水音の乙女   作:RightWorld

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第158話「天音編(その3) ~マブゼの残滓 その1~」

 

 

「あの子供がやったというのか!?」

 

 場面はアンナン独立同盟の拠点で爆発があった数時間後である。外では破砕した家の片付けが総出で行われていた。9人の会議出席者のうち、ちょうど厠へ行っていたホー・チ・ミンを除く全員が死亡した。驚異的な悪運によってホーは生き残ったのだ。

 そして今、たまたま訪問していたオラーシャからの労働者統一戦線の使節団が、封鎖した集落内で拘束した少女について、ホーは報告を受けているところだった。ホーは捕まった少女が連れて行かれるのを遠巻きに見たが、それはごく普通のアンナン人の少女にしか見えなかったのだが……。

 使節団のオラーシャ人はホーの問いに対し返答した。

 

「そうです。ただあれを子供と言っていいのか非常に憚られますが」

「実際はもっと年齢がいっているというのか?」

「そういう意味ではありません。年齢は12,3才前後で間違いない。ですが、中身は歴戦の兵士と何ら変わりません」

「訓練された子供という事か?」

「訓練。……むしろ改造とでも言った方がいい。技術だけでなく全てにおいて一般兵を上回っています。兵士というよりは兵器です」

 

 そこへノックもなしにずかずかと入ってきた男がいた。

 

「兄者、無事だったか!」

「クォック!」

 

 それはホーとそっくりな人物だった。ホーが蓄えている長い口髭と顎髭はないが、面長の顔と広い額、通った鼻筋、力強い唇など顔のパーツが同じだ。彼の上着はあちこちに泥がはね、ズボンの膝下はぐっしょり濡れていた。

 ホーは突然の入室者を使節団に紹介した。

 

「弟のファム・アイ・クォックだ。弟といっても異母兄弟だがね」

「お噂はかねがね」

 

 使節団の面々はクォックへ握手しようと手を差し出したが、「申し訳ない、今はやめておきましょう」と泥のついた手を見せた。

 

「車が沼にはまってしまってね、引っ張り出すのにてんやわんやしてました」

 

 そう言って豪快に笑うクォック。縦にも横にもがっしりと大きいオラーシャ人は、背も低くやせ細ったアンナン人からしたらそれだけで委縮しそうな見た目であったが、クォックは全く臆することなく下からオラーシャ人達を見定める。それはホーも同じだった。どちらの目も鋭く、鋼のような強い意志を感じさせる。オラーシャ人達も組み伏せ得るという甘い考えは早いうちに捨て去らねばならなかった。特にクォックは、やや細目の目に兄にはない冷たさを感じた。それこそが先程の“お噂”の左証のようであった。

 そう、クォックは敵となったものを徹底的に追い詰める。その手段手法は容赦なく冷徹だ。アンナンのグエン王朝パオ・ダイ帝が最も警戒し恐れている人物こそ、このファム・アイ・クォックであったのだ。

 

「しかし兄者も悪運の強い。まさか途中で腹下しして退出していたとは」

 

 かっかっかと笑うクォックにホーも苦笑いする。

 

「かくいうお前こそ会議をすっぽかしおって。お陰で災難回避とはどういうことだ」

「車が沼にはまったと言ったろう。お互い肝心の時になると横やりが入るのは、親父殿から受け継いだ不幸体質のせいだ。この場合幸いだったが」

 

 そう言って2人は笑い合った。クォックもまた驚異的な悪運の持ち主だった。しかしクォックはピタリと笑いを止めると、オラーシャ人の使節団に向き直った。

 

「首謀者はガリア王党派ですか?」

 

 おおっと使節団は驚きの声を漏らした。クォックは続ける。

 

「我々は港や飛行場をずっと監視しています。滅多に使われないハノイの陸軍飛行場に久々にガリアからの輸送機が来てたので、おやっと思ってたのです。その後一度飛び立ちましたが、本国に帰るのかと思いきや、数時間後に戻ってきて、今も格納庫にあります。輸送機の所属は王党派が牛耳っている部隊でした」

 

「さすがは独立同盟の情報と軍事の顧問です」

 

 オラーシャ人は感心して手を叩いた。

 

「恐れ入ります」

「あなたのその情報は我々の推測を補完します」

 

 きらりとクォックの目が光った。

 

「兄者。この件、私に任せてもらえるか?」

「ふむ……いいだろう。お互いの協力で対策を進められそうに感じる」

 

 クォックは嬉しそうに目尻を下げると、使節団に向き直った。

 

「よし、では私の部屋で詳細を詰めましょう。その前にちょっと着替えさせてもらいますよ。流石にこれではお客人も落ち着かんでしょう」

 

