Fate/after Silent Noise (フェイト/アフター サイレント・ノイズ)   作:どっこちゃん

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三章 加重細動「アンダー・ベクトル」-9

 ひどく昏い平野が見える。遮る物のない開けた伽藍。まるで奈落の淵を見るかのよう。――それは漆黒の海面であった。

 

 先刻まで燃え殻を孕むような風に呷られ、沸き立つかのようだった海原はしかし何時からか凪いでいた。それも空恐ろしいまでに、暗鬱に凪いでいるように見て取れた。まるで海が死んでいるかのようだった。

 

 そのとき、その漆黒の水面を押し上げるようにして、何か、煌めくかのような強大な物体が、海中から姿を現した。

 

 これほど凪いだ海ならば、それを見にする者がいてもおかしくはないはずだった。しかし、この夜、その光り輝くものを目にした者は皆無であった。たとえ海岸沿いからこれを眺めたのだとしても、きっとその姿を正確に捉えることの出来た人間はいなかったと思われる。

 

 なぜなら、それはこの静かな海原に在りうべからざる〝不可視の〟暴風に囲まれていたのである。

 その膨大な量の風は常に内側へと流れ込み、異常なまでに圧縮された大嵐の城壁を形成していた。

 一方でその風は外側に漏れることなく、僅かの波紋さえ外へ漏らそうとしないのである。

 

 そしてその分厚い大気圧の外殻は水面に照り返す星の光をさえをも捻じ曲げ、その一帯の虚空をあたかも黒瑪瑙(オニキス)の如く擬態させていたのだ。

 

 その深奥で、囚われの老魔術師は目を覚ます。

 

 気が付くと、そこは頼りないオイルランプの灯りに仄照らされる薄暗い空間であった。奇妙な洋室のような場所だ。ここは何処であろうか? 見慣れない場所であり、そして何よりも異質な空気が漂っている。身体を起こそうとするが、自由が利かない。どうやら椅子に拘束されているらしい。

 

 命じてみるが、靴職人(レプラコーン)達もまた靴の中に留まったまま出てこようとしない。いや、出られないのだろうか? だとしたらここには地面がないということになる。即ち空の上か、それとも高層建築物の上なのか――いや違う。

 

 耳を澄ましてみれば、室内にまで僅かに流れくるのはまるで急くような漣の音であった。つまり、ここは海上だということになる。

 

 なんたる――不覚! 老魔術師は内心で己の失態と危機的状況に舌打ちをした。

 

 土の魔術(アースクラフト)、とりわけレイラインの操術と応用を専門とする彼、ワイアッド・ワーロックにとっては、レイラインの恩恵を受けづらい空中や海上というのは文字通りの鬼門なのだ。ここから単独での脱出は難しいかもしれない。

 

「諦めろ、客人。ここからは逃げられん」

 

 彼の考えを見透かすように声を掛けて来たのは、ワイアッドに向かい合うようにして豪奢なチェアーに腰掛け、無造作にラム酒(グロッグ)を呷っている男だった。さしものワイアッドも息を呑んだ。今の今まで、そこにいたはずの男――否、サーヴァントに気が尽きもしなかったとは!

 

 丸窓から差し込む月の光が、豪奢な卓上を照らしている。そのテーブルの上には、冬木市のものらしい地図と美しい装飾が施された天測器の類が並べられている。

 

「失礼――そろそろ頃合いだ」

 

 サーヴァントの男はそう言って静かに立ち上がり、そのうちのデバイダーと呼ばれる二脚の製図道具を手に取った。そして地図上にコンパスのような二股の針を落として、何かの距離を推し測り始めた。

 

「どうした? 目が覚めたなら、なぜサーヴァントを呼ばん? それとも、これがなければできんのかな?」

 

 男は視線もむけぬまま、ワイアッドに声を掛ける。見れば、テーブルの上に上がっていたのは天測器だけではなくワイアッドとサーヴァントを繋いでいる偽臣の書であった。

 

 男はそれを手にとって、悠然と彼に向き直った。金属が滑るような眼光が、色眼鏡越しにワイアッドを貫く。

 

「なかなかの手練と見えたが、まさか代行のマスターだったとはな。……まあ、こちらとしてはどうでもいいことだ。もとよりサーヴァントにしか用はないのでな。さあ、どうする? これで己がサーヴァントを呼び寄せたいなら――――!?」

 

 言い終わるよりも先にワイアッドが何事かを呟くと、偽臣の書は一瞬で怪異な炎に包まれ、見る間に靄の如き灰となって消え失せた。

 

