Fate/after Silent Noise (フェイト/アフター サイレント・ノイズ) 作:どっこちゃん
正午を過ぎてしばらく経ったころであったから、もう時間的にも来客のピークを過ぎていたのか、はたまたその少女の纏う空気に気圧されて誰知らず道を明けたのか、彼女は特に問題もなく注文を済ますと、運ばれてきた二人分のコーヒーを受け取りそのまま店を出た。
まだ日の高い秋口の午後、暖かい陽光を浴びながら少女の足は規則正しくアスファルトを蹴る。
そして少女は結い上げられた柔らかな金の髪を揺らしながら、人ごみを避けるように細い路地へと入っていく……。
そして少女が辿り着いたのは袋小路であった。目の前にあるひときわ大きな壁は先日移転してしまった大手デパートが入っていたビルの背面であった。市内でも古くから愛されてきた老舗で、彼女も何度か知人に連れられて訪れたことのある場所である。しかし、今では老朽化を理由に取り壊しも決まっているらしくビルそのものが既に封鎖されてしまっていた。
しかし封鎖如何に関わらず、どちらにしてもこの場所からでは裏口も何もなく、ビルに入ることは出来ない。
だが少女は眼前に聳え立つビル壁をゆるりと仰ぐと、ガラスの階段でも登るかのような足どりで天高く跳躍し、そのまま垂直な壁面を蹴って屋上まで駆け上がってしまった。無論、常人になしえる体術ではない。
そして少女は羽でも舞い降りたかのような軽やかさで、音もなくそこに降り立つ。人の営みが絶えて冷え切った無機質な空気が彼女を出迎えた。
人目を気にするなら、新都で最も高い場所であるセンタービルの屋上というもの考えたが、あそこは閑散としすぎていて談話の席としては相応しくない。それで彼女は見覚えのあったこの場所を選んだのだ。
デパートの屋上はベンチや植え込みが設置され、天蓋付きのカフェテラスも以前見たままの状態で置かれていた。彼女はそのうちの一つに腰を下ろした。
おそらく最後の終業の後にもしっかりと清掃してあったのだろう。既に廃棄が決まっているにも関わらず、白いテーブルやチェアーも思いのほか清潔に保たれていた。この場所が如何に大事にされてきたのかが窺えて、彼女は僅かに眼を細めた。
そして、待つ。新都に入ってから、否、あの夜から常に彼女についてまわっていた紅い視線の主を。
するとほどなくして、彼女の背後の植え込みのあたりで重厚な存在感が実体化を果たし、ひどく厳格な響きの声音を発したのである。
「なんのつもりか、騎士王」
この日、テフェリー・ワーロック、ランサー、セイバー、そして衛宮士郎の四人はあるものを手に入れるために新都の中心街を訪れていた。何でも当初からランサーが所望していたものであるらしく、知らせを受けてからというもの彼女は終始ご機嫌であった。
対照的に意気消沈している。――筈なのが、その代行マスターとして同行しているテフェリーである。
昨夜のことだ。
マスター・ワイアッドに、自分の作った料理の感想を訊いてみたらいいのではないか、という提案をした士郎の言葉に奮起した(と、思われる)彼女は(傍からはそうとわからずとも)かなりの意気込みを抱いていたようで、その気の入れようは脇で作業を見守る士郎にもありありと感ぜられたほどだ。
しかし、万全の用意を整え、彼が何時戻ってきてもいいようにと不眠不休の体制で主の帰還を待っていたテフェリーだったが、しかしその主たるワイアッド・ワーロックはとうとう戻ってくることはなかった。
その日は「特に取り上げるような事柄はなし、戻る手間が惜しいのでこのまま調査を続行する」とだけ、使い魔による簡潔な報告だけを入れるに留まったのだ。
おかげで、気合を入れてテフェリーと士郎が用意をしていた料理は、ワイアッドの口に運ばれることはなかった。
とはいえ、夜半になってキャスターの追跡から戻ってきた凛、及び事情を知っており、テフェリーを慰めようと率先して(?)その夜食に参加したサーヴァント達には大いに好評であったのだが、それでもテフェリーが消沈しているのは眼に見えて明らかであった。
気持ちは解る。と、気遣う士郎に、テフェリーは、別に問題はありません、といってそれきりだった。
今朝になって、凛が再び単独行動に移り、今こうして四人で外出する弾になっても、ついぞ平時の鉄面皮を曇らせる事のなかった彼女だったが、やはり何処か気落ちした刺々しい気配は否めなかった。
正規マスター達が単独で別行動をとっている間、彼ら四人は常にまとまって行動する方針となっていたので四人は昼食を済ませた後でそろって新都へ向かった。
