Fate/after Silent Noise (フェイト/アフター サイレント・ノイズ)   作:どっこちゃん

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二章 茨の旋律「ソリッド・ブライアー」-11

 

 常に真剣で集中力もあり、手順も間違えないし変な創意工夫を凝らそうなどというムラッ気も起こさない。分量の軽量だって正確だ。しかしあえて率直に言うのなら、彼女はひどく不器用なのだ。ちょっと指導したくらいではどうにもならないほどに、である。

 

 というよりも少々手先の反応それ自体が鈍いのではないかとすら思い、士郎はあえて聞くまいと思っていたことを問うてみた。

 

 彼女は調理をするときも決して手袋を外さなかったのだ。それについては最初に断りをいれられたのであったが、なにか関連があるというのなら、とそのことについて尋ねてみたのだ。

 

 すると彼女は一瞬言いよどみ、吟味するように言葉を選んでこう告げた。

 

「……私の両腕には……痛みや温度を感じる機能がありません。……教えを乞うておきながら申し訳ありませんが、……どうか、詳しいことはお聞きにならないでください」

 

「いや、いいんだ。詮索しようと思ったわけじゃない」

 

 衛宮士郎はまた食事の用意に取り掛かっていた。今度は夕食の用意である。しかし今度は台所にはもうひとりの人間の姿があったのだ。鮮やかな濃紺の使用人服に身を包みながらもこの場に立つのが恐ろしく不釣合いな人物であった。テフェリーである。

 

「それと……先ほどはランサーが失礼を……」

 

「……いや、これもホントに謝られるようなことじゃないから……」

 

 そして士郎の顔には、なぜか真新しい青あざが目立つのである。

 

 キャスターが去り、凛がその後を追って行った後、特に何の予定もなかった士郎は「心配ばかりしても仕方がない」と言ってセイバーをいつもの日課に誘ったのだ。剣術の稽古である。

 

 生真面目な彼女のことであるから、何もせずに待てというのは辛いところであろうとの気遣いのつもりもあったのだ。しかし、ここでひとつ誤算があった。

 

 いつもならセイバーに相手をしてもらうところなのだが、それを見ていたランサーがこれに興味を示し、矢庭に参加を表明したのだ。

 セイバーとランサーが竹刀で打ち合ってもこれは意味のないことなので、結果として相手をさせられた士郎が加減を知らないランサーにことのほか手荒く扱われてしまったと、いう次第であった。

 

 当のランサーは「なぁんだ坊主。思ったよりも骨があるな。小兵のわりに大したもんだ」といって豪快に笑っていた。……多少は見直されたというのならまあ、利がないともいえないと士郎は思う。――だが傍から見ていたテフェリーからすれば、到底理解の及ばない行為なのかもしれなかった。

 

 そして、ことの起りはその剣術の稽古が終わった後であった。

 

「エミヤ様。少々よろしいでしょうか? 先ほど……相談があれば話して欲しいというお言葉をいただきましたが。……あのお言葉、真に受けてもよろしいのでしょうか?」

 

 ぼろ雑巾のようになりながらもなんとか台所に立とうとした士郎に、手フェリーが声を掛けてきたのだ。そういえば食事の席で彼の作った料理を食べてなぜか急に意気消沈してしまったテフェリーにフォローのつもりで言葉をかけたのだった。そのときはさしたる反応もなかったのだったが、

 

「ああ、別にお世辞で言ったつもりはないけど」

 

「さようですか。では、折り入ってご相談したき儀がございます」

 

 やおらキッチンを占領した言い様のない重圧を感じながら、士郎は真正面から見上げてくるニ色の視線を受け止める。

 

「拝見しましたところ、貴方はかなり腕の立つ方だとお見受けしました」

 

「は?」

 

 はて、何のことなのかわからない。魔術にしろ剣術にしろ、彼女に一目置かれるようなことはなにもしていないはずなのだが、

 

「……いや、なんのことだか」

 

「先ほどの昼食はエミヤ様が用意されたものですね。何でもエミヤ様は常にここの食卓を取り仕切っていらっしゃるとか……」

 

 最初、士郎は彼女が昼間の食事の時に様子がおかしかったことでなにか文句でも言われるのかと戦々恐々としていたのだが、どうやらそうではないらしい。

 

 そういえば、士郎がランサーの猛攻にさらされている間、道場の隅で隣り合ったテフェリーとセイバーは意外にも話が弾んでいるように見受けられ、士郎は内心胸を撫で下していたのだ。

 

 しかし一方で、いったいあの二人の間にどのような会話が交わされているのかは皆目見当がつかなかったし、何よりも、正直それどころではなかったのだ。

 

