Fate/after Silent Noise (フェイト/アフター サイレント・ノイズ) 作:どっこちゃん
「――鳥、ですか」
「うむ」
思いのほか会話が弾み、辺りにはいつの間にか夕刻の色が滲んでいた。
なんでもこの珍妙な老人も、予定よりも一日早くこの街に着いたとかで時間をもてあましていたのだという。
そんなこともあってか、最初はちょっと道を尋ねられただけだったのが、話の弾むうちに街のあちこちを案内することになっていた。
重度のお節介焼きであり、人助けが趣味とも言える彼にしてはまあ、そう珍しいことでもないのであったが。
「……鳥を用いた卜占というのは世界中にあってな、古い物では古代ローマまで話はさかのぼる。ローマ建国神話に登場する双子の英雄ロムルスとレムス。彼等はともに赤子のころに王位を追われ、神に使わされた狼の乳を呑んで育った。
そして成長して王位に返り咲いたのじゃが、そこでどちらが王になるかで争いになり、それを決するべく当時流行だった鳥を使って神託を諮る法を用いたのだ。
それは総てを投げ出して命を天運に任せたということではなく、つまりは神の意思に総てを託すという古代人の思想から来るものだといえるだろう。
これには古代中国においても似たような話がある。やはり鳥は神の意思を伝えるものだと考えられていてな、そのため同じように鳥占いが行われていたそうだ。そのため、今でも漢字にはそれにちなんだものが数多くある。
――例えば「進」だ」
老人は枯れ木の枝のように細長い指腕を振るって、虚空を掻いた。
「日本人でも馴染みのある文字だな? 左側の偏部分は「道を行く」ことをあらわし、そして右側の傍部分が「鳥」を表すのだ。つまりこれは軍隊を進軍させる際に鳥占いをして神託を求めたということから来ている。それが現代の文字にも現れているのだ。
またフランスにも「augare(オギュール)」と呼ばれる鳥占いが存在する。これはかのノストラダムスの詩篇の一節にも出てくる言葉なのだが、これは暗喩的に血腥い行為を表すとされる。
確かにこの占術は鳥の行動を観察するだけではなく、さらには鳥を腑分けしてその内蔵の状態から吉凶を占うということも行うからだ。そして……」
そうして叨々と語るうちに、彼はふと足許に見て取った影の長さを見て日がすでに傾いでいるのに気付いたようだった。
老紳士は西洋人らしい長身をピンと伸ばしたまま、老いの見えない厳格そうな声を上げた。
「おおっ、これは悪いことをした。この老いぼれのせいで若者の貴重な時間を無為に過ごさせてしまったようだ」
少年はつられて足許の影法師を見つめた。そのとき、ふいに視界の焦点が何かに吸い寄せられた。
それはこの老紳士の履いている靴だった。日常で見るような大量生産品でないことは一目でわかるほどに古めかしい、いっそ魔道器か呪物の類かとでも思えてしまうほどの一品だった。
しかし、それがいっそう眼を引いたのには別の訳があった。彼の履いた靴は左右で別のものだったのだ。彼は左右の足にそれぞれに別のかたちの靴を履いているのである。
まさか海外まで出向いてきたというのに靴を間違えてそのまま来た、ということもあるまい。
ためしに左右の靴の構造を透かしてみると、やはり双方の構造もまるで違う。
妙だとは思った。しかし彼はこのときはそれ以上の詮索をしようとは思わなかった。不思議と警戒心が弛緩したように働かなかったのだ。
そのためか、この翁の珍妙な格好についてはそれ以上気に止めることもなかったのだった。少なくともこのときは。
「……いえ、かまいませんよ。面白い話も聞けたし」
なによりも、この見るからに古めかしい洋装の英国紳士然とした老人が流暢な日本語で語る内容が彼も知りえない、ある意味で魔道にも通じる知識とその成り立ちついての寓話と言うのがことのほかこの彼の興味を引く結果となったのだ。
これでも魔道を志す人間の端くれである。こういう知識は知っておいて無駄にはならないはずだ。
「また会うかも知れんな、そのときはまたよろしく頼みたい」
「ええ、もちろん」
――以上が昨日の昼間、『彼』こと衛宮士郎がセイバーと夜の巡回に出る前の夕暮れ時の出来事である。
「また会ったな、少年」
呆気にとられる衛宮士郎を前に、その人物は気さくに挨拶を交わしてきた。
