Fate/after Silent Noise (フェイト/アフター サイレント・ノイズ)   作:どっこちゃん

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三章 加重細動「アンダー・ベクトル」-6

 

 からりと晴れた薄墨色の空には、人工の光に遮られることのない星光が、慎ましくも揚々と瞬き始めている。しかし、その金砂を纏うが如き夜天の艶姿も、ここからでは見上げることができない。

 

 鬱蒼と茂る木々の枝が、一面に広がる空を覆い隠している。――否、そうではない。覆い隠されているのは色味を増しゆく空ではなく、足早により深き暗闇の中を進む女たちの姿のほうであった。

 

 珍しく硬い表情を浮かべたまま前を歩いていくのは、上天を遮る枝葉の隙間から差し込んでくる月の光に、鋭利な黒の輪郭を浮かび上がらせているライダース・ジャケットの女――伏見鞘であり、

 

 困り果てたような顔でそれに追随するのは、暗い森を滑べるように駆けながらもあくまで妖艶な物腰のモノトーンの女――魔術師のサーヴァント・キャスターであった。

 

 暗闇のなか、見えぬ足元には無数にうねくる樹の根が広がっていたが、女たちは特に苦にする様子もなく、共にするすると木々の間を進んでいく。

 

「……鞘、お願いだからもう少し大人になって頂戴……」

 

 そう、沈鬱そうな溜息交じりに聞こえてくるキャスターの声に、鞘は前を向いたまま棘のある声で応えた。

 

「やだね。悪いんだけど私、そういう言い方気に入らない」

 

「……私はまだ戦えないし、打って出るには早いとは思わない? もう少し体制が整うまで

待っていてくれれば用意も整うし、存分に戦う機会を上げられるわ。それではダメなの?」

 

 すると鞘は溜息混じりに足を止め、キャスターに向かって振り返る。そして「だ・か・ら、」と語気を荒げ、そして罵倒もかくやと言わんばかりに吐き捨てる。

 

「もう留守番は飽きたの! それにね、気に入ってたドゥカティ盗られたんだよ?! あーッ、思い出したら腹立ってきた! 昨日の爺さんもさっさと帰っちゃうしさ。分かる? 私不満なの。欲求不満てヤツ。じっとなんてしてなんていられないの! 大体からして、最初に言ったよね?! 私は「冒険家」なの!

 

 この世の果てを、隠された神秘をこの目で見てみたい。体験したい。だから戦場(ここ)いるし、あんたたちと協力することにもしたんだよッ。いつ来るかもわかんない仕事と指示を、ボケーッと待ってるだけの手下としてじゃなくて、あくまで同格の、上も下もない協力者としてね!」

 

 まくし立てるサヤを向こうに、キャスターは困り果てたように自分の肘を抱きかかえて今夜何度目かになる溜息を漏らした。そこには心痛ここに極まれり、といった様子がありありと窺えたが、

 

「それはもちろん解かっていますよ、鞘。なにもあなたに命令する気はないし、何かを強制することもできません。けどね、今出て行かれたら私は何の援護もできないのよ?」

 

 すると鞘は肩に担いでいた黒剣を足元の木根に突き立て、その柄頭に寄りかかるようにして身を折った。そして己が視線を捻じ曲げるようにして上目遣いに目を眇める。漆黒の瞳が怖じることもなく、真っ直ぐにモノトーンの魔女を捉える。そこに浮かんでいるのはそれまでの苛立ちとは別種の怒りだ。

 

「……私まで子ども扱い? どーでもいいけど、それってあの子のためになると思う?」

 

 無造作に突き抉るようなその言葉に、キャスターは暫し喉を無くしたかのように押し黙った。そして沈鬱な声を漏らす。

 

「そうね。確かに……そうかもしれないわね。ただ、私は……」

 

 やおら声を詰まらせた魔女の生真面目な対応に、今度は鞘の方が気まずそうに視線を逸らして嘆息した。

 

「あーっもう、いいよ。悪かった。ごめん。私も別に意地悪が言いたいわけじゃあないんだ。――何もなきゃあ、それですぐ帰ってくるよ。ただ、なんかじっとしてられないんだ」

 

 俯き肩をおとしたキャスターに、鞘は苦笑するようにしてぎこちなく笑って見せた。それで重く沈んでいた場の空気がすこし緩んだのか、キャスターも声の調子を戻し、

 

「そう。……でも、もう移動のための足もないんでしょう? どうやって街まで行く気なの?」

 

