Fate/after Silent Noise (フェイト/アフター サイレント・ノイズ) 作:どっこちゃん
セイバーとランサー、そしてアーチャーが互いに刃を交えたあの最初の接触より、数えて三日目の夜であった。
天のきざはしに浮かぶ月はますます細くなり、閉じかけた瞼のように見えて夜のまどろみを連想させる。だが、今宵の空はそれほどに安穏としてはいられない。
あの最初の闘いのときもセイバーたちは郊外で頻発していた小火騒ぎや火事に注目し調査していた。テフェリーとランサーもまた然りである。故に彼等は依然としてこの怪異なる火災事件の情報に敏感になっていたのだが、――今宵の火の手は探すまでもないほどに明確だった。
三度落ちた夜の帳は、いまやその黒の色味を淡い朱色で濁されている。炎は冬木大橋を挟んだ対岸からでも黄昏の空を赤く染め上げているように見え、立ち昇る黒煙が赤い空に幾つもの筋を引いているのだ。
「でも、ほんとによくこんなものを……」
その真紅の地獄を目指す四人は、その赤の光源を野次馬でごった返す河川敷のはるか上空から目にしていた。
黒塗りの四座席小型ヘリ「ロビンソンR44」。いかなる時も市街地を迅速に移動するためにと、ランサーの要望に応えてワイアッドが急遽用意したものである。昼間、ランサー達が引き取りにいった荷物というのがこれであった。
多少は強化補強を施してあるが、特に武装などはしていない。これを駆るのが他ならぬランサーだというのなら、もとよりそんなものは必要ないからだ。
むしろ充実しているのは高度な認識阻害、及び攪乱の魔術的補強のほうであろう。
それらによってその存在を隠蔽された魔なるステルスヘリは、さらに上昇して一路燃え盛る新都都心を目指す。
「こいつはいいな! 軟派な神のように空を駆るというは如何なものかと思っとったが、こいつはなかなか粋な代物だ」
その旋回性能に酔い痴れるように、ランサーが嬉々とした声を上げる。
「けど、どうして今になって……」
煌々と赤く照らされる空を見つめながら、苦悶の声をあげるようにして衛宮士郎が呟く。
「今までのように小規模の火災を起こす必要がなくなったからではないでしょうか。何かしらの前準備が済んだのだと見ることも出来ます」
対して、同席するテフェリーは斟酌する様子もなく淡々と冷静な言葉を返した。
自室で塞ぎこんでいたはずの彼女だったが、事態を察するとランサーと共に率先して戦場を目指した。どうやら先だっての不可解な失調は改善されているようで、平時と変わらぬ様相を保っているようであった。
しかし、誰もが彼女の仔細を気にかけていられないことも事実ではあった。近日、郊外で連続していた不審火。それが今夜に限っては桁違いの規模で起こったのだ。
それも未だ人通りの多かった夕刻の新都、オフィス街でである。今までは郊外で、それも小火程度のものがほとんどだったにも関わらず、なぜ今になってこんな都市の真ん中でことが起こったのか。
セイバーも窓の外を注視しながら己の推量を説く。
「……もしくは陽動かもしれません。あれだけあからさまに郊外で連続していた火災が今度は狙い済ましたかのように都心で起こる……。あの火事の特異性に気付いてマークしていた者なら、この件を放ってはおかないでしょう。……今の私たちのように」
「それは――」
それを問い返そうとした士郎の言葉を横からさらうようにして、ランサーの鞭のような声が閃く。
「罠、ということか。――面白い!」
どの道、この先に待つのは紅蓮の地獄だ。罠の一つや二つないほうが不自然というもの。それに臆していては戦場を往くことなど出来はしない。
ロビンソンが本物の獣の如く嘶き、加速する。まるで独自の意思をもってそのランサーの覇気に賛同するかのように。
そのとき、真っ直ぐ新都を目指していたはずのヘリが一転バレルロールよろしく急旋回して空中で急静止した。
予期せぬ衝撃に機内でたたらを踏んだマスターたちが、怪訝な表情を見せる。
「な、なんだ!?」
「どうしました。ランサーッ」
「サーヴァントだ」ランサーは声を低くして告げた。それにセイバーも首肯して同意する。
