シャムロ湾に夕日が沈もうとしていた。
天音の乗る零式水偵の上に、優奈の零式水偵脚が飛んできた。彼女は偵察も兼ねた船団の航路哨戒のためマレー半島まで飛び、往復して戻ってきたのだ。
「優奈ー」
空に向かって手を振る天音。優奈も手を振り返した。
≪天音、怪我はない?≫
「うん。どこにも怪我なんてしてないよ」
≪よかった。八重櫻がやられたって聞いたから、心配してたんだ≫
「……ごめん。直前まで見つけられないのがいて、守れなかった」
≪ううん、1隻しかやられなかったんでしょ? ……それに、八重櫻は守る側の艦。守るべき商船は守れたんだから、やっぱり天音はすごいよ≫
「……ありがとう」
そうは言っても、やはり素直には受け入れられなかった。
優奈が神川丸の方に飛び去るのを見届けると、勝田が前の座席に向かって声を上げた。
「卜部さーん。燃料もそろそろなくなるし、ボクらもそろそろ引き上げ時じゃない?」
「そうだな。私たちは昼間担当だしな。ミミズク、こちらトビ。そろそろ燃料が心もとない。いつまでやる?」
≪トビ、こちらミミズク。キョクアジサシの次に収容する。もう少し待て≫
「トビ、了解」
「天音ー。神川丸が優奈を収容したら帰るよー」
勝田が手を振ってフロートの上にいる天音に告げた。
「分かりましたー」
返事をした天音の下からは、まだ青白い探信魔法波の波紋が広がっていた。
通信席から這い出て翼の付け根に立った勝田は、操縦席の卜部の横にもたれかけるように肘をついた。
「シャムロ湾を無給油、無休憩で往復する優奈もすごいけどさー、朝からずっと魔法波を放ってる天音の魔法力も凄くない? 途中で戦闘もあったし、よく魔法力切れないよね」
「確かにな。演習の時から、探信波はそんなに魔法力使わないって天音は言ってたけど、そもそも魔法力発動しっぱなしで半日以上ってのが並大抵じゃないからな」
「魔法力自体はそんなに強くないんだよね?」
「ああ。医官の先生が機械で測って、平均的なくらいだって言ってた」
「でもさあ、ストライカーユニットで拾えないような低ーいレンジで天音の魔法力は発揮してるんでしょ? その機械も測り切れてるのかな?」
「確かに……測り切れてないかもな」
「あの宮藤クラスの魔法力あるとか?!」
「そりゃないな。シールドを見る限り魔法力の強さは普通だと思うぞ」
「あ、そっか」
「でも魔法力の蓄積量は普通のウィッチとは別格かもしれん。それに魔法のコントロールが名人級じゃんか。ほんとにうまく節約してるのかもしれないぞ」
「そうだね。やっぱきっと天音は統合戦闘航空団クラスのウィッチだね」
「ただなあー」
「うん?」
「……あいつ、飛べるかなー」
「……そうだね。飛ぶ方に資質いってるかね~」
「22駆の艦長たちも、特異な魔法力持ってたけど、活躍の場がなかったからなー」
「飛べないウィッチはなかなか認めてもらえないんだよね~」
≪トビ、こちら神川丸。キョクアジサシの収容が終わった。トビは帰還せよ≫
「おう来た来た。こちらトビ、了解。これより帰還する」
「天音ー、帰るよー。上がってきなー」
「はーい」
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神川丸の横に降りた零式水偵。釣り上げられる前に、天音はもう一度全方位広域探査をしてネウロイが近くにいないことを確認した。そして22駆の駆逐艦達が周囲を厳重に警戒する中、卜部の零式水偵は神川丸に収容された。
甲板に降り立った3名は、そこにいたみんなに拍手で迎えられた。千里と、一足先に戻った優奈、そして艦長も艦橋を副長に任せて出迎えに来ていた。
「ご苦労だった。みんなよくやったぞ」
「はっ!」
「ありがとうございま~す」
いつも通りの卜部と勝田に対し、天音は少し寂しそうに慣れない敬礼で答えた。
察した艦長は歩み寄って、天音の肩に手を置いて優しく語りかけた。
「天音君。八重櫻は残念だったが、誰も君を咎める者はいない。船団の商船はすべて守り切ったんだ。誇っていい」
「……はい。ありがとうございます」