 どうやら、ここで事の内実が見えてきたらしい。

 

 テフェリーは彼の用意した食事に感嘆し、自らの技術がそれに遠く及ばないことを知って意気消沈していたのだ。そしてその事実を知ったセイバーはことのほか気を良くしたようで、彼女らしからぬ饒舌さで士郎の料理について語り明かしたのだろう。

 

 そしてテフェリーは、意を決したかのように口を開いた。

 

「あなたが使用人としてかなり有能だということは、実感させていただきました。つきましては、」

 

 そしてこの勘違いについてはセイバーの言もさしたる効果を結ばなかった――否、もしかしたらセイバーは士郎の料理が如何にすばらしいかを語るのにかまけ、件の訂正については二の次だった可能性もある。というかそう考えてみると、もうそうなのだろうなという諦観の思いさえ浮かんでくるのだった。

 

 使用人として腕が立つという評価を果たして喜んでいいものか複雑な心境であったが、それはともかくとして、

 

「恥をしのんで申し上げます。どうか、わたくしに調理術の指導をしていただけないでしょうか」

 

 そう言われたなら、別段断る理由もない。そこでさっそく夕食の準備がてらの指導講習と合いなったわけである。

 

 考えてもみればどんなハウスメイドだろうとも最始から家事や料理がうまいというわけでないのは当たり前のことで、士郎もこのことをさして訝るでもなく承知したのであった。

 

 長い睫毛を伏せて調理に集中している少女の顔を、士郎はあらためて観察してみる。彼女から受けるのはやはりどこか硬質な印象ではあったが、それは宝石のような煌びやかさとは違う。それは研ぎ澄まされた鋼の美しさに似ているようにも感じられた。

 

 年のころは士郎と同じか少し下といったところであろう。飾り気のない平淡な顔は一見して東洋人的であったが、けれども、やはりその色違いの大粒な瞳は西洋の血脈を主張するように煌めいている。

 

 それだけではただ白いだけの肌は、控えめな翡翠色と琥珀色のコントラストを大いに際立たせ、逆に華美な印象さえ与えてくる。白い輪郭と、瞼を際立たせる髪と睫毛は時折銀色にかげるような黒鋼色である。

 

 その総てのパーツが取ってつけたような感があるにも関わらず、同時にそこにあるために予め誂えられたかのように精妙に納まっているのである。まるで無駄という要素を丸ごとそぎ落としたかのような、それ以上は磨くこと無用な鋼の工芸品のようだった。

 

 ――ただ、それは果たして人に対して抱くべき賞賛であろうか。

 

「エミヤ様、どうかなさいましたか? もしやなにか手違いでもいたしましたでしょうか」

 

 いつの間にか、大きな色違いの瞳はこちらを見上げていた。しげしげとそれに見入っていた士郎は、ことのほか大仰に狼狽して言葉を濁した。

 

「い、いや。なんでもないんだ」

 

 そして誤魔化すように味見をしてみる。

 

「それにしても、これは上出来だ、と思うよ。指導なんて必要ないくらいだ。時間を掛ければ手違いも減ると思うし」

 

「……そうなのでしょうか」

 

「まだ何か不安でも?」

 

 今までの手つきを見る限り、確かに器用ではないが丁寧な仕事が見て取れた。出来上がったものも、それほどひどい代物でもなかったように思うのだが、しかしテフェリーはどこか納得がいかないようにかぶりを振るのである。

 

「前に、何かひどいことでも言われたりしたとか……」

 

「そんなことはありません。むしろ逆です。マスターは私の作った食事になにかを仰ったことがありませんので……」

 

 それで士郎もああ、と得心がいったように頷いた。文句を言ってもらえればまだ改善も出来るが、何の感想もないというのでは、なるほど調理の指針が定まらないというものだ。それで彼女は雲を掴むような心もとなさを感じていたのだろう。それなら、話は簡単である。

 

「それなら、こっちから感想を聞いてみればいいんじゃないかな、やっぱり意見を聞いてみるのは大事なことだと思うし。自分から聞いてみたことは?」

 

 するとテフェリーは途端に顔色を曇らせて、不安そうな声を漏らした。

 

「ありません。畏れ多い……。いえ、どんな答えが返ってくるのか不安で……。そうですね、私は怖いのだと思います」

 

 どうなのだろう、ワーロック翁はこの娘にそんなにひどいことを言うような人間には思えなかったのだが。士郎がそう言うと、テフェリーはまた黙り込んでしまうのだった。

 

「なら、今度はこっちから聞いてみればいいさ。オレも手伝うからさ、案外絶賛されるかも知れない」

 

 するとテフェリーはきょとんとした顔で暫し固まったあと、また目を伏せて呟いた。

 

