Fate/after Silent Noise (フェイト/アフター サイレント・ノイズ)   作:どっこちゃん

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二章 茨の旋律「ソリッド・ブライアー」-10

 

 処は新都。郊外の外れ、丁度街の外輪とでも言うような辺鄙な場所であった。

 

 辺りは既に閑散として人気がない。刻の頃は既に逢魔ヶ時。いつの間にかあたりには暗い夜の帳が降り始めている。

 

 遠坂凛は依然としてキャスターの追跡を行っていた。もっとも、それは追跡というほど手の込んだものではなかった。

 

 別段、姿を隠す気もないのか。キャスターは街中を足に任せてフラフラと歩き回っているだけだった。すれ違う人間にも、にこやかに会釈など返しながら、物腰柔らかく、それとなく人の群れの中に紛れていた。

 

 サーヴァントの気配以外には特に気も払っていないのか、彼女の尾行に感づく様子もない。だがキャスターの向ける視線の先を追っていた凛にはその意図と思索の的確さが苦もなく読みと取れた。気の抜けるほど呑気に街中を散策しているように見えるキャスターだが、その目は地形の要点を抑えながら地勢の概要を逐一把握しているのがよくわかる。どこで戦い、どの地脈を押さえ、どこに罠を張るべきなのか。――

 

 このサーヴァント、キャスター。やはり魔術師としての格はかなりのものだ。いきなりセイバーとランサーの前に姿を現したこと、そしてその状況からあっさりと生きて離脱して見せたことといい、決して侮っていい相手ではない。

 

 凛の身体にも半年前の感覚が戻ってくる。皮下をざわめかせるような恐怖感が、臓腑を引き絞るような緊張感が、今更ながらに自分が聖杯戦争の只中にいることを思い出させてくれる。 

 

 そこで、不意に足を止めたキャスターが白い影のように振り返り、静かに声をあげた。

 

「そろそろ出て来ては如何ですか」

 

 ――気付かれていた?!

 

「いつまでも、そんなところで隠れているものお辛いでしょう?」 

 

 一気に緊迫した空気の中、凛は未だ身を隠したまま手の令呪を意識する。もし見つかったのならセイバーを召喚しなければならない。

 

 しかしその時、彼女よりもさらにキャスターに程近い物陰から、溶け出すかのようにして黒い塊がのそりとその姿を現したのだ。

 

 凛もこれにはあっと息を呑んだ。まさか己の視界と霊的知覚域の範囲内に、知らずの内に二体目のサーヴァントがいたなどと、どうして信じられようか。

 

「素直ですね……。それとも相手が「魔術師(キャスター)」なら、組みやすいとでも思いましたか? 「魔術師殺し」のサーヴァント殿」

 

 しかしその声に返って来たのは無言の返答だけだった。後はもう押し隠す必要もない、骨にまで食い込んできそうなほどの鋭い殺気だけが、薄暗い大気を淡く歪ませている。

 

 実体化した姿は醜い黒衣の男だった。身体が前傾にへし曲がり、頭ほどもある大きな瘤が左肩の上にある。まるで頭が二つあるのかと錯覚されるほどだ。

 

 顔に張り付いた骸骨のよう白面には獣毛が斑に植えられ、奇妙に水気を湛えて粘液を滴らせている。その様はまるで今にも腐り落ちようとする腐乱死体を思わせる。その妖姿には凛も物陰で眉を顰めた。

 

 異様ではあるがこの怪人は間違いなくサーヴァント・アサシン。本来この冬木の聖杯戦争で呼ばれるはずの正規の暗殺者のサーヴァントと見受けられた。

 半年前の聖杯戦争ではイレギュラーな形でアサシンが現界したはずだが、この猿真似の儀式でまさか正規の形での召喚が行われようとは。

 

 しかしいま、注視すべきはその怪人の手元である。凛は瞬きさえをも禁じて異様な暗殺者の挙動に備える。

 

 その右手には既に奇怪に枝分かれした歪なナイフが握られていた。枝分かれした刃の鎬の部分にも仮面と同じように滑り光る毛のようなものが植えつけられ、その異形の凶器の奇怪さを強調しているようだ。

 

 そして巨大な瘤の下から伸びる左腕は地斑の包帯で幾重にも巻かれ、まるで骨折でもしたかのように首から吊られていた。まさか手負いだとでも言うのだろうか。

 

 しかし今目にするその異様なシルエットから受ける印象は、とても手負いのそれとは見受けられない。

 

『いったいどんな――ッ!?』

 

予兆(きざし)はまるで無かった。遠見でその間者の見姿を観察していた凛の大粒の瞳が、わずかに揺れ動いただけの一刹那。その内にアサシンは音もなくキャスターの細い肢体をその剣域に納めていたのだ。