 昼間、バイクを失った鞘がカリヨンを伴い新都へと出向いたときは緊急の時のためにと鞘があらかじめ連絡を取っておいたタクシー会社を利用した。しかし今また同じ手段を使うわけには行かない。この時間帯では他のサーヴァントの襲撃を受けて一般人の運転手を要らぬ危険に晒すことにもなりかねないからだ。

 

「そりゃあ……」

 

 おそらくは、そのときまでまるで考えなしであったであろう鞘は言いよどんで首を捻った。まさにそのとき、幾許かの木々の向こう側、ちょうど国道の奔っているあたりに浮かび上がる一筋の光芒が見てとれたのだった。それを見初めた彼女は、

 

「…………適当に乗っけてってもらうさ。ヒッチハイクは大得意」

 

 そう言って口の端を吊り上げ、心底意地の悪そうな笑みをキャスターに向けてきたのだった。

 

 キャスターはもはや吐きつくした感のある溜息さえ漏らせずに、こう返答を返すしかなかった。

 

「……いってらっしゃい……」

 

 しおれるような声は、もはや彼女が諦観するしかなかったことの証左と言えなくもない。

 

 

 

 

 

 その後、鞘を見送った国道沿いの森淵から城に戻ってきたキャスターは自室を通り越してさらに城の奥へと重そうに足を運んだ。

 

 そしてある一室の前で暫し躊躇。意を決したように部屋の中へと踏み、中にいた人物に語りかけた。

 

「失礼します、マスター。鞘は出かけましたので出来れば私の近くに……」

 

「……」

 

 部屋の中で膝を抱えていた少年――カリヨンは応えない。

 

 部屋の中には灯りすら点いておらず、薄暗い闇の中では主の顔色も伺うことが出来なかった。キャスターは途端に胸を締め付けられるような不安を覚え、再度呼び掛けた。

 

「どうかしたのですかっ、マスター!?」

 

 と、思ったより声が大きくなってしまい、カリヨンが目を剥いて振り向いたのを見て、今度は慌てたように己の口元を押さえた。ここは己の要害の只中である。何もあるはずなどないというのに。

 

「――えっ? あ、いや、なんでもない。……どうかしたのか」

 

 二重の意味で、取り敢えずは安堵する。どうやら具合が良くないわけでも、彼女が考えていたほど機嫌が悪いわけでもないようだった。しかしその姿は、やはりどこかひどく意気消沈しているようにも見えてくる。

 

 昨夜ともまた違った意味で挙動の不振なマスターに、一度は眉をひそめたキャスターだったが、取り敢えずは息を正し、

 

「鞘のことなんですが、その、また一人で飛び出して行ってしまいまして……」

 

 と、さもバツが悪そうに報告をする。キャスターとしてはこれでまた主が癇癪を起こさねばいいが、と思っていたのだが、しかし、

 

「そっか……元気な奴だな。ホントに」

 

 カリヨンはどこか上の空のような、胡乱げな台詞を吐いただけでまた何かを考えるように黙り込むのだ。

 

「……私は別室にいますので何かあればいってください」

 

 他にも、なにか声をかけようかとも思ったが、なんと言っていいものか分からず、キャスターはそのまま主の部屋を後にした。

 

 燻るような淡い光が照らし出す光芒が、瀟洒な城内を一層味わい深く彩っている。しかしキャスターはそれに目を向けることもなく長い睫毛を伏せていた。

 

 柔らかな曲線を描く細い肩を落として自室に戻る道すがら、いかにも重そうに引きずっていた脚を止める。

 

 そもそも、卓越した魔術師であり、それ以前にサーヴァントでもある彼女がわざわざ己の足で歩く必要はないのだが、今宵はそうして澱の如く蟠った己の考えを、少しでもまとめたかった。

 

 彼女は今朝からずっと思い悩んでいたのだ。主の様子がいつもと違うのは、昨夜の自分の行いのせいではないのだろうか、と。少々軽率に過ぎたのかもしれない。

 

 ――しかし、それでも。と、今この魔女は思うのだ。

 

 己は最善を尽くさなければならない。たとえ、当の本人たちが望まぬのだとしても、彼らが己の命に代えてでも望みを果たそうという覚悟であろうとも。その意を捻じ曲げることになったのだとしても。キャスターはカリヨンの安全と、そして鞘の無事を願わずにはいられなかったのだ。

 

 なぜであろうか。

 

 懊悩する心はさらに流転する。

 

 理解はしていた。それは出すぎた干渉であろうと。彼女らの主従関係に照らし合わせるならそれはまず間違いないことだ。サーヴァントとマスターはそもそも互いの利害関係によって協力しているに過ぎない。その役に殉じようとするのなら、彼女が望むものは彼女の求めるものでなければならない。