そうは言ってもやはりすっきりしないらしい。目は伏し目がちだった。
艦長はしゃがんで天音と目線を合わせると、柔らかいほっぺたをつまんで左右に引っ張った。
「天音君」
「ひゃい?」
「ご褒美に風呂では好きなだけ真水を使っていい。早く入ってきなさい」
ぱあっ、と顔が明るくなった。真水の使用が厳しく制限された艦上において、いかにこのご褒美が凄いものだということがわかる。
「私らも?!」
「ボクらも?!」
卜部と勝田もここぞと便乗しようとした。
「仕方ない。他のウィッチ諸君はいつもの倍まで許す」
「「「やったあ!」」」
卜部と勝田と優奈がガッツポーズやらなんやらをし、千里も両手を挙げて喜びを表した。
「ただし、報告書の提出は先だぞ」
艦長の横から出てきた葉山少尉が釘を刺した。
「そんな~、ミミズクさま~」
「風呂入って飯食ったら、頭なんか動かないだろ」
「まあ、確かに」
「船団は引き続き戦闘行動中だしな」
「はーい。分かりましたー」
「では、427空整列!」
卜部の号令で427空のウィッチたちは姿勢を正して一列に並んだ。
「敬礼!」
ぴしっと敬礼すると、葉山少尉と艦長が答礼した。
「解散!」
葉山の号令で散会となった。
しかしウィッチ達は疲れた体にもう一鞭打って、愛機のところに戻った。整備兵に調子や気になるところを告げておくためだ。次また飛ぶときに備えて惜しむことはしなかった。自らの命にかかわることなのだ。
零式水偵のところに集まった卜部と勝田は整備兵と軽く会話するが、大きな問題もないのですぐ終わった。
天音は、既に機体に取りついていた一宮整備兵を見つけると、てへっと照れたように笑った。でも疲れているから、いつものような明るさは見せられなかった。
「一宮君、ありがとね。おかげで安心して体を預けられたよ」
フロートのすぐ上の取っ手を点検していた一宮少年兵は、不機嫌な顔で振り返って天音を睨み返した。
「お前、どれだけ無茶な使い方してきたんだ? これにぶら下がって遊んだのか?」
「ほえ?! 飛んで移動するとき、こ、これに命綱つないでたんだけど……」
「ここにぶら下がったまま空飛んだのか!」
「ぶ、ぶら下がってはないよ。ちゃんとフロートの支柱に抱きついてたし。あ、でもたまに全体重かかることも……」
はあーっと一宮はため息交じりの息を吐いた。
「も、もしかして、結構ダメな使い方、だった?」
じとっと天音を睨む一宮。なはははっと、困ったような笑い顔しか返せない天音。
しかし暫くして一宮はまた大きくため息をついた。
「そうまでしないと、船団守るってのはできないってことだよな。いいよ。整備しとく。明日は安心してぶら下がれ」
「本当?!」
「ったって、少しは労われよ!」
「う、うん!」
フロートに立つ一宮は、後ろ向きでしっしっと手を振って天音を追いやった。
整備する一宮の背中を見上げていた天音は、少しの間その姿を見守っていたが、歩み寄ると、一宮のズボンの裾を掴んだ。
びっくりして後ろを見下ろした一宮少年。
天音は斜め目線で甲板に目線を落とし、じっとしたまま一宮の足の裾を掴んでいる。
「な、何だよ」
まさかこのまま足を掬われるのではと、状況を理解できずにいると、天音は目線を合わせることなく、
「い、いつも、ありがとね」
と血色の良くなった顔から可愛らしい声を漏らした。
そしてチラッと一瞬上目遣いに一宮の顔を見ると、裾から手を放し小走りに艦内への扉へと去っていった。
ゆでだこになってフロートに立つ一宮を、通りがかった別の整備兵が見上げた。
「どうした。夕日みたいな顔になってるぞ」
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船団は攻撃を受けたことで予定より行程が遅れた為、神経を磨り減らす夜間航行を長時間強いられていた。投錨地への到着が12時間くらいずれ込んでいる。外周を取り囲む護衛艦たちは夜襲を警戒して水中聴音器で耳を澄まし、水中探信儀は絶え間なく探信音波を発信している。天音に頼れない夜間は緊張の連続である。
