HELL紅魔郷SING   作:跡瀬 音々

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ほんとはもっと推敲したかったんですが、あんまり時間空き過ぎちゃうとマズいかなぁとか思って粗削りながら更新してみたり。

もはや焼け石に水ですか、そうですか。

※本当はもっとキリのいいところで終わりたいところなんですが、この話だけ長くなりすぎちゃうので、まぁそこそこのところで妥協しました。

あまりにも追記に次ぐ追記では、更新頻度が遅過ぎると勘違い(ではない)されてしまいかねませんからねぇ。


lunatic paradise

……。

…………。

……………………。

 

 

「……麗亜」

 

「……っ! びっ、びっくりさせないでくださいよ……貴女はただでさえ、神出鬼没なんですから」

 

麗亜は、突然の背後からの呼び掛けに狼狽えながら、声の主に悪態をついて振り返る。

 

「始まるわ、選択の時よ」

 

そんな麗亜とは対照的に、紫は落ち着き払った様子で、どこか悲しげな表情を覗かせた。

 

麗亜が自分の下した判断に悩み、自責の念に駆られつつやきもきしているうちにも時間は変わらず流れ、既に太陽は大地に別れを告げて、二人の頭上には紅い月がぽっかりと浮かぶ満点の星空が広がっていた。

 

「へ? いきなりすぎて、何を言っているのかさっぱり……」

 

柄にもなく間の抜けた声を出すと、麗亜は紫の顔を見遣った。

月影に照らされてはいるが、灯りのない神社の境内では、その表情を細やかに窺うことはできない。

しかし、彼女の面持ちが、いつになく真剣な色を帯びていることだけは見て取れた。

 

「行くわよ。ほら、こうしてスペシャルゲストも来てくれたことだし、ね?」

 

「スペシャル、ゲスト……?」

 

紫の一言を合図に、未だ状況に置いてけぼりにされている麗亜の前に、紫の背後からぬらりと一つの影が現れる。

 

麗亜は、その影の正体を目視すると、目を丸くして硬直した。

 

「一応、初めましてね。いえ、あえて久方振りね、と……そう言ったほうがいいかしら、『博麗の巫女』さん?」

 

「貴女は、風見……幽香」

 

搾り出すよう、ゆっくりと影の名を呟いた麗亜は、戦慄していた。

それもそのはず、幻想郷きっての大妖怪、それも数多存在する妖怪の中でも()()()()危険だとされる()()風見幽香が。

『博麗の巫女』である麗亜でさえ、その性質や外見を書物等でしか見た事がないほど、今の今まで、その消息を完全に断ち切っていた歩く()()が、突然目の前に現れたのだから無理もない。

 

「幽香さん、でいいわよ?」

 

「す、すみません……幽香さん」

 

麗亜は引き攣った口元を隠そうともせず、言われるがままに相手の名を呼ぶと、その姿から目を逸らし、困惑した様子で曖昧な微笑みを浮かべた。

 

「あら、あの銭ゲバに似ず、殊勝なのね。可愛いわ」

 

いつもの慇懃無礼さも鳴りを潜め、ただ大人しく相手の出方を窺う麗亜に、幽香は不敵に笑い掛けると、好意的な表情を取り繕い、静かに目を細めた。

 

「…………」

 

胸中に湧き上がる複雑な感情を押し殺して、麗亜はもう一度、幽香の方へ目を向けた。

瞬間、自身を真っ直ぐに見据える幽香の視線とはしなくも出くわし、やはり一瞬たじろいだが、今度は、そのまま相手の瞳を見つめ返す。

 

「そんな目で睨むことないんじゃないかしら? 殺したいのは()()()()よ、きっと」

 

「……ッ!」

 

麗亜の鋭い視線を受けた幽香は冗談めかした一言を紡いだが、そこにはどこか、彼女の胸の内に宿る真意が滲み出したかのような()()があった。

 

「こらこら、幽香。あまり麗亜を苛めないで頂戴な」

 

目の前の女が放つ、好意とは名状し難い雰囲気に気圧される麗亜を見兼ねてか、紫が二人の間に割って入って幽香を諌める。

 

そこでようやく、麗亜は肩から力を抜き、ほっと一息つくと、自身が無意識下の根源的な恐怖心に支配されていたことを自覚した。

 

そして。

 

「それで、紫さん。()()()()()()か、しっかりと説明して頂けませんか?」

 

紫の介入に安堵したのも束の間、彼女の意図を汲み取りきれない麗亜は、()()状況への回答を求めて、質問を投げ掛ける。

 

「だから、行くと言っているのよ。『紅魔館』へ、ね」

 

「その理由を聞いているんです。正直……」

 

「そうね……ええ、きっと()()でしょう。でも、貴女の求める答えの全てを、言葉だけで明らかにするのは難しいわ」

 

唐突過ぎて何が何だかわからない、と結ばれるであろう麗亜の言葉を遮り、紫はゆったりと優しい口調で呟くと、意味深に口元を緩ませた。

 

「それなら……」

 

その曖昧な表情に対して、否、紫に対して、出会ってから初めての怖気を覚えた麗亜だったが、それでも諦め悪く食い下がろうとする。

 

「ちょっと……麗亜、だったかしら? アンタ、しのごの言わずにまずは行動してみたら? 確かに、この胡散臭い女の言うことを手放しで信じるのは、気がひけるかもしれないけれど」

 

そんな麗亜の様子に痺れを切らしたのか、幽香が割り込むように、厳しい一言を漏らした。

 

腰に手を当て、気だるそうに、いかにも高圧的な様相で紡がれるそれは、並の相手であればそれだけで制圧してしまえるような()()を感じさせる。

 

「…………」

 

「それでも、他でもない()()()が、『博麗の巫女』のために出張ってきているのよ? たとえそれが、幻想郷きっての賢者様の頼みであっても、ね」

 

幽香は自分の科白の着地点を窺うように黙り込む麗亜に続けて投げ掛けると、皮肉たっぷりの視線を紫に送った。

 

「お言葉ですが、幽香さん。そこです。その、貴女がここにいる理由が、何よりわからない」

 

それを受けて、麗亜はいつものように無遠慮に、しかし、いつになく丁寧な声色で、最初に幽香の姿を見た時から頭の中に渦巻いていた疑問を口にする。

 

()()()に突っ込むのだもの……用心棒は強いに越したことはないんじゃない? それとも、私達二人では不足かしら?」

 

その疑問には、幽香に代わって紫が答えた。

 