 

 眼で追うことさえできなかった。正対していたキャスターも咄嗟に跳び退いてそれを避けようとする。それは魔術師のクラスとは思えないほどに迅速で機敏な身のこなしではあった。が、さすがに相手が悪い。有無を言わさずに肉薄され、奇怪な刃がその白い首に迫る。

 

 しかし――その奇刃が届くことはなかった。

 

 白い肌が裂かれることはなく、代わりにアサシンの奇怪な刃はキャスターが手にした波打つ刀身を持つ短剣(クリス・ナイフ)に止められていたのだ。

 

 遠目にも優美で瀟洒な装飾が見て取れる美麗な刃だった。だが一見して儀礼用の呪具と見て取れたそれは、意外にも硬質な響きを纏いながら返す刀で飛燕の如く一閃された。

 

「――ッ」

 

「ハッ!」

 

 キャスターは裂帛の気合とともにアサシンの刃を弾き、洗練された感のある鮮やかな動きで二の撃を返したのだ。

 

 先ほどの反応といい、この堂の入った立ち振る舞いといい、魔術師らしくない体術と機転だ。それはこの魔女が相当に場慣れしていることを物語っている。

 

 ここにきてキャスターは武装した。着ていた筈の洋装が瞬く間に転変してエキゾチックな白亜の装束へと変じたのだ。あれこそがこの魔女のサーヴァントとしての礼装なのだろう。

 

 敵の凶刃を凌ぎ、再度間合いを開けようとするキャスターは先ほどとは段違いの速度で後退する。まるで地を滑るようかのような、歩むというよりは何かに引き寄せられているかのような、軽やかな動きだ。

 

 対して、それを追うアサシンは上体を動かさずに足だけが小刻みにうごめく、巨大な蜘蛛のごとき異様な走りで、路傍の影にまぎれるように移動していく。

 

 共に常人には理解しがたい奇異な走行法で地を馳せる両者であったが、その速度にはやはり明らかな差があり、またもやアサシンは見る見るうちにキャスターとの間合いを詰めていく。

 

 しかしアサシンがキャスターを追い詰めようとしたそのとき、キャスターの動きはただ遁走するだけの後退から、思いもよらぬものへと変化していたのである。

 

 軽やかに拍子を刻む足は後退するにあらず、たおやかに掲げられた両手は争うにあらず、伏せられながらも闇の中に煌めく黒瞳は、怯え逃げ惑うにあらず。

 

「――ムッ?!」

 

 そしてさしものアサシンも、このキャスターの意図を読みこむことはできず、掠れた声色を漏らすしかなかった。

 

 舞っている。この女は、今まさに己を殺傷せんと気色ばむ間者を前にして、妖艶なる闇夜の舞踏に没頭し始めたのだ。その仕草、振る舞いの優美さは指先一つで観る者の心を捉え、その鼓動、躍動するしなやかな女の総身は人ならざる怨霊すらをも魅了してやまない。

 

 すると後退しながらも舞い踊り続けるキャスターの周囲の薄闇に、乳色の白濁した影が無数に染み出してきた。それらは彼女を取り囲むようにくねりながら、その醜い異形をあらわにする。魔女が不可視のままに控えさせていた闇の従者たちが、主の危機を感じ取り半実体化を果たし始めたのだ。

 

 さらにその怨霊共はキャスターが扇情的にその身をくねらせるのに合わせてその周囲をおどろおどろしく飛び回りはじめ、そのうちに地を滑るようであったキャスターの足はついに地表との接地をなくし、虚空に舞い上げられていくのである。

 

 宙空に身を翻した妖女は、天女さながらに白亜の(ころも)を纏いながら、虚空を踏んで舞い踊るのだ。

 

 さる東洋の秘術に「剣歌」なるものがある。古くは支那の仙道に端を発するとされ、舞剣騰空(ぶけんとうくう)の術とも呼ばれるこの秘儀は、宝剣を持ち呪歌を口ずさみながら舞うことで術者は時として十丈もの跳躍を可能とし、さらには宙に浮遊して空に舞い上がることができるとされる。

 

 その特異な出で立ちや立ち振る舞いから、キャスターがいかなる系統の魔術師なのかを察することは容易ではなかったが、おそらくはこの奇怪な虚空舞遊術が、かの幻の東洋魔術とその術理法論を共有するものなのは間違いないと思われた。

 

 これにはさしものアサシンも手詰まりかと思われたが、この怪人ははるか上空に舞い上がったキャスターを見上げるや否や、近くのビル壁に蜥蜴か蜘蛛の如く跳びつき、己の四肢だけを用いてよじ登り始めたのだ。いや、四肢ではない。左手は依然として呪帯できつく封じられたままであったから、使用しているのは右手と両の足だけということになる。にもかかわらず、これがまた異様とも飛ぶべき速度であった。

