TALES OF THE ABYSS外伝ーセレニィー   作:(╹◡╹)

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99.平常心

 大詠師用の聖務室。

 

 ここで、一人の青年がその表情に緊張の色を滲ませつつ大詠師モースと相対していた。

 青年の名はライナー。教団では最下級に位置する先兵という地位にある。

 

 短く刈り揃えられた黒髪の上に制帽を被り、地位に基づいた制服を着こなしている。

 清潔で実直そうな印象を与える、二十代前半の好青年といった容貌である。

 

 無論、額面通りの一般兵ではない。

 ディストの付き人として第2師団に所属しており、日々彼の言動に振り回されているようだ。

 

 更には、何かと単独行動しがちな六神将と教団の橋渡し役のようなものをこなしている。

 なお、第2師団師団長ディストとは線引きをしてビジネスライクな関係を築いている模様。

 

 その性質上、それとなく六神将の内情を探るなどスパイの真似事のようなこともする。

 とはいえほとんどの日々は、上役から与えられた雑務をこなすだけの毎日を送っていた。

 

 有り体に言ってしまえば、便利屋にして雑用係。それが彼ライナーのポジションであった。

 

「………」

 

 故に、現在のモースの異様な雰囲気に心を呑まれていた。

 

 何度か雑務を命じられたこともあるし、今も与えられている仕事がある。

 とはいえそれだけの関係だ。

 

 相手は大詠師。

 もともと雲の上の地位に当たる相手であり近寄り難い存在ではあった。

 

 しかし、それを差し引いてもモースの今の威圧感はどうだ。

 机に両肘を立てて寄りかかり、表情を隠すように両手を口元の前で組む姿勢は微動だにせず。

 

 開け放たれたカーテンから差し込む陽光すら、まるで後光のように彼に降り注ぐ。

 ライナーは得も言えぬ畏れのような感情を改めて眼前の大詠師に対して抱く。

 

 妙な真似をすれば切り捨てると言わんばかりの威圧感に、身じろぎも出来ず立ち尽くした。

 

「(旅からご帰還されたモース様は、一味違う…)」

 

 そして彼は人知れず唾をゴクリと飲み込むのであった。

 

 

 ――

 

 

 一方、現在進行形でモース様の中の人になっているセレニィはとても迷惑をしていた。

 

「(……さっさと帰ってくれないかな、この人)」

 

 一向に帰る気配を見せない青年に恐怖と不安の感情を抱きはじめる。

 帰ってくれという命令をスルーされるとはモースさんも尊敬されていないのだろうか?

 

 配下のはずの六神将に何度も襲撃される主席総長の姿を目撃していた彼女はそう判断した。

 恐らく教団は無法地帯なのだろう。あのティアさんですら野放し状態だし。

 

 イオン様やアリエッタさんの可愛さとかカリスマで保たせるのは限界があったのだろう。

 みんながみんな、自分のように「可愛ければいいじゃん」でスルー出来る変態ではないのだ。

 

 いくら可愛かろうとスルーできない・してはいけない問題はあるのだ。

 そう、あのティアさんのように。

 

 そんなことを考えていると、青年から改めて声を掛けられた。

 

「しかしモース様… 御身に危険が迫る事態を看過できません。どうかこの場を」

「くどいぞ、トーマスくん!」

 

「ライナーです…」

「ごめんね、ライナーくん!」

 

「いえ…」

 

 ふざけるなよ… この場を移動しろとかなんて無茶なことを言いやがるんだ。

 この体重3桁はありそうなモースさんを支えて二人羽織とか普通に死んでしまうだろうが。

 

 そもそも移動の途中で普通にバレるだろうが。

 バレたら死んじゃうだろうが、私が。空気読めよ。

 

 セレニィは青年の空気を読めない提案に対して歯ぎしりする。逆ギレである。

 

「私ごときが大変差し出がましいことを申し上げました。……ん? これは」

 

 怒りの色を滲ませての一喝であるにもかかわらず表情は微動だにしないモース。

 そんな彼の底知れなさに思わず顔を伏せてしまったライナーは床に転がるある物を発見する。

 

 身をかがめて赤い絨毯の上に散らばるそれらを手に取り、注意深く観察する。

 

「コレは… 陶器の欠片? それに、調度品の陰に転がっているのは割れた花瓶か」

「げげっ」

 

「モース様?」

「いや、なにも」

 

「………」

 

 先程までの杜撰な証拠隠滅作業は瞬時に打破されてしまった。セレニィさん涙目である。

 一方でライナーは考える。

 

 この割れた花瓶がまるで隠すかのように調度品の陰に置かれていたこと。

 これは賊の侵入と決して無関係ではないのではないか?

 

 ならば、先程までのモースの威圧感と不審な態度は何を意味するのか? 理解してしまった。

 

「(モース様は私を巻き込まぬよう、たったお一人で賊と対峙しようとなされている…!)」

 

 推理が明後日の方向に飛んでいった瞬間である。

 

 ライナーは割れた花瓶の欠片を掲げつつ、モース(の中の人)に向かって語りかける。

 いくら最下級の先兵とはいえ、上の地位の人間にただ守られるままではいられない。

 

「モース様… この花瓶は何故割れていたのでしょうか?」

「えっ、さあ… その、勝手に割れたんじゃないかな…」

 

「バカげたことを仰らないでください。花瓶がひとりでに割れるはずなどないでしょう!」

「ひっ」

 

「どうか本当のことをおっしゃってください… モース様!」

 

 困ったのはセレニィである。本当のことを言ったら死んでしまう。

 しかし花瓶のことがバレてしまった以上、もはや知らぬ存ぜぬは通らない。

 

 胃がキリキリと痛みを訴えてくる。どうする? 本当のことを喋るか?

 

「(いや、無理だ無理。でも、しかし、うーん…)」

 

 かように悩みに悩んだ末にセレニィは…

 

「落ち着くのだ、ランナーくん。それは別に賊とは一切なんの関係もないのだ」

「ライナーです… お言葉ですが、大詠師! ならばこれらは一体なんだと言うのです!?」

 

「うぐっ! そ、それは…」

 

 その言葉の続きを、大詠師を見詰めたまま固唾を呑んで待ち受けるライナー。

 

 まさに凪すらない湖面のごとく落ち着いた表情。

 その内心は自分ごときでは一切読み取れない。まるで意識すら存在していないかのようだ。

 

 これが三十代の若さで教団の実質的最高権力者の地位にまで上り詰めた男の(かお)なのか。

 戦慄の予感とともに、大詠師の言葉を静かに待ち続ける。

 

 

 

 

 そして漸く、彼が焦れ始める頃にあのくぐもった声が響き始めた。

 

「し、信仰心を高めて花瓶の前でグッとガッツポーズをしたら弾け飛んじゃったのだ」

 

「………」

「………」

 

 ライナーの瞳が驚愕に見開かれ、周囲に沈黙の帳が落ちる。

 セレニィの心臓が早鐘を打つ。

 

「(しょうがないでしょ! 良い言い訳が思いつかなかったんですよ!)」

 

 半泣きである。ミュウがよしよしと頭を撫でて慰めている。

 ついにはチーグルにまで同情されるようになっていた。

 

「(私は悪くない! 私は悪くない! ただトイレにいきたかっただけなのに!)」

 

 さらには全泣きに移る。

 声を押し殺して泣いていると、思わずといった風にライナーがゆっくりと口を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「マジかよ… モース様、パネェ…」

「(と、通ったぁーーーー!)」

 

「いえ、失礼! そうだったんですか… てっきり私は賊と関わりがあるのかと…」

 

 セレニィは全泣きから一転、花も綻ぶような笑顔を浮かべてガッツポーズを決めた。

 ライナーさんのたゆまぬ信仰心に、思わずセレニィもニッコリ。

 

「うむ! 取り越し苦労だったとはいえ、その気遣いはありがたく受け取っておこう」

「いえ、そんな… 私など」

 

「なぁに、謙遜することはない。仕事熱心なのはいいことだよ、うん」

 

 さあ最大の山場は乗り越えた。

 あとはライナーさんを追い出してから、時間を置いて自分もこっそりと逃げ出すのみ。

 

 そう思って口を開く。

 

「というわけで私は大丈夫だから君は退室しなさい。ね?」

「いえ、何度も申し上げております通り賊が侵入しているためここは危険です。避難を」

 

「真面目かよっ!?」

 

 乗り越えてなかった。むしろループしていた。

 厳しすぎる現実に若干絶望しつつも、モース様の中の人は言葉を紡いだ。

 

「ランチャーくん」

「ライナーです」

 

「君は我々教団員にとって大切なものはなんだと思うかね?」

 

 名前を間違えられたがライナーは感動していた。

 この御方は『我々教団員』とそう言った。地位の区別なく対等に扱ってくれているのだ。

 

 さきほどまでの会話の端々からそういった気配は感じられていたが。

 

「ハッ! 預言(スコア)の成就であります!」

 

 誇らしげな気持ちを胸に抱きながら、彼は大詠師の問い掛けに対して答えを返す。

 

「なるほど。別にどうでもいい… もとい、それも大切だね」

「はい!」

 

「だが、他にもあるだろう?」

 

 そう言われて考える。

 一つ一つを指折り数えて挙げてみる。

 

「導師も世界にとって欠かせない大切な存在です。それに我々が守るべき人々も」

「うむうむ、そうだね。ならばそれらを支えるために我々に求められるものは」

 

「ハッ! 信仰心であります」

「ちげーよ」

 

「はい?」

「コホン… いや、それは当たり前のことだからね。敢えて殊更(ことさら)に語るのもどうかなと」

 

「なるほど… さすがはモース様です!」

 

 確かに信仰心のみで花瓶をも粉砕できる男モース様にとっては至極当然な話であった。

 敢えて語るまでもないと言われればそのとおり。己の不明さにライナーは思わず赤面する。

 

 咳払いを一つしてから、モース様の中の人は改めて語りだす。

 

「答えは『平常心』だよ、ランダくん」

「平常心… ですか? あとライナーです」

 

「うむ。我々が常に平常心を抱いていることで当たり前のことを当たり前にこなせるのだ」

「なるほど…」

 

「平常心があればティア=グランツも追い詰められた獣にならない… はず、多分」

「なるほど…」

 

「平常心があればジェイド=カーティスの譜術が飛び交う戦場でも平然としていられるといいな」

「なるほど!」

 

 次々と挙げられる具体的すぎる例の数々に、ライナーは大詠師が言わんとする所を理解した。

 そしてその意図するであろうところを述べてみせる。

 

「つまり… 賊が侵入している今だからこそ我々の平常心が試されるということですね?」

「そのとおりだよ、ラタトスクくん。果たして賊に惑わされる必要などあるのかな」

 

「ライナーです。……浮き足立って避難を強くご注進するなど私は分かってはいませんでした」

「気にすることはありませんよ。私もモース様の立場なら真っ先に避難してましたしね」

 

「はい?」

「ウォッホン! まぁ、そういうわけなので私は執務を行うから君は」

 

「はい! ではこのままここで任せられていた仕事の報告を行いますね。いつもどおりに!」

 

 セレニィは執務机の陰から苦虫を噛み潰したような表情で「いや、帰れよ…」と呟いた。

 

 

 ――

 

 

 一方その頃。

 

 賊の侵入という異常事態のために、一時的に一般人の出入りを制限されている大教会前。

 出口を固める衛兵たちの前に一人の女性が姿を見せた。

 

 艶やかなロングヘアを片目を隠すような形にまとめ、風の任せるままに靡かせている。

 出るところは出て締まるところは締まる年齢離れした抜群のスタイルである。

 

 神聖なる神託の盾(オラクル)騎士団の制服に包まれている筈のそれらは、かえって強調するかのよう。

 

 (見た目だけならば)完璧な美少女、我らがティアさんである。

 

「すまない、今現在ここダアト本部大教会は封鎖されている」

「えぇ、知っているわ。だけど私はこの先に用があるの」

 

「そちらにも事情があるかもしれないが安全のためだ。解決するまで待っていて欲しい」

 

 ティアさんにも紳士的に対応する衛兵さんたちの言葉に彼女は足を止めた。

 左右それぞれの衛兵を確認するが、どうにも通してくれる兆しは見えそうにない。

 

 しかし諦めることなく更に言葉を続ける。

 

「……どうしても?」

「どうしても、だ」

 

「そう、あなた達の気持ちは分かったわ」

 

 かなり食い下がってきたが、ようやく分かってくれたかと彼らは安堵の息を漏らす。

 叶うことならば、か弱い少女に手荒な真似はしたくなかったのだから。

 

 ドンッ! と地面が揺れるような音を響く。

 すると、ティアと話をしていた衛兵のうちの一人が腹を抑えたままゆっくり崩れ落ちた。

 

 ティアさんは右の拳を突き出したままのポーズをしている。

 リグレット教官の許可により解き放たれたティアさんの拳より放たれる必殺技。

 

 その名もナイトメア(物理)である。

 

「私の気持ちはこうよ。……通して」

 

 目を見開いて硬直する残る衛兵の腹にも速やかにナイトメア(物理)が叩き込まれた。

 

 譜歌のナイトメアとの違いは抵抗力に関係なく意識を飛ばせる点。

 そして目覚めてもしばらく動けないままである点。何よりTPを消費しないのが素晴らしい。

 

 欠点としては拳が届く範囲の単体にしか効果が発現しない点である。

 状況によって使い分けていこうと思いつつ、彼女は大教会の中に足を踏み入れた。

 

「(公爵家を突破できたのだから、成長した今ならば教会だって突破してみせる…!)」

 

 なんということであろう。

 ティア=グランツことナチュラルボーンテロリストがダアト本部に解き放たれてしまった。

 

 逃げて、ローレライ教団。超逃げて。

 

 

 ――

 

 

「あ、あー… なんてことー。まさか衛兵さんたちが倒されているなんてー」

 

 程なく、そこに若干棒読み気味の台詞を吐きながらアニスが通り掛かる。

 

 衛兵たちの手を取り脈があるかを確認する。

 ……良かった、生きている。というか、これで死んでたら後味悪いってレベルじゃない。

 

 この程度ならば、後は偶然通りがかった(・・・・・・・・)第七音素術士(ナタリア)に回復を任せればいい。

 安堵しつつ大きく息を吐くと、そのまま立ち上がってティアの後を追う。

 

導師守護役(フォンマスターガーディアン)としてー、追いかけないとー。後は任せてねー、衛兵さんたちー」

 

 胸中で衛兵たちに詫びながらも、彼女は仲間たちとの筋書き通りにティアを追うのであった。




いつも誤字指摘をしてくださっている方、ありがとうございます。
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