水音の乙女   作:RightWorld

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第177話「天音編(その22) ~トゥの処遇~」

 

「一宮~、迎えに来たぞ~」

 

 格納庫脇の整備班が詰めてる建物(見た目はほぼ高床式の海の家)に卜部が訪れた。

 

「一宮っすね? 少々お待ちを」

 

 若い1等兵が奥へ行って一宮を連れてきた。

 

「連日ウィッチとお出かけなんて、羨ましいぞコノヤロ」

「譲れるもんなら譲りたいっすよ」

 

 ため息を一つ吐いた一宮。

 

『何にしてもあと3年、死刑はなしだからな。親父に代わって乗った神川丸での仕事をまっとうするだけだ。それにきっと、滅多な事じゃ死なせてももらえねえんだし』

 

 そこで一宮ふと気が付いた。

 

『待てよ。ってことは俺は不死身……ほどではなくても、死ににくいって事だよな?』

 

 ニヤアっといたずらっ子の笑みを浮かべる。

 

『普段は目立たぬ整備兵。しかしいざという時は不死身の戦闘工兵。ふふふ、無茶もしがいがあるってもんだぜ』

 

 恐れを知らぬ若者(世間知らずとも言う)は、不死身のヒーロー主人公になった気満々である。怪我のダメージ度は普通の人と変わんないよ? 分かってる? 怪我した後の生存率が少々高いかもってだけだよ?

 なお少年倶楽部の読者である一宮の一押しは、当時の子供らしく猿飛佐助である。現代だとナル○と言ってるようなもんだ。なので一宮は一度ムンっと印を結んで術をかけるポーズをとってから胸を張ると、卜部に敬礼した。

 

「一宮2等整備兵、見参! あっいや、参りました!」

「うん、ご苦労。それじゃ行こうか」

 

 詰所の階段を降りると、下では天音が待っていた。難しい顔をして目線は基本地面に、たまにチラッチラッと一宮の方を見る。一宮は一瞬、うおっと昨夜の事や死刑猶予状態の事を思い出すが、今はそれを乗り越えて無敵の勇者なのだと気を持ち直し、んっと口を横一文字にして敬礼した。眉間にしわを寄せた天音が珍しくそれに答礼なんぞする。

 どうにも割り切れてない雰囲気の天音に、卜部はやれやれとため息をついた。

 

「ほら、せっかく前より絆が深くなったお前らがいつまでそんな顔してやがる。そんなんで1日過ごしたら顔の筋肉が引き攣っちまうぞ」

 

 卜部は左右の腕を2人の肩にそれぞれ回して、ガッシと引き寄せた。ヘッドロック状態にされた一宮の顔は、卜部のふくよかなお胸にぐにょっと押し付けられ、それを見た天音は慌てて「う、卜部さん! そ、そんな刺激させちゃダメです!」と一宮の顔を突っぱねた。「いてててて!」と一宮が悲鳴を上げる。

 

「はっはっはっは。一宮、今日はお前が一崎のエスコートだぞ。しっかり頼むぞ」

 

 卜部はどこかの少佐のように高笑いすると、先頭を切って歩いて行った。

 一宮は天音に突っぱねられた時の跡がヒリヒリして、自分の紙装甲ぶりに一瞬現実に引き戻されるが、すぐに立ち直り、無敵のヒーローの顔に戻る。そして新たな印を結ぶと、卜部へ自信たっぷりに返答した。

 

「任せてくだせえ。拙者の力をもって、今日と言わず、この先の3年も拙者が守って見せるでござる」

 

 どうやら症状が発症してしまっているようである。そういえばちょうど一宮は中二である。重症化しやすいお年頃であった。

 しかし天音は頭の中がお花畑の中一女の子。結婚を約束した王子様の宣言にしか聞こえなかった。

 

「い、一宮くん……」

 

 突如天音は一宮に飛びかかった。いや抱きついた。

 

「げふっ!!」

 

 天音の頭がみぞおちに命中し、口から一宮の中身()が一瞬飛び出した。幸い半分出たところで辛うじて引っ込んだ。

 

「ウ、ウィッチとの接触は必要最小限! 何回も言ってんだろ!」

 

 もうこの件で99.99%(小数点二桁以下切り捨て)で死刑確定なのに今さらかと一瞬思ったが、そうはいかない。もう一度アレを見たりが許されるわけもない。そんなことがあれば執行猶予は取り下げられ、死刑執行日が前倒しされるだけだ。

 

 一方の天音は素直に体を離すと、「うん」と眩しいくらいの笑顔で返事した。一宮は振り撒かれたその笑顔に目が止まって固まると、急に胸がきゅうっとなってドキドキと動悸が激しくなった。慌てて帽子を深く被り直して、「い、行くぞ!」とスタスタと早足になった。その後を、ニコニコ顔で少し屈んで帽子の下の顔を覗こうとしつつ、追いかける天音。

 二人の仲がいつも通りに戻りホッとする卜部もまた、釣られて笑顔になった。

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 セレター地区にある軍病院の最上階。そこの大きな個室の一室にトゥはいた。将官クラスが入院する為の部屋である。その待遇がブリタニアのトゥに対する期待を雄弁していた。