幽香は口を挟むな、とでも言いたげな表情を一瞬だけ覗かせたが、そのまま口を噤むと、腕を組んで麗亜から顔を背けた。

 

「大方、察しがつきました。それなら、尚更……」

 

予期せぬ紫からの返答ではあったが、麗亜はその言葉の端々から、()()()()()()を読み解くことができた。

 

きっと、『紅魔館』はアーカード(あの男)によって、この世の地獄と化しているのだろう。

そして、そこでは今まさに、のっぴきならない異変(なにか)が起ころうとしていて、その解決には他ならぬ『博麗の巫女』が必要なのだろう。

しかし、その『博麗の巫女』が巫女としての力はあっても戦う術を持たぬが故に、目の前の二人がさながら護衛のように、共に赴くというのだろう。

 

その結論に至った麗亜は、未だ蟠りを抱えたまま、不意に幽香に視線を向けた。

 

「あら、もしかして私の心配をしてくれているのかしら? 本当、殊勝なのね。でも……」

 

麗亜の視線に気付くと、幽香は顔を背けたまま目の端で彼女の姿を捉え、口を開く。

 

「そんな心遣いは()()()()()よ。甘っちょろくて反吐が出るわ。それに、ある種の()()相手に無用な気遣いをするなんて、生意気ね。とりあえず、千年くらいは早いんじゃないかしら?」

 

幽香は口数多く、しかし冷ややかに吐き捨てると、麗亜を視線の正面に据え直した。

 

「それは……」

 

彼女の指摘したところは、まさに麗亜の図星であった。

しかし、麗亜がそんな感情を抱いたのも無理はない。

 

何故なら、()()()()()先代『博麗の巫女』()()()()()において、その相手となった大妖怪風見幽香は敗北を喫し、その妖力の大半を封じられて再起不能となった、と聞き伝えられていたからだ。

 

その戦いの後、幽香の至った顛末には、彼女に恨みを抱いていた妖怪や人間の慰み者になって打ち棄てられたとか、挙句晒し者にされて殺されたとか、実は生きていて隠遁生活を送っているとか、種々の風説が飛び交っていた。

 

が、ともあれ風見幽香は先代『博麗の巫女』ーー博麗霊夢との戦いに敗れ、力のほとんどを失った。

 

それだけは、疑いようのない事実として扱われていた。

 

実際、それは()()なのだろう。

 

事実、麗亜は幽香の姿を目の前にしても、確かに雰囲気や言動の端々に凶悪さを感じはすれど、その身体からは妖力をほとんど、否、全く感じていない。

 

それらのことも手伝って、麗亜の困惑はより深まっていく。

 

ーーしかし。

 

「まぁ、本人もこう言っているワケだし、その辺りに関してはどうでもいいでしょう? さぁ、時間がないわ。行くわよ、麗亜。それともまさか……嫌、かしら?」

 

未だ逡巡の色を見せる麗亜に、紫が言葉の結びを疑問形にして促すと、その表情が、たちまち困惑から覚悟へと変わった。

 

「……行きます。行きますよ。私にとって貴女の言葉は、母の言葉も同じですから。それに……」

 

「それに?」

 

「わかったんです。自分の過ちは、自分で清算しなきゃって」

 

「そう、それはよかったわ。重畳重畳。それじゃあ、行きましょう」

 

麗亜の一言を引き出すと、紫は満足そうに頷き『スキマ』を拓く。

 

(何より紫さん、貴女が望むなら、私は()()するまでです。たとえそれが、どんな結末を招くとしても)

 

麗亜は今一度、自身の根本にある行動理念を反芻すると、深く息をついて『スキマ』へと踏み出した。

 

半拍空けて、紫がその背中に続く。

 

「はぁ。とんだ茶番ね。まったく、仲がよろしいようで……って、きゃっ!?」

 

腕組みをしたままで呆れ顔の幽香は、二人が消えた『スキマ』から伸びた紫の腕にこれでもかと勢いよく引き込まれ、柄にもなく黄色い声をあげながら、『スキマ』の中へと消えた。

 

 

……。

…………。

……………………。

 

多少のせめぎ合いはあったものの、麗亜が『紅魔館』へと赴くよう心を固める少し前。

 

彼女が紫の言葉に揺れているのと時を同じくして、当の『紅魔館』では、とある光景が延々と繰り返されていた。

 

(予想はしていたけれど……まさかここまでとは)

 

それは、一つの影が白銀に埋め尽くされ、そのまま地面に溶け込むと、再び影が人の形を成して浮かび上がる、という一連の流れ。

 

即ち、咲夜が指を弾く音を合図に始まる攻撃がアーカードを捉え、引き裂き、蹂躙し、その後アーカードが身体を再生し、彼女の攻撃の謎に挑む、という単調な反復であった。

 

もう数十回は繰り返された()()は、この先も永遠に続くかのように見えたが、しかして両者には少なからず変化があった。

 

(くっ……存外()()()()かもしれない、わね)

 

度重なる能力の行使とナイフの投擲・回収は、全盛を過ぎた咲夜には想像以上の負担となり、その気力と体力を容赦なく削り取っていく。

 

咲夜は、明らかに消耗していた。

その動きも、次第に精彩さを欠いてきているように見える。

 

(やはり、何かしているのは間違いないが……()()()わからんな)

 

対するアーカードは、未だ余裕の表情を浮かべながら、不敵に佇み咲夜の猛攻を甘んじて受け入れていた。

 

その中で、咲夜の状態の僅かな変化を窺いつつ、腰を据えて状況に臨む。

 

だが、彼は内心、敵に決定打を与えられないことに焦れ始めていた。

 

苦し紛れに銃での反撃を試みてはいるが、間断も前置きもなく舞う白銀に、全ての行動は出掛かりを潰され、文字通り手も足も出ない状況。

 

もちろん『影』を用いての不意打ちも同時に試行していたが、対『吸血鬼』(ばけもの)に特化した咲夜の戦術はそれさえも織り込み済みなのか、その射程や位置に彼女を捉えたと思った時には、既にその姿はそこになく、徒労に終わるばかり。

 

おまけに、意趣返しとばかりにナイフでの反撃が返ってくる始末である。

 

いかに『不死王』(ノスフェラトゥ)たるアーカードといえど、そんな状況から抜け出せず、また、抜け出す手段も思い付かないのなら、辟易するのも無理はないだろう。

 

(だが……)

 

