水音の乙女   作:RightWorld

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第48話:御聖断

 

アルトマルクを加えた12航戦は台湾海峡に差し掛かろうとしていた。

 

神川丸の艦上には、その日の訓練を終えた水偵達が次々に引き上げられていた。

卜部、勝田続いて零式水偵から降りてきた天音は、降りるのを手伝う整備兵に声を掛けた。

 

「あの、偵察員席から翼に降りる所のこの取っ手が少し緩んでるみたいなんです。見て貰えますか?」

「分かりました。直しておきます。他のところも増し絞めしておきましょう。おい、ボーズ!」

 

ボーズと呼ばれたのは中学生くらいの少年兵だった。

 

「新顔だな」

 

卜部がその少年を見て言った。

 

一宮(いちみや)の倅ですよ」

「一宮さんの?そういえば一宮さんは?」

「実は前作戦の後のドック入りの時、腰をやっちまいまして、艦を降りざるえませんでした」

「マジか?大丈夫なのか?」

「今、立てねえそうです」

「そうかぁ・・。いい腕の整備士だったのに。治ったら戻ってこれるかなぁ」

「心配いただいて恐縮です少尉。それで見習いだった奴の倅が代わりに乗艦して後を引き継いだんです。おい挨拶しな」

 

少年兵は卜部の前に引っ張り出された。そして少々落ち着かない感じで、小さく自己紹介した。

 

「い、一宮(いちみや)2等水兵・・です」

 

卜部はいつも通り上機嫌でポンポンと少年の肩をたたいた。

 

「そうか!一宮さんは凄い人だったぞ。負けないよう頑張ってくれよ!」

 

豪快なお姉さんに飲み込まれてしまいそうな一宮少年。

 

「う、うっす・・」

 

と辛うじて返事を返した。

 

「じゃあボーズ、この取っ手の修理と、他の全部の取っ手の点検と増し絞めを任せるぞ」

「はい」

 

修理を任された一宮少年がフロートに上がって翼の上に顔を出し、両手を挙げて取っ手の点検に入る。と、同じくフロートに登って少年の背後に立つと、少年の脇の下越しに頭を出して、指で指し示しながら取っ手の状態の説明を始めたのは天音。

 

「これなんだけど、こんなふうに斜め下に向かって力が入ると、かくかくってわずかだけど動くの。今までこんなことなかったから、くっついてるところが緩んできたのかなって・・・・そんなに反り返ったら落ちるよ?」

 

いきなり脇の下に現れた天音の頭を避けるように上体を反り返らせた一宮は、案の定フロートから落っこちて尻もちをついた。

 

「大丈夫?」

「い、いきなり現れんじゃねえよ!」

 

とたんに年上の整備兵に頭をぼかっと殴られた。

 

「貴様、上官に向かってなんつう口の利き方を!申し訳ありません、一崎一飛曹!」

「あはは、ぜんぜん構わないですよ。上官なんて言われてもこっちが困っちゃうし・・。ごめんね、いきなり。びっくりしちゃった?」

「せっかく一飛曹が詳しく説明してくださってるのに、何してやがる」

 

尻と頭を押さえて立ち上がった一宮少年は、その理不尽さに顔をしかめた。

 

「痛っつー。落とされた上に、なんで叱られなきゃなんねえんだ・・」

 

いや、落ちたのは君のせいだと思うが。

 

少年は聞こえないようにぶつくさと呟いて、もう一度フロートに登る。

 

「すいません一飛曹、作業するんでどいてもらえますか」

「でも、説明が途中だよ?大丈夫、2人くらい乗れるでしょ」

 

そう言って天音は一宮の手を取って引っ張った。

 

「うわ!」

 

一宮が手を引っ込めようとするより早く、引き寄せた一宮の体を掴んで脇に身を寄せると、天音はもう一度説明を始める。

 

「これ、この一番下の取っ手ね。降りる時より戻るときの方が気になるの。翼から胴体に取り付いた時に最初に掴むんだけど、こんなふうに斜め下に向かって力が入ると、かくかくってなる感じで。・・思えばここ一番体重かけてるかも。そのせいかもしれないね。分かった?」

 

最後は疑問形で終えた天音は一宮に顔を向けた。

密着状態で下から見上げられた一宮少年の顔は真っ赤だった。何か言いたげになったが、年上の整備兵が粗相しないか目を光らせているのに気付き、やけになったように斜め上を向いて返事した。