 ベッドも部屋の大きさに相応しいもので、トゥはその端に落ち着きなくちょこんと座っている。すると小さな男の子がぼよんぼよんとマットレスのスプリングに跳ねながらトゥに飛びついてきた。

 

「ソアン、大人しくしてなきゃダメでしょ」

「だってこんな大きなベッド初めてだもーん。わーい、何で跳ねるのー?」

 

 ぐりぐりとトゥに頭を押し付けて甘えるのは弟である。普段マットレスなどというものなどない簡素な寝台で寝ているのだから、この子にはトランポリンにしか見えないのだろう。

 

「ソアン、スコーン焼いてきたんだけど、食べる?」

 

 ネイビーブルー基調のフリフリの服を纏ったブリタニアの少女がソアンに尋ねる。トゥより年上に見えるが、東洋人に比べ欧州の子供は大人びて見えるので、実は似たような歳かもしれない。

 パッと満面の笑みで振り返ったソアンは、「食べるー」とまたベッドを跳ねていった。

 

「ありがとうございます、ダイアナお嬢様」

 

 トゥに頭を下げられたブリタニア少女は、ベッドの反対側の端にバスケットを置いて笑顔を見せた。

 

「いいのよトゥ。ほらソアン、じゃーん」

 

 少女がバスケットを開けると、中一杯にスコーンが詰まっていた。ソアンは目を輝かせた。

 

「トゥもお食べ。お前のために作ってきたのだから」

 

 お上品な夫人がスコーンを三つ小山のように皿に乗せて手渡す。トゥもぱっと顔を明るくし、それをもらうと、さっそくパクッとかじった。もぐもぐと口が上下する度に頬が緩んでくる。

 

「奥様のはいつも美味しい」

 

 頬を膨らまして緩んだ顔を夫人に見せるトゥ。

 

「ブリタニアはティータイムのお供には手を抜かないのよ。こらこら、あなたたち落ち着いて。こっち来てお行儀よく食べなさい」

 

 無邪気にベッドの上でスコーンをほおばるソアンとダイアナを、脇のテーブルへ誘導する夫人。

 それを休めの姿勢のまま、じぃっと見つめている小柄な軍人がいた。マレー植民地兵のシィーニーである。気付いたダイアナが指さした。

 

「あ、よだれ」

「はわ!」

 

 指さされたシィーニーは慌てて袖で涎を拭いた。

 

「この子にもあげていいのかしら?」

 

 夫人がスコーンにナプキンを添えて渡そうかとするが、ブリタニア軍の制服と曇った日のロンドンのような陰湿な空気を纏ったバーン大尉がぴしっと制止する。

 

「いいえ。そいつはれっきとしたブリタニア空軍所属の軍人です。甘やかす必要はありません」

「まあ……。厳しいのね」

 

 シィーニー、見るからに悲しそうである。

 そんな微笑ましい子供らの傍らには、バーン大尉以外にもそこの雰囲気に似つかわしくない、軍服やスーツを着た一団がテーブルを囲んで座り、子供らの様子を穏やかに眺めていた。

 

「ミッドフォード家とは随分馴染んでいるようだね」

 

 シンガポール司令のスミス大佐の感想に当のミッドフォードは、妻と娘がトゥ、ソアン姉弟と戯れるのに目を細め、頷いた。

 

「トゥはよく働いてくれてます。娘と歳が近いこともあって遊び相手にも丁度よいですし。ですから昨日は昼に出かけたきり帰ってこなかったうえに、軍から連絡が来た時には、妻は動転のあまりソファーに倒れたて暫く起き上がれなくなってしまったくらいでして」

「夜遅くで申し訳なかった。気を揉めていたと聞いたので、伝令に訪問させたのだが……」

「とにかく無事でよかったです」

 

 ミッドフォードは目を閉じて安堵の表情を深めた。トゥはミッドフォード家にメイドとして働いていたのである。ミッドフォード家はシンガポールに拠点を置く中堅仲買業者だった。トゥ姉弟と妻娘との和やかな間柄は普段から本当にこの通りで、そこからもミッドフォード家の人柄が垣間見えるというものである。

 

 一方で緊張のほぐれない硬い表情のまま居心地を悪そうにしているのは、現在トゥとソアンの身元引受人であるアンナン人貿易商の男。スミス大佐は場の和やかな雰囲気そのままの表情を崩さず、しかし核心を突く遠慮ない質問を投げた。

 

「いやいや、子供達にはいつも癒されますなあ。それで、この子を含め、あなたのところにいる子供はみな無国籍ということですな?」

 

 早くもその話題が来たかとびくっと肩を震わせるが、今さら隠してもと正直に答える。

 

「は、はい。様々な理由で親類を亡くしたり、捨てられたりした子です。大概こういった子らの親は貧しいか、行政の恩恵など受けない辺境に住んでいて、出生届など出してないのです」

 

 ミッドフォードは怒りを込めた目線を男を通して()の地に向ける。

 

「ガリアは60年も統治して何をしているんだ」

「まあそこはブリタニアも……」

 

 バーン大尉が自嘲気味に口をはさむ。

 

「マレーの密林の奥で暮らす部族全員まで把握しているかというと怪しいですがね」

 

 そう言ってシィーニーにちらりと目をやった。

 

