HELL紅魔郷SING   作:跡瀬 音々

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全ての忘れ去られたものが集まる、幻想郷。博麗の巫女が活躍したのは、今は昔の話となった。
が、しかし。永遠の平和を手に入れたと思われた幻想郷に、過去に起こった怪異が再び魔の手を伸ばした。
その怪異とは、湖のただ中にある『紅魔館』から、紅い霧が発生するという怪異だった。

異変解決のため、当代博麗の巫女である『博麗 麗亜』(はくれい れいあ)は従僕である吸血鬼アーカードへと、異変解決の命を下す。見敵必殺(サーチアンドデストロイ)と。


的な話。

のはず。


silence

 

光。

光だった。

アーカードの目の前に広がったのは、眩いまでに輝く光。

そして、その光が収束した後に残った、ほの明るい光。

蝋燭のような、揺らめく光だった。

 

「ここは……どこだ?」

 

そう独り言つと、アーカードは視線だけを動かし、辺りを観察する。

もちろん、同時に他の五感もフル活用し、詳細に状況を分析し始める。

 

(…………)

 

壁や天井に囲まれている。となれば、ここは室内。

方法はわからないが、どうやら彼は自分の意思とは関係なく、この室内へとやってきた、否、飛ばされたようだった。

 

(転移魔法、というやつか)

 

室内は薄暗く、少し気温が低い。

地下だろうか?

しかし、それにしては湿度が低いように感じられる。

 

(ここは……)

 

アーカードの立つ一本道を取り囲むように、所狭しと配置された本棚。

不気味に灯る蝋燭の火。

 

「ようこそ、私の城へ……」

 

「……!」

 

不意の呼び掛けに、アーカードは声のした方を振り返る。

振り返ったその先、アーカードの双眸は一本道の突き当たりにある物々しい机に、本を片手にため息をつく一人の少女の姿を捉えた。

 

「お初にお目に掛かるわね。私は『七曜の魔女』ことパチュリー。パチュリー・ノーレッジよ」

 

「フン、そうかい」

 

アーカードは少女の自己紹介を一笑に伏すと、彼女には一切の興味がないといった様子で部屋の出口を探し始めた。

 

「あら、冷たいのね。自己紹介くらい返してほしいものだわ」

 

「生憎だが、私は忙しい。それに機嫌も悪いんだ。食事の最中で、不躾な輩が邪魔をしたようだからな。お前のような病人に用は無い。すぐに立ち去るか、道を案内しろ」

 

「病人、ね。流石は吸血鬼。よくわかるのね」

 

自分のことなどそっちのけで部屋を見回すアーカードに対し、少女は意趣返しとばかりに、本から目を離さずおざなりな対応で返す。

 

「……ほう。いつから気付いていた?」

 

「いつからも何も、最初にアナタを見た時から、よ。いいえ、正確には地上にいるアナタの気配を感じた時から、かしら」

 

「……私は今、一つの結論に達した。()()()()()()()()、お前は賢そうだ。私が何を考えているのか、わかるだろう? 私の推論と事実に相違はないか?」

 

「さぁ、どうかしらね。でも、私も今のアナタの言葉で()()()()()()わ」

 

二人は共に不機嫌な声色で言葉を交わすと、アーカードは射抜くような瞳で、パチュリーは無機質な人形のような瞳を本から離し、互いを睨み据えた。

 

「そうかい。それなら、早く始めよう。弱者を虐げるのは忍びない……が、覚悟してもらうぞ、病人」

 

「病人病人と、ひどいわね。そう邪険にすることはないじゃない。ちゃんと自己紹介もしたのだから、病人呼ばわりはよしてくれるかしら?」

 

「お前の名前が何であろうと、どうでもいい話だ。私にとって肝要なのは、お前を消す事が、ここから出る事に繋がるだろうということだけだ」

 

「そうかしら? 覚えておいて損はないと思うわよ? アナタを葬る者の名前だもの」

 

「フン、面白い冗談だ」

 

「そうやって笑っていられるのも今のうちよ。私の美しい弾幕で屠られたこと、せいぜいあの世で自慢するのね」

 

