Fate/after Silent Noise (フェイト/アフター サイレント・ノイズ) 作:どっこちゃん
サイレント・ノイズ。――そんな怪談めいた噂が流れ始めたのはいつのころからだっただろう。
午前零時を過ぎると何処からともなく流れ始める、『耳』では聞こえない、聴覚では捉えることの出来ない、それでも何かしらの感覚に、確かに響いてくる
それが流れる間は決して外に出てはいけない。そのノイズにまぎれて、助けを呼ぶ声までもが、掻き消されてしまうかもしれないから――
――サイレント・ノイズ――それが怪異の始まりだった。
プロローグ
――その剣閃は稲妻であり、対する怒号は地響きのそれに似ていた。
続けざまに弾けた剣戟の音は幾重にも連なり重なって、烈震する大気の怒濤となった。
それはこの世界そのものを削り取って侵食し、また新たな秩序を形成しようとするかのような、人ならざるモノの姿を夢想させた。
それはまさしくこの現に再現された創世の模倣であった。しかし、それらは怪異ではない。決して、怪異ではないのだ――。
夜の天蓋には眉のように薄く細い月が見える。
今宵は
――時候は、半年程前のこと。
そこはいくつもの西洋式の墓石が並び立つ場所であった。墓所であろうか。俯瞰の先に水平線を臨む高台に設えた、物悲しさを無言で綴る永劫の暗所であった。
しかしこのときばかりは、潤んだ様な月光がその暗鬱とした地表に注がれているようであった。ほのかな光が無人の墓所を芒と彩っているのだ。
否、そこは本当に無人なのだろうか? 高台を照らしているのは月の光だけではなかった。そこには確かに輝きを放つものがあったのだ。
月光に紛れるように、月光を弾くように、月光を呑むようにして、そこに微細な光を撒いて駆動する二つの影があった。
照らされた高台にはそれ以外の影は絶無であった。そう、唯の二つ、薄闇の中に並び立つ彼らの姿を除いては。
内、一つは「巨人」であった。その巨躯は小山程もあろうかと見受けられた。天をつくような屈強な裸体は凍てつく外気に晒されてはいたが、そんなことを露ほども気にかけることなく、
その有様は、まるで飛燕もかくやというほどの奇怪なまでの軽妙さを想わせた。
もう一つの人影は勇壮な西洋風の甲冑を着込む人物だった。まるで中世の騎士を想わせる姿だが、どちらにしろ、現代日本の情景には似つかわしくない装いであることは間違いない。
だが、比較対照が常軌を逸した巨人であったことを差し引いても、その騎士は殊更に矮躯であった。
煌びやかで頑強そうな装甲にその身を包んではいたが、その体躯は贔屓目に見たとしても成人前の少年のものとしか見受けられなかった。
確かにその双眸は若輩と称するには厳しすぎるほどの眼光を湛え、その身に纏う荘厳たる威光を主張してはいたが、しかしそのどこまでも白く、滑らかな輪郭には無視できない柔らかさが見て取れた。
その整いすぎた感のある美貌は、まるで儚げな少女のようですらあった。
暴風を纏う巨躯の益荒男と、輝光を放つ壮麗なる美剣士は一瞬たりとも
その巨人の駆動を巌の如き鉄塊の流動だとするのなら、その金の髪の騎士の疾走はさながら妖精の舞踏であった。その躍動はもはや、涼風に舞う綺羅星の瞬きだ。
時候は如月――未だ凍えるような寒さの染み付いた夜気の中で、その二つのヒトガタからはボイラーかと見紛う程の蒸気が発せられ、天の薄月へ向けて立ち昇っていく。
もはや人の身に宿せる熱量ではない。薄闇に躍動する巨人と騎士はそれぞれが大排気量のエンジンと変わらぬほどのエネルギーをその五体から炸裂させているのだ。
それらは幾度となく激突と排熱を繰り返し、それぞれの身体を烈火の砲弾と化して渾身の打突をぶつけ合う。
それは闘争だ。彼らがを執り行うのは、己が五体を駆使する中世の時代の前衛的な決闘だったのだ。なんという矛盾であろうか。それは人の手の届かぬ領域の闘争を思わせながら、それでもなお人の手によってなされるべき仕儀に則った凌ぎあいなのだ。
だがそれは決して怪異ではない。
なぜなら、それを執り行うものたちの存在それ自体が、この世の条理からかけ離れた、異なる次元のものだったからだ。
きっと、彼らはこの世のものではないのだろう。人とも思えぬ男の巨躯も、若輩の騎士が放つ輝きも、それは唯人との乖離を表す記号なのだ。
