Fate/after Silent Noise (フェイト/アフター サイレント・ノイズ)   作:どっこちゃん

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三章 加重細動「アンダー・ベクトル」-8

 そのとき、何かが森の触覚に触れた。

 

 その感覚から、魔女は即座に敵の詳細を推し量る。サーヴァントではない。他ならぬキャスターの工房であるこの城に、今まさに攻め込もうとしているのはマスター、もしくはそれに随伴する雑兵だけだ。少なくとも人間以外の者はいない。

 

 ならば――問題にならない。程度はあれキャスターのクラスに据えられるほどの魔術師に対して工房攻めを行うというのなら、それ相応の準備が必要になるはずだ。いまやこの森は幾千のもの魑魅魍魎の跋扈する伏魔殿と化しているのだ。悪霊使いたるキャスターの庭に入り込む者は、余すことなく阿鼻叫喚の憂き目を見ることになるだろう。

 

『このくらいなら……』

 

 キャスターはそれを揺るぎない事実として導き出した。この程度なら自分だけでも問題なく対処できる。騒ぐほどのものでもない。

 

 案の定、侵入者どもは猟犬代わりの悪霊達に攻め立てられ、連日暇をもてあました鞘が森に仕掛けまくったブービートラップの餌食になっている。

 

 結界の変化の推移からそれを判断したキャスターは、分析をそこで切り上げた。それらを意識の外に締め出し、再び目下の作業に集中する。いま、気がかりなのはむしろこちらの方なのだ。

 

 豪奢な内装のサロンは趣を一変させていた。その床一面には白い布が敷き詰められている。その布には複雑な皺と凹凸とが浮き上がっており、規則正しく、時にはなだらかに、うねり、列を成している。

 

 一見しては分かりにくかったが、一歩引いて俯瞰するならば、それは山林や河川、軒を連ねる家屋や公共施設、果ては群れ成すような高層ビル群の、精巧なミニチュアと見て取れるではないか。

 

 キャスターはカリヨンの部屋から戻った後、自室には戻らずにこのサロンに足を運んでいた。今日までに観察し、収集した情報を元に冬木市の全貌をこの一室に再現していたのだ。

 

 その理由はといえば、第一に冬木市全域のサーヴァントの位置を把握するためであった。この措置により、彼女は総てのサーヴァントたちのいる大まかな位置を把握することができた。

 

 そして今、白布の上を滑るように幾つかの丸石が動き回っている。これは一つ一つがそれぞれのサーヴァントたちに連動してその行動をトレースしているのだ。色違いの石たちは内四つが一所に集まり、淡い光を発しながら暗明を繰り返している。

 

 他方、一つは郊外の森中で微動だにせず、光を発することもない。この一つはアーチャーだろう。昼間に確認したときと同じ場所で静止している。

 

 石が放つ光の点滅はそのサーヴァントがどれほどの魔力を発しているのかをあらわしている。よって集まっている四騎は戦闘中。逆にアーチャーの方は実体化すらしていない。

 

 本来なら、キャスターである彼女にとって他のサーヴァントの位置を確認することくらいのことは雑作もないことだった。しかし、連日この街を覆っている不可解なノイズがサーヴァントや魔術師の魔力探知能力に介入して、その悉くを無効化しているのだ。

 

 諜報戦を嫌うものの犯行なのかどうなのかは定かではないが、兎角サーヴァントの位置くらいは把握しておかなければ話にならない。そのため、キャスターはこのような手間の掛かる手段を取らざるを得なかったのである。

 

 なにより、こうでもしないことには無軌道に出歩く鞘の居場所は確認できないのだから、そう無駄な手間とも言っていられない。

 

 現在確認できるサーヴァントは自分を含めて七。今サーヴァントの大半が集中する戦場に向けて真っ直ぐに移動していくのは鞘だ。

 

 彼女にはこの部屋のことは知らせていない。本人がその手の戦略に無関心ということもあるが、出来れば戦場の位置など知らせたくなかったからだ。そうでなくとも複数のサーヴァントが入り乱れるような場所に好んで送り込みたいとは思わない。

 

 そう思えばこその処置であったのだが、彼女の方策は功を奏することもなく、丸石は戦禍の中へと一直線に滑っていく。

 

