Fate/after Silent Noise (フェイト/アフター サイレント・ノイズ)   作:どっこちゃん

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三章 加重細動「アンダー・ベクトル」-14

「邪魔!」

 振りかぶられた大剣は、夜をも引き裂かんばかりに打ち下ろされる。鞘にとって目の前に現れた女は正しく邪魔以外の何者でもなかった。

 

 この間合い、もはや如何なる回避も許さない。どこに逃げようとも確実に切り刻む。

 

 しかし――何を思ったのか、この少女は鞘に向けて駆け寄りながら左腕を掲げるだけで、何の防御も取っていないのだ。まさか、その掲げた細腕が何かの盾になるとでも言うのか?

 

 別に構いはしない、好きにすればいい。何をしようがそのまま真っ二つにしてやるだけのことだ!

 

 漆黒の剣閃が直下に奔る。――しかし、世界を焼き尽くし、万物をも食いちぎり両断するはずの魔剣は、そこで止まっていた。

 

「なッ!?」

 

 さしもの鞘でさえ、その光景を前に驚愕に息を呑まずにはいられなかった。

 

 魔剣に切り裂かれた袖の下には人の腕などなかった。そこにあったのは鋼色の(かいな)。魔剣すら受け止める、美しすぎる白銀の彫像。

 

 しなやかな銀の腕は、そのまま魔剣を巻き込みつつ融解していく。――否、それは腕ではなく銀の糸だった。いったい何本あるというのか、目に見えぬほどに細く鍛えあげられた剣を束ね、編みこむことで人の腕を偽装していた糸の群れは、いま本来の姿に戻ることを許され、水銀の奔流となって魔剣の刀身を拘束していく。

 

『この糸を手足の如く扱って見せることだけが、自分の存在意義』――以前、少女はそう語った。それがすべてであった。

 

 彼女にはもともと四肢などなかった。切り取られたのか、もともと無いのか。本人も知らない。ただ物心が付いたころからその形だった。何もするにも手足の断面から無数に生えている銀色のものを使わなければ生きていくことが出来なかった。

 

 だから最初からそれを手足同然に繰ることだけが、彼女の存在意義だったのだ。魔術礼装の一部であり部品。

 

 なぜ、だれがそんなことをしたのか。理由など知らなかった。仇なすものを排斥するための兵器。武器としてのみ生存を許された生命。そして武器として運用され捨てられた。ただ、それだけのこと。そして拾われ、ここにいる。――ただ、それだけのこと。

 

 しかし、それでも鞘は剣圧でテフェリーを吹き飛ばし、その白い首を捕まえて地に組み敷いた。

 

「――くぁッ!」

 

 そこで、鞘はじっとテフェリーを見つめて来る。その顔に湧き上がるのは何か奇妙なものを見つけたような当惑の色だった。鞘はさらにテフェリーの双瞳を覗き込む。

 

「綺麗な眼――アタシ、あんたを知ってる?」

 

「……?」

 

 その言葉に、テフェリーもまた刹那の困惑に捕らわれた。しかし、そこで彼女を見降ろす漆黒の瞳が、瞬く間に虚ろな黄土色の光に濁り始める。

 

 ふいに理性を失ったかのように、鞘はテフェリーから目を離しカクリとある方角を仰いだ。

 

 ――まるで、そこに流星の光でも見つけたかのように。

 

 その隙にテフェリーは役目を果たすために動いていた。鞘に組み敷かれながらも同時に四肢の外形から解きほぐされ、自由を得た幾千万もの銀糸は最大展開され、闇に潜んでいたアサシンを包囲していたのだ。

 

「ぬ――うッ?」

 

 もはや蜘蛛の巣どころか、それは銀の流水で編みこまれた帳であった。この世のものとも思えぬ艶美な光景にはさしものアサシンも泡を食って瞠目した。しかし相手は半霊体存在であるサーヴァント。これも大した時間稼ぎにはなるまい。それは充分に承知している。

 

 だがそれで十分だった。――すでに、詠唱は完成していた。

 

 そこには漆黒の弓を引き絞る少年の姿があった。

 

 彼の用意していた打開策は至極単純なものだった。衛宮士郎とサーヴァントの間に超えようの無い差が有るなら。何かでそれを埋めてやればいい。――さしあたっては、『宝典・大極図』の再読機能により再装填されたこの令呪だ。

 

 この令呪の用途は既に凛から指導を受けていた。未だ契約の対象を定められず、現在は無用の長物でしかない三画の令呪は、しかし無属性の魔力を捻出することにも転用できるのだ。