それは言葉にするまでもなくある事実を告げている。ならば仕方がない。地表すら割りかねない巨剣の乱打も、それをものともしない虚剣の残影も、それを執り行うものたちが此の世とは位相を異にする次元の住人――所謂『神』と呼ばれうる存在だったというのなら、いったい誰にその真偽を糾すことが出来るというのだろうか。
ただひとつ、この光景に明らかな怪異があるとすれば、それはこれらの存在が幽鬼の如き虚ろな陽炎ではなく、確かに肉の実態を持ちその大地を踏みしめていることであった――。
壁に設えられた巨大な立て鏡のスクリーンの中に、その光景はまるで映画のワンシーンの如く映し出されていた。
それは今まさに勝敗を決さんとする彼らの姿を克明に捉えている。拮抗していた筈の趨勢が僅かに傾き、小山のような巨躯が僅かに傾いだ。
瞬間、不可視のはずの剣が確かな刃のヴィジョンを振り乱し、凄まじいまでの閃光の連打と共にそこに叩きつけられようとした――そのとき、
それで、その戦いには終止符が打たれたらしい。閃光の去った後には既に希人たちの姿はなく、後に残ったのはその轟爆の跡とは思えぬほど静かに灯る燃え殻の臭いだけであった。
「……これか? 見せたいといっていたものは」
「はい」
応えたのは奇怪な声音だった。声からは男なのか女なのか判別できない、奇異ではあるが印象に残らない。それがかえって不気味な印象を残すような声だった。
老人は大柄な身体を僅かに揺すって、深く嘆息した。
互いの表情すら窺い知れぬであろう、澱んで粘りつくような闇の中で危うげに揺らめく蝋燭の明かりが、その中で微動だにせずにいる二つの影の輪郭を辛うじて浮かびあがらせていた。
「どうでございましょう、お館さま」
奇異な陰は問いかけた。ひずんだような返答はしばし惑うように滞った。声すらもが老いたような響きである。
「……我々はアインツベルンとは違う。きゃつらが二百年の時を費やしてなお届かぬ奇跡……そんな不良品は我らには無用のものだ。そのような不確定な奇跡など必要ない」
すると影のようなヒトガタの気配が僅かに微笑んだ、……かのように妖しく揺らいだ。
「お見せしたかったのはその過程でございます。御覧ください、七人の魔術師と七騎の英霊。それらが生死をもって雌雄を決する
それを聞いた老人は細待った目を見開き、動かぬ身体を震わせて身じろいだ。
「知っておったのか。……いや、わしの憂いなど、御主にはお見通しのことなのかもしれんな……」
自嘲するように気配を震わせた老人に、フードの怪人はただ恭しく礼を取って老人の問いを肯定する。
老人は苦しげな呼吸を落ち着けようとするかのように深く息を吐いて身をよじった。
それだけで体が半分鉛になってしまったかのような疲労感が押し寄せてきた。呼吸すらもが途方もない重労働のように感じられていた。老いたものだ。老人は再び胸の内にて自嘲を繰り返した。
きっとこの弱気の虫もこの老いが運んできたのだろう。いくら魔術師として条理の外を歩もうとも、いずれはこの身も朽ち果てるのだ。もう、そう遠くない未来に。それは確定したことなのだろう。それは構わない。既に百年近い時を生きた。既に己の運命については総てを受け入れている。しかし……
「……争えというのか……。後継者の座を巡って、決闘という形で決着をつけろと……」
苦しげに息を吐きながら、老人は震えるような声でいま一度問うた。
彼がこの今際の床に納まりながらただ一つ案じること。それは己が家門の行く末であった。そこに鬱積した暗雲のごとき澱。それだけがこの余命幾許もない老魔術師を未だこの世に引き止め続けるものであった。
瘧を孕んだようなその声を聞いた影はただかしこまるように身を縮めた……ように感じられた。
「私はただ……御館様の心の憂いを払えれば……と思い立ちました次第であります」
「…………」
それはつまるところ、次期当主の座を巡っての相続争いであった。
相続争いとは魔術師の家門に限らず、いつ、何処の家系に起こっても不思議のないものである。それがもたらす争いと混乱は古今東西の区別なく、歴史的に見てもその難しさには列挙の暇がない。アレクサンドロス大王やローマ皇帝の例に漏れず、生前築き上げた地位と財産が子息たちにもたらすものは総じて益得だけではないのだ。
このまま捨て置けば、いずれ後継者同士の争いにより家門が内側から崩壊する事態も考えられる。
さりとて、かつて見込みなしと見限った筈の四人の子息たちはいまや、それぞれが真っ当な後継者たりうる資質を開花させているのだ。
当初こそ、それを喜びはしたが、ここに来てそれが大きな問題となって残り幾許もない老魔術師の心胆を苦しめることになろうとは……。
決してこのままにはしておけぬ! が、さりとて如何なる手段を用いるべきなのだろうか。――この怪人、テーザー・マクガフィンから「見せたいものがある」との声が掛かったのは丁度、そんな鬱屈とした思案に耽っていた夜のことであった。
この怪人の素性はようとしてしれない。
常にローブと仮面で素顔を覆い、正体をさらさぬこの怪人を老翁が客人として己が領地内においているのには無論、それなりの理由があった。
「マクガフィンよ。なぜ御主がそこまで骨を折ってくれる必要がある? それに、なぜわざわざあのような辺境での儀式にこだわる?」
「それにつきましては、現時点で手を尽くせる最良迅速の手段を模索した結果としか申し上げられませぬ。そして彼の地を選びしは、彼方が如何な死地になろうともこの
「……うむ、それは誠に然り。」
「……加えまして、なにより、この事態の責は私にもあります故」
「なにを言う、なにを言うのだ」
怪人が洩らした、押し殺すような雑音に、老翁は巌のように凝り固まった面相を矢庭に歪めて苦しげな声の調子を無理に和らげようとした。
先述の如く、この老魔術師が日に日に細り行く己の命の灯火を明確に認識するようになったのはいつのころからであっただろう。
今になって思えば、それは突然に現れた、思いがけぬ安堵の念に、張り詰めていた筈の緊張の糸がフツ、と途切れてしまったときからであったかもしれない。
本来、魔術師の家門とはよほどの大家でもない限り一子相伝を徹底するものであるが、しかしこの老人の場合は少々事情が込み入っていた。
この老齢の魔術師が当たり前に望んだ、己が血を後世に伝えんがための後継者たちは、しかしそのことごとくが魔術師としての素養にめぐまれていなかったのである。何人もの妻を迎え、長年それをどうにかしようと精力的に手を尽くしてきたが、その総ては徒労に終わった。
その間にも無情なる時は光陰の如く過ぎ去り、彼を老いという終幕の袋小路へと追いやっていったのだった。
そんな矢先のことであった。もはや老い
何処からともなくふらりと現れた、見も知らぬ無頼の魔術師がそれをいとも簡単にやってのけたのである。その怪人は、名をテーザー・マクガフィンと名乗った。
「御主のおかげで枯れ行くだけかと思っておった我が一族に再興の兆しがみえたのだ。感謝こそすれ、怨むなど筋違いというものだ。
むしろワシは嬉しく思う。……思えば不運であった。計り知れぬ労を費やして十余の子を為したにもかかわらず、魔術回路を有していたのが僅か四人だけ、しかもそ奴らですら、とても魔術師として大成できるような素質を備えてはおらなんだ……」
言に上った「魔術回路」とは魔術師が体内に持つ擬似神経のことである。
生命力を魔力に変換するための路であり、人が魔術を使うために必要不可欠な機能とも言い換えられる。それはそのまま魔術師としての資質とも言いえるものであり、そのため魔術たちはより強力な魔術回路を持つ後継者をもうけるために優生学的な手段に訴えてまで魔術回路の増強に腐心するのである。
この魔術回路は生来増えも減りもしないとされるもので、ひとえに「内蔵」と例えられるのはそのためである。
しかし、その魔術師の常識をこの怪人は破って見せたのだ。以来、この怪人は客分という形でこのサンガールの城に逗留していたのである。
このままいけば久遠の時を待たずして『根源』に到達するものが居てもおかしくない。もはや閉ざされたとばかりに嘆くばかりだった家門の、血統の未来に光明たる道が見えた様な気がしたのだ。
生涯を持っても感じた事のない安堵が、翁の身体を包み込んだようだった。
きっと、この
しかし、そのおかげで予想すらしていなかった一つの問題が浮かび上がってきたのである。
今や後継者の権利を有するまでになった四人の後継者たちは、いずれも劣らぬ魔道の才を後天的に獲得してしまったのだ。
当初より万に一つの可能性を期して、四人の後継者へはそれぞれに魔術の知識だけは授けてあった。
そのせいで後継者たちは今やそれぞれに家門の高弟や財界のパトロン、果ては協会の有力者など、方々の後ろ盾を得た上で、己こそ後継者に相応しいとの見解を示しているのだ。
その欲求は魔術師ならば当然のことだといえる。だからこそ常なる魔術の家門はそれぞれの秘蹟の一子相伝を徹底するのである。
予期できたはずのことであった。総ては焦燥ゆえの蒙昧と予期せぬ喜悦に我を見失った己の過ち。悔やんでも悔やみきれぬ悔恨の念が、いっそうにその老齢の身体を蝕んでいくようであった。
そんな折、まるで機を計ったかのようにふたたびこの魔客からの進言があろうとは夢にも思っていなかった。
而して、そう。これこそまさに天明ではないのか。老翁はしばし考え込んでいたが、やがて観念したかのように身じろぎをしたあと、この影のような怪人に告げた。
「……御主があ奴等の魔術回路を増設してくれなんだら、我が一族はとうに絶えておったわ。礼をいうぞ、テーザー・マクガフィン。わが盟友よ。そして御主になら全てをお前に任せられる……」
「では」
「……いいじゃろう。生き残ったものに当主の座を譲る。御主が立会人じゃ……」
「委細承知いたしました。全ては御心のままに」
影は畏まった。まるで打ち震えるかのように全身全霊で畏まった。そして、意識を失うように眠りに吐いた老翁へ、不気味なほど優しげに微笑んだ。
おそらくは、己の余命の幾許もないことを悟ってからはこの稀代の魔術師の心胆もその身体同様に痩せ細り、目に見えて衰えて憔悴してしまっていたから、このような魔の諫言にも耳を傾けてしまったのかもしれない。
それがなにを意味するということなのか、この老翁は最後の最後まで想像することすらなかったのである。
――この六代を数える魔術の名門サンガール家の当主・アルベルト・ド・サンガールが身罷ったのはそれから数日後のことであった。
――現在。時候は九月の末。秋口の夜半であった。
「そんなっ! ――」
――ありえない。と、眼前の人物が語る内容に脳裏で繰り返してきた言葉が口をついて出かかった。
それほどまでに眼前の老人が語る事態の真相は、彼女の予見していた『最悪の状態』を軽く飛び越え、その思考と意識とを沸騰させるのに充分すぎる内容だったのだ。
しかし、言いさした言葉尻が宙に浮く。突きつけられた事実がどうしようもなく反論の余地を奪っていく。
目の前に現れたそれがなんなのか、彼女は問うまでもなく知っているのだ。老人の傍らに実体化し、微笑を浮かべるその
「――本当、なんですね」
不意に戸惑わせた己の声に、自身の狼狽を悟られぬよう、黒髪の少女は声を硬くした。
じっと息を呑んで見つめてくる少女の考えを見透かすかのように、眼前の老紳士は厳かに、そして高らかに告げる。――
――その来訪は夜も深奥に差し掛かる頃であった。そう、それは未だ淡い鎮静の月が弧を描きながら昏い夜の頂に足を掛け始めたばかりの頃ではなかったか。
その月はこれ以上満ちることは出来ない。後は黒い空に呑まれるまで日を重ねるごとに痩せ細っていくだけだ。
しかしその事実を認めようとしないかのように、糸のような偃月は分不相応なほどの光を弾いて地表を照らしていた。
予報によれば嵐が近いらしい。にもかかわらずこの日の風はひどく生ぬるいもののように思えた。
何時からか、ひどく静かな、けれど決して清浄とは呼べない夜がこの冬木の地に訪れるようになっていた。
連日の夜が引き連れてくる得体の知れない恐怖に、町の住民たちは不吉なものを感じ取り、誰知らず口をつぐんでいた。
遠くで消防車がサイレンを鳴らしている。いや、もしかしたらすぐ近くなのかも知れない。
カーテンの隙間からのぞく、やたらに明るい月に照らされた町並みを眺める。何も変わったようには見受けられない。サイレンの行き先はこの深山町のちょうど北側に位置する住宅街の方角だろうか。
「まぁ、大丈夫だとは思うけど……」
窓の外を眺めてつぶやく少女の華奢な身体は、そんな夜を見つめながらも泰然とした空気をまとっている。
常人離れした美貌のせいか実の年齢よりも大人びて見えるようであったが、その白い頬や大粒の瞳にはまだ少女らしい幼い線が残っている。しかしそこに夜の気配に怯える脆弱さは微塵も感じられない。それも当然だった。彼女は魔術師だったのだから。