「どこからでも来い、病人……!」

 

殺気と共に銃を抜き放ったアーカードの鋭い視線がパチュリーに突き刺さったが早いか、彼の頭上から多数の火の矢が降り注ぐ。

アーカードはそれを予想していたかのように素早く後ろに飛び退き、回避する。

もちろん彼は、それと同時にパチュリーに照準を定め、引き金を数回引いていた。

が、パチュリーの喉元や腹部といった数カ所の急所を捉えるはずの弾丸は、鈍い音を立てて彼女の眼前で不自然に叩き潰され、地に落ちるばかりだった。

 

(魔力障壁……しかもかなり強力だな。それに……)

 

「火符『アグニシャイン』……まずは小手調べから、ね」

 

比喩でも何でもなく、文字通り燃え盛る火の矢。それらがアーカード目掛けて四方八方から次々と襲い掛かる。

 

(この弾幕の重厚さは厄介だな。時間も惜しい。ここは肉薄の距離で一気に……)

 

圧倒的な速度で発射され続けるパチュリーの攻撃を前にしては、さしものアーカードも魔力障壁の対処に充分な思慮をする暇はなく、やがてその攻撃を躱し続けるのにも限界が訪れた。

 

体勢の整いきらないアーカードの身体を火の矢が一本、また一本と貫き、燃やしていく。

もちろん、アーカードも黙って為すがままになってはおらず、攻撃を受けながらも少しずつ前進し、苦し紛れに反撃しているといった様相を醸し出すため、無駄とわかっていながら銃を放ち、防がれ、それでいて機を待っていた。

 

「悪いけれど、大切な人を傷付けられて黙っていられるほど大人じゃないのよ、私」

 

「なかなかどうして、できるじゃないか病人! そうだ、もっと来い……もっとだ!」

 

「言われなくても……」

 

可憐。そして苛烈。空間を埋め尽くすほど分厚い弾幕による、圧倒的な暴力。

このような様子から、パチュリーを固定砲台タイプと形容する者も多いが、魔力障壁による鉄壁の防御力も相まった彼女の場合、固定砲台などという小規模なものではなく、もはや要塞さながらであると表現するのが相応しいだろう。

 

「今日は頗る調子がいいの。ほら、もっと華麗に踊って頂戴。土符『レイジィトリリトン』……!」

 

パチュリーが呟くと、アーカードを襲う火の矢の嵐はそのままに、土の槍が彼女の足元から彼に向かって、その体を貫かんと隆起する。

 

「シィッアアアアアアア!」

 

瞬間、アーカードは邪悪な雄叫びとともに、パチュリーに飛び掛かっていた。

彼女が、一つの魔法を発動しながら新たな魔法を発動する際に出来た、隙とも呼べない間隙。

それこそが、アーカードが待ち続けた一瞬。

すなわち、一撃必殺の機だった。

 

「オオォAAAAA!」

 

火の矢を全身に受けながら、自身の胴体を貫こうとする土の槍を左腕で振り払い、右の手刀に力を込める。

しかし、パチュリーはそれを予期していたかのように妖しい微笑を浮かべると、掌で宙をぐっと掴んだ。

その刹那、アーカードをぐるりと取り囲む土の槍から、更に土の槍が生じ、彼の上半身を完膚なきまでに切り裂いた。

 

が、そんな事はおかまいなしとばかりに、アーカードの上体が霧状になると、土の槍の包囲はあっさりとすり抜けられ、彼はすぐさま実体化した上体を伴い前進を再開する。

そして、彼の攻撃が、まさにパチュリーを射程圏内に捉えた瞬間。

一瞬でアーカードはその動きを止め、ギリリと歯軋りを響かせた。

 

「本当にやるじゃあないか、病人……!」

 

あと一呼吸もあればパチュリーを仕留められる位置で、突如として足を止めたアーカード。

その理由は、彼の足元にあった。

パチュリーとアーカードとの間に広がる、そう大きくない距離。

 

そこに横たわる、水の氾濫。

 

