Fate/after Silent Noise (フェイト/アフター サイレント・ノイズ)   作:どっこちゃん

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 ※我らのセイバーがガチでボコられるシーンがあります。一応気を付けてください。


一章 過加速「ディーン・ドライブ」-9

 

 

 不可視の剣閃が奔った。夜陰を裂く切っ先が、夜の漆黒に浮かび上がる益荒男の輪郭を捉える。

 

 対峙は一瞬。先手後手の駆け引きは刹那の内に結実した。

 

 セイバーは颶風もかくやという速度でアーチャー目掛けて突貫し、瞬時に一足一刀の間合いまで詰め寄った。

 

 その選択は何処までも彼女らしく愚直であり、同時に剣士が弓兵に対して取る戦法としてはあまりにも至極当然、かつ効果的なものであるはずだった。

 

 無論、いかな敵が相手であろうとセイバーの取りうる戦法は唯一にして絶対の一であり、それ以外の処方など彼女の王道には必要ない。

 

 しかし、夜に溶けるような斬撃がアーチャーの身体を捉えようとしたそのとき、巌の如き黒檀色(エボニー)の肉体が何の予備動作もなく中空に浮き上がり、波うねり星を呑む水面の如く躍動し、旋転した。

 

 途端、セイバーが放った筈の剣線がその軌道を弾かれ、予期し得なかった衝撃にセイバーはたたらを踏んで後退った。

 

「――なっ!」

 

 セイバーの不可視の刃を弾いたのはその身体同様、漆黒に変じたアーチャーの右足であった。つまりは――刃そのものを裸足による蹴りによって打ち払ったというのだろうか?

 

 まさか、という思いがセイバーをして思考を滞らせるほどの驚愕をもたらした。その驚愕をも置き去りにするかのように、アーチャーは立て続けに拳足による連打を放ってきた。

 

 セイバーの当惑を他所に、射撃をその戦術の主体とするはずのアーチャーが距離を空けようとするのではなく、逆に詰めてくるのだ。

 

 驚愕は当惑へと変わり、さしものセイバーも憮然とならざるを得ない。これはどう考えても愚行としか受け取れない行為だ。

 

 戦略上、弓兵が剣士の制空域にその身を曝しながらそれでも前進してくるなどとは、もはや奇策を通り越して狂乱の行いとしか言いようがない。 

 

 当然の対処としてセイバーはすぐに迎撃の態勢を整えようと、剣を振りかぶるために半歩分距離を開け――――またすぐに半歩後退し、さらにもう一歩下がる。そこでようやく、セイバーはある事実に気付いた。

 

 ――剣が、振れない!?

 

 そこでセイバーもようやくこの戦況の如何に危機なるかを察した。が、時既に遅くその双眸には苦悶の相が刻みこまれていく。

 

 意外に思われるかもしれないが、槍などの長物よりははるかに小回りが効くとはいえ、長剣もまたその威力を充分に発揮するにはそれなりの有効距離を確保することが必要になってくる。

 

 いかな形状であれ、それが剣である以上、剣先が充分に加速した状態でなければ求める破壊力は生まれない。それは至高の宝剣たるセイバーの宝具であっても変わることのない道理だ。

 

 故に組み付ける位置にまで潜り込んでくる拳士に対して、剣士が取りうる有効策は多くないのだ。剣を振るう隙間さえない、ショートレンジよりもさらに密着したクロスレンジでの格闘戦こそが、この場で取りうる最上の策。この弓兵はそう断じたのだ。

 

 もっとも剣の英霊に据えられるだけの英霊に対して、徒手空拳で近接格闘を仕掛けるなど、本来なら正気の沙汰ではない。

 

 とはいえアーチャーは決してセイバーを侮っていたわけではない。むしろ十二分にその戦力を評価したからこそ、この選択なのである。

 

 現状、単純な剣士としての彼我の能力差は歴然である。そのような相手に剣を持って相対するは愚行でしかない。故に――この間合い。

 

