Fate/after Silent Noise (フェイト/アフター サイレント・ノイズ)   作:どっこちゃん

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三章 加重細動「アンダー・ベクトル」-3

 早朝からあてどなく街をさ迷い歩いていた彼の細い足は、既に棒のようになってしまっていた。

 

 もはや万策尽き果てて公園の中のベンチに腰を下ろす。太陽が昇るにつれて人の数もどんどんと多くなってきていた。人ごみに不慣れな彼は人の波に酔ってしまいそうになり、ここまで避難してきたのだった。

 

 そして途方に暮れる。どうしてこんなことになったのかと、無益だとは承知しながらも一時の気の迷いにかどわかされた己の迂闊さを、繰り返し嘆かずにはいられなかった。

 

 一昨日に留守番を嫌って深夜まで買出しに出ていた鞘は、そのとき幾人かの敵と戦闘になり、買い出した物資ごとバイクを盗難にあったのだという。

 

 一時ばかりは日頃の不徳の成せる業だと、それを密かにせせら嗤ってみたカリヨンであったが、まさかこういう形でそれが己の身に跳ね返ってくることになるとは予想できなかった。

 

 今朝になって再度買出しに行くと言い出した(日用品といっても、ほとんどは鞘個人の買い物なのだが)鞘に、彼は有無を言わさずにこの新都まで連れだされたのだった。

 

 まさしく寝耳に水の事態であったが、しかし一方でそれを僥倖だと感じてもいる自分も確かにいたのだ。無論のこと、こんなところに連れてこられるのは不本意きわまりないことであったが、正直なところ、現状の彼は何処でもいいからあの城から離れたいと思っていたのだ。

 

 理由は一つ。昨夜、この上もない醜態を見せてしまったキャスターに、今になってどのような顔を向ければいいのかわからなかったからだ。

 

 また引きこもっていらぬ心労をかけたくはなったが、面と向かうには少し時間が欲しかった。だから、鞘に買い物に付き合ってと言われたときにはむしろそれを天の助けかとさえ思ったのだ。

 

 本当に、どうかしていたとしか思えない。

 

 そう思っていたのも束の間。このような事態になってはとてもそうは言っていられない。新都に着くや否や、地に足が着いていないのかと錯覚するほどに浮き足立った鞘はカリヨンを放ったままどこぞへ姿を消してしまい。今現在彼は鞘を捜して見知らぬ街をさ迷い歩いていたのだった。

 

「最悪だ……」

 

 そして今はひとり腰掛けた公園のベンチで、辟易したように悪態をついてみる。

 

 こんなところで一人にされてしまってはどうしようもないではないか。鞘をひとりおいて帰ってしまうわけにも行かないし、そもそもキャスターを連れずに来ているのだから、鞘をおいて行動したのでは、いざという時危険な目に会うのは自分なのだ。

 

 キャスターも白昼の間、さらに鞘が一緒ならば、という条件で渋々自分を送り出したというのに――まったくどうしてああも思慮の足りない判断ができるのだろうか。

 

 いくら考えてみてもその行動哲理を理解できず、カリヨンは理不尽な不条理に苦しまざるを得ない。

 

 その白い貌に浮かぶ沈鬱な表情は、そのねじくれた理と情の齟齬からくる発露であった。

 

 しかしこうして一人になってみれば、どうしても昨夜のことを考えざるを得なくなる。今でさえ、アレが悪夢だったのではないかと思えてくるのだ。

 

 いや、事実アレは悪夢だった。冷えた風が、白い首筋を薙いだ。少年は本能的に己の痩せ細った身体を抱く。今になっても恐ろしくてたまらないのだ。

 

 それは、あれが彼にとっての、恐怖と喪失の原風景だからに他ならない。

 

 少年は独り、昨夜の凶事を思い出しては体を強張らせる。いくら追い払おうとしても、過去から逃れられないのだと言う絶望の感覚が、こびりつく様にして離れようとはしてくれない。

 

 他にできることもなく、陰惨な思考を振り払おうとして再び一人で悪態をつこうとして、それさえも出来なくて、少年はなにかから身を隠すように小さな背を丸めていた。

 

 しかし、そこではた、と自分に注がれる視線を感じて顔を上げた。

 

 見えたのは鮮やかなグリーンとブラウンの双瞳であった。

 

 カリヨンは思わず呆然として思わず「あっ」と声をもらした。わが目を疑い。夢現の区分を失い、ただただ、惚けることしかできない。

 幻覚か? 亡霊か? ――否、例えそうであっても、構いはしない。

 

 彼の心の中に、久しく感じることのなかった暖かいものが溢れた。あの日、揺籃の記憶と共に置き去りにしてしまったはずのものが、――失ったはずの半身が、今、何の予兆もなく、再び彼の元へと姿を現したのだ。

 

