Fate/Zero ~Heavens Feel~   作:朽木青葉

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前夜

 衛宮切嗣は当惑していた。

 それは宿敵、言峰綺礼が同盟を求めてきたから――ではない。

 その問題は、つい先ほど解決した。

 ――当惑の原因は、切嗣の前には並んでいる数々の料理。

 1つはアサシンが作ったものだ。武家屋敷の雰囲気に合わせたのか、アインツベルン城の時とはうって変わった見事な和食。例えどんな料亭で出されても違和感のない、プロ顔負けの出来だった。

 ――ここまではいい。

 正直なことを言えば、豪華絢爛な食事はアインツベルンでの生活で食べ飽きており、切嗣としてはジャンクフードなどが好みなのだが、食事は食事だ文句は言わない。

 ――問題なのは、もう1品。

 和食の隣に置かれている、

 

 ――――――マグマの様に煮えたぎった麻婆豆腐である。

 

「……………………」

 

 赤黒く沸き立つその液体は、さながら地獄の窯そのもの。ラー油と唐辛子を100年間程度煮込み続ければ、ちょうどあんな泥が生まれるだろう。

 そんな開かれた地獄の蓋から、こちらへ言い様のないプレッシャーを放つ麻婆。

 あんなモノは人が食べられるモノではない。何としても無視を貫きたい所だが、そんな切嗣を包囲するように2人の男が目の前に立ちはだかっていた。

 

「――どうした、爺さん? 早く食べないとなくなるぞ?」

 

 男の片方、アサシンはそう切嗣へ生き生きとした笑顔を向け、

 

「――早くしろ、衛宮切嗣。折角お前のために、私まで要らぬ労を働いたのだ。さっさと食せ」

 

 と、もう片方の男、綺礼が悪魔の笑みを浮かべてる。

 その様相はさならが天使と悪魔。

 

「くっ――」

 

 八方塞がりの現状に切嗣は頭を抱える。

 ――どうしてこうなった……。

 そうして、現実逃避するように過去へ思いを馳せる。

 それが、いつぞやの宿敵とまったく同じ反応であることを切嗣は知らない……。 

 

 

 ――遡ること数時間前。

 

「――手を組まないか、衛宮切嗣」

 

「何?」

 

 玄関越しにそんな突拍子もない提案をしてきた宿敵へ、切嗣は眉をひそめていた。

 訝しむ切嗣に対し、綺礼は余裕の笑みを称えながら告げる。

 

「意外な話でもあるまい。我々は遠坂の悲願を阻止したい。お前は聖杯を奪還したい。利害は一致している」

 

 その以前アインツベルン城で見た、陰鬱とした綺礼とは真逆の態度に警戒心を強めつつも――提案自体は、悪くないと判断した。

 だまし討ちを疑いつつも、話を促す。

 

「……条件は?」

 

「小聖杯奪還の作戦立案、当日の段取り、すべてお前の判断に一任しよう。アーチャーが敗退するまで、我々はお前の指揮下に下る」

 

 つまり同盟ではなく、条件付きの休戦協定。更に休戦の間、完全に切嗣の手足として下につくということだ。条件としては破格。これ以上の好条件はないだろう。

 

「その後は?」

 

「無論敵同士だ。――最も、私も聖杯などには興味がない。お前が万に1つの可能性にかけ、聖杯を使おう、などという世迷言を発せぬ限り、争う必要などないだろうがな」

 

 その通りだった。実際、聖杯が使えないと分かった以上、切嗣が勝つことに意味はない。要は臓硯と時臣が勝利しなければいいのだ。

 完全に疑いが晴れたわけではないが、怪しい点はない。

 しかし、だからこそ不気味でもあった。

 ――だが、今切嗣には後がない。

 現状の戦力であのアーチャーと時臣を倒すことは不可能だ。ならば、

 

「……分かった」

 

 と、熟考した後、切嗣は頷いた。

 その答えに綺礼は意味深な笑みを浮かべ、隣のアサシンは嬉しそうに破顔する。

 

「――ただし、信用はしない。セルフ・ギアス・スクロールを施させてもらう」

 

