Fate/Zero ~Heavens Feel~ 作:朽木青葉
――決戦の夜。
セイバーは、アサシンをバイクの後部に乗せて市街を走っていた。
月が高く、空が遠い。バイクの疾走と共に、身を切るような冬の空気が2人へ吹き付けるが、不思議と今は気にならない。
アサシンといるからだろうか? 決戦前だというのに、セイバーは晴れやかな気分だった。彼には、そんな不思議な安心感がある。
「――セイバーの運転するバイクに乗る日が来るなんて……なんか、変な気分だな」
だから、そうアサシンに声をかけられた時も、セイバーは穏やかな気持ちで返した。
「そうですか? 私はあなたと共に最後の戦いへ挑めることを誇りに思います、アサシン」
気負わず、言い切ることが出来る。
「此度は聖杯を手に入れることができませんでしたが、私にはまだ次がある。今回の聖杯戦争は厳しいものでしたが、その中で、あなたと出会えた幸運に感謝しています」
「――っ……そうか」
と、セイバーの言葉にアサシンは一瞬息を飲んだ。
不自然なその反応に少し首を傾げるも、疑問を持つよりも早く、アサシンが答える。
「俺もだ。――俺も、セイバーと出会えてよかった」
――その言葉に、どれほどの意味が込められているか、彼女には分からない。
それでも、そう断言してくれた。
ならば、それで十分だ。
意識を運転へ戻し、真っ直ぐと前を見据える。
決戦の地、柳洞寺を。
そして、
「さあ、着きました。ここからは――」
と、セイバーが山門の前でバイクを停車したちょうどその時、
「――おお! やってきたなセイバー! それにアサシン」
と、同じく山門前へ1つの影がやって来た。
戦車で空を駆けるライダーは、立ち塞がるように2人の前で停車する。
「……ライダー。やはりあなたか」
呟きながら、セイバーが身構える。
しかし、その人物の登場に疑問はない。むしろ、ここで来なければ彼ではない、とさえ思った。短い付き合いだが、それほどまでにこの男の強烈な人間性はセイバーに刻み込まれている。
――それはアサシンも同じなのだろう。
「アサシン。ここは私が」
と、短くアイコンタクトを取ると、アサシンはゆっくりと頷いた。
「ああ、頼んだ」
そう言い残し、アサシンは1人、ライダーの脇をすり抜け、参道を登って行く。
――お互い、戦いが始まればどうなるか分からない。この背中が、セイバーの見るアサシンの最後かもしれない。
それでも――
2人に不安も迷いもなかった。
「…………」
セイバーは離れ行くアサシンの背中をゆっくりと見送ったあと、自身の敵を睨む。
――どちらの味方か? などという野暮なことは問わない。彼は、アインツベルンと遠坂、そのどちらの味方にもならないだろう。
セイバーには理解できぬものの、彼も彼なりの信念で動いている。
ならばこの敵を説き伏せることなど出来るはずもない。
だから、
「――――」
覚悟を決めて、剣を構える。
――問答は無意味。
――剣を賭して、明暗を分けよう。と。
その合戦の合図にライダーも合意の笑みを浮かべた。
「――行くぞ、坊主」
「ああ、負けたら承知しないぞ」
緊張した面持ちでライダーを鼓舞する彼のマスター。
ライダーはそんな彼の背中を叩きながら笑う。
「応よ。今からセイバーを倒して、あの小僧もこれから倒す。そうして最後は英雄王だ。――そうしてこの場の全てを征服し尽くしてくれようぞ」
と、ライダーは敵の目の前だと言うのに、そう豪快に啖呵を切った。
「あなたという人は……」
そのあんまりな態度にセイバーは呆れてため息を吐く。
だが同時に――彼らしいとも思った。
だから、
「その己惚れ、今ここで正させてもらう!」
聖剣を片手に、容赦なくバイクのアクセルを踏んだ。
「――行くぞ、征服王!」
その怒声に答えるように、ライダーも手綱を握り、戦車を走らす。
「――来い、騎士王!」
こうして、征服王と騎士王。
今、――――2人の王が激突する。
綺礼と切嗣は裏山の斜面を登っていた。
地下空洞への入り口は柳堂寺の裏手にある。2人はセイバーとアサシンを囮に、裏側からそこへ侵入しようとしていた。
「…………」
「…………」
両者の間に会話はない。
何の因果か、今は協力関係ではあるものの、元々相容れぬ2人である。無理もないだろう。
淡々と草木をかき分ける。時には断崖絶壁を登るなど、かなり険しい山道だったが、2人は苦も無く進んでゆく。
そうして、わずかな水の流れる小川の先に、その洞穴を見つけた。