ひどく年季の入ったケープド・オーバーのコートと唾広のシルクハット。そして捩じくれた樫の木の杖を持った長身痩躯の老人。しかしその姿勢のよさと身に纏う厳格さがその老いをまるで感じさせない。
が、士郎はその老紳士の装いを前に、どうして昨日の自分はこれを何の疑いもなく見ていたのだろうか? という当惑を抱かずにはいられなかった。それほどにこの老紳士の存在そのものが奇異であり、奇抜であった。
そこでようやく彼はあの時自分が何らかの巧妙な魔術の影響下にあったのであり、目の前の老人が
呼び鈴が鳴ったのは、そろそろ昼餉の支度を始めようかと腰を上げたころであった。
昨夜の戦闘についての概要は既に知らせてあった。既に現界しているサーヴァント達。しかも奴らは問答無用でセイバーに戦いを仕掛けてきた。その正規のマスターである彼女が安全であるとは決して言い切れない状況だ。
士郎はすぐ戻るように再三に渡って連絡を取っていたのだが、彼女が言うには既に事態の大まかの概要は掴んでおり、そのことも含めて話しに行くつもりなのでそこで大人しくするようにと逆に申し付けられてしまった。
そして三日ぶりにこの屋敷に帰還した彼女――遠坂凛を玄関先で出迎えた衛宮士郎は二重の意味で驚愕を味わうという事態に直面していた。驚愕したというのは彼女についてではなく、彼女に随伴した二人の人物についてであった。
奇しくも、その二人は共に昨日対面を果たしたばかりの知人であったのだ。一人は昨日彼がこの街で道案内をした老紳士であり、
「縁とは奇異なものよな……」
言葉を無くす少年を前に老人はさして驚くでもなく、丸い色眼鏡の向こうで僅かに目じりを緩ませながら挨拶を交わした。どうやら士郎がここにいることについて彼は既知だったようだ。そして、
「どうかしたのですか、シロウ……!」
異変を察して居間から出てきたセイバーの語尾がその姿を確認するや否や、一瞬にして鬼気を纏う。その刺し貫くような視線は彼女の主の前に立つ長身の紳士にではなく、その影に隠れるようにして随伴していた、もう一人の小柄な人影に注がれていた。
その翠緑の視線を受け止めるのはアレキサンドライトを想わせる茶褐色と翠露の双瞳。黒銀色の長髪をうなじの辺りで緩やかにまとめた白い顔の少女であった。それはすなわちランナーのサーヴァントを伴い、昨夜彼らを襲撃した人物に他ならない。
「シロウ、下がってください!」
既に臨戦態勢に入っていたセイバーが床板を踏み抜かんばかりの勢いで駆け出そうとしたが、それを老紳士の影から顔を見せたもう一人の少女が制した。
「大丈夫よ、セイバー。いまのところは敵じゃないから、身構えなくてもいいわ」
「凛……しかしッ!」
「昨夜は失礼をいたしました」
そのメイド服姿の少女は、老紳士の右斜め後方で彫像のようにギクシャクと礼を正し、落とすように頭を下げると開口一番そう告げた。この昨夜からの豹変振りには、セイバーもしばし言葉を失うしかない。
「遠坂……どういうことなんだ?」
困惑した二人に顔を向けられた少女――遠坂凛はざっと彼らを見回し、落ち着き払った声で告げた。
「それも含めて説明するわ。とにかく、ここじゃなんだから中に入りましょ」
「「……。」」
居間に通されると、老紳士は特に気負うところも見せずに老齢を感じさせない明朗な声で語り始めた。
あらためて見てみれば、古都ロンドンならいざ知らず、まさかその十九世紀の欧州貴族を思わせる優美な格好でこの現代日本の地方都市を闊歩してきたのかと質したくなるような老紳士の装いであった。
しかしそのたたずまいは不思議と近代の日本に馴染んでいるように見えるのだ。
それはきっと本人が周りの情景や空気といったものと相反する意識を持たないためだろう。
——しかし盛大な違和感は依然として消えはしない。
貴族然とした老紳士とは逆にそれに随伴する家事使用人といった様相の少女は明らかな違和感を撒き散らしている。それが主と同様に済ました顔をしているのは、おそらく彼女がその違和感に頓着していないだけなのか、もしくはそれを感じる術を持たないかのどちらかであろうと思われた。
老人の語る日本語は流暢なものであった。昨日の話し振りからも少なくともこの老人は意外と日本という国に馴染みが深いのではないかということは安易に察せられたが、加えて和風家屋にも慣れているのだろう。やはり不思議と違和感というものがない。