「わ、わたしはちゃんとマレー国籍持ってますよ!」

 

 シィーニーは身元不明者ではないと必死にアピールした。

 シンガポールには彼のようなアンナン人貿易商や商家が数十軒あり、今回攫われた少女はみなそれらが身元引受をしていた。少女達は他の病院に収容されて治療を受けているが、目を覚ましたのはまだ半数で、その半数もまだ朦朧としているとの事だった。トゥはウィッチになったおかげで毒物への耐性が強くなっていたのである。

 バーン大尉はシィーニーの抗議には反応せず、話を進める。

 

「それでこういった境遇に落ちた子供はどうやってここへ流れ着くのだ?」

 

 問われた貿易商は、バーン大尉の冷たい視線にもかかわらず吹き出る汗を拭きつつ説明する。

 

「大きい都市なら孤児院や教会などが面倒をみる事もありますが、地方は無策です。自力で何とかする子供など僅かですから、大概は野たれ死ぬ事になります。何らかの形で行政に保護された場合は、斡旋業者を経由してどこかに引き取られます」

「人身売買か?」

「こ、こういった娘達は引き取られ先も相応な所になりがちで……犯罪に染まる者も少なくありません。わ、私は貿易の他に港湾での荷役業務も営んでます。トゥのようなメイドの派遣も昔からの事業です」

「あなたも買ったわけだ」

「そ、それは、こんな商売をしてるものですから人足をいつも必要としています。私は採用するにあたって同郷のアンナン人を採るようにしてるんです。救ってやりたいのです。そうやって祖国を……」

「それでこの子らはいくらくらいなんだ?」

 

 構わず遮られた質問に貿易商の男は口をつぐんでしまった。どう言い繕ってもやはり人を買っている事に違いはない。それで恩恵を得て儲けを出しているのだ。

 

「……値なんてないも同然です。米袋の隙間に、ついでに乗せられてくるので、輸送費がかかっているわけでもない。斡旋業者がちょっと派手に飲み食いすれば飛んでしまう程度の額です。ただトゥは顔立ちの整った娘でしたので、競り上がって通常の子供の15倍の値が付きました」

「どうせ碌でもない業者と競っていたのだろう」

「まあまあバーン大尉。彼は引き取り手としては真っ当な方だよ。合法的な商業活動に従事させてるし、待遇も給与額を除いて違法性はなさそうだ。戦時難民が出るこのご時世、本人の身分保障は身元引受人が肩代わりすればよいことになっているから、無国籍も問題ない」

「確かに。とにかくその子は、うちのマレー兵より貴重な固有魔法持ちです。我が国の植民地内にて保護した無国籍者ということで届出申請し、国籍を取得させます」

「ブリタニア人になるんですか?」

 

 シィーニーが質問した。

 

「シンガポールでいいだろう。お前と同じブリタニア連邦市民だ」

「ほえ~。それでブリタニア軍のウィッチにするってことですか?」

「当然だ。国籍不明のままウィッチを放置するわけにはいかない。インドシナが気付く前にさっさと国籍を与える。我々がやらなくても、どこかの国が同じ事をやるだけだ」

「ご本人さんには了承得なくてもいいんですか? 保護者の貿易商のおじさんにも。バーン大尉がどんどん話し進めちゃってますが……ひっ!」

 

 つまらん指摘をするなという冷たい視線がバーン大尉からシィーニーに注がれていた。

 その視線を一時貿易商の男に向けると、

 

「この子の身柄はブリタニア軍で保護する。他については関知しない。それでいいですな?」

 

と拒否権のない同意を求めた。

 

「ブリタニアが奴隷制を廃止したのはいつだか知ってるか?」

 

 続けて話すバーン大尉の問いはシィーニーに向けられていた。

 

「さあ。歴史は教わってませんので」

「1833年だ。それ以降ブリタニア植民地での奴隷の使役は違法となったのだ。奴隷とは他者に隷属し使役される人間のことだ」

「……わたし?」

「お前はブリタニア領マレーから海峡植民地軍に“志願”して入隊し、階級もらって給料支給されてる身だろうが! 奴隷は他人の所有物、物と同じ扱いだ。だからかつては貿易商品だったのだ。商品……つまり金で売り買いできるものということだ」

「わたし、志願だったんだ」

 

 貿易商は震えた。金で買った人は奴隷と捉えてもいいんだぞと暗に言っているのだ。

 

「わ、私どもに異論はありません」

「では手続きはこちらで進める」

 

 バーン大尉は既に必要事項が記入済みの書類にサインだけし、同行していた役人にそれを渡した。役人もその場でサインする。バーン大尉はもう1枚、海峡植民地軍への志願用紙の採用欄にもサインした。

 

「あ、あの~、ご本人さんの意志を聞いてないような気が……ひっ!!」

 

 さらにドリルで穴を開けるような突き刺す視線がバーン大尉から注がれる。

 するとスミス大佐がベットのところに歩み寄った。

 

「ファン・イェン・トゥ。君の生まれたところはアンナンのようだが、アンナンの政府は君がいたことなんか知らないし、何かあっても助けてくれない。それどころか牛や魚、農作物と同じ扱いをされたのだ。追い出されてここにいることがそれを物語っている」