躊躇いはない。
灯りもない洞穴の中へ躊躇なく突入する。
そうしてしばらく、狭い斜面を手探りで滑り降りると、ヒカリゴケに照らされた天然の通路へと出た。
――ここまでくれば確認はいらない。
洞窟の中は、どす黒いおびただしい量の魔力で満ちていた。
「…………っ」
その空気に切嗣が僅かに顔をしかめた。
――自身の最後の希望。それが幻想であると確定した瞬間なのだ、無理もない。
その葛藤を目にし、綺礼もわずかに口角を吊り上げる。
それでも2人は前へ進む。
そして、大きく開けた空洞へと抜けた。
その瞬間――
「――っ!」
突如、謎の物体に襲撃を受ける。
それを綺礼は辛うじて、黒鍵で防いだ。
切嗣も銃を構え、2人は空洞の中央へと視線を向ける。
そこに、
「来よったか、小僧共」
おびただしい数の蟲を従えた、臓硯が立ちはだかっていた。
――蟲の総数は分からない。
おそらく、臓硯が持ちうるすべての蟲をここへ集結させたのだろう。グラウンドほどある空洞の半分がその蟲で埋まっている。
「間桐、臓硯」
綺礼は短く呟いたが、返答はない。
返ってくるのは確かな殺気のみ。余程間桐邸でのことで腹を立てているのだろう。
問答は無意味。
だから、
「「っ――!」」
2人は同時に動いた。
「――やれ」
同じく、臓硯も蟲たちにそう命令する。
――蟲が押し寄せる。
それを綺礼は黒鍵で、切嗣は制圧射撃で真っ向から迎え撃つが、まさに焼け石に水だ。2人の攻撃は、無数とも思える蟲の軍勢に僅かな風穴を開けるのみで、まるで効果がない。
無論、蟲ごときに遅れを取る2人ではないが、このままでは前にも進めない。
「どうした! その程度では、儂の蟲を狩り尽くすことは出来んぞ!」
空洞内に、臓硯の嗤笑が響く。
――臓硯の狙いは時間稼ぎ。
負けはしないものの、押し寄せる蟲の軍勢のせいで、綺礼と切嗣は前に進めない。そうして奥にいるであろう時臣の儀式が完遂するまで、時間を稼ぐつもりだろう。
だが、そうはいかない。
「――ふっ」
と、綺礼は臓硯へ向け、黒鍵を放つ。
――刃が走る。
蟲どもを殺し尽くせないのならば、その頭を潰せばいい。
狙い通り、綺礼の放つ黒鍵は砲弾となって、臓硯へ突き刺さる。
しかし、
「――無駄じゃ」
頭に風穴の空いた状態で、臓硯は嘲笑を浮かべた。
「儂の身体はこの蟲の軍勢と同じ――いくら一部を潰されようと、殺し尽くすことは出来ん」
その言葉と同時に、臓硯に空いた穴が瞬く間に塞がって行く。
その姿はまさに蟲。臓硯を殺したくば、ここにいる全ての蟲を殺し尽くすか、臓硯の本体そのものへダメージを与えなければならないだろう。
それでも――もう1度、綺礼は黒鍵を同じ部位へと放った。
治りかけの部位へと命中し、更に大きな風穴が開く。
だが、それも無駄。すぐに蟲はどこからともなく現れ、同じように瞬く間に穴を塞ぐ。
が――それでいい。
「
と、塞がり欠けの穴へ、切嗣が呪文を唱えながら突っ込んだ。
――固有時制御。通常の2倍速となり、本来間に合うはずのない僅かな隙間へ、切嗣はその身体をねじ込む。
「何――!」
それを見た臓硯が初めて驚嘆に表情を崩す。
すぐに走り抜けようとする切嗣を阻止せんと動くが――それは綺礼が許さない。
妨害しようとする臓硯へ、人智を超えた速度で迫り、拳を放つ。
「っ――――!」
その拳を、臓硯は蟲に紛れることでギリギリ回避した。
しかし――十分だ。
その間に駆け抜けた切嗣は遥か彼方、空洞の更に奥へと足を進めている。
この場所には、大量の蟲と2人の男だけが残された。
「始めから、これが狙いじゃったか……」
まんまと出し抜かれた臓硯は、悔しそうに苦虫を噛み潰す。
そう、元より綺礼が臓硯を切嗣が時臣を相手取る手筈だった。
「…………」
その無言の威圧を肯定と捉えたか、残された神父を老魔術師は笑う。
「カッカッカ、しかしよいのか? 貴様1人ではこの数の蟲を相手取るのはちと骨が折れるのではないか?」
同時に、おぞましい数の蟲どもが臓硯と共鳴するように、嘲笑のような羽音を響かせる。
空洞そのものが振動しているかのような大合唱。
――が、その程度で怯む綺礼ではない。
「心配はいらん。貴様には随分と借りもあるからな」
と、逆に臓硯を嘲笑い返し、黒鍵を構える。
見据えるは老魔術師――その右腕。
「――その令呪、返してもらうぞ」
吐き捨て、蟲の軍勢のただ中へと躊躇わず踏み込んだ。
そんな綺礼に対し、臓硯は声を上げて笑う。
「ク、ハハ、ハハハハハハ!