「よかろう。無論、その際我々も契約内容は確認させてもらう」

 

「いいだろう」

 

 そうして、綺礼は再び手を差し出し、切嗣もその手を取った。

 ――契約成立だ。

 すると、

 

「そうそう、言い忘れていた――」

 

 と、空かさず綺礼は不気味な笑顔を浮かべて、こう捕捉した。

 

「実は我々にはもう2人、連れがいてな」

 

「何っ?」

 

 切嗣は突如提示された仲間の存在に身構える。

 現在、残っているサーヴァントはセイバー、アーチャー、ライダー、アサシン。その内、綺礼と面識があることが分かっているのはアーチャー陣営のみだ。

 ならば、このタイミングで現れる第三者など、切嗣には2人しか思いつかない。

 

「――入れ」

 

「っ――!」

 

 ――やはり罠だったか!

 と、身構える切嗣。

 その目の前に現れたのは……

 

「こんにちはー。アンタが衛宮さん?」

 

「……こんにちは」

 

 間桐雁夜と間桐桜だった。

 

「…………」

 

「――ブフッ」

 

 余りに場違いな2人の登場に呆然とする切嗣と、そんな彼を見て本当に愉快そうに噴き出す綺礼。そして、そんな空気にはまったく気づかず、ニヤニヤと桜を抱える雁夜に、べったりくっ付かれて嫌そうな桜。

 そんな何とも言えない雰囲気の中、唯一空気を読めたアサシンが曖昧な表情を浮かべ、こう提案した。

 

「……とりあえず、飯でも食おう」

 

 

 ――そして今に至る。

 食卓を囲むのは7人の人間とサーヴァントたち。内、切嗣以外の6人は皆笑みを浮かべ、食事を楽しんでいる。

 

「お、おいしい! アサシン君、料理上手いんだね! ね、桜ちゃん!」

 

「……おじさん、うるさい。唾、飛ばさないで……」

 

「……やはり、アサシンの料理は素晴らしい。この料理があればブリテンもあと10年は――」

 

「……あの、アサシンさん。今回もデザートは?」

 

「大丈夫だよ、舞弥さん。ちゃんと用意してる――どうした、爺さん? 早く食べないとなくなるぞ?」

 

「――早くしろ、衛宮切嗣。折角お前のために、私まで要らぬ労を働いたのだ。さっさと食せ」

 

 と、どういう訳か、あれほどしかめっ面だった綺礼までもが、そう愉悦スマイルを浮かべる団欒空間。

 そんな中、ただ1人謎の麻婆に苛まれる切嗣。

 ――どうしてこうなった……。

 再び現実から目をそらしてみるが、当然答えは出ず、目の前の麻婆も消え去らない。

 切嗣1人への嫌がらせならば無視することも容易いが、これを仕掛けた張本人が目の前で美味そうに麻婆をかきこんでいるのもまた、たちが悪い。

 何故、あの男はこんなものを食べて平気なのか……。

 同じ疑問を持ったのか、今も給仕に精を出しているアサシンが綺礼の前で立ちどまり、呆れ顔で呟いた。

 

「あんた、毎度のことながら、そんなモノよく食えるな……」

 

「食うか――――?」

 

「食うか――――!」

 

 即答され、不満そうに眉をひそめる綺礼。

 しかし、それもつかの間。すぐに切嗣へ向き直り、悪魔の笑顔を浮かべた。

 

「……ふん、まあいい。しかし、衛宮切嗣、

 ――お前は食べるだろう?」

 

「っ――――!?」

 

「まさかお前ともあろうものが、同盟相手の用意した食事へ手を付けない、などという愚行を犯す、と?」

 

「くっ……」

 

 友好関係を盾に取り、食事を脅迫する(すすめる)綺礼。

 確かに、そのような繊細な神経を持っているとは思えないが、立場上出された食事に手を付けないのは些かマズい。

 ――食べるしか……ないのか……!