 

 分かっているだろうかと言葉を切って様子を見る。疑問を浮かべた目はしていなかった。大佐は続けた。

 

「ブリタニアは君にシンガポールの国籍を与えよう。これからはシンガポールが君を国民として保護する。教育も受けられるようになる」

「学校に行けるの?」

「そうだ」

「弟は?」

「勿論、弟もだ」

 

 スミス大佐はバーン大尉へちらりと目配せする。バーン大尉は申請書をもう1通用意した。

 

「大人になったら働いて自分達で生きていかなきゃならないからね。その為に学校に通うんだ」

「条件は、わたしがウィッチになること?」

 

 この子は頭が良いなとスミス大佐は感心した。すべて理解できているのだ。温和な笑顔をトゥに注いだ。

 

「国籍をあげるのに条件は付けない。これはブリタニアからのプレゼントだと思ってくれ。昨日の活躍のお礼だ。身元引受人の了承も得たので、今もう君と弟君はシンガポール国民だ」

 

 ミッドフォードもシィーニーもほうっと感心した。なんとタダでくれるという。というかもう国籍は付与されたのだ。役人がここにいるのはその為である。それだけブリタニアは1分1秒でも早く宙ぶらりん状態を解消し、確保したかったのだった。

 

「そして君には魔法力が宿ったという特別な事情もある。そうなるとウィッチに、つまり軍に入って働くという道も選ぶ事ができる。軍で働くには知識が必要だから、ウィッチを選んだとしても教育はするし、軍で働いた見返りとして給料ももらえるようになる。ここにいるシィーニー軍曹が見本だ」

 

 トゥがマレーの少女を見上げる。バーン大尉に「いい顔しろ」と後ろから言われ、「ひへっ!?」と驚いてからシィーニーは「へ、へへへ」と複雑な思いの混じった微妙な笑いを浮かべた。シィーニーの顔を少し不安げに眺めると、トゥは目線を戻した。

 

「すぐ決めなきゃだめ?」

 

 バーン大尉からシィーニーに「お前のアピールがダメダメだから疑いをもたれてしまったではないか!」という思念のこもった強力に冷たい視線がブスブスと貫いた。シィーニーはだらだら汗を垂らして、

 

「も、もしいろいろ不安や疑問なぞありましたら、わ、わたしがご相談に乗りますよ?」

 

と引きつりつつトゥに語り掛けた。

 スミス大佐はもう一度微笑むと、トゥの頭をなでて立ち上がった。

 

「シィーニー君とよく話をして、それから決めるといい。もし軍に来ると決めたら、名前を書けるように練習しておいてくれ。ここに君自身の意志でサインをもらわないとだからね」

 

 そう言って既に採用欄にサインが入った志願用紙をポンと叩いた。

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

「トゥちゃんていう子なんです。ここに入院してるはずなんですけど。確かフルネームはファン・イェン・トゥだったかと」

「いえ、そのような名前の人はここには……」

「ウィッチ検査とかしてないですか? ウィッチ科の方にいないですかねえ」

「お、お、お引き取りください。あまりしつこいとMP(憲兵)呼びますよ!」

「えー?」

「私達、悪いことなんかしてねえぞ?」

 

 病院の受付のところで天音と卜部が揉めていると、奥から声が掛けられた。

 

「おや、扶桑の皆さん」

「あ、大佐ー」

 

 廊下の奥からやってきたのはスミス大佐とバーン大尉の一行だった。大佐はにこやかな笑顔を向けて手を上げた。

 

「おや、今日は男の子も一緒かい?」

 

 スミス大佐は後ろでどぎまぎしている少年兵にも気付いた。少年こと一宮は、ブリタニア軍の大佐と聞いて、あまりの雲の上の人を前にして膝をカクカクさせた。

 

「わたしのストライカーユニット担当の整備兵、一宮二等兵です」

 

 天音は誇らしげに一宮を紹介した。

 

「そうかそうか、軍曹のストライカーユニットの。それは私達も世話になりそうだの。よろしく、私はシンガポール軍司令のスミスだ」

「し、司令!?」

 

 一宮、さらに司令と聞いて膝をガクブルと震わせた。大佐といえば二等兵から見たら神。しかもここの司令官だという(本国での書類では少将になってるらしい。一宮、知らなくてよかったな)。敬礼しようとする手がガクガク大きく震えて、自分の額をガシガシと叩く。

 

「トゥちゃんここにいるんですよね?」

「なーんか教えてくれないんだけど。もしかして秘密扱い?」

「今は公にされたくないのでね。制限してるんだ。君、この人達は入れてよいよ」

「は、はい!」

 

 受付の女性兵は大佐に言われてびっくりして鯱ばった敬礼をした。

 

「す、すみません。まさか大佐のお知り合いとは……」

「いいってことよ。こちとらぺーぺーの二等兵とその他だし」

 

 少尉と軍曹を『その他』にしてしまった卜部はひらひら手を振る。

 

「最上階の特別室に入院しているよ。いろいろ相談にのってあげてくれないか。これから先の事なんかも」

「それはあの子に、いろいろ根掘り葉掘り聞いてもいいって事ですね?」

「君達の方が心を許してるだろうからの。後で話した内容はこっちにも教えてくれるね?」

 

