Fate/after Silent Noise (フェイト/アフター サイレント・ノイズ)   作:どっこちゃん

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三章 加重細動「アンダー・ベクトル」-12

 

 気が付けば、連日連夜あれほど吹き荒れていたはずの風は今宵に限りすっかり凪いでしまっていた。まるで大気そのものが、何者かに風を搾取されてしまったかのようでさえあった。

 

 おかげでオフィス街の火事は必要以上に飛び火することもなく、被害は最小限ですんだと言える。強風によって火が街中に蔓延したときのことを考えると、これはまさしく天の助けだといえた。

 

 しかし、今の衛宮士郎にはその幸運に想い至る暇はなかった。

 

 毒煙幕と火炎陣の織り成す致死の煉獄から逃げ延びたテフェリーと士郎の二人は既に新都駅前通りを超え、冬木大橋の手前にまでさしかかろうとしていた。

 

「放してくれ! 俺はセイバーを! ええい、くそ!」

 

 テフェリーに抱えられながら士郎は叫ぶ。しかしテフェリーは無言。力ずくで脱出を試みるが一見して華奢な少女の細腕は微動だにしない。

 

「――ッッ、鉄みたいな腕しやがって、……どうなってるんだ!」

 

「……ここで手を放したら即死の上に無駄死になりますが、それでもよろしいので?」

 

 ようやく口を開いたテフェリーは、幾分上ずってはいるものの平時と変わらぬ声色で素っ気もなく告げる。

 

 テフェリーは鉄塔や建物の間に銀色のワイヤーを張り巡らしながら跳躍を繰り返して移動しているのだ。その高度と速度はかなりのものであり、確かに彼がこの高さから落下すれば、まず命は無いだろう。

 

「関係ない! 放って置いたらセイバーが!」

 

 それでも、衛宮士郎はお構いなしに彼女の腕から逃れようとする。あのセイバーの有様は尋常ではなかった。自分に何が出来るわけでなくとも、彼は彼女の傍らにいなくてはならない。それが彼の果たすべき役目なのだから。

 

「そう思うなら静かにしてください。――敵を分散させることには成功しました」

 

「何?」

 

 いまだ火の手が上がる紅蓮の闇を背にしながら、彼女たちに伴走するひとつの影が浮かび上がる。アサシンッ、追って来ていたのか!

 

「このままアレを引き付けてランサーたちが離脱する時間を稼ぎます。相手がバーサーカーだけなら何とかなるかもしれない。……申し訳ありませんが、お覚悟を願います。今はマスターでもない私たちよりも、サーヴァントの生還が優先される!」

 

 少年はしばし唖然としていたが、すぐに意を得たように力強く頷いた。

 

「……ごめん。俺、勘違いしちまってた。その方針には賛成だ。あの二人がそう簡単にやられるはず無いもんな」

 

 その返答に、今度はテフェリーの方が面食らう番であった。サーヴァントを生かすために己を犠牲にするという決断に、まさか賛同するものが居ようとは思っていなかったのだ。むしろ激しい拒絶や錯乱を予想して、さらに強力に縛り上げる用意までしていたのだが。

 

「……貴方は……」

 

 自分を犠牲にすることに、躊躇は無いのですか? と、そう無防備なままに問いかけそうになり、テフェリーはあわてて言葉を飲み込んだ。背後に追手の影を捉え、いかなる隙もなく、集中力も切らしてはいない。それでも無防備だった。理由はわからないけれど、今の自分は驚くほど無防備だった。

 

 しかしそんな彼女の混乱を露ほども斟酌することなく、衛宮士郎はここで驚くべき提案をした。

 

「あいつを引き付けることには賛成だ。けど、ただやられるわけには行かない。あいつは、ここで仕留める!」

 

 その埒外の提案に、流石の彼女も憮然と双色の眼を剥く。

 

「バカな! それこそ無謀です。魔術師が何人そろったところで、サーヴァントに太刀打ちできる道理が無い」

 

「手なら有る。あいつを少しだけ足止めしてくれれば……」

 

「……」

 

 テフェリーは押し黙る。果たしてこの半人前の魔術師に、そのような手段があるかは疑わしい。この少年が代理でセイバーのマスターを努めているのは、ひとえにセイバーとの連携に問題がなく、代理という任務に適しているとためだと彼女は思っていた。

 

 実際、代理のマスターでありながら彼とセイバーとの連携には軋轢は感じられない。それどころかこの少年はセイバーのためにその身を投げ出そうとさえしている。適正は充分だといえた。

