Fate/after Silent Noise (フェイト/アフター サイレント・ノイズ)   作:どっこちゃん

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三章 加重細動「アンダー・ベクトル」-10

「セイバー!」

 

主の声でその生存を確認したセイバーだったが、しかし安堵の息を漏らす間もなかった。

 

 再度暗闇から投擲された礫は十二、それらは二人の代行マスターたちの頭上めがけてばら撒かれた。

 

「砕くな! 落とせ、ランサーッ!」

 

 今度ばかりは軽口を漏らす暇もないのか、セイバーの切迫した声にランサーも首肯のみでそれに答え、手にする大剣を一瞬で三叉の長槍に変転させ宙空に跳び馳せる。

 

 共に虚空に身を躍らせた二騎のサーヴァント達は、紅蓮に照らされる深夜の舞台に即興で剣舞の華を閃かせる。弾かれるのではなく、真下に打ち落とされた漆黒の陶器は炎逆巻く瓦礫の上に散らばり、中の液薬を撒き散らすだけで標的に届くことがなかった。煤に混じり、得体の知れない刺激臭が微かに鼻をついた。

 

「なんだ!?」

 

「アサシンです。シロウ、気をつけてくださいッ!」

 

 虚空から主のそばに舞い降りたセイバーは、ランサーと共にマスター達を守るようにして並び立つ。

 

「毒使いか……」

 

 ランサーもすぐにその意味を悟ったのか、声色にいつもの軽妙さがない。

 

 そこでまたもや、一陣の夜が星屑の如き群炎に包まれる。切り伏せられ、既に虫の息だったはずのバーサーカーがバネ仕掛けのように起き上がり、四方に無数の鬼火を撒き散らしたのだ。

 

 そしてその赤光に照り塗れるような闇間から、ぬっと姿を現した何者かの姿があった。月明りも、星影さえも届かぬその暗がりに、無造作な切れ目を入れるようにして、今初めて衆目に姿を晒したこの黒衣の異形こそ、アサシンのサーヴァントに他ならない。

 

 身構える両雄を前に、アサシンはすかさずバーサーカーの炎に向けて何かの液薬を撒き散らした。すると微々たる燻ぶりでしかなかった鬼火までもが、途端に巨大な火炎となって聳え始めたではないか。辺りはすぐにまた一面の炎に包まれた。

 

 それで誰もが理解した。もはや疑いようもない、バーサーカーの手助けをして火災を広げていたのはこのアサシンの仕込みに違いない。この二体のサーヴァントが協力関係にあるのは火を見るよりも明らかだった。

 

 案の定、二体のサーヴァントはセイバー達と向かい合うように並び立つ。奇しくも趨勢は二対二。逆巻く炎が即興の闘技場を茜色に照らし出していた。

 

 アサシンは黒衣の装束を脱ぎさった。現れたのは斑色のせむしの男だった。左手はどす黒い血で斑に染まる包帯で幾重にも巻かれ、首に吊られている。その左腕の付け根には巨大なこぶがあった。左腕とはまた違った包帯のような拘束具で厳重に固められたそれは人の頭ほどもあり、異形の暗殺者のシルエットを際立たせている。

 

 先ほどの毒飛礫(つぶて)が尽きたのか、アサシンは新たに奇怪な刃を握っている。およそ何に使うのかもわからぬほどに枝分かれし、突き出す突起が拷問具のような刃物だ。

 その上、刀身の鎬の部分には何かの獣毛のようなものがびっしりと植えつけられ、そこから透明な液体が滴り落ちている。おそらくはあれも劇薬の類であろう。掠りでもすればどうなるか解からない。

 

 だが、それがセイバーやランサーに通用すると考えているのなら――その見通しは甘すぎる! 一刹那、不敵に微笑んだ二つの輝影が赤炎の壁を突き破るようにして爆ぜた。跡には居並ぶ炎が真紅の円環と化してその突撃の凄まじさを物語る。

 

「ヒ――」

 

「――ッ」

 

 悲鳴の漏れる暇こそあらば、一閃。ただの一閃としか見受けられなかった鳴戟の刹那、旋風(つむじかぜ)に舞い上げられる木っ端の如く、狂女と間者は十メートル以上も弾き飛ばされた。それでも尚敗走せずに身構えたのは、さすが聖杯の機能によって喚ばれた英霊の端くれたる矜持からであろうか?

