天音から最初の一報を受信した千里は、まず卜部に報告した。427空皆でカフェに来ていたところだったので、目下の上官はすぐ目の前で美味そうにケーキを頬張っていた。天音が捕まったと聞かされると、卜部は膨らんだ頬の隙間からくぐもった声を漏らした。
「お‘あ‘ー」
とても人間の言葉ではなかったので、その口にコーヒーを注ぎ込んでケーキを押し流す。
「げふっ。あいつら羽目外しすぎちまったか。どこの留置場だって?」
「私も最初そうかと思ったけど、どうやら違うみたい。誘拐だと言ってた。薬で眠らされたというから本格的なものかもしれない」
「誘拐!? ウィッチを? ただで済むと思ってんの?」
ウィンナーコーヒーの泡を髭にした優奈はご立腹である。
「それで一緒にいたはずの整備兵のアホはどうしてるの? まさか泣いて指くわえてたんじゃないでしょうね」
一宮の事を親友を
「一宮整備兵は犯人を追いかけていって、一崎さんを見つけ出す事に成功した。それで縛られてた一崎さんを解放して連絡できたみたい」
「あら意外。やるわね」
もしそれが本当なら、ちょっと見直した。
「二人だけならそれで脱出すればよかったのだけど、もう一人少女が連れ去られてどこか別の所にいるようだから、その子も含めて救出しないといけない」
卜部は顎に手をして考える。
「誘拐のターゲットは子供に絞ってるのか? 一崎も実年齢より幼く見えるからな。嫌な組織だ。子供を売り買いする連中には碌なのがない」
「大掛かりな組織かねえ。こっちも武装した方がいいんじゃない?」
「私もそれがいいと思う」
元戦闘脚使いだった勝田と現役の千里の頭は、力には力で対抗が基本である。
「ここはブリタニアが統治してるところだ。よその国の者が勝手に武装して練り歩いてたらいい顔しないだろ」
「あら卜部さん意外と冷静。なんかいい頭脳プレイあるの?」
卜部さんと言えどさすがは隊長職。広い視野で物事を見ることができるんだ、と少々失礼も混じりつつ感心する。
「まずは艦長に報告だ」
真面目な顔で語ってくる卜部に、どんな妙案が来るのかと優奈は次の言葉を期待して待つ。
「それでブリタニア軍に掛け合ってもらって、正々堂々とフル武装して出撃しよう」
「違った、やっぱ実力行使だった」
自分の脳筋を差し置いて、優奈は野蛮人集団に絶望する。
卜部は427空を連れて水上機基地へと向かった。その道中で神川丸の有間艦長に報告した。艦長は基地へ集まるのはいい事だと言いつつも、上へ報告するから指示あるまで基地で待機せよと命令した。発進準備して待機しますとの返事には、それでよいと返してきた。
427空は自分達のストライカーユニットのあるチャンギの水上機基地へ駆け込むと、基地の整備班長に発進準備を告げ、装備を指示した。
「出撃命令は来ておりませんが」
「じきに来る。来たらすぐ上がるぞ。燃料入れろ。整備は?」
「全機万全です」
「おっし。2式水戦脚と零式水偵脚には3番2号爆弾2発ずつ。2人には99式2号12.7mm機銃を。零式水偵は、そうだな……後部機銃の弾は曳光弾多めに。機内爆弾倉にはストライカーユニット輸送用の運貨筒を積む」
「何事です? どこ襲撃するんで?」
「なに、ちょっと脅かすだけだ」
「はあ……。して、一崎一飛曹 の瑞雲には?」
「瑞雲は燃料入れて運貨筒に収納してくれ。一崎が誘拐されたみたいなんだ」
えっと驚く整備班長。それで出撃の支度なのかと理解した。
「直ちに取り掛かります!」
◇◇◇
卜部の報告を受けた有間艦長は南西方面艦隊シンガポール根拠地隊へと報告を上げ、そこからシンガポール当局にウィッチ誘拐の発生が通報された。当局がようやく動き始めたのは天音の一報から軽く1時間以上が経ってからだった。
有間艦長はそんなことは最初から予想済みで、独自の動きとして航空偵察の準備と、南西方面艦隊司令への報告ついでに許可を得て、ブリタニア軍司令スミス大佐の直通電話番号へとダイアルした。