 

 魔術刻印を持たない衛宮士郎にとって、それは足りない戦力を補うに充分な要素であった。

 

投影(トレース)()開始(オン)

 

 令呪の第一画が消費され、生み出された秘蹟たる魔力が体内を迸る。魔術回路に流れ込む膨大な魔力の奔流は、紡ぎあげられながら奇跡の形骸を成し、幾重にもわたる工程を経て、今、ここに神代の紅き稲妻を再現する。

 

 それを見たアサシンは言いようのない危機感を感じ、引いた。暗殺者としての直感が告げていた。アレは己以上に殺しに長けたモノだと。

 

 その対象は弓を構える少年それ自体ではなく、彼が弓に番える一本の矢。いや、その真紅の、矢とはいえぬほどに長大なそれはまるで――槍?

 

 番えられた瞬間、その槍は縮小した。細く、短く、――そして鋭く。

 

 逃走など何の意味もない。なぜならその赤光は、放たれれば必ず怨敵の心臓を穿つという伝説の魔槍。

 

(I) (am) (the)( boon) ( of) ( my) 飛ぶ( sword)」  

 

 飛翔すべきその矢の名は――

 

「――――〝贋槍・不可避の紅痛(ゲイ・ボルグ)〟」

 

 誰を狙うでもなく、ただ虚空に放たれた矢は、しかし本来有り得ない超絶軌道を描き、炎に炙り出される影を捉えた。

 

「ぎいいいぃぃぃ――ッッッ!?!?!?」

 

 必中着弾。それは確かに心臓を穿った。しかし止まらない。心臓を貫かれたにもかかわらず、暗殺者は敗走を続ける。

 

 槍が貫いたのはアサシンの左肩にあった人の頭ほどもある瘤であった。セイバー達を行動不能に陥れたアサシンの宝具。その使用時にかくも不気味に脈動していたそれは、まさしく異形の技によって移植された、呪われし罪人の心臓だったのである。

 

 その呪われた血流が生み出す魔のサブリミナルこそが、セイバーとランサー、二大サーヴァントをして不覚を取らせた暗殺術の正体であったのだ。

 

 その怪異なる暗殺機構が、期せずして衛宮士郎の異能とも呼ぶべき固有魔術『投影』によって再現された、放たれれば必ず敵の心臓を穿つという魔槍『ゲイ・ボルグ』の必殺を遮ったことを、アサシンは知りえず、また士郎自身もその事実に思い至る暇はなかった。

 

 アサシンの左肩のこぶを貫いた〝矢〟は更に炸裂し、アサシンの体内を縦横無尽に駆け巡った。しかし止まらない。本来の目的すらかなぐり捨てて、朱の色味を増した斑の間者は必死の逃走をはかる。それはもはや何のためにここにいるのかをすら忘却し、ただ本能的な恐怖から逃れるためだけの敗走であった。

 

 一度で駄目なら二射目を放つまで。士郎は再び敵の背中を見据え意識を集中させていく。黒血を撒き散らしながら逃げ退ろうとするアサシンの背中は既に死に体だ。

 

 しかし再度の必殺に挑み眇められたその視線が、そのとき彼方から馳せ参ずる鮮烈な光を見止めて緩んだ。それは、この戦闘がすでに終結している事を確信したからに他ならない。

 

「ギィ、……ひィ――――ッ」

 

 必死で確保した退路の先に生還の未来を見ようとしたその瞬間、しかしそこでアサシンの敗走は終わった。

 総てを放棄して吶喊し、立ち止まるしか他に手段はなかった。なぜなら、その目は迫り来る白銀と紺碧の流星を、鮮やかに捉えていたのだから。

 

 ――だが、そこで棒立ちになったアサシンの痩躯を両断したのは正面からではなく、背後から現れた漆黒の刃であった。

 

 

 

 

 バーサーカーの相手をランサーに任せ、マスターの救出に向かっていたセイバーはそこに死に体となったアサシンの姿を確認し、すぐさま剣を見舞おうとした。

 

 が、いざ眼前で切り捨てようとしたアサシンの身体は彼女の刃が触れるより先に両断されたのだ。セイバー自身の剣によってではなく、いま暗殺者の背中側から現れた漆黒の切っ先によってである。

 

 虚ろな死灰の如き砂と成り果て、雲散霧消した間者の影から、冷たく笑う美貌が覗く。そこにはひとりの黒い女の姿があった。

 