「水符『ベリーインレイク』……『()()()()()()()()()()()()()()()()()()』、でしょう?」

 

二人の間を埋め、尚且つパチュリーの四方を取り囲む、流水。

その水がどこから来て、どこへ行くのかはアーカードには見当もつかないが、ただ、その水は嵩を変えずに延々と、パチュリーから彼の方に向かって流れ続けていた。

そしてその事実だけが、彼らにとって重要な意味を持っていた。

 

「これでアナタは、私に一方的に嬲られ続けるだけ」

 

「チィ……」

 

一歩。たった一歩の踏み込みが、互いに生死をわけた高度な攻防。

そして、その後に始まる、圧倒的な蹂躙。

未だ止む事のない弾幕の雨に、アーカードは反撃はおろか、近付く事さえもできずにその身を貫かれ、焼かれ続ける。

 

(とはいえ、この男……並の吸血鬼じゃないわね。ヘタをすればレミィと同等か、もしかしたらそれ以上かも……)

 

弾幕と魔力障壁、そして流水により万全の防御体制を築き上げたことで余裕ができたのか、パチュリーは目の前の敵に対して思考を巡らせ始める。

 

一方、アーカードはパチュリーの弾幕になすがままになりながらも、博麗神社で待機している麗亜に連絡を試みていた。

 

『麗亜……麗亜。こちらアーカード。応答しろ……やはりダメか』

 

しかし、いくら通信機に呼び掛けてみても、返ってくるのはノイズ混じりの電子音だけ。

どうやら、この部屋には物理的な交信を妨げる結界のようなものが張られているようだ。

 

(仕方ない。面倒ではあるが……)

 

アーカードが考えている間もパチュリーの攻撃は弱まることなく続いていたが、彼の体の負傷した箇所は瞬時に霧状になり、次々と元通りに再生していく。

 

(この再生力……ラチがあかないわね。何か決定打が欲しいところだけれど、一体どうするべきか……まぁいいわ。ラチがあかないのなら、()()()()()()だけよ!)

 

「火符『アグニレイディアンス』!」

 

パチュリーが叫んだ瞬間、弾幕の火力が上がった。

否、弾幕の質が変わったのだ。彼女が新たに発動させた魔法は、先程までと同じ火の魔法であったが、その弾幕の形状は全くの別物となっていた。

火の矢から、火の壁へ。

点から、面の攻撃への転換。

 

それには当然、弾幕を回避することが困難になる効果があった(とはいえ、アーカードはもはや半ば回避することを諦めてはいたが)し、何より、物理的な意味で、彼女の放つ炎は純粋にその火力を増していた。

 

(本人に厄介な病人だ……麗亜、麗亜! 聞こえるか?)

 

アーカードは目を閉じ、念じる。強く、強く。

吸血鬼には、念話の能力がある。

ただし、それは一方通行のもので、相手に同じ能力が備わっていないと、通話としての意味を成さない。

 

だが、アーカードが今念話を試みている相手、すなわち麗亜は、戦闘においてはまるでド素人。たとえ仕込まれたとしても、戦いなんて一生無理と本人が豪語するほど戦闘の才能がないようではあるが、こと霊力の質においては、先代と比べても遜色のないものを持っているらしい。

おそらく、念話程度ならば、外部からのリードがあれば自然と可能となるだろう。

そんな考えから、アーカードは念話を試み、そして。

 

(何ですか、次から次へと。命令は下したはずです)

 

それは何なく成功した。

 

(よく言う。お前が色々と隠すから、面倒な事になった)

 

(平気で人の心に乗り込んで来て、一体何の事です?)

 

嫌味たらしく頭に響く、麗亜の声。

念話の状態は、良好であった。

 

(お前、この館に吸血鬼がいることを知っていただろう?)

 

(ええ、知っていました。その館の主人が、吸血鬼です。もうお会いになられましたか?)

 

(いや、まだだ。しかし、そんなことはどうでもいい。何故私に、そのことを伝えなかった?)

 

(聞かれなかったので)

 

(そういう事は聞かれなくても言っておけ。一手間増えただろう)

 

(どういうことです?)

