Fate/after Silent Noise (フェイト/アフター サイレント・ノイズ)   作:どっこちゃん

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二章 茨の旋律「ソリッド・ブライアー」-4

 

 仄暗かった夜が次第に白み始めたころ、それでもなお深い闇の中にそれはあった。通称、アインツベルンの森。その闇の奥深くに懐かれるように佇む一つの威容であった。

 

 城、である。未開発の森の中にまるで冗談のように据えつけられた様は、童話の中の御伽の城を見るようですらあった。

 

 その城の門の前で一人、何かに取り残されたように佇む女の姿があった。

 

 その華美な美貌は妖艶なようでいて、しかしどこか我が子の帰りを待ち呆けている母親のようでもあった。

 

 魔術師のサーヴァント、キャスター。彼女もまた不条理の極みによりこの冬木の地に招かれた稀人の一人であった。

 

 しかし妖艶なる白衣の魔女はまた一つ、憂いの篭る吐息をこぼす。はて、これは何度目の溜息だったであろうか? 胸の内を駆るのは焦燥というほどのものではない。しかしそれが決して無視できないものであることも、また確たる事実であった。

 

 昨晩、一人で留守番をするのを嫌がった鞘は生活に必要なものを手に入れるといって買い出しに出たはずなのだが、その彼女が未だに戻ってこないのだ。

 

 マスターが城から出ようとしないので、それを放ってキャスターが外出することは出来ない。彼女のマスターの魔術では、はっきり言ってサーヴァント相手の自衛はままなるまい。だからこそ自由に動ける協力者の存在は存外にありがたいもの、だったはずなのだが――それが肝心なときに姿が見えないというのではたまらない。

 

 と、いうよりも何よりも、彼女に戻ってもらわないことにはキャスター自身の今日の行動にも差し障りが出てしまう。自分の代わりに留守番を頼むことも出来ないのだ。

 

 だから外出するならさっさと戻るよう伝えてあったというのに……。やはりもう少し強く言い含めておくべきだったか。

 

 さりとて、多少語気を荒げた程度で素直にそれを承諾するような娘でもないか……。

 

 実際、いまのところ問題らしい問題があるわけでもない。むしろ予定調和と言えなくもないほどに。彼女の聖杯戦争における戦略は順調だった。しかし心配の種だけはなかなかに尽きない。それが魔女の溜息の数ばかりを無駄に浪費させているのであった。

 

「まったく、鈴の一つもつけてやればよかったかしら……」

 

 皮肉を口にしながら、実際、探索用の使い魔でも飛ばしてみようかと考えるが、しかしすぐに首を振ってそれを棄却する。

 

 それは無駄だろう。いったい誰がやっているのかは知らないが、今この街全体に奇妙な『霊的雑音』とでも言うのか、奇妙なノイズのようなものが充満しているのだ。

 

 今までは深夜になると時折聞こえたり、途絶えたりしていただけだったが、今日になって昼夜を問わず其処彼処に堆積するかのように流れている。

 

 耳に届くわけではないのだが、このノイズのせいであらゆるサーヴァント・魔術師を問わず霊的感知能力を著しく阻害されているのだ。その効力は例えキャスターのサーヴァントである彼女にも容易に退けられるものではない。

 

 誰が、何のためにやっているのか知れたものではないが、諜報戦を嫌うものが強硬手段に出たとも考えられる、それともいずれかのサーヴァントの宝具やスキルなのか。

 

 どちらにしても、やはり何かしらサーヴァントの位置・居場所の特定だけでも出来る手段が必要になってくる。……ともかく鞘の居場所だけでも把握できるようにしなければならない。このままではあの奔放な娘の行動は把握することもままなるまい。

 

 そうなると計画の修正が必要になってくるかもしれない。

 ……丁度いいのでアレを使ってみようか、居場所を知るだけならば最適の装置になるだろう。

 

 とはいえ鞘の居場所が分からないことにはその準備も始められない。さて、どうしたものだろうか……。

 

 つらつらとそんなことを考え、また一つ息をこぼそうとしたところで、木陰の間から姿を現した人影があった。

 

 考えに集中しすぎて結界の先触れに気がつかなかったのだ。らしくないことだが、それも先のノイズと、その人物の穏行と、そして彼女自身の心痛ゆえのことであった。

 

 キャスターは顔を上げた。先ほどまでの面持ちとは打って変わって、飄々とした声色で語りかける。

 

「おかえりなさい、鞘。でもちょっと遅すぎるんじゃないかしら? 明るくなる前に戻るように言ったでしょう?」

 

「うっ、た……ただいま。……いいじゃない、別になにもなかったんだから」

 

 こんな場所で出迎えを受けたのが予想外だったのか、猫のように一歩後ずさった鞘はぶっきらぼうに答えた。

 

 彼女には悟られぬよう、キャスターは困り顔のまま内心で深く安殿していた。

 

「何もなかったなら、どうしてこんなに遅くなったの?」

 

「ぐ……ッ」

 

 一瞬、痛いところを突かれたようにひるんだ鞘だったが、観念して腹を決めたのか語気を荒げて言い放った。

 

「仕方ないじゃない! バイク盗られたんだからッ!」

 

 言われてみればたしかに、彼女が移動するときに使っていた二輪の駆動機械が見当たらない。それでは街からこの森まで歩いて戻ってきたのだろうか? なるほど朝まで掛かる訳である。いつも飄々とした彼女には珍しく機嫌が悪いのもそのせいだろうか。

 

 キャスターは鞘を刺激しないように、ゆっくりと問いかけた。

 

「何が……あったの?」

 

「それはっ…………、そ、それよりもさ、キャスターこそなによ、こんなところで。待っててくれたの?」

 