「……あなたは変わった人のように思います……」

 

「え?」

 

「指導を願い出ておいて不躾ではありますが、私は昨日あなたを殺そうとしたというのに。……どうしてそこまで親身になってい頂けるのか……」

 

「それはお互い様だよ。それに、もう意外と慣れちまったっていうのもあるかもしれないけどさ」

 

「そんな……。でも、そうですね。もしも喜んでいただけたなら、どんなに……」

 

 そう言ってテフェリーは想いを馳せるはせるように目を伏せて微笑んだ。それはこの少女が彼の前で始めてみせる笑みらしきものであった。それは鋼の鉄面皮が僅かに綻んだかに見えただけの淡いものでしかなかったのかもしれないが、それでもどこか無機質だった彼女を、年相応の少女に引き戻すには充分すぎて……。

 

 一瞬それに見とれていたシロウは、そこで初めて背後から自分を見つめていた視線に気が付いたのだった。

 

 振り返るまでもなく、セイバーとランサーがそこからこちらを見ているのではないかと察せられた。彼も多くのサーヴァントと対峙してきた経験の持ち主である。その人ならざる覇気の対しては敏感にそれを感じ取ることが出来る。

 

 そこでキッチンから出てみると、案の定二人の英霊は並び立ち、セイバーはただ無表情に、ランサーはひどく苦々しい表情で、じっと士郎に視線を送ってくるのである。

 

「ど、どうしたんだよ。二人とも……」

 

 そうして声をかけようとする士郎を突っ張るようにして威嚇しながら、ランサーが怨嗟の如き恨み声を囁いた。テフェリーには聞こえぬようにである。

 

「寄るな小僧めッ! どうやらアタシは貴様を見くびっていたようだ。なんたる不覚! ……今はっきりと、キサマを敵と理解したぞ!」

 

「な、なんだ。いきなり?」

 

 さらにランサーは眼下に見下ろす少年に、とぼけるな! と一喝した。無論小声で、である。

 

「何の断りもなしに人のマスターに粉ァかけようなどとは言語道断! ……どうやらもう少し叩き直されたほうがよさそうだなァ? んん?」

 

 密やかに殺気立つランサーを前にしながらも、これには士郎も憮然と眉を顰めた。これはひどい言い掛かりである。彼の行為は完全なる善意から来るものであり、無論のこと下心などあろうはずもないではないか。

 

「なっ!? オ、オレには何もやましいところなんてないぞ。なぁ、セイバー」

 

 しかし、ランサーと供だって現れたセイバーが返してくれたのは、冷やかな視線だけであった。

 

「……シロウ、今はいつ戦闘になるかわからない状況です。あまり気を抜かれては困る」

 

「な、なにを言い出すんだセイバー。気を抜いてなんかないぞ!」

 

「ええ。大方そのとおりのようなので、凛にもそのように報告しておきます」

 

「な、なにを言って……。そ、そのようにってどのようにだ!?」

 

 士郎はそこで始めて事の重大さに気付いたのである。ランサーのことはさて置くとして、これは士郎にとって見過ごせぬほどの大問題であった。セイバーまでもがどうしてこのように気分を害しているのかは測りかねたが、このまま行くと明日には問答無用で赤色の敵がもう一人増えるような気がしてならない。即刻セイバーだけでも機嫌を直してもらわなければ!

 

 しかし彼には天地神明に誓ってそのような心当たりは全くないのだ。ランサーが何か余計なことを言ったのだろうか? とにかく事の次第をセイバーに問いただそうとして口を開きかけたとき、戻らぬ士郎を見かねたテフェリーがキッチンから声をかけてきた。

 

「エミヤ様、どうかなさいましたか」

 

「あ、いや。……何でもないんだ」

 

 見るとセイバーとランサーはすでに揃って居間に戻ってしまっていた。

 

 その後、士郎はもはや悩んでも詮無いことと割り切り、一転奮起してテフェリーと共に本格的に夕食の用意に取り掛かった。サーヴァント達の機嫌を取るには生半可なものは出せそうにない。これは自分も持てる技術の粋を集める必要がありそうだ。……

 

 

 

 ――そうして、この擬装された聖杯戦争において彼らに許された最後の安穏な夜は更けていった。

 

 しかし彼等があずかり知らぬところでも、この夜の暗がりで乱舞する戦闘者たちは競い合うかのように剣戟の火花を散らし、権謀術数の手練を競い合っていたのであった。

 

 それを知らぬことを許される最後の夜が、今終わりを迎えるのである。もはや火蓋は切って落とされた。これより始まる夜が伴うのは、修羅の地獄に他ならない――。

 

 


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