 

(私の部屋にある対吸血鬼用の装備……お前が河童とやらに用意させたあの銃と、私の棺をここに送れ。ただし、無傷で届けるんだ。手段は問わん。全く、聞いていれば無理矢理にでも自分で持ってきたものを……)

 

(……もし、嫌だと言ったら?)

 

(何が言いたい?)

 

(もし最初から、私が貴方に()()を使わせないために、あえてその館のことを教えなかったとしたらどうするんですか、と聞いているんです)

 

(そうなのか?)

 

(さぁ、どうでしょう? ただ、()()を使って欲しくないことは事実です)

 

(……とにかく、だ。お前の思惑がどうあれ、()()がなければ私は目標を達成できん。目の前の敵が対吸血鬼の戦い方を心得ているものでな)

 

(また、戦闘中に通信しているんですか。余裕ですね)

 

(いや……余裕がないから、こうして念話での通信になっている)

 

(まぁ、珍しく苦戦しているようですし、貴方に恩を売っておくのも吝かではありません。銃と棺の件、ただちに対応しましょう)

 

(よろしく頼む)

 

アーカードは必要な物を送る約束を取り付けるとぶっきらぼうに念話を切り上げ、再び目の前の敵に集中する。

 

(確かに、攻撃は熾烈。威力も範囲も申し分ない。だが、何故だ? 吸血鬼との戦い方がわかっているはずなのに、何故致命傷を与え得る攻撃をしてこない? これだけの魔法を行使できるのだ。紫外線や銀での攻撃を行えないと考える方が不自然だろう。では何故、こんな……)

 

もっとも、アーカードにとっては、太陽光も流水も、大敵とはなり得ない。

ただし、その他の攻撃や通常兵器よりは幾分か効果を発揮するだろう。

 

となれば、館の主人がどれほどの吸血鬼であろうとも、その例外には漏れないだろう。

つまりは、館の主人が騒ぎを聞き付けて馳せ参じた場合を想定して、目の前の敵は誤爆を恐れた生半可な攻撃を続けているのだ、と。

 

アーカードはそう予測した。

そして、それは同時に。

彼に、吸血鬼との交戦が間近に迫っている事を期待させた。

 

だからこその笑み。

湧く渇望。疼く欲望。

 

アーカードの考えは、予測というには事実に近過ぎた。

 

(まぁ、ともあれ……)

 

アーカードは震える心を抑え、目の前の敵を睨み据える。

まずは、眼前の敵を屠る。

あわよくば、吸血鬼戦をより有利に戦えるような状況を作りながら。

 

そんな風に彼が思索を巡らしていると、そこへ。

 

不意に、音も無く空間に開いた、否、拓いた『スキマ』。

 

『それ』が一体何処へ繋がっているのか。

そもそも、その先に『此処ではない何処か』があるのか。

それは、その『スキマ』を創り出した本人にしかわからないことであったが。

とにかく、この場面で肝要なのは、その性質がどうであれ『スキマ』がアーカードの目の前に出現し、そして。

 

その『スキマ』から、人の背丈ほどの大きさの、包帯で簀巻きにされた何かが放り出された、ということだった。

 

「これは……八雲紫ッ!? どうして……」

 

その光景に、思わず口をついて出たパチュリーの一言。

もちろん、『スキマ』に投げ掛けられたその言葉に反応はなく、拓いた時と同様、『スキマ』はまるで最初からそこに何もなかったかかのように、音もなく閉じた。

 

(……っ! これは、間違いなく紫の……!)