「……どうやら、ここよりも上流、橋の近くで何らかの能力を使用している手合いがいるようです」
「なんだって?!」
予期せぬ事態であった。紅蓮の渦中はまだ先である。どうする? 四人は一時顔を見合わせた。この火災がサーヴァントの仕業であるにしろ、マスターの張った罠であるにしろ、敵がその只中にいる可能性は大きい。
しかし、同時にあの紅蓮の首謀者が既に逃走してそこにいるのだという可能性も、見逃すことは出来ない。加えて、こんなところにいるというのなら、それは彼らと同様に灯に魅せられて寄り集まった別の勢力だという可能性も、また考慮せざるを得ない。
咄嗟に押し黙った一同の中で、セイバーが凛とした声をあげた。
「私が行きます。皆は先に」
一時的にとはいえ戦力を分散することへの不安はあったが、どちらの怪異も見逃せないのは事実だ。ならばセイバーに任せておくのが最良の手か。士郎は視線でテフェリーとランサーに是非を窺う。どちらも異論はないようだった。
「よし。セイバー、頼む。ただし深追いはしなくていい」
「わかっています。シロウも無茶はしないように」
そしてはるか上空から河面に向けて飛び出したセイバーの装いは、瞬きほどの刹那のうちに白銀の戦支度へと変転し、金色の貴光が夜の虚空を馳せ駆ける。
夜の薄暗い水面はまるで銀幕のスクリーンのように滑り、遥か遠方で逆巻く炎が夜を染める様を映し出している。そんな水面の上をセイバーの足は沈むこともなく捉え、颶風もかくやという速度で疾走していく。
彼女の真名は世に名だたる伝説の騎士王「アーサー・ペンドラゴン」。その身は湖の乙女より奇跡の加護を授かっている。故に如何な大乱の怒濤であろうとも彼女の歩みを推し止め得る物ではない。ましてや波ひとつない、鏡の如く平淡な水面など月夜の平丘と大差ないものでしかなかった。
セイバーはサーヴァントの気配を追って一路、河面を駆け上がった。そこで自身と同様に水面に屹立する者の存在を見咎めて、筋を引く白波とともに足を止めた。
そして白霞の如く飛び散る鮮烈な飛沫の向こうに、仄かに朱の色と混じる夜の帳を仰ぎながら、セイバーに背を向けて立つ屈強な体躯を見咎めた。
長身の男だった。ゆったりとした洒脱な外套にその身を包む威容はこの距離からでも充分に見て取れる。しかし既に互いの顔を判じれるほどの距離にいながらも未だ男はセイバーに顔を向けようとしない。
むしろ、奇異なのはセイバー自身がこれほどの距離まで不用意に踏み込んでしまったことの方かも知れなかった。
セイバーはさらに歩を進めて男の顔を確認しようとした。しかしそのとき、男は背を向けたままに低く、しかしまるで水底から轟いくかのような重苦しい声色を囁いたのだ。
「――否、後ろだ」
「ッッッ!!」
途端、セイバーのうなじに悪寒が走った。それとほぼ同時に彼女のすぐ背後の水面が音もなく持ち上がり、奇怪な塊がぬっと姿を現したのだ。
その異物は薄墨のような河面の皮膜を内側から押し破るようにして躍り出ると、飛沫を散らしながらセイバーに向けて連続で何かを投擲した。
目視すら敵わぬそれは短剣か、はたまた飛礫であろうか。だが無論のこと、いずれであろうとも彼女にとっては同じことであった。
やおら反転して身構えたセイバーは捉え得ぬはずの闇からの飛来物を、ただ風切り音と持ち前の予知直感によって危なげなく打ち払う。
しかし、そのうちの一つを剣で弾いた途端、それは甲高い亀裂音とともに砕け散り、中から得体の知れぬ液体が四散したのだ。本能的な危機感知によって身を引いたおかげでそれを直に浴びることは免れたセイバーだったが、その液薬が付着した銀の装甲がみるみるうちに腐食していくではないか。
『劇薬の類か!』
さしものセイバーも、まさかこの場にもう一人の敵が存在しようとは予想もしていなかった。すぐさま破損した外装を修復したセイバーはこの異形を斬りすてようと水面に歩を進めた。
しかし攻撃を仕掛けてきたはずの間者はひたすらに息を殺しているのか、再び水中に没したまま姿を現すことはない。
――どこにいるッ!