 

 そしてアサシンは瞬く間に怪しく虚空に舞うキャスターの高さを追い抜き、彼女の頭上の壁面から、天地反転した格好のまま錐のような視線と殺気を放つ。

 

 一方虚空のキャスターの方を見てみれば、壁面にへばりつくアサシンと彼女のの間には、さらに数を増した白い陰が十重二十重に染み出し、主であるキャスターを守護するように取り巻いている。

 

 その量はかなりのもので、このままではたとえアサシンとても容易にはキャスターの元へは辿り着けないと思われた。

 

 しかし、それを前にしてもアサシンは毛筋ほどの躊躇も見せず、虚空のキャスターめがけて幾つかの白い球体を放り投げ、それを口元から飛ばした何かで撃ち抜いた。すると投擲物はやにわに炸裂し、たちまち辺りはすさまじい閃光に包まれる。

 

 ――目潰しか! 即座に敵の意図を察したキャスターも過たず動いていた。ひたと瞼を閉じながらも再びクリスナイフを抜き放ち、中空にてそれをはためかせながら妖艶に剣舞を振るい始めたのだ。

 

 すると手にする白刃の波打つ刀身がさらに溶変し揺らめき始め、いつの何かそれが二本に、四本に、また八本にと倍々に数を増やしたではないか。

 

 そしてキャスターが指揮するかのように両腕を振るうと、それらは一路、アサシンが張り付いていた壁面目掛けて殺到する。ビルの壁面へ閃光を切り裂きながら無数の刃がさかしまの雨となって降り注いだ。

 

 眼を眩ませ、耳を聾するほどの破砕音が辺りに響き渡る。

 

 もとより狙いなどつけていなかったであろうキャスターは、戻りかけの視力で敵影を探す。しかし次の刹那、ようやくキャスターは己の頭上で目視のかなわぬ気配と殺気の揺らぎを感じたのだった。

 

 見上げれば、猟犬と化した怨霊たちが、霊体化をしたままキャスターの頭上を取ろうとしていたアサシンの痩躯に牙を突き立て、姿なき暗殺者を現の薄月の下へと引きずり出そうとしていた。

 

 実体化を余儀なくされたアサシンを頭上に仰ぎ、更なる悪霊をけしかけようとキャスターのしなやかな腕が上がる。しかしそのときアサシンの身体に喰らいついていたはずの悪霊たちが、一斉にこの世のものとも思えぬ絶叫を上げながら溶け崩れたのだ。

 

 この世のものとも思えぬおぞましき絶叫の声音が当たりに響いた。凜もとっさに耳を覆いレジストする。もしもこの場に常人が居合わせたなら確実に耳と心を病むであろう、それはもはや呪いと大差ない魔の波動であり、それが不快な残響とともに幾重にも辺りに木霊していった。

 

 崩れ落ちる怨霊どもの屍骸の上を悠然と跳躍しながら、アサシンは眼下のキャスターの頭上目掛けて落下していく。

 

「――!?」

 

 とっさに背後の虚空へと舞い去ろうと虚空を蹴ったキャスターの頭上に、大量の液薬が降り注いだのはその次の瞬間だった。

 

 アサシンへけしかけられる筈だった悪霊たちは、その身を挺して主の盾となり傘となってその液体を遮った。しかし、その途端にまたもや人の発声機能では到底不可能であろうおぞましい悲鳴と共に、その霊魂を焼き尽くさんばかりの燐気が巻き起こった。

 

 青白い鬼火に包まれる怨霊たちの姿は夕闇を不気味に照らし出し、落下してくる暗殺者の姿を下方に位置したキャスターの視界から包み隠した。

 

 瞬きほどの刹那、再び敵の姿を見失ったキャスターは視線を泳がせる。

 

 アサシンの目的が逃走ではなく彼女を討ち取ることだとするなら、霊体化することはありえない。ならば自由落下に任せるだけの今のアサシンがまさか空中で静止するはずもないだろう。キャスターは舞い散る燐火の明るさに黒瞳を細めながら、己に向けて一直線に向かってくるはずの間者を待ち受けた。

 

 しかしこの対応はあまりに遅すぎたといえる。キャスターが迎撃の準備と意志を固めた頃には、燐気にまぎれた間者は彼女のすぐ眼前にいたのだから。

 

「――――ッ」

 

 アサシンには、女の細い喉から息を呑む気配がありありと伝わってきたことだろう。

 