 たとえ宝具による規格外の頑強さを誇ろうとも、セイバーもこの敵を弓兵と認識した時点で、この戦いが引き下がる敵を『追う』ことに終始するものになるだろうという予想を懐いていた。しかし、この弓兵は引かなかった。むしろ逆にセイバーの小さな懐に目掛けて強引にその屈強な五体をねじ込んでくるのだ。

 

 次いで、セイバーの両腕の隙間から強引に割り込んできた何かが、彼女の細い顎先を掠めた。

 

 それは巌の如き拳骨であった。

 

「――くッ!」

 

 一瞬の陶酔にも似た感覚に更なる後退を余儀なくされたセイバーは、混濁した景色の只中に陽炎の如く爆ぜる漆黒の肉体を見た。

 

 鋭角に切り込んでくる膝と肘、拳と踵の打突が依然として剣を振るうに足る間合いの確保を許さない。

 

 凄まじい圧力を持って迫る黒曜石の剛体。さらに漆黒の金剛石を思わせる拳打が僅かにこめかみを擦過した。それだけでセイバーの視界は歪み、用を成さぬほどに変溶する。

 

 次いで雪崩れ込んでくる肘打ちと膝蹴りによる超至近距離でのコンビネーションの猛攻に、振るうことの出来ぬ不可視の剣を盾にするようにしてセイバーは守勢にまわるしかない。

 

 そうして僅かに傾いだセイバーの体制をすかさず見咎めたアーチャーは、まるで砲撃のような蹴りの突き上げを放ってくる。

 

 旋視。翠緑の眼光が翻る。セイバーは咄嗟にその背足を剣ではなく足裏で捕らえようとした。このまま敵の蹴り足の勢いを利用して一気に間合いを開けようと、考えに先んじて体が行動していたのだ。

 

 しかし、足場にしようとした敵の剛脚は矢庭に静止し、跳び退ろうとしたセイバーの勢いを削ぐ。不意に首の後ろ回された漆黒の両手が、がっちりとセイバーの身体を固定した。

 

 失策を理解するより先に危機感が先んじて、セイバーは咄嗟に左手の篭手で体の前面を固めた。先ほど振り上げられようとした蹴り足は今度は折り曲げられ、よりコンパクトな膝蹴りとなって強靭に押さえ込まれたセイバーの矮躯を突き上げる。

 

 首相撲の形から連続で繰り出される膝蹴りは、ガードしている銀の篭手ごとセイバーの腕を粉砕してしまいそうなほどに苛烈であった。

 

「――ッッッ!」

 

 しかし今度は逆に凄まじいまでの衝撃がアーチャーの鳩尾を捉えた。勢いづくアーチャーへ、負けじとばかりにセイバーが放った打突である。

 

 使用したのは剣の柄頭だ。これなら剣先を加速させる必要はない。しかし本来なら四五メートルは吹き飛ぶと思われた手応えに反し、弓兵は依然として超至近距離の間合いを崩していない。

 

 なぜなら、そのエボニーの右腕は篭手に包まれたセイバーの右手首を、特大の鉄錠の如く掴み執っていたのだ。

 

 刹那の間すら置かず、漆黒の光沢が閃いた。今度は左腕の肘だ。予備動作さえ知覚させない剃刀のような振り抜きが、今度こそセイバーのこめかみを捉えた。

 

 天地が反転したかのような衝撃が見舞われ、しかしすぐに消えた。すると今度は視界が一瞬にして消失し、ただ白い空白だけがセイバーの思考を覆っていた。完全な死に体だ。

 

 弓兵はさらにそのとらえた右手を引き込み、右踵、左膝、打ち下ろしの左肘を連続で頭部へと叩きこむ。そして、そのまま傾いだセイバーの矮躯を組み敷こうとした。

 

 ――が、その直前、意識の完全な死角からその側頭部に見舞われた凄まじいまでの衝撃によって、アーチャーの身体は今度こそ彼方まで吹き飛ばされ、錐揉みしながら二転、三転して地に叩きつけられた。