水中に逃れ潜んだはずの薄ら黒い異形は、サーヴァントたるセイバーの視力で水中を探ってもその存在を見つけることが出来ない。ということは、この敵はその身を霊体化させその実体を霧散させたということなのだろう。
そして、この距離でもなおセイバーにもまったく気配を感じさせずに奇襲におよんだ手際。つまりは高度の「気配遮断」のスキルを持つサーヴァント――。
切迫する思考の澱が知らずその銀色の足先を危ぶませたそのとき、再びコールタールのような昏い水面に没していた黒い異物が水面から姿を現す。今度こそ、その異形は夜気を掃うような茜色の燐光にしっかりと照らし出されていた。
総身を覆う黒衣のローブ。その隙間から垣間見えたのは青白い奇怪な骨の色。暗がりの水面に映る月影のような仄白い死の幻影。それは髑髏の仮面であった。
セイバーは確信していた。その敵こそ、
昨夜の凛からの報告により、彼女の眼前でキャスターと小競り合いを演じたということだけは聞き及んでいたが、この間者の闘法、及び能力等の仔細についての仔細はわかっていなかった。
つまりその仕儀の、如何に危機的なるかをセイバーが実感したのは今しがた、ということになる。
異形はさらに奇怪な薬液に濡れ光る飛刀を連続で投擲する。セイバーは再びそれを弾くが、そこから滴る数滴の飛沫が異臭を発しながら彼女の美しい髪や装束を妬き焦がした。
戦慄は今や揺るぎない脅威の予感となって、彼女の白いうなじを総毛立たせる。毒殺を得手とするサーヴァントが使うというなら、ただの液薬・劇物の類でない事は用意に窺い知れた。
まさかこの程度の稚戯で最良のサーヴァントたるセイバーが倒されることはありえない。しかし、事が彼女とは別のところに及ぶならば話は別だ。この敵がマスターに近づくことは、その時点で既に致命的な状況を意味している。
セイバーは戦慄すると共にすぐさまその意を決した。――この敵を逃がしてはならない! この場で必滅あるのみ!
「――なに!?」
しかし、セイバーはすぐさま当惑を露にすることとなった。再び水面から姿を現した暗殺者はセイバーに襲い掛かるかのような仕草を見せたかと思えば、やおらその身を反転させ、セイバーの振るう剣域に身を晒すことなく逃走を始めたのだ。
セイバーの魔力探知では完全に気配を断ったアサシンのサーヴァントを見つけることは難しい。このまま逃げられることだけは避けなければならない。
「――――ッ!!」
しかし、追おうとしたセイバーの総身を、そのとき後ろから射抜くかのような剣気が襲い、彼女の両足を強引にその場へと強引に繋ぎ止めた。
セイバーはすぐさま振り返り、その男の涼やかな眼光を真っ直ぐに受け止めた。
「いきなり出てきたかと思えば、今度は挨拶もなしで立ち去る気ですかな? お美しい 」
途端、感じたのは何か、大きな真綿がのしかかってくるような、粘土のような固形の空気が纏わりついてくるかのような重圧感であった。それが無視できぬ抵抗となって彼女の足を押し止めているのだ。
初めて見る男の貌であった。それまで背を向けていたはずの男の体はいつの間にか反転し、セイバーの正面に向けられていた。軽やかな色彩の、しかし重苦しい重厚さをかもし出すビロードの外套で身を固めた男だった。
口ひげを蓄え、いかにも紳士然とした風体ではあったが、その面長の顔に入った切れ目のような双眸がひどく冷たい眼光を放っている。その瞳の奥にあるものは凶人というよりも、もはや肉食獣のそれに近いもののように感じられた。
――この男は、危険だ。