しかし、残りの三人を引率しながら衛宮士郎は辟易して溜息を漏らしかける。覚悟していたことではあったが――この三人、異様に、目立つ。
如何ともし難く、目立つのである。本来ならセイバーひとり連れ歩くだけでも道行く人々の好奇と感嘆の視線を集めてやまないというのに、今日はさらに大仰な看板を二枚も背負っているのだからたまらない。
どうあっても集まってくる視線の雨を避けることは出来ない。しかもここは新都の中心街である。怪異なる空気の席捲する夜間ならいざ知らず、昼間の間は普段と変わらず相当数のギャラリーがひしめいている。
せめてランサーだけでも霊体化できないかと取り合っては見たのだが、当の本人は「霊体化したのではテフェリーやセイバー、そして道行く野花のような少女たちの顔をこの目で眺めることが出来ないではないか」などとのたまい、取り合おうともしないのであった。
それはテフェリーから言及があっても同じことであり、結局は彼女も折れて(不本意ながらもこういう事態のために)用意してあったランサー用の私服を着せて同伴することと相成ったのである。
さすがにあの凱甲仕立ての衣装で出歩かせるかけにはいかないということは、彼女たちにしても予見してしかるべき事態であったのだろう。
そして忘れてはならないことだが、テフェリーもまたそのままでは往来を往くも憚られるであろう服装である。よって、その俗に言うメイド服の上にはあの夜と同じ真っ白な外套を羽織り、首元までぴっちりと襟を合わせていた。浮かぶのはあのときと同じ、漆黒の夜の中で月を背負った白と鋼のシルエットだ。
「――どうかいたしましたか、エミヤ様」
まだ日も高く、下手したら少々暑いのではないかとも考えたが、余計な詮索かと思い、士郎は口を噤んでいた。
「あ、いや、なんでもない。それよりもセイバーはどこ行ったのかな」
新都の中心街に着いてみると案の定、四人は人ごみに呑まれてしまった。連休中ということもあり思いのほか人の数も多い。何かイベントでも催されているのかもしれない。慣れない者ならこのまま人波にさらわれてしまう可能性もある。
そう思って注意を呼びかけようと三人の姿を探したのだが、どういうことかセイバーの姿が見えないのだ。うかつであった。召喚されて間もないランサー、日本に慣れていないテフェリーの両名に比べれば、半年以上この街で生活しているセイバーのことは安心していたのだが、そのセイバーとてこの中心街に出向いたことは数えるほどなのだ。決して迷わない、と断言できる保障はなかった。
パスの繋がった正規のマスターならすぐにその居場所を探ることもできるのだろうが、今現在は代行のマスターに過ぎない彼には、それが叶わない。
「やっぱりはぐれたのか? くそ、俺がもっとしっかり見ておけば……」
「いいえ、違います。……どういうことですか、ランサー」
「え?」
「はて、何のことか……」
そらっとぼけようとするランサーの態度に、テフェリーはあくまでも生真面目に詰問の声を投げかけた。
「私がセイバーに付けておいた『糸』がはずされています。……どうやらセイバーは単独行動をとるつもりのようですね。ランサー、なぜあなたはそれを見送ったのです、気付かなかったはずはないでしょう」
言葉もない士郎を他所に、ランサーはその闘時の重厚な鎧姿からは想像もできないほどに白く細い肩を竦ませると、『ばれたか』とでも言わんばかりに素知らぬ顔で舌を出した。
「セイバーが!? いったいどうして……いや、それよりもまず『糸』ってなんだ」
そのランサーの様子に士郎もようやく声を上げたが、そのとき唐突にベルトのあたりを引っ張られた。何かと思って驚愕混じりに振り返るが、後ろにいたのはランサーだけだった。
「え? ランサーか、今の」
「やれやれ、鈍い奴だな」
すると今度は上着の裾が前に引き寄せられ、前につんのめりそうになる。そしてようやく気付いた。疎らな雲間から降り注いだ淡い日の光に照らされて、一条の銀の筋が見えている。あの夜と同じだった。こうして注視してみなければ、その存在に気付くことすら出来ない繊細な銀の糸。
それがまるで犬に付けるリードのように彼の身体とテフェリーの手を繋いでいたのであった。
「ちょっ……これっ」
「申し訳ありませんが、屋敷を出るときにお二人にはつけさせていただきました。よほどの魔術師でもない限り察知することもできないでしょうから、あまり落ち込まれる必要はありません」
そういう問題ではない。……といってみたところで何も始まらないのだろうか?