 

 ――しかしそれでも、と。この魔女は思うのだ。

 

 それを全く承知した上で、やはり思わずにはいられないのであった。

 

 昨夜の、主である少年を抱きしめた感触が、震える肌の暖かさが、魔女の腕に未だに残っているのだ。それはもはや恋慕すらをも通り越した情愛の一種となって、悪神の胸の奥に尽き得ぬ燐光を灯している。

 

 いま、彼女は己の本分から逸脱してでも、傍にいる者たちを救いたいと思い始めていたのだ。それは偽らざる彼女の本心であった。

 

 そうして、再び自室へ向けて歩み始めた彼女の漆黒の瞳は総てを決意したかの様に細められ、そこには冷たく怜悧でありながら、辺りの闇を掃い去るほどの強い光が宿り始めていた。それはあらゆる物を引き換えにしてでも何かを守り抜くという覚悟の光であった。

 

 それを決意させた情念とはなんであろうか。それは母性であった、母となったあらゆる女がその根本に根ざす、我が子を守ろうとする必死の想い、決死の愛であった。それは間違いなくこの世で最も美しく尊いものであったことだろう。しかし、それは同時にこの上なく恐ろしい事態をも意味していた。

 

 およそこの世界において、あらゆる凶事を生み出す元凶となるのはあまねく万象に人々が向けるさまざまな愛情に他ならないではないか。人はあらゆる愛に狂い、そこから尽きることのない呪詛と怨嗟を生み出し続けてきたのだ。

 

 その愛の篝火のためならばこの魔女はどんなことでもやってのけるのであろう。いま、無色無害であった筈の中性の魔術師は、その本質を間違うことなき邪神鬼母のそれへと変じさせ始めたのだ。 

 

 愛に狂う魔女。これ以上に恐ろしいものがはたしてこの世に二つとあろうか。その胸のうちに燃え滾る炎が強ければ強いほど、そこから生み出される災厄は苛烈さをまして行くのだろう。

 

 今この瞬間にも時は過ぎ、夜は転じ、魔は加速していく。もはや一刻の猶予もなかった。

 

 絡み合いながら膨れ上がり続ける邪の気配と姦計の糸が、臨界を超え張り裂ける瞬間はもう目と鼻の先に迫っているのであった。

 

 

 

 

 

 キャスターが部屋を後にしたのを確認して、カリヨンは思考を再開する。朝のように暗鬱な気分のまま部屋に引きこもっているようにも見えるが、彼自身には全くそういうつもりはなかった。

 

 それどころか、いまの気分は悪くないとも思えるのだ。それはきっと、見つけたから。何か、なくしてしまった寄す処(よすが)のような、縋るべき糸ようなものを。

 

 しかし驚いた。どうやらキャスターが来たことにも気付かないほど考え込んでいたらしい。考えていたのは無論、昼間のこと。テフェリーのことだ。 

 

 再会したテフェリー。彼女は、カリヨンの初めての友達だった。そして死んだ。彼を守って死んだと、そう思っていたのだ。生きていてくれて率直に嬉しいと思う。だが彼女は以前の記憶を失っていたようだった。

 

 あの時のことを思い出す。カッと身体が熱くなった。初めて彼女を見たときのように、あの瞬間、焼けつくような鼓動だけが彼の支配者だった。

 

 まるで本当の妖精のように彼の前に現れ、そして消えてしまった彼女。

 

 それが生きていてくれた。この街にいてくれた。それが何よりも――――――いや、待て。この街に、居た?

 

 そこまで考えて――ようやく――あることに気が付く。

 

 途端に息が詰まり、総身からは汗が滲み、呼吸も忘れて心臓は早鐘を打ち始める。昨夜以上の黒い恐怖が少年の体を抱きこむように覆いはじめていく。

 

 どうして、彼女は ここ(・・)にいたのだ!?

 

 そうだ。彼女は自分を魔術師と見て警戒していたではないか。それは、つまり彼女がこの聖杯戦争の、外法の儀式の参加者だということを意味しているというのか。

 

 なのだろうか? なぜ? どうしてこの後継者争いに彼女が関係しているというのだろうか? まさか、また誰かがテフェリーを道具のように扱っているというのだろうか? どうしてそんな……。

 

 ――今朝、いや、既に昨夜の襲撃のときから、カリヨンの心は折れていた。

 

 昨夜、あの男に命を掠め取られると確信したそのとき、彼は始めて己の本心と向かい合うことになったのだ。己の死の淵に立ち、それを見つめさせられ、彼の心は根元からぽっきりと折れてしまっていた。

 