 

先程アーカードが気付いたように、この地下室はパチュリーが指定した特定のもの以外の物理的、非物理的な干渉を妨害する結界に囲まれている。(とりわけ物理的な干渉に対しては、彼女の他者との接触を避ける性格上、非物理のものよりも高い防御力を発揮していた。)

即席ゆえにそこまで強力なものではないが、行使者の魔力の高さから、この結界内に外部から一方的に干渉出来るほどの能力を持つ者は、彼女の知る限り妖怪、人間の別なく、そう多くはない。

それに何より、今の能力は。

 

幻想郷最古参、そして最強の妖怪のうちの一人に名を連ね、更に賢者とまで称えられる大妖怪『八雲 紫』(やくも ゆかり)。

常に飄々とした態度を崩さず、寛大。

しかし、それでいて不遜。

掴み所のない、とはまさに彼女のことを表すのだろう。

 

パチュリーの脳裏に浮かんだ名前は、一瞬である推測を生んだ。

 

(紫が絡んでいるということは、この吸血鬼も博麗の……?)

 

結界をすり抜けられた事に関しては、境界を操る程度の能力を持ち、スキマ妖怪の異名を取る紫にとっては、朝飯前の事だと納得出来る。

そして、紫が攻撃しなかったということは、目の前の吸血鬼は彼女にとって、幻想郷にとって、()()()()()()、という事だ。

それに、『スキマ』から現れた謎の物体。

状況だけ見れば、紫が吸血鬼にその物体を()()()とも考えられる。

いや、事実()()なのだろう。

そもそも、これほどの力を持ち、かつ博識なパチュリーでさえ知らない『異物』である吸血鬼を紫が排除しないこと、それはすなわち、彼女が十中八九、目の前の吸血鬼に加担しているという事実を導き出す。

 

何故、あの大妖怪がそんな事を。

考えられる理由はおそらくこうだ。

 

目の前の敵が、博麗の巫女の差し金で動いていているという事。尚且つ、この『紅魔館』の主人が現在起こしている怪異が解決の対象となっている事。

そして。

目の前の吸血鬼の目的が、怪異の解決であろう事。

 

以上については、まず間違いないだろう。

 

そうであれば、吸血鬼や紫の行動、全ての事柄に合点がいく。

何故、博麗の巫女が直接ここに来なかったのか、という点を除いては。

 

ともあれ。

 

今の彼女には、そんな事をあれこれと考えるより他に、優先すべき事があった。

 

そう、アーカードが例の物体に手を掛け、包帯を引き剥がしていたのだ。

 

「……くッ! させない! 火&土符『ラーヴァクロムレク』!」

 

物体が何であれ、何かをする前に消し尽くしてしまえばいい。

そんな考えから、パチュリーは新たな魔法を行使する。

彼女が術式を組み終えた瞬間、彼女の左右に二つのプリズムが浮かび、その輝きとともに、二種類の属性の魔法が同時に放たれる。

発動したのは、二つの属性を兼ね備えた高度な魔法。

 

パチュリーの四方を延々と流れ続けていた水がにわかに泡立ち、その水面を突き破って噴き出したそれは、全てを溶かし、押し流す溶岩の破砕流と、空気を焼く火砕流だった。

それらが圧倒的な速度で、アーカードをその周囲の空間ごと破壊しようと迫る。

 

これなら、たとえアーカード本人には大したダメージを与えられなくとも、物体は消し去る事ができる。

そう判断した上での攻撃。

 

「拘束制御術式第3号第2号第1号、開放……!」

 

もちろん、アーカードにそれを躱す術などなく、彼の影は呟きとともに爆煙に呑み込まれた。

 

(パチュリー様……パチュリー様、聞こえますか!?)

 

(……こあ、遅かったわね。美鈴は?)

 

アーカードの状態を視認しようと目を凝らすパチュリーに届いた念話。

それは、パチュリーが地上の美鈴を救出しに遣わせた小悪魔からのものだった。

 

(はい、負傷してはいますが、すぐに治療すれば命に別状はないと思われます)

 

(そう、それはよかったわ……時間稼ぎはここまでね。一旦退いて、レミィ達に状況を伝えてから仕切り直しよ)

 

(はい、わかりました。私は美鈴さんを連れて直接、レミリアお嬢様のお部屋へ向かいます)

 

(そうして頂戴。私の方もすぐに切り上げるわ。今は手が離せないから、これくらいに。それでは、現地で)

 

(はい……どうかご無事で、パチュリー様)

 

(ええ。また、後で……ッ!?)