そうか、父の仇を取りに来たか! 未だそのような虚実にすがろうとは! よかろう綺礼、その贋造、この儂が踏みにじってくれようぞ!」
笑い声と共に、綺礼を挑発するように臓硯の令呪が怪しく光る。
同時に蟲たちは力を増し、歓喜の羽音を響かせ、綺礼へと迫った。
そして、
「っ――――!」
聖職者は、老魔術師の操る蟲の軍勢を迎え撃つ――――
時臣は、祭壇の前でその器を見下ろしていた。
儀式の準備はあらかた整い、今は聖杯が満たされる時をただ待つばかりだ。
真上の柳洞寺で残存サーヴァントを迎え撃っているであろう英雄王が勝利し次第、すべての令呪をもって自害させる。如何に英雄王とて、これだけ離れた位置からの3度の絶対命令には逆らえないだろう。
――アーチャーが敗れることはあり得ない。それでも慎重に慎重を重ね、布石も打った。
「……いよいよ、か」
勝利を目前に、ゆっくりと呟く時臣。
そんな彼へ向け――――突如、銃声が響いた。
音の壁を越え、放たれる無慈悲な一撃。
寸分たがわず、時臣の頭部へと穿たれた鉄の弾丸は、彼の頭を――吹き飛ばす数センチ手前で、見えない壁に阻まれた。
同時に、身に着けていた宝石の1つが音を上げ、砕け散る。
「……やはり狙撃で来たか」
それを確認し、時臣はゆったりと余裕のある態度で呟いた。
……相手の手口は分かっていた。現代の兵器など、普段ならば歯牙にもかけないところだが、念には念を入れ、周囲へ結界を張っていたのが幸いしたらしい。
――今回、万に1つもミスは許されない。一族の悲願を賭けた大一番、『うっかり』だけは起こせないのだ。
しかし、だからこそ。普段通り、それでいていつも以上に優雅に、狙撃手へ向け語り掛ける。
「――出てきたまえ」
「…………」
すると、まもなくその人物は姿を見せた。
狙撃が無意味と分かるや否や、隠れていた入り口付近の岩陰から立ち上がり、こちらへ向け歩み寄る。
「……ほう」
その態度に、思わず感嘆の声を上げる。
魔術を貶める外道だと思っていたが、なかなかどうしてただの外れ者ではないらしい。
こちらへ向かうその姿には、確かな闘志が感じられた。
「遠坂家現当主、遠坂時臣だな?」
「その通りだ、衛宮切嗣」
だから時臣も、切嗣を正式な敵と認め、その問いに応じる。
「まさか悪名高い君と聖杯を競うことになるとは……些か意外ではあるが、思っていたよりも悪くない」
感慨深く、呟く時臣。
しかし、対する切嗣はこれ以上問答を繰り広げるつもりはないらしい。
「聖杯を――アイリを返してもらう」
静かに短機関銃を時臣へと向ける切嗣。
「やってみたまえ、魔術師殺し」
時臣も、宝石の埋め込まれたロットを構え、
――瞬間、炎と銃弾が衝突した。
セイバーに見送られ、アサシンは石段を登っていく。
1段1段踏みしめながら、様々な思いが胸の内からあふれてくる。
――この数日過ごした、この世界のこと。
――巡り合えた、人々のこと。
あちらでは、もう声を聞くことさえ叶わない大切な人たちにたくさん会えた。
それがどれほど温かく、眩しかったか。
――それが、偽物だってことは分かってる。
この世界において、アサシンは存在するはずのないイレギュラーだ。
あの温かさも、眩しさも、この世界に生きる彼らのものであって――決して、アサシンに向けられたものではない。
それでも――それを美しいと思った。
階段を上っていく。
山門が近づいてくる。
そこがアサシンの終着点。
この戦いで勝利しても、アサシンはこの世界には留まれない。
