Real-Matrix   作:とりりおん

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デジタル・リアルファイト 2

 「は……テイ、マー?」

 

 紫の動物の口から、嬉々として発せられた単語。龍輝はゆっくりとそれを復唱する。

 テイマー。tamer。字義通りならば使う者――調教者。

 飼い主ではなく、ownerでもなく、tamer。その意味する所は余りに深淵に思え、疲労困憊した龍輝の頭脳には、酷く重かった。

 だから思考を放棄し、率直に尋ねる。

 

 「テイマーって、何だ?」

 

 今は一切の疑問は後回しにして、差し迫った問題を解決する――今自分達を保護してくれているこの薄光放つ半透膜を突き破り、今にも襲いかかってくるかも知れない漆黒の邪竜を倒す――べき時だ。言うまでもない。

 確かに倒す術が見出せないでいるというのはある。だがそれ以上に、テイマーとは何か。その意味を、その本質を理解する事こそ、行動の指針になってくれる。そしてそれを知らない事には、問題を解決する権利すら与えられない。龍輝は直感的にそんな気がしたのだ。

 ドルモンは小躍りを続けながら、上擦った声で答える。

 

 「デジモンといつもいっしょにいてくれて~、デジモンをつよくしてくれるにんげんのことだよ~!」

 

 「一緒にいて、強くする……?」

 

 龍輝は、手に握られている不可思議な装置を見つめた。光の帯の放出は既に止まり、ディスプレイは大人しくなっている。

 これを持っているという事が、即ちドルモンと常にある、そして強くする者たる証。自分は何故だかそれに選ばれた。そういう事なのだろう。

 そしておそらく、未知の単語「デジモン」は、ドルモンという個を一般化した存在。だがそれは一体何なのか。

 

 「……デジモンって、何だ?」

 

 「デジタルワールドっていうところにすんでるいきもの~。ドルモンもデジモンだよ~!」

 

 「デジタル……?」

  

 やはりドルモンは、薄々そう気付いていたように、この世界の住民ではなかったのだ。

 その上、デジタル。つまりは二進数のデータ世界よりやって来た、データの存在。

 実際の質量を持たず、それ故に制限無く増殖し、はたまたは消滅し、ただ視覚によってのみ捉えられ、然るべき知識によってのみ意味を与えられ、理解される存在――データ。

 ともすれば、ドルモンだけでなく、たった今光の結界を爪で突き破ろうと躍起になっている黒竜も然り。データの世界からやってきていて、その躯はデータで出来ている、という事で間違いない。

 龍輝の背筋をぞわりと悪寒が駆け抜けた。現代社会の科学の最先端が容易く超えられた事に対する戦慄なのか、或いは――彼には解らなかった。

 

 同時に、たかだかデータが、こんな風に鮮明でリアルな姿と性質を造っているなどとは信じられなかった。

 嬉しそうな表情をしたり、涙を流したり、幼い子供の様に喋ったり、疲れた様子を見せたり。幾ら複雑なデータプログラムを造り、ロボットに組み込んだところで、そんな芸当を完璧にやってのける話など聞いたことがない。肉を纏った動物よりも情感豊かな表現が出来るなど。

 それに、たかだかデータの存在がより複雑で精巧で、膨大で時に精神を圧迫するデータの森羅よりも圧倒的な「現実」に干渉できるのだろうか。お菓子を美味しそうに食べたり、地面を爪で抉り出したり。

 

 (――有り得ない、こんな事。訳が分からない)

 

 龍輝は小さく息を吐いた。冷気でそれが煙の様に白く流れた。

 何もかもが有り得ない。情報処理と合理的解釈が、全く追いつかない。思ったよりも、うんと大変な事態になってしまったのだ。ドルモンを秘密のペットとして部屋に住まわせるだけのはずだったのに、ともすれば自分の命すら危うくなっているではないか。

 しかも、その自分はテイマーだかという存在だときた。その証拠として、奇妙な装置を握らされている。

 

 何もかもが有り得ない。だが、残された選択肢は一つしかない。受け入れる以外にない。これは現実以外の何物でもない。夢から醒めるのを待つことは出来ない。

 現にドルモンが危機に晒され、次いで自分も危機に晒されているこの状況から、逃げ出せる事など有り得ない。

 ならば、もはや余計な事を考えず、立ち向かうしかない。

 龍輝は自身の義務を確認するように、自身に言い聞かせるように――はっきりと口に出した。

 

 「ドルモン――あいつを何とかするぞ」

 

 紫の毛並みの小動物はしばし静止して目をぱちくりさせたが、やがて破顔すると再び楽しそうに小躍りし始めた。

 電脳世界の小動物――ドルモンは、然りと首を縦に振り、力強く返事をする。

 

 「うん~!」

 

 突如、カメラのシャッターを切るような音が高らかに鳴り、デバイスのディスプレイに唐突に白い文字列が表示された。龍輝の双眸がそれを映し取る。

 

 『Name - Devidramon

  Level - Adult

Type - Evil Dramon

  Attribute - Virus』

 

 (これは……あいつの、データ?)

 

 瞬時に、彼の思考はデータ処理然とした無機質なものに切り替えられる。

 あの悪魔然とした竜の詳細をこのデバイスが知らせてくれているのだろう。あれがデビドラモンという名前で、禍々しい容貌の通り邪竜であるという事、そしてウィルスの権化である事は分かった。アダルト、つまり大人である――というのだけはどういう事かよく解らない。

 龍輝がその表示データを見終わり、記憶として保存し終えると直ぐさま、見計らった様に画面が今度は別の文字列を表示した。

 

 『Available

- Vaccine Modify ver.1

- Virus Modify ver.1 』

 

 (ワクチン? ウィルス?)

 

 あの黒竜――デビドラモンのデータらしきものが映った時、「ウィルス」という表記があった。それと関係しているのだろうか。龍輝は憶測する。

 幸い英語が結構分かるので、現れた単語の意味を理解する事が出来た。この場合は――ワクチン化ver.1と、ウィルス化ver.1が、使用可能ということらしい。これが、デビドラモンを倒す布石となるのだろうか。

 ワクチン、ウィルス。両者の関係は一目瞭然。

 ウィルスを除去するのがワクチンである。ならば。

 

 (ワクチン化の方を使えばいいのか――?)

 

 そう結論を出しかけた時、未だ言語にならないその思考に応答するように、またしてもディスプレイ上の情報が変化する。

 白銀の光を発する数列の帯がドルモンに向かって放出され、その体を薄光の繭が包んでゆく。

 ドルモンは突然の事態に慌てる。

 

 「わわわ~~!」

 

 (な、何だ!?)

 

 あっけにとられる龍輝の目の前で、ドルモンの体がその外形を残したまま完全に透け、フレームの中流れる0と1の激流と化し――繭を形成するデータとそれが入れ替わる。

 データが書き換わったのだ。

 特定の塩基間にある塩基配列を挿入し、新たな遺伝子が発現するように。

 

 今なら分かる。デジモン――デジタル・モンスター。

 こういうことなのだと。

 凄絶な現象を目の当たりにしながら龍輝は実感し、ドルモンがデータの存在である事を心から理解する。

 

 (――凄い)

 

 心無しか、純粋に感動してしまった。

 だがそれも一瞬の事。すぐに、脅威を退ける手立てを講じる事に龍輝の意識は集中する。

 ドルモンが「ワクチン化」されたのはいい。次にどうするかが問題だ。

 

 (俺がこの結界内にいて、ドルモンを何とか外に出して攻撃させるのが妥当だな)

 

 だが、即座に却下を強制される。

 びきびきっ、と卵殻が割れる様な強烈な音がした。

 デビドラモンの真紅の五爪が、光の半透膜にひびを入れたのだ。

 0と1で出来た薄片が飛散し、結界の内側に恐るべき凶器が突き出される。

 一度風穴の空いた場所から突破するのはたやすい事だ。

 熟慮の猶予などない。

 

 (――まずいな)

 

 龍輝の視界が心の臓が脈動でぶれる。

 速やかに決定を下さねばならない。しかし、ドルモンがむやみに攻撃をした所で、また巧みに躱され、戦いは堂々巡りになるだろう。いや、それよりもドルモンが疲弊して同じ事になってしまう可能性の方が高い。

 このバリアが自在に出せるなら、もう少し楽になりそうなものなのだが。龍輝は眉を顰めた。

 今の間にもどんどん爪は浸食している。

 

 「リュウキ~」

 

 ドルモンは不安そうに名前を呼ぶ。否――じれったそうに呼ぶ。

 その体はもう数列の流れではなく、解像度の高い鮮明なリアリティだが、力が漲っているように錯覚させられる。その力を使うのを今か今かと待っているようにも。

 そして、龍輝を見つめる何処までも澄み渡ったトパーズの双眸。そのまっすぐな眼差しは、求めているようだ。

 ――「テイマー」の指示を。

 

 龍輝はドルモンの視線に、軽く頷いて見せる。

 こうなったら、一か八かでもいい、行動あるのみだ。

 

 「ドルモン、あの爪に向かって、攻撃してくれ」

 

 「うん~」

 

 ドルモンは待ってましたとばかりに口をかっと開き、鉄球を射出する。

 

 「“メタルキャノン”~!」

 

 結界を突き破るデビドラモンの紅蓮の爪に弾丸の如く発射された鉄球が炸裂し、小爆発を起こす。

 爪が一瞬で消し飛び、0と1の屑と消える。

 それだけではない。爪からデータ消失が浸食していくように、デビドラモンの不気味な細長い腕がまるまる一本失せた。

 呆気に取られたように口をあんぐりと開けるデビドラモン。一方、龍輝は心の中で安堵の溜息を付き、ガッツポーズをした。

 

 (よし、ワクチンがウィルスを駆逐したんだな!)

 

 黒き邪竜は続いて鬼の形相になり、残っているもう一本の腕を結界の風穴に突き立ててくる。

 頭に血が上って冷静な判断が付かないのだろう。分かり切った、馬鹿な真似である。

 

 「ドルモン、もう一度攻撃だ!」

 

 「“メタルキャノン”~!」

 

 残りの腕も鉄球によって消散させられ、デビドラモンは足の生えた達磨のようになった。

 あと残されているのは、鋭そうな尾と――逃げ回る為の足、翼だ。

 邪竜の直接的攻撃手段はもはや無いに等しい。

 

 (あとは、ドルモンが結界を出て、麻痺させられる前に何とか一発喰らわせられれば――)

 

 またしても龍輝の思考に反応するように、結界がガラスの破砕音を立て自然に崩壊する。

 龍輝は即座にドルモンに呼びかける。

 

 「ドルモン、あいつにとにかく一撃を食らわせるんだ!」

 

 「うん~!」

 

 薄紫の姿が龍輝の視界の端で勢いよく飛び出し、羽ばたいて後退する邪竜を追う。

 デビドラモンは最早逃げる事に徹するようだ。ドルモンを先程麻痺させた紅蓮の邪眼の光を使おうという気はないらしい。やはり知能が足りないようだが――そちらの方が断然ありがたいのは言わずもがな。

 

 息を呑んで見守る龍輝の前で、繰り広げられるのはワンサイドチェイスゲームだ。追っては逃げ、追っては逃げ。鉄球を放っては躱され、放っては躱され。しかしドルモンはやはり体力があまりないのか、段々と動きが鈍重になって、精細さを欠いてきている。龍輝は口の中がからからに乾き、固唾を呑む。

 

 チェイスゲームは完全に一方的なものではなかった。

 デビドラモンが突如長い尾を前方のドルモンに向かって振り回した。

 凄まじい速さだ。龍輝の目には残像しか見えない。

 しかし、その尾の先が鉤爪のように開き、ドルモンを捉えようとしているのだけははっきり映った。

 ――まずい。

 

 「ドルモン!!!」

 

 思わず龍輝は大声を上げた。額に滲む汗が真冬の冷気で凍るのも気付かない。

 然れども、それは杞憂だった。

 一瞬後には、破壊音を立てて道路に突き刺さったデビドラモンの尾と後方に、すれすれで飛び退いたドルモンの姿があったから。

 かなり深々と突き刺さった尾を、殆ど後ろ向きで体を捩った姿勢で抜こうと必死のデビドラモンと、息を切らしながらも無傷のドルモン。

 

 ほっと胸をなで下ろすと同時に、龍輝はテイマーとしての指示を出す。

 いや、それは指示ですらない。自分の思いの叫びだ。

 

 「ドルモン、最後だ! 行け!」

 

 「“メタルキャノン”~!!!」

 

 ドルモンの口から全身全霊で打ち出された鉄球が、黒き邪竜の背をぶち抜く。

 ウィルスを駆逐するは、ただワクチンのみ。

 身の毛もよだつ大絶叫が凍てつく大気を破壊するかの如く上がり、龍輝はデバイスを持ったまま両耳を塞いだ。

 デビドラモンの胴体中央に巨大な空洞が開く。平穏に仇為す害悪の権現たる数列の連なりが止めどなく流出し――

 ――そして。

 龍輝の手にしたデバイスの画面に、吸い込まれるようにその数列がなだれ込んで来た。

 ディスプレイに、ぱっと新たな表示が現れる。

 

 『Undefined Data:Installed 

volume:178』

 

 気が付くと、デビドラモンの黒く禍々しい巨躯は跡形も無く消えていた。その構成データの全てが、このデバイスに取り込まれたということなのだろう。龍輝はそう推測する。

 続いて、前方からのろのろと駆け寄ってきたドルモンの全身から、白光を放つ数列の帯が抜けて行き、虚空で霧散した。入れ替わりに、虚空より銀糸の様な数列が流入する。

 再び龍輝は思う。デジモン――デジタルモンスター。こういうことなのだと。

 

 「はあー……」

 

 龍輝は次の瞬間、地面にどさりと崩れ落ちた。

 ドルモンが自分の疲弊ぶりにも構わず、急いで龍輝にすり寄る。

 

 「リュウキ~、だいじょうぶ~!?」

 「ああ、疲れただけだ」

 

 無理もない、緊張の糸がぷつりと切れたのだ。訳の分からない非常識な事の連続で、しかも死地に立たされたのだから、心身頭脳共に疲労して当然である。

 ドルモンもかなり疲れた様子だが、龍輝は更に疲れている。 

 

 しかし、ここでへばっている場合ではないと龍輝はしゃんと立ち上がった。今現在は幸いこの場にいるのは自分達だけだが、最初にこの場に居た人達が通報していないと限らない。加え、デビドラモンの凄まじい断末魔は広範囲に渡って轟いてしまった。もう少ししたらしつこく、煩いマスメディアや場合によっては警察が押しかけて来ないとも限らないのだ。そうなったら、大変だ。

 ドルモンの姿を大勢の人に見られるような事になるのも色々面倒だ。と言う訳で、まずは、早くドルモンを一旦家に帰す必要がある。それから疲れたので休むとして、今度こそ病院を目指す。

 

 龍輝は左手の不可思議なデバイスを何とかズボンのポケットに押し込むと、歩道に転がっている花束を拾って雪をぱっぱっとほろい、端的に言う。

 

 「ドルモン、一回家に帰ろう」

 

 「うん~。ドルモンつかれた~」

 

 そういう問題ではないのだが、ドルモンは素直に従った。二人とも寒さのせいだけではなく何となくがくがく震える足を急かせつつ、周囲を気にしながら元来た道を戻って行く。

 

 この時、一人と一匹はすっかり失念していた。

 現場にいたデビドラモンは――二体であった。もう一体を、二人は倒していないのである。

 そのもう一体――上空で傍観していたデビドラモンが遥か彼方へと飛び去って行くのに、二人は全く気付かずじまいであった。




デジヴァイスの機能はちょっと趣向を凝らしてサイバネティックにしてみました。
そう簡単に進化させるつもりはないので……その点はご容赦ください。

あと、今回特に台詞少ないですが、本当にやばい時って喋るどころではないと思うんです。

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