 

パチュリーが小悪魔との念話を終えようとしたまさにその時。

地下室に響いた無骨な爆音。

否、それは銃声だった。

 

それは、刹那の出来事だった。

パチュリーを護る魔力障壁が鈍い音を立てて砕け散り、彼女の右肩が抉り取られたのは。

 

「……ぐっ、うううぅぅ!?」

 

パチュリーの眼前、依然巻き上げられている黒煙に浮かび上がった人影。

 

「全長42cm重量17kg、装弾数5発……専用弾15mm炸裂徹鋼弾。弾殻、純銀製マケドニウム加工弾殻。装薬、マーベルス化学薬筒NNA9。弾頭、法儀式済み水銀弾頭……対化物戦闘用15mm拳銃『ディンゴ』。完璧(パーフェクト)だ、麗亜」

 

それは紛れもなく、アーカードだった。

彼は、ギチギチというこの世のものでは比喩しようのない独特な音を出しながら。

その『影』に使い魔の姿をちらつかせて。

まるで、地獄の底から現れるようにぬらりと。

黒煙を掻き分け、パチュリーに相対する。

 

彼が手にしていたのは、およそ銃とは呼べないような漆黒の金属の塊。

『ディンゴ』と名付けられたそれは、パチュリーに向かって続けて二発、三発と化物じみたボディから特製の弾丸を吐き出した。

 

のだが。

その弾丸が、再び彼女を傷付けることは叶わなかった。

 

弾丸の目標達成を阻んだのは、一点集中、多重式の魔力障壁。

通常の魔力障壁よりもカバーできる範囲は大きく狭まるが、防御力は段違いに高くなる。

事実、先程魔力障壁を容易く貫いた『ディンゴ』の弾丸でさえ、この多重式の魔力障壁を破ることはできなかった。

 

「そうだ……そうでなくては、面白くない!」

 

しかし、そんな事はアーカードにとって瑣末な出来事にしか過ぎない。

彼の本命は、あくまで近接戦闘。

そして、パチュリーを囲む流水がなくなった今、彼女に接近することはそう難しくなくなっていた。

 

「さぁ、もっと、もっとだ! もっとお前の力を見せてみろ病人! いや、パチュリー・ノーレッジ! 魔法を行使しろ。魔力障壁を再構築しろ。今一度、弾幕を展開してみせろ! 早く(ハリー)早く(ハリー)早く(ハリー)早く(ハリー)早く(ハリー)早く(ハリー)早く(ハリー)早く(ハリー)!」

 

アーカードは、大口径の銃と表現するには余りにも巨大過ぎる、まるで小型の大砲のような銃を乱射しながら、パチュリーとの距離を縮める。

 

(くッ……多重式にしたせいで、魔力障壁の防御が追いつかなくなってきているの?)

 

乱射とは言っても、様相がそのようであるだけであり、実際、その狙いは正確無比であった。

しかし、それ故に、パチュリーは狙われる場所をある程度絞って予測でき、範囲の狭まった魔力障壁でも対応することができていた。 ただ、多重式の魔力障壁を何度も素早く再構築するのは簡単な事ではなく、次第に速度で押され始めている事が、パチュリーを焦らせる。

 

(やはり、間違いないわ。この速度差では、相手の一連の攻撃から次の一連の攻撃までの隙(インターバル)を加味してもいずれ押し負けるわね。それなら……!)

 

覚悟を決めたパチュリーは大きく深呼吸をし、キッと目を細めた。

瞬間、彼女の魔力が地下室を埋め尽くすほどに高まる。

 

「全て撃ち落とすまでよ! 金符『メタルファティーグ』!」

 

攻撃は最大の防御。

まさにその言葉を体現するが如く、白銀の嵐が『ディンゴ』から放たれる弾丸を撃ち落とし、アーカードを襲う。

 

(これは……銀か!?)

