前で展開される異様な行為に、さしもの凛も咄嗟にはその意味を判じかね言葉を無くす。そのとき、その間隙を突くようにして、積み上げられた肉の壁の間から、ひどくおぞましいものが垣間見えた。

 

 薄月のように歪む灰色のそれは、嘘のように美しい声で殺意の呪詛を吐き漏らした。

 

「撃て、ライダー」

 

 凛がその肉壁の意味を察した一刹那の後、暴風は再び舞い降りた。

 

 咄嗟に虎の子の宝石を使って簡易的な障壁を作った。その守りは瞬発的ながら城壁の護りにも匹敵しよう。――が、それほどの堅固さを持ってしても降り注ぐ砲弾は防ぎきれず、作り上げた機雷結界もろともに周囲を焼き尽くし、彼女の身体は暴風に吹き飛ばされた。

 

『そりゃあ、そうよね……』

 

 考えても見れば、自分はこの砲火で城壁どころか城そのものが削り抉られる様を目にしているのだ。城壁程度ではこの砲火は防げない。

 

 投げ出された彼女は、すぐに身体の損傷を確かめて立ち上がった。幸い、傷は最小限ですんだといえる。だがそれ以上傷を慮っている暇はない。奇襲が失敗した以上、もはやこれ以上の長居は無用だ。

 

 しかしすぐさま離脱をはかろうと跳ね起きた瞬間、黒焦げとなった肉壁の隙間から灰色の光が飛び散るのを、彼女は見た。それは光り輝く瞳と見えた。魔眼の類か?

 

 訝る凛だったが、そこはさすがに歴代を重ねる魔術師。咄嗟に魔術刻印が起動し、邪視・魔眼用の対魔術式がレジストを試みる。もとより、ちゃちな魔眼などでどうこうされる彼女ではない。

 

 しかし、このまま追撃を許しては離脱もおぼつかないと判じた彼女は、今一度行きがけの駄賃とばかりに攻撃を加えようとその眼を見据えた。

 

 それは己の対魔術式に対する絶対の自信ゆえであったが、この場においてはその判断が逆に仇となった。

 

「――あ、れ?」

 

 気付いたときには、彼女の視線はその灰色の光芒に吸着されていた。すぐに周りの景色は闇に沈んでいく。そして黒く色味を増した光は、その不気味な輝きを強め、視界からはそれ以外のものが全く消滅してしまう。

 

『しまった――』

 

 思考からではなく、反射的な危機感知からそう感じる暇こそあれ、遠坂凛の意識はそこで断絶した。

 

 青年が使った怪奇なる眼光は、常道なる魔術とはその摂理を異にするものだったのだ。それは既に術の領域にはなく、この青年の、正しく異能と呼ぶべき生体機能なのであった。

 

 それは魔術と言うよりは、むしろ近代科学の光学装置に近いものだと言えた。それは光情報による他者の意識内への介入とでもいうべきものであったのだ。

 

 もはや炭となった肉の防壁は、まるで剥がれ落ちるように乾いた音を立てて崩れた。

 

 その中から傷一つ負うことなく現れた青年は、優雅な仕草で煤を払いながら足許に散らばった残骸に謝辞を述べた。

 

「ありがとう、みんな。おかげで助かったよ」

 

 声には皮肉など有りはしない。彼は心のそこから自分で使い捨てにした命に感謝の言葉を述べた。

 

「ふふ、化かしあいではまだまだ……。いや、なんでもないよ、ライダー。今夜はもう帰るとしよう」

 

 そうして無線での通信を終えた青年は、傍らで既に意識をなくしているはずの少女へ向けて問うた。

 

「名は?」

 

 意識をなくし、がくりとうなだれていたはずの遠坂凛の口からは、しかし今までその口が発したことのない名が流れたのだ。

 

「遠坂――(みやび)

 

 少女の口は自身も知らぬその名を、揚々とした声で発した。俯く顔の口元には浮かべたこともないほど妖艶な微笑を湛えていた。この場に以前の彼女を知る者がいたとしたら、そのただならぬ様相に閉口したことは間違いない。

 

 それほどに、その瞳に映る光は、その身から発せられる気配は、遠坂凛のそれとは一線を画していたのだから。

 

「はじめまして、ミヤビ。泥だらけになってしまったね。まずは着替えようか。さぁ、おいで」

 

はい、創造主さま(イエス・クリエイター)……」

 

 差し出された手を、意識のないはずの少女の肉体は恭しく取った。そして彼女は、遠坂凛であったはずの少女は、青年と連れ立ち煙り始めていた朝靄の中へと姿を消したのだった。

 

 

 

 

 