 

 だがそこまでだ。果敢にも攻勢にまわろうとするアサシンとバーサーカーを、セイバーとランサーは歯牙にもかけない。もはや、戦況は要撃戦ではなく殲滅戦の様相を逞しつつあった。敵を引き入れる筈の必殺の罠場は、今や彼奴らにとっての死地となったのだ。後は敵を掃討し、引導を渡すだけ……。

 

 だがそのとき、セイバーとランサー追撃がやにわに滞った。見ればあろう事か、追い詰められた筈のアサシンが手でバーサーカーを制し、近くの瓦礫の上にゆっくりと腰を下ろしたのだ。

 

「……いや、参った。これは敵わん」

 

 初めて聞くアサシンの肉声だった。ひどく落ち着きのある。老成した声音ように感じられたが、一転してそれは声だけでは男なのか女なのか、若年なのか老人なのかも判然としない奇異な響きをもっていた。しわがれた老人のような、それでいて不思議と伸びのある、あまり印象には残らない奇異な声音だ。

 

「……さすがは伝説に名だたる両雄。ワシらなぞではかなう道理もありはせんな。いやはや、真に見事。……その威名と武勇に敬意を評して、ここでひとつ斯様な話を送りたい」

 

 聞く道理なし! 考えるまでもなくそう断じたセイバーとランサーは同時に乾いた地面を蹴る。しかし、

 

「こんな話を知っておるかね?」

 

 同時だった。アサシンの老獪な声に微かな愉悦の響きが生じたのと、背後に庇うように控えさせていたマスターたちが途端に呻き、苦しみだしたことが。

 

「シロウ!?」

 

「テフェリー! どうした!?」

 

 両サーヴァントは大地を抉って急停止し、一斉に主を振り返り声って驚愕の声を張り上げた。それでもアサシンの言葉は終わることなく続いている。

 

「……古の時代から、暗殺者たちは手を替え品を替え、あらゆる方法で毒を使いこなしてきた。いや、暗殺者だけではない。それは人の歴史と共に積み上げられてきた――」 

 

 二人のマスターたちは瓦礫の上に身を投げ出し、苦しげに呻いている。士郎は苦悶に顔を歪め、テフェリーも膝をついたまま動けずにいるようだ。

 

「――いわば人類の負の遺産とでも言うもの。ある者は毒の染み込んだ肌着を介して、ある者は体内に毒を持つ女と交わったために。そしてある者は――」

 

 ――毒物!? 馬鹿な! セイバーの思考は一気に沸騰しかかっていた。なぜ? いつ? どうやって?

 

「――松明に仕込まれた毒の、その燃え殻の香りによって命を落としたという」

 

 その声に、ようやく現実に引き戻される。先ほどばら撒かれ、セイバーとランサーによって叩き落とされた毒飛礫。そこから零れ出た薬液。それは初めから誰を狙ったものではなく、バーサーカーの炎によって燻り出されることが前提のものだったというのか!

 

 ものも言わず、セイバーは颶風を巻いて再び突貫した。が、

 

「ワシを殺すと解毒はできんぞ?」

 

 セイバーとそれに続こうとしていたランサーの動きが制動をかけたかのように止まる。驚愕と苦渋の入り混じった相を浮かべる両雄に、アサシンは嘆息交じりに語る。

 

「毒使いなら当然の備えよな? 自らの毒に侵されては元も子もない……」

 

 そう言ってアサシンは何かを取り出した。何かの液体で満たされた透明な容器のように見受けられた。

 

「これはあらゆる毒物の効力を中和させる効果を持つ、万能解毒薬『ミトリダティオン』。よければ使うかね? もしも使うなら急いだ方がいい、あの様子では後いくらも――」

 

 ――持たない。そう、言い終わるより先に、二人の英霊は動いていた。一時の静止はその足が前に出ようとするのを無理やり押さえ込んでいたに過ぎない。その解毒剤が本物であれ偽物であれ、この敵を生かしておくことは論外なのだ。

