Fate/Zero ~Heavens Feel~ 作:朽木青葉
――じゃあ、奇跡を見せてあげる。
少女はそう言って、少年へ背を向けた。
少年は言葉にならない声で叫ぶ。
行くな。いい。そんなの見なくていい。いいから戻ってきてくれ。
しかし、少年がいくら懇願しても、少女は歩みを止めなかった。
――私はお姉ちゃんだもん。なら、弟を守らなくっちゃ。
大きな穴へ自ら飛び込む少女。
少年は必死に、少女の名前を叫び続けた。
「――――!!!」
しかし、その叫びは届かない。
もう彼女の声も聞こえない。
光に包まれて何も見えない。
彼女は、最後に……。
じゃあねと微笑って、バタン、と目の前の穴を閉じた。
空が、見える。
ほんの少し、ただ腕を伸ばすだけで、空へ抜ける。
けど、何も残っていない。
この体には、一欠片の魔力も残っていない。
沈んでいく。
彼女の救ってくれた命が、沈んでいく。
悔しくて両手を空へと突き出した。
「ふざけるな。俺は――」
こんな結末を――こんな犠牲を認めない。
一緒に暮らすと約束した。今まで1人にしていた分、一緒に暮らして幸せになるんだと。
だって彼女は1人でずっと頑張って、ようやくここまでたどり着いたのに……その努力が報われないなんて嘘だ。
本人が認めても、俺は。俺だけは絶対に認めない。
こんなところでおまえを殺してやるものか――――!!!
「え――――?」
それは唐突に、目の前へ現れた。
全体像はわからない。目の前にあるのに、形を脳が認識できない。人智を超えた、圧倒的な何か。
ただ、それの正体は本能で理解できた。
あれは――世界の意識だ。
それは俺に語り掛けてくる。
「――!」
提示された内容に俺は目を見開く――だが、迷う必要はなかった。
「それで……」
目の前の光をまっすぐ見つめ、力強くうなずく。
「それで……イリヤが救えるのなら……」
そして――。
――13年前。
「聖杯戦争、ですか?」
と、言峰綺礼は目の前の遠坂時臣へと問いかえた。
そこは小高い丘の上の一等地に建てられたヴィラの一室。そこのラウンジには3人の男が腰を落ち着かせていた。綺礼と時臣、そして二人を引き合わせた神父、言峰璃正だ。
「そうだ。日本にある冬木という土地にて魔術師同士の闘争が行われる。君にはそれに参加してほしい」
時臣は頷きながら答え、続けて聖杯戦争に関する説明を始めた。
60年に1度の周期で現れる『万能の窯』たる聖杯。
それを奪いあう7人の魔術師とサーヴァント。
始まりの御三家。令呪。聖堂教会と魔術協会。根源の渦。
そのどれもが規格外。
それほど大規模な儀式が辺境の地で行われることを知れば、並の魔術師なら昏倒しかねないだろう。
当然、話を聞く綺礼の面持も暗い。
しかし、それは魔術師同士の殺し合いに参加させられる不安からでなく、もっと別の懸念からだった。
一通り説明の終わった後、綺礼はその疑問を口にする。
「ひとつだけ。――マスターを選抜する聖杯の意思というのは、一体どういうものなのですか?」
「聖杯は……もちろん。より真摯にそれを必要とする者から優先的にマスターを選抜する」
「では全てのマスターに、聖杯へ望む理由があると?」
「そうとも限らない。聖杯は出現するために7人のマスターを選抜する。現界が近づいてもなお人数が揃わなければ、本来は選ばれないようなイレギュラーな人物が令呪を宿すこともある。そういう例も過去にはあったらしいが――ああ、成る程」
語るうちに時臣は、綺礼の懸念に思い当たったらしい。
「綺礼くん、君はまだ自分が選ばれたことが不可解なんだね?」
綺礼は頷いた。どう考えても彼には、願望器などというものに見いだされる理由が思い当らなかった。
「フム、まあ確かに、奇妙ではある」
と、時臣は顎に手を当て続けて、もしかしたら聖杯が遠坂家を有利にしてくれたのかもしれない、という旨の解釈を口にした。
この寛大な自信は、なるほど遠坂時臣という男らしい。
そう納得しながらも、しかし、綺礼は今回に限り、首を縦に振ることができなかった。
「どうかね、私とともに日本へ向かう気は?」
再度尋ねられても綺礼は頷くことができない。
普段の彼なら、教会のため火の海にだって2つ返事で飛び込んだだろう。だが、何故だか今に限りそれができない。
思い当るのは、先日亡くなった妻の――。
「――っ」
と、唐突な頭痛に襲われ、綺礼は額を抑える。そして、一度答えを保留することにした。
「少し……考えさせてください」
「……そうか」
綺礼の返答に時臣は肩を落とす。
「申し訳ございません」