ともかく、つまりはこの糸はセイバーにもつけられており、彼女はそれを自力ではずして独断先行という挙に打って出たというのだろうか?
「セイバーが一人で行ったなら、あなたが気づかないはずもないでしょう。どういうつもりなのです、ランサー」
「ちょいと、野暮用だそうだ」
どうやらランサーはセイバーの思惑を知っているようだった。もしかしたら昨日のうちから二人で申し合わせていたのかもしれない。
「野暮用って、セイバーがどこに行ったか知ってるのか?」
「どうやらヤツと一度
士郎はしばし息を呑んで言葉を失った。ランサーの言う『ヤツ』とはつまり、
「……まさか」
「そういうことだ。あの阿呆を呼び込んで直に話をつけるつもりらしい」
アーチャー。あの黒陽色の巌の如き剛雄と、セイバーは今一度対峙しようというのか? しかも今度はたった一人で。
「何故止めなかったのです、ランサー」
士郎が驚愕のあまり出そうとして出せなかった言葉を代弁して、テフェリーは刺すような視線を従者に送るが、しかしランサーは鼻息一つでそれをあしらった。この女、相手が懇意の対象だからと無条件で従うというほど殊勝な性質ではないらしい。
相手が誰であれ、己が矜持にそぐわぬことには全力で抗うのがこの蛮勇の常なのであろう。そしてこのランサーの戦闘者としてのそれはセイバーよりも遥かに粗暴で、そして不可侵なるもののようであった。
「今後ヤツが来るのだとしても、このまま二人がかりで相手をするなぞ無粋の極みだ。こちらとしても、そんな茶番は願い下げなのでな」
「けど、」
食い下がろうとする士郎に、ランサーはひどく真摯な声で告げた。
「行かせてやるがいいさ、セイバーにも、そしてあの腑抜けにも英霊として通すべきスジというものがあるということだ」
「……」
それでセイバーは独断先行してしまったということなのだろうか? 平時の冷静な彼女ならありえないことだと思えたが、士郎はここで一昨日の夜からひとり物思いに耽るふうであった彼女の様子を思いだす。そうまでして彼女に行動させてしまう何かがあったのだろうか? つまりはあのアーチャーに。
「ともかくセイバーの行動は許諾できるものではありません。私が探しに行きます」
「じゃあ、みんなで手分けして」
「無用です。ランサー、なにかあったら糸で伝えなさい」
「……」
ランサーは返答の代わりとでも言うように、いつの間にか指先に取り付いていた、ほとんど目視もかなわぬ光の筋を弾いてみせた。
しかし今、本当にセイバーがどこかであのアーチャーと対峙しているというのなら自分がこんなところにいるべきではないのではないか。士郎は焦燥に顔をゆがめるが、
「まァ、問題はあるまい。双方とも、どう転んでもこんな場所でことを構えるような輩ではなかろうよ」
それを見透かしたかのように、ランサーは落ち着き払った声で語るのであった。
だが士郎は悲痛に歪めた眉根を緩めることが出来ない。セイバーはなぜそんなにもむきになってあのアーチャーに執着するのか。
唇を噛む士郎を見下ろして、ランサーもそれを真似るかのように、さも忌々しげに眉根を寄せて告げた。
「悪いが、行かせるわけにはいかんぞ。貴様のことはセイバーに頼まれとるからな」
「え?」
「ふん。セイバーはな、不忠を責められるのは覚悟の上だが、それでもお前にいらぬ心労をかける、とまで言って辛そうな顔をしていたぞ。あのような可憐な眉根をひそめてまで、なッ。……全く、お前のようなガキにはもったいないことこの上ない」
「それは……」
「つまりは追って欲しくない、ということだろうさ、分かれ。そして察しろ。言わずとも」