 

 アーチャーを吹き飛ばしたのは、セイバーが左手に執っていた不可視の剣だった。

 

 敵の猛攻によってその身をくの字に折り、敵を見失ったセイバーではあったが、ただその未来予知に近しいとさえいわれる直感によって敵の位置を断定し、狙いもつけぬ横薙ぎの一閃で屈強なアーチャーの身体を打ち飛ばしたのだ。

 

 

「ヌハッ! 見たかマスター、今の! ありゃあ、相手を見てすらいなかったッ。セイバーの奴め、勘で当てたのか?」

 

 先の咆哮で怒気をあらかた吐き出したのか、傍らで息を呑むテフェリーを他所に、ランサーは打って変わって嬉々とした感嘆の声を漏らした。

 

 そしてひとしきり笑ったあとで、呆れたように嘆息して、再び起き上がったアーチャーのほうを見た。

 

「――しっかし、あっちはあっちでホントに頑丈な奴だなァ、おい。いったいどうなってやがるんだか……」

 

 セイバーが形振り構わず放った一撃がまともに頭部を直撃したのだ。本来なら首から上が消し飛んでもおかしくはないはずなのだが、実際にアーチャーの身体に残る斬撃の痕跡はひいき目に見てもかすり傷としか見受けられない。どうにもあのアーチャーの耐久力は常軌を逸しているように思えてならない。

 

「……おそらくは何かしらの宝具によるものでしょう。あのアーチャーの肉体そのものがある種の概念、(ことわり)によって守られている……」

 

 同じく当惑していたであろうテフェリーがその怪異について生真面目な考察を述べてくる。

 

「んー、一種の概念武装……ってことか。確かに、ただ硬いってんじゃなさそうだが……。しかし、どんな(ルール)があるのか解からんことにはなァ……」

 

「少なくとも、効果対象にはムラがあるようですね。セイバーの攻撃がほぼ無効化されているのに対して、ランサー(あなた)の攻撃はそれなりに効いているようです」

 

 かすり傷程度、皮一枚を裂くセイバーの剣に対して肉を抉る程度には通用していたランサーの戦斧。もっとも、どちらにしろ超常兵装たる宝具を持ってつけられたとするならばありえないほどの軽傷ということになる。

 

「それは――、アタシがすんごく強いからっ、て説はどうだい?」

 

 ランサーはニッと口の端を吊り上げるようにして微笑む。その微笑は美貌の戦人というよりはまるでおどけて見せる少年のようだ。

 

「……比較対象があのセイバーでなければそれも一考の価値がありますが……もっと、何か明確な基準があるはずです……」

 

 生真面目に返すテフェリーに、ランサーはさもつまらなそうに鼻を鳴らして、更なる戦火に眼を向けた。

 

 視界の揺れが収まったセイバーの双眸は、起死回生の一撃を見舞った痛快さとも趨勢を持ち返した余裕とも無縁であった。むしろその眉間に刻まれた皺はその深さを数段増している。

 

 セイバーは油断なく身構えながらも不可視の剣を右手に持ち替え、右半身の体で左手を篭手の中に握りこみ、敵の視線から隠す。その右手の篭手にもまるで獣の爪が食い込んだかのようなひしゃげた傷が残っている。

 

 ――硬い!

 

 奴を打ち据えたはずの左手が千の虫に這い回られるかのような、尋常ではないほどの痺れに見舞われている。

 

 ほんの束の間ではあるが、これではまともに剣を握れない。それを知られてはならなかった。しかし、あまりにも予想外の手応えだった。渾身の振り抜きが直撃したにも関わらず、打った手のほうが尋常でない痺れに見舞われるとは……。

 

 その規格外な頑強さにあらためて驚愕しつつも、セイバーの脳裏にはある疑問が沸き起こっていた。それは敵の不可解なに防衛力にでも、その近接戦闘力でもない。それはもっと根本的な懐疑であった。

 