 正直食べたくない。絶対に食べたくない。何としても食べたくない。

 だがここで、休戦協定を反故にされるわけにはいかない。

 結局、その現実からは逃げられず、切嗣は覚悟を決める。

 ――だって、僕は――

 いままでそうしてきたように、自分の思考と指先を切り離し、機械的な動作で蓮華を動かす。

 今、切嗣はただ麻婆を食すための機械。

 ――僕は――世界を――救うから、だ!

 そうして麻婆を蓮華ですくい、口へ……

 

「っっっ――――――――!!!」

 

が、生理現象には敵わず、麻婆(どろ)を口に入れた途端、切嗣は悶絶した。

 それを見たアサシンが慌てて駆け寄り、綺礼は真顔で首を傾げる。

 

「ちょ――っ! 爺さんっ!」

 

「うむ? 辛かったか……やはり『辛そうで辛くないむしろ辛かったことを脳が認識しようとしてくれないラー油』にはまだ改善の余地があるな……」

 

「言峰っ!? 何てもん爺さんに食わせんだ!?」

 

 隣でそんなコントが展開されるが、突っ込む気力はない。切嗣は、あまりの辛さにそのまま畳へ仰向けで倒れた。

 その時、アサシンが切嗣の顔を覗き込み――

 

「…………」

 

 ――そこで切嗣の意識は落ちた。

 

 

 時臣は珍しく外出し、禅城の家へと向かっていた。

 

「いよいよ、明日……か」

 

 と、その道すがら、臓硯と話し合って決めた今後の作戦について思いをはせる。

 ――最早、時臣には一刻の猶予も残されていない。

 聖堂教会から援軍が派遣されるのは時間の問題だろう。そうなれば、魔術教会も黙っていない。この2大勢力に介入されては、まず間違いなく遠坂は悲願を達成することができなくなる。

 そこで急遽、臓硯の提案で強硬策を講じることにしたのだ。

 その作戦とは――明日、残存サーヴァントの掃討作戦と並行し、大聖杯の起動儀式を同時に遂行。最後のサーヴァント消失を確認次第、同時に根源への道を開くというものだ。

 今、臓硯はその準備をしに、大空洞へと赴いている。時臣もすぐに手を貸しに行くべきなのだが、無理を言って幾ばくかの猶予を貰い、この禅城へとやって来たのだ。

 ――明日の儀式が失敗すれば勿論、成功しても時臣は現世に留まれない。

 仮に儀式が成功し、無事根源の渦への道が開いても、1度渦へと至れば最後、こちらへ帰ってくることは出来ないとされているからだ。

 事実上、これが凛や葵に会える最後の機会となるだろう。

 ――迷いはあった。

 此度の聖杯戦争はイレギュラー続きだ。汚染された聖杯で根源への道を開いたとき、どれほどの被害が街へ出るかは計り知れない。これは、この地を管理する遠坂の当主としてあるまじき行為だろう。

 父の友も手にかけた。璃正さんは本当に、我ら遠坂へ良くしてくれた。あれほど優れた聖職者は他にいないと、今でも確信をもって言える。――それでも、目的のために裏切った。

 臓硯の動きも気がかりだ。奴はもうマスターではない。例え、時臣が勝ち進んだ所で見返りはゼロのはずなのだ。それでも、臓硯は儀式の協力を惜しまない。裏があるとみて間違いないだろう。

 ――果たして、自分の進んでいる道が、本当に遠坂の悲願へと通じているのか?

 ここへ来て、迷いは尽きない。

 しかし、

 

「――お父様!」

 

 と、玄関前に現れた娘の姿を見て、時臣はそんな自分を恥じた。

 父を信頼しきった、迷いのない澄んだ瞳。見上げる凛の頭を撫でながら、時臣は告げる。

 

「凛……それ以後の判断はお前に任せる。お前ならば、独りでもやっていけるだろう」

 

 自然、言葉が溢れてくる。

 時臣を見上げる凛の瞳には、不安も、戸惑いも、微塵もない。そこには無条件の信頼と敬愛が込められている。

 ――ならば、時臣もその瞳に答えなければならない。

 この子へかける言葉は、詫びでも、行く末の案じでもない。去りゆく先代の1人として、次期当主へかける言葉はたった1つ。

 