 すかさず男が手をはためかせると、老魔術師の身体を拘束していた荒縄がまるで生きているかのようにざわめき、彼の首を締め上げた。呻く暇もなく、ワイアッドは再び意識を奪われた。

 

「やれやれ……期待したのだがな」

 

 男はぼやきながら、これもまた華美なまでに飾られた望遠鏡を手に取ると、船長室から外の甲板に歩み出た。

 

 懐かしい潮の香りと柔らかな潮騒の気配が、彼の身体を包み込んだ。あれほどに吹き荒れた板はずの大嵐の防壁も、今ばかりは何の痕跡もなく消え失せている。

 

 いかにも潮風の似合う男だった。辺りにはうねるような夜。ただ漆黒の、ただ暗黙の夜だけが静かな潮騒の音を引き連れて流れていく。

 

 ――嗚呼。ここは、良い。

 

 初めて目にするはずの海だった。しかし同時に懐かしい海でもある。世界は海で繋がっているのだ。ならばたとえ始めて目にする場所であっても、ここは彼の故郷に違いない。

 

 だがどうせならこんな浅瀬ではなく、もっと沖を目指したいところだった。空と星と、そして何もない水平線だけが己を取り巻く世界へ、未知の渇望に胸を焦がしたあの日のように。揺籃の波頭に栄光を夢見たあのころのように――。

 

「……いい風、そしていい波だ」

 

 洩らしながら、彼は己の総身が南洋の浅瀬に見た薄水のグラデーションのように澄んで行くのがわかった。そして気分が変わり、考えを改め直すことにした。

 

 これも仕方がないことなのだ。ここでサーヴァントを喚ばれては今夜の予定に支障をきたすことになりかねない。

 

 当初から彼はこの作戦には乗り気ではなかった。そのうえ途中で偶然捕らえた魔術師をつれていた上に、通信のためにと言って持たされた通信機まで積み込んでいたおかげで霊体化して移動することも出来ず、余計な手間を取った。

 

 加えて、アサシンなんぞにも無用のちょっかいを出される羽目になったのは並べても業腹の極みであった。とはいえ、いまはそれらを差し引いても存外に気分は悪いものではない。

 

 それほどに彼の心は晴れ渡っていた。なぜならその寄り道のおかげで、ひどく幸福な出会いがあったのだから。

 

 あの時、翠緑に光り輝いていた騎士王の瞳を彼はうっそりと思い出す。

 

 潮騒の中で脳裏に浮かび上がり、蘇ってくるのは過ぎ去りし日々に仰ぎ見た我が女王(マイ・クィーン)の威容であった。あの克己の眼差しが、そしてその王気があの騎士王を名乗る少女のそれに重なるのだ。

 

 身体中が戦の予感に沸き立ち始めている。嗚呼、血が滾る。戦場の気配を、戦場の風を、あの眼差しがつれてきたのだ!

 

「ふふ。――さて、開戦までは如何ばかりか……」

 

 巨大な船体を再び暴風の殻で包みながら、待ちきれないとばかりに男――ライダーのサーヴァントは嘯く。

 

 猛獣のようなその眼差しを兇気の喜悦に染めて、かつて魔竜とまで呼ばれた男は今まさに天蓋の頂点に足を掛けようとする月を見据えていた。

 

 

 

 

 

 目指すべき災禍の深奥は新都オフィス街だった。出火したのはそろそろ日が落ちようかというころで、未だ職務についていた人間も多かったのだろう。一気に燃え広がった紅蓮の波から逃れられたのは、ごく一部の幸運な人々だけだった。

 

 火に巻かれ、崩れ落ちた瓦礫の下敷きになってもだえ苦しむ人の声と、逃げ惑う人々の狂乱の声とが合唱しあい、響き渡って燃え盛る炎をさらに煽り立てているようであった。まるで戦場。魔に蹂躙された営みの庭は、もはや地獄の釜の底の如き様相を呈していた。

 

 すぐに人々を救出しようと機内から降りようとした士郎だったが。しかし助けようとした人間を悪辣に呑み込む焔の群れにを前にどうすることも出来ない。

 

「くそっ」

 

「小僧、暫し待て。今降りる場所を見つける」

 

 ランサーの駆るロビンソンは火災で巻き起こる強烈な上昇気流をものともせず、ビル群の隙間を縫うようにして低空飛行を開始する。今回初めて操縦桿を握った筈にもかかわらずランサーの操縦技能は正規のプロパイロットのそれを凌駕していた。

 

 これがサーヴァントにそなわる『騎乗』のスキルである。本来、クラススキルとしてはこの能力を持つことの無いランサーだが、彼女は元来が伝説の騎馬民族の出自を持つ英霊である。そのため、固有のスキルとしてこの能力が備わっていたのだ。