だがそれもまもなく終わる。夜明けまであと2時間である。
○HK02船団旗艦『香椎』
「右翼護衛艦『占守』より、水中聴音器に不審音。一時からニ時の間」
司令官席で闇夜をじっと見つめていた大山司令は、艦橋内の空気の変化にすぐ気付き、ムクッと上半身を起こした。
「何か」
「占守が不審音を探知、と報告してきました。一時からニ時の間です」
「分かった。天草は何か捉えているか?」
「天草は現在探知なし」
「ふむ。第1猟犬隊に調べさせよう。護衛各艦にも警戒警報」
○12航戦『神川丸』
艦橋では、ごごごっ、ごごごっとイビキが聞こえていたが、香椎からの通信を通信員が受信したとたん、イビキが途絶えた。
通信内容を伝えようと当直士官のところに行くと、イビキの張本人だった艦長が、何食わぬ顔で、さもずっと起きていたかのようにぎろりと目を向いて報告を待っていた。やや焦った通信員だったが、有間艦長の抜け目なさを伝え聞いていただけに、流石だと姿勢を正すと報告した。
「旗艦香椎より、護衛艦隊に対潜警戒警報。占守が不審音を探知、とのことです」
「そうか。本艦への指示は?」
「ありません」
副長が徹夜の警戒で脂ぎった顔を濡れ手拭いで拭きつつ、会話に加わった。
「様子見ですかね」
「確めに行かせるなら右翼遊撃隊の第1猟犬だろうな」
「12航戦はどうしますか?」
「22駆逐隊には警戒を念押ししとこう。敵ならまた集団攻撃の可能性があるからな。それと夜間でも飛べる連中には航空機で待機を」
空母でも夜間発着艦は練度の高いものしかできない。水偵は夜間でも飛ぶが、それは水上機基地でのこと。母艦から発進することは普通やらない。
だが神川丸では、428空1番機の荒又と、427空1番機卜部が、必要なら飛ぶということになっていた。この2機だけは練度が別格なのだ。
整備兵のタコ部屋に警報が鳴り、兵隊達が慌ただしく甲板に駆け出していく。
卜部と勝田は零式水偵の横に仮設ベッドを置いて寝ていた。ここなら目覚まし時計が機能するからだ。周りが騒がしくなることで必然的に起こされるという仕組みの目覚まし時計である。
「何だ、どうした?」
「対潜警戒警報が出ました。卜部少尉機は発進準備し待機です」
「分かった。ふわわわわ~」
大きく伸びをして欠伸する横で、同じく起き上がった勝田。通りかかった整備兵を呼び止める。
「天音はどうするって?」
「聞いておりませんが、一緒じゃないんですか?」
「夜間飛行だと、海上に降りるのは普通やらないから、天音は無しかもしれないよ?」
「は、はあ」
「すまんが確認してきてくれるか?」
卜部に言われて整備兵は「分かりました」と答えると、若いのを呼んだ。
「一宮、艦橋に伝令!」
艦橋まで聞きに行って戻ってきた一宮は、通路で勝田に会った。
「あ、勝田飛曹長。一崎一飛曹も席で寝ててもいいから連れていくように、とのことでした」
何やら慌てていた勝田は、一宮の横に足踏み状態で一時停止した。
「おお、そうか。んじゃ、起こして呼んどいて。搭乗員控え室で寝てるから」
「え?!」
搭乗員控え室は女の園。無闇に男が入る場所ではないと先日学習したばかりである。しかもそんなとこに一宮を向かわせ、寝間着着崩れた天音のところに鉢合わせさせてしまったのも勝田だ。勝田の方はまったく学習した気配はなかった。
「いや、あそこはたとえ許可があっても入るべき所ではないと……」
また繰り返してはならんと一宮は抵抗を試みるが、
「悪い! 今は急いで弁当作ってもらいに4分隊に行かなきゃだから、天音の事は頼んだよ!」
足踏み状態から駆け足に戻り、通路を突っ走る勝田。
「ええー!? 烹炊所行くなら俺が……」
「大丈夫、今日はズボンもちゃんと仕舞ってあるから~」
と階段を滑り降りて消えてしまった。
あのソファーの上に出しっぱなしだったのは勝田飛曹長のだったのか、と思ったのもつかの間。
「そうじゃなくて! あんたの心配じゃなくて! 一崎、寝てるんだろー?!!」
叫んでみるが、もういなくなってしまったご様子。
……ウィッチとの接触は必要最小限。
これ、最小限なのか?