 この選択が、アーチャーにとって利になるとは思えないのだ。

 

 いくらアーチャーが頑強な肉体を持っているのだとしても、この距離での格闘戦は明らかに悪手だ。先ほど見せた散炎の矢は、その拳足以上にセイバーにとって致命的だったことは火を見るより明らかだった。

 

 わざわざ危険を冒してまで近接戦を挑む必要などないではないか。むしろこの距離はセイバーにとっても反撃に転じる余地のありえる間合いである。

 

 セイバーにとっては有難い展開だ。彼女の攻撃も完全に無力化されているわけではない。たとえ皮一枚の攻撃でも、急所を捉えられれば趨勢が一発で逆転することも有り得るだろう。

 

 アーチャーがやったのは、そういう選択なのだ。なぜそんな危険を冒す必要がある?

 

 その判断が誤っていることくらい、このアーチャーほどの英霊がわかっていないとは思えない。

 

 それは、つまり――

 

 対して先ほど薙ぎ飛ばされた場所で悠然と立ち上がったアーチャーは、こめかみから流れる紅い血を拭うこともなく、地を這う蛇が如き動きで再び距離を詰めようとする構えを見せる。 

 

 しかし――

 

「――ッ?」

 

 しかし、セイバーは動かない。

 

「セイバー……」

 

 槍兵とのその主が両者の戦いを傍観しながらその戦力についての考察を続ける一方で、セイバーの主としてこの場に居合わせている少年、衛宮士郎は彼女らとはまったく別の視点から己が騎士を慮る声を漏らした。

 

 士郎が息を呑んだのはセイバーの劣勢を見たからでも、その身のダメージを案じたからでもない。ただ、その震える双肩が、どれほどの激情から来るものなのかを推し量ったからであった。

 

 その色のない視線だけが漆黒の化身王を見つめている。その眼に映る感情は闘いの歓喜でもなく焦燥でもなく、ただ鮮烈なまでの零下の怒りだけだった。

 

「――ッ!」

 

 アーチャーの挙動が射すくめられたように止まる。

 

「……どうした化身の王とやら、ここは貴様の間合いだ」

 

 それは、その挑発するでもなく揶揄するでもなく粛々と語るセイバーの語調が、焚きつけられるようだった鮮烈な視線が、そのとき決定的に変化していたことに気付いたからだった。

 

「侮るつもりか! 騎士王」

 

 やおら怒号の如き気を吐いたアーチャーへ、しかしセイバーはただ無言で色の無い視線を送る。その翠緑の瞳が語っていた。自ら動くつもりはない、と。

 

 セイバーはこの弓兵を前に自ら距離を取ったのだ。それは剣士である彼女にとってあらゆる意味で何の益特もない行為だと言えた。しかしセイバーの瞳には動揺も悔恨もありはしない。

 

 アーチャーは詰められない。そのセイバーの静かな瞳に、先のランサーの怒りとは全く別種の怒りの色を見ていたからだ。そこに込められたものがなんなのか察することが出来ず、アーチャーの身体はまるで凍りついたかのように滞った。

 

 しばしの間を置き、意を決したように眦を開いたアーチャーの左手から、やおら紅蓮の炎が噴き出した。その炎が逆巻きながら形を整え、一本の棒のような形を作り上げる。

 

 アーチャーが右手を添えるとその棒が三日月の如く撓り、赤火の羽毛が渦を巻く。そこには、いつの間にか美しい真紅の弦が張られていた。

 

 本人ですら気付いていなかったことだが、このときアーチャーは僅かに後退していた。彼は弓を執ったのではない、執らされていたのだ。前に出ることが出来ぬからこそ、弓を執る以外の選択肢がなかったのだ。

 

 瞬きほどの間、両者の視線が再び激しく交錯した。

 

 逞しい腕が真紅の絃を厳かに引き絞る。すると弓全体で燃え盛っていた炎が一点に集束するように沈静化し、絃が解き放たれるのと同時に倍する輝きを放ちながらひとつの紅い礫を吐き出した。