 

 しかし、このときばかりはその卓越した操縦技術が仇となった。

 

 そのとき、未だ炎に巻かれてはいなかったはずの、彼らの背後に聳えていた高層ビルがいきなり内側から火を噴いたのだ。それは臨界を迎えた風船が内部の圧力に負けて破裂する様に酷似していた。

 

 溢れ出した炎と瓦礫の雨が彼らの頭上に降り注ぐ。否、それはもはや灼熱の大瀑布であった。

 

「つかまれ!」

 

 ランサーはすぐさま機を上昇させて離脱をはかる。だがそれは崩れ落ちる幾千万の瓦礫の前にして、あまりにも無為な行いと言わざるを得なかった。一面の赤朱が、やおら翳った視界を覆っていく。――

 

 

 ――辺りは倒壊したビルの破片で埋め尽くされ、哀れ、瓦礫の山と化していた。それらはすぐに群れ成すような斑炎に囲まれ、周囲の様相は一変、炎と黒煙の大海原へと姿を変える。

 

 刹那、その一角が盛り上がり、その下からせり上がるように紫水晶の威光が姿を現した。七、八メートルはありそうな長槍が次々と突き出し、彼らの頭上で円錐形の槍衾を形成したのだ。

 

 言うに及ばぬことだが、それはランサーの変幻装甲の賜物であった。そうして作り上げられた即席の楔形陣形が彼らを紅蓮の怒濤から守りきっていたのだ。

 

 しかしそのせいで乗ってきたロビンソンはズタズタに粉砕されてしまっていた。運転席にいたランサーが内側から槍衾を形成したからである。

 

「すまんな。たった一度しか駆ってやれぬとは……」

 

 ランサーはものいわぬ鉄塊と成り果てた愛騎に哀悼の眼差しを送り、肩を落として僅か半日足らずの付き合いだった相棒に別れを告げた。

 

「ランサー、あれを!」

 

 そこで、槍衾から這い出したテフェリーが、まずはそれを見つけた。それにつられるようにして士郎とランサーが、それを見る。

 

 それはそこから程近い焔の向こう、小高く積みあがった瓦礫の丘の上に、呆けたように立ち尽くしていた。それは奇怪な和装の女であった。その姿はまるで灰でできた彫像のようだった。瞳がちな目はひどく虚ろで、その滑らかな肢体にはまるで生気が無い。死人の如く青白い肌が幽鬼を想わせる灰白色に濡れ光り、その女から人間性というものの悉くを奪いさっているようだ。

 

 その上、淫らに着崩した鈍色(にびいろ)の着物と髪が、真紅に染め上げられた炎の文様を浮かび上がらせているのだ。その紅蓮の炎の染め抜きが、青白い肌の上でひどく禍々しいものに映る。蝋のような白い顔に、呆けたような恍惚とした表情を浮かべる様相はあまりに淫靡で、同時にどうしようもなく人間味に欠けていた。

 

 そして、その虚ろな眼には物狂いのそれとしか見えない凶暴な色が覗いているのだ。

 

 着物の女は炎の中でしきりに身体をくねらせていた。妖艶に起伏した肌がびくり、びくりと痙攣するたび、音もなく漏れ出る女の息が、あでやかな法悦の色を帯びるようだ。

 

 まさしく狂人の振る舞いと言えた。その行為がなにを意味するのか、一見しただけで理解出来る者など皆無であっろう。ただ、視界を半歩引いて全体の光景を俯瞰して見るならば、それは文字通り一目瞭然だった。誰もが瞬時にそれを理解した。

 

 衛宮士郎は「あっ」と声をあげそうになり、目を見開いた。見上げてみれば、その女の頭上には夜のキャンバスに乱れ逆巻くかのような焔色の漣が渦を巻き、脈動するかのように収縮を繰り返しているのだ。

 

 そして渦の中心にいる女に向けて灰塵か白煙か、なにやら判然としない白い靄のようなものを押し流しているように見える。常人の目にはその程度の光景にしか映らなかったが、魔術師である彼にはそれがなんなのか如実にわかった。解かってしまった。

 

 ――魂喰い。

 

 吸っている。呑んでいる。喰らっている! あの女は、霊体になっても尚、炎に巻かれ焼け続けている人々の命を貪っているのだ。もはや間違えようもない。連日の火災はこの女の仕業だ。

 

「や、やめろッ!」

 

 士郎はすぐさま気を吐いて灰色の妖女目掛け駆け出そうしたが、それに先んじたランサーの輝影がそれを制した。

 

「……下がっていろ」

 