「――凛、いずれ聖杯は現れる。アレを手にするのは遠坂の義務であり、何より――魔術師であろうとするのなら、避けては通れない道だ」

 

 きっぱりと頷く少女の眼差しに、時臣の胸は誇らしさで満たされる。

 

「それでは行くが。後の事は分かっているな」

 

「はい。――行ってらっしゃいませ、お父様」

 

 決然と、澄んだ声でそう答える凛に首肯すると、時臣は立ち上がった。

 ここへ来る前まで立ち込めていた様々な葛藤や迷いは、もう何もない。

 迷いとは、余裕なき心から生まれる影だ。それは優雅さとは程遠い。

 深く家訓を刻み込んだ胸に、凛の眼差しが、あらためてそう教えてくれた。

 娘の信頼を裏切らないためにも、遠坂時臣は完全無欠の魔術師でなければならない。

 なればこそ――この手で遠坂の魔道を完遂させる。

 愛する娘の信じた、真に十全たる父として。

 決意も新たに、時臣は黄昏の道を踏んで帰路へと急いだ。

 再び、冬木へ。

 最後の戦場を目指して。

 

 

 大空洞はどす黒い魔力に満たされていた。 

 まだ起動には至っていないものの、着々と敗退していった怨念たちを束ね、誕生への鼓動を打つ大聖杯。

 そんな大聖杯の目の前に設けられた祭壇で動く影が1つ。

 臓硯は手際よく儀式の準備を施しながら、おぞましい呪いの言葉を吐いていた。

 

「――このままでは終わらん……終わらんぞ」

 

 その姿はまるで執念の化身。サーヴァントを失い、追い詰められた臓硯はただ執念のみで動く怪物へと化していた。

 そんな彼の言葉に反応し、祭壇の上に寝かせられていたアイリスフィールがゆっくりと身じろぎする。

 

「マキリ……」

 

「おっ? ――おお目が覚めたか、聖杯の器よ」

 

 と、彼女の言葉に応じ、一瞬臓硯は人の顔を取り戻す。

 

「何を……しているの……あなたの聖杯戦争はとうに終結しているはずよ……」

 

 聖杯の守り手としての責務からか、息も絶え絶えな様子でそれでもアイリスフィールは臓硯を問い詰める。

 

「うむ。サーヴァントを失ったこの身では、聖杯を手に取ることは叶わんじゃろう」

 

「なら――」

 

「じゃが、やりようはいくらでもある」

 

 と、臓硯は彼女の問いに、いつものおぞましい笑みを浮かべながら答えた。

 

「例えば、――生まれ落ちる『この世すべての悪』と再契約を交わす。――など、な。

 幸いこの手にはまだ令呪がある。サーヴァントシステムを熟知した儂じゃからこそ可能な変則契約じゃ。そして受肉したそやつの肉を、我が蟲どもの糧とする。英霊の肉じゃ、さぞ極上な味じゃろう」

 

 嗜虐に満ちた笑顔で答える臓硯。その言葉が意味することにアイリスフィールは絶句した。

 

「うそ……そんなことすれば……」

 

「応よ。地上はただではすまんじゃろう。しかし――構うことはない。儂の目的はあくまで不老不死。――最悪のサーヴァントの血肉を以って、我が悲願を成就しようぞ」

 

 ただ――死にたくない。

 その執念のみで動く蟲の翁へ、アイリスフィールは最大限の侮蔑を向ける。

 

「――どこまで堕ちるというの……マキリ……」

 

 が、そう吐き捨てるアイリスフィールを臓硯も鼻で嗤った。

 

「フン。1000年の悲願を忘れた貴様に言われる筋合いはないわい。ユスティーツァもさぞ嘆いていることじゃろう」

 

「それはこちらのセリフよ。あなたこそ――」

 

「うん?」

 

「……いえ、何でもないわ」

 

 今のこの男へ何を話しても無駄だろう。

 ――例えこの老人が、愛する夫と同じ理想、その成れの果てだとしても。

 口をつぐむアイリスフィール。そんな彼女に賛同するように、臓硯も休めていた作業の手を再開した。

 