確かにあのアサシンも捨て置くわけには行かない、厄介な手合いではあるだろう。しかしむしろ脅威の度合いで言うのなら、この男は間違いなくアサシンとは比較にならない。
セイバーは一分の隙もなく身構えた。今背中を見せれば次の瞬間命ともろともに心臓を抜き取られる。そんな予感が彼女の身体を包み込んでいる。それは、おそらく事実だ。セイバーの条理ならざる危機感知が否応なく警告を発し続けているのだから。
「しかし、いささか性急過ぎるのではないですかな? 我々は未だ互いの名も知らず――」
そう言って、男は明らかな戦意の熱狂を含んだ瞳で、セイバーへ熱のこもった視線を向けてくる。
「――握手もしていないというのに」
対峙するセイバーは声に応えることもなく、この男を改めて観察していた。まずはそのクラスを探るためだ。
この男、始めて対峙するサーヴァント。まず既知のランサー、そしてアーチャー・キャスターは除外だ。理性ある言動はバーサーカーでないことを示し、今逃走した間者をアサシンとするなら、残るはこの聖杯戦争で呼ばれた、彼女とは別の『セイバー』か、もしくは『ライダー』。
――眼前の男から受ける印象から推し量るに、おそらくは後者。セイバーはそう結論づけた。この男が放つ気は剣士のそれとはまた別種のものだと思えたのだ。
おそらくだが、あのアサシンは何らかの理由でこの男と戦っていた――もしくは、逃げていたのかもしれない。もしもそうだとするならセイバーは図らずもアサシンの逃走に手を貸してしまったことになる。
己が失策を悟ったセイバーは逸る気持ちを抑えながら、横目でアサシンの走り去った方角を見やる。できることならすぐにでもマスターたちの元に駆けつけたかった。
アサシンがセイバーに目もくれずに遁走したのは彼女に恐れをなしたからではない。この場にマスターがいなかったからだ。
本来アサシンのクラスはサーヴァントと直接の戦闘は極力避け、マスターのみをその標的とすることを基本戦術としているサーヴァントだ。加えて、奴らは無駄な戦闘をしない、必要最低限の労力で必要な命だけを音もなく掠め取る、それが暗殺者の処方なのだ。
セイバーもその程度のことは考えるまでもなく理解していた。だからこそあの敵は危険なのだということも。
もしもいま走り去ったアサシンがランサーの元に向かったとしたら、すぐにでも傍らにいるマスターたちを狙うだろう。
セイバーは男に向けて不可視の剣を正眼に構える。ここにきて無駄に足止めを喰らうのだけは避けたかった。状況は一刻の猶予もないところまで来ているかもしれないのだ。もし戦うというのなら、この敵は一刀のうちに切り伏せるしかない……!
「――むッ!」
すると、それまで泰然と佇んでいたはずの男は何かに思い当たるや否や、突如として表情を引き締め、水面に片膝をついて恭しく礼を取ったのだ。
「これは無礼をいたしました。麗しきは壮麗なる騎士王よ。どうかお許しください。不肖ながら、この身もまた一人の騎士として拝謁の機にまみえた幸運に言葉もありませぬ!」
「なッ?!」
「しかしながら、このような巡り合わせは不運としか申し上げられませぬ。なればこそ此度の戦いは尋常な勝負にて雌雄を決したいと望む所存でありますが……。如何でしょうか?」
いきなりの男の豹変に、さしものセイバーも動揺を隠せない。
「……そなたは我が真名に心当たりがあるというのか?」
有り得ない事態だった。風貌から察するに確かにセイバーが生きた時代の騎士ではない。本人の言うとおり初対面なのは間違い無いようだ。だが、それならばなおさらに不可解であった。この男は如何にして一見しただけのセイバーの正体を看破し得たというのだろうか?