 セイバーは視界の隅で倒れ込むように膝を折った士郎と、それを受け止めるテフェリーの姿を窺う。テフェリーの目配せでその安否を確認したセイバーは二人を背にかばうようにして回り込み、この場に独り残った敵と対峙した。

 

 サーヴァントであるアサシンを斬り捨てた以上、この擬似聖杯戦争の参加者であることは間違いない。が、果たしてこの場においてはどうなのか。いまだに二人のマスターたちが健在なのは、この人物の手助けによるものではないのだろうか。

 

 ――いや違う。秋波とともに送られてくる剣呑な殺気と刺すような視線から、セイバーはその推察を否と断じた。

 

「――そっ。別にあんた達を助けたわけじゃあない」

 

 女は殺気を隠すこともなく、口角を吊り上げて牙を剥く様に笑った。

 

「まー、邪魔だったしね。あの黒いのはさ」

 

 セイバーは言葉を返さずに、ただ正眼に剣を構えた。

 

「それに、あんたのほうが面白そうだったし――」

 

 鞘の興味は既にセイバーのほうに釘付けだった。あの少年や――奇妙な二色の瞳の少女にも興味はあるが、この相手はなおも興味深い。

 

「――ねッ!!」

 

 間髪入れる暇もあらず、漆黒の剣影が奔る。それを不可視の輝影が危うげなく受け止めた。セイバーにとっても、これは臨むところだった。今や肉体的なダメージはほぼ解消されている。――これが新たな敵だというのなら、その挑戦、是非もない!

 

 剣戟の火花が、無数に閃いた。足を止めた両者の間で十重二十重に刻まれる空間は次第に萎縮し、周囲の大気がそこに集束していく。生み出された気流が両者を強引にも引き合わせようと、その剣域へと殺到し始める。

 

 打ち合わされる剣は目視できず、辺りにはただ苛烈な不協和音だけが響き渡る。再び人手のごとく編みこまれた銀色の腕で士郎の体を支え、それを見守るテフェリーには、もはやそれを剣戟の音なのだと判ずることさえ出来なかった。

 

 驚愕は誰のものだったのだろうか。

 

 今のセイバーは間違いなく本気である。最良のサーヴァントであるセイバーに、事もあろうに剣技で、剣圧で、そして剣気で対抗しうるこの相手――実体の肉体を持ち、令呪もある。間違いなく人間のマスターだ。

 

 しかし確信が理解に先立った。最良の剣の英霊の前に立つのは、最凶の剣の英霊。この敵こそは、この擬似聖杯戦争で呼び寄せられた筈の剣の騎士。三度の聖杯戦争を経て彼女が始めて相対する、剣の英霊(セイバー)に他ならぬのだと。

 

「アハッ!」

 

 剣響に混じり笑い声が漏れ、周囲にこだまする。

 

 同時に打ち鳴らされる剣閃はさらに苛烈さを増していく。

 

「アハハッ、アハハハハハ!」

 

 付き合うつもりはない。敵のリズムの付き合っては駄目だ。両者ともに剣を構える以上、どうしても不可視の剣の効果は薄くなる。一度切り結ぶリズムがかみ合うと互いに次の剣戟の軌道を予測しやすくなるからだ。

 

 だがセイバーは正々堂々真正面から連撃を打ち込み、鞘を後退させていく。それでいい。即殺を免れたとはいえ、そこはやはり人とサーヴァント。自力の差は埋めようがない。このまま行けば先に消耗するのは鞘のほうだ。セイバーはただ躊躇なく隙なく油断なく正道の剣を持って攻めればいい。

 

 しかし次の瞬間、拮抗していた剣戟が崩れ、それまで直線的だった鞘の連撃が突如蛇の如く揺らぎ始めた。のたうつ刃がまるで鞭のようにセイバーの剣に絡みついてくる。

 

「――むッ!」

 

 セイバーがこれには瞠目したのも無理からぬことであった。その剣技はそれまでの鞘が振るっていたものとは一線と画していたのだ。さらに驚くべきは、幾重もの打ち込みを重ねるその度に、その剣筋がまるで別人かと思うほどに変化し始めたことだ。

 

 時に荒々しく、時に変転し、時に精緻を極めるこの技巧。最良の剣の英霊たるセイバーが敵の太刀筋を見誤る筈もなく。ゆえにそれは白昼夢の如き怪異に他ならない。

 

 そして今もまた、軽妙なる螺旋を描いていた幻惑の太刀筋が、次の瞬間には漣の如き峻烈の連撃へと変転し、セイバーの振るう豪速の剣を持ってさえ、拮抗を余儀なくさせているではないか。