「そうじゃな、無駄口もここまでじゃ」

 

「く――っ」

 

「ちと乱暴な儀式になるのでの――何、安心せい。第三法はこの儂がしかと体現して見せよう。それまで貴様がそこで見ておれ」

 

「……あなた……イリヤ…………」

 

 薄れゆく意識の中、アイリスフィールは愛する者たちの名前を口にし、

 彼女は再び、暗い闇の中へと沈んでいった。

 

 

 遠坂邸から帰ってきたウェイバーはマッケンジー家に戻り、黄昏ていた。

 聖杯戦争はいよいよ最終局面へと入っただろう。それくらいならば、半人前のウェイバーにも分かる。

 自身の力を示すために臨んだ聖杯戦争。

 しかし、その願いは叶わず、ここまで圧倒されてばかりだ。

 ――圧倒的強さのアーチャー。

 ――誉れ高きセイバー。

 ――確かな覚悟を持ったアサシン。

 そして、

 ――見果てぬ夢を志すライダー。

 ウェイバーなど肩を並べることさえおこがましい、本物の強者たち。

 実力不足なのは分かっている。そんな自分のことをライダーが気遣ってくれていることも。

 それでも……。

 

「なあ、ライダー」

 

 と、窓枠へもたれ掛かるように読書をしているライダーへ問う。

 

「……どうして宝具を開放するとき、ぼくの魔力供給分まで肩代わりしたんだ?」

 

 それを聞いて、ライダーが珍しく目を丸くする。 

 その後、恥ずかしそうに頬を掻いたあと、口を開いた。

 

「……なんだ。気づいておったのか」

 

「当たり前だろ。あんな大規模な宝具なんだ。発動するだけでそうとう消耗するはずなのに、こっちにしわ寄せがまったくこないんじゃ、誰でも気づく」

 

 お前、ぼくを馬鹿にしてるだろ。と、いつもの小言を呟いた後、続けて尋ねた。

 ――答えの分かっている問いを。

 

「どうしてそんな無茶したんだ?」

 

「だって……なぁ」

 

 さも言いにくそうに口を汚してから、ライダーは嘆息する。

 

「全力の魔力消費に小僧を巻き込めば、その時は、命すら危うくしかねんからな」

 

 ――分かっていたことだ。

 ウェイバーの実力ではライダーの全力についていけない。

 それでも、

 

「ぼくは――それでいいんだ」

 

 これはウェイバーが始めた戦いだ。

 ウェイバーが血を流して、犠牲を払って、その上で勝ち進まなければ意味がない。

 

「ぼくは……それでも、お前のマスターなんだぞ」

 

 そう意地になって反発しながらも、一方ではそんな自分に呆れて失笑した。

 ただ、ライダーの陰に隠れることしかできない自分が怨めしい。

 だが、そんなウェイバーの胸の内などお構いなしに、ライダーは普段と変わらぬ豪放さで大笑いした。

 

「坊主、貴様も言うようになったではないか! うむ、確かに明日は大一番だ。それぐらいの気合が必要であろう」

 

 大一番というのは、先ほど遠坂と立てた作戦の事だろう。

 

「……そういえば」

 

と、ウェイバーは気持ちを切り替え、疑問を口にする。

 

「なあ、ライダー。本当にあいつらと手を組んで良かったのか?」

 

 あの金ぴかは、ライダーの宿敵のはずだ。

 そもそも、誰かと手を組むこと自体、ライダーらしくないと思った。

 だが、そんなウェイバーの質問に、当のライダーは首を傾げる。

 

「うん? 別に手など組んでおらんぞ?」

 

「はあっ!?」

 

 意味不明だった。

 ウェイバーは思わず驚愕の声を上げる。

 

「だっ……だってお前! 他のサーヴァントがいなくなるまで、アーチャーとは戦わないって同盟結んでただろ!?」

 

 それが遠坂と結んだ契約だった。

 残るセイバー、アサシンを倒すまで、アーチャーには手を出さない。また、明日遠坂が行う残存戦力の掃討作戦にも遊撃兵という形で参加する、というものだ。

 しかし、驚くウェイバーに対して、ライダーは呆れた様子で嘆息した。

 