 つまり自由に会わせてあげるが、お互い隠し事はなし、情報は共有しろという条件付きって事だ。卜部はデメリットなど思い付かず、頷いた。

 

「スミス大佐との仲じゃんか。了解だよ」

「ありがとうございまーす。行こう一宮君」

 

 天音はまだカクカクしている一宮の手を引いて奥へと進む。

 

「大佐、どーもな」

 

 手を振る扶桑メンバーを見送ると、ブリタニア軍の幹部達も出口へと足先を向けた。去り際にバーン大尉は受付の女性兵に一言告げていく。

 

「新聞くらい目を通しておいた方がいいぞ。現在のシンガポールを世界的な戦略拠点たらんとしているのは、ここを拠点に活動している対潜ウィッチなのだ」

「……え、もしかして今の人、水音の乙女ですか!?」

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

「トゥちゃーん、お見舞い来たよー」

「アマネお姉ちゃん!」

 

 聞き覚えのある声に反応してトゥはベッドから跳ね上がった。怖い人がいなくなったので、「今のうちですよ」と夫人からスコーンをもらって頬張っていたシィーニーも「あれ、この声」と顔を上げる。

 ドアのところに立つ天音を見ると、トゥはぱあっと笑顔になって駆け出した。

 

「お姉ちゃーん」

「トゥちゃん!」

 

 トゥは天音に飛びついた。

 

「わあ、元気そうだね。よかったあ」

「うん、わたしは平気ー」

「アマネさん!?」

 

 天音の姿を見て笑顔になったのはもう一人いた。

 

「シィーニーちゃん!? 来てたんだ。どうして? あ、スミス司令と一緒に来たの?」

「そうなんですよー」

「アマネお姉ちゃん、この人知ってるの?」

「うん。お友達だよ」

「そうなんだ。いい人?」

 

 まだ信用しきれなかったのかトゥは天音に問う。シィーニーは天音の方を向いて、もしダメ出しされたらどうしようと強張った。

 

「もちろん」

 

 即答にぱあっと笑顔になったシィーニーは、天音の後ろに現れた人物に目が止まって、目を大きく見開いた。現れた人物とは卜部と少年兵であるが、少年兵の方に釘付けとなった。

 

「ショ、ショ、ショーへーさん?」

「え?……あ、お前は」

「ショーへーさーん!!」

 

 さっきトゥが天音に駆けていったように、シィーニーが一宮へ駆けていって飛びついた。

 

「げふっ!!」

 

 一宮の口から今度こそ中身()が飛び出た。

 

「ああ、このニオイです。間違いありません。こんなすぐまた会えるなんて、思いもよりませんでした。やっぱりもうこれは運命ですか?」

 

 一宮の胸の中ですりすりするシィーニーに、わなわなと見入る天音が声を震わせた。

 

「シ、シィーニーちゃん、なんで一宮君を知ってるの? な、なんで下の名前で呼んでるの?」

「え? なんでって。こないだわたし、ショーへーさんに夫になってくれって頼んだんです」

「お、夫!」

 

 天音は気を失いかけるが、頭を振って気を取り戻し、一宮に詰め寄る。

 

「わたしという者がありながら、シィーニーちゃんにも手を出すなんて!」

 

 そこにトゥがシィーニーと一宮の間に割って入って、二人を引き離した。

 

「だめーっ。この人はアマネお姉ちゃんの人なの!」

「あれ? アマネさんとショーへーさんって?」

 

 天音は真っ赤になって指先をつんつんしながらごにょごにょと呟いた。

 

「い、一宮君は、わたしの責任取ってもらおうかどうしようか、決めなきゃいけない人で……」

 

 前に天音のローカルルールについて聞いて知っているシィーニーは、それだけで何を言ってるのか察しがついた。

 

「あー、天音さんの懇意の人ってもしかして……」

 

 顔を上げて一宮を見上げると、ちょうど飛び去ることなく戻ってきた魂が体に戻ってきたところだった。

 

「そうだったんですかー。ショーへーさん、アマネさんのを……見ちゃったんですね?」

 

とコテッと首を傾げて表情を覗き見る。

 マレーのウィッチにも知られたとなって一宮は衝撃を受けた。

 

「それは……責任取らないとダメですねえ」

「だ、ダメなのか!?」

 

 先日、ウィッチがハラスメントを感じなければ大目に見られるのではと言っていた本人から、そこまで行ってしまってはもうダメですねと言われ、どこからの弁護も得られず、天音以外の止める手だてを絶たれた自分の終末を知って、一宮の魂は、また体からの脱出を図った。慌てて口から出ていく魂を掴まえる。

 シィーニーは天音に振り向くと、

 

「それじゃあ天音さんは本妻ですね。わたしは側室ってことでお願いします」

 

と頭を下げた。

 

「側室!?」

 

 天音が驚いて反芻した。

 

