Fate/after Silent Noise (フェイト/アフター サイレント・ノイズ)   作:どっこちゃん

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三章 加重細動「アンダー・ベクトル」-13

「アタシを見ろ。セイバー」

 

 そのとき、虚ろに見開かれたセイバーの視界は柔らかな光で満たされていた。それだけではない、今やセイバーの全身をも包み込むサンライトイエローの光はたしか、ランサーの輪郭を彩っていた光ではなかったか

 

 その輝きの中でセイバーは息を呑んだ。

 

 有り得ないことだった。

 

 ほんの刹那とはいえ、騎士の王たる彼女の意識は戦場の只中で敵の存在を忘却していたのだ。

 

「――ぁ、」

 

 異常であった。通常ならば有り得ない。しかしその惑う心すら捉えてしまうほどに、ランサーの美貌は輝いていた。それを見つめているだけで訳も無く動悸が早まり、陶酔に似た多幸感が胸を満たしていく。

 

「――――ッ!」

 

 我に返ったセイバーはランサーの手を払い、周囲の気配に気を配った。それでも胸をしめつける様な胸の動悸に戸惑うしかなかった。

 

 しかし自分の反応もそうだが、この状況でランサーの行動もあまりに不可解ではないか。

 

「ランサー、いったい何を……!」

 

 咎めようとするより先に、セイバーは自身の身体の異変に気付く。身体が軽い。つい今しがたまで全身を苛んでいた疲労感や倦怠感が微塵も無い。むしろ、以前の状態よりも今の身体に満ちる活力は数段勝っているではないか。

 

 傷の状態は――こちらもほぼ問題ない。ほとんどの傷は癒着し後も残っていない。腹部の傷も、痛みこそあるがしっかりと塞がれている。これならば動くことは勿論、戦闘であろうと支障はない。

 

 理由はわからなかったが、絶望的な状況が好転したことだけは確かだ。

 

 サーヴァントの再生能力でさえ癒せない負傷をこれほどの短時間にほぼ完治させるというなら、それを成しえるのは宝具だけだ。おそらくランサーの三番目の宝具。彼女は自身の負傷をリカバリーする宝具の機能を、己だけでなくセイバーにも流用したのではないだろうか。ともかく――

 

〝――これならいける!〟

 

 セイバーは己を奮い立たせる。ともかく、回復したのならすぐにでもアサシンを追わねばならない。一刻を争うというなら、ここは一人が邪魔なバーサーカーを留めもう一人がすぐにでも追走を始めるべきだ。

 

「ランサー、動けるか? 私はアサシンを…………!?」

 

 しかし、そこでセイバーは己の推察が根本的に間違っていたことに気付いた。

 

「……わかっている。早く行け、セイバー」

 

 向けられる微笑は尚も輝いて見える。嬋娟(せんけん)たる美しさはいささかも衰えてはいない。しかしその相貌は未だに蒼白であった。ランサーの胸元から滴る血潮は止まらず、その総身は細り、刻一刻と生気を失っていく。

 

「バカなっ! なぜ私の傷だけが……」

 

 それがセイバーの失われた宝具、使用者の傷を癒し老朽化さえ押しとどめるという聖剣の鞘『全て遠き理想郷(アヴァロン)』と同系統の回復系宝具だというのなら、本来の持ち主が使用したほうが高い効果を得られるのは当然だ。ランサーはなぜ自分を差し置いてセイバーの傷を修復したのか?

 

 当惑するセイバーの声を、そのとき再び燃盛った炎と狂声とが遮る。

 

 大きくうねる業火から姿を現したのはバーサーカーだ。どうやら炎の中に潜む間に自力で傷を塞ぎ回復したようである。

 

 炎を纏い繰り出す出される凶爪。しかしセイバーはそれを意にも介さず、炎群諸共に切り裂きながらバーサーカーを吹き飛ばした。剣を取る腕にも十全の手ごたえを感じる。あのアーチャーの放つ迦楼羅(かるら)炎に比べれば、この程度の火の粉などはもはや何の痛痒にもならない。しかし――

 