困惑を隠しきれないセイバーの声に、男は微笑を湛えて答える。
「心当たりも何も、その黄金の宝剣を見間違える英霊などおりますまい。ましてや御身は我が故国の救世の魂にして悠久の記憶たる護法。それを違えろとおっしゃる方が酷というものではありませぬか!」
「……」
謳うように語る声は芝居がかっており、次第に感極まるようですらあった。しかし解せない事には変わりない。なぜ風王結界の鞘に包み隠された至高の聖剣の正体が見破られたというのか。
訝るセイバーが己の宝具に視線を落とした、僅かの挙動を目ざとく見止めた男――ライダーは苦笑しながらも声を上げた。
「その『そよ風』がどうかしましたかな?」
「――ッ!」
一瞬にして怜悧な怒気をはらんだセイバーの視線を、ライダーは臆することなくまっすぐに受け止めて微笑を返した。間違いない。この男には風王結界の隠蔽能力が効果を発揮していないのだ。
確かにセイバーの宝具風王結界の透化力は見る者の視覚効果に訴えるものであり、それ以外の、たとえば魔術的な識別力を使われたならそれを遮ることは出来ない。しかしこの男は一体、いかなる能力によって不可視の剣を看破して見せたというのか。
「本当にそよ風かどうか、試して――」
みるか。と、むけられた挑発に剣気を持って応えようとしたそのとき、セイバーはそれに気付いた。
この男は水面に立っているのではない。この男の足の下、水中に何かがあるのだ。
それはひどく巨大なものであろうと思われた。なぜならそれはこの男の足許だけではく、セイバーの踏みしめる足裏の下にも幾許かの水を隔てて存在していたからである。
サーヴァントの透視力を以てしても薄暗い水の中にあるそれを識別することは出来ない。その全長は概算でも二・三〇メートルはあるのではないかと見受けられた。
なんだ、これは? その大きさと近づきすぎたが故に気付くのが遅れたが、こうして一度認識してみれば、その異様なほどの濃密な魔力は確かにそれが宝具か、もしくはそれに類する奇跡であることを物語って余りある。
これが、この水下に潜む巨大な異物が、この男――おそらくはライダーの騎兵たる由縁の騎乗宝具だとでも言うのか?
セイバーは再び己の背筋に冷たい汗の一筋を感じた。兎角、もっとも重要な事実は、己がとっくに後手にまわらざるを得ない状況に追い込まれていたということだ。足下に広がるそれはセイバー自身に向けられた、違うことなき凶器に他ならない。
「……いいえ。心苦しい限りですが遠慮させていただきましょう。今宵は少しばかり沖のほうに諸用がありましてな。残念ながら騎士王のお相手をしている暇が有りませぬ。先ほどの無礼は陳謝いたしますゆえなにとぞ……」
丁重な礼節の篭る進言と見えて、どこか挑発するような危うさがセイバーの持つ脅威に対しての触覚にチラチラと接触する。そこには今セイバーが斬りかかってくるのならばその展開も望むところだという蛇のように狡猾な戦意の表れかと見受けられた。
セイバーの足下からもその凶気はじわじわと蠢き、
騎士を名乗りながらもこの男の持つ気配、立ち振る舞いは騎士道のそれとは節理を異にするもののように思える。獣のような眼光。英雄の持つ輝き、賊人のような狡猾さ、そしてどこか少年のような潔白さがその根底に混在しているように思えたのだ。それらの混沌とした印象がこの男の心胆をようとして窺わせない。
纏う光輝を金粉のごとく翻し、セイバーは男に背を向けて走り出した。ライダーの挑発に剣を持って応えられないことは業腹だったが、しかしここで時間を浪費するわけにはいかないのも事実だった。
一路群炎の中心を目指したアサシンを追う様にして、セイバーも新都を目指して疾駆する。
燃え盛る炎に追いやられた風が涼しさを求めて流水の上に舞い降り、夜気を切るセイバーの頬をなでさすった。
その背中に何ら言葉をかけるでもなく、狩り逃がした若鹿でも愛でるかのように悠然と見届けたあと、ライダーは河口へ向けて滑るかのような静けさで未遠川を下り始めた。
後には写すべき英霊達の威光を見失った薄暗い水面だけが、寂しげにその闇色の銀幕を波立たせていた。