 

パチュリー渾身の攻撃を受けたアーカードが、自身の異変に気付いたのは瞬時の出来事だった。

パチュリーの攻撃によって抉り取られた箇所の再生が、目に見えて遅い。

これは、吸血鬼である彼が、銀や祝福を受けた武器による攻撃、または日光により受けたダメージに見られる現象である。

 

とはいえ、パチュリーの魔法は実際に銀を創り出しているわけではなく、銀と極めて近い特性を持った魔力の弾丸を生成し放つというものであった。

 

「地獄の谷底へ、落ちなさい! 落ちろ! 落ちろ! 堕ちろ! 堕ちろ堕ちろ堕ちろ堕ちろ!」

 

もっとも、それが本物の銀であれ、魔力の弾丸であれ、アーカードにとっては、少なからずダメージを受けている事に変わりはない。

加えて、吹き荒れる白銀の嵐は、未だ無尽蔵に感じられるパチュリーの魔力からして、当分止む気配はない。

 

(これは、決着を急いだ方が良さそうだな……)

 

アーカードが勝負を焦り始めた一方で、パチュリーも彼と同じく、焦っていた。

 

(多少なりともダメージは与えられているようだけれど、やはりダメね。このまま続けてもジリ貧、いずれは近付かれておしまい。それに、この傷……どうやら自動回復の魔法程度では、気休めにもならないようね。()()()()()、か……)

 

『ディンゴ』のファーストアタックにより大きく抉れた、パチュリーの右肩。

本格的な戦闘になる前に予め準備しておいた自動回復の魔法により、その傷は一見致命傷にはなり得なかったように見える。

しかし、実情は大きく異なっていた。

確かに、筋組織や骨などは、応急的とはいえ再生し、辛うじて右腕を動かせるほどにまで回復はしていた。

それでも、受けた傷があまりにも大きかったせいで完治には至らず、多量の出血は続いていたのだ。

もはや、傷からは痛みは感じず、熱さと痺れを感じるのみ。

更に、ただでさえ貧血気味の彼女を追い詰める、失血。

朦朧とする意識。

間近に横たわる、死の気配。

 

ーー

ーーーー

ーー

 

「……ねぇ、パチェ。貴女は、自分が死ぬ姿を想像したことがある?」

 

「何を藪から棒に。私は魔法使いよ? 下手をすれば、吸血鬼のアナタよりも死に無縁だわ」

 

「じゃあ、質問の仕方を変えるわ。貴女、()について考えたことはない?」

 

「そうね……昔はそんな事も、考えたかもしれないわ。でも、今は。そして、この先も。考えることなんてないでしょうね」

 

「それは何故かしら?」

 

「だって、私にはアナタがいるもの」

 

「……!」

 

「アナタとなら、悠久の時を生きるのも悪くないわ。アナタの支配するこの館の地下室で、本を読み、魔法を研究し、時にはこんな風に語らいあって。そうして、気ままに暮らすのよ」

 

「パチェ……」

 

「アナタが何を考えて、そんなセンチな質問をぶつけてきたのかは知らないけれど。もし、死にたくなったのなら……この生活に飽きてしまったのなら、言って頂戴。私が……殺してあげるから」

 

「それ、本気かしら? 私は、夜の王たる吸血鬼。たとえ死にたくなったとしても、戦いの末の尊厳ある死を望むわよ?」

 

「それで構わないわ。死力を尽くして戦って、アナタを殺して……そして、私も一緒に死んであげる」

 

「……はぁ。まったく、貴女って本当に変わってるわね。まぁ、そんな物好きでなければここにいない、か」

 

「アナタも人のことは言えないわよ、レミィ。こんな私と付き合っているんだもの」

 

「ふふ、それもそうね。アナタがそのままでいてくれるなら私も、死にたいなんて考えもしないでしょうね。でも、もし本当にその時が来たら……私も全力を以って貴女を殺しにかかるわ。それが親友である貴女への、最後の礼儀になるでしょうから」

 

「その時が来ない事を祈るばかりよ。そして、その時が来るまでは、互いに健全でいましょう。どうか、私を殺す者が……親愛なる私の友人、愛すべき吸血鬼でありますように」

 

「よく、恥ずかしげもなくそんなセリフを面と向かって吐けるものだわ。聞いてるこっちが恥ずかしいわよ」

 