魔術師とは国籍・ジャンルを問わず魔術を学び、それを駆使する者達の事をいう。計測できないモノを信じ、操り、学ぶ、現代社会とは相容れない存在だ。故に彼らは世に隠れ忍ぶ異端者でもある。つまりは、彼女もそうした者たちの一人であったのだ。
しかし、いまその美しい顔には相応しくない憂いと疲労の色がかすかに窺えた。かれこれ、三昼夜を費やした調査もまるで身を結んでいないのだ。
一週間ほど前のことになる。何の前触れもなく彼女の右腕に三画の形を取り戻した聖痕。
彼女の徒弟である少年の手の甲にも同様のそれが現れていた。
――この冬木の地に再び異常が起きているかもしれない。そう判じた彼女は先に同居人たちに街での調査を頼み、自身は生家に戻って異変の究明に努めていたのだ。
しかし、どうやら先を越されたらしい。何に? おそらくは、――その怪異そのものにである。
その来訪者が戸を叩くより先に、結界の先触れで彼女はそれを察知していた。
そこに居たのは歳若い侍女をつれた一人の老紳士だった。その佇まいを見れば勘ぐるまでもなかった。
眼前に居るのは魔術師だ。それも超一流の。
その老獪な気配と蓄えた顎鬚の白さからそれが老人なのだと判ずることが出来た。しかし積み重ねてきた気品と克己が年齢による衰えを微塵も感じさせていなかった。
長身にケープド・オーバーの外套を纏った老練の紳士だった。だが鍔広の帽子の影になってその面相は窺い知ることができない。
ただその双眸を覆う色付の丸眼鏡だけが暗色のシルエットの中に芒と浮かび上がっていた。
彼女は息を呑んだ。そのどれもが魔術師の礼装として充分すぎるほどに時代を重ねた一級品であることが窺えたのである。
多少の動揺はいなめなかったが、突然の来訪に応じる彼女の態度には怖じるところはまったくなかった。「常に余裕をもって優雅たれ」それが彼女の家に伝わる家訓だ。
彼女は常にそれを心がけている。この夜の突然の一幕の終始において、この老齢の魔術師が己から見れば若輩に過ぎない彼女を対等の存在として扱い礼をつくしていたのは、ひとえにその気概を感じ取ったからに他ならない。
「夜分、申し訳ない。もう少し早く訪れるつもりだったのだが、ちと道草をくった次第でな……」
その老紳士は屋敷内に迎えられると、そう流暢な日本語で言って礼を取った。不意に香った、嗅ぎ慣れない硝煙の臭いに彼女はその整った形の眉を顰めた。
聞けば、先々代の遠坂とも面識のあるというこの老人は、その名をワイアッド・ワーロックといった。
その名には聞き覚えがあった。たしかワーロック家は八代を数える魔術の名門であり、一昔前なら、英国は時計塔の重鎮だったこともあったという。
だが、聞いた話には既に跡取りを亡くし、その魔道の血を存続する術を喪失したために、その老当主は英国の田舎で既に隠居していたはずなのだが……。
ともかく、いまさらそのような古い縁の交流を深めにきたのではないということは一目瞭然だった。その老齢の身にまとうのが死を賭して戦地に赴く者の気配だと、少女は既に知っていた。
よりにもよってこの時機に、外来の魔術師からの直接的なコンタクトを受けるというこの事態。
この符合を偶然と流してしまうほど、彼女の思考は鈍くはない。よって、彼女はこの珍客を迎え入れることにしたのだ。後手に回るのは甚だ信条に反することだったが、ここで反目してもしょうがない。
何より、この客人が今起こっている怪異に対する詳細を知りうる人物ならば危険を冒してでも話を聞く価値は充分にある。
そうして、彼女の代になってからはついぞ
そして、程なくして老紳士は語り始めた。――
「――本当、なんですね」
少女はしばし思案顔で、返すべき返答の行く先をもてあそんでいたが、観念したようにそう言った。毅然とした声ではあったが、さすがにその声の端にはほんの僅かだが狼狽の色が窺えた。
その返答の
「これ以上疑っても埒はあくまい。偽り無い事実だ。――そう、唯の一度だけ、冬木の聖杯戦争は再開される!」
そう、――この状況はまるで半年前の闘争の気配そのものだ。しかしそれはありえない。あの時確かに聖杯は破壊されたはずなのだ。
他ならぬ彼女――遠坂凛のサーヴァントの手によって――。