「なに気にすることはない。大事な決断だ、ゆっくり考えるといい」
「ありがとうございます」
「ただ、是非はともかく、君にも弟子として冬木の地へ赴き、私のサポートにあたってほしい」
「承知しました」
綺礼の言葉に、時臣も満足そうにうなずいた。
――この綺礼の決断が、のちにとてつもないイレギュラーを呼ぶことになることを、まだ2人は知る由もない。
――10年前。
そして、開戦を間近に控えたある日。
綺礼は冬木は遠坂邸にて、開戦に備え時臣と共に最後の調整に入っていた。
先日、時臣は最強の英霊たる英雄王の召喚に成功した。
単独行動スキルを持っているアーチャーとして召喚され、若干時臣の思惑から外れる状況にはなったが、それでもこれで遠坂の勝利は揺るぎないだろう。
対して、綺礼はこの期に及んでまだ決意を固められずにいた。
未だ、自分の参加に意義を感じられずにいる綺礼。しかし、この手にはなおも令呪は刻まれたままだ。悩む彼を聖杯はまだ見放していない証拠である。
残るサーヴァントの枠はキャスターとアサシン。この2騎が揃えば、聖杯戦争は開幕する。もう迷っている時間はなかった。
そして、もう一つ懸念があるとすれば、リサーチ中に見つけた衛宮切嗣という名。もしかしたら――彼ならば、この積年の疑問に答えを提示してくれるかもしれない。
だから、
「――私も、聖杯戦争に参加いたします」
綺礼は自室でくつろいでいた時臣へはっきりと告げた。
「おお、決断してくれたか!」
時臣は綺礼の返答に対し、嬉しそうに面を上げる。
「はい。遅くなり申し訳ありません」
「なに、構わないさ。――では、早速」
「ええ、儀式に取り掛かろうかと」
綺礼の言葉に時臣も頷く。
「そうだな、開戦は目前だ。早いほうがいいだろう。すぐに準備を――はっ!」
と、突然、流暢に話していた時臣の表情から余裕が消える。
綺礼は嫌な予感がし、額に手を当てる時臣へ問いかける。
「どうか、なさいましたか?」
時臣はとても優秀な魔術師だが、時折取り返しのつかないうっかりミスをするという欠点があった。
その嫌な予感はどうやらあたってしまったらしい。時臣は悲痛な面持で綺礼へ答える。
「すまない……君用の触媒の調達を失念していた……」
サーヴァントの召喚には、召喚したいサーヴァントの生前ゆかりのある品を触媒として使用するのが基本だった。例えば時臣は召喚にあたり『この世で初めて脱皮した蛇の抜け殻の化石』を使用し、その伝承に応じた英霊を召喚した。
触媒なしでの召喚は不可能ではないが、どんな英霊が出るかわからないとてもリスキーなものになってしまう。
だか、これには綺礼にも責任はある。綺礼は気を落とす時臣を励ますように言う。
「気を落とさないでください。元はといえば私が――」
「いや、弟子の管理は遠坂の当主として当然の責務。失念していた私に責任はある。……しかし、困ったな」
顎に手を当て首を傾げる時臣。
英霊ゆかりの品ともなれば魔術的価値も高く、今すぐに入手することは困難だった。
「仕方がない」
と、覚悟を決めたのか、時臣は顔を上げ綺礼に語る。
「不本意ではあるが、触媒は用意せず召喚にあたろう。代わりに、それ以外の全てをこの私自らバックアップし、最高の英霊を君に与えることを約束する」
「……感謝いたします」
「気にすることはない。しかし、残る枠はキャスターとアサシンか……」
渋い顔をする時臣。彼の懸念は綺礼にも伝わった。
残る枠の2組は、どちらも聖杯戦争において『ハズレ』とされているサーヴァントだ。
キャスターは魔術師のサーヴァントだが、高い対魔力を持つ者の多い英霊同士の対決ではどうしても後手に回りやすい。
アサシンも同様だ。冬木の聖杯戦争ではアサシンは必ず『ハサン・サッバーハ』という英霊が召喚される。気配遮断スキルはとても優秀だが、正々堂々とした一対一の戦闘を望める性能ではない。
最高の英霊を用意することを約束した時臣としては、どちらのサーヴァントも不足と感じられたのだろう。
「ふむ……このままでは遠坂家の沽券に関わる……仕方がない。少し召喚に細工を施そう」
「細工……ですか?」
「ああ。キャスターを召喚するのは何としても避けたい。となると残るはアサシンだが、ハサンでは君に不足だろう。そこで――アサシンにハサン以外の英霊を呼ぶ」
「――!」
綺礼が目を見張り驚くが、無理もない。それは聖杯戦争のルールを大きく逸脱した行為だった。
「そのようなことが、可能なのですか?」