でも一応命令してきたのはウィッチ本人だし……。
仕方なく一宮少年は、再び上甲板にある飛行搭乗員控え室という名の、ウィッチの溜まり場へ向かった。
後部甲板出口のそばにある飛行搭乗員控え室の扉の前に着いた一宮少年兵。
まずは扉を叩いてみる。
天音以外のウィッチもここで休んでいる可能性もある。そしたら誰か気付くだろ。
しかし、まったく何の反応もなかった。
「一番困る展開なんですけどぉ……」
もう1回叩くが、やはり無反応。
「中にいるの一崎だけか? あんのやろー、総員起こしでも起きねえし。こんな時くらいちゃんと起きてくれよー」
意を決して扉のロックに手を掛けた。
その時、手首を別の手にガシッと掴まれて、一宮は飛び上がった。そして掴んだ手が力のわりに華奢なことにまた驚いた。
手の主の方に顔を振り向くと、そこには一宮とほぼ同じ背丈で、同じか少し年上の、紫がかった黒髪のショートヘアの少女が立っていた。
「何か、用?」
感情のこもってない声が質問する。千里だった。
「下妻上飛曹!」
表情の変化があまりない人だが、目が不審がっているのが分かった。腕を少し動かしたら、掴んでいる手にぐっと力が入り、フワッと頭から鳥の羽根のような茶色の耳が生えた。千里の使い魔は雀だ。しかし腕を掴む力からは可愛い雀を想像するには難しい。不審な挙動をしたら、投げ飛ばされるどころの騒ぎじゃない。即、命の保証はないとその視線から伝わってくる。実家で床に伏せっている父親からは、このウィッチのことを『静かなる暴走族』と伝え聞いている。
「ひ、一崎一飛曹を起こしてくるようにと、命令受けました。……扉をノックしても返事がないので、仕方なく開けようと、していたところっす」
「開けて、その次、どうするつもり?」
「ど、どうって、ハンモックで寝てるであろう一崎飛一番曹を揺り起こすしかないかと……」
「……その様子だと、中、入ったこと、あるんだ」
表情は変わってないように見えるが、目が、ちょっと恥ずかしそうになったように思える。心なしか頬の色が良くなったような……
「誰かの命令?」
「か、勝田飛曹長で……す」
千里の肩の力が抜けたように見えた。
「あの人なら、言い兼ねない」
掴んでいた一宮の腕を離すと、千里が扉のロックを開けた。
「一崎さんは、昨日夕食も取らずに、お風呂で寝てしまって、そのままここに担ぎ込まれて今に至る。昨日の作戦でとても疲れたみたい」
「は、はあ」
そうだろうな。機体は洋上で補給を受けつつ朝から日没までずっと海に出ていたんだ。一宮でも想像ついた。
「あなた、起こす? 彼女、お風呂から直行だから、裸のまま」
「▲!○!」
「命令なら仕方ない」
「◇?×?」
「でも少しでも怪しい素振りが見えたら、ウィッチ保護指令に従って射殺……」
「すみません、下妻上飛曹! 代わりに起こして頂けますでしょうか!!」
一宮が腰を90度に曲げて頭を下げた。千里の表情が少し緩んだように見えた。
「賢明な措置」
やっぱヤベー状態だったじゃねえか! だからこんな仕事やだって言ったんだよー!! 何でこんなことに命かけなきゃいけねーんだ!
ここにはいない勝田に向かって思いっきり心から文句を言った。いやな汗がだらだらと滴る。
千里は扉を開けると、真っ暗な部屋に半身を入れた。そこで「ところで」と振り返った。
「あなたが、噂の一崎さんのお気に入り?」
一宮の頭が暗い通路でも輝くほど真っ赤になった。
「だだだ誰があんなちんちくりんと?!」
千里はキョトンとした後、いつも通りの顔に戻り、
「私が起こす。あなたは戻っていい」
と言って部屋に入った。
「……照れなくてもいいのに」
そんな千里の声を最後に扉が閉まった。
卜部の零式水偵のところで、卜部と428空1番機の荒又が発進の打ち合わせをしていた。
「そっちはあの
「波の高さは?」
「穏やかとは言えないが、2mはない。とはいえ真っ暗闇で着水するには危険すぎだろ」
「へっへっへ、私の腕を甘く見ないでほしいね」
「でも卜部さん。ボクらだけじゃなくて天音もいるから、無茶しない方がいいよ。ばいんばいん飛び跳ねて凄いことになったりするじゃん」
「無茶苦茶だな。だから最初から水上に降りてりゃいいんだ」
「仕方ない。そうするか」