 

 しかし、事がサーヴァント戦に及ぶ場合はそうは行かないだろう。彼自身の戦力が勝敗を左右しうる要因にはならないと判じられたからだ。もっとも、彼女自身も相手がサーヴァントではたいしたことは言えないのだが。

 

 ――が、考えようによっては、その意見は思わぬ英断かもしれない。このまま逃げても後ろから追走するアサシンの攻撃はかわせずに遠からず殺されるだろう。ならば正面から挑んだほうがまだ時間稼ぎにはなる。

 

「わかりました。そのほうが――」

 

「危ない!」

 

 幾許かの逡巡がもたらした思考の隙。その刹那に滑り込むようにして、闇の中から出現した巨大なうねりは後ろからではなく真正面のビル壁をぶち抜いて出現した。まるで彼女らの進路を塞ぐかのように。

 

 アサシンではない。それは無人の雑居ビルを無残な瓦礫に変え、粉砕しながら現れた貨物運搬用の大型トラックであった。

 

 ブレーキが壊れているとしか思えないほどに暴走する巨体は、アスファルトの上で足を止めざるを得なかった二人の前で玩具の様に横転し、そのまま一回転して正常位に戻りながら真正面から近くの電柱に突っ込んだ。

 

 薙ぐような衝撃波が大気を打つ。ほどなくして、中心街の飛び火を免れていた筈の周囲は予期せぬ炎に包まれ始めた。

 

「あれ~? サイドブレーキどこよ? あ~~あ、ヤバイかな? これ一応借り物なんだけどなー。……あっ、これか」

 

 すると、もはやスクラップと化した車体の中から呆気にとられるほど暢気な声が聞こえてきた。呆然とそれを見ていた二人の前で、歪んだドアを蹴破って車内からひとつの影が直接黒い宙空に踊り出た。

 

 現れたのはタイトな黒のライダースーツに身を包んだ女だった。漆黒の瞳と、後頭部で結わえただけの長い黒髪が茜色の炎を背景に鋭角なセピアの輪郭を描いている。

 

 彼女、伏見鞘がこの場に行き着いたのはただの偶然であった。彼女は郊外の国道で快くトラックを貸し与えてくれたドライバーに深く陳謝し、いたわりながらも速やかに車外へ蹴り飛ばしたあと、ほぼノーブレーキで新都までトラックを走らせ、火災の中心を目指して直進してきたのだった。

 

 そこに敵がいるという確証などなく、騒ぎの渦中を適当に渉猟する意図でこの場に参じただけの話だったのだが。それでも尚、彼女がこの場面に行き着いたのは運命だったのか何かの導きだったのか。――それとも奸計であったのか。

 

 その光景、いや、その刃影に衛宮士郎は息を呑む。まるでズレていたピントが合うように視線はそれを追っていた。見惚れる――否、魅入られるかのような鋼の気配。士郎は現在の状況すら忘却して溜息をつきそうになった。なんと美しいのだろう。それは彼のよく知る潔白な輝きとは真逆の、触れてはならない妖艶なる凶器の光だった。

 

 彼女はいつの間にか身の丈に迫ろうかという大剣を携えていた。闇を食らう炎の中で赤光さえも貪るそれは正しく魔剣。人には届かぬ幻想の結晶――それは宝具に他ならなかった。

 

 だがそれはおかしい。間違いなく宝具を携えながら、その女は確かに人間だった。

 

 その大粒の瞳には既に交戦の意図しか映っていない。鞘は正面にいた士郎を真っ直ぐ見つめながら語りかける。

 

「悪いね、とりこんでるようだけど混ぜてもらうよ。え――っと? まずは自己紹介、かな? 私の名前は鞘。そこの君は――、お?」

 

 テフェリーは女――鞘が言い終わるより先に動いていた。この相手がランサーの報告にあった盗人なのかどうかも斟酌しなかった。後ろには致命の追っ手を背負っている状態だ。敵か味方かを判じている時間すらも惜しいのだ。彼女は()()()()()()() ()という思考を放棄した。

 

 既に先刻から黒い女の周囲を取り囲むように展開されていた銀色のラインが炎の中から姿を現し、輪を縮めるように収束していく。秒を待たず柔な肢体をひき肉にせんとする二〇もの銀竜が、死の綾取りを紡ぎ始めた。

 

 しかし、瞬きのうちに百もの人間を屠るであろう銀糸の饗宴も、所詮は人の業に過ぎない。大神すら退けたという魔剣に、追いつく道理などありはしない!