「何処から話すべきかな……此度の怪異、君たちが聖杯戦争と呼ぶこの冬木市にて執り行われてきた儀式。今行われているのはその再現だ。そしてそれを執り行っているのはある三名の魔術師だ」
「再現って……それが一番解からないんだ。どうしてもう起こる筈のない聖杯戦争が再開されているんです?」
老紳士はちょうどいいとでも言うように首肯して、その声に応えた。
「では、まずそこから話すとしようか。まず伝えるべきは、この奇跡を起こしているのは厳密には『聖杯』ではない。別の宝具である『宝典』によるものだ」
「宝典!?」
「うむ。この現象は実際には聖杯の機能を
「けど、そんな」
食い下がろうとする若輩を手で制し、含めるように老紳士は笑う。
「奇跡を起こしうる宝具はなにも聖杯だけではあるまい?」
「……」
確かにそうだ。奇跡を起こす魔道器の伝承は世界中に点在する。聖杯とは本来その中の一つにすぎないのだ。それに比肩しうる宝物が存在したとしても決して不可思議ではないが、しかし――
「もっとも、これはその宝具を再現しようとして失敗したものの一つに過ぎん。言わば劣化コピーとでも言うべきものなのじゃ」
「つまり――失敗作なんですか?」
「うむ。この宝具は本来は森羅万象を意のままに書き換えるという機能を持っているはずの破格の魔道器なのだ。しかしこのコピーが有するのはその中のほんの一部の機能でしかなかった」
「それが事象の
「うむ」
「森羅万象を書き換える? それじゃまるで……」
そこで横合いから聞こえた、息を呑むような声は凛のものだ。
「そういうことじゃ。その宝具とは総ての魔術師の求めるもの。『根源の渦』そのものに足をかけるといっても過言ではない可能性……じゃった。
しかし成功した者は未だない。数千年の時間と膨大な人員、そして知識を幾重にも総動員してもなお出来上がるのはこういった出来損ないばかりでな。これについてはワシも若い頃に見切りをつけた。
そして次に取った手段というのが……」
「マスター」
話に熱が入りすぎたのか、やおら脱線しかかった話題を脇に控えた少女が合いの手をうって制した。
「む? いや、そうじゃったな。まあ、そういう意味で聖杯と同じように幾度となく再現が試みられて来た宝具であり、それはそのまま魔術師の挑戦の歴史の副産物ということになる。
言い方は悪いかもしれんが、そういう意味ではそこなセイバーとも似たような存在だといえるかも知れんな」
まるで教壇に立つ講師のような老魔術師の話し振りに、昨日のことも思い返しながら士郎がひそやかな声を漏らした。
『……けっこう人に物を教えるのが好きなのかな、この人。まるで先生かなにかみたいだ』
すると脇で静観していた凛も、ばつが悪そうに士郎の耳元で声をひそめた。
『もともと時計塔で教鞭をとってたような人なのよ。私たちが生まれるよりかなり前の話らしいけど……』
なるほど、彼女らしく終始毅然な態度を崩してはいなかったが、古豪の魔術師が相手となるとさすがに気の一つも引けるようで、どこか消沈したように静かだった彼女の疲弊具合にも納得がいった。
凛はワイアッドの一通りの説明が終わるまでは質問することもなく憮然としていたが、ここでかねてから、といった様子で老紳士へ向けて口を開いた。
「随分とその宝具についてお詳しいのですね。ミスター」
「察しはついとるのかもしれんが、この宝典・『太極偽典図』はワシが提供したものじゃ」
何ら悪びれた様子もなくワイアッドは告げた。士郎とセイバーはその言葉に息を呑んだが凛は溜息一つ漏らして呆れたように先を続けた。
「なるほど。それで……それは今どこに?」
「解からん。提供はしたが、設置は監督役が行ったはずだ。それを探し出して確保するともこの闘いの勝利の条件の一つとなるらしいな。起動したそれはすでに物質ではなく、増殖した魔術回路で編まれた霊体じゃ。扱いは正規の儀式における聖杯と何ら変わりはない」
「つまり、それに触れられるのはサーヴァントだけってことね」
「それじゃあその三人の魔術師って言うのは」
「わしを含めて三人ということになるな。もっともわしがやったのはそれだけじゃ」