 一撃で十間ほども飛ばされたバーサーカーはそれでセイバーが戦闘可能な状態まで持ち直していると判断したようで、再び翻るように炎の中へと遁走し、姿を隠した。

 

 セイバーの焦燥は募る。ここに来てこの敵は厄介だった。

 

 ほぼ全快した以上、セイバーがこのバーサーカーに遅れを取る可能性は無い。しかし、かまわず救出に向かったとしても追走を許せばそれは致命的な時間のロスになる。

 

 かといってこちらから攻めることも出来ない、そうすればバーサーカーは逃げ回って時間を稼ぐだけだろう。

 

 どういうカラクリかはわからなかったが、クラス効果で狂化しているにもかかわらず、あの女は下される指令に忠実なのだ。現在も指示されたのであろう〝二大サーヴァントの足止め〟を忠実にこなしている。本来、バーサーカーというクラスでは有り得ないことなのだが……。

 

「ランサー、私の回復はもう十分だ。後は自分を……」

 

 打開策としては即刻ランサーにも回復してもらい、この場を任せることなのだが……。

 

「……ならば早く行け。この宝具はあたし自身には使えん」

 

 セイバーの考えを察したかのように、言い終わるより先にきっぱりと告げるランサー。

 

「な――なぜだ!? 宝具とは各々の英霊のために特化した専用武装だ。自分に使用できないなどと、そんな宝具があるはずは……」

 

 セイバーはそこではた、と思い当たった。セイバーたちは最初からその宝具を見ていたのではないか。

 

 今はセイバーの身体をも暖かく包み込んでいる、ランサーの輪郭を覆う柔らかな光。それは最初の戦闘では見えず、ランサーと共闘することになってから見え始めたものだ。

 

 もしもその光が宝具なのだとしたら。ランサー自身に効果を及ぼさないのも道理だ。人はどれほど光を発しても、己が発する光を見ることは出来ない。これが、最初から己の〝味方のコンディションのみ〟に作用する宝具なのだとしたら……。

 

 その身体を包む光はますます強くなる一方だというのに、その癒しの効力は一向にランサー本人に向けられてはいない。

 

 その様は野に咲く花を想わせた。花に出来るのは見る者のも心を鼓舞し時に癒すことだけ。それがどれほど美しかったとしても、花には己を見る機能はないのだ。

 

 宝具『美しき戦華護法(アキレア)』――それは古の神話を彩る、一厘の花の名であった。

 

「何をしている、早く行けといっただろう」

 

 声は俯くセイバーの頭上から降ってきた。僅かの逡巡の間に、もはや立ち上がることすら不可能なはずの女戦士は、短槍を杖代わりにして直立していた。

 

「ランサー……」

 

 セイバーは息を呑んだ。血に濡れてなお――否、血風の舞う戦場でこそ、この戦士の美しさはいっそう引き立って見える。あまりにも悲壮な光景を、それでも是とするほどに、血に濡れたこの女神は美しかった。

 

 その背中が告げていた。ここを任せて、マスター達を救えと。満身創痍の自分を置いていけと。

 

 諭すべき言葉はいくらでもあるだろう。しかし、もしもこの立場が逆なら自分はそんな言葉にうなずくだろうか?

 

 否。断じて、断じてそんなことは出来ない。誇り高き戦士の意を汲むことが出来る方法は一つしかなかった。

 

「……ここは、任せた」

 

 セイバーは万感の思いを込めて告げた。

 

「ああ。あたしのほうも、テフェリーのことを頼む」

 

 応える微笑はなおも変わらず、美しくも煌びやかに輝いたままであった。

 

 互いに強く首肯を返し、セイバーは己を一つの弾丸と化して主の下に馳せる。

 

「――――ィィィィィィ―――――――ッ」

 

 (つんざ)くような奇声とともに、セイバーの行く手を阻もうと肥大した炎の影がうねる。セイバーの頭上から姿を現した凶爪を、背後から煌いた透光の輝きが打ち落とした。

 

 駆け抜けるセイバーの背後で、打ち鳴らされる剣戟の音だけがいつまでも鳴り響いてた。

 

 

 


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