おふくろに買い出しを頼まれた俺と蒼龍は、スーパーを後にして駐車場を歩いていた。すでに日は落ち始めの黄昏時。だんだんと日が伸びていることが、どこかワクワクさせる気分になる。
黄昏時には、いろいろな思いが巡る時間だ。
例えば、今日も仕事が終わり、やっと職場から解放されること。まだ遊びたいのに、もうそろそろ親に怒られるから帰らなければならないこと。これから夜が始まるんだと言うこと。様々だ。
まあそんなお前はどうかと聞かれれば、純粋に夕日がきれいだと思うことだろうか。高校生の時には部活をさぼり、わざわざ夕日を取りに行くために自転車で、総計二四キロくらい走ったりもした。今思えば、馬鹿だったと思う。スポーツバイクならまだしも、俗にいうママチャリで、よくやった方だろう。
「あ、望さん!一番星ですよ!」
蒼龍が茜色に染まった空を指し、俺を見てくる。日に照らされた彼女の顔は赤みを帯びて、その笑顔もまぶしく見えた。
―ああ、やっぱりそうか。俺はもう本心で、今蒼龍に惚れているんだ。
彼女が俺の前に現れ、付き合い始め一か月。どうやらもう、俺は後戻りできないらしい。最初は本当に楽しければいいやと思っていたけど、もう彼女は近くにいるだけでうれしい存在になっている。
「わっ…なんですかぁもう」
俺は無意識に、蒼龍の頭の上に手の平を置いていた。さらさらとした蒼龍の黒髪を感じながら撫でると、蒼龍も心なしかうれしそうな表情になる。すなわち、蒼龍も俺に心を許しているということだ。もっとも最初から言っていたことであったが、おそらくあの時は俺を「提督」として見ていたであろう。だが、今は一人の異性として、俺の事を見てくれているんだと思う。
さて、蒼龍をなでなでしながら歩いていると、もう車の前までついてしまった。ちょっと名残惜しく感じるが、家に帰ってでもそれはできる。
「うし、開けるぞ」
俺は蒼龍の頭から手を放すと、彼女も名残惜しい表情をしてくれる。まさに込み上げるいとしい気持ちと多少の罪悪感をまとめて胸に押し込めて、俺はフライトジャケットのポケットから車のカギを取り出し、トランクから鍵を開けた。
ピッピッと、車が開錠される。俺は片手でトランクを開けると、野菜や果物などの食材がパンパンに詰まった袋を、破れぬようにおもむろに入れた。
また、蒼龍もそれに乗じて、パンやお菓子などの軽い食材の入ったレジ袋を入れる。俺は両方持つつもりだったけど、蒼龍が持ちたいとせがんできたんだよね。まあ断る理由もなかったし、そのまま持たせましたとさ。
「さて、積み終わったな。さっさと帰るかーっと…。電話?」
ジーパンから軍艦行進曲が流れていることに俺は気が付くと、スマフォを取り出し、電話に出る。
『あ、にいちゃん』
若葉だ。どうしたんだろう。俺にかけてくるとは珍しいこともあるもんだ。
「どうした?珍しいな」
CX―5にもたれかかり、若葉へと問う。蒼龍には先に助手席へと乗っているように促し、若葉の返事を待つ。
『いやーあのさ。修理に来てくんない?自転車の』
「あ?なんだよ。壊れたのか?パンクか?」
『そうそう。ほんと嫌になっちゃうんだよね』
車が走るうるさい音が聞こえることから、おそらく歩道を走行中にパンクをしたのか。まあ幸いにも、この車には自転車のパンク修理キットを入れてあるし、修理しに行くのは無理ではないけどね。あ、ちなみになんで自転車用のパンク修理キットが入っているのかというと、たまに折り畳み自転車をこの車へと乗せて、遠出する。今度は蒼龍を連れて、出かけるのもありかな。
「んーわかった。近くのコンビニまで取り合えず歩け。幸い俺と蒼龍は今買い出しに行ってたし、近いんだわ」
運がよかったな我が妹。もし家だったら、自力で帰ってこいと言っていたぞ。そもそも駅の駐輪所に置きっぱなしで、満足に整備を受けに行かないのが悪い。
『はーい。あ、独り言だけど。女の子にパンクした自転車を押してあるけってひどいと思うなぁ』
そういい残し、若葉は通話を切る。おのれ、嫌味を言いやがって。仕方ないだろうに。
ともかく俺はスマフォをポケットに入れると、運転席のドアを開く。
「あー蒼龍。ちょっと向こうの交差点にあるコンビニに行くけど、いいかな?」
「え?あ、はい。わかりました」
*