ここで、アーカードは考える。

確かに、敵の攻撃を受け続けるしかなく、その攻撃の正体さえわからない、という状況だけを見れば自身の不利は疑いようがない。

しかし、攻撃を重ねる度、敵は目に見えて消耗している。

そして、()()を延々と繰り返してくる以上、敵にそれ以外の攻撃はないのだろう、と。

それならば、いっそこのまま()()()()()()()()()()、いつかは()()()のではないか、と。

つまり、()()()()()()という圧倒的なアドバンテージを振り翳せば、確実に自身の勝利に終わるだろう、と。

 

その結論に至った時、彼はその()()()を望まぬ自分がいることに気付いた。

 

(そう、か……)

 

アーカードは、一方的な防戦に焦れていたのではなかった。

このまま、目の前の()()と、直接ぶつかり合わずに決着がつくーー自分を()()()()()()()()()者と、純粋な意味での()()を行わずして、小競り合いのうちに勝利する、否、()()()()()ことに焦れていたのだ。

 

(さて、どうしたものか……)

 

しかし、そんな自身の真意に気付いたとて、彼に何か出来ることがあるわけでもなく、そのことが、彼の焦燥を加速させるばかりであった。

 

 

そんなアーカードの想いなど露知らず、咲夜の猛攻は絶えず続いていた。

 

(ダメージは与えられている……どちらが先に音を上げるか、根くらべといきましょう)

 

咲夜の一方的な攻勢は、彼女の消耗の激化と同義だった。

 

しかし、それでも手を緩めることなく、果て無き繰り返しの先に訪れるであろう勝利を見据えて、彼女は()()()()()()を駆ける。

 

 

ーーその時。

 

(……ッ! この感じ、まさか!)

 

時間を操るということは、空間を操るということにも繋がる。

事実、この『紅魔館』は咲夜の能力によってその内部を拡張されており、彼女からしてみれば、その内部の空間のゆらぎを察知するなど、造作もないことであった。

 

そんな彼女の危機察知能力が告げている。

 

館の内部に()()『侵入者』が来る、と。

そして、そんな芸当が出来るのはーー

 

瞬間、アーカードの後方、唐突に拓いた『スキマ』に、そして、そこから現れた三つの影に、彼女の視線が注がれる。

 

「八雲……紫ッ! それに……」

 

予期せぬ展開への動揺により、咲夜の思考は驚愕に融け込みかけたが、彼女は何とか平静を保つと、先程までと同じように時を静止させ、アーカードへの攻撃を仕込んだ後、ゆっくりと三つの影を見渡す。

 

もはや、他の言葉で形容することが困難なほど、遍くこの幻想郷(せかい)に名を轟かせる、幻想郷の賢者こと八雲紫。

直接目にするのは初めてだが、数々の文献から得た情報から、一目でそれとわかる幻想郷きっての大妖怪、風見幽香。

そして、見慣れた紅白の巫女装束に身を包んだ、どことなく、とある古い友人の面影を持つ少女。

 

三人の姿を確認した時、咲夜は()()()()()大方の事情を悟った。

 

他でもない、『博麗の巫女』が、()()()()()()このおぞましい化物を()()()、この『紅魔館』で()()()の異変の解決をーーおそらくは『紅魔館』の()()をしようとしているのだ、と。

 

そして、おそらく糸を引いているのはーー

 

そこまで考えたところで、能力の連続行使時間が過ぎ、咲夜は世界の()に囚われた。

 

刹那、先程までと同じように、アーカードは全身にナイフを受け崩れ落ちたが、今度はその身体を影へと溶かし姿を晦ましたまま、どこからともなく声を響かせる。

 

「ほう……わざわざこの場に来たのか。精の出ることだな、麗亜。それとも……」

 

()()()()と命じるだけに飽き足らず、直接敵が蹂躙される()()をその目で見たくなったのか、と。

 

そう続くはずであった言葉を遮って。

 

「ふふ、苦戦しているようね、『伯爵』さん?」

 

紫は皮肉たっぷりに、()となったアーカードを見下ろしながら投げ掛ける。

 

「フン、御託はいい……麗亜! ()()を使う。命令(オーダー)をよこせ」

 

「もし。割り込むようで悪いのだけれど……私も話にまぜてくれないかしら? ねぇ、紫」

 

アーカードが麗亜へ発した言葉の後、咲夜が間髪入れずに介入する。

 

彼女は、いつでも能力を発動できる状態を保ちながら、何か()()状況への合点のいく答え、或いはそれに繋がる情報を得るため、()()との対話を試みたのだった。

 

「咲夜、さん……」

 

自分の知る容貌と比べ、随分と老け込んだ様子の咲夜を目にし、麗亜は思わず嘆息混じりにその名を呟く。

 

そして。

 

壁に磔にされ身を捩る少女。

血に塗れ、壁に凭れかかる少女と、その傍らで蠢く四肢のほとんどを断たれた少女。

 

咲夜の後方、目に飛び込んできた凄惨な状況に、図らずも顔をしかめた。

 

「麗、亜……? もしかして、『博麗の巫女』がそこにいるの? 咲夜ッ!?」

 

おそらく、自分達が()()なった元凶である『博麗の巫女』の登場を察し、思わず興奮したレミリアが上擦った声をあげる。

 

「お嬢様、失礼ですが少しお静かになさってくださいませ。話は()()()()()

 

「……ッ!」

 

だが、彼女は自身の使()()()から思わぬ叱責を受け、()()意味を悟ると、口を噤んだ。

 

「また少し、大人びたわね……麗亜」

 

「……っ!」

 

麗亜と咲夜、二人の間には面識があった。

もっとも、それは二人が同時に人里に買い出しに来ている時などに偶然出会い、簡単な挨拶を交わす程度の仲ではあったが。

 

それでも、妖怪やその類に囲まれて暮らす麗亜にとって、自身と似た境遇で生活する咲夜は数少ない彼女の理解者であり、人里には滅多に現れないために、ほとんど顔を合わせた事のない他の『紅魔館』の面々と比較すれば、圧倒的に友好的な交流があったと言えるだろう。

 

ただ、咲夜がとある理由から床に伏しがちになった頃から、次第に二人の付き合いは希薄になってしまっていた。

 

「何よ、これ。私、必要だったかしら?」

 

と、ここで、不意に悪態を吐く女が一人。

 

「お初にお目にかかります、風見幽香さん。貴女もしばし、口を閉じていてください。私は今、()()と話をしているんです」

 