この老人、事件の詳細を知る人物かと思いきや、間接的とはいえこの街の怪異を巻き起こした張本人であったというのか。それがこうも堂々と彼らの前に姿を現すというのはなんとも人を食った話ではないかと思われた。しかも彼は凛たちの事情を予め承知した上で姿を現しているのだ。
「……けど、それで本当に大聖杯と同じように機能するとは思えませんわ、ミスター」
凛はやはり得心が行かないかのように声を上げた。さすがにその声は苛立っているようにも聞こえた。
それも仕方のないことなのかもしれない。彼女の家門が二百年に渡って追い求めてきた奇跡が、遠坂という家門の歴史が今まったくの部外者たちによって踏みにじられようとしているのだ。いくら平静を装っても心中穏やかではあるまい。
「うむ、彼奴らにとって聖杯によってもたらされる奇跡というものはあくまで付属品にしか過ぎないのだろう。この儀式をもって根源にいたるつもりも元よりないと考えるべきじゃろうな。
彼奴らにとってこの借り物の儀式そのものが余興でしかないかも知れん。やつらの最大の目的は確かな決着を持って勝敗を決することにあるのだから」
「どういうことなんです」
士郎の声に老紳士は深く息をついた。
「ワシも儀式に参加する権利と引き換えに協力しているだけの部外者にしか過ぎんのでな、真相までは解からんが、奴らの真の目的は次期当主の選出なのだそうだ」
武を持っての競い合いによる完全なる決着を持って余計な時期当主の後継者を選出し余計な候補者を間引くこと。それが奴等――敵の目的。
しかし士郎はますます解からないとでも言うように、眉を顰める。
「でもどうして相続争いなんてする必要があるんですか? そうならないために魔術師は二人以上の後継者に魔術の相伝をしないはずなんじゃ……」
そう言って士郎は凛を見る。彼女も静かにそれに頷いた。同年代の少女であったが彼にとっては彼女は魔道の行く上での師に当たる。彼女からの教えに照らし合わせればこの老紳士の言には不可解な点があるといわざるをえない。
老紳士はそう質されることを予見していたかのように、一度大きく頷いてから言葉を続けた。
「……真偽は定かではないのだがな。かのサンガール家前当主、アルベルト・ド・サンガールは魔術師としては優秀な男ではあったが、その遺伝的な衰退からは逃れられなかったそうだ。
奴が何人子供を成しても、備わる魔術回路の数はとても魔術師として後を継ぐことの出来るものではなかったのだという。奴自身の魔術回路もその前の当主のものに比べれば劣化していたらしい。
魔術師が歴代を重ねるごとに魔術回路が縮小してしまうというのは、まあ珍しい話でもあるまい」
魔術回路とは文字通り魔術を励起させるための器官である。生まれながらに持てる数が決まっており、増えることも減ることもほとんどない。物質的な部位ではないにも関わらず、「内臓」と例えられるのはそのせいである。
そのため魔術師の家系は自分たちに手を加えて一本でも魔術回路が多い後継ぎを誕生させようとする。それゆえ古い家系の魔術師ほど優秀な資質を持って生まれてくるのである。
「じゃあ何でこんなことに? 誰も魔術刻印を相続できないなら、こんな大掛かりなことやる必要ないじゃないですか」
「そこでもう一人の魔術師。テーザー・マクガフィンのことを語らねばなるまい。とはいえこの男――いや、実のところそれすらも確証はないのだがな――、奴の素性その他についてはほとんどのことが分からん。
唯一分かるのは、数年前にサンガールの家に入り込んだフリーランスの魔術師であるということだけじゃ。
この儀式を提案したのも、現在監督役として取り仕切っているのも奴じゃ。奴はサンガールの家に入り込む条件として四人の後継者の魔術回路を増設したのだという。無論、藁をも掴む想いだったサンガールの当主が嬉々として奴を迎え入れたことは想像に難くなかろう。
これは推測の域を出ない話だが、その術式は予想に反して期待以上の成果をもたらすことになったのだろう。後継者たち四人の魔術回路は総て十全以上に機能しはじめ、同時に四人もの後継者が我こそ党首に相応しいと名乗りを上げる事態になった。
皮肉なことに、そのせいで前当主は最後のときまでその問題に苦悩することになったということなのだろうな」
「最後?」
「前当主、アルベルト・ド・サンガールは既に死去したそうだ。それも半年以上前にな。……おそらく、こんな無謀を許諾したのも己の命が残り少ないことを危惧するあまりに心を乱したからなのじゃろう。