 

「はい!斜め下に加重がかかると僅かに動く、状況確認しました!」

 

やっとのこと天音は体から離れ、狭いフロートの上でくるりと一宮に向かって振り返ると

 

「よろしくお願いします」

 

とぺこっとお辞儀をした。

少年は何やら上気した顔を隠すように帽子を深く被ると

 

「う、うっす」

 

と返事して翼に登り、仕事に取り掛かった。

 

卜部機に続いてデリックで引き上げられ、拘束装置にストライカーユニットを固定し、降りてきた優奈と千里が向こうから天音を呼んだ。

 

「天音ー、お風呂行くよー」

 

 

 

 

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その頃、扶桑の大本営陸軍部では、欧州から届いた通信によって急遽首脳陣が集められていた。

事の重大さを悟った彼らは直ちに海軍部へも召集を依頼し、それはさらに御前会議へと発展した。

 

会議場では、いつも威勢のいい陸軍参謀達が今日に限ってはやけに静かで、声も沈みがちであった。

 

「年末からネウロイに圧力をかけられていたガリアのヌーアウーゼルの我が陸軍師団が、先日の一大攻勢で突破されたのは確実なようです。ロッペンハイムのガリア軍の応援を受けてなんとか防衛線の建て直しを図っているようですが、ストラスブールのガリア・リベリオン連合軍の到着まで持たせないと、ライン川東の防衛線が崩壊しかねません」

 

海軍側も一瞬にして血の気が失せた。

 

「なんということだ・・・」

「それで西部方面統合軍総司令部が、506統合戦闘航空団をナンシーまで進出させて地上援護をさせる手続きに入りました」

大事(おおごと)ではないか!」

「なんとしても扶桑が総崩れの発端となることだけは避けないといかん!」

「至急増援を!」

 

ここまで至ってようやく海軍も気付いた。

 

「・・・送りたいが、戦場は遥かヨーロッパ。しかも船団は香港で止まっている」

「なぜこんなことに?!新型戦車が配備してあったはずだろう」

「その新型の五式戦車チリですが、初期不良と交換部品の不足で稼働率が落ちていたようなのです」

「その部品は今どこに?」

「それも香港か!」

 

陸軍のお偉いさん達が一斉に海軍の方へ向いた。

 

「もう待てん。扶桑の船だけでも出港させてくれ」

 

だが海軍は直ちに否定した。

 

「積荷を海に捨てるつもりか!12航戦はまだ到着していない!対潜部隊の12航戦無しでは保障しかねる!」

「沿岸航空隊の配備は終わったと聞いている。航空機支援だけではだめなのか?インドシナ側の我が陸軍航空隊は全力で支援する。ブリタニア空軍には我々からも要請する」

 

海軍側も顔を見合わせた。

 

「・・・どうしますか?」

「どうしても12航戦を待てないのか?あと2日で到着するのだ」

「悪い知らせですが、12航戦の到着と補給完了を待った場合、出港は1月10日か11日。その航海日程ですと、ナトゥナ諸島で発達が予想される低気圧にシンガポール手前で阻まれると気象担当の予報が出ております。おそらくどこかへ避難して低気圧をやり過ごす必要が出るでしょう。運行は最悪の場合2週間は遅れるかと」

 

陸軍の将官達がガタガタと椅子を鳴らして次々に立ち上がった。

 

「この上2週間も?!馬鹿な!連合軍にもう扶桑はいらんと言われるぞ!」

「それでも海軍は船を出さんか?!」

 

海軍側の将官達は腕を組んで考えたが、消極的な言葉しか出なかった。

 

「どのみち今出港させたところで、その物資は今の戦場には間に合わない」

「それに今度の扶桑船団は単なる物資だけではない。年末、船団に加わった船には、交代要員の他、増派される機械化部隊の兵士達、合わせて4000名も含まれるのだぞ。武器や部品ならまた作ればいいが、人命はそうはいかない」

 

賭けに出て数千人を失ったとなれば、海軍への風当たりは生半可ではないだろう。海軍側は慎重にならざるを得なかった。

しかし既に多くの犠牲を出し、ガリアを危機に晒している陸軍は、何も行動できず戦場でお荷物となり果てることだけは看過できなかった。

 