「扶桑では殿方は、側室やめかけを取るそうじゃないですか」

「い、いったいどこでそんなの知ったの?」

「ヒカルゲンジとか毎晩違う女性の所に通ったというし、ノブナガ公にもたくさんいたんですよね? わたし扶桑の文化を勉強中なんです」

「それ貴族とか殿様とかの偉い人だよ! 庶民は側室なんて取らないよ!」

「そうなんですか? 下っ端の水兵さんだって、寄港地ごとに現地妻がいるのが常識だそうですよ? あのミヤフジさんは熊らしいですけど」

「シィーニーちゃん、いったい誰からそんな話聞いてくるの~?」

 

 いっこ年上だけど、見た目自分と同じマレー少女の耳年増っぷりに困惑する天音。

 

「ん? 待てよ? 寄港地ごとじゃ、先進国の港の身なりのいい妻に負けてしまうかもしれません。ここは第2夫人固定ということでお願いします」

「あ、あの、皆さんは?」

 

 来るなり珍妙な話を始めた御一行に、ミッドフォード夫人がやや困った様子で会話に割り込んだ。卜部が頭を掻いて自己紹介した。

 

「ああ、申し遅れた。私達は扶桑海軍の者だ。私は卜部ともえ少尉。こっちが一崎天音軍曹。こっちが一宮翔平二等兵」

「アマネ軍曹って、もしかして対潜ウィッチのですか!?」

 

 ミッドフォードが目を丸くした。こちらは受付の兵士とは違って情報に明るいのですぐに気が付いた。

 

「どうして対潜ウィッチの方々がトゥに……昨夜の事件でですか?」

「おっとっと。ご想像におまかせしますが、言いふらさないで下さいね?」

 

 話が進まないうちに早々に止めに入ったのはシィーニー。前もって何か知られそうになったらやんわり止めろと言われてたので、それ以上の詮索しないよう注意を促した。

 

「これは、どえらいことだったようだね」

「ええ」

 

 ミッドフォード夫妻はお互いの顔を見合わせる。

 一方トゥの方は、天音に事の相談をすることにした。

 

「アマネお姉ちゃん。ブリタニアの偉い人がね、わたしにウィッチになって軍隊に入ってくれって言うの」

「え、じゃあアンナンの軍に入るの?」

「違うの。ブリタニアの軍だって」

「アンナン人でも入れるの?」

 

 シィーニーが込み入った部分を簡単に補足した。

 

「彼女はアンナンの国籍がないそうです。それでシンガポールの国籍をブリタニアがくれるっていうんで、わたしと同じ海峡植民地軍に入って、ブリタニア連邦のウィッチとしてご奉仕しないかとスカウトしようとしてるんです。入隊は志願らしいので拒否もできるみたいですけど」

「それで、入った方がいいのかどうかよく分からなくて……」

 

 そう言ってトゥは両手の指を絡めたり解いたりする。

 

「ふう~ん、難しいお国事情だねえ」

 

 思わぬ話なってて天音は困った顔を一宮に向ける。目線を向けられた一宮もどうしたもんかと黙りこくった。普通10歳の子供がする決断ではない。

 

「アマネお姉ちゃんはどうしてウィッチになったの?」

「わたし? わたしはね、魔法力持った時から、もしウィッチとして来てくれって言われたら、この力が役に立つなら人類を救うために行くって決めてたの。でも海の中にネウロイが現れるようになるまで、わたしの固有魔法は軍で使い道がなかったから、まだ来なくていいって言われてずっと暇してたんだけどね」

「ふーん」

「アマネ軍曹に来なくていいって言ってたなんて、信じられないな」

 

 ミッドフォードは夫人と二人して頷き合った。

 今でこそ全世界に認められているが、潜水型ネウロイが現れるまでは、ストライカーユニットも動かせなかった天音は本当にどう使えばいいのか分からなかったのだ。特殊なチューンをすれば飛べると分かったのは、軍に入った後である。

 続いてトゥはシィーニーに目をやる。

 

「こっちのお姉ちゃん。しょくみんちへいってよく分からないけど、お姉ちゃんはどうしてそのしょくみんちへいウィッチになることにしたの?」

 

 シィーニーは考えることもなく返事した。

 

「わたしは最初はウィッチになってブリタニア軍からお給料もらう事で、自分の生まれ育った村が豊かになると思ったんです。そのうちいろいろ学んで知識を得るごとに自分の国マレーというのが分かってきて、国を、ここにいる人達を守りたいと思うようになりました。そして今は、アマネさん達と出会って、もっともっと大きなものも守れるのかもって思い始めてるところです。それは魔法力を持っただけじゃ出来なくて、ブリタニア軍、そして他の国のウィッチさん達がいないと出来ない事でした」

「ふーん。わたしも力を授かったから、やらないといけないのかな」

 

 天音は首を横に振った。

 

「言われてやるのはダメだよ。自分からその魔法を役立てて、これをやりたいっていう思いが湧き上がってこないと続かない。それが出てこない限りOKしない方がいいと思うな。それにこの固有魔法は漁業とか海の調査とかでも使えるから、軍でなくても役に立てるところはあるよ」

「天音お姉ちゃんはなんで軍でない方にしなかったの?」

 

 天音は首を傾け、頬に人差し指を当てて考えながら答えた。

 