 

 

「……なぜセイバーがあんな選択をしたのかわかりませんが、どちらにしろ、勝敗は見えましたね。後はセイバーがどれだけアーチャーの実力をひきだせるのか……」

 

「あや? マスターはこの勝負がアーチャーのものだと思うか?」

 

 両者の激突が終盤に入ったとみるテフェリーの言葉に、ランサーは胡乱な声で揶揄するように返す。

 

「だからあなたの……いえ、今はいいでしょう。ここから勝敗が動くことがあるというのですか? アーチャーは攻守そしてさらには距離において優位に立ちました。セイバーのポテンシャルは侮れませんが、さすがに手詰まりでは?」

 

「賭けるか?」

 

「なにをです」

 

「それはおいおいな。……勝ってから考えるとしよう」

 

 言って、ランサーはむふりと笑う。

 

「誰もやるとは言っていませんが……、ではあなたはセイバーがここから勝つというのですか?」

 

「無論だ」

 

 考えるまでもないと言わんばかりのランサーの言にテフェリーは逆に考え込んでしまった。ここからセイバーが逆転するには戦闘のスタイルを変えるか、もしくは何か敵の意表をつくような切り札に頼るよりほかないだろう。

 

 ランサーは未だ隠されたセイバーの奥の手を知りえたというのだろうか? この劣勢を覆すほどの……。

 

 

 疾走するセイバー、そして迎え撃つアーチャー。決闘の趨勢はようやく剣対弓の本来の形態へとなっていた。

 

 今度の戦いも最初のランサーとの攻防の焼き増しになるかと思われたが、セイバーの突風の如き前進は次第に滞り、ついには走りとも呼べぬものへと変わっていく。

 

 炎翼の弓から放たれた紅弾は宙空で炸裂し無数の烈火の雨となって、衝角としてセイバーの身を守るはずの風王結界を、身体を包む白銀の甲冑を、見る見るうちに食い荒らしていく。

 

 さしものセイバーも、この怪異なる紅蓮の群焔にその歩みを阻まれざるをえないのだろうか? 

 

 ――否、止まってはいない。前進の速度は最初の颶風を纏いたそれとは比べるべくもないが、それは同時に揺るぎのないものへと切り替わっていた。その戦意は微塵も衰えることはなく、瞳は前だけを見据えている。

 

 襲ってくるのが点や線ではなく回避の叶わぬ面だというのなら、逆に己を一点の楔と成してその面を突き破るほかない! そう判断したセイバーは低く腰を落ち着けて愚直に歩を進め行くための戦法にきりかえたのだ。

 

 その様は、まるで真紅の豪雪を書き分けて突き進む除雪(ラッセル)車を想わせる。

 細かい動きはいらない。敵の攻撃が怒涛の如き烈火の雪崩だというのなら、真正面から受け止め蹴散らして前進するだけのことだ。

 

 余裕などありはしない。引けば、終わる。だからこそ進むのだ。前へ、ひたすら前へ歩を重ねていく。

 

 それこそが、この「天敵」を前にしてなお揺るがぬ騎士王の処方であった!

 

 火達磨にされ、幾度となく片膝をつきながら、それでもこの勝負、優位に立っているのは間違いなくセイバーのほうであった。

 

 英霊たちにとって、その属性も、持ちうる武装の差も、サーヴァントとしての相性さえも、勝敗を分ける絶対的な要素にはなりえない。彼らの戦いを分けるのはその誇りと信念だ。その点で拮抗するからこそ性能の違いが勝敗を決する要素となりえる。

 

 たとえ総ての能力で敵を圧倒していようとも、その心胆が歪んでいるのなら勝利を手にすることなど出来はしない。それは英雄として伝説にその名を刻む者たちにとっての絶対の不文律に違いない。

 

 ――だからこそ、セイバーの眦には深い苦悩の色が刻まれていく。敵の攻撃がその身を削るからではない。怪炎がその魔力を食い荒らすからではない。

 