咲夜は取り繕った微笑を浮かべ、尊大な態度で佇む女の名を口にすると、その姿へと鋭い視線を向けた。

 

「あら、人間風情が吠えるじゃないの。その口に土でも詰め込んで、プランターにしてやりたい気分だわ」

 

幽香は、その視線に籠められた殺気に呼応するように、自身の放つ殺気を強めながら言葉を返す。

 

「できるものなら、どうぞ。少しでも変な動きをすれば、串刺しの()()()にでもして差し上げますので」

 

そんな敵意剥き出しの幽香の挑発に、咲夜も負けじと、敵対心たっぷりに煽り返した。

 

「大人しくしてれば、言ってくれるわね……」

 

譲らない両者の間には、際限無く険悪な空気が流れ始め、そのやりとりを思わず無言で見守る誰もが、いよいよ両者の衝突は避けられないと感じるが早いか、すうっと紫が二人の間に立ち、無言のまま幽香、咲夜と視線を送った。

 

「……チッ」

 

「…………」

 

両者はその無言の圧力に従い、互いに殺気を弱めつつ、一歩ずつ後ろに下がり、沈黙した。

 

「……大方、貴女の筋書き通りなんでしょう?」

 

その僅かに続いた沈黙を破り放たれた、紫への咲夜の問い掛け。

 

それは、至極単純な一言であったが、様々な推察が入り混じったものであった。

 

咲夜は、この幻想郷で起こる重大な異変の裏側には、必ず黒幕がいる、と。

そして、今回は紫がその黒幕であると、この時点でほぼ断じていた。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()のか。

 

ーー即ち、()が、如何様にしてこの『吸血鬼』を『紅魔館』へと向かうように仕向けたのか。

 

それによって得をするのは()であるか。

 

また、その()()の目的は?

 

その()()を紫であると仮定し、論理的に思考すれば、自ずと解答の輪郭は見えてくる。

 

自身の直感を信じるなら、目の前の『吸血鬼』は十数年前に起きた()()()()の元凶そのもの、或いはその一端であった()()である。

 

先代『博麗の巫女』がその命と引き換えに解決したとされる、幻想郷存続さえ揺るがした未曾有の大異変。

 

その()()()()()()()()()()()()()、あまつさえ『博麗の巫女』の手先として、この『紅魔館』の殲滅を遂行せんとしているのか。

 

おそらく、この『紅魔館』に『博麗の巫女』が戦力を派遣した理由は、自分の主人が何か『異変』を起こしたからなのであろう。

 

だが、それは対外的なもっともらしい理由付けにしかならない。

 

咲夜の求める答えは、もっと本質的な部分にあった。

 

何故、この『紅魔館』で異変が起きるに至ったのか。

もっと突き詰めれば、()()()()()()に主人をけしかけ、異変を()()()()()のか。

 

何故、虫も殺せないような『博麗の巫女』を甘言巧みに操り、きっと、彼女が今日の今日まで歴史の舞台裏に隠し続けていたであろうこの『吸血鬼』(ジェノサイダー)()()へ送り込ませたのか。

 

そして、あらゆる要因が積み重なった結果行き着いた、『吸血鬼』と、それに相対する『吸血鬼』狩りの専門家(エキスパート)、そこに現れる『博麗の巫女』一行という出来すぎた構図。

 

もし()()()()()()()

 

紫が全ての黒幕であり、十数年前の異変の()()()()()()()清算を画策しているのならば。

 

自身とこの『吸血鬼』を()()()()()()()()()()()()なのだとしたら。

 

そう考えれば、()()()()()ことにも、ほとんど合点がいく。

 

咲夜が辿り着いた結論は、あまりに悍ましい()()()の執念と老獪さの片鱗を覗かせていた。

 

「さぁて、どうかしらね。万事、台本通りに事を運ぶ、というのは存外難しいものよ?」

 

その質問への曖昧な返答に、咲夜は顔をしかめると、大きく溜息をつき、やれやれといった様子で首を小さく振った。

 

彼女には、()()の心の底までを見透かすことは出来なかったが、その後ろ向きな肯定ともとれる返答により、自身の推測がかなり()()に近いことを確信した。

 

「まぁ、いいわ。それで、()()()()()()()のかしら? まさか、ただこの場に現れただけ……ってワケじゃあないでしょう?」

 

「それは、勿論……」

 

「黙って聞いていれば、ああだこうだと鬱陶しいぞ、()()。麗亜、貴様も新たに命令(オーダー)を下す気がないのなら、黙って見ているがいい。さぁ! 続きだ、使用人。ナイフを構えろ。そして、小賢しい能力を発動するがいい。今一度、私に立ち向かえ!」

 

自身が蚊帳の外に置かれている状況に痺れを切らし、アーカードは二人の会話を断ち切りながら、()からその姿を現し、咲夜に申し向ける。

 

だが。

 

「そこまでです、アーカード。帰りましょう……博麗神社(わがや)へ」

 

そんな士気軒昂な従僕へ、主人が突然告げた命令は、彼の意に真っ向から反するものだった。

 

「帰る……? 帰る、か? どこへ()()!? 私の居場所は端から()()だ! ()()()()こそが、私の帰る場所であり、()るべき場所なのだ! そう、地獄は()()()()()!」

 

「命令です、従僕。もはや戯れもこれまで。後は全て、私が背負います」

 

語気荒く、怒りを露わにするアーカードとは対照的に、麗亜は冷ややかな口調で、重ねて戦闘の中止と神社への帰還が()()である事を、殊更強調するように伝えた。

 

そのために、まさに自分がわざわざこの場に赴いたのだと知らしめるように。

 

「……ッ! 麗亜!」

 

それを受けたアーカードは、搾り出すように主人の名を呟くと、()()()()()()()()()()()()と玩具を取り上げられた子供のような、大層恨めしげな表情を浮かべ、ギリリと奥歯を鳴らした。

 

「咲夜さん……心中、お察しします。こうなってしまったのは、()()私の責任です。この償いは、必ず……」

 

そして、アーカードを制した麗亜が、ひとまず事態を収拾させる為の言葉を咲夜に掛けようとしたまさにその時。

 

「……ふ、フフッ! アッハハハ!」

 

突如として、狂気に満ちた笑い声が室内に響き渡った。

 

「……!?」

 

たった今、何が起こったのか理解できなかった麗亜は、目を白黒させて言葉を失う。

 

その顔からは、酷く狼狽した様子が見て取れた。

 

麗亜が取り乱すのも無理はない。

何故なら、その笑い声の主が、他でもない()()であったからだ。

 