「海軍の腰抜けめ!」

「ガリアが再びネウロイの手に落ち、それが扶桑が発端などとなれば、我が国の信用は無くなる!」

「かくなる上は陸軍の徴用船だけでも出発を!」

 

その時、御簾(みす)の向こうから若い女性の声が大きく発っせられた。罵倒の掛け合いになりかけていた陸海軍首脳達がその口を止めた。

 

「間に合わないからといってまったく扶桑が何もしないわけにはいかない。今はたとえ犠牲を覚悟してでも国として誠意を見せなければならない。海軍の準備が完璧でないのは分かるが情勢は待ってくれない!」

 

刺々しい空気が、その凛とした声で一瞬にして止まった。

御簾(みす)の向こうの女性は今度は声を落ち着かせて諭すように語りかけた。

 

「この重責、貴殿らに一切を負わせるのは酷だろう。わらわが認可する。船団は出発させなさい」

 

陸軍将官達の顔が大きく綻んだ。

海軍将官達は驚きで固まった。

 

御簾(みす)が巻き上げられ、真っ黒な長髪の髪をさらりと揺らした小柄な女性が陸海軍将官達の前に立った。摂政宮の皇女殿下である。

 

「だがむざむざやられることは許さない。これは荷を護送する海軍だけではない。ガリアを守る陸軍もだ。知恵を出せ。貴殿らだけではない。末端の兵まで考える頭は万単位にある。今まで国をあげて引き上げてきた扶桑皇国民の教育水準は伊達ではないはずだ。きっと扶桑と欧州の距離を縮めてくれる術を見つけると信じる。陸海軍とも厳しいが、最善を尽くせ」

 

扶桑海事変の時、まだ十代半ばにして国勢を左右する決断を下したかの皇女殿下も今や美しい成人となり、摂政宮として体調を崩されている陛下の代わりを務めている。

皇女殿下がはっきりと下した御聖断によって、陸海軍の将官達の目指すところは一つに纏まった。

ガリアは陥落させない。欧州への荷は必ず届ける。

その場にいた陸海軍の全員が一斉に立ち上がった。

 

「「「はっ!!」」」

 

 

 

 

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1月7日、香港に集結中の船団のうち、扶桑の輸送船と護衛艦だけが静々と出航していった。HK02船団は扶桑の艦船だけで構成されることになったのだ。

船団を率いるのは南西方面艦隊南遣艦隊旗艦、軽巡洋艦「香椎」。南遣艦隊司令大山少将が自ら指揮を執る。

 

「どうしても行くのですか!あと2日あればあの噂の扶桑対潜ウィッチ部隊が護衛に加われるというのに!」

 

リベリオンの護衛艦隊司令が訴える。見えぬネウロイにほとんど抵抗できず半数の商船を失ったHK01船団を経験した彼には、噂の扶桑対潜ウィッチ隊がいたとしても勝敗は五分五分だと思っていた。そこへHK01より多少改良された程度の装備と戦術の扶桑護衛艦隊だけで突破できるとは到底思えなかった。

 

「解っている。しかしこれは国の信用に関わること。扶桑にはガリアの一角を守っていた責任があります」

「だが十分な護衛を受けられなくてネウロイにやられたら元も子もない!」

「たとえ全船が沈んだとしても、我々は行動したことを見せなければならないのだ。その行動を見た欧州軍が、我が遣欧軍が奮い立つなら、それで成功なのです」

 

合理主義のリベリアンにはそのような精神論は理解できなかった。

 

「なあに大丈夫。沿岸航空隊の配備は終わっている。沿岸航路なら航空支援は十分受けられます。何隻かはたどり着いて見せますよ」

「・・・ご武運を」

 

一緒に行くことが許されないリベリオン艦隊司令は祈ることしか出来なかった。

 

 

 





天音ちゃん意外と積極的?いや、たぶんまだお子ちゃまなだけかも。
皇女殿下はストライクウィッチーズ零で御聖断を下したあの方そのものですね。
香港発の船団は12航戦を待たずして出港してしまいました。率いる「香椎」は軽巡とは言ってますが、香取型練習巡洋艦の3番艦です。最大速度18ノットは足の速い商船以下かも。


タイトル付け忘れたので修正しました。(2016/11/14)

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