「ふふふ……これからもよろしくね、レミィ」

 

「こちらこそ、パチェ」

 

ーー

ーーーー

ーー

 

不意にパチュリーの頭を過る、いつかの記憶。

間近に感じる、死の気配。

そして湧き立つ、死への恐怖。

 

(レミィ……まさか、アナタ以外の吸血鬼を相手に、死を意識する時が来るなんて……笑えない皮肉だわ)

 

傷口から伝わる鈍い熱さに加え、元々虚弱体質である彼女の体に少しずつ、しかし確実に蓄積されていく疲労。

彼女の肉体が限界に近付いていることは、再び流水の結界を築こうとしないことからも容易に窺えた。

何度も意識を失いそうになるが、その度に親友の顔を思い浮かべ、踏み留まる。

肩で息をしながらも弾幕を張り続けるその姿は、まるで蝋燭が最後の輝きを放つかの如く、強く、凛としていて、そして儚かった。

 

そんなパチュリーとは対照的に、アーカードはまるで衰えを感じさせず、弾幕を全身に受けながらも、じわりじわりと彼女ににじり寄る。

その泥臭く、血生臭い侵攻は、より一層、パチュリーの恐怖を煽っていく。

しかし、パチュリーはただ震えるだけではなく、寧ろ毅然とした態度で、目の前の恐怖に臨んでいた。

 

(レミィ達に影響のありそうな広範囲の魔法は、あまり使いたくなかったけれど……背に腹は代えられない、か)

 

吸血鬼の恐ろしさとは何たるか。

何が、吸血鬼を恐ろしいものたらしめているのか。

人を虜にする誘惑の力、使い魔を使役する数の暴力、不死性。

様々なファクターが挙げられるが、その中でもっとも大きな要因は『吸血鬼は想像を絶する怪力を持つ』という点であるという。

 

そう、吸血鬼はとても力持ちなのだ。

それは、吸血鬼との近接戦闘は、すなわち死を意味するとまで言われるほどに。

アーカードは、そんな圧倒的な暴力を振り翳して、パチュリーとの距離を縮めていく。

しかし、対するパチュリーも吸血鬼の性質をよく理解していたし、その上で策を練り、次なる攻撃を準備していた。

 

(病弱で塞ぎ込みがち、友達なんて一人もいなかった私に、手を差し伸べてくれたアナタ。レミィ……私、私ね。アナタのためならこの命、惜しくはないわ。あの時の言葉、嘘じゃないのよ。だから……)

 

「レミィ! この命に代えても、アナタを護ってみせる!」

 

パチュリーもまた、決意を鈍らせないように言葉にする。

アーカードと対峙した時、美鈴がそうしたように。

 

「いいぞ! それでいい! 次の一手で、終いにしよう……パチュリー・ノーレッジ!」

 

「望むところよ!」

 

二人の間の距離は、僅か数メートル。

もう少しで、アーカードの致命の一撃がその射程にパチュリーを捉える距離である。

そして。

 

「シイィッアァAAAAAAAA!」

 

先程の言葉通り、これを最後の一撃にしようとばかりに、アーカードは禍々しい雄叫びと共に大きく踏み込み、手刀を放つ。

 

まるで、スナック菓子を砕くかのようなバキバキという軽い音を立て、何重にも張られた魔力障壁が大した抵抗もなく破られていく。

 

絶望的な状況を前に、パチュリーはそっと目を閉じる。

それは、恐怖からではなく。

死を覚悟して、走馬灯を浮かべるためでもなく。

ただ、生きるために。

魔力障壁が突き破られるその音から、刹那の内に迫る手刀の接近を察することができるほどにまで、五感を研ぎ澄まして。

一歩引いた場所から、自分自身の置かれた状況を思いながら。

 

「塵に還りなさい……日符『ロイヤルフレア』!」

 

そして、目を開いた彼女が最高のタイミングで発動させる、対吸血鬼としては最強と言っても過言ではない渾身の魔法。

 

瞬間、暖かな、それでいて暴力的な光が二人を包んだ。


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