が、しかし。

そこは流石『博麗の巫女』といったところか、麗亜は瞬時に冷静さを取り戻し、咲夜は突然発狂してしまった、と。

遂に、状況に追随することを放棄して()()()()()()()()()()()のだと。

 

そう、判断を下そうとした。

 

まさにその時。

 

「……ごめんなさい、麗亜。あまりにもくだらない冗談だったから、つい、はしたなく笑ってしまったわ」

 

「冗、談……?」

 

「ええ。だって、誰がどう見たって「はい、そうですか」と、このまま貴女達を帰すわけにはいかないでしょう? パチュリー様は()()()()散華なされ、お嬢様もご覧の有様。この場にいないということはきっと、美鈴も無事ではないでしょう……奪われたモノは、それに見合う()()で贖ってもらわないと、ね」

 

「つまり……?」

 

咲夜の唇の動きに視線を引き寄せられながら、麗亜は、彼女の言葉の持つ掴みきれない意味とその艶めいた声色に、言い知れぬ恐怖を覚えていた。

 

確かに、咲夜は筋の通った事を言っているようだが、()()が違う。

 

それはおそらく、彼女の求めている()()に思い至れない恐怖から来る違和感。

 

そして。

 

「その化物の命、ここに置いていきなさい」

 

「なっ……」

 

想像を超えた咲夜の返答に、麗亜は思わず息を飲む。

 

そちらこそ、タチの悪い冗談かと咲夜を見返しても、そこにあるのは()()()()()()()の冷笑を貼り付けた顔。

 

そして、彼女が指差す先に佇んでいるのは、紛れもなく『吸血鬼』アーカードである。

 

「もちろん、その化物には抵抗して貰って構わないわ。そうしないと、フェアじゃないもの」

 

麗亜の動揺になど構わず、咲夜は続けざまに要求を述べる。

 

「咲夜さん……!」

 

「どうしたの? 麗亜。まさか、釣り合わないとでも?」

 

理解に苦しむ咲夜の提案に、麗亜は思わず悲痛な呼び声を上げたが、それは咲夜の心を微塵も揺らすことはなく、その表情を変えることすらも叶わなかった。

 

「……ッ」

 

確かに、咲夜にとっては、他の館の住人のみならず、自分の主人まで傷付けられ、中には()()()()()()()()()状態になってしまった者もいるとなれば、その怒りや憎しみを収めて一時休戦、というのは許せない事なのかもしれない。

 

しかし、麗亜は合理的な思考を旨とする彼女なら、それさえ越えて、休戦の申し出を受け入れてくれると踏んでいた。

 

そう、避けられる命のやり取りに自ら飛び込んでいくなど、()()()()()()()()()

 

それなのに、敢えて()()しようとするなど、聡明な咲夜にはあり得ないことだ。

 

「……いいえ、貴女が望むなら、そうしましょう。でも……」

 

やはり、咲夜は喪失と怨嗟の果てに、狂ってしまったのか。

廻る狂気の中、戦士として死に場所を求めているのか。

はたまた、私怨に囚われて、大局が見えないほどに我を失ってしまっているのか。

 

或いはーー

 

「麗亜」

 

麗亜は、彼女の戸惑いと思考を断ち切るように響いた声に、はっと我に返る。

 

声のした方向、自身の傍らには、恭しく片膝をつき(こうべ)を垂れた従僕の姿があった。

 

ついさっきまでの、今にも泣き出しそうな、『不死王』(ノスフェラトゥ)に似つかわしくない彼の表情は消え去り、その顔は歓喜に歪んでいる。

 

「今や私は()だ。走狗(そうく)だ。狗は自らは吼えぬ。命令(オーダー)だ。命令(オーダー)をよこせ! 相手が()()()人間であっても、私は殺せる。微塵の躊躇も無く、一片の後悔もなく鏖殺できる。この私は()()だからだ。さぁ、どうする!? 命令(オーダー)を!」

 

麗亜の命令があれば。

()()()()があれば。

()()を使うことができれば。

敵の反則じみた()()の正体がわからずとも、()()()()()が愉しめる。

 

勝利の見えた退屈な詰将棋(ゲーム)ではなく、命の()()()()に興じられる。

 

アーカードは、喜びに満ち満ちた声色で、麗亜を致命的な決断へと駆り立てる。

 

「…………」

 

アーカードの言葉を反芻し、麗亜は黙り込んだまま、咲夜を見詰めた。

 

「……いいのよ、麗亜。きっと、全てはそこの胡散臭い()()()の思惑通り。とどのつまり、()()が。()()()()が目的だったのよ。そこの()()を打倒するための算段……そして、そのための生贄なのよ。()()十数年も、『紅魔館』も。きっと私が、征く事も」

 

そう、経緯や理由がどうあれ、咲夜は目の前の『吸血鬼』を討たねばならない。

しかも、その『吸血鬼』が規格外の化物であるなら、尚更である。

彼女は、それが『吸血鬼』を打倒できる『人間』の()()であるという矜持を持っているから。

 

『吸血鬼』が目の前にいるなら、()()と戦って、打ち勝つ。

 

たとえそれが、誰かの掌の上の出来事であっても。

 

咲夜は、全てを受け入れた上で放ったその言葉で、彼女が先程並べ立てた()()()()が建前であることを、そして、自身が盲目的に信じている者に利用されているかもしれないことを、麗亜に悟らせた。

 

麗亜は、ずっと昔から、心のどこかで渦巻いていた違和感が、急激に絶望という形を成していくのを感じ、思わず口に手をあてがった。

 

麗亜と咲夜、二人の視線が紫に向けられる。

 

「…………」

 

二人には、開いた扇子で覆い隠された賢者の口元が、うっすらと笑みを湛えているように思えた。

 

『深淵を覗く時、深淵もまた、こちらを覗いているのだ』と、ある哲学者の言葉を体現するようなその()()に、麗亜はただ怖気を感じ、咲夜は鋭い敵意と視線を向けた。

 

「ときに、麗亜。妹様の拘束を解くことは可能かしら?」

 

ここで、弔い合戦という体裁を繕った、もはや私闘とも呼ぶべき戦いに臨む咲夜が唐突に口にした、主人()の身を案じる言葉。

 

「……すみません。結論から言うと、不可能です。きっと、時間が経ち、自然に消えるまでは。私が未熟なばかりに……」

 

「その点は心配いらないわよ。()()()()に、私達がいるんだもの。貴女は思う存分、戦えばいいわ」

 