 声は冷めて冷徹に、瞳は燃えて灼熱に。そこには万全の支度を整えた戦女神が光臨していた。それはこの事態がもはや人の出る幕ではないことを示している。

 

 テフェリーとも視線を交わし、士郎は大人しく引き下がった。激情は抑えがたいものであったが、セイバーとの約束もあり、無理は出来ない。何より、既に火のようになったこの蛮勇を差し置いて前に出ることは、無謀を常とする彼をして、なおも叶うものではなかった。

 

 逆巻く炎の向こう側でひとしきり紅蓮の波間に揺られていた狂女は、そこでようやく目視できる位置にいたランサーたちに気付いたのか、ビクリ、と一際大きく身を震わせ、機械仕掛けの人形を思わせる奇怪な動きでよたよたと歩みはじめた。

 

 ――――かと思えば、途端にその両袖口から飛び出した巨大な鉄爪を振り乱し、紅蓮を纏いて跳躍した。

 

「………ッ――――――――――――――――――――――――ッッッ!!」

 

 奇声。とうてい人のそれとはおもえぬ金切り声を張り上げながら、灰白色の女は夜気に緋の尾を残し、一瞬でランサーとの距離を詰めてくる。傍らの主の指示を待つまでもなく、ランサーも轟と大地を蹴る。

 

 赤火にまみれる瓦礫を掻き分けながら激突する紫水晶と白灰色。技巧も何もありはしない。まるで砲弾と砲弾が中空で衝突したかのような衝撃が、赤熱する粉塵と灰燼とを夜の虚空に巻き上げる。

 

「むぅッ!?」

 

 驚嘆の声はランサーのものだ。手にした短槍を弾かれ、しなやかな長身が僅かに後退する。果たして真正面からの力勝負の行方は灰色の女に軍配が上がったのだった。この狂女の攻撃には精緻なる技巧などありはしない。対する槍兵に比べ、遥かに矮躯でありながら、この灰色の女はただ膂力だけでランサーを圧倒したのだ。

 

 舞い上がる火の粉の群れが、滲むような夜気を焦がし、嬉々として妖舞する狂女の姿を照らし出している。

 

 狂戦士(バーサーカー)。もはや推し量るまでもない。力押ししか能の無い戦法、そして怪鳥のごとき奇声を張り上げての狂態はまさしく理性を奪われた獣のそれでしかありえない。

 

「くそッッ」

 

 それを見て歯噛みする士郎に、注意深く辺りを観察していたテフェリーは声色も変えずに告げた。

 

「お気を付けください。この火災は人為的に広がるように手を入れた跡があります。さっきのビルの崩落も、おそらくはバーサーカーのマスターがやったものです。まだこの近くに居るかもしれない」

 

 言うや否や、奔る無数の銀の糸。最初にランサーとセイバーが戦ったときにこのメイド姿の少女が見せた礼装である。あの夜と同様に、今もまたに無数の糸が虚空に踊る。

 

 炎光に照らされるそれは、月光に溶け入るかの如き冷ややかな様相とはまた違った艶やかさを帯びて、夜に舞う。

 

 それらの銀糸は燃え盛る木材やコンクリートを括り、崩し、切断し、いとも簡単に巨大な瓦礫を粉砕していく。ふるわれる両腕はまるで羽ばたくかのように軽やかであり、舞うかのようなその様は楽団を率いる指揮者の姿すら連想させる。

 

 そうして砕かれ、切り崩された瓦礫群は糸によって綺麗に取り除かれ、古代の円形舞台(オルケストラ)を想わせる開けた空間を作り上げた。

 

「ランサーッ!」

 

 さらに、ちょうどそこに隣接する観客席(テアトロン)のような瓦礫の上へ、士郎を連れて跳び上がったテフェリーは、号令でも掛けるかのようにランサーへ呼びかけた。

 

 するとランサーも始めから申し合わせたかのように、その広間の中央に陣取った。獲物が動きを止めたことを好機と取ったのか、バーサーカーは再び弾丸の如く真正面からランサーに突進する。

 

 ここでひとつ、奇怪な事実がわかった。その狂女の周囲、その身体の通る跡にはまた新たな火種が燃え始めているのである。あの女が動く度、その振袖や裾布をはためかせる度に、その身体の周囲にはパッと金蛾の如き火の粉が舞い散らばるのだ。

 

 闇の深い夜にはそれがなんとも美しく浮かび上がるのだが、そのせいで周りの家屋は次々に炎に包まれるのだから、座して眺めるにはあまりに悪辣な趣向だといえた。

 