どうやら俺たちの方が早くコンビニへ着いてしまったらしい。車を駐車場へ止め、あたりを見渡すが妹の姿はなかった。
「店はいるか」
俺と蒼龍は車から降りると、コンビニへと入る。ててててててーと、某緑のコンビニBGMが聞こえてきた。これを聞くと、ああファミ○だなぁと実感するよね。
まあそれから俺はブラック珈琲を、蒼龍はカフェオレを買い、再び外へとでる。すると、絶好のタイミングで、妹が黒色の自転車を引いて歩いてきた。
「あー!二人ともずるい。私も何か買ってよ」
「と、言うと思いまして、望さんは若葉さんにこれを買っていましたよ」
おい、何かってに渡してるんだ。まあ、渡すつもりだったし構わないけど。
「それで、どっちがパンクを?」
見た感じ、後輪パンクだろうな。後輪は最も重さが伝わるし、何より空気も抜けやすい。おそらく妹はこまめな空気入れをせず、そのまま乗り回していたのだろう。あれだけ空気は一週間。最低でも二週間目には入れろと言っているのに。
「後ろ。なんかよくわかんないけど、パンクした」
「うわぁ…べっこべこですねぇ。べっこべこ」
蒼龍はパンクしたタイヤをふにふにと押して、驚いた表情をしている。まあエアがないと、そんなふうに情けない姿になるんだよねぇ。タイヤって。
「あのなあ…。俺はいつも空気はこまめにって言ってるだろ?タイヤチューブは消耗品なんだ。三年くらいが目途で、もって5年。お前はそれを、一年でだめにしちゃってる。まったく…」
「はぁ?意味わかんないし。だって安物の自転車じゃん。これ」
確かに一万円弱の自転車で、変速機もついていない。だが、だからと言って扱いがひどいのは感心できない。大事なのは、その自転車を長く持たせることなのだ。たとえいい自転車を買ったとしても、このように雑な扱いでは宝の持ち腐れだったりする。
「とりあえず、修理にとりかかるか…」
「お手伝いします!」
それはうれしいけど、手とかすごい汚れるんだよね。蒼龍のそんな繊細なガラス細工のようにきれいな手を、黒ずんだ油で汚したくはない。
「あーじゃあトランクの端っこにある工具箱持ってきてくれるかな?」
「了解!」
意気揚々と蒼龍はトランクへと向かい、端においてある青色の工具箱を手に持つ。しかし、少し重いのだろう。「よいしょよいしょ」と声を出し、工具箱を運んできた。可愛い。
工具箱を開けると、まず俺は作業手袋を装着する。手のひらがゴムになってて使いやすいんだ。おまけに少し小さいサイズをつけているから、なおフィットする。
まずはプライヤーと呼ばれる、いわばペンチみたいなやつで、ナットキャップを外す。そこからラチェットでナットを緩め、慣れた手つきで両側を外す。
「へぇ…望さん自転車を解体できるんですね」
「そら、まあ自転車屋だし。これをやれないと働いていけないよ」
とはいうもの、ちょっと得意げな気分になる。まあ特別誇れるようなことではないけどね。何よりパンク修理くらい男はできて当り前じゃなかろうか。と、まあ昔は言われていたんだが…時代は変わったらしい。
「さーて、タイヤを外すぞー」
まずチェーンを緩めると、クランクのチェーンを外す。そのあと後ろのチェーンをも外し、あとはブレーキなどを外していく。
「それちゃんと直せるの?直せないとか言われても困るんだけど」
おまえなめてるだろ。さすがに2年近くもバイトをしていたら、いろいろ覚えるわ。
「まあ見てなって。よいしょっと」
俺はタイヤレバーと呼ばれるタイヤをリムからめくる道具を使い、タイヤを外していく。ちなみにリムと言うのはいわば鉄の部分で、タイヤの形状を保ってる円状のパーツ。スポークというまあ骨組みと合わさって、タイヤが完成してるわけなんだよね。
さて、じゃあチューブの状態をって…おうおう、これも典型的なパンクの仕方だな。
「若葉。お前ひょっとして段差を無理に超えたか?」
「うん。だから?」
「あー。たぶんそれが原因だな。ただでさえ空気が入っていなかったのに、さらに無理な衝撃。チューブのライフはゼロ。OK?」
まあよくあるパンク。通称リム打ちと呼ばれるものだった。これなら穴の付近に鑢をかけ、その上にゴムのりとパッチを貼れば、防ぐことが可能だろう。
「そういえば、望さんのバイト先ではどんな方が?」
家のバイト先には、かつて紹介した地元メンツたちのようなマッスルどもではない。いたって普通の、だけど全員癖がある。そんな感じだ。