麗亜の返答に割り込み、紫が口を開く。

 

「……なるほど。()()()()()()だったのね。その言葉、信じていいのよね?」

 

「もちろん。だって……」

 

紫が「そこまで()()していながら、くだらない使命感のようなものに駆られて、わざわざ戦ってくれるんですもの」と言葉を続けようとしたその時。

 

「咲夜ッ!」

 

これから繰り広げられるであろう闘争の気配を、完全に受け身で会話を聞く中で察したレミリアが、堪え兼ねて使用人の名を叫ぶ。

 

「そこにいるのよね、『博麗の巫女』! それに、八雲紫! 咲夜に何かあったら、許さないわよ!」

 

「……大丈夫ですよ。私なら、大丈夫。()()()()()()()さえあれば、()()()()()を見つけられます。お嬢様はただ、()()たる私に一言命じて頂ければ結構。()()()()()()()、と」

 

強く紡がれるレミリアの言葉に、咲夜は自分の主人を振り返り、にっこりと、優しい微笑みを浮かべた。

 

「咲夜……アナタって、本当に勝手で不遜な使用人ね。()()()()()早々、我が儘放題なんて。()()で折檻が必要かしら」

 

「ええ。(わたくし)は不肖の使用人ゆえ、()()で再調教のほど、宜しくお願いいたします」

 

「……バカね。いいわ、行きなさい。ただし、しっかり()()()()()くるのよ?」

 

「無論、お嬢様を傷付けた者を、この館から生きては帰しません……たとえそれが、如何なる()()であっても」

 

光を失っているレミリアに咲夜の微笑みは届かなかったが、それでも二人は同じ()を分かち合えた。

 

分かち合うことが、できた。

 

「……待たせたわね、麗亜」

 

咲夜とレミリア以外の全員が、無言で二人の会話に聞き入っていたのは、それが今生の別れを感じさせる悲愴的なものだったゆえか。

はたまた、鬼気迫る咲夜の不意に見せた儚さがそうさせたのか。

 

ともかく、二人の会話が終わり、咲夜が麗亜に会話の矛先を向けたことで、ようやく()は見えざる力の支配から解き放たれ、全員がふっと思い出したかのように()()()()()()()

 

「本当に、いいんですか? 今ならまだ……」

 

()()? 残っているのは()()()だけじゃない。さぁ、終幕よ……かかって来なさい、化物」

 

麗亜の最後の忠告を軽く撥ね退け、咲夜は目の前の敵を睨み据える。

 

「ふ……クハハハハハハ! 素晴らしい。素晴らしいぞ()()(あるじ)よ! 我が主よ!我が主人、当代『博麗の巫女』博麗麗亜よ! 命令を!」

 

「……言いなさい、麗亜」

 

「言うのよ、麗亜」

 

紫と咲夜の二人に促され、麗亜は使わない、否、使わせないと心に決めていた()()()()()を解き放つべく、己の前に跪く従僕を見下ろした。

 

そして。

 

「我が下僕、吸血鬼アーカードよ! 命令します! サーチ・アンド・デストロイ!サーチ・アンド・デストロイ! 総滅です。全ての障害は、ただ進み押し潰し粉砕しなさい! たとえそれが、何であっても。たとえそれが、誰であっても……!」

 

了解(ヤー)、認識した。我が主(マイマスター)

 

「拘束制御術式零号開放……謳え!」

 

遂に下された、アーカードの真の力を、『吸血鬼』としての()()を枷から解き放ち、最大の攻撃力を振るうことを許可する命令。

傍目には、麗亜が血迷ったように映ったかもしれないが、それは、願わくば咲夜がこの()()を打倒せんことを祈ったがゆえのものだった。

 

「私は、ヘルメスの鳥。私は、自らの羽を喰らい……」

 

自分の望んだ展開に笑みを零しながら、アーカードはゆらり、ゆらりと身体を揺らす。

 

それに呼応して、彼の背後、遠方の影から徐々にせり上がるように、一つの()()がその姿を現し始めた。

 

それは、パチュリーの魔法によって焼き払われたかに見えたアーカード()()()()()

 

咄嗟に影に潜ませることで難を逃れさせていた正真正銘の、彼自身の棺であった。

 

誰が触れるでもなく、横にずれるように開いた棺の蓋。

そこに刻まれた紋章が、術式が、不気味に明滅しながら溶け出し、そして、棺の内側から『影』が膨張し、空間を覆っていく。

 

「……ッ! これは、()()()の……!」

 

 

……。

…………。

……………………。

 

 

 

「……ッ! この妖気! 諏訪子様、神奈子様!」

 

「すわわっ!? これって……神奈子!」

 

「ああ……穏やかじゃないねぇ、まったく」

 

 

守矢神社の面々が。

 

 

「……! この風、『紅魔館』の方からですか。はたて、念写は?」

 

「もうやってるわよ……ッ!? 射命丸、これって……」

 

「あやや。これはこれは、酷い有様ですねぇ。さて、どうしたものか……」

 

 

妖怪の山の面々が。

 

 

(……! ()()()()()が来たみたいね。あの二人が心配だけれど……少なくとも、私達の城は私が護ってみせるわ。ねぇ、魔理沙……)

 

 

魔法の森の少女が。

 

 

「……幽々子様」

 

「そんなに恐い顔をしないの、妖夢。でも、これはちょっとマズい……のかしらねぇ?」

 

 

白玉楼の面々が。

 

 

「しっ、ししし師匠! これは!」

 

「落ち着きなさいウドンゲ。てゐ、姫様に戦闘準備と伝えて頂戴!」

 

「あいあい、さー! んー、マム?」

 

 

永遠亭の面々が。

 

 

「……チッ! ()()これかよ……いいぜ、やってやる!」

 

 

迷いの竹林の少女が。

 

 

「萃香、久しぶりに祭りの気配だ! どんと、派手にいこうかねぇ!」

 

「ん〜、私達が打って出るには()()少し早そうだけど……とりあえず、華扇と合流しとこっか?」

 

 

旧都で酒盛り中の鬼達が。

 

 

「この気……神子、さん……殿?」

 

「こんな時まで……神子でいいですよ、神子で。それはさておき、これは間違い無く十数年前(あのとき)の……」

 

「太子様、風水的にも良からぬ雰囲気が……」

 

「雲山が怯えています。こんなことって……」

 

「念のため、とんずらこく用意は済ませておくかね」

 

()()が来たら、この幻想郷に逃げ場なんてないでしょうに」

 