 

「いいねッ、いいねーッ! やる気満々ってか?」

 

 鞘は嬉々として暢気な声を漏らし、手にした長剣を頭上高く掲げた。すると水銀の流動を思わせていた銀糸の収束は滞り、ついには停滞する。

 

 なんという悪食か。

 

 (むさぼ)っている。

 

 あの刀身は周囲にある魔力を、否、熱や光までをも食らい尽くし、飲み干している。それは周囲に渦を巻いていた火群までをもかき消し、夜の燃え殻すらも凍てつかせていく。  

 

 暴飲暴食の限りを尽くされた空間はそこだけが死んでいた。まるでぽっかりと開いた穴のように、そこだけが世界から取り残されているかのようだった。

 

「はぁぁぁっ!」

 

 鞘の気声と共に長剣が一気に振り下ろされる。それが悪食の末路だとでも言うのか。己を輪切りにしようとした女を逆に焼き尽くさんと目論み、その魔剣は低重音の唸りとともに、飲み下した熱と魔力とをまとめて吐き戻した。

 

「クッ!」

 

 迫る魔の灼熱を前に、テフェリーは動けない。縦横無尽に張り巡らせた銀色の四肢はその長さが仇となり、逆に零下の澱に(まみ)れている。

 

『――ここまで、か』

 

 離脱が望めないと分かると、彼女は何の感慨も無く冷徹にその事実を受け入れた。

 

 最後には使い潰される。当然のことだ。それが道具の末路である。だが、そこで、ふと考えがよぎった。

 

 少しだが、悔いがあるかもしれない、と思ったのだ。自分が思っていたほど役に立てなかったのが悔しいといえば悔しかった。ランサーは何とか脱出できただろうか? おそらく大丈夫だろう。

 

 あれで憎らしいぐらい冷静に戦況を判断できる女だ。今後はマスターの指示で戦うことになるだろうが、ちゃんと言うことを聞くだろうか? 迷惑をかけなければいいのだが。――それだけが心配だった。

 

 しかし考えても見れば、それぐらいしか自分にやれることはなかったのだなと改めて思う。本当に役立たずだったな、とも。戦うことしか出来ないのだから、今回こそは料理や掃除よりはうまくできるかと思ったのだが……。どこにも行くところがなかった、何をしていいのかも解らなかった自分を、家に置いて家事の真似事をさせてくれた人。マスター・ワイアッド。

 

 自分は、少しでもあの人に恩返しが出来たのだろうか。

 

 それに、あの少年は誰だったのだろう。その疑問がざわめくように、脳裏を過ぎる。

 

 思ったよりも、考えることは多いのだ。想うことは多いのだ。きっと、この刹那では足りないくらいに。

 

 気付く。ああ、そうか、いま私は少しだけ――死にたく、無いのかもしれない。

 

投影(トレース)()開始(オン)

 

 テフェリーは瞬きの間にそこまで思考し、聞いたこともない呪文の詠唱(つぶやき)によって現実に引き戻された。気付けば、灼熱の刃濤(はとう)は彼女まで届いていない。今まで女に追従するだけだった少年は間違いなく宝具によるその一撃を受け止めていた。

 

「そんな、――――宝具を!? どうやって……」

 

 少年の手には陰陽の双極剣。放つ魔力もその存在感も、確かに英霊が持つべき宝具と呼ぶにふさわしい代物であった。

 

「諦めるな!」

 

 こちらに背を向ける少年と肩越しに目が合う。ここで死ぬ気など、死なせる気など微塵も無いという強い瞳。既視感。いつかどこかでこんな瞳を見たことがある。いつ、何処で見たのだろう。もっと鮮やかで鮮烈だった。強い、眼光。――

 

「――は、はい……」

 

「来るぞ、後ろだ!」

 

「!」

 

 背後から飛来するのは黒塗りの凶刃。放ったのは当の昔に彼らに追いついていたアサシンであった。既に零下の檻から開放されていた銀糸たちは見えぬ飛刃を絡めとる。弾くことは出来ない、致死性の毒を散布されては今度こそ確実に殺される。

 

 その事態に対応するために、さらに本数を増やした銀糸の剣は実に四〇を超える。もはや人の手に叶う所業ではない。

 

 しかし、なぜアサシンは新たなる闖入者のおかげで既に風前の灯とでも言うべき状況のマスターを、わざわざ狙ったのか?