 これだけの魔術的なノイズが入る中、鞘が意図的にそこを目指しているとは考えにくい。おそらくは気の向くままに突き進んでいるだけなのだろう。つくづく厄介な勘のよさに辟易しつつも、一方では監視しているようで申し訳ないという気持ちもあった。が、そこはさすがに老婆心ということにしておいた。

 

「しかし……」

 

 キャスターはそこで、改めて白布の上に視線を泳がせる。置石の数は現在七つ、イレギュラーのセイバーがいるのだから、一つ足らないことになる。見れば、先ほどまでライダーをマークしていたはずの一つが白布の内ではなく外に出て彼女の足許に転がっていた。

 

 それを拾い上げて再び布の上に石を放ってみるが、置石は居場所を見つけられずにふらふらと彷徨った挙句に弾かれて再び布の外に弾き出された。

 

 これはこの白布によって模倣された冬木市全景の内にそのサーヴァントはいないということを表す。いつの間に? 先ほどまでは確かに白布の上に収まっていたはずなのに……既に脱落したとでもいうのだろうか……?

 

 もしくは冬木市の外まで出ているということなのだろうか? ならば確かに置石は弾かれるだろう。

 

 おそらくは後者。脱落したと見るには要因が少な過ぎるし、これが他ならぬ騎兵(ライダー)だというのなら充分に予想できる事態だ。素性まではわかってはいないが、奴がサーヴァント中最大の機動力を持っている可能性は高い。この戦場から離脱するのもその気になれば造作もないことだろう。

 

 しかし、なぜそんなことをする必要がある? 負傷して遠方に逃げ延びたとでもいうのか? 先ほどのセイバー、アサシンとの邂逅時においてさえ、たいした戦闘もせずに立ち去ったくせに……。

 

 奴は何を考えている? 言い知れぬ焦燥と不快な感覚を、胸の奥に感じ始めていたそのとき、不意にサロンの扉が開かれた。

 

「何だ。ここにいたのかキャス…………!?」

 

 部屋に入るなり、少年は思わず息の呑んで瞠目した。

 

「なんです? マスター、何かありましたか?」

 

「……おっ、怒ってるわけじゃあないんだな?」

 

「はい?」

 

 堆積した思考の深みから引き剥がされたキャスターの顔からは、いつのもたおやかさが抜け落ち、カッと目を見開いた面相は主たる少年を凍りつかせる程度には充分すぎるほどに怜悧であった。

 

「あ――ッ、いや、なんでもない。それより、森が騒がしいような気がしたんだけど、何かいるんじゃあないか?」

 

「ええ、諜報の類が幾らか来ているようですね。しかしサーヴァントはいませんし、警戒するほどのものでもないかと……」

 

 キャスターの表情がいつもと同じに戻ったことと、安全面の確認が出来たところで、カリヨンは取り敢えず安堵して、息を吐いた。

 

「そうか。……じゃあ、それでさ、キャスター……」

 

「……ですが少々気になることもありまして」

 

「え?」

 

「マスター、この敵勢について何か知っていることはありますか? どうにも不可解に思えてなりません」

 

 キャスターは使い魔達の視界を介しての映像を、虚空に漂う靄のようなスクリーンに映し出した。

 

「あ、兄上……」

 

 驚愕の声はカリヨンのものだ。そこに映し出されていたのは蝋のように白い貌をした美貌の青年。カリヨンと同じ父親譲りの白銀の髪を持った男の姿だった。

 

「確か、あの夜に会った次兄の方でしたね。……ですが気に掛かるのは連れている雑兵のほうです。一見してただの一般人にしか見えないのですが」

 

 キャスターの言葉どおり、城を取り囲んでいるのは数十人の男たちだった。それもどうやら徒弟というわけでもないらしい。彼が引き連れているのはくたびれたスーツに身を包んだサラリーマン風の男たちだった。なかには法衣を着た聖職者のような連中や 警官か何かの制服のようなものを着た連中も混じっている。

 

 何よりも妙なのはその顔つきだ、操られているというほどには虚ろでなく、しかし正気というには意思の光があまりにも希薄だ。

 