「うーん、お魚獲る手伝いはずっとしてたけどね。それで嬉しいのは地元の漁師さんだけなんだ。海の調査も海のネウロイがいる限り安全にできないしね。それに対して軍で外国と行き来する船を守るっていうのは、失敗すると国が、本当に国が傾くくらい影響が出るんだよ。客船が1隻沈めば何千もの人がいっぺんに死んじゃう。運んでた荷物、例えばお米とか小麦とか、それが届かなくなると何万ていう人のご飯が食べられなくなる。そんな船をわたし達は1回の航海で40杯とか50杯集めて引き連れて行くんだから」

 

 トゥは目を大きく見開いて驚いた。

 トゥの生まれ故郷では、川で荷を運ぶ小舟1艘が積むお米で1ヶ月は部落の人達が食べていけた。あの日沖で沈んだ大きな船はその小舟何艘分だったのだろう。そんな大船を4、50杯。トゥは正確な計算はできなかったが、感覚だけでも十分に理解できた。

 

「まあ逃がしてもらえなかったってのもあるけど、元々人類を救うなんて大きな事言ってたんだから、やっぱり大勢の人が守れる方をやらなきゃって思うよね」

「お兄ちゃんもウィッチになった方がいいと思う?」

 

 一宮は腕を組む。

 

「俺にはウィッチの感覚は分からねぇけど……俺にお前が持ってる能力があれば、絶対ネウロイをやっつけるのに使うな。ま、男だしな」

「ショーへーさん、かっこいい!」

「男の子は乱暴だから、参考にしなくていいよ」

 

 トゥは俯いて、うん、うんと頷きながら一つ一つ頭の中に刻んでいった。そしてくいっと顔を上げると、シィーニーに尋ねた。

 

「シンガポールの国の人にはなった方がいいんだよね? 国籍っていうの。もうなっちゃったみたいだったけど」

 

 シィーニーは頷いた。

 

「それはなっといた方がいいですね。教育を受けられるのは最大のメリットです。生きていくうえで知恵と知識があるとないとでは生き方が変わりますから。ウィッチならタダで普通の学校より沢山の事を学べますよ」

 

 またトゥはうん、うんと頷いて噛み砕いていった。

 

「……そっか。じゃあやっぱりわたしもソアンも、前だけ見て進んでいった方がいいんだよね」

 

 天音はその前向きな決心に、わたし達はいつだってトゥちゃんを応援するよ、困ったときは助けるよと言って微笑んだ。だがシィーニーは少し逡巡してから言い加えた。

 

「あの……わたしから言い沿えるとすれば……それでも自分の生まれた土地、あなたの故郷アンナンを捨てちゃいけないと思います」

 

 トゥは何故という怪訝な顔で再びシィーニーに向いた。さっきトゥ達は国に捨てられたのだと説明されたばかりだ。

 そんな仕打ちをした国を忘れることの何がいけないというの?

 

「あっ、国じゃないですよ? あなたの育った家とか、遊んだ野原とか山とか、友達とか。……アンナンの政府はあなたを見捨てたかもしれないけど、大地はそこで生まれたあなたの事を決して忘れていません。だから……あなたも故郷アンナンのことは、忘れないでください」

 

 故郷アンナン。

 

「ブリタニアも扶桑も大国だから、あんまりこういう心配はないのかもしれないですけど、わたしやトゥさんのように小国や植民地の場合、自分のアイデンティティの元となっていたものはいつ失われるか分かんない」

 

 シィーニーはトゥの手を握った。

 

「だから心の中だけでも、忘れることなく持っていて下さい。自分が何者だったか見失わないように」

 

 シィーニーの言葉が胸の奥に入ってきたとたん、トゥの頭には、両親の舟や浜辺、小さな部落、巻き上げた網にかかった魚、一緒に駆け回った友達、そういったものが次々と蘇ってきた。忘れようとしていた両親の姿、感触までもが次々と溢れかえってきた。

 あれ以来考えることをやめていた、無かった事に徹していた世界が鮮明に思い出された。

 

 う、う、う、うわあああーん

 

 心の中に立てていた壁が崩れ、涙腺が崩壊し、トゥはその場にへたり込んで泣き叫んだ。

 

「ひゃっ、ご、ごめんなさい! あわわ、わたし、地雷踏み抜いちゃいました?」

 

 シィーニーが慌ててトゥの目線にしゃがむ。天音も駆け寄って、二人でトゥを抱き、背中を擦ったり、頭を撫でたりして宥めた。

 トゥは、押しとどめていたこれまでの記憶、感情が溢れて、いっぺんに押し寄せてきて、半ばパニックで泣き叫ぶしかなかった。

 

 美しい思い出の次に溢れてきたのは、思い出したくもない不幸になってからの出来事。きれいだった海を汚す真っ黒な油。真っ二つにされた舟。投げ出される人。渦潮に引き込まれていく舟や人。流れ着く溺死死体。それにたかるカニや魚。

 部落から大人が殆どいなくなり、集められた子供達。友達も勝手にバラバラにされて連れて行かれ、大勢のいやらしい目をした人達の前に立たされ、値段をつけられ、紐で縛られ、米袋の隙間に押し込められ、車や船で米袋と一緒に運ばれ……

 そういった中でも弟の手だけは決して離さなかった。唯一の残った肉親。守らねばならなかったもの。

 この境には何があったの?

 どうして一変してしまったの?