 

 それを見たアサシンは乾いた笑いとともに、高く掲げ上げていたその容器をそのまま虚空に放り投げた。同時にアサシンの背後に控えていたバーサーカーは炎と共に両者の前に立ちふさがる。

 

「ランサーッ!」

 

「応ッ!」

 

 申し合わせたように動いた両雄の連携は一糸の乱れもなく完璧だった。セイバーがバーサーカーを制するのと同時に、ランサーは放り上げられた容器を危うげなく受け止めた。

 

 バーサーカーを鎧袖一触に蹴散らしたセイバーは、そのまま動かずにいるアサシン目掛けて不可視の刃を掲げ上げる。だがそのとき、瓦礫と炎の円形闘技場(テアトロン)に厳かな声が響き渡った。それがどこから発せられているのか、セイバーたちにもまるでわからなかった。ただひとり、蹲っていたテフェリーだけが、不吉な既視感に動かぬ身体を振るわせ、その大きな目を見開いた。

 

『バーサーカーよ、汝が第二の主の名の下に令呪を持って命ず。――狂気の代償に失われし宝具を今ここに開放し、そこなサーヴァント両名を拘束せよ』

 

 瞬間。今しがたセイバーに切り伏せられ、彼女の背後に身を投げ出していたはずのバーサーカーの全身から、爆ぜるように魔力が噴き出した。そして紅蓮に燃え盛っていた周囲の炎をも巻き込んで、一気に集束をはじめる。

 それらは過たずセイバーとランサーの五体に殺到し、粘りつくかのように凝固して両者をその場に磔にしたのだ。

 

 ――『火刑(カケイ)緋炎魔(ヒエンマ)』――それはかつて、この狂女がその生涯の終わりに甘んじてその身を投げた贖罪の炎であった。

 

 しかし悲しいかな、それは奇跡すら凌駕する英霊達を押し留めるにはあまりにか細く、あまりに脆弱であった。

 

 セイバーが全身から発した渾身の魔力放出とランサーの攻性装甲の輝きは、彼女らを拘束する紅蓮の炎をいとも簡単に蹴散らした。この程度の宝具では正規の英霊たる彼女たちを押し留めることなど出来はしない。もって数秒の足止めが限度――だがそれは、もとより承知のことでもあった。

 

 なぜなら、アサシンにとって、必殺に要する条件はそれで事足りたのだから。

 

 地に伏したバーサーカーが五体から炎を吐き出すのと同時に、アサシンの左肩の瘤は異様な脈動を始めていた。そして分厚い呪符の下からまるで具現化した呪詛の如き黒血が染み出し、しだいに滴り始める。それは通常ならば有り得ないほどの出血だった。もはや尋常な量ではない。そしてどす黒い血に染まった左手の包帯が取り払われる。 

 

 おぞましくも奇怪な腕だった。アサシンの左腕にはいたる所に裂傷があり、むしろ裂傷が集まってできているのがあの腕なのかと思われるほどであった。そこから溢れ、流れ滴る黒い飛沫が、あわや頭上の虚空に向けて迸り、仄明るい夜空に黒血の雲霧を形成し始める。

 

回想傷痕(ザバーニーヤ)!』

 

 呪いの言葉と共に撒き散らされ、虚空に四散した血霧はまるで見えぬキャンパスに絡みつくかのように昏い空間に留まり、セイバー達の視界をどす黒く染めあげた。そしてうねり、収束しながら見たこともない文様を描き出していく。

 

 炎の拘束を蹴散らした二大サーヴァントは、主達を背にかばう形でその血の紋に対峙した。この宝具がどのような代物なのだとしても、背後で膝を折る主たちに危害を加えることだけは断固として阻止する!