「あのなぁ。あやつにも言ったが、余はやつの軍門になど下っておらん。ただ共に聖杯戦争を駆け抜けるライバルとして、大一番での1対1を誓ったまでのこと」

 

「……つまり味方になったんじゃなく、あくまで敵として手を貸したってことか?」

 

「応よ」

 

 悪びれる様子もなく、堂々と胸を張るライダー。

 

「……なんでまたそんなマネを……」

 

「ん? だって勿体ないであろう。これだけの英傑どもが揃っておるのだ。残り3騎、すべてを相手にせん手はないわい」

 

「はぁ……」

 

 どうせろくな理由ではないと思っていたが、まさかただの好奇心だったとは……。

 流石のウェイバーも呆れて言葉が出ない。

 しかし、

 

「……お前らしいな」

 

 聖杯戦争の勝利を度外視するライダーの考えは、相変わらず理解できない。

 けれど、その判断が彼なりの動機に基づくものだということだけは分かった。

 ならば、ウェイバーも……。

 

「――おぉい、ウェイバー。ちょっといいか?」

 

 と、ここで部屋の外からそんな声がかかった。

 

「お爺さん?」

 

「ちょっと、話がしたいんじゃが……どうじゃ。一緒に星でも見ながら、話さんか?」

 

「いや、今それどころじゃ――」

 

 突然の誘いに断ろうとするウェイバーへ、ライダーが口を挟む。

 

「良いではないか、坊主。――何やら込み入って話がある様子だしの」

 

「……分かったよ」

 

 と、ウェイバーは渋々、お爺さんの元へと向かった。

 ――そこでのやり取りが、のちの彼にとってかけがえのない財産となることを、まだこの少年は知らない。

 

 

 賑やかな食事を終えた雁夜は桜と共に、武家屋敷の離れへと案内された。

 団欒の食事に温かい布団。どれ1つとっても間桐邸には決してなかったモノだった。そのため、こんなことは初めてだろう桜は未だに戸惑いを隠せない様子だった。

 そんな桜を眺めてほほ笑みながら、雁夜は今後の自分について思いを馳せる。

 ――雁夜の聖杯戦争は終結した。

 この1年死に物狂いで目指していた目標は、思わぬ救いの手によってあっさりともたらされた。

 これにより、初めて気づいたが――どうやら、間桐雁夜はその後について考えていなかったらしい。

 今までは漠然と、時臣を倒して桜を救い、葵と共に幸せな時間を過ごす。そんなことを夢見ていた。

 ――しかし、それは不可能だ。

 仮に時臣を殺してしまった場合、葵が夫の仇である雁夜を許すはずがない。そもそも雁夜の望みは矛盾したものだったのだ。桜はもう、遠坂の家には戻れない。

 ――雁夜はもう、永くない。

 寿命と引き換えに手にした力だ、当然である。そこに未練はない。

 ――けれど、もし仮にここで雁夜が倒れたら、残された桜は……。

 結局、時臣の選択はある意味で正しかったのだ。そんなことに、今更ながら思い至った。

 残り少ない自身の寿命。残される桜。

 欲しかったものを手に入れて初めて、後回しにしていた問題に直面していた。

 

「俺は……」

 

 ――これから先、どうすればいいのか?

 時臣への復讐心はもうない。葵へも、今更どんな顔で姿を見せればいいのか分からない。俺は……。

 

「――どうしたの、おじさん?」

 

 と、その時思いつめる雁夜の顔を、桜が覗き込んできた。

 

「……桜ちゃん」

 

 純粋な瞳に捉えられ、思わず顔を背ける。

 ――彼女だけは何としても守り抜かなければいけない。

 例え、この幸せが束の間のものだとしても、決して嘘にはならないように……。

 

「そうだ――俺は……」

 

 間桐雁夜の聖杯戦争は終わった。

 しかし――戦いは、始まったばかりだった。

 

 