 再度、何の技巧もなく一直線に向かってくるバーサーカー。紅蓮を巻く一筋の紅線を、再び真正面に迎え撃つランサーは深く腰を落とし、手にする短槍の端を両手でしかと握り締めた。

 

 すると、やおらその反対側の穂先が腫れ物のごとく丸みを帯び、そして大玉の西瓜(すいか)の如き大きさまで一気に膨れ上がったのだ。

 

「おおぉぉぉぉぉ――っらぁぁぁぁッッ!!!」

 

 気合一閃。最大限まで捻転された長身を余すことなく駆動させ、砲弾の如く撃ちだされた鉄球が夜陰に舞う焔ごと鈍色の女影を薙いだ。しかしその瞬間、直進して来た筈のヒトガタは赤熱する流砂の如く崩れ落ち、火の粉の塊となって暗闇に溶け入るかのように消え失せたのである。辺りには紅く散らばった燃え殻が点々と残るだけだ。

 

 すると同時に、辺りの瓦礫で燃え盛っていた炎がやおら立ち上がり、いくつものヒトガタを形作ったではないか。ランサーは再度鉄球を振り被り、瓦礫ごとそれらを吹き飛ばしたが、そうする度に舞い上がる火の粉がまた新たなヒトガタとなってゆらゆらと燻り始めるのだ。

 

「――チッ」

 

 予期せぬ狂戦士の幻影の術に業を煮やしたのか、ランサーは持っていたモーニングスターを引き延ばし、再び武具の換装に取り掛かった。しかしそのとき、ランサーの死角で鎌首をもたげる炎塊があったのだ。

 

「後ろだ! ランサー」

 

 士郎は思わず叫んでいた。しかしその咄嗟の叫声は炎から姿を現したバーサーカーに先んじることなく、炎灯に煌めく甲冑の隙間から覗いたランサーの白い首めがけて、巨大な凶爪が薙ぎ放たれた。

 

 ランサーの相手をさせていたのは、総て唯の幻炎でしかなかった。炎を固めて作っただけのフェイク。後ろを取るための布石だったのだ。紅蓮を撒く鉄爪が迫る。が、しかし――その爪が標的に届くことは無かった。

 

 観れば、今まさに凶行に打って出ようとしたバーサーカーの身体は、まるで時が止まったかのように、宙に浮いたまま、虚空に固定され静止しているのである。その姿は、まるで丁寧にビス止めされた蝶の標本のようであった。

 

「!!ッ――――――ッ!――――ッ――…………」

 

 もはやバーサーカーは声にならぬうめきを漏らすことしかできないようであった。

 

 その五体はいくつもの煌めく刃や杭に穿たれ、その虚空につなぎとめられていたのだ。ランサーは一歩も動いてはいない。その無数の刀身はランサーの纏う紫水の甲冑の背面から伸びていた。

 

「――阿呆め。我が沸血装甲(マーズ・エッジ)に死角など有るものか」

 

 言って、ランサーは襤褸切れのようになった女を地面に投げ出した。周囲を囲んでいたヒトガタもまた、火の粉の群れと化して溶け崩れた。跡に残るは煤ばかりである。

 

 見守るテフェリーも最初からの涼貌を崩していない。戦う前からわかっていたことだった。あの程度のサーヴァントでは、このランサーの相手になりはしないと。

 

「拍子抜けもいい所だな、この程度で英霊を名乗るとは笑わせる」

 

 ランサーもまた一合目で敵の力量を看破していたのだろう。主の信頼を知ってか知らずか、圧勝したわりには存外に不満そうな声を漏らした。

 

「―――ッツ―――ッ……ッ」

 

 女――バーサーカーは痙攣を繰り返すだけで、もはや戦うどころか動くこともままならぬようであった。

 

 ランサーは折り畳んだ得物を両手に執って振り降ろした。すると引き延ばされるように伸び上がった紫の鉱石が、新たに奇妙な形状の刀身を作り出す。

 

 刃は分厚く、切っ先は丸まり刺突には使えない。握りの長さもほとんど余裕がなく、機敏なとりなしには向かないだろう。およそ実戦に堪えるものではない。それもそのはず、その形状はただの一度で如何に人の首を落とすかという一点についての機能を追及した結果であったのだ。

 

 それは。断罪の大剣(エクスキューソナーズ・ソード)。即ち、介錯のための慈悲の刃であった。

 

「これも情けよな。――悔やむなら現世に迷い出たことを嘆けよ、亡霊」

 

 そう言ってランサーが大上段に大剣を振りかぶった、その時であった。まるで地獄に倣うようなこの場所に清涼な一陣の風が飛び込み、次いで飛来してきた何かを立て続けに打ち落としたのだ。

 

「セイバー!」

 

 

 


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