「たっ、戦うしかないんですか!?」

 

「わたしも、戦う……!」

 

「やっ、やってやんよ!?」

 

 

神霊廟の、命蓮寺の面々が。

 

 

「……衣玖! ()()きたわ! 今回は、乗り遅れないようにしなきゃね!」

 

「お、お待ち下さい、総領娘様! はぁ……まったく、誰に感化されたのやら」

 

 

天界の面々が。

 

 

「……小町!」

 

「はいはい、わかってますよっとぉ。ったく、せっかくの休暇だってのに……忙しくなりそうだねぇ、こりゃ」

 

 

楽園の最高裁判長と部下の死神が。

 

 

「う、ううぅっ!」

 

「さ、さとり様!? 急にどうしたんです!?」

 

「お燐、この感じ……」

 

「これって、()()()の?」

 

「来る。ああ、河が来る! ()()()が!」

 

 

地霊殿の面々が。

 

 

皆、唯一人の男に恐怖し、唯一人の男だけに己が敵意の矛先を向ける。

 

幻想郷の大地(ここ)にいるほとんど全てが感じたのだ。

 

『恐ろしいことになる』と。

 

あの十数年前に起きた惨劇が、再び舞い戻ろうとしている、と。

 

 

………………。

…………。

……。

 

 

 

「飼い、慣らされる」

 

アーカードは闇の中、一際輝く牙をのぞかせて、にやりと笑った。

天井の穴から射し込む月明かりが、それを笑顔ではないもののように見せた。

 

ーー次の瞬間。

 

河が氾濫するかの如く、際限無く広がる『影』から溢れ出た、無数のヒトガタ。

 

それは、まさに十数年前の悪夢の再来であった。

 

「やはり、貴様は十数年前(あのとき)の……!」

 

「何なの、アレ……?」

 

遂に、『吸血鬼』としての()()を解放したアーカード。

 

ある影は、銃剣を携え。

ある影は、手斧を構え。

ある影は、ただただ嘆きの叫びをあげる。

 

延々と連なる亡者の列を従えたその()()はまさに、死者の国の領主(ロード)そのものであった。

 

この世のものとは思えぬその異形に、咲夜はギリリと奥歯を噛み締め、フランドールは顔を引き攣らせる。

 

「……化物ッ!」

 

目で()()異形を捉える事は出来ずとも、その身に残された他の感覚器官が受容する情報によりもたらされる、身震いと悪寒に喘ぐレミリア。

 

「「…………」」

 

先程と同じように、開いた扇で口元を隠して沈黙する紫と、その傍らで俯く幽香。

 

「これが、本来の『吸血鬼』アーカード……? 私は、こんなモノを……」

 

そして、おおよそ()()()『死の河』を目の当たりにしたと言っても差し支えのない麗亜は、深い絶望のような、後悔のような、例えようのない感覚に呑まれていた。

 

「……怯んだか?」

 

「誰が……! 来い、化物。始末してやる」

 

蠢く数多の影の先、挑発的に響く声に、気合い充分、士気軒昂といった様子でナイフを構えて応える咲夜。

 

「そうだ! それでいい! ()()な使用人の()()など外せ! その()()を曝け出せ! その刃を()()心臓に突き立ててみせろ!」

 

「……ッ! アーカード!」

 

アーカードの叫びで、不意に我に返った麗亜は、聞き及んでいた零号解放による広範囲無差別尽滅攻撃ーー即ち、十数年前の()()が繰り返される事を危惧し、彼の名を叫ぶ。

 

「心配するな、麗亜。()()()とは違う。だが、()()()だ。完全に制御はしかねる。しばしの間、我が主を頼むぞ……賢者」

 

零号開放に伴い、口元に髭を湛え、鎧を纏った荘厳な姿と化したアーカードは、麗亜が今まで見た事もないような穏やかな表情を浮かべると、彼女の頭にぽん、と掌を置いた。

 

従僕の見慣れぬ姿と思わぬ言動を受け、麗亜は目を丸くしていたが、すぐに気を取り直すと、室内、特に壁や穴の空いた天井を見回した。

 

確かに、目視し得る限りでは、『影』が部屋の外まで広がっている様子は窺えない。

 

念のため、霊力による探知を試行してみようにも、常人ではその場にいるだけで吐き気をもよおすほどの、濃厚な殺意と魔力の渦の只中にある()()状態では、感覚の何もかもが掻き乱されて、正確な探知などできそうにもない。

 

そう、今はただこの闘争の行き着く先を、歯噛みしながら見守るしかない。

 

麗亜はこの瞬間において、ただただ無力であった。

 

そんな無力感からくる麗亜の不安を察したように、アーカードの呼び掛けを受けた紫が、優しく彼女の肩を抱く。

 

「紫、さん……」

 

()()()()ね、麗亜」

 

「……さぁ、我が愛しの宿敵(にんげん)よ! 踏破してみせろ!」

 

アーカードの咆哮を皮切りに、数え切れない黒い影達が、さながら城塞の壁となり、無慈悲に押し寄せる濁流となり、咲夜に、そして、彼女が背にするレミリア達に襲い掛かる。

 

最強の攻撃をもって、攻勢に転じた『不死王』(ノスフェラトゥ)

 

数の暴力ーー即ち、何の捻りもない大軍での突撃という、単純故に強力な攻撃。

彼の抱え込んだ生命力の根源がそのまま武器となった()()は、いかなる小細工とて捩伏せるような圧倒的な制圧力と、抗いようのない絶望を、対峙した者に感じさせる。

 

「……ッ!」

 

視界一面の『影』が迫る中、能力を発動し、静止した()に抱かれ、咲夜は考える。

 

自身の能力では、基本的に広範囲に及ぶ面での攻撃や、空間を埋め尽くす類の攻撃は回避不可能。

能力を応用しての、転移魔法紛いの移動でも、極端に厚みのある攻撃はやり過ごせない。

 

ならばーー

 

(一点突破しか、ない……!)