 部屋を変えようとする一向にホーが呼び止めた。

 

「クォック」

 

 振り返るクォックにホーは引き締めた顔を向けて言った。

 

「革命の後も我々は人民を導かねばならん。その時、我々が過去も未来も、人民の期待を裏切る事がないように」

 

 クォックは細い目をさらに細めた。

 

「わかっているとも」

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 ファム・アイ・クォックが専用で使っている建物へ移動した労働者統一戦線の使節団は、着替え終えて戻ってきたクォックが入れたお茶で喉を潤していた。クォックが差し出した茶請けは、偶然にも爆破犯人の少女が持ってきたのと同じハスの実だった。

 軽く雑談をした後、クォックは本題に入った。

 

「それで、あの少女は『ガリアの子ら』だったのですな?」

「おそらくハノイの飛行場にあるガリアから飛来したという輸送機で連れてこられたのでしょう。一時飛び立ったというのは、少女兵を独立同盟の拠点近くまで運ぶためで、少女兵は落下傘か何かで降りたと思われます」

「すんなり潜り込まれたのには子供というのも一役買ってそうですな。……ところで」

 

 クォックは組んだ両の手に顎を乗せ、使節団を上目遣いに睨んだ。

 

「オラーシャには『党の子ら』というのがいるらしいじゃないですか」

 

 これにはオラーシャ人も狼狽の色を顔に浮かべた。

 

「催眠術を使って洗脳した完璧な兵士だと聞いております」

「……成程。さすがは組織で諜報を統括されているだけはある」

「『党の子ら』と『ガリアの子ら』は同じなのですね?」

 

 オラーシャ人は首を横に振った。

 

「『ガリアの子ら』は、その洗脳方法を開発した博士が自ら施した少女兵です。その博士は死亡したため『ガリアの子ら』は現在新しく作ることができません。『党の子ら』はその残された技術を継承した者達が博士の死亡後に作った新たな少女兵です」

「そうすると『党の子ら』は能力的に劣るのですか?」

「いえ、そんなことはありません。ただ技術的問題で『ガリアの子ら』より年齢上限が低く抑えられています。短期間に数を揃えられるので大規模集中運用の効果が高いと我々は考えており、その実地検証を計画しているところです。もちろん単独での特殊任務も得意です」

「成程。それで大規模な運用の試験ができるところを探してインドシナまで来られていたわけですな。クメールは期待外れだったでしょう?」

 

 オラーシャ人達は参ったという風だった。

 

「我々の行動は筒抜けのようですな。確かに、独立を急ごうとしているクメール王国には期待していたのですが、あそこの王室はガリアの影響力が薄れたのに国内を掌握できてなく、正に期待外れです」

「しかしクメールの条件が良かったとしても、人種の違う大勢の『党の子ら』は革命軍からも味方とは識別しづらく、連携が取り難くないですか?」

「オラーシャ人の『党の子ら』を使おうとは思っていません」

「え、では?」

「現地で子供(素材)を調達して製造するのです。なにしろ短期育成が可能ですからね」

「では、アンナンがその試験に協力しようといった場合は?」

「勿論、アンナンの子供(素材)で兵士を作ることが可能です」

 

 クォックは目を輝かせた。

 

「しかしホー同志はあまりこの手のは乗り気でないと聞くが?」

 

 クォックは安心なさいと言った。

 

「今後軍事作戦は私が掌握します。上位将軍が今回の事件で軒並みいなくなりましたからな。

しかしその前に……」

 

 クォックが使節団の面々をぐるりと見渡す。

 

「あなた方の『党の子ら』も『ガリアの子ら』と同等の実力があるか、見極めたいですな」

 

 使節団は向き合うとオラーシャ語で話し始めた。そしてすぐ向き直った。

 

「今回の事件の責任を王党派に取らせるというのはどうかな。報復にもなるし、『党の子ら』の手際を見せるにちょうどいい」

 

 こうしてフエ王宮に出入りしている王党派の中から、重要事項の伝達をしている男を襲う計画が立てられたのだった。

 

 

 

 

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 横に並んだ車の後部ドアがいきなり開き、出てきた男達に一宮は付き飛ばされた。背中から倒れてズザーッと滑り、「いてー、何すんだ!」と顔を上げると、天音と女の子は出てきた男達それぞれに担がれて車の後部座席に押し込まれていた。

 

「あっ!」

 

 一宮が起き上がる頃にはドアは締まり、車は逃走した。悲鳴を出す暇もなくあっという間である。道路に散乱する花だけが異常事態を物語っていた。

 一宮はすぐ立ち上がると、「まてー!」と車を追いかけた。追いかけながらどうするどうすると頭を回転させる。連絡するべきだが、連絡手段を持ってない。となