Fate/Zero ~Heavens Feel~ 作:朽木青葉
『――喜んでくれ、マスター。あんたの願いはようやく叶う』
先日、アサシンは綺礼へ向け、はっきりとそう言い放った。
以来、その一言が彼の脳裏から離れない。
それは3年前、綺礼が令呪を授かり、その意味を問い続けた苦悩に似ている。
「私の……望み、だと……」
人知れず口に出してみるが、答えが返ってくるわけでもない。
そもそも言峰綺礼は、生まれてこの方『目的意識』というものを持ったことがなかった。
物心ついた時から、彼はどんな理想も崇高と思えず、どんな探求にも快楽などなく、どんな娯楽も安息をもたらさなかった。そんな人間が目的意識などというものを持ち合わせているわけがない。――否、持ち合わせてはいけないのだ。
思い返せば今まで、綺礼はこの『目的』を追い求めることだけに人生を費やしてきた。
美しいものを美しいと感じられないのは自分が未熟だからだと思い、神を信仰し数々の苦行をこなすも分かったことといえば、自分という人間は神の愛を持ってさえ救うことができない、という絶望のみ。
それでも己を磨き続け、綺礼は『代行者』にまで登りつめたが、ついぞ目的を果たすことはできなかった。
そして、最後の試みとして妻を――
「――うっ」
と、ここで綺礼は軽いめまいを感じ、額を抑える。
まただ。と、歯がゆい思いから、奥歯を強く噛みしめる。
どういうわけか、3年前から彼が妻のことを考えようとすると、目まいのような感覚に陥ることが何度もあった。
アサシンを召喚してからは、その頻度はさらに多くなっている。
彼は結婚したものの妻は体が弱く、2年弱で命を落とした。ただそれだけ――のはずだ。そのはずなのに、何故当時のことを思うと、こうも頭が痛むのか。
まるで、これ以上考えてはいけないと、無意識下で脳が拒絶反応を起こしているかのような――。
『綺礼、首尾はどうだ』
と、ここで時臣から連絡が入り、綺礼は思考を意図的にカット、アサシンとのパスに意識を集中させる。
綺礼がいるのは先日逃げ込んだ廃屋の洋館、その一室だ。そこにはスピーカーのような形をした礼装が置かれており、彼はその目の前にいた。これで綺礼は時臣と連絡を取っているのだ。
しかし、綺礼の眼前に広がるのは目の前のスピーカーではなく、遠く離れた倉庫街の風景だ。それは今まさに、その倉庫街にいるアサシンの眺めている光景である。
これは共感知覚という魔術だ。パスの繋がった契約者に対し、綺礼はこうして感覚器の知覚を共有することが可能だった。
今、綺礼はアサシンの目を通し、遠く離れた倉庫街を見つめていた。そこでは、現在まさに2騎のサーヴァントが交戦中である。
「――未遠川河口の倉庫街で動きがありました。いよいよサーヴァント同士の戦闘が始まった様子です」
『うむ。あれから2日、ようやく始まったか……』
あれ、とはアサシンの召喚された時のことだろう。
呟く時臣の声は暗く、いまだにその失態を引きずっていることが礼装越しでも伝わってきた。
綺礼とて同じ気持ちだが、今は報告に集中する。
「戦っているのは、どうやら――セイバー、それからランサーのようです。とりわけセイバーは能力値に恵まれています。大方のパラメーターがAランク相当と見受けられます」
『……成る程な。流石は最強のクラス、といったところか。マスターは視認できるか?』
「堂々と姿を晒しているのは、1人だけ……セイバーの背後に控えています。銀髪の女です」
『ふむ、ならばランサーのマスターには身を隠すだけの知恵がある、と。素人ではないな。……待て。セイバーのマスターだが、銀髪の女だと?』
「はい、白人の若い女です。銀髪に赤い瞳。どうにも人間離れした風情が見られますが」
『……アインツベルンのホムンクルスか? またしても人形のマスターを鋳造したのか……』
「ではあの女が、アインツベルンのマスターなのですか?」
『ユーブスタクハイトが用意した駒は衛宮切嗣だとばかり思っていたが……まさか見込みが外れるとはな』
時臣の言葉に、綺礼は奇妙なささくれを覚え、少し間をかけそれが落胆なのだと気づく。
『ともかく、その女は聖杯戦争の趨勢を握る重要な鍵だ。綺礼、決して目を離すな』
「……了解しました。できる限り、アサシンに監視させます」
そう請け負い、綺礼は引き続き彼方で繰り広げられている2人の英霊の激闘を注視する。
だが火花を散らす剣戟の閃きも、迸る魔力の奔流も、どこか彼には先刻よりも色あせて見えた。
そして、綺礼と視界を共有するアサシン――士郎は、クレーンの上から戦場を見渡し、人知れず自嘲していた。
「――まさか、またあいつに会えるなんてな……」
悲しげにそう呟く視線の先には、ランサーと戦うあるサーヴァントの姿があった。
それは星の煌めきを思わせる美しい金髪をした、美しい少女。――セイバーだ。
はじめにその騎士の姿を見つけたとき、士郎は胸が張り裂ける思いだった。
「……そうだよな。わかってはいたけど……やっぱり、堪えるな……」
目の前のセイバーは、はじめて出会った頃と同じ輝き保ったまま、今まさにランサーと激闘を繰り広げている。
そう、それはまるで共に聖杯戦争を駆け抜けて行こうと2人で誓った、あの頃のように――。
「――いや」
と、思わず弱気になっていた自分へ喝を入れるべく、士郎は1人首を振る。
その決意は、あの洞窟でとっくの昔に済ませている。
ここで立ち止まっては、あの時の決断が無駄になってしまう。
――そうだ。すべては無に返るかもしれない。あの努力すべてが報われない可能性だってあった。
――だけど、リスクを承知で、それでもここにきたのだ。
――彼女を救おうと、みんなで一緒に帰ろうと約束したから。
だから、その目的の前、
「お前が再び立ちふさがるというのなら――俺は何度だってお前を倒そう」
もう迷わない。
確かな覚悟をもって、かつて相棒だった、いずれ衛宮士郎の相棒になるはずの過去の彼女を睨みつける。
それにあまり感傷にばかり浸ってもいられなかった。セイバーの近くにいる白髪の女性――見違えるはずがない、彼女はイリヤに瓜二つだ。
衛宮切嗣はこの時代でセイバーのマスターをしていたとあちらの綺礼が言っていた。ならば、彼女がイリヤの――。
「本音を言えば、どっちも救いたいんだけどな……」
もちろん、最善は尽くす。
こちらの綺礼に対し知ったような口を利いているが、士郎とて彼の同類。あれだけの出来事を潜り抜けてなお、その性根は変わらない。
『この世すべての人類の救済』それが、衛宮士郎の望みであり、歪みだ。
だが、誰かを救うということは誰かを救わないということだ。――そして、今の士郎には全人類を敵に回してでも、守りたい家族がいる。
ならば――、
――その時、目下の状況に動きがあった。
突如、セイバーとランサーの戦いに、ライダーと思しきサーヴァントが横やりを入れてきたのである。
さらに、それだけでは飽き足らず、彼は2騎の目の前で堂々と真名を叫び、さらに戦場を混乱させる。
そして、挙句の果てにライダーは、顔を見せないサーヴァントたちを散々馬鹿にした挙句、声を張り上げこう叫んだ。
「聖杯に招かれし英霊は、今! ここに集うがいい。なおも顔見せを怖じるような臆病者は、征服王イスカンダルの侮蔑を免れぬものと知れ!」
その瞬間、マスターたちの動揺が士郎にも伝わってくる。
無理もない、と士郎も苦笑いを浮かべ、実際にその不安が現実のものになった際には心の中で時臣に合掌した。どうやら、世代は違っても遠坂は苦労しているらしい。
「我を差し置いて“王”を称する不埒者が、一夜のうちに2匹も湧くとはな」
開口一番、アーチャーは3騎を見下ろし、不愉快げに口元を歪めた。
アーチャーの参戦に事態はさらに混沌と化す。
しかし、事態はそれだけでは収まらなかった。さらにもう1騎、黒い正体不明なサーヴァントが乱入。アーチャーと交戦し始めたのだ。
キャスターを除く、すべてのサーヴァントが一斉に会するなど前代未聞だろう。時臣たちは今頃、胃に穴の開く思いに違いない。
惜しみなく宝具を放つアーチャーを眺めながら、士郎はマスターへ念話を送る。
「どうする、マスター?」
『少し待て』
綺礼はそう言って、こちらとの念話を断つ。
きっと、あちらで時臣と今後の方針について話し合っているのだろう。
しばらくし、綺礼の方からこう尋ねてきた。
『お前の力で、あれを排除することは可能か?』
あれ、とはアーチャーとやりあってるバーサーカーらしきサーヴァントのことだろう。
綺礼の思惑をくみ取り、士郎は端的に答える。
「もちろんだ。あいつだけなんて言わず――あの一帯、丸ごと吹き飛ばすこともできる」
『……方法はお前に任せる』
「了解」
士郎は短くそれだけ言い、素早く回路を回し、弓を投影する。
それは2日前、アーチャーに一瞬見せたそれだ。
この英霊の記憶の中で、飛び抜けて威力の高い技。その矢を複製し、弓を番える。
「――
目標は暴れまわる黒いバーサーカー。そして――その近くにいるセイバー、ランサー、ライダー、――アーチャー。すべてのサーヴァントだ。
「――
狙いを澄ましながら弓を引き、目標へ向け放った。
「――“
放たれたその矢は凶星となり、5騎のサーヴァントを不気味に照らす。
直後、激しい爆発が倉庫街を、すべてをのみ込んだ。
このあとがきを目にしてるみなさん、この作品を読んでいただき誠にありがとうございます。
なんとこの度、有り難いことにこちらの作品が日間ランキングにランクインいたしました! まさかこんなに大勢の方に読んでもらえるとは思えず、感激の極みです。本当にありがとうございます。
そして、こんな時にたいへん申し訳ないのですが、次回の更新は少し間を開けさせていただきます。
多分1週間、長くても2週間で用事を済ませ戻ってきますが、一応報告だけ。
これからも精一杯精進していきますので、ぜひよろしくお願いします。変わらず、冷ややかに見守ってやってください。