 するとキャスターはその妖艶な美貌からは予期しえぬほどのにこやかな笑顔で、おどけるように答えた。

 

「そう答えてあげたいところですが、マスターの機嫌を損ねて追い出されたというのが一番妥当かもしれませんね」

 

 すると鞘もようやく微笑し、肩の力を抜いて呆れたように溜息をこぼした。

 

「あの子また駄々こねてんの? 思うんだけどさ、やっぱり甘やかしすぎなんじゃないのキャスター」

 

 それからの掛け合いにもキャスターは破願して応じた。それでも存外に刺々しい気配は残ったままの様子の鞘に、それ以上そのことについて言及するのを控えることにした。

 

 おそらく何者かと戦闘を行ったのだろうということは容易に察せられたが、自ら語ろうとしないならそれについての追求はやめることにしておいた。必要な情報なら後で自分から話すことだろう。

 

『たしかに……甘やかしすぎかしらねぇ……』

 

「もう、ホント過保護なんだから」

 

 内心でひとりごちるキャウスターに、鞘はまた揶揄するような声を掛ける。それが妙に可笑しくてほころんだような微笑が苦笑いになる。

 

「……言い訳みたいかもしれないけれど、子を持った親というのはそういうものなのよ。別に自分の子供でなくても、心配は……もう習慣みたいなものなのよ。親は子を持つと強くなるか弱くなるか、それともその両方なのかしらね。……あなたにはまだわからないかもしれないけど……」

 

「……わかんないこと、ないよ。あたしも子供、居るし」

 

「え?」

 

「うん、すんごいカワイイの!」

 

 鞘は屈託もなく言って見せたが、そんな言葉で済ます問題ではない。キャスターは表情を凍りつかせて憮然となった。

 

「そんな――その子は今何処に――」

 

 そうしてキャスターは図らずも追及じみた言葉を投げかけようとして、しかし言いさした何事かの言葉を呑み込んだ。

 

 不意に語調を早めたキャスターに鞘が一瞬、理性の抜け落ちたような呆けた表情を見せたからだ。まるで幼い子供のような。

 

「……ワカンナイ……」

 

 そう呟いた鞘にキャスターはそれ以上の問い掛けをしなかった。否、出来なかった。

 

 鞘の年頃を考えれば、まさかその子供がひとり立ちしていることはないだろう。そんな幼子と母親が互いの居場所を知らずに居るというのなら、そこにいかなる事情があるのか推し量るに難くない。

 

 その上、彼女はつい先日まで魔術師の存在も知らない一般人だったのだ。そんな子供を放ってまでこんな外法の戯れに付き合う必要はないではないか。

 

 だが奈落よりもなお深い自責の念がそれを糾そうとする言葉を押し止めた。彼女自身、生前に我が子のことをどれほど知っていたというのだろうか。

 

 彼女の娘がどんな最後を迎えたのか、どんな怨嗟の言葉を母に投げつけたのか、どれほど母の愛を知っていてくれたのか。今となってはその結末を知る術すらないというのに。

 

 ……そんな愚かな自分が、誰かに説法を説くなどできるはずもない。

 

 ただ、たとえ魔女であろうとも唯の人であろうとも、愛する我が子に触れられぬことの心痛に変わりなどあろうはずもない。だから、その痛みだけは理解できると伝えたかった。

 

「……そうね、私も――」

 

『――最後まで、わかってあげられなかった――』

 

 だが彼女に言えたのはそれだけだった。慰めの言葉は最後まで口腔から流れなかった。そのような言葉で癒されるのは鞘ではなく己の惰弱な心のほうだと知っていたからだ。

 

「……さぁ、中に入って、鞘。貴女はサーヴァントとは違うんだから、しっかり養生もしないとね」

 

 キャスターは再び笑顔で会話を打ち切り、鞘を城の中へ促した。鞘も疲れたような微笑を返す。

 

「……ん。解った。たしかに疲れちゃったからもう寝る。あっ、お風呂入れる? 汗かいちゃった」

 

「用意はさせているからすぐにでも。今度は私が出掛けるから留守番お願いね」

 

 城の中に使役させている低級霊たちは、鞘が戻るのと同時に湯谷と寝床の用意を始めていた。キャスターが常時使役している悪霊や死霊の数は幾百にも及ぶ。

 

 それらのまつろわぬ霊を従えることは、彼女がもっとも得意とする「左手の呪術(プンギワ)」の一つであった。

 

 そこで一路、揚々と城の中に歩を進めようとした鞘はふと、キャスターの言葉を反芻してあることに気が付いた。

 

「出掛けるって……どこ行くのさ?」

 

 キャスターはまた笑顔のままで答える。

 

「この儀式もどうやら本戦に突入したようですからね。情報収集、聞き込みに交渉……まずは基本の定石から固めていくことにしましょうか。私もいそがしくなりますね……」

 

 などと呑気な声を上げるキャスターに、鞘は呆れたような顔を見せる。

 

「今だって充分忙しそうじゃん。周りで忙しくされるとこっちも休めないよ」

 

「なら、私がいない間にしっかり休んでおきなさい。それにそろそろ調整も大詰めなのでね。微調整は実際に現場に行ってから出ないと出来ませんから。……その間、マスターのことを頼みますよ。まだ寝ていると思いますから静かにお願いしますね」

 

「あいあい、任されました」

 

 笑って応じた鞘の、幼さの抜けぬ屈託のない笑顔が魔女の胸の内を温かく満たした。キャスターは静かに決意していた。もしもいつか鞘が事情を話してくれるなら、できるだけのことをしてやりたいと強く思ったのだ。

 

 たとえ自分のような魔性にはそれが叶わないのだとしても、聖杯ならそれを叶えてくれるのだろうか。……と、ふと、そんな考えを頭によぎらせながら。

 

 

 


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