 

 浮かぶ朱紋の次なる怪異を予想し、身構えたセイバーとランサーはその文様をしかと凝視した。しかし、血の紋はそれから何の効果も齎さずに崩れ、炎に照らされる夜気にあっけなく四散してしまった。

 

「…………?」

 

 まさか不発か? 訝るセイバーだったが、すぐに蹲る主の容態を窺う。

 

「セ、……セイバー!」

 

 動けぬ身体で必死に叫びかけてくる主の声が聞こえた。ふらつき、崩れそうになりながらもセイバーの元に歩み寄ろうとしている。セイバーは内心で僅かながらに安堵した。あいも変わらず無理をしようとするのは困ったものだが、あの様子ならすぐ命に別状があるわけではなさそうだ。

 

「問題は有りません。すぐに行きますからシロウはそこで――ッ?!」

 

 そこで、セイバーは己の足元がひどくぬかるんでいるのに気付いた。

 

 火に焼かれ乾いていたはずの土が、今や土砂降りの後の地面かと見紛う程にたっぷりと水気を吸っているのだ。見れば足を捕るのは大量の血泥である。先ほどアサシンが中空に撒きちらしたものだろうか? 否、それにしては分量が多すぎる。

 

「セイバーッ!!」

 

 必死の形相で叫ぶ士郎の姿が見える。そこで、その叫びの意味が、やっとセイバー自身にも理解できた。

 

 そう、それはアサシンの血ではなかった。足下を濡らす血溜まりは、騎士王の白銀の甲冑から滴り落ちる鮮血によって齎されたものだったのだ!

 

「何だ……これは?」

 

 驚愕の声はランサーのものだ。彼女もまた同様の有様だった。煌めく装甲は全身から噴き出してくる鮮血によって紅黒く染め上げられていた。さしもの彼女も、この事態には言葉もないようであった。

 

 有り得ない。セイバーもランサーも驚愕の念は同じだった。いつの間にこれほどの傷を負わされたというのか? 共に高い対魔力を持ち合わせる騎士のサーヴァント二人に触れもせずにこれほどの傷を負わせるなど、並大抵の魔術や宝具ではありえない。

 

 何よりも解せないのは、先ほどのアサシンの宝具は確かに不発だったことだ。中空に紋を描いただけで、大した魔力も伴わずに四散した。それは間違いない。

 

「そんなに不可解かね? 自身の身体が傷つくことが?」

 

 左腕を厳重に封印し直し、斑模様のアサシンは警戒した様子も無く歩み寄ってくる。しかしセイバーには問答に応じる気など有ろうはずも無かった。

 

 セイバーは傷を無視して赤黒い泥を蹴散らした。アサシンが悠然と構えている場所はセイバーの立ち位置から五メートルも離れていないのだ。セイバーにとっては必殺の、アサシンにとっては致命的な間合いである。

 

 不可解な事象に気を取られている場合ではない。如何に多数とはいえこの程度の傷はサーヴァントたる己を縛るほどのものではない。持ち前の再生力はすぐにも傷を塞ぐだろう。

 

「はぁぁッ!!」

 

 血煙を撒いて唸りを上げる不可視の剣は、不遜な暗殺者に分不相応な慢心の付けを払わせるべく振り上げられ――――

 

「ッッッ?!」

 

 ――――そして、主たる騎士王の鮮血で、さらにどす黒く染め上げられることになった。

 

 セイバーは再び己が矮躯から爆ぜるように噴き出した鮮血の中へ、倒れ込むように片膝をついた。

 

「無理をしないほうがいいぞ、セイバー。いや、騎士王殿。それは軽い傷から先に開いていくのだ。だんだんと大きく、重い傷が口をあける」

 

 確かにサーヴァントとしての再生力は傷を治癒している。しかし、それにも増す勢いで傷はどんどん増えていくのだ。

 

「傷を……開く、だと?」

 

 唸るようなランサーの声。平時と変わらぬ声色はしかし、焦燥の色を隠しきれてない。

 

「そうとも。我が宝具はそれだけではサーヴァントどころか人も殺せぬ出来そこないだが、それゆえの利点もある。これは直接人間に害を加えることはしない、血の文様によってある種の記憶を思い出させるだけだ。わかるか? 傷を開いているのは私の宝具ではなく、お前たちの魂と体が記憶している傷口の形だ。魂であれ、脳であれ、細胞であれ、そこに刻まれた記憶は嘘をつくことはできぬ」

