夕食はブリタニア軍の用意したものだった。魚を大鍋で煮たスープである。味付けは塩のようだ。
「シンプルねえ」
「私は味噌溶いて入れたいな」
スープを啜る勝田と卜部だが、漁村出身の天音と優奈は顔をしかめた。
「ねえ優奈。このお魚鮮度がイマイチじゃない?」
「そうね。単に茹でただけならなおさら目立つわ」
配膳を手伝った整備兵の一人が、その辺の裏事情を聞いていた。
「一昨日魚を獲って、今日残ってたのを入れて煮込んだそうです。彼らこれで3日同じ夕食だそうですよ」
三田村副長が自分の額をぺちっとたたいた。
「しまった、ブリタニアの食事の不味さを考えとくんだった」
「え?」
「いや、不味さというよりは、彼らはあまり食事に手間ひまをかけない。焼いただけ、煮ただけという料理が多い上に、こと魚の鮮度には無頓着だ。失敗したな。艦から調味料持ってきとくか、給食自体を手伝えばよかった」
「むあーっ! 我慢なりません、この生臭さ! せめて何か香草の類を入れるべきだよ!」
天音が立ち上がった。
「そうかあ? そんなに臭いかな」
つるつると飲んでいる勝田に今度は優奈が立ち上がる。
「勝田さん、甲州の出身だよね?! 山の人に浜育ちの魚の鮮度のこだわりはわかんないよ!」
「わたし、残ってる魚あったら、ちょっとさばいてくる! これなら干物にした方がいいよ」
天音が突っ走りそうになるのを副長が止めた。
「待て待て。皆明日は早いぞ。今夜はこれで我慢して早く寝てくれ。これは命令だ」
「うう……」
留まったが不満そうな天音。
「副長、この島また来ます?」
優奈が質問する。
「ああ。たぶんシャムロ湾出入りの水上機の拠点になるだろうから、これからも何度も使うことになると思うぞ」
天音と優奈は目を合わせると頷きあった。
「ここは改善が必要だわ」
「うん。わたし達で改善しよう」
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日付が変わると、暗いうちから427空、428空は出撃準備を始めた。航空兵がまだ寝ているうちから整備部隊は活動を始め、爆弾を搭載し、エンジンを暖気運転する。
この日はいよいよシンガポールへの最終日。あと1日船団を守りきれば、南遣艦隊はHK02としての任務を完了する。インド洋から先に潜水型ネウロイは確認されていない。通常の飛行型ネウロイに警戒する護衛でよくなるのだ。したがってシンガポールで既存の護衛艦隊にバトンタッチするのである。
HK02は天音の探知力に頼らざるを得なかったため、計画を変更し夜間航行を控え、24時間以上かけたシャムロ湾口横断の後はルダン島に停泊して休息を取った。これによる航海日程の遅れを取り戻すため、この先は運航効率を無視した速度での航行となるかもしれない。だが一時途絶えていた補給の再開を告げる大切な船団だ。今も続く激しい防衛戦を耐えている欧州の扶桑軍にとっては積み荷の量以上の意味がある。
パイロット達は朝食を取っていた。椰子林と砂浜との境目辺りに出されたテーブルの上には、ブリタニア軍が用意した朝食が乗っている。用意されたものとは紅茶とショートブレッドだった。
天音の口からはサクサクとショートブレッドが軽いいい音をたてていた。
「甘くて美味しいね~」
ほっぺたに手を当ててご満悦の天音が優奈に語りかける。
「うん」
「紅茶も美味しい。ほうじ茶とも違うこのいい香りが何だか欧州って感じ」
「そうだね。でもこれ朝食なんだ。おやつじゃなくて」
裏事情に詳しい整備班の人がまたまた聞いてきた裏話を打ち明けた。
「彼ら上陸してから毎朝これだそうです。補給船も来ないし、輸送機が落下傘で不定期に物資を投下していくだけとか」
「扶桑の貨物船から少し分けてあげた方がいいんじゃない?」
「船団の積み荷は全て欧州向けです。余計な分はありません」
「そりゃそうだよねえ……。ここの生活向上もわたしらの護衛力に掛かってるんだね」
「そっかー。よーし、やる気出てきたよ優奈」
この日まず最初に飛び立ったのは、卜部、勝田、天音の乗る427空1番機。天音の水中探信による島の北側の哨戒から始まった。周辺の海中にネウロイがいないことが確認されると、防潜網を開けて護衛艦と貨物船達を外へ出す。
続いて船団周辺と予定航路の哨戒の為、水偵を飛ばし始める。哨戒にはブリタニア軍も陸上基地から参加してくれる予定だ。いつも以上に濃密な航空哨戒が行われるはずである。
○12航戦『神川丸』
「防潜網内の貨物船、あと4隻です」
