Real-Matrix   作:とりりおん

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戦闘は2回に分けようと思います。
もしかしたら3回になる可能性は……それなりに高いです。


"Armageddon" 1

 「デュークモン、見えるな。あいつだ」

 

 声に促され、純白の甲冑を纏う騎士は遠方を――自分達の目的である怪物を見やった。途端にその目付きが一層険しくなる。

 

 「……うむ」

 

 デュークモンは、半ば唸るように応答した。流石ダスクモンは一度以上怪物の姿を目にしているだけあってか――それとも出自などの意味で自分と同類であるからか、さして気分を害していない様子だ。頼もしくさえ見える。

 

 怪物は、右方の壁に張り付くように存在していた。

 半ばから山なりに折れ曲がった細い肢は6本であるものの、ダスクモンの言う通り、蜘蛛のような姿態をしている――加え、いとも巨大だ。遠近感や距離感が失われているため正確な大きさの程は把握できないが、遠目に見ているはずなのに自分の5倍はあるようにデュークモンには見える。とにかく巨大だ。

 また、その全身像は「醜悪な合成獣(キマイラ)」と言って差し支えないものだ。三本角が突き出た頭部、全身を守り固めている濁った黒色をした装甲、足の末端から突き出た三本の鉤爪、節に分かれ先端に鋭い屈曲した針が付いた尾――選別と分化の過程を経ていないデータの混沌から生まれたというその出自を、端的に示しているらしい。

 

 一旦その醜怪さから目を離すと、ちょうど巨大な体に覆い被さられるように、白い薄光を放っている線が何本か目に入った。一様な光の束というよりは、粒の小さな細氷の集まりに陽光が当たって煌めいている風だ。

 あれがデータの通り道というやつだろう。デュークモンが想像していたよりも距離としては長い。途中から突然ぷつりと断裂しているように見えるのは、複数の次元に跨がって存在しているためであろう。

 

 あの怪物を倒さないことには、到底無事に道を通り抜けられそうにない。やるべき仕事は一つ――デュークモンもダスクモンも、いよいよ張り詰めた雰囲気を纏う。

 

 「とりあえずは、奴に接近するぞ――気を付けろ」

 

 正面を向いたまま、やや低い声でダスクモンがデュークモンに呼びかける。返答を待たず、彼の姿が闇に溶け、より遠方に滲み出るように再び出現した。

 デュークモンは返事をする代わりに、今まで通りタールの如くに粘稠な黒い空間を掻き分けて思うようにゆかぬ移動を続けた。

 時折ちらりと確認する怪物の様子は、奇怪――というより不可解である。壁に張り付くような格好のままその場から全く動かず、頭を巡らす事もなく、たまに舌を口内から出し入れするのみだ。動かないのはおそらくデュークモンと同じ理由で「動けないから」だろうが、それとも獲物を待っているのだろうか? そうだとしたら、何故自ら獲物を探さないのだろうか? 意味の分からない事ほど気味の悪いものはない。幸いなことに、まだ自分達がちょこまかと動いている事には気が付いていない様子ではある。

 

 幾分時間を掛けて怪物に大分接近することに成功したデュークモンとダスクモンだったが、彼らの目には段々怪物の大きさの程が鮮明になってきた。

 巨大、なんてものではない。そんな形容詞は生温いだろう。デュークモンは「竜帝エグザモンに比肩する体躯」であると思った。エグザモンとはロイヤルナイツの一体にしてデジタルワールド最大級のデジモンであり、途方もないそのデータ質量を持つその真の姿を普段現す事が禁じられている程の重量級である。

 一瞬、果たしてあれを倒し得るのかという疑問が脳裏をよぎったが、可能不可能の問題ではない――倒さねば「ならない」のだ。倒して、怪物が今覆い被さっている超次元のデータ通路に入り込まねばならない。

 

 不意に、ぎょろりと怪物の瞳孔が二体の方に向けられた。

 見つかったのだ。

 

 「うっ」

 

 思わずデュークモンの喉から声が漏れる。

 二体の背筋が凍った。発見されずに接近する事など不可能――それはダスクモンもデュークモンも無論分かっていた。しかし、あの視線は本能的な恐怖を呼び起こし、それから逃れられなかったのだ――ネットセキュリティの守護騎士・ロイヤルナイツに名を列し、それに相応しく非常に肝の据わったデュークモンでさえ。

 遠巻きに怪物を見て平然としていたダスクモンとて例外でない。彼の体組織がこの空間を満たす悪逆なデータである点で怪物と同類であるとしても、組成量の桁が違いすぎる。

 

 そして、「眼球」という存在をこれほどまでに不快に感じたことは、デュークモンには未だかつてなかった。

 少なくとも自分の記憶がある限りでは、一度もない。デスモンの顔に中心にただ一つ付いた雌黄の巨眼でさえ、これに比すると可愛らしいものだ。

 ダスクモンの鎧に埋め込まれた数多くのそれでさえ――確かに瞳孔が血管が透けたように赤く、剥き出しになっている眼球がせわしなくぎょろつく様子は気味が悪くないといったら嘘になるが――およそあの怪物のものに比べると何でもない。

 

 怪物の目は濁った黄緑色であった。その質感といい色といい、細菌を喰らった白血球の死骸か、白蝶の幼虫を丸めて眼窩に押し込んだもののようだ。およそガラス体と水晶体が膜の中に収まっているもののようには見えない。

 

 しかし嫌悪感に足を取られてはならない。ダスクモンは早速起こすべき行動について厚かましくもデュークモンに指示を出す。

 

 「デュークモン、オレはあいつの肢を斬り落とす。お前は何とか奴の腹の下に――っ!」

 

 怯んだダスクモンは言葉を続けられなかった。

 だしぬけに、怪物の顎が上下にがっと開いたのだ。

 切り立った連峰の如き白い歯列が現れる。黒く塗りつぶされた空間や、己の体表面と対比を成していて鮮烈だ。次いでその奥からのぞいたのは舌だ。今度ははっきりその様相が見える――厚い肉質のもので、唾液にまみれている。獲物を咀嚼するのを待ちわびているように、或いは相手を挑発しているかのように、でろでろとせわしなく動いている。

 そして次に現れたのは――深淵の如き喉だ。

 しかし見せていたのは闇ではなかった。白く輝くエネルギーの集束だ。

 

 超高温ゆえに白く見えている、太陽コロナの如く――デュークモンは危険を悟り、すぐさま大盾の陰に身を隠せるよう思うように動かぬ体を動かす。

 しかし怪物が動作が完了するのを待ってくれるわけはなかった。

 

 火炎が咆哮した。

 視界が橙赤色に染まる。

 局所に極限まで集中されたエネルギーは爆炎へと変換され、たゆたうデータの屑を、そして存在する生命を全て焼却せしめるように空間を奔る。一帯は焦熱地獄へと変貌する。

 

 ダスクモンは瞬間移動し、迸る火炎の軌跡から何とか逃れた――がしかし、凄まじい熱風が具足に覆われていない顔の部分に吹きつけて来た。彼は反射的に目を閉じて身をよじる――顔が焼け爛れそうに思われたのだ。

 直撃を避けた自分でさえ尋常ではない熱に当てられたのに、どう見ても直撃だったデュークモンは――一体どうなってしまったのか?

 

 「デュークモン!」

 

 熱さが引いてから、彼は相方に大声で呼びかけた。

 応答はない。

 ダスクモンは動揺した。まさか、炎の洗礼により昇天してしまったとのか? 自分の見立てによると、デュークモンの力無くしてあの化け物に打ち勝つ事は到底不可能であるのに、早々にその希望が摘み取られるというのか。

 やがて激しい炎が霧消し視界が晴れる。

 ダスクモンは顔に付いた二つの目だけでなく、鎧の諸部分に付いた目玉を総動員して周囲を見回した。

 やがて鎧の右肩部に埋め込まれた目玉が、彼の後方で大盾の陰に身を隠した騎士の姿を捉えた。灼熱により具足が溶解されているような様子は見当たらない――ダスクモンはふうと息を吐く。もっとも、彼の見立てではデュークモンはそう脆いデジモンではないはずだった。

 

 「……無事だったか」

 

 「何とか……な。聖なるイージス無くば、このデュークモン今頃はデータ分解されていたであろう」

 

 デュークモンは僅かに震えが感じ取れるような声で言った。リアルワールド風に言うならば、彼は今「冷や汗を掻いている」ことだろう。

 神聖なるイージスはマグナモンの纏うクロンデジゾイド鎧ほど高い防御力を誇るわけではないが、それでも十分すぎる程高い守護の力を持ち合わせる。だからデュークモンは聖盾イージスを炎の軌道に持って来ることと、その裏に隠れられるように身を丸める動作を完遂すれば問題なかったのだが、如何せん移動が思うようにできないのは死活問題――それが間に合うかどうかは分からなかった。防御の動作が一秒でも遅れれば、高純度クロンデジゾイド鎧といえども溶解されずに残っていたかは甚だ疑問が残るところだ。

 

 それはともかくとして、相手に攻撃を当てない事には話が始まらない。ダスクモンは怪物のせいで中断せざるを得なかった言葉を、もう一度詳しく言う。

 

 「さっき言いかけた事だが――オレはあいつの肢を切り落とし、機動力を落としておく――元々思うようには動けんだろうがな。お前は何とかその姿勢のまま相手の腹の下に潜り込め!」

 

 その言葉が終わらぬうちに、幽鬼の姿はゆらりと闇に溶けた。

 

 「承知」

 

 デュークモンが盾の裏に隠れたままそう返事をした時にはもう、ダスクモンは怪物の足の一本――右前肢に到達していた。

 全身に対して細く見える肢だが、その太さたるやダスクモンが横に5体並んだ程はある。この手のものは一太刀で斬り落とす事は不可能であるが、傷さえ付けてしまえばダスクモンならば「エネルギーを搾り取る技」で傷口からどんどんデータを吸収し、肢を断裂させる事が可能だ。

 流石のダスクモンも、移動に不自由しないとしても剣を振り回す事は出来ない。よって、剣を真直に怪物の脚に突き立てる。

 

 「まずは一本、もらうぞ……!」

 

 ダスクモンは剣に力を込める。

 しかし、そんなに事情は単純ではなかった。

 剣は対象を突き通すことなしに、外表面で静止を余儀なくされたのだ。

 

 「くっ、硬いな……」

 

 剣の切れ味に関しては非常に自信を持っており、かつ怪物の肢の硬度など大したものと思っていなかったダスクモンにとっては予想外の事態だった。何とか掠り傷でも付けられないかと剣に更に力を傾けたが、全く無駄というものだった。

 

 (肢は後だ。まずは眼を潰した方がいいか)

 

 そう考えるや否や、漆黒の幽鬼の姿は再び闇に掻き消える。

 視覚から得られる敵の情報は多大だ。特にこののっぺりとひたすら黒い空間にあっては「図」と「地」が明確に分離しているので、「図」――つまり相手が何処にいるのか特定しやすい。眼が潰れてしまえば、相手の位置を把握するのが非常に困難になるのは勿論、相手が何をしているのかも分からなくなる。

 それに、如何なる生物――ひいてはデジモンであっても眼球は柔らかく、容易く刃で貫き通せる。ダスクモンを構成するある残虐なデータが、彼にそう教えている。

 

 ダスクモンは怪物の眼前に一瞬で現れる。

 彼の身長の2倍ほども直径がある、気味の悪い色をした眼球がぎょろりと回転し、視界に入ってきた異物を睨み付ける。

 血に濡れたような刀身が鈍く燦めき、眼球に真直に突き立てられる。今度こそ突き通せるだろうという確信の元、ダスクモンは腕に力を込める。

 

 結果は万人の予想を裏切るものだった。いや――当の怪物はこれを当然の事として予見していただろう。

 剣は角膜の前で止まっているのだ。

 

 (馬鹿な、たかが角膜だぞ……!?)

 

 ダスクモンは渾身の力で眼球を覆う膜を貫き通さんとする。だがそれも虚しく、怪物の角膜に傷一つ付けることができない。

 本来ならば薄くて弾力があり、潤沢であるはずのそれは、硬質なガラス膜の如く存在していた。しかしその硬度は脆いガラスのそれではなく、まさしく鋼鉄だ。

 

 (これ以上は無駄か。せめて掠り傷でも付けられれば、話は別なんだが……)

 

 ダスクモンはいよいよ忌々しげに舌打ちをした。剣を全力で振り回せるなら、おそらく問題はないのだ。

 こうなれば全身で最も柔らかそうな口の中を狙おうとも考えたが、いくら何でもそれは危険だとすぐに案を棄却する。あの灼熱の炎に、瞬く間に焼き尽くされてしまうだろう。それに、重要なのは肢を斬り落とすことであって、それ以外の箇所はどうだっていいのだ。

 

 (ならば、進化(・・)するか――?)

 

 一瞬最終手段が選択肢として脳裏を過ぎったが、それこそ一番やってはいけないと、彼は首を振ってアイディアを思考から締め出した。

 あんな理性無きおぞましい姿は断じて他者に見せられない。あの姿を現すとしたら、真に事態が逼迫した時――デュークモンがデリートされてしまった後だ。己のもう一つの姿は、それ程までに醜悪で他者に見られたら最後、プライドが千々に切り刻まれ地の底に失墜する。

 

 この時、ダスクモンは自分が迂闊であることに気付いてはいなかった。そう――敵を前にして、考えに耽るという迂闊さに。

 

 「ダスクモン、そこから離れよ!」

 

 彼を我に返らせたのは背後からのデュークモンの鋭い一喝であった。

 

 「!」

 

 気が付くと、眼前にあったのはでかでかと開けられた怪物の口だったのだ。まずい、あの炎が来る――と身構え、ダスクモンは瞬間移動に備える――

 ――が、それよりも相手の方が早かった。寧ろ、ダスクモンが遅すぎたのだ。

 

 「ぐおっ……!?」

 

 鋭い歯列が真紅の刀身を捕らえた。

 

 「ダスクモン!」

 

 デュークモンが思わず声を上げる。

 一気に冷静さを失うダスクモン。捕らえられたのは眼球に突き立てた方ではない剣であった。片腕に意識と力を集中させていたために、そちらが留守になってしまったのだ。

 得意の瞬間移動――“ゴーストムーブ”は、障害物を擦り抜けることができない。障害物に囲まれた時と、このように体の一部を掴まれた時には弱くなってしまう。故に、この状況から抜け出すには力業を通す以外ない。

 

 「くうっ、離せ……!」

 

 何とか剣を怪物の大口から引き抜こうとするも、その努力も虚しく、バキン、と派手な破砕音を立てて剣は半ばから折れた。破片が花弁のように散る。

 怪物は、信じられない事に――今噛みきった金属の塊をガリガリと噛み砕くと、そのまま喉の奥へと流し込んだのだ。ごくりと生々しい嚥下音が鳴る。

 

 「馬鹿な……オレの“ブルートエボルツィオン”が……」

 

 ダスクモンは呆然と呟いた。剣は自分の手も同然。それが今無残にも折られ、相手の腹の足しとなったのだ。これほど無念で苦しいことはあるだろうか。

 デュークモンにとっても、武器が失われるのは大きな問題だった。譬え相手の超硬度を誇る体表を貫き通せないとしても、剣が一本あるのとないのとでは大きな違いだ。

 まだ一本の腕は残っているが、その事実が喪失という事実を幾らも緩和するわけはなかった。ひとまず、己の二の轍を踏まないためにデュークモンの方へと移動する。




次回、アーマゲモンが多分もっとキモくなります。

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