 

 アサシンの抑揚のない口上は、それとは裏腹に次第に熱を帯びるかのようであった。

 

 セイバーは煩わしい声に歯噛みしながらも全魔力を治癒に当て、静かに傷が塞がるのを待っていた。まだ勝機はある。アサシンの宝具は種が割れてみれば他愛の無いものだ。生前に負った総ての傷が開こうが、今のサーヴァントとしての己の肉体はすぐにそれを塞ぎ、戦闘をも可能とするだろう。  

 

 アサシン本人が言うとおり、この宝具は必殺を期することの出来ない出来損ないだ。事実、すでにセイバーの傷は開くと同時に再生を始めており、大方が行動に支障のない程度まで回復している。

 

 本来ならすぐにでも必殺の剣に訴えるところだった。しかし、ほぼ完治したはずの身体は未だ自由にならなかった。身体には力が入らない、それどころかどんどん消耗しているようにさえ感じる。今度の怪異の原因は明らかだ。なぜか一箇所だけ、この腹部の傷だけが全く治癒していない。

 

 見れば、ランサーも同様であった。彼女も持ち前の再生力によってすでに大方の傷は塞っている。だがその美貌は未だ蒼白で回復の兆しを見せていない。

 

 彼女もまた鮮血が流れる胸元を押さえたまま動けずにいるのだ。なぜ塞がらない傷があるのだろうか。アサシンの宝具が言葉どおりのものならば、開かれたのは一度治癒した後の傷に過ぎない。彼女たちはすでにその傷を克服してここにいるはずなのだ。

 

「脆いものだな、伝説の騎士王。そして女人族(アマゾーン)の蛮王……だったな。それでよく一国の王など務まったものだ」

 

 アサシンはさらに高揚したようにしゃべり続けている。真名を知られていたことよりもその裏にある真意を読めずに、両雄は呻いた。

 

「ククッ、悪いがおまえたちのことはまとめて調べさせてもらった。昨夜、貴様らの仲間を一人つけさせてもらったのだ。気がつかなかったか? さすがにうぬらの前では手が出なんだが、幸い耳を立てるには支障はなかった。――当たり前だろう? 如何に英霊といえど、その死に様はそれぞれだ。寿命を全うした者も病死した者もいるだろう。そういう輩にはワシの宝具は使えん、故に敵の真名を優先的に調べ上げるは当然の仕儀よ」

 

 セイバーとランサーは、間者の言の真意を判じかねて共に目を眇める。

 

 二人のサーヴァントが居たにもかかわらず正体を隠匿しとうしたアサシンの秘匿性にセイバーは改めて畏怖の念を懐いた。暗闇に蠢く暗殺者。やはり、この敵は脆弱でありながらもっとも危険な敵なのだ。しかし、なぜだ。なぜいまこの場で彼女の騎士王としての真名が意味をもつのか?

 

 確かにセイバーの最後は寿命や病魔によるものではなかった。彼女の最後、そう、それはあの落日の丘で――。

 

 それを見ていたアサシンはとうとう、滑稽だといわんばかりにおどけながら声を荒げた。

 

「まだわからんと見えるな? それが何なのか思い出してみろ、その傷は生前に付けられたもののはずだ。いつだ? それは誰に付けられた傷だ? お前たちはそれをよーく知っているはずだぞ? 簡単なことだ。思い出せ、貴様らの最後の時を!」

 

 最後……死に様……傷…………死因?!

 

 セイバーとランサーの目が同時に見開かれる。そう、この傷は血に染まったあのカムランの丘で、あのトロイアの平原で体験した鮮血の記憶ではなかったか。

 

 女たちは理解した。それは王たちの、それぞれに確定された「死の形」。

 

 白亜の仮面の下、無貌であるはずのアサシンの面相が確かな笑いで歪んだ。歓喜と、そして嗜虐の愉悦とに。

 

「思い出したか? 己が死へ至る(・・・・・・)傷口(・・)を!」

 

 既に一度確定された決殺の記憶。その歴史に刻まれたそのピースをもって、アサシンの宝具は完成する。死因の再現。それは、なによりもおぞましい呪詛であった。生者には使用できない、戦場で散った雄々しき英霊にのみ効果的な、そして致命的な必滅の呪いであった。

 

 もはや文字通り死を待つばかりになった二人の女の前で、アサシンは悠然と踵を返した。

 

「なッ! どこへ行くッ!」

 

「勘違いをするでないぞ、セイバー。ワシの標的は最初からうぬらではない」

 

 既に熱狂の熱を失ったアサシンの声は元の平淡で抑揚のないものに戻っていた。

 

 セイバーは既に青ざめた相貌からさらに血が引いていくのを感じた。アサシンはこの期に及んでまだマスターたちを狙うつもりなのだ。

 

「そんな――シロウ、逃げてください! シロウッ!!」

 

 しかし少年は満足に動けないはずの身体で、なおもセイバーの元に歩み寄ろうとしている。セイバーの必死の叫びも意に介していない。

 

「セイバー、まってろ。今……」

 

 分かっていたことだ。彼女のマスターがこんな時にどう動くのか、知らない彼女ではない。それを想い、彼女の心中で複雑な歓喜と絶望とが絡み合う。

 

「あなたという人は……ッ!」

 

 そして即座に彼女も覚悟を決める。マスターが引かぬというなら、騎士王にもまた後退はない。――しかしそのとき、傍らの少女が少年の行く手を押し留めた。

 

「――放してくれ、俺はセイバーを――」

 

 テフェリーは無言のままランサーに目配せすると、有無を言わさず彼の身体を抱え、虚空へと飛び上がった。そして信じがたい速度で燻る瓦礫の間を跳んでいく。

 

 それを見たアサシンは、仮面の下で呆れたように嘆息した。

 

「……死なぬとはいえ軽い毒ではないのだがな。よく動けるものだ」

 

「なん……だと?」

 

 その呟きを耳にして、セイバーが驚愕の形相でアサシンを見上げる。

 

「ああ、毒のことなら心配は無用。致死に至るようなものを使ってはお主等に感づかれる可能性があったのでな。アレは一時的に手足をなえさせる程度のものよ」

 

「貴様……ッッ!」

 

 肺腑の奥から絞り出すような声は誰のものだったのか、兎角血に伏せる英霊たちは虚実の兵法によって謀られたことの悔恨で脳裏を焼かれ、身を焦がすような憤怒をもてあます。

 

 滔々と語ったアサシンの抑揚のない口調は、しかし未だに僅かばかり高揚しているのが窺えた。名立たるサーヴァントを並べ磐石であったはずの布陣が、予期もせず崩され、そのために慌てふためき無謀な逃走に打って出た愚かなマスターどもの醜態に、無貌の暗殺者もこぼれる喜悦を隠しきれていないのだ。

 

 アサシンは足取りも軽く彼女らの追跡を開始しようとする。

 

 ――させない! セイバーは瀕死の身体を意に介さずアサシンの前に立つ。が、アサシンの前に立ちふさがろうとする彼女を、紅蓮の魔爪が打ち据えた。

 

「―――――ツッ!」

 

 踏ん張りも効かず、たたらを踏んで後退するセイバーの小さな身体をランサーが受け止める。

 

「心配はしなくていいぞ、セイバー。退屈はさせぬようにもてなし(・・・・)は残していく」

 

 そう言って闇に溶け込むように走り去る黒衣の暗殺者。おのれ、卑劣な! 己が奥歯を噛み砕かんばかりに食いしばりながら、それでもアサシンに追いすがろうとするセイバーだったが、しかしそれを再びバーサーカーの紅蓮の魔爪が狙い打とうとする。

 

 しかし攻撃にさらされようとしたセイバーの矮躯を、ランサーが引き止めた。

 

「?!ッ ランサー、何を……」

 

 ランサーは手甲を分解して形成した数本の投げ矢を放ち、バーサーカーとの距離を開けた。

 

「落ち着け、セイバー。今はむやみに動き回ってもどうしようもない」

 

 バーサーカーは穏形するように炎の中に姿を消した。ダメージを負っているのはセイバーたちだけではない。何の問題も無いかの如く動き回ってはいたが、先の戦闘でランサー、セイバーにそれぞれ負わされた傷は軽くはなかったのだろう。回復に専念したいのは向こうも同じなのだ。

 

 だがこのランサーの落ち着きように、セイバーは言いようのない不安を覚えた。

 

 まさか。――まさかランサーは最悪、今現在の正規のマスターではないあの二人を失っても、サーヴァントである己が生き延びるべきだと考えているのではないだろうか?