――それに。
悔いがないなんて、言えるはずはない。
セイバーがいた。
切嗣がいた。
イリヤだって――――
ここにいれば、彼らとまた語り合える。
「――――」
それでも、階段を登る。
――こちらの世界の彼らのために。
美しいと思ったから。
大切だからこそ、彼らにだけは笑っていて欲しい。
例え、その風景に『アサシン』はいなくても――。
――そうして。山門に辿り着いた。
さあ、これが最後の選択だ。
進めば終わる。
だから――――アサシンは躊躇なく、境内へと足を踏み入れた。
そこに、
「――来たか。待ちわびたぞ、
終わりを告げる、黄金のサーヴァントが立ちはだかっていた。
「っ――――」
身構えるアサシンに対し、アーチャーは普段と変わらぬ様子で問う。
「セイバーはどうした?」
「……下でライダーと戦ってる」
「そうか……ふん、まあいい。貴様を殺した後で迎えに行くとしよう」
どうやらアーチャーはアサシンではなく、セイバーを待っていたらしい。
……何か、2人に因縁でもあるのだろうか?
一瞬首を傾げたが、思い当る節はなかったのですぐにかぶりを振った。代わりに、望みは薄いが一応確認だけはしておこうとある問いを投げる。
「一応聞くが……退いてくれないか?」
「……死に急ぐか?」
「……そうだな。悪い、忘れてくれ」
普段通りなアーチャーの気に当てられたのだろう。決戦を前にあんまりな質問だったと反省する。
――ならば、これ以上の問答は不要だろう。
思えば、こちらへ来て、初めて目にしたサーヴァントがこのアーチャーだった。
こちらへ来てから何度も切り合い、共に語った。
お互い、その性質から相手の宝具、力量、その全てを熟知している。
そこからアサシンが導き出した結論は――アーチャーと本気で戦えば、万に1つも勝機はない、というものだ。
そして今――目の前にはその慢心なき英雄王が立ちはだかっている。
「――
――それでもアサシンは剣を取る。
同時に、武装を敵対の合図と見なしたか、英雄王からも凄まじい闘気が放たれた。
――背後の空間が陽炎のごとく揺れる。
空気が張り詰め、その重圧だけで押しつぶされそうだ。
だから、気持ちだけは負けじとアーチャーを睨む。
その視線に、アーチャーが愉快そうに鼻を鳴らした。
「――ふん、それでこそだ贋作者。
我には勝てないと知った上でなおその気概。セイバーの前座として不足ない」
――更に、空間が歪む。
その砲門の数を10、20、30、と際限なく増やして行く。
――それでもアサシンのやることは変わらない。
「――
――初日の再現だ。
際限なく砲門を増やすアーチャーに対し、アサシンはその全てを
――元より、他にアサシンには芸がない。
この体は『そのこと』のみに特化した魔術回路。
ただし――固有結界は使えない。
あの世界はあの男だけのもの。今のアサシンとでは心象風景がかけ離れ過ぎている。
だが――それがどうした。
ならば、この贋作のみで――その悉くを凌駕して見せる――――!
その姿に、英雄王が片腕を上げる。
「では採点だ。――貴様の贋作。その精度。この我が手ずから試してやろう」
「ああ――」
それに対し、アサシンも前に出る。
目の前には、千の財を持つサーヴァント。
「行くぞ、英雄王――――――武器の貯蔵は十分か」
「は――思い上がったな、雑種――――!」
アーチャーは『門』を開け、無数の宝具を展開する。
月夜を駆ける。
異なる2つの剣軍は、ここに、最後の衝突を開始した。