 

 故郷をぶち壊した海の怪異。

 くやしさ。その後の絶望。

 

 元凶は全て怪異(ネウロイ)だ。

 

 嗚咽を漏らし泣きじゃくるトゥに、ミッドフォード夫妻や卜部らも狼狽えていた。ダイアナとソアンも涙を溜めて固まっていた。

 海のネウロイの被害者だと知っていた天音でも、予想以上に深い傷に心が痛んだ。シィーニーも涙を浮かべ、自身の頭をトゥの頭に触れて「思い出させてごめんなさい」とその頭を撫で続けた。

 

 

 

 

 落ち着くまでたっぷり1時間程。

 見守る卜部や一宮、ミッドフォード夫妻と子供達。

 静かになったトゥを抱き、寄り添う天音とシィーニー。触れていることで伝わってくるトゥの心の痛み。理解したいけど、それでも本当の境地には入れないんだろうなと分かる。それは天音もシィーニーも、幸いなことにそこまでの経験がないからだろう。他の人に分かってたまるかというやつだ。それでもひしひし伝わってくる痛みとは、どれ程の体験だったのか。

 トゥは静かに遠くを焦点なく見つめている。

 

「ごめんね。トゥちゃんの辛さを本当に理解するのは、今のわたしにはできないのかもしれない。いくら慰めの言葉をかけても笑われるんだと思う。だけどこれから作っていく未来になら、一緒に歩んでいける。お手伝いできるから。だからいつでも頼って」

 

 耳元で囁く天音の言葉でトゥの目に再び光が戻ったとき、トゥの意思は決まっていた。

 

「……あの海を取り戻すの。もうこんな思いをする人達を増やしたくないの」

 

 顔を上げ、天音とシィーニーを前にしたトゥは、二人にはっきりと言った。

 

「わたしはウィッチになる」

「む、無理して今決めなくていいですよ?」

 

 シィーニーがそう言うのにもトゥは首を横に振った。

 

「ウィッチになりたいの。アマネお姉ちゃん、シィーニーお姉ちゃん。だから手伝ってほしいの」

 

 驚いて顔を見合わせた二人だが、次の瞬間には笑顔に変わった。

 ダイアナが猫を抱っこしながら歩いてきた。

 

「トゥ、シンガポールを守って! チャーチル、トゥを助けてあげてね」

「チャーチル?」

「お嬢様、本当にいいんですか?」

「あなたが来てから、チャーチルはずっとあなたにべったりだったわ。きっと、こうなることを予想してたのよ」

 

 にゃあと腕の中の猫がダイアナに向かって鳴いた。そして、たっとそこを立つと、トゥの肩に乗った。

 

「この猫がチャーチル?」

「なんか聞いたことある名前だけど、誰だっけ」

「ブリタニアの首相がそんな名前じゃなかったか?」

 

 やや太った猫に首を傾げたシィーニー。

 パッとは思い出せない天音。

 言い当てたのは珍しくも卜部。

 

「お嬢様、ありがとうございます。チャーチルを、お借りします」

 

 チャーチルをよいしょと腕で抱えると、その頭にコツンと顎を当てた。するとキラッと光って猫は虹色に輝き、姿が消えるとともにトゥの頭に猫耳が、お尻に長い尻尾が生えた。

 

 ミッドフォードがソアンを抱いてやって来た。

 

「弟は私の家で預かるよ。トゥは心配することなくウィッチの訓練をしておいで」

「旦那様!」

「トゥ。今日から私達は家族だ。もう旦那様も奥様もお嬢様もない。そうだな、お父さんは抵抗あるだろうから、おじさんくらいでいいよ」

 

 トゥは、そんな、恐れ多いと首を横に振った。

 床に降ろされたソアンはトゥに駆け寄った。

 

「お姉ちゃん、どこ行くの!? 行かないで! どこにも行かないで!」

 

 不安に駆られたソアンはトゥのお腹にぐりぐりと頭を押し付ける。

 

「おじちゃんもおばちゃんも、ずっと家にいていいって言ってるよ!」

「こらっ、失礼でしょ!」

「ソアンはいつもお父様、お母様をそう呼んでたわよ」

 

 ダイアナの暴露発言に、トゥは飛び上がらんばかりに驚いた顔をした。

 

「わたしも妹が増えるのは嬉しいわ」

 

 トゥは涙を滲ませ、次第に嬉し顔になっていった。

 そして弟を抱き寄せ、耳元で優しく囁いた。

 

「行かないよ。ちょっと出かける事があっても、ソアンのところにちゃんと帰って来るから。必ず帰ってくるから。だから、わたし達の家族になってくれるお家の人達を守る為に、わたしにウィッチのお仕事をさせてね」

 

 ソアンの許しを得ると、天音に向き直った。

 

「アマネお姉ちゃん、この魔法の使い方、教えてね」

 

目尻に少し涙を滲ませた天音は、最大限の笑顔で答えた。

 

 

 

 

 こうして天音に続く2人目の水中探信ウィッチが人類に加わったのである。

 トゥが戦力になるのは1年以上後のこと。後に天音と世界最強の水中探信コンビとなって、海上護衛のダブル女神として人類の海を守っていくのはまだまだ先の話。

 

 

 




 
次回、天音編最終回! 長かった……

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