 感じたこともないほどの強烈な郷愁をともなって。まるで厳冬に追いすがる春風のように――

  

 

 

 一人単独で行動を始めてしまったセイバーを探していたテフェリーだったが、今度は自分の方が慣れない人ごみに迷ってしまった。それでも彼女は四方に探索用の糸を飛ばし、構わずにセイバーを探す。

 

 マスター・ワイアッドは四人で行動するように言ったのだ。勝手にその規律を乱そうとすることは許せない。なんとしてもセイバーを探し出し、一刻も早くランサーたちに合流させなければならない。

 

 セイバーがあのアーチャーと接触しようと目論んでいるのであれば、まずは人目につかない場所を選ぶ筈である。この人の溢れる界隈ならば自然と場所は限られてくる。戦うつもりがないというのならば、人二人が対面できる死角の多い場所。

 

 そう考えて、テフェリーは近くの公園に足を運んでみた。確かに人の数も多いが、雑踏に比べれば死角や物陰は多い。まずはこの公園全体に糸を廻らせて異常がないかどうかの確認をしようとして、そこで彼女はあるものを発見した。

 

「――魔術師ッ」

 

 テフェリーは静かに、そして低く声を上げた。この距離に近づくまで分からなかった。そこにいたのは確かに令呪を備え持った少年の姿。それは彼女の知らぬサーヴァントのマスター。つまりは彼女の敵だと言うことを意味する。

 

 少年がふいに顔を上げ、長い銀色の前髪の奥の視線が彼女の二色のそれと交差した。

 

 もちろん今は人目もある。いきなり首を落として終わり、というわけにもいかないだろう。何より、どこかにサーヴァントを待機させているのなら、奇襲は無駄に終わる。

 

 かといって、逃げるもの得策ではない。この彼我の間合いでは敵からの接触を阻むことは難しい。故に、彼女はまず敵と対峙することで情報を得ようと考えた。

 

 ある意味では無謀な行いとも思われたが、彼女は果敢であった。今更己の保身など考えはしない。殺せるならこの場で刺し違えてでも殺す。殺せないなら一つでも多くの情報を得てそれをランサーに告げてから死ぬ。そう決意した。決めた――はずの瞳は、しかしすぐに不可解な瞠目によって曇らされることとなった。

 

「……ほんとうに、きみなの……?」

 

 敵対した筈の魔術師、敵だと認識した筈の少年の白い頬にいくつもの涙があふれていた。

 

 立ち上がった背丈は彼女よりも幾分低い、矮躯の少年。その顔を見下ろすように注視すると、その顔に浮かんでいたのは紛れもない歓喜だった。

 

 予期しえぬ敵の反応に、テフェリーは一層警戒を強める。しかし動揺は否めない。この敵の挙動はあまりにも予想外すぎた。

 

「止まりなさい! ……何者です」

 

「そんなッ……テフェリー。――僕だよ、カリヨンだ! わからな……い、の?」

 

 歩み寄ろうとする少年を声で押し留めようとするが、聞こえていないのか、彼は止まろうとしない。

 

「……どうして、私の名前を!?」

 

「でも、……でも、よかった。……よかったよ、テフェリー。だってもう、二度と、会えないって。思って、僕は、ずっと…………ッッ、そうじゃない。違う。とにかくよかった。生きててくれて、君が生きてたのが嬉しいんだ。よかった……」

 

 そう言いながら、なかば咽びながら、少年は無造作に間合いを詰めてくる。どうする? 元よりこの距離ならば首を落とすことも容易い。しかし敵の言動があまりにも不可解過ぎる。

 

 さしものテフェリーも、先手を取ることを躊躇せざるを得ない。

 

 錯乱しているのか? それとも、元から? 初めて見る敵。何かの儀式、準備、用意、ブラフ、フェイント、時間稼ぎ……。

 

 彼女の間合いでなおも無防備な姿をさらす相手。不確定要素が多すぎる。まずはこの敵の情報を知らねばならない。少なくとも、向こうは自分のことを知っている。……の、だろうか? それとも、そのように振る舞っているだけなのか。

 

「――なにを言っているのです。私は、あなたのことなど……知りません」

 

「そんな…………僕だよテフェリーッ、カリヨン・ド・サンガールだ。僕らは……」

 

「サンガール! ……ならば、あなたは間違いなく私の敵に相違ありません。断言しますが、あなたは――ッ、私の敵です!」

 

 少年は唖然として、その後何事かを訴えかけるようにしてテフェリーに転び寄ろうとした。刹那、二人の間で銀色の糸が鋼板の鞭の如く振り下ろされ、地面に幾つもの斜線が引かれる。

 

 テフェリーの威嚇だ。しかし少年はその閃刃の鋭さではなく、自分を知らないといった彼女の言葉にこそ打たれたかのように、言葉尻を掠れさせる。

 

「覚えて、ないんだね……」

 