「単なる暗示や催眠とも違うようですね。……マスター、何かご存知ですか」

 

「兄上……いや、アイツの力については何も分からないんだ。ただ、聞いたことはある。そのときの台詞はこうだった『人の精神を操るのでもなく、惑わすのでもなく、根本から裏返してしまう。げに恐ろしきは異能の業』だって……」

 

「異能者……」

 

 キャスターは含むように反芻する。サンガールの後継者たちは皆魔術回路の増設にともなってある種の、魔術とはその摂理を異にする何らかの能力を発現したのだという。そもそもの魔術の意義を失うほどの。強力な異能を。

 

 ただし、それはカリヨンを除いて、の話である。彼だけは魔術回路を増設された後も何の異能を発現することも出来ず、そもそもの魔術回路の質もおざなりだったために、最も見込みのない後継者と見なされていたのだった。

 

「けど、この状況ってそんなに危ないのか? 大丈夫だって言ったじゃないかッ」

 

「そこです。敵の布陣が城を攻めるにはあまりにおざなりなのです。これでは何の意味もありません。お粗末過ぎる」

 

「な、なんだ、そうなのか……」

 

 安堵の息を吐こうとするカリヨンに、キャスターはしかし、戒めるような声を重ねる。

 

「だからこそ不可解なのです。まだ脱落したサーヴァントはいないはずです。サーヴァントが健在なら、それを筆頭に雑兵を率いてこの城まで攻め入るのが常套手段のはず。なぜあの敵勢は無二の最大戦力であるはずのサーヴァントを伴っていないのでしょうか……。

 マスター。お兄様……いえ、攻め手の方はそのようなお人でしょうか? 考えも無しに真正面から事に当たる野放図な方でしょうか……」

 

「いや、そんなわけはない。考えなしなんてことは……ありえない」

 

 彼は以前から意味も無くこの次兄――オロシャを恐れていた。無論他の兄姉も凶大な暴力を身に宿す魔性の者であったが、この次兄はその性質が違っていた。

 この男に対しての感覚は畏怖というよりは忌避に近いものがあったかもしれない。毒蛇のように狡猾で、秘密裏に他者を貶め、絡め取るような手段を好むのだ。故にその頭脳の明晰さについても、幾度となく聞き知っている。吐き気を催すような仔細までをも含めて。

 

 ゆえに、カリヨンはこの男のすべてが恐ろしかった。対峙したくないという意味では長兄ゲイリッドや長女ベアトリーチェよりもはるかにその気持ちが強かったといえる。

 今も、靄の中に浮かび上がるあの整った笑い貌が恐ろしかった。まるで無理に引き伸ばされた作り物の顔がそれ以上の伸縮を許されずにいるような、次の瞬間には崩れてしまいそうな……。

 

「マスター……」

 

 カリヨンはそこから目を背けて言葉を切った。時刻は、そろそろ夜の深奥に差し掛かり始めている。

 

 そんなカリヨンを慮りつつも、キャスターの脳裡は決して無視することのできない予感に捉えられている。これは、悪霊の群れと悪辣な罠の山に阻まれ、立ち往生するだけの雑兵の群れに感じる脅威ではない。

 

「-―――そ、それで、キャスター。ちょっと相談があるんだけど……」

 

 暫し泥んだような沈黙を持て余したカリヨンは、意を決したようにか細い声を掛けようとした。しかしキャスターの耳には届かない。それほどに、この事態には何らかの意図があるように思われてならないのだ。

 

 だが、それが何なのか、彼女にもわからない。困惑は極まる。所詮は魔術師のサーヴァントと侮られているのだろうか? それだけならば問題はないが……。

 

「なぁ、キャスター……」

 

 しかしなぜ、ああも距離を開けている? 攻めあぐねるにしろ、あれでは攻めるのではなく城を囲んで傍観しているに過ぎない。しかも妙に散開して、あれではむしろ……、いや、これは…………――――。

 

「キャスター、ちゃんと聞いてくれ。こっちも大事なはなし」

 

 ――――〝 取り逃がさないため(・・・・・・・・・)か!!〟

 

 直感的にそう判じた次の瞬間、それは同時に、夜を昇る細月がその頂の天井に足をかけようとしたのと時を同じくしていたことを、キャスターが気付くことはなかっただろう。

 