「スミス大佐、扶桑海軍神川丸艦長の有間です。お日柄もよろしゅう。先日の勲章授与式ではご無礼を……ああ、扶桑酒届きましたか。喜んでもらえてよかったです。それで、あと1時間くらいすればそちらにも話が来ると思いますが、うちのウィッチ、一崎天音軍曹がさらわれたようでして。……ええ、それでご相談が……」
◇◇◇
コンテナの床に手を置いて探信魔法を発していた天音は、怒りを滲ませてゆっくりと言葉を紡いだ。
「前のコンテナ、中に9人も、子供が、いる」
一宮も驚いて見つめ返してしまった。
「あの花売りの他にもいるってのか?」
「やっぱ壁壊して、シールド張って、あの悪者達やっつける!」
立ち上がった天音を慌てて肩を掴んで止めた。
「自分で言ってたろ、安全なとこに匿ってからだって。9人もいたらシールドの後ろに入りきらないぞ。停泊したってことは仲間と合流して敵もいっぱいいるかもだし、水の上じゃ子供逃がす所もねえ。泳がせんのか?」
怒りでふーふー息を荒げる天音をじっと見据えて、落ち着け、まず落ち着けと語り掛ける。いったん下を向いてふーッと深く息を吐くと、一宮を見上げた。
「どうしよう」
「んとだな……まずこっちの壁にも覗き穴開けてくれ。俺は外を探る。一崎はいったん状況を報告しろ。んで指示を仰げ」
「ぶん殴ってきていいですかって聞くね」
「その許可は出ないと思う……いや卜部少尉ならわかんねえな」
反対側、艀の左舷側の壁に回って、また障子を破るように肥後守で鉄板に穴を開ける。開け終わると天音はインカムで仲間に呼びかけを始めた。一宮は早速外を覗く。
「同じようなコンテナ載せた艀が並んでやがる。3列だ。やべーな銃持ってる奴がいるぞ。その向こうに100から200トンくらいの船2隻。うおっとっと」
急に艀が揺れた。右の貨物船との間の干渉物のタイヤがぎゅうぎゅうと音を立てている。
「なんだろ」
「横波でもくらって貨物船が揺れたのかな」
その時インカムにトン・ト・トン・トと無音声で無線マイクを叩くような音がした。427空からの呼び掛けだ。いきなり声で呼び掛けないのは天音達が声を出せる状況でないかもしれないからだ。
「どうぞ」
天音はすぐ答えた。今は音声通話しても大丈夫だ。
≪ウミネコ、こちらカツオドリ≫
「あ、カツオドリ、こちらウミネコ! ちょっと聞いてください。なんか相手は相当悪い人達みたいです」
天音は隣のコンテナに子供が9人入れられてる事と、自分達の所から見える景色を伝えた。
≪カツオドリ了解した。貨物船と艀が並んでるところを探す。卜部さん、もう飛んでもいいよね?≫
少し間をおいて卜部の声もインカムに入ってきた。
≪ウミネコ、トビだ。今しがた航空偵察の許可が出た。もうちょっと辛抱しろ。自衛以外では動くな≫
「助けに来てくれるんですね、よかったぁ。ウミネコ了解。トビ、早く来てね」
≪ああ。待っちょれ≫
やっぱり隊長の声を聞けると安心するものだ。千里、卜部との通信を終え、コンテナの探信を再開した天音だが、「あれ!?」っと素っ頓狂な声を出した。
「今度は何だよ」
「コンテナがなくなってる! トゥちゃんが入ってたコンテナが!」
「!」
一宮は前の壁の穴に飛びついた。
「ホントだ、コンテナがねえ」
左の壁の穴を見る。特に変わりない。右の壁の穴へ行った。こっちは相変わらずすぐ横に船がいて、景色は見えないに等しい。
「一崎、もう少しこれ広げてくれないか」
一宮は右の壁の穴を指した。
「うん。横に? 縦?」
「縦だ」
肥後守を差し込んで縦に少し広げられた穴からもう一度外を見る。見たいのは上だ。顔の位置をずらして見上げた。
「横の貨物船のデリックが動いてる。きっとコンテナを吊し上げたんだ。それでさっき艀が揺れたんだ」
「コンテナはどこに!?」
「見えねぇが貨物船に積み込まれたんじゃねえか?」
「つ、次、わたし達かな」
すると外の遠くから声が聞こえてきた。
『いいか、あんなおんぼろ車に未練ないだろ。違うの買ってやるからコンテナごと海へ沈めるんだぞ!』
『へえへえ、分かってますって』
前の方から聞こえてくる。一宮はコンテナの前の穴に移動して覗き見る。艀の舳先の方で軍人風の男と天音をさらったチンピラがやり取りしていた。