「なに、不可能ではない。なにせサーヴァントの召喚システムを創り上げたのは御三家の1つであるマキリだ。遠坂家にも当時の状況を記した書物や、秘術の痕跡は伝わっている」
「流石でございます」
「ああ、不可能ではないさ……そう、不可能では……」
「…………」
ぶつぶつと呟く時臣の様子に、不安を覚えないといえば嘘になるが、それでも綺礼は彼の好意をありがたく受け取った。
そして、2人は召喚の準備に取り掛かる。
場所は遠坂邸の地下にある魔術工房だ。時臣がサーヴァントを召喚したその場所で、綺礼も召喚に挑む。
召喚の準備には思いのほか時間がかかり、すでに日は落ち深夜になっていた。
本来、サーヴァントの召喚にはさして大がかりな儀式は必要ないのだが、時臣の例の細工に苦戦している間にこのような時間帯になってしまった。
「一応、君にこれを預けておこう」
時臣は最後に、そういってあるものを綺礼へ差し出した。
受け取って確認してみると、それは見事な宝石でできたペンダントだった。一目見ただけで、その宝石には莫大な魔力が蓄えられていることがわかる。
「これは?」
「遠坂家に代々伝わる宝石だ。それそのものに莫大な魔力が蓄えられている。イレギュラーな召喚ゆえ、何が起こるかわからないからね。持っていなさい」
「そのような貴重なものを……ありがとうございます」
綺礼はその宝石を懐に仕舞い、魔法陣へと向き直る。
師がこれほどまでに尽力してくれたのだ、しくじるわけにはいかない。綺礼は気を引き締め、詠唱に取り掛かる。
「閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。
繰り返すつどに5度。
ただ、満たされる刻を破却する」
回路を回すと同時に、全身を鋭い痛みが襲う。これは魔術師ならば、魔術を行使するさい必ず生じる痛みだ。
この程度で循環を緩める魔術師はいない。見習いではあるが、綺礼も同様だ。
しかし、このときに限り、綺礼にはわずかな迷いがあった。
果たして、本当に自分がこの儀式に参加してよいのか?
生まれながらに欠陥を持つ自分の生まれた意味。
その答えを持っているかもしれない衛宮切嗣という男。
そして、そんな自分のために■■■した自分の――。
「――っ」
思考にノイズが走る。
その先は考えてはいけない。
改めて、綺礼は召喚に集中する。
「――告げる」
――しかし、その歪みは確かな形となって、召喚の結果に表れる。
「汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。
聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば答えよ。
誓いを此処に。
我は常世総ての善と成るもの、
我は常世総ての悪を敷く者。
汝三大の言霊を纏う七天、
抑止の輪より来たれ、天秤の守りてよ――――!」
手ごたえはあった。
しかし――
「――なに?」
その驚きは時臣の口から発せられた。口こそつぐんでいるものの、綺礼も同じ気持ちだ。
召喚には間違いない成功した。にも関わらず、2人の目の前には――何もなかったのだ。
「これは……どういうことだ?」
「いえ、私にもわかり――」
と綺礼が答えようとしたその時、地響きとともに真上の居間の方から爆発音が響いてきた。
2人は揃って顔を見合わせた後、慌てて地下室を出て居間の方へ駆ける。
たどり着くと、居間の扉が壊れて歪んでいた。仕方なく綺礼がそれを素手で破壊し、中へ入る。
するとそこには――
「――やれやれ、乱暴な召喚だな」
と、壊れた家具の散乱した居間の中、瓦礫に腰を掛け額を抱えている少年の姿があった。
赤銅色の髪を持つ、10代ほどの少年。片方の腕には赤い聖骸布を巻いているが、とても英霊には見えない。普通の少年だ。
しかし、綺礼はその少年を見て、頭をコンクリートで殴られたような衝撃を覚えた。
彼がまぎれもなくサーヴァントだから――ではない。
少年を見て、綺礼は――意味もなく頭にきたのだ。
そして、不意に理解する。
この少年と私は絶対に相容れない、と。
それは少年も同じな様だ。
自身のマスターへ、敵意をむき出しにした表情で少年は口を開いた。
「――問おう。あんたが俺のマスターか?」
こうして相容れぬはずの両者。
言峰綺礼と衛宮士郎は――契約を交わしたのだった。
はじめまして、朽木青葉です。
本編にイリヤルートがない! なら自分で作っちゃえ! と、今回恐れ多くも今作を投稿させていただきました。
未熟者ですが是非、生温かい目で見守ってやってください。
※ただし、本編にイリヤはでない。