……そういうものだ。内心にしこりを残した老兵が心安らかに逝くことなど叶わぬ夢なのだろうからな……」
そのとき、凛が食い下がるかのように口を挟んだ。
「ちょっと待ってくださいミスター。魔術回路の増設なんて簡単に仰りましたけど、そんなことができるとは思えません」
「確かに。魔導の常識で考えれば不可能だ。ワシもその点については訝ってはいた。しかし、いまさらそれを論じても始まるまい。事実として奴らはそれぞれにサーヴァントを従えうるだけのマスターとなって既にこの街の中に入り込んでいるのだからな」
「……」
「それに、君たちの身体にも説明のつかない変化が起こっている筈だ」
士郎、そして凛の身体に最装填された三画の令呪。そして聖杯戦争時と同じコンディションを取り戻したセイバー。確かに、彼等はその変化を知ってこの調査に乗り出したのだった。
凛は何かを考えるように押し黙った。確かにその通りだった。現実として怪異は起こっている。ならば起こりえないはずの事態を起こしうる何かがあるのだ、この事件の黒幕には。
するとしばし凪いだ沈黙を切り替えようとするかのように今度は士郎がある疑問を口にした。
「大方の話は分かったけど、どうして俺たちの前に出てくる気になったんです?」
「わたしたちに協力を求めたいということなのよ」
それには傍らで黙していた凛が応えた。
「本来は身の安全を保障する変わりにこの街でのサポートを頼むつもりだったのだが、まさか前聖杯戦争の生き残りのサーヴァントがいるとは思っても見なかったのでな。戦力的に拮抗している以上、この状況では共闘ということになるだろう」
なるほど、そういう意味では確かにセイバーの存在は誰にとっても想定外のイレギュラーだったということになるのだろう。昨夜あの漆黒のアーチャーが語っていたことにも、一応の合点がいった。
「わたしだけの独断でできることじゃないから、セイバーと士郎にも意見を聞くまで結論は出さないってことになってたのよ」
「凛はそのことについて了承しているのですか」
談話する魔術師たちから一歩引く形で話し合いを見守っていたセイバーが、静かに問うた。
「……どの道、闘うことになるのは避けられないわ。私はこの地を管理する遠坂の魔術師よ。この街で勝手なことをさせるわけにはいかないわ。それがたとえ
凛は老紳士の丸い色眼鏡に向けて、毅然と言い放った。
しかしその言葉に眉根を寄せて反応を見せたのは老紳士ではなく、傍らの二色の瞳の少女だけであった。大小の差こそあれ、往々にして常人とは一線を画す自尊心を持ち合わせているのが魔術師という輩の常である。
本来なら格下の魔術師にそのような物言いをされれたならば、それだけで殺し合いになってもおかしくない。——はずなのだが、しかしこの老魔術師は凛の言葉に色眼鏡の奥から老獪な笑みを垣間見せただけだった。
「……だから、一時的には協力関係もやむをえないと考えるわ。そのサンガールとかいう田舎者を残らず撃退するまではね。ミスター・ワイアッドにはこちらから力を貸す代わりに私の管理下に入ってもらいます。よろしいですね、ミスター?」
凛はその持ち前の美貌を白く凍りつかせながら、目を細めて宣下した。
あくまで選択の権があるのはこちらだといわんばかりの態度である。そこにはまるで女帝が臣下に宣下するかのような、傲慢でありながら同時に峻厳なる高貴さが表れていた。
その実、憤懣やるかたないといった内情には依然として変わりはないのだろうが、彼女が己が奉ずる遠坂の家訓に忠実であろうとするならば、いつまでも座して憤慨しているわけにはいかった。
かの家訓に曰く、常に余裕を持って優雅たれ、とある。それに倣うならば彼女は速やかに、徹底的に、そしてあくまでも流麗に、この地から怪異を排除しなければならないのだ。
「――無礼な!」
老紳士の傍らで、先ほどから眉の間に険しい筋を立てていた少女がたまりかねたように声を漏らし、膝を立てようと身を起こす。しかし、
「ふむ、妥当なところじゃろうな」
「マスター……」
「まあ、座っておれ」
その少女を諌めるというよりは拍子抜けさせるような声で老紳士は言った。これには凛も逆に肩透かしを食らったような感覚が否めない。自分如きの虚勢は総て見透かされているとでもいうのだろうか?
さしもの天才魔術師もこの老獪なる紳士の真意をはかることは出来なかった。
「……はい、失礼いたしました」
飾り気のない使用人服の少女は、そう言うと悄然と座り込んでしまった。
表情こそ先ほどの能面のような顔に戻ってしまっているが、しかしどこかふてくされて黙り込んだ子供のようにも見えなくもないという気が、士郎にはしていた。
昨夜のことも含め、終始無表情を貫いている彼女だが、それでもまるで感情がないというわけではないようだ。
「君はどうかね? 遠坂嬢の話では君にも彼女たちと同様の権があると聞くが……」
急に水を向けられ、士郎はしばし言葉に詰まった。
「……じゃあ、昨日俺たちに昨日襲撃をかけてきたのは……」
念頭にあった疑問をようやく思い出し、やや遅れて問いかけた。すると真っ先に声をあげたのはテフェリーだった。
「昨夜のことは、……私の独断です」
そして色違いの瞳の少女はまた謝罪の言葉を繰り返した。
「……どうやら勘違いを起こしたようでな。わしが到着する予定だった今日までは動くなといってあったんじゃが……」
テフェリーは未だに頑として無表情を保ち続けてはいたが、白い頬には僅かに朱がさし、眼を伏せがちに俯いてしまった。どうやら彼女なりに己の失態を恥じているようであった。
士郎はあらためて昨夜のことを思い出しながら考えをめぐらした。いきなりセイバーに襲い掛かってきたことは簡単に流せることではなかったが、昨夜のセイバーの疲弊具合、あのアーチャーの驚異的な戦闘力、そしてセイバーと互角に渡り合って見せたランサーの手練。もしもあのランサーが味方につくというのなら昨夜のことをなかったことにしても余りある利得なのではないか、とも思えた。
確かに、セイバーが狙われているのも事実ではあるのだ。それは同時にセイバーのマスターである凛を、否この街に存在する総ての魔術師を儀式遂行の障害として排除する構えなのだと見ておかしくはない。
そのとき、静かに話を聞いていたセイバーが、今度は客人である老紳士とその使用人の少女へ向けて質問した。
「ランサーが同行していないのはなぜなのですか」
「それは……」
その指摘を聞いた途端、テフェリーの鉄面皮にさらに朱が指し、うろたえたように言葉尻を濁した。
そういえば確かに、昨日見た灼熱の気配は何処にも感じられない。いかに目的が交渉だとはいえ、サーヴァントを伴うこともなく相手の居城に赴くなど無謀もいいところである。
老紳士の後ろに控えていたテフェリーは、とうとう口ごもるように謝罪の声を上げた。
「……申し訳ありません、マスター。私は本当に偵察を命じただけだったのですが……」
顔にさしていた朱がいまや耳朶まで広がり、声を上ずらせてしまう。
「まぁ、なんぞ寄り道でもしとるんじゃろうな。どの道、話し合いの席にはアレは不要じゃろう」
老翁は何の気もなしにさらりとそう言った。散々な言われようではあるが、昨夜直接対峙した士郎には頷けなくもないことだった。確かにあのランサーが交渉の席で大人しくしているような手合いだとは思えない。
しかし、ともすればこの場で戦闘になる可能性とて無くはないこの状況で、なおも悠然と構えていられるこの老魔術師の胆力こそ驚嘆すべき点であろうか。
「凛の心は決まっているのですね」
セイバーはその碧眼を真っ直ぐに向け、改めて主に問う。
「……ええ。逆にこっちから打って出る。この冬木の地でそんな勝手は許さない。当然、排除するに決まってるわ!」
遠坂の家門は代々この冬木の地のセカンドオーナー、即ちこの地における霊脈の管理と怪異の監視を魔術協会から委任されてきた責任職にある。当然この地で何の断りもなく勝手を始めようなどという輩は速やかに排除する義務があるのだ。
無論、敵もそれを見越してこちらを排除対象としているのだから、どの道戦闘は避けられない。
「異存はある? セイバー」
「いえ、私もあのアーチャーとの件をこのままにしておくつもりはありません。凛の方針は願っても無いことです」
意見を束ねようとしている少女たちを余所に、士郎はまた老紳士に向けて言葉をかける。
「そういえば、聖堂教会や魔術協会はどうなってるんですか、まさか野放しにしておくとは思えないけど」
「魔術協会のほうにはワシから言伝しておいた。儀式の間は放っておけとな。見返りにワシが聖杯を手に入れたならそれを譲る、ということで決着もしておる」
「え?」
「とはいっても先にも言ったとおり、この擬似的な聖杯戦争で聖杯を降ろせる可能性はほとんどない。
向こうも、万が一それで聖杯が手に入ったなら良し、駄目なら駄目でそのときはワシとサンガールの家をまとめて封印指定できるというわけだ。
協会にとっては、枯れかけの家門なぞは衰退するよりも検体となってくれたほうが旨みがあると考えとるんじゃろうな。実は遠坂嬢への説得もついででやっておけということでな。協会は一切の関与をしないから遠坂の家と協力して怪異の漏洩は避けるようにとのことじゃ」
それを聞いた士郎は、傍らの凛に視線を移す。
「じゃあ、協会からも今回のことは協力するように言われてるのか?」
「協会からの辞令には好きにしろって書いてあったわ。余計な干渉はしない代わりに総てのことは自己責任でってことなんでしょうね」
つまり協会はもう聖杯を降ろせる可能性の無い冬木よりも、今回の儀式で手に入るかもしれない旨みのほうを優先したことになる。らしいといえばそれまでだが、魔術協会の体質には知れば知るほど辟易することも少なくない。士郎は改めてそんな思いに捕らわれた。
「聖堂教会のほうは?」
「協会のほうから圧力をかけるくらいのことは頼んでおいたが……どれほど効果があるかは定かではないな。もしかしたら教会の連中が大挙して介入してくる可能性もあるが……何せ今回のことは『宝典』が聖杯の真似をしとるだけじゃからな。奴らが本腰を入れるとも思えん。まぁ、こればかりは邪魔が入らんことを祈るしかあるまいな」
「随分ずさんな話ですわね。ミスター」
棘のある言葉に再度、眉根を寄せて反応したのは声を掛けられた本人ではなく、またもや傍に控えた使用人だった。しかし当の翁はさして斟酌した様子も無く、
「なにぶん、急を要したものでな。万事万端というわけにはいかなんだわ」
と嘯くだけであった。
「――さて、どうだろう。サンガールの魔術師共は君たちを障害としか見ないだろうが、私は味方として君達と協力し合いたい」
老紳士は老獪な微笑もそのままに、凛を含めた三人にそう問うた。
「士郎はどう? 私達の意見は決まったわ」
「ああ、オレも共闘については文句ない……けど」
そして最後に士郎が聞いた。
「ワイアッドさん、あなたは何でこの儀式に……」
そう、今までの話では肝心のワイアッドの目的が語られていない。この儀式を戦い抜いて彼が得る報酬とはなんなのであろうか。
「……この年になると、いろいろとしがらみも多くてのう」
しかし、老紳士はそれ以上なにも語ろうとはしなかった。