「なにを……」

 

「い、いきなり、ごめん。……でも嬉しかったんだ。僕は、……僕は君が、あの時、死んでしまったと、思ってたから……。あの時、――あの時、七年前ッ、僕はまだ七歳で、君は、十歳ぐらいだった……」

 

「……何のことです? 貴方は何者です? 誰だというのですか? そんなこと、私は知らな……」

 

 都度、(つか)えるように絞り出す少年の言葉。それを断じようとしたテフェリーの内側で、しかし、不意に色彩がざわめいた。

 

 記憶の奥を揺さぶるような色。蒼い色。なんだろう、これは何なのだろう。同時に沸き上がる見知らぬ感情。恐ろしくなった。奇妙に温いそれを、彼女は反射的に忌避していた。

 

 テフェリーは頭を抱えた。萎えた銀糸を振り払い、カリヨンは無造作に彼女に駆け寄り、その肩に触れる。

 

「大丈夫だよテフェリー! 大丈夫だから……」

 

 瞬間、体が弾けそうになった。よく解らないものが体の内側から脳天に向けて、爪先に向けて四散した。全身を貫いた。貫いて取って返して引き裂こうとした。まるで訳が解らない。

 

 これが、この敵の攻撃なのだろうか? こんなにも苦しく、こんなにも恐ろしいのならば、もはやこの敵を探る必要も、様子を見る必要もない。はやく、はやくこの敵を引き裂いてしまわないと――

 

 わななく幾筋もの鋼糸が少年の体に巻きつく。後は力を込めればいい、それで終わる。そうすればこの柔らかく暖かい手も、華奢な身体もみんな八つ裂きにしてしまえる。

 

 そうだ、この白い頬も、懐かしい匂いのする銀色の髪も、■■だった■色の瞳も、優しい声色もみんな――。

 

「――――あ、あっあ――」 

 

 しかし彼女の頬に流れたのは引き裂かれた少年の血色の雫ではなく、見たこともない色の涙だった。初めて見た自分の涙の色だ。

 

 彼女の混乱はここに極まる。どうして殺せない? 私は武器だ。なのに。――

 

 理解できない。何も理解できない。何も分からない。恐怖だった。恐ろしい。恐くてたまらない。恐い、恐い、恐い。――

 

 総てが恐ろしかった。世界の総てが理解できなくなって声を上げそうになった。誰もいない真っ暗な海の上を歩く迷子みたいな、か細い声を上げそうになった。

 

 世界のあらゆるものが恐ろしかった。多すぎる見知らぬ人間も、始めてみる町並みも、嗅いだことのない匂いも、逃げ出そうとして踏みしめる土の感触さえ、恐ろしくて仕方がない。

 

 なのに、それなのに、いま眼前にいるはずの、敵であるはずのこの少年だけが――恐くなかった。それが、一番理解できないことだった。

 

 とっさに肩に置かれた少年の手を振り払い、立ち去ろうとしたテフェリーだったが足が縺れてその場にへたり込んだ。何かを吐いてしまいそうだった。思いもがけぬ潜在的な恐怖があった。それは正体と大きさの計り知れないものが、今にも足の真下から浮かび上がってくる恐怖に似ていた。

 

 蹲ってしまったテフェリーの背中をそっと捕まえ、カリヨンはどうするかを考える。糸は彼の体から流れ落ちるように離れ、足許に幾重にも弧を描いて散らばっている。まるで今のこの少女の心を代弁するかのように。

 

 彼女の混乱は充分理解できた。様々な思考、想い、感情が彼の中を混在しながら右往左往する。彼もまた混沌の坩堝(るつぼ)の中にいた。しかしそこで、ただ一つの事実が、ある答えを導き出した。

 

 今、この街にはアイツ(・・・)がいる! 

 

「聞いて、テフェリー」

 

 それだけでも伝えなければならないという一念で、カリヨンは彼女に語り掛けようとした。しかし、彼女の混乱は、もはやそれに取り合う暇を許さなかった。

 

「――あッ――う、」

 

「いま、アイツが、」

 

 あの日、君を殺した。殺そうとした、アイツが……

 

 言い終わるより先に、テフェリーは少年の矮躯を突き飛ばし、空を蹴って逃げ出した。

 

 そしてまたも彼女の中に訳の解からない感情が巻き起こる。テフェリーの身体はビルの間を飛び去る間もひどく強張ったままで、もはや瘧に見舞われたかのように震えていた。

 

「テフェリー……」

 

 取り残されたカリヨンはそのまま跳び去るテフェリーを呆然と見送ることしか出来なかった。

 

 気が付くといつの間にか口の中に血の味がした。突き飛ばされて切ったのかもしれない。それで、確かめるまでもなく理解してしまった。これが気まぐれの夢魔が用意した、悪辣な白昼夢ではないのだということを。

 


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