「……追わないにしても、ランサー。セイバーの気配だけでも探れないのか? 居場所だけでも……」
「無理だな。あたしの探知力もセイバーのそれとそう変わらん。それにな、たとえ探れるほどの力があっても今は無理だ。何時からなのかは知らんが、町全体に妙な雑音みたいなものが流れている。そいつのせいで今この街では魔術的な探査が一切出来んのだ。
我らがここに来たばかりのころはまだ出たり消えたりしていたが、このころは延々と流れて来とるようだな」
そういえば、と士郎は思い返す。確かに遠坂がそんなことを言っていた気がする。最近、深夜になると流れ始める、耳では捕らえられない奇怪なノイズ。それがこの怪異を疑い始めるきっかけになったのだとも。
しかし、魔力探知など出来ない士郎にはいまいち実感の出来ない感覚なので今まで失念していたのだ。
「それなら、なおさらバラバラになるのは危険じゃないか」
「まァ、そう心配する必要もなかろう。セイバーもテフェリーも、可憐ではあってもひとかどの戦士だ。ほっといてもさして問題はないだろう。自分の身ぐらいは守れるだろうとも。……というか、一番の問題は弱っちくて自衛もままならそうななお前のほうだろうが。少しは自分の心配をするんだな」
「…………」
「ほれ、さっさと用事を済ませてしまおうではないか。とっとと案内せんか!」
何も言えない士郎の背中を、馬の尻でもひっぱたくような勢いでどやしつけながら、ランサーは急かして来る。
連絡された住所を頼りに目的地まで辿り着くには、地元の地理に明るくなければ難しい。それは分かる。分かるのだが、ランサーのこの刺々しい言い草はどうにかならないものかとも、さすがに思うところではあったが、確かに半分は間違っていないかもしれない。
このメンバーの中では自分が最も脆弱であるのは自明のことだし、ランサーも別段悪意があったわけでもなく、ただ事実としてそういっただけの話なのであろうが、
「……しかしあれだな。心配といえば、むしろ、どちらかといえば、セイバーとうちのマスターとの関係が崩れないことを祈るべきだな……」
そう言って今度は彼女らしくない憂いにその顔を歪めた。しかしころころと様変わりするその表情のどれをとっても、それぞれがまったく別の造形美を主張する絵画のように空間に収まってしまうのだから、どうにも始末が悪い。
そして、その言葉もまた正確に的を射ている。あのセイバーのことである。テフェリーのどんな叱責も甘んじて受けるつもりなのだろうが、どちらも融通のきかなそうな性格だけに、ランサーの言にも頷かないわけには行かない。
「心しておけよ? いざとなったら骨を折るのは貴様の役目だゾ、小僧」
他力本願この上ない己の言葉にうんうんと首肯しているランサーを、憮然としながら背中で
「……ここだ」
そうしてランサーにせっつかれながら辿り着いた先にあったのは、大型の貸しガレージであった。
「おお、ここか! どれどれ……うむ?」
士郎を押しのけたランサーは見慣れないシャッターに少し面食らっていたが、すぐに考えるのをやめたようで、今度は嬉々満面として力任せにシャッターを押し破ろうとした。
それを慌てて止めさせ、士郎が改めて伽藍のような倉庫内を先導する。中は殆ど物がなく、開けた空間の中央には唯一つのものが鎮座していた。
「――これはッ……」
予想だにしなかったその威容に思わず息を呑んだ士郎に、ランサーが白く輝く歯を剥き出してみせながら微笑んだ。
「――まさか、この時代で軍馬を所望するわけにもいかんからなぁ」
士郎は暫し呆けるより他なかった。さすがにはじめて真直に目にするそれに、驚きを隠せなかった。