 睡眠中は意識を遮断している切嗣にとって、聖杯戦争中に夢を見るのはこれが初めてのことだった。

 ――見えるのは小さな丘。

 ――そこに積まれた無数の屍。

 初めて見る場所だったが、それは衛宮切嗣にとって見慣れた景色だった。

 ――その丘の上で、涙する少女が1人。

 ――こんなはずではなかったのだ、と。天へ向け咆哮している。

 ああ、これも知っている。と、切嗣はそんな少女へ冷めた視線を向けた。

 少しでも多くの人を救おうと、少数は切り捨てた。

 その行いを非難されようと、多くの者が離れようとと、これが正しいのだと信じて疑わなかった。

 正しくあろうと人の形を捨てたその姿を――切嗣は■■■と思った。

 ――けれど、その少女は今、絶望している。

 ただ正しくあれと、理想と共に生きた、

 ――その結果が、これだった。

 どこまでも続く屍の山。

 この結末に少女は――

 

「っ――!」

 

 と、ここで切嗣は目が覚めた。

 そこは屋敷の縁側だ。誰かが、倒れた切嗣をここで介抱していたのだろう。

 ――今のは……セイバーの生前の記憶か……。

 そう寝起きの頭で判断する。

 ――胸が苦しい。

 きっと、この痛みは先ほど食べた麻婆のせいだろう。そう自分に言い聞かせ、切嗣は首を振る。

 そこへ、

 

「――大丈夫か?」 

 

 と、後ろから声を掛けられた。

 振り返ると、そこには本当に心配そうに眉をひそめるアサシンの姿があった。

 ――介抱してくれていたのは彼なのだろう。

 そう判断し、短く頷く。

 

「問題ない」

 

 その切嗣の言葉にアサシンは心底した様子でハニカム。

 

「そうか、よかった。――悪い、うちのマスターが……」

 

 ――どうやら、あのマスターとは違い、アサシンにはしっかりとした常識があるらしい。

 だから、

 

「構わないよ」

 

 と、あっさりと首を振った。

 これでこの件は終わりだ。

 だというのに、

 

「……ん?」

 

 後ろのアサシンは一向に立ち去る気配がない。

 疑問に思っていると、覚悟を決めた様子でアサシンはゆっくりと口を開いた。

 

「所で爺――切嗣さん……話があるんだけど。少し……いいか?」

 

 まるで繊細なガラス細工にでも触るかのような、期待と恐れの入り混じった声色だった。

 普段ならば、無益な雑談など好まない切嗣だが――何故か、彼を無下にしてはいけない気がした。

 

「ああ、構わないよ」

 

 だから、そうゆっくりと頷く。

 するとアサシンは今にも泣きそうな顔を作り、ゆっくりと切嗣の隣の縁側へと腰を下ろした。

 2人はお互いに顔を合わせず、ただ黙って夜空を眺めた。

 今日は丁度満月で、

 ――月が綺麗だな。

 何となく、そう思った。

 そうして、しばらく2人で黙って月見を楽しむ。

 先に口を開いたのはアサシンだった。

 

「悪いな、騒がしくして」

 

 ただ言葉が漏れた。そんな様子の呟きに対し、切嗣は、

 

「……いや」

 

 と、一瞬首を振り、短く答える。

 

「悪くない」

 

「……そっか」

 

 そしてまた、沈黙が流れた。

 

「俺な。――昔、正義の味方に憧れてたんだ」

 

 続いて口を開いたのも、やはりアサシンだった。

 

「…………」

 

 ――同じく、思わず漏れたような声色だったからだろうか。

 切嗣にとっても重いはずのその呪いを、今はゆっくり受け入れた。

 

「……憧れてた。ということはやっぱり、諦めたのかい?」

 

 自分も早々に諦めていれば、どんなに楽だったか……。

 そんな思いが脳裏をよぎったが、月を眺めるふりをしてごまかした。

 アサシンも同じ様子で苦笑する。

 

「ああ、残念ながら。俺の憧れは偽物だった。それに気づかせてくれた奴らがいた……だから、これでよかったんだ……」

 

 淡く微笑みアサシン。

 その様子を――正直、羨ましいと思った。

 それでも、

 