 その総身は紅蓮の炎に燋爛し見る影もない。にもかかわらず、不利を承知で矢面にたったはずのセイバーの瞳に浮かんでいるのはひどく悲しげな憐憫の色であった。

 

 ただ、哀れだった。そんなことを、そんな英霊として当然のことを違えてしまうほどに己を見失っているこの男が、セイバーは哀れでならなかった。

 

 セイバーはそれ以上の前進をせず、アーチャーも弓を引くことをやめていた。

 

「――アーチャー、先ほど問うたな。侮るつもりか、と。その言葉そのまま反させて貰おう! 迷いを残す拳、気迫のこもらぬ射、それが侮辱でなくてなんだというのだッ」

 

「――――ッッ!」 

 

 憤怒を湛えるセイバーに一括され、アーチャーは呆然と眦を見開いた。

 

「この闘いを穢したのは貴様だ、アーチャーのサーヴァントよ!」

 

 漆黒であったアーチャーの体色が、元のそれへと戻っていく。黒から青銅へ、そして今や色あせたようにさえ見える褐色の身体へ。

 

 剣と拳を交えながら、セイバーには解かったのだ。頭で理解できたわけではなく、直感的に悟ったといってもいい。今のこの男の行為の元にあるもの。それは(やま)しさだ。

 

 この男は己の行いに負い目を残しているのだ。そのために英霊同士の真剣勝負に軽薄な手加減を加えたのだ。

 

 セイバーにとってそれは耐え難い行為であった。しかし本来ならば全身を引き裂かんばかりの怒りがその総身を駆け巡る筈が、いまのセイバーの内側を占めているのはなぜか哀しさだった。

 

 自分でも理解できぬままに、やり切れぬ悲しみがその胸を埋め尽くしている。

 

 この男の在り様があまりにも滑稽に見え、直視できぬほどに哀れだと感じられて仕方がなかった。

 

「――そうか。……この勝負、始める前から某の負けであったか。いや、そもそも、この穢れた身体で其処許ほどの英霊の前に立つべきではなかった……」

 

 呟いたアーチャーに、セイバーは慰めにも似た悲痛な言葉を絞り出した。

 

「……もうやめろ。そうまでして、自らの道に背いてまで戦うな。……そうまで己を蔑ろにしてまで手に入れた聖杯に、貴方はいったい何を望むつもりなのだ……」

 

 セイバーの懐く表情は怒りや悲しみを通り越して、既に憐憫に近いものになっていた。

 

 それぞれの武を交えることでセイバーは知ったのだ。対峙するこの男が己の信念とは別のところで行動していることを、そして、その行為を自らが納得できぬ行いに手を染めているということに。

 

「答えろ化身の王! 己が王道を辱めてなお求める奇跡とはなんだ。貴様の本当の目的は!」

 

 再び双瞳を真紅に変じたアーチャーはしばし押し黙り、セイバーの瞳を見据え、観念したかのようにゆっくりと口を開き、さも重そうに言葉を吐き出した。

 

「某は……聖杯を、求めはせぬ」

 

「ならば……なぜ貴様はここにいる!」

 

「……責務ゆえ」

 

「……どういうことだ?」

 

「この身に残されているのは、もうそれしかないのだ。……今、某に指示を出しているのはこの身を召喚したマスターではない。某は……元のマスターをみすみす見殺しにしてしまった」

 

 沈鬱に、今やただの男となった魔人は語り始めた。

 

「総ては某の迷いがもたらしたこと。その迷いがこの世に現界してなおこの両の手を惑わせたのだ。その隙に、我がマスターは命を落とした。総ては某の不徳が招いた事。悔やんでも悔やみきれぬ……。

 だが、そのまま消滅しようとした某に、この儀式の監督役なる者が声を掛けてきたのだ。もしも己の不徳を悔いるというのなら、先のマスターの遺志を尊重するためにも儀式のガーディアンをつとめろ、とな。

 ……故に、今の某は先の不徳を雪ぐために責務を果たそうとしている次第なのだ」

 

 それを訊きながら、セイバーはその言裏に何があるのかを想っていた。この男が欺こうとしているのはきっと己自身なのではないだろうか。

 

 それはつまり、己の捨てきれぬ願望を疚しいと思うからなのか。心に覆い隠したいと思うことがあるからこそ、己を正当化するために自覚せぬうちに虚偽を重ねる。――英霊にあらざる行為だ。ましてや王を名乗る英雄ならばなおのこと! 