 

 新たな闖入者を警戒して気配を断っていたアサシンも、とうとう痺れを切らしたのだ。あの女のやり方に任せたばかりに、おめおめと標的を逃がすことだけは避けなければならなかった。

 

 加えて、彼にはあの少女とランサーを殺すことだけは絶対にするな、との指示がなされていたのだ。特にあの鋼色の髪の少女だけは殺すことなく生け捕ることが最大の条件であると厳命されていた。なぜかは訊かなかったが、それが主の指示であるのなら是非もないことだ。

 

 ただ逃げるだけの標的なら欠伸(あくび)をしながらでも容易な任務だが、そこに茶々が入るのは好ましくない。ましてや、生け捕りを厳命されている標的を殺されでもしたらたまらない。

 

 いかなる妨害があろうと、あの糸使いだけはこの場で確保しなければならない。

 

 しかし、もはや押し隠すことも無いプレッシャーを撒き散らすアサシンを歯牙にもかけず、大剣を担いだ女は少年の持つ双剣をぼんやりとした表情で眺めている。

 

「――あれは――、へぇ、投影って言うの? ――魔術師って、そんなことも出来るんだ? ――え? あれは普通じゃない?――」

 

 言葉は眼前の誰に向けたものでもない。少女はただ少年のもつ剣だけを見つめて言葉を紡いでいる。

 

「――それなら、ちょっとは、面白そーかな?」

 

 初動すら見えなかった。

 

 女は少年に向かって一瞬で肉薄し、音もなく長剣を振るってみせる。それはやはりサーヴァントの、否、剣の英霊たるセイバーのものと比しても全く遜色のない一撃だと想われた。

 

 振るわれた長剣は一撃で双剣を砕き、少年の身体を吹き飛ばす。

 

「が――ッ」

 

 いかに武装で肉薄しようとも、大本の実力に差がありすぎる。この女、人と見えてその能力は間違いなく英霊たるサーヴァントのそれである。

 

 テフェリーは糸で士郎の身体を受け止めようとしたが、網の目のような銀糸の間をすり抜けてくる毒刃にそれを阻まれる。

 

「―――ッ!」

 

 毒礫の凶刃は銀の網をすり抜けて少年をも狙う。が、それを打ち落としたのは他ならぬ鞘であった。彼女は舌打ちひとつを挿み、

 

「いーいところなんだ。――邪魔を、するなぁぁ!!」

 

 またもや周囲の熱を枯渇させるまで取り込み、火炎破の刃をアサシンへ向けて撃ち放つ。

 

「――」

 

 それを難なく躱したアサシンではあったが、この紅蓮の熱と炎の勢いにはさすがに危険と判断したか、またもや群炎と瓦礫の影裏にまぎれこむように隠形した。

 

 長剣の女はアサシンの味方をするつもりは無いようだ。――しかし! テフェリーは臍を噛んだ。これは判りきっていたことだったが、このままサーヴァント相手にまともに戦っても勝つことはおろか生き残ることも出来はしない。せめてどちらかの敵を退けなければ……。

 

 ――生き残る?

 

 何を言っているのだろう。さっきまで死ぬことを前提として行動していたはずなのに。現時点でも「時間稼ぎ」という目的を忠実に遂行するならば、例えこのままジリ貧でなぶり殺されるのも良しとすべきなのだ。なのに……

 

 『諦めるな!』と言うあの言葉が耳に残っている。いつ訊いたのかも解からない。でも確かに聞いたことのある厳しい、そして優しい言葉。

 

 真にうけているのだろうか……。あんな何の確証もない言葉を。否、図らずも受け入れてしまったのは、あの強い意志を秘める瞳のせいではないのか。いつか見た揺籃の日の、真蒼の眼差しのような、あの強い瞳に。

 

 そのことを想うだけで身体が軽くなり、思わぬ力が湧いてきた。「まさか」と、口に出してそれを打ち消しながらも、いざ行動に出ることには何の躊躇も無かった。

 

 己を狙うアサシンを放置し、テフェリーは少年と魔剣士の間に躍り出た。

 

「「!?」」

 

 驚愕は誰のものだったのか。しかし少年は過たず理解する。翻る鋼色の長髪の隙間から一瞬だけ覗いた視線が、確かな意思を伝えていた。

 

『時間を稼ぐ。貴方の策に掛けます』――と。

 

 それを受け取った少年もまた躊躇わなかった。外敵への注意、防備をも(なげう)ち最速で己の内に埋没していく。

 

「――――投影(トレース)()開始(オン)

 

 

 

 

 

 


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