「ぼくは…………」

 

 言いよどむ切嗣。

 そんな彼の心境を察してか、アサシンはゆっくりと首を振った。

 

「……いいんだ。だけど、1つ頼みがある」

 

「頼み?」

 

 思わぬ言葉に眉をひそめ、アサシンの方を振り返る。

 すると、アサシンも切嗣の顔を覗き込みながら言った。

 

「――幸せになってくれ。例え、それが苦痛でも――生きて、幸せになってくれ」

 

「それは………………」

 

 切嗣にとって、何よりもつらい言葉だった。

 自身の幸福に苦痛を感じてしまう切嗣にとって、それは何よりの拷問だろう。

 それでも、目の前の男は言った。

 ――幸せになってほしい、と。

 

「…………」

 

 切嗣は答えられない。 

 それでもアサシンは柔らかな笑みを浮かべ、立ち上がった。

 

「話はそれだけだ。――じゃあな、爺さん。こっちのイリヤを頼む」

 

「君は――」

 

 去り際の一言に、切嗣は慌てて振り返るも、そこにもうアサシンの姿はない。

 1人、残された切嗣を、月は最後まで明るく照らしていた。

 

 

「……あれでよかったのか?」

 

 先ほどまで縁側で切嗣と対談していた自身のサーヴァントへ、綺礼は問うた。

 ――アサシンにとってあのひと時は、聖杯にも等しい願望だったはずだ。

 その貴重な機会を自ら遠ざけたアサシンは、それでも迷いのない瞳で頷いた。

 

「ああ、十分だ」

 

「……そうか」

 

 ならば、綺礼の口の挟むことはない。

 ただ1つ、自身と同じ歪みを抱える男へ告げる。

 

「最後に、忠告しておくぞ」

 

 それは答えの分かっている問いだ。

 それでも――確かめねばならない。

 今一度、この男の真価を。

 

「お前が行おうとしている行為は――死者への冒涜だ。その者が死んだ意味を無為に落す愚行だぞ」

 

 綺礼はアサシンの経緯を知らない。

 それでも夢として見た彼の記憶の断片、その行動原理からある程度の推察はできた。

 ――自らの為に、命を落とした少女。 

 その少女を救済したいと願うのは、至極自然なことだろう。

 しかし――それは蛮行だ。

 その少女は――死を以て、少年を救済した。

 ならば、その死の否定とは――少年を救おうと行動した――少女自身の否定と変わりない。

 ――妻は綺礼を愛していた。

 ――綺礼も妻を愛そうとした。

 ――妻は死を以て、言峰綺礼を肯定し、だからこそ綺礼は…………。

 

「それを――分かっているのか?」

 

 今一度、問う。

 答えの分かっている問答。

 案の定、アサシンは綺礼の言葉をしっかりと噛みしめ、

 

「――ああ、分かってる」

 

 迷いなく、頷いた。

 

「それでも、進むのか」

 

「ああ――それでも俺はアイツを助けたい」

 

 そこに一切の誤魔化しも、欺瞞もない。

 

「俺はイリヤの兄貴だから。――兄貴は妹を守るモノだろう?

 例え、実際にはアイツの方が年上だろうと、それでも俺にとってアイツはたった1人の妹なんだ。

 だから――アイツがそうしてくれたように。

 今度は俺が、イリヤを救う」

 

 と、彼は断言する。

 ――アサシンは答えた。

 ならば、

 

「……それでこそだ」

 

 ――綺礼もそれに答えねばなるまい。

 確認は済んだ。

 道も決まった。

 ならば、後は進むだけだ。

 

「明日は早い。今のうちに休んでおけ」

 

「ああ――ありがとう、言峰」

 

「ふん」

 

 そうして、2人はゆっくりとお互いに背中を向ける。

 

 

 生き残った者たちは様々な思いを胸に、

 

 ――第4次聖杯戦争、最後の夜が始まる。

 




 月は傾き、
 ――永き夜も終わりを刻む。
 
 語り部は役目を終え、その口を噤んだ。
 
 さあ――――目覚めの時は近い。

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