『処分してなかったらこの艀ごと撃沈するからな!』
『それは勘弁だ。こいつぁ合法的な仕事にも使ってんでっせ。まあまあ、まかしといてくれって』
「撃沈!?」
超物騒な単語を耳にした天音も覗き穴に飛び付き、一宮と頭をゴリゴリ押しあって外を見ようとする。
「なんだよ痛えな、来るなよ」
「重大な話ししてるじゃない。わたしも見る」
軍人風の男は西洋人っぽい男とともに手すり付きの籠に乗ると、籠はクレーンで引き揚げられ、隣の貨物船へと消えていった。チンピラはそれを見送ると、天音達のいるコンテナに向かって歩いてきた。
『しかたねえ。身代金は諦めるか。まあいいや。その前にちと小せえがちょっくら遊んでからにしてもいいよな。結構な上玉だったし、ひん剥いて写真撮ったらマニアには高値で売れそうだ』
隣り合って並んでいる一宮と天音の目が大きく見開かれる。チンピラが扉のある後ろに回り込もうかというところで、上の方、たぶん隣の貨物船から大声がした。
『貨物船との舫い解け! そしたら曳舟との曳航ロープの切り離しだ!』
『ちっとは休んだらどうだ?』
『タグボートねえんだ。曳舟使わねえと貨物船を沖に出せない! 早くしろ!』
『こんなところまで無理矢理でけえ船入れやがって……』
チンピラは頭を掻きながらUターンして戻っていった。
二人の緊張で吊り上がっていた肩がへなへなと落ちた。
「い、一宮君、小せえのってわたしの事だよね?」
「そ、そうだろうな。上玉? こいつが?」
「わたし、何されそうだったのかな」
「あー、……だぶん服剥ぎ取られて裸にされんじゃねえかな」
「裸!? 見られたらわたしあの人と結婚しなきゃいけないの!?」
「お前、まだその風習捨ててねえのか」
「い、一宮君、見る? あんなのに見られるくらいなら、一宮君の方が……」
そう言ってワンピースの胸元を少し引っ張る。しかし悲しいかな、天音のはその程度では殆ど目を引くものはなかった。
「だーっ!! それよりこのままじゃ沈められて殺されるって結末が見えてンぞ!」
「そ、そだね。どうしよう」
一宮は目を瞑って少し思案すると、フーっと深呼吸した。そして目を開くと天音を見据える。
「今こそ肥後守で鉄板切り開いて逃げる時だ。艀の舳先の向こうに陸地が見える。あれくらいなら泳げるだろ」
「トゥちゃんどうするの!?」
「貨物船に乗せられたんなら、貨物船さえ見失わなけりゃいいんだ。卜部少尉が来たら、あの船ですって教えて、皆で乗り込めばいい」
「な、なるほど。でも左の方の艀にいた人達、ライフルみたいの持ってたよ。撃たれるんじゃない? ボートで追っかけてきて捕まるかも」
「一崎ならシールドも張れるし逃げれるだろ」
「一宮君は!?」
「お、俺は、足手まといになるから、まずは一崎だけでも逃げ切れば……」
コンテナ内にバチンと派手に音が響いた。呆けた顔で頬に手をやる一宮。天音が一宮の頬を叩いていた。悔し涙のようなのを浮かべて一宮の服を掴み、鼻先に触れそうなほどに顔を近付けた。そして声を殺して一宮に詰め寄る。
「ウィッチは人を守るの! やることがあべこべだわ!」
「んなこと言ったって……」
「考えて! わたし達が生きて、あの貨物船を見失わない方法! 卜部さん達が来るまで戦えばいい?」
「武器もないのに、お前のシールドだけで、敵が何人いるのか分かんねえのに援軍が来るまで戦うってのは無理だよ。だいいちお前人は殺せねえだろ。殺しそうになったら絶対体止まるし」
「そ、そうだね。戦うのは難しそう。そうすると逃げるしか……。陸だったらこの車で逃げれるのに」
「車……車か!」
一宮はコンテナの前の壁に行って、また張り付いて外を覗いた。
「コンテナがなくなったから艀の前部分が広く開いてる。助走つけて陸地までの半分でも行けりゃ、追手が追いつく前に上陸できるかも」
「ま、まさか車で海渡るの? 岸まで何百メートルもあるよ?」
一宮はニヤリといたずらっぽい笑みを向けた。悪い遊びを考えついた時の子供の顔だ。
「車にちょっと手加えるぞ」