「ブリタニア海軍の駆潜艇が隊列の位置までエスコートします」
「タアラス・ビーチからです。キョクアジサシ、発進します」
上陸せずに神川丸に残っていた葉山少尉が報告を聞いて頷き、無線電話のマイクを取った。
「キョクアジサシ、こちらミミズクだ。シンガポールまでの船団予定航路の往復哨戒、頼んだぞ。潜水型ネウロイを発見したら船団司令部へ報告。その後は指示を待て」
≪キョクアジサシ了解。これより離水水面に移動します≫
「キョクアジサシが離水する。電探。針路上にブリタニアの哨戒機はいないな?」
「周囲に航空機なし」
「よし」
報告を聞いた葉山は今日の飛行スケジュール表に目を落とした。
葉山はスルーしたが、しかし有間艦長は聞き逃さなかった。
「電探。確認するが、周囲に航空機はなし、か?」
「は、はい。周囲に機影ありません」
「それはおかしい。陸上基地から飛来しているブリタニアの哨戒機が最低1機はいるはずだ」
葉山もそういえばと顔を上げた。今日船団の上空警戒はブリタニア空軍が引き受ける事になっていたのだ。
その時、天音から通信が入った。
≪船団司令部、こちらウミネコ。南西8千mの海上に何か落ちました。なんでしょうかこれは……≫
神川丸の艦橋では皆が南西の方向に首を向けるが、そっちの海面は島影で見えなかった。
≪こちらキョクアジサシ。離水します。…………南西海上に明かりが見えます。……かがり火? 漁船ですか?≫
だが次の天音の報告で船団は一挙に緊張した。
「うっぐ、こ、こちらウミネコ。海上に落ちたのは飛行機です。バラバラになった飛行機の残骸です!」
○427空1番機 零式水偵卜部機
卜部は零式水偵を島影向こう側が見渡せる位置に向け水上滑走で移動させた。勝田がコックピットから左フロートの方に首を出す。
「天音、島影の向こうなのに何でわかんの?」
「島の縁を通過する魔法波は少し湾曲して島影になっているところまで届くのがあるんです」
島の岬を越えると、向こうの海上に明かりが見え始めた。
「勝田、あれだ!」
と同時に卜部は優奈の機影も捉えた。その目がヤバい! っと見開かれた。
「つ、筑波! 上空に機影!」
○427空2番機 零式水偵脚筑波機
≪つ、筑波! 上空に機影!≫
「機影?」
≪左へ旋回、回避!!≫
「?!!」
回避と聞いた途端、優奈は反射的に体をひねった。
自分がいた位置にオレンジ色の曳光弾が通過した。
「銃撃?!」
左旋回する優奈を追うように曳光弾も移動してきた。
「こ、こちらキョクアジサシ! 銃撃を受けている!!」
空気を切り裂く曳光弾の音が鳴り止むと、代わりに頭上を前から後ろへ爆音が通過していった。よく見えなかったが、飛行機のような黒い機影が一つ。
「何だったの?!」
○427空1番機 零式水偵卜部機
後部座席の勝田が20mm旋回機銃をぐるりと回して空に銃口を向けた。そしてインカムに向かって叫ぶ。
「キョクアジサシの上空100mを通過、旋回してる! 飛行型ネウロイだ! 優奈っ、今度は後ろから来るよ!!」
フロートの上の天音は水中探信も忘れて、朝焼け迫る紫色の空を見上げていた。そして何が起きたのかやっと理解した。
空襲!
飛行型ネウロイによる空襲だ!
さっき海上に落ちたのは、撃墜されたブリタニアの哨戒機だったんだ。そして今度は、優奈が狙われているんだ。
「優奈……、優奈ぁー! やだあー!」
「こなくそーっ」
ドガガガガ
零式水偵後部の旋回機銃が空へ向かって放たれる。5発に1発含まれる曳光弾によって弾筋がどこへ飛んでいるか確認できる。優奈の零式水偵脚の後方上空だ。天音に敵影は見えていなかったが、そこから優奈の方へ向かって別の曳光弾が飛んでいったことで、間違いなくそこに敵がいることが裏付けられた。
「優奈ー!!」
卜部がインカムで指示を飛ばした。
「キョクアジサシ、爆弾投棄! 高度を下げろ! 海面すれすれまで行け!」
≪は、はい!≫
「それで敵は上からしか来なくなる。水面が近いからあまり突っ込んでこれない! その位置で左右にロールして回避しろ!」
≪りょ、了解! きゃああ!≫
「優奈ーっ!」
悲鳴は聞こえたが、水面近くに降りた優奈の零式水偵脚の排気煙の炎と、上から降ってくる曳光弾が続いているのが見えることからして、当たったわけではないようだ。
「キョクアジサシ、敵はまた飛び越えた! ポジション取り直してまた来るぞ!」
≪ど、どこ逃げればいいのー?!≫
「駆逐艦の方へ行け! 駆逐艦の弾幕に誘い込め!」
≪駆逐艦どこぉー?!≫
「来るぞ筑波!!」