 

 だが、その血を吐くような言葉が虚偽に重ねてさらに上塗りされた虚言だというなら、この英霊は己を欺いてまでいったいなにをひた隠そうとしているのか。セイバーにはそれを推し量ることが出来ない。

 

「そして、なによりも……、我が望みは……叶うべきものでは……ない」

 

「!?」

 

 誰に向けるでもなく、むしろ己に言い聞かせるかのように絞りだされた言葉だった。アーチャーはそれ以上の言葉を発することなく、ただその烈火の如き瞳を伏せ、口をつぐむばかりだった。

 

 どれほどの間、闇に伏すように沈黙していたのだろうか。ふと、アーチャーは何かに気付いたようにあらぬ方角を仰いだ。

 

 ここからは何も見えなかったが、鷹の目とも称されるその視力によって何かを捕らえていたのだろうか。そして遠くから聞こえてくるサイレンの音。サーヴァント達だけが遥か遠方より届くそれに耳をそばだてた。

 

 アーチャーはそのまま何も言わずに霊体化し、その場立ち去った。

 

「ランサー、なんなのです? ――――まさかッ!」

 

 そこでテフェリーもある可能性に行き当たり、憮然と彼方を仰いだままのランサーに向き直った。サーヴァント達がその見つめる方角に、凶気を見たのだ。

 

「ランサー、マスターは今どこに?!」

 

「ん。……確かに向こうの方にいるな。まァ、別段負傷してるってわけじゃあなさそうだが……」

 

「――――では、すでにこの地に?! ――それも戦闘中だというのですか?! なぜ言わないのです!」

 

 すぐに鋼糸をひらめかせて虚空に跳ねあがった少女は、そのまま銀色の軌跡を描きながら、まるで飛ぶように夜を駆ける。

 

「来なさいランサー! 何をしているのですか!」

 

「やァーれやれ。ったく、今宵は邪魔の多いことだ。……預けたぞ、セイバー」

 

 心底からの深い溜息を残して、ランサーもその後を追った。その輝きの残り香だけが夜を眩く彩っていた。

 

 そして辺りには最初のようにセイバーと士郎、二人だけになった。

 

 途端に装甲を霧散させたセイバーの小躯が、糸の切れた人形のように崩れ落ちた。その身体を、駆け寄った士郎が受け止め、支える。

 

「セイバー!?」

 

 あのアーチャーの怪異なる火箭は、もはや己の身を支えることも出来ぬほどにセイバーの身体を蝕んでいたのだ。

 

「セイバー、どうしてこんな無茶を……」

 

「申し訳ありませんでしたシロウ。……引くわけにはいかなかったのです。断じて、あのアーチャー……化身の王と名乗るあの男の前から、私は引くわけにはいかなかった……」

 

 その声にはただ負けられぬという矜持だけではなく、どこか義務感のようなものさえ感じられた。ただ、セイバー自身にもそれがなんなのかを未だに知ることができないようであった。

 

 残された士郎達の胸中を占めるのは疑問だけだった。いったい、この冬木の地で再び何が始まっているというのか。――

 

 




 一章はこれで終わりになります。
 しかし読み返してみると、果たしてセイバーの性格はこれでいいのだろうかと思えてきますね。ですが、根本的に書き直すのはアレなのでこのままでいきます。うちのセイバーはこういう感じなんだということでご了承ください。

 あとで現時点でのサーヴァントステータスも上げておきます。


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