「あー。まず店長の飯島さん。次にミュージシャンもやってる杉浦さん。俺の高校時代の後輩でもある有馬。化学系の大学に通っている桑田くんに、真面目が取り柄の生井さん。こんな感じかなー」
「みなさん同い年なんです?」
「いや、有馬と桑田くん以外はみんな年上。いろいろと教えてくれて、頼れる人達だよ」
店長の飯島さんは特にすごい人で、ひどい売り上げだったうちの店を一気に各店舗で一番の売り上げをたたき出したほどの手腕を持つ。しかしそれでいて厳格ではなく優しい人で、みんなから理想の店長としてあがめられてもいるらしい。
「今度行ってみても、いいですか?」
「まあ、そのうちな。きっとみなさん。自転車トークばかりするけど」
特に生井さんは、ロードバイクの大会で優勝を勝ち取れる人だ。以前は坂道くんとか言われていたけど、あいにくその元ネタがわからない。しかし、それでいてあまり筋肉ないのって、どういうことだろう。鍛え抜かれた、細身の筋肉だということなのだろうか。
「…前から思ってたんだけどさ」
俺と蒼龍がバイト話でまあ盛り上がっていると、若葉が唐突に口を開いた。
「にいちゃん。進路ってどうするの?まさかそこで働くつもりなの?」
*
とりあえず若葉の自転車修理を終わらせた俺たちは、それぞれ分かれることになった。ささすがに直したのに自転車を転がさないのは、もったいない気もする。いわゆる試乗点検で、治ったかどうかも確認してもらう必要があるし、断じてトランクに積むのが面倒だったわけではないです。はい。
―しかし…進路か。
俺は運転しながら。若葉に言われた言葉を思い出す。
大学二年。まあ新学期には三年だが、そろそろ考えなければいけない時期なのだろう。大学の友人たちも次第にそういう話をし始めて、ガイダンスにも出たりしているが、それでも皆は何の職種に着くか迷いに迷っているようだ。
「…望さんは、どんな職に就きたいんですか?」
それが答えれれば、苦労はしないさ。だけど、現実は甘くない。今つけるような職を、俺はまだ理解できていないんだ。
「わからねぇなぁ…」
こういうほかないだろう。まだ決まり切っていないのに、自信満々に言うことはできない。もしその職に就けなくて同情されるのは、なんとしても避けたいしな。
「うーん。あ!じゃあ、どんなことがやりたいんです?絵を描きたいとかありますよね?」
「ふへへっ…蒼龍。お前まるで進路相談の先生だな」
以前、こんなことを誰かに言われたような気もする。どのような人物であったかは覚えていない。定かではない。だが、確実に俺に何かを教える立場であったことは、わかっている。
「そ、そんな!私は…」
「いや、いいんだ。どんなことか…そうだなぁ」
頭の引き出しをすべて開けるように、俺は何か言えそうな単語を引っ張り出す。そして一つだけ、小さいころから掲げていた目標を思い出した。それは誰もが夢見る、まさにガキだからこそ言えたことだろう。
「正義で裁くこと…かな?」
思いついたことを俺は無意識に口走ってしまった。言ってからはっと、恥ずかしさが込め上げる。
「正義ですか?」
蒼龍は割と真面目に言葉を受け入れたようで、真剣に聞き返してきた。だが、さすがに動機が子供だ。某戦隊ヒーローじゃないんだ。
「ああー、ごめん忘れて。くさい言葉。はーいやだいやだ」
恥ずかしさを紛らわすように俺は言うと、ふうと息をつく。
「ま、目標が無いわけじゃないんだよね…。だけど俺にその夢は、敷居が高すぎるんだ…」
その言葉に蒼龍は何か言いたげな表情をしたが、何かを察したのか表情を変え
「もう、この話はやめにしますか。暗くなっちゃいますね」
と、話を切り上げたのだった。
どうも、トビオです。
はい。宣言どおり、日付をまたいでしまいました。バイトの休憩時間の合間にもちまちまと書いてましたが、圧倒的に時間が足りませんでした。すいません!!
さて、今回の話はいろいろとよくわからない話になっていると思います。正直、ちょっとネタ切れを起こし始めているかもしれません。やばいよやばいよ。
と、言うことで次回から再び不定期と言うことにさせていただきます。まあ一週間に一度は確実に上げたいと思っていますので、どうかご理解をいただけるようにお願いします。
それでは、また次話で!