 ましてや、それが今宵の饗宴の始まりの合図になっていたということなど、まさしく知るよしもなかったに違いない。

 

「――拙い! マスター、早く外へッ!!」

 

 何かを判じる猶予はもはや残されていなかった。サーヴァントとしてのキャスターの聴覚はそれを明確に捕らえていた。音。ほんの微かな。何かが風を引き裂きながら落下してくるような、それでも確実に此方へと迫ってくるような、尾を引くような致命の音色。

 

「えっ?」

 

 キャスターの切迫した声がカリヨンの耳に届くか否かなの刹那、森の深奥にあった石造りの城に閃光と暴風とが大挙して押し寄せ、同時に、音と城壁と静寂とが、消失した。

 

 

 

 

 建物にも「格」というものが存在するというならば、この古城のそれは正しく破格であったことだろう。

 

 機能的な近代的建築物と比するならば誠に奥ゆかしく簡潔な構造でありながら、辺りを祓うような威厳と気品は、ある種の神秘さすら感じさせるほどだ。

 

 しかし、それもむしろ当然のことであったといえる。ここは本来、かつてこの冬木の地において聖杯の召喚に臨んだ三家の魔術師の家門の一つ、アインツベルンの魔術師が度重なる聖杯戦争時においての居城とするために〝移築〟したものなのである。

 

 しかしいくら無人だからといってまさか、その魔の居城に図々しくも勝手自在に住み着くものがあろうとは、さしもの彼女も思い至らなかった。

 

「やっぱここか……。あっきれた、よくこんなとこ使う気になったわね……」

 

 彼女――遠坂凛がここを突き止めるに到った経緯はほぼ偶然と言っていい。敵の情報――特に昨夜追跡を断念せざるを得なかったキャスターの足取りを求めて夜半の市街を探索するうちに、ある異様な一団見つけ、それを追ってきたのだった。

 

 それは一種異様な集団だった。何台もの車両が一様に連れ立って同じ方向を目指していたのだ。それも乗用車やバイクだけではない。バスやトラック、果てはパトカーや救急車までをも含めたそれらが一様に足並みを揃えて郊外の森を目指す様は、まさしく怪奇異様な様であると見受けられた。

 

 そして彼らの目指す先がこの城なのだと察してからは容易に合点がいった。半壊したままだったはずの城が完全に工房として機能している。こんなことが出来るのキャスターのサーヴァントしか考えられない。さすがは聖杯に呼ばれるだけの魔術師の手練といったところか。

 

 しかし、果たして彼女はここで考えあぐねざるを得ない。

 

「さて、どうしようかしらね……」

 

 問題はここからどうするのか、ということである。できればもう少し偵察を試みたかったが、それは難しい。

 

 彼女がここに来たのは今宵が初めてというわけではない。以前なら敵が健在であっても忍び込むくらいのことは容易であったが、今宵のこの森にはそれすらもかなわない。

 

 彼女には今、この森全体がひとつの堅固な要塞に見えた。そこかしこに人の手によるトラップが張り巡らされ、さらには無数の悪霊が溢れかえる伏魔の巣窟と化していたのだ。

 

 現に、先にこの森に踏み込んだ男たちは悪霊に襲われ、トラップにはまって無残に死んでく。ましてや一人で攻め込むなど論外であろう。

 

 しかし彼等はそれでも止まらない。男たちは地獄の窯も同然の伏魔の園へと無謀にも突っ込んでいく。まるで恐怖を感じていないかの様だ。強烈な暗示にでも掛かっているのだろうか。そうでなければ説明がつかない。アレらは明らかに聖杯戦争に関係のない一般市民たちなのだ。

 

「なんてことを……」

 

 それを察した彼女の中に怒りの感情が渦を巻く。しかし、今一人でこの狂った城攻めに介入するのはあまりに危険だ。やはり今宵はこのくらいで引き上げるべきなのだろうか……。

 

 悔しさの余り、木陰に身を隠しながら凛が唇を噛み締めたそのとき。彼女は森を包む静寂が引き裂かれる、耳を弄するような断末魔を聞いた。

 

 

 


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