 

 実際、アサシンはあの二人をセイバーとランサーの正規のマスターだと誤解している。この二人のサーヴァントが図らずも最初から代行のマスターとのみ行動を共にしていたことが事態を好転させた結果だといえよう。

 

 しかし、――それは出来ない。戦略上の観点から言うならば、確かにセイバーの現時点でのマスターは凛である。その凛が無事である以上、この場はバーサーカーの追従をどうにかして離脱を計るのが戦闘代行者たるサーヴァントとしての正しい選択だといえる。

 

 しかしそんな選択は、セイバーの中に存在すらしていなかった。

 

 ランサーにしてもそうなのではないのか。いかに戦火の雄とはいえ、いかに勝利のためとはいえ、簡単に仲間を、テフェリーを切り捨ててしまえるというのだろうか。

 

 否。しかし――そこでセイバーはその光景を思い出す。それはセイバー自身が何度も行ってきたことではなかったか……。

 

 そうだ。それこそが彼女の成してきた王道だった。本当に救うべきもののために、見果てぬ理想のために、彼女はそれらを切り捨てながら最善の決断を下し続けてきた。そこに疑いはなかった。しかし、生前に下せたはずの決断が、今は下せない。

 

「セイバー、こっちを見ろ」

 

 俯くセイバーにランサーが呼び掛ける。だが、セイバーには見れなかった。正しいとは解っていてもその判断に頷くことだけは出来ない。だが、それを非難する資格も、また己には無いのではないか。

 

 そこで、不意に気付く。もしや己のやってきたことは、唯何かに執着し、そして他のものから目を背けていただけの事だったのではないのか?

 

 ――過去への、愛するものへの執着。それこそが破滅を招いたのだ――

 

 脳裏に言葉が木霊する。あの化身の王の言葉が。

 

 ――まだ解からぬか、騎士王。その愛が、執着が、破滅を招くのだ――

 

 セイバーは愕然とその眦を開いた。私は、己の『私』を滅していなかった? かつての理想への執着が、あの破滅を招いたとでもいうのか? ならば、今衛宮士郎に向けられるこの気持ちも――〝執着〟――、同じ破滅への道だというのだろうか。

 

 かつての彼女が故国の滅びる様を見つめながら、それでも理想を手放そうとしなかった事と同じように……

 

 なんということだろう。何も変わってはいなかったのだ。ただ、執着する対象が変わっただけの事でしかない。かつては理想に、次いでは聖杯に。ひたすらに執着してきただけなのだ。そしていま、その対象が、衛宮士郎に変わったというだけの事ではないのか。

 

 それが騎士王の王道だというのだろうか?! ならば、どうして無私を貫いたあの王に、それを誇ることなどできようか。虚言にてあの化身の王を謀ろうとしているのは、この己の方なのではないのか―――

 

 セイバーは火を噛むようにして懊悩した。しかし、それでも。今彼女が衛宮士郎を失うということもまた、即ちあの破滅と同じことだ。

 

 それを、受け入れることなど出来はしない。たとえそれが執着なのだとしても、滅びの道なのだとしても、セイバーにはそれを捨てることが出来ない。

 

 たとえ止められたとしても、主のもとへ馳せずにはいられない!

 

「ランサー、私は……ッ」

 

 意を決してなお、セイバーは顔を上げることが出来なかった。しかしそこでランサーはセイバーの両肩を掴み、強引に振り向かせた。

 

「……!」

 

「アタシを見るんだ、セイバー」

 

 そのときセイバーの視界は、柔らかな一面の光で埋め尽くされた。

 

 

 


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