 舞い上がる煤が、白み始めた夜の端で風に攫われていく。夜を掃うようだった郡炎の狂態も今ではほぼ鎮火し、所々に大火災の残り香を燻らすのみとなっている。既に炎の外縁部は消防隊によって消火され、炎の中心部だったここにも、間もなく人の目が届くことになるだろう。

 

 小高い丘のようになった瓦礫の上で、荒々しく息を吐く者がある。血と炎で乱れきった髪もそのままに天を仰ぎ肩を上下させる。その呼吸はまるで獣のようだった。今まさに息絶えんとする、手負いの獣のそれだ。

 

 だが、黎明の空にその獣は一枚の絵画のようにその空間に納まっていた。周囲に乱立する鉱石の武具が、本来の役目も忘れその透光で主を囲う余白を艶やかに彩っている。無類の凶器たちでさえもがそうせざるをえないほどに、この獣は美しいのだ。

 

 ランサーは未だに実体を保ったまま現界していた。霊体化すればその間はダメージも消えるのだが、そうはしなかった。心地よかったのだ。傷が、血が、疲労が、痛みが、生の実感となって彼女の身体を取り巻いていた。

 

 セイバーを主たちの救出に向かわせたあと、彼女はそれを追おうとするバーサーカーと戦っていた。ともに手負いだったこともあり、もはや英霊同士のサーヴァント戦と言うよりは獣同士の闘争だった。それでもどうにか敵に実体化しきれないほどのダメージを負わせ、ランサーはバーサーカーを撃退することに成功したのだ。

 

 そのまま膝を突き、立つこともままならぬ身体で、それでも天を仰ぐのだ。満身創痍で、それでも満足げに笑って見せるのだ。

 

 もう少しだった。もう少しで、彼女の願いは叶うところだった。しかし、今回は相手が悪すぎたかも知れない。やはりセイバーか。彼の騎士王でなければ、彼女は満足できないかもしれない。そうでなければ、彼女の願いは叶わないかもしれない。

 

 だから、ランサーは今あらためて思うのだ。もう一度セイバーと戦いたいと、掛け値なしの全力で。――そうすれば、きっと、彼女の願いは叶う筈だから。

 

「どうやら、アサシンも失敗したようだな……」

 

 背後に男が立っていた。奇妙なモザイク柄の、隻腕の男だ。男はまるで独り言のように呟く。それは彼女の主たちの生還を意味していたが、

 

「なんだァ、てめぇは……」

 

 ランサーは静かに立ち上がって男と向き直った。

 

 察しはついた。この男――おそらくはアサシンか、もしくはバーサーカーのマスターであろうか。どちらにしろ味方ではない。何のつもりかは知らないが、こんなところにのこのこと現れた以上は放ってはおけない。

 

 ランサーは傍らの槍を引き抜き、右手の篭手と一体化させてパタと呼ばれる剣具複合の武器へと換装した。指先の感覚が無く、槍や剣を握れないからだ。

 

 だが、たとえ瀕死だろうがなんだろうが、マスターがサーヴァントに敵う道理はない。とりわけ、攻撃に特化したランサーのそれは、瀕死如何に関わらず人間にとって致命的に過ぎる。

 

 ランサーは剣を振りかぶり、人間には知覚出来ないほどの速度で打ち込みを放った。それで終わり――のはずだった。

 

 ランサーは二重の意味で驚愕した。男は無いはずの左手でランサーの篭手を掴み取っていたのだ。ランサーの眼は見ていた。自分以上の速度で懐に入り込んできた男の動き、そして見る見るうちにその断面から生えてきた男の左手。それが、今やランサーの腕を掴み取って捻り上げている。

 

 ランサーは驚きを通り越して呆気にとられていた。なぜただのマスターが、人間である筈のこの男が、サーヴァントである己を圧倒しているのか。

 

 ――理性的思考は、そこで途切れた。

 

 零下から一気に沸点にまで到達したかのような怒りが、飛矢の如く弾けようとしたその瞬間、しかしすでに男の右手はランサーの装甲を砕き、その身体を地に叩き付けていた。

 

 ――有り得ない。――なぜ、自分が沈むのだ。

 

 男はそれを最後に、踵を返した。

 

 ――おい、待てよ。まだ、途中だろうが――…………。

 

 最後にそう、言葉にすることも出来ずに、限界を迎えていたランサーの身体は霊体化を余儀なくされた。輝きが、逆巻く赤火の粉雪となって散逸していく。

 

 男はその美麗なる光景を振り返ることもなく、歩を進めていく。アサシンが敗れた以上、すぐにここにもセイバーが戻ってくるだろう。早々に引き上げなければならない。

 

 一条の影の様にその場を去りながら、男は一度だけ黎明の空を見上げ、そして呟いた。

 

「魔剣よ。――貴様の思い通りには、させん!」

 

 

 


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