 虚空にて交じり合うように交差した二つの影。キャスターの波打つクリス・ナイフが、アサシンの持つ怪しく濡れ光る怪刀を受け止めようと強張る。三度刻まれた剣戟の音が当たりに響き渡り、そのまま両者は地表に落下した。

 

「――――ククッ」

 

 危なげなく着地したアサシンは仮面の下でほくそ笑みながら後方を振り返る。案の定、背後からはドッと何かが地面にたたきつけられたような鈍い音が聞こえていた。まったくもって呆気無い。

 

 振り返れば、そこには倒れ伏したそのままの姿で横たわる細い肢体があった。

 

「他愛無い……」

 

 ――容易すぎる。まるで話にならない。所詮は魔術師のサーヴァントということか。懐に入ってしまえばどうとでもなる。むしろこの脆さも当然のことか――とでも言うかのように、アサシンは笑いを噛み殺しながら止めを刺そうと踵を返した。しかし、

 

「あら、どちらへいかれます?」

 

「――ッッ!」

 

 アサシンは泡を食ったように四肢をこわばらせて背後からの声に向き直った。そこにあったのはまちがいなく、たった今切り伏せた筈の妖女の姿であった。そしてその女が倒れ伏したと思えた場所には、ただ白布だけが横たわっている。

 

 しばし無音の緊張が張り詰め、そして両者はここで静かに息を吐いた。分かっていたことではあったが、両者はここに来てようやく互いが互いを容易ならざる相手だと認識したのであった。

 

 再度対峙した両者の間には、それまでとは比べ物にならぬ密度の殺気が満ち満ちている。

 

 終わりではない。終わったのは小手調べに過ぎない。ここからは互いにサーヴァントとして全力を持って対処することになるだろう。そもそも、サーヴァント同士の戦闘とは互いの宝具による競い合いに他ならない。

 

 故にこれまでの戦闘が如何に奇想天外な所業と見受けられたとしても、それは彼女たちにとっては様子見でしかないのだ。

 

 そして敵はアサシン、そしてキャスター。両者とも一度見た宝具の特性を見誤るような手合いではない。それはつまりこの戦いに二度目はない、ということを意味する。互いに秘儀を晒す以上、必殺こそが勝利以前の大前提だった。

 

 両者の意識は共に互いの、そして己の左椀に集中していた。妖女はその異様なまでに黒く、しなやかな左腕を。せむしの男はその血塗られた呪布で幾重にも封じられた左腕を。互いに意識し、そして警戒し合っていた。

 

 遠坂凛は依然として、それらの光景を見ていた。

 

 輝ける英霊同士の真正面からのぶつかりあいとはまた違った、まさしく怪異な競い合いに、さしもの彼女も息を呑まざるをえなかった。

 

 だが、ここで奴らの宝具が視認できるなら、それは願ってもない僥倖だった。先に見たキャスターの奇怪な黒腕についても、また新たに何か分かるかもしれない。

 

 確か、あの妖女は悪の神を自称していたはずだ。そしてあの漆黒の体色を持つ左腕のそれは、先に聞き知ったアーチャー、化身王ラーマの防御性能との共通点が見受けられる。そして今目にしているどこかエキゾチックな雰囲気の原始的な白装束。……その出展はおそらくアーチャーと同じヒンドゥー系の神話に由来があるのかもしれない。

 

 だが、それぞれの持つ魔の密度が最高潮を迎えようとしたそのとき、突如としてキャスターの身体を不可解な現象が包み込んだ。

 

「――なッ!?」

 

 とっさに出た、誰に問うでもない言葉が終わらぬそのうちに、彼女の身体は気配も残さずに掻き消えた。霊体化したわけではないことは、対峙していたはずのアサシンですらもその存在を見失っていたことから明らかだった。

 

 傍から見ていた凛には、それがなんなのか予測できた。

 

『あれは――令呪による強制召喚?』

 

 即ち、それは令呪を有するマスターが、その一画を消費してサーヴァントを何処かへ転送したということだ。

 

 それ以上のことは推測のしようもない。標的を見失ったアサシンが歪むように姿を消すのを確認して、凛も深まった闇の中で踵を返した。

 

 その美貌は悔恨に捻じれるようであった。あのアサシンの邪魔が入らなければ、キャスターの根城だけでも突き止められたものを。

 

 とはいえ、だからといってアサシンを追跡することは不可能だ。アサシンには気配遮断のスキルがある。ここはおとなしく帰る他ないだろう。

 

 そうして消沈したように夜の帰路についた少女の後ろ姿を、しかし――薄闇からじっと見つめる視線があった。

 

 淡い白色で咲き乱れたような髑髏(しゃれこうべ)が、音も無く、嗤った。

 


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