 

咲夜は瞬時にそう判断し、ありったけのナイフを眼前に集中配置すると、能力の解除と同時に、そこへ向かって駆け出した。

 

()が動き出すと、弾けるように『影』に穴が空き、人一人がようやく通れる程度のその間隙を、体をすぼめて潜り抜ける。

 

瞬間、彼女は紫の言葉を信じてはいたものの、思わず、背に置き去りにしたレミリア達の安否を気に掛け小さく振り返った。

 

そこには、視界がそれだけで埋まるほど巨大な『スキマ』が拓いているだけで、また、『影』に空いた穴は、咲夜が抜けるそばから塞がって、彼女は主人の姿を視認する事ができなかった。

 

しかし、『スキマ』が見えたということは、やはり()()()()()()らしい。

 

彼女には、()()が確認できただけで充分だった。

 

「……上等っ!」

 

『影』での初撃を抜けた先、更に待ち受けていた『影』の壁を前に、彼女は引き攣った笑みを浮かべる。

 

()()から()()へーー自身の行動理念を、護ることから、狩ることへと変えて。

 

 

一方、咲夜とアーカード、両者の戦闘再開と時を同じくして、紫は幽香と麗亜を連れて、レミリア達の前に移動していた。

 

レミリア達に押し寄せる『影』の前に立ち塞がり、数多の巨大な『スキマ』を拓いて、そこから弾幕を放つと同時に『影』からの飛び道具を捉え、別の『スキマ』からそのまま『影』へと撃ち返す紫。

 

そして、一人で数人分の攻防を熟す紫とは対照的に、ただ無防備に佇む幽香。

 

「ヴおぉおあアアァァァ!」

 

そんな彼女の前に躍り出た、巨鎚を振り上げる『影』。

その華奢な体を砕くに充分な質量が、彼女に向かって振り下ろされる。

 

「…………」

 

直撃。

 

幽香は巨槌の一撃を躱そうともせず、ただそこに()()()()()だった。

 

故に当然、強烈な打撃をその身に受けることと相成ったわけであるが。

 

その結果残ったのは、通常ではあり得ない光景だった。

 

幽香はそのまま、()()()()()のだ。

 

上方から振り下ろされたそれは間違いなく、直撃すれば最悪、全身の骨が砕けるような一撃であった。

よほど運が良くても、頭部の欠損は避けられなかっただろう。

 

しかし幽香は、その巨槌を頭で()()()()()、先程と顔色一つ変えずに佇み続けていた。

 

「……なるほど、ね。いいわ、紫。少しだけ、付き合ってあげる」

 

彼女はぼそりと呟くと、襟元のリボンを緩め、ブラウスの第一ボタンを外した。

 

瞬間、殺気と()()がその全身から滲み出し始める。

 

それに伴い、彼女の首元の太陰大極図が、明滅を繰り返しながら、鈍い輝きを放ち出す。

時間の経過と共に、『陰』を表す()()の黒い部分が、次第に『陽』を表す白い部分を侵食し、その黒の占める割合が大きくなるほど、彼女の妖力は加速度的に膨れ上がっていく。

 

「それじゃあ、始めましょうか」

 

そして、太陰大極図全体のおおよそ7割程度が黒く染まったところで侵食は止まり、幽香はゆっくりと、眼前に蠢く『影』達を睨み付けた。

 

その間に要した時間はほんの僅かなものであったが、彼女のあまりに禍々しく圧倒的な妖力に、周囲の者全員が、時間と空間が目一杯引き伸ばされたかのような感覚に囚われていた。

 

それは、人が致命的な危機の間際、一瞬が何分にも感じられる走馬灯の類いのような錯覚であったのだろう。

 

ともあれ、その一連の出来事が終わりを迎えたその瞬間、彼女の目の前、否、周囲に群がる『影』達は全て、跡形も無く消し飛んでいた。

 

「まずは肩慣らしから、ね……」

 

「やっぱり、連れてきて正解でしたわねぇ」

 

一瞬、目を見合わせ、すぐ正面に向き直る幽香と紫。

 

二人の目の前には、また新たな『影』が押し寄せていた。

 

 

また、その時、斯様に応戦を続ける二人に護られる形で、麗亜はそのすぐ後ろに()()していた。

 

もちろん、彼女はただ己の無力に打ちひしがれ、漫然と時を過ごしているのではない。

 

それは、即ち、零号開放を承認し、一見用済みの自分にもきっと、再び出番が回ってくると、自分が()()()()()()()は、必ず別にあるのだと予期ーー否、確信していたが故の()()に他ならなかった。

 

そうして、()()()()()()を待ちながら、彼女は今回の件について、何故このような終局に至ったのかーーつまり、何故このような状況に()()()()()()()のかについて、思いを馳せていた。

 

まず、 前提として変わらないのは、今回の件を解決するにあたって、アーカードを遣わしたのは自分自身であること。

 

しかし、何故自分はあの時、これまで()()彼を遣って他愛の無い異変()()()を解決した時と同じように、()()()()()()()()()()のか。

 

彼を動かすのに、それ以外の言葉を、命令を知らなかったから?

 

違う。

 

では、思考を停止して、()()()()ことに慣れきってしまっていたから?

 

それも、きっと違う。

 

それなら、かつて『紅魔館』で起きたものと同様の異変、という熱に浮かされたから?

 

これも、違う。多分、()()じゃない。

 

他にも理由は多数浮かべど、そして、そのどれもが原因と成り得れど、決定的とは言い難かった。

 

とどのつまり、どうも()()は、自分の内的な部分の葛藤だとか、()()()()の話ではないようなのだ。

 

そう、傍目にはただの責任転嫁に映るだろうが、何か外的な力が、()()()()()、或いは、()()()()()()()()()()のだと考えると、幾分か合点のいく答えに辿り着けそうなのである。

 

その証左に、今はこれほど冷静に事態を客観視出来ているのに、『紅魔館』(ここ)に来るまでは、情緒不安定と言っても過言ではないほど、自身の言動に整合性が取れておらず、適正な判断力も欠いていた。

 

では、()()()()()に?

 

麗亜の思考がそこへ至ると、彼女は不意に、胸が締め付けられるような息苦しさと、いてもたってもいられないほどの強烈な焦燥に襲われた。

 

唐突に目の前にちらつき始めた答えに、感情の整理がつかない。

 

彼女はその時、涼しい表情で『影』を捌き続ける紫の横顔を、無意識に見つめていた。

 

その視線に気付いたのか、彼女は目の端で麗亜を捉え、表情を崩さぬまま、首を傾げておどけて見せた。

 

「紫さん……後でしっかり、説明してくださいね?」

 

「……! いいわ。この舞台に幕が下りたら、そうしましょう」

 

麗亜の口を衝いて出た、『紅魔館』(ここ)に来る直前のものとは似て非なる問い掛け。

 

そして、紫の口から得られた、望んだ返答。

 

それでも、麗亜は焦れるばかりだった。

 


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