 それも当然の事だったのかも知れない。彼は自身にとっての闘いの意義を見失っていたのだから。――否、そうではない。そうですら、ない。

 

 彼をこの儀式に向かわせていた総ての理由は、彼にとって預かり知らぬものでしかなったのだ。それをカリヨンは今更になって痛感させられていたのだった。見失うどころではない。そんなものは最初から無いも同然だったのだ。

 

 もう戦いたくなかった。闘うことなど出来なかった。最初から後継者争いなんてしたくなかった。それが、いざ死に臨んで少年が吐露した本心だった。

 

 ただ、誰かの都合で戦わねばならないと、必要なことだからと、成さねばならないことだから、といわれ、有無もなく是非を問う機会もなく、彼は大局に流されるに任せてここまで来た。

 

 そして死に掛け、ようやく悟ったのだ。誰かの都合で殺されることなど決して容認できないのだということに。

 

 カリヨンは今、改めて考える。人が己の命を掛けるのは、それ相応の故があるからなのだろうと。彼以外のマスターは皆己の身命をかけて余りあるものを求めてこの闘いに参加しているのだろう、と。

 

 自分にはそんなことは出来ない。〝時期当主になりたい〟〝自分をストックとしか見なさなかった奴らを見返したい〟――そんな理由は後付でしかなかったのだ。カリヨンの望みはそんなものではなかった。

 

 闘いとは、一個人の生命を賭すべき闘争とは、その是非を問わず、その如何に関わらず、まずはその根底に、それに足るだけの理由が無ければならないのだ。

 

 彼にはそれが無かった。これは彼が始めた戦いではない。理由を誰かに預けてしまった闘いはもう彼の闘争ではないのだ。故に、この闘いによってもたらされた勝利はカリヨンを戦わせた者の勝利でしなかく、カリヨン自身の勝利ではない。誰かのための戦いで己が手に入れられるものなど、有りはしないのだ。

 

 それは闘い以外の何かに堕落するのであろう、必要なのは理由なのだ。だから、彼がこの先闘い続けるには彼だけの理由が必要だったのだ。

 

 それがなければ、それは彼のためではなく、彼のあずかり知らぬ誰かのためのものでしかないのだ。

 

 そんな理由のために戦うことなど出来ない。彼の聖杯戦争はもはや終わったも同然だった。

 

 ――――だが。と、そこでカリヨンは思う。諦観によって委縮していた意思に、今や否と応じる何かがあったのだ。冷えた伽藍も同然であったはずの己の内に、確かに、何かが在る。

 

 それが何なのかはわからない。どうしてそう思うのかも、上手く言葉にできない。それでも確信に似た感覚が、折れたはずの心を太く強靭に立て直し、又それを幾百もの灯火が照らしだしているかのように思えるのだ。

 

 昼間に切った唇の傷にそっと舌を這わせる。痛みがある。テフェリーはいたのだ。あの時、あの場所に。あれは夢ではないのだ。彼女は確かにこの現実の世界に存在している。

 

 思考よりも先に、彼の意志ではなく、もっと根源的な、彼という存在そのものがそれを肯定した。それが理由なのだと。失った筈の半身を求めるかのように。

 

 そうだ。彼は、カリヨン・ド・サンガールはずっと彼女を救いたいと、そう願い続けてきたのだから。もういないはずの彼女を思い続ける日々が、幼い少年からあらゆる〝理由〟を取り上げていたのだ。

 

 だが今なら。今ならば、それを是正できるのだ。

 

 ならば、どうする? 解からない。でもまずはもう一度彼女に会いたいと思った。もう一度、彼女に、テフェリーに会いたい。会わなければならない!

 

 もう一度会って――――そうだ。教えなければならないことがあるではないか。またアイツが、あの男がこの街にいるのだ。昨夜単身でカリヨンを狙い、そして七年前、彼の目の前でテフェリーを殺したあの男が。

 

 助けられるかなど分かりはしない。何を出来るのかもわからない。自分は何も持たず、何も出来ない子供だ。それでも、行きたいと思った。出来るかどうかではなく、そうしたいから、彼は行きたいと思ったのだ。

 

 もう一度会いに行こう! 

 

 迷いはなかった。決意は既に大樹の根よりも強靭に彼の心に根ざしている。あの男が居る以上、時は一刻を争うかもしれないのだ。今すぐ……は駄目だろうか。まずはどうにかしてキャスターを説得しなければならない。それでも、できるだけ急いで――

 

 しかしそのとき、腰を上げようとしたカリヨンの耳が、微かなそれを捉えた。それはあり得べからざる――夜の森のざわめきであった。

 

 


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