 

「アァハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!!」

 

 赤火するほどに打ち鳴らされる剣戟の音色、それが加速すればするほどに薄月の如く歪んだ口腔から漏れ出す哄笑も際限なく高まっていく。

 

 耳障りなそれを打ち払うかのように、セイバーも剣を執る手に力を込める。

 

 彼女の憤慨こそ切実であった。よもや己が唯の人間相手にここまで詰め寄られようとは! 無論、倣岸などとは縁遠い彼女ではあったが、これには騎士たる誇りを傷つけられる思いであった。

 

 一拍間、距離を取った両者は剣を交えながら並走して冬木大橋のアーチに飛び上がり、そこで再び剣舞を交え始める。

 

 セイバーの渾身の一撃で薙ぎ飛ばされた鞘は逆にそれを利用して距離を開けるべく跳躍し、河川敷に降りた。セイバーもそれ追うが、そこで彼女はなにやら奇妙な物音を聞いた。

 

 パキン、と言う、グラスの中の融けかけの氷が鳴らすような硬質な音だ。それが河面の方から聞こえてきた。

 

 だがそんなことに気をとられている場合ではなかった。高らかに響いていた哄笑は止まった。黒い女の顔はあらゆるものが向け落ちたように呆け、そして次の瞬間、右手に見えていた令呪が発光とともに消失したのだ。

 

 先ほどの、何かが割れるかのような音がまた聞こえた。今後はギシギシと何かが軋れるかのような音も交えながらである。やはりそれは敵が立っている近くの河面から聞こえる。見れば、凍っているのだ。流れる未遠川の水面が、風に波立った波頭の形もそのままに凝固しているのだ。

 

 凍っているのはそれだけではない。今や二人の剣士を取り囲む総てのもから、あらゆる熱量が略奪され氷結しているのだ。

 

 急激な気温の低下にセイバーの漏らす吐息までもが白く曇り始める。剣に寄らぬ敵の攻撃かと訝るが、しかしこの程度の冷気はサーヴァントたるセイバーにとっては大した痛痒にもなりはしない。すぐさま剣戟を再開しようとして――ようやく――セイバーは気付く。敵の思惑に。

 

 奪い取った熱量が、略奪しきった魔力が今、大上段に掲げられるあの黒剣の中で集束し、増大していくのだ。

 

 まさか、あれでは、まるで――ッ。

 

 セイバーはその行為と効力とを察して、不可視の鞘から聖剣を抜刀した。あふれ出す光の奔流。しかしその貴光すらもが総てを飲み込む黒い刃に吸い込まれていくようだ。

 

 瞬間、白く凪いでいたはずの女の面相が、禍々しい喜悦に歪んだ。黒剣が振り下ろされる。

 

密約されし目覚めの刃(ヴァク・ウォーデン)!』

 

 セイバーももはや思考に寄らず同時に剣を振るっていた。幸い、この位置からなら彼女の光の剣は河口に向かって伸びるはず、街を薙ぐ心配はない。

 

『――約束された勝利の剣(エクス・カリバー)!』

 

 だが予想に反し、貴剣の切っ先は河口に届くことがなかった。敵が振るったのはまさしく至高の聖剣たる彼女の宝具に酷似した黒き極光の刃だったのだ。

 

 閃光と閃光がぶつかり合い、河面を光が席巻する。――だが、拮抗は一瞬だった。

 

 セイバーの放つ光の奔流は敵のそれを一気に飲み込み、そのまま河口を通り過ぎて、遥か彼方の水平線をも両断した。残留する熱と光の粒子が、漆黒の空と海とに一条の残光の筋を引く

 

 ――当然の結果だとはいえ、たとえ一瞬でも己の最高宝具に渡り合うほどの難敵だ。今の攻撃で倒しきれたとも限らない。

 

 セイバーはすぐさま河口へ向けて河川敷を下ろうとしたが、其処で足を止めた。それは第一に、残してきたランサーや士郎達のことを思い返したからであった。これ以上ここで時間を食うわけにはいかない。敵を撃退しただけでもここは良しとしなければならない。そして――

 

 セイバーはそこで西の空を仰いだ。

 

 ――何よりも深追いできなかった最大の理由は、

 

「…………凛?」

 

 曇天の空から雲が取り払われるかのように、不意に消え失せた霊的ノイズの向こうに感じ取れた、己がマスターの危機的状況を知らせる一拍の鼓動ゆえだった。

 

 

 


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