水音の乙女   作:RightWorld

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2016/10/30
誤字のご指摘がありましたので修正しました。
報告感謝です。>KELP様

2020/01/11
体裁修正しました。





第44話:生かすための訓練

 

 

欧州では厳しい中も無い物資を工夫して街を飾りつけ、クリスマスの賑わいを見せ始めていた。それは生き残った者達の意地でもある。

 

国土が直接の侵攻を受けておらず、まだキリスト教のイベントが商用化と共に雪崩れ込んできていない扶桑では、昔からの敬虔な信者と、少々真似事をしてみたい学生がツリーなどを飾っている他はクリスマスの装いなどもなく、差し迫る師走の忙しさが人々の歩調を(にわか)に早めつつあった。

 

 

 

 

霞ヶ浦では、一通りの対潜水艦戦の研究と訓練が終わり、天音はみんなと別行動を取って横川少佐の元にいた。横川少佐による天音の最後の訓練。特別軍事教練の為だ。

入隊の時、横川少佐は言った。普通の新兵訓練をしている暇はない。だから最小限知っておいてほしいことだけを3日間で教え込むと。

天音を迎え入れた横川少佐はあらためて説明し直した。

それは、生きるための訓練だと。

 

「あなたにはこれから3日間で最低限必要な軍事教練を受けてもらいます。たった3日しかありません。それで軍隊のなんちゃらなんて教えられるわけがない。では何かというと……、生きること、生かすこと、それを学んでもらいます」

「はい」

 

天音は不安でいっぱいな顔をした。

 

「不安そうですね。実際、きついですよ。覚悟してください。これからいかに危険なところに飛び込むのか、事前に知ることができるでしょう。

でもあなたは幸せです。欧州で国を失った人達は、何の訓練も受けずに、そういった最悪の危機的状況の中に投げ込まれたのだから。多くの人がそうした状況に何の抵抗も出来ず、命を失ったのです。

あなたはそんな場面でどんな対応ができるか、この訓練でいくつか試すことができるでしょう。多分それに満点の正解はなくて、実際同じような場面に向かい合うことになったとき、その知識が生きて、生きる確率を高くすることに役立つのです。民間人を生かすため、仲間を生かすため、そして自分を生かすため。

私達は軍人だから、最後の“自分を生かす”は、自分が生き延びるという意味とは違うこともあり得るから、その覚悟も……ね」

 

天音は泣きそうだった。目にはもう涙がたまっていた。

 

「こういった訓練があるから軍人は、民間人より少し知識があり、生きる術を知っているのです。特に私達ウィッチは特別な力があるから、出来る選択肢は普通の人より沢山あると思いますよ」

 

天音は涙を拭った。

 

「始めましょうか。訓練だから失敗を恐れずに取り組んでください。さあ、元気に返事して?」

「はい!」

 

涙で腫れた目をして、それでもお腹に力を入れて返事をした。

 

「よろしい」

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

1日目の夜。

草むらの中に身を伏せていた天音は頬を流れ落ちる涙を拭くこともなく、歯を食いしばって耐えていた。

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

2日目。

天音は塹壕の中で号泣していた。

 

「だめ! もうわたし死んじゃう! 死んだ方がまし! うわあああん」

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

訓練開始から3日が過ぎ、4日目の朝。

 

天音は全身傷だらけ、アザだらけで、小さな山の頂から朝日の昇るのを見ていた。

 

どこからともなく現れた横川少佐が静かに天音の横に立った。朝日に赤く照らされた天音の顔は、すっかり世の中の悪い物が抜けきったかのような透明感溢れるものだった。

 

「一崎さんには、あの太陽の陽がどう見える?」

 

地平から次第に増す光は、それまで隠れていたものを全て陽の元にさらけ出し、何もかもを露にする。

 

右にあった黒い塊は岩に。

左に見えた黒い塊は草むらに。

遠くの山影には音の正体たる滝が姿を現す。

 

全てが見える。

不明瞭だったものは明らかになる。

不確実だったものは確信になる。

 

当たる光は冷えたきった身体を温めていった。不安は一掃され、活力が生まれる。

 

「……生きる、希望です。……この陽を見るために、生きたい、生かせたい、と思います」

 

横川少佐は天音を優しく脇に抱きかかえた。

 

「卒業です。よく頑張りました」

 

天音も横川少佐に抱きついた。

 

「ありがとうございました」

「これからあなたが欧州ユーラシア大陸に行くことがあれば、あなたが会う人たちは民間人も含めみんなこの死線を生き抜いてきた人ばかりですよ」

「そうなんですね……。尊敬しちゃいます」

「謙虚なのはいいことだわ」

 

暫く二人はその荘厳な陽光に見入っていた。

 

「立てる? 一崎さん」

 

天音はゆっくりと立ち上がった。痛みが走って少しふらついた。天音の脚はあちこち擦りきれて青アザもあり、所々で出血も見られた。

 

「立てます。……少し挫いたから、歩くの遅いと思いますけど、大丈夫です」

 

かなり痛々しい姿であったが、でも弱音は吐かない。命には別状ないのだから。

横川少佐は僅かの間に逞しくなった愛弟子へ、我が子を見守る母親のように優しい笑みを向けた。

 

「ゆっくり降りましょう。慌てることはないわ」

「はい。でも、こんなに怪我しちゃって、船が出港するまでに治るのかな……」

「心配ないわ。この後横須賀に行きましょう。凄いお医者さんがあるの。この程度なら明日までには治っちゃうわよ」

「明日?!」

「今は欧州にいる、とっても有名なウィッチのご実家よ」

 

 

 

 

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霞ヶ浦航空隊の基地。

 

天音を除く427空のみんなは朝食を食べ終わったところだった。

 

「天音の訓練終わったって。今、宮藤診療所だってよ」

 

横川少佐から連絡を受けた勝田が427空のみんなに伝えた。

 

優奈がまた口をカックンと開けて驚愕の表情を見せている。

 

「み、宮藤診療所って、ま、まさか、あの501の……?」

「あそこに行ったってことは、相当鍛えられたな?」

 

卜部がにんまりと笑った。

 

「なんで天音ばっかり!!」

 

目を三角にしている優奈の頭を、撫でて落ち着かせようとする落ち着いた千里。

そこに葉山少尉が加えて言った

 

「一崎一飛曹が帰ってきたら、みんなに休暇を与える。みんな実家に顔出してきなさい」

 

優奈の顔がぱっと明るくなった。

 

「やった、正月休みだ!」

「そんな感じね。そして集合は1月2日、1300。それまでに、ここ霞ヶ浦基地へ戻るように」

「筑波、一崎をちゃんと連れて来いよ。もう軍人なんだから、来なかったらとっ捕まるからな」

 

卜部が優奈に、お縄になった両手を模して言った。

優奈は片目を瞑って笑って答えた。

 

「分かってますよー。世界が許さないもんね」

 

 

 




これで天音ちゃんも西沢義子に並ぶ横川和美のお弟子さんになられました。
戦闘脚使いではないので、空戦でどうこうということはないでしょうが、心の奥底にその精神を受け継いでくれていることを願っています。
次回は出撃前最後のお話となります。今やもう一人の主人公という感じの、あのマレーの花が再登場します。


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