そこに天音がとぼとぼとやってきた。勝田がそれに気付いて声を掛けた。
「おー、天音。おはよう~。おなか減ったんじゃない? 昨夜は夕食も取らないで寝ちゃったからさ。お弁当余計に作ってもらっといたよ、食べなー」
「……ありがとうございます」
天音は勝田の指さしたお弁当の置いてある横に座った。そして妙に赤い顔をして、キョロキョロと周囲を見回す。
「あっ、おーい、一宮」
卜部が一宮少年兵を見つけて手招きした。
「はうっ!」
横で天音が唸った。
「なんすか」
「もし出撃になったら、デリックで水上に降ろしての発進になる。天音は最初からフロートに乗っかった状態で出ると思うんで、フックに蛍光塗料塗って、闇でも見えるようにしてくれるか? それといつも以上によく点検してくれ」
「こんなにうねりがあるのに?」
「だから命綱でぐるぐる巻きに縛り付けて出撃するんだよ」
「はあ~、とことんウィッチじゃなくてよかった。わぁーったっす。んで、一崎一飛曹は?」
「その辺にいないか?」
「はううううっ!」
天音は弁当箱で顔を隠していた。
「……なに……やってんだ?」
今度は弁当箱に隠れるようにした。隠れられるわけがない。
「一崎一飛曹。こないだフロートに乗っかったまま飛んだ時、支柱に抱きついてたって言ってたけど、あれどの辺すか?」
「うえ?」
「どの辺かって、聞いてんだよ」
「え? ど、どの辺って……」
天音はお弁当を置くと、立ち上がって左フロートのところに歩いて行った。
卜部の零式水偵11型乙は、フロート1つにつき3本の支柱で支えている。前側に並ぶ2本はそれぞれ翼前縁部の下と翼の付け根から前に向かって斜めに下りており、後ろ側の1本は翼後縁部フラップの直前の下からフロートへ真っ直ぐ下りている。ちなみに初期型の11型無印は、支柱2本と張線を使って支持していた。
天音はフロートの前側の、翼前縁部の下から真っ直ぐフロートに繋がっている支柱を指さした。
「ここに後ろからしがみつくの」
一宮は無言でフロートに登ると、支柱を調べ始めた。
「壊れるほどじゃねえが、他の支柱より若干負荷かかってるな」
外板を外すと、取付ボルトを木槌で叩きながら増し締めをし始めた。
その作業を上目遣いで見ていた天音。さっきから口を横一文字に結んで、やけにほっぺたを赤くしていたが、意を決してやっとのことぼそぼそと一宮に話しかけた。
「せ、責任取ってよね」
「……何のことだ?」
「み、見たんでしょ?」
「何を?」
「何をって! ……さ、最初に見られた人のとこに、将来、お、お嫁さんに行かなきゃいけないんだから」
「嫁? 誰が誰んとこに?」
天音は歯ぎしりを始めた。
「ひどいわ! 見るだけ見といて踏み倒すつもり?!」
「だから何見たって言ってんだ?!」
「…………わ、わたしの、裸」
「ほえあっ?!」
「千里さんが言ってたよ。さっき、一宮君が起こしに来たって……」
一宮、大体事態を呑み込めてきた。
「そりゃ無防備過ぎたわたしも悪いけど、な、なんていうか、も、もうちょっとムードある形がよかったっていうか……」
もじもじする乙女に対し、夢もへったくれもない、いらんこと言ってしまうのが少年である。
「お、起こしには行ったが、部屋には入ってねえよ! だいたい仮に入ったって、お前みたいなちんちくりんの裸、誰が好んで見るか!!」
「ち、ちんちくりんですって?! そりゃ優奈ほどじゃないけど! ……千里さんほどでもないけど……」
次第に声のトーンが落ちていくが、最後にまた復活した。
「2、3年したらわたしだって海軍のおいしいもの一杯食べて、出るとこ出たり引っ込んだり、大きくなるんだから!!」
「お前が? へっ、想像できねえ」
「むーっ! 一宮君だったらいっかなって、一瞬思ったわたしが馬鹿だったわ! もう見たいっていっても絶対見せてやんないから!」
「けっ、いらねーや! 誰が頼むか、一昨日来やがれ!」
「「むむむむむーっ」」
二人して睨み合って火花を散らしていたら
どがーん!
遥か前の方で爆発音と水柱が上がった。
「「何?!」」
≪香椎右舷に被弾!≫
「大変だ!」
「一宮君、そこのネジ締めるの急いで! わたし行かなきゃ!」
「うっ、わ、わかった!」
一宮はフロートに飛びあがると、急いで増し締めを再開した。