Fate/after Silent Noise (フェイト/アフター サイレント・ノイズ) 作:どっこちゃん
明け方の深山町の一画には一面に
ここは昨夜、何の兆候もなく上がった火の手によって一帯を火に巻かれ、逃げ遅れた三人の住人が無残な焼死体と成り果てた場所である。
既に現場検証も終わり、辺りには人影はない。近日連夜冬木市のあちこちで頻発する火災や小火騒ぎに言い知れぬ不吉を感じていた住人たちは、一度は野次馬として火の手の周りに群がったものの、次第次第に真っ黒に焼け焦げた現場を避けるようにして立ち去っていったのだった。
しかしその空気までもが燃え殻の匂いで煤け立つ、総てが黒く焦げた空間の中でただひとつ趣を異にするオブジェがあった。それは黎明に照らされる青白い女の顔だった。
その白い貌にはまるで生気がない。いかにも女性らしい柔らかにして豊満な肢体は身じろぎのひとつもすることがない。それも当然だ。それは死んでいるのだから。そこにあったのは紛れもない死体であった。
しかし奇妙な話であった。一面火の手に焼き尽くされた世界にありながら、火傷一つしていないところを見ると火が鎮火した後にわざわざこの現場に訪れ、その後にこの場で事切れたということになる。
さらに奇異というべきなのは、その身体には火傷のみならず他にも一切の傷がなかったことであろう。
蒼白に染まり、驚愕のままに眼を見開いたそのままの形で硬直した女の顔は他ならぬサンガール次代の四人の後継者の紅一点ベアトリーチェのものであった。
そのとき横たわる女のすぐ傍に、煤を吹き飛ばす勢いで彼方から降り立った物があった。
よもや砲弾かと見紛う程の豪速で飛来したそれは、あろう事はそのまま揺ぎ無く立ち上がると、女の顔を覗きこめる位置にまで歩を進めたではないか。
それは昨夜、近隣を馳せ廻りながらあの老魔術師と闇夜の追走檄を演じたモザイク柄の怪人であった。
「……首尾はどうなっている」
横たわる女の傍らに立った男は、死者意外には無人の薄闇しかない虚空に声をかけた。すると煤けたしじまの一角に蹲っていた暗闇の中から、スッと立ち上がったものがあった。
影から浮かび上がったのは黒衣に身を包んだせむし男であった。――サーヴァント・アサシンである。
実体化を果たした髑髏の面の下からは、ひどくしゃがれた老獪な声が返ってきた。
「手はずの通り、仕留めましてございます。主の仰るとおり、絹程の手ごたえもありませんでしたな」
「そうか」
背後のアサシンのほうには目もくれず、声だけで首肯した怪人は女の傍らに屈み込んだ。そしておもむろに死体の胸の辺りに手を置いた。するとゾブリ、としゃくれるかのように手は沈み、次に手が引き抜かれたときそこには、煌めき硬質な質感を伺わせる何かが握られていた。
「主よ、それは……」
「知る必要はない」
訝るような従者の声に取って返したのは、一段と厳しい巌のような返答であった。
「……仰せのままに」
歪躯の影はかしこまった。確かに不用な発言だった。この暗殺者にとって事の仔細など無用なのだ。ただ殺す、故に我、無謬で有るべし。それがこの伝説となった暗殺者達の教義の極みなのだから。
「――して、主よ。こちらはどういたす?」
見ればそこにはアサシンの実体化と共に現に浮かび上がったものがあった。それは拘束された女の姿であった。和装の女だ。まるで灰に塗れたかのような色合いの女だった。
髪も、肌も、装束も、ごっそりと色が抜け落ちたかのように仄白く染まっていた。さらにその存在そのものが今にも消え失せそうなほどに希薄になっていたから、なおさらにそう見えるのだった。
だが女は幾重にも厳重な拘束を受けながらも、それに反目するような意志を持ち合わせていないようであった。ただぼんやりと呆けたように目を細め、まるで今にもまどろんでしまいそうにも見える。
その眼には狂人の相が見えた。狂女だ。この女は理性と意志を剥奪された物狂いの眼をしているのだった。
聖杯戦争におけるサーヴァントのクラスには相対的な相性と言うものが在存在する。それは決して絶対的なものではない。——が、しかし考慮に入れてしかるべき要因ではあるといえる。
最も顕著な例はセイバーとキャスターの相性だろう。基本的に高い対魔力が設定されているセイバーのクラスには魔術を基本戦法とするキャスターのクラスは圧倒的に不利な状況に立たされるという具合である。
それと同様にバーサーカーのクラスに対して最もアドバンテージを獲得できるのがアサシンのクラスである。そもそもバーサーカーは狂化と引き換えに攻撃力を倍化したサーヴァントであり、制御できるかどうかが勝利の分かれ目となるクラスである。
敵を粉砕するための真っ向勝負でならばセイバー、ランサー、アーチャーの三騎士すらも打倒し得る可能性をもつバーサーカーであるが、しかしマスターの護衛という面においては全クラスの中で最も拙いといわざるを得ない。
ましてや、それが暗殺という細心の注意を払うべき間者の凶刃となると、狙う側からすればそれこそザルとしか言いようがない。
果たして、此度の聖杯戦争においても狂戦士のサーヴァントは己の主を守りきることが出来なかったのであった。バーサーカーはその見えず、聞こえず、触れることすらできない凶手に気付くことも出来ず、主であった女は自身ですら知らぬ間に黒衣の暗殺者にその命を掠め取られたのだ。
上記のクラス間の相性によってバトルロイヤルの常道に倣うなら、このバーサーカーに出来る限り敵を倒させてから、最終的に労せずこの敵を殺すのが最良の手である。
しかし、昨夜命からがらの逃走を計りながらも、この怪人は不可解な炎と共に己の眼前に現れた灰色の女が狂戦士のサーヴァントであることと、その
その刹那、彼の脳裏にはさらに上質の閃きが生まれていたのである。
男は厳重に呪符帯で拘束されながら、抗うこともせずぼんやりと佇んでいる和装の狂女の前に進み出た。そして横たわる女から千切り取った三画の刻印が刻まれた手首を、虚空を抉るかのように突き上げた。
やおら炎に包まれたそれを頭上に掲げて、モザイク柄の男——D・Dは新たなる己の僕に最初の命令を下した。
「――これより、我を唯一の主とし、我が命に従うのだ。バーサーカーよ!」
ほの暗い灰白色の肢体に一点だけ浮かぶ赤い唇が、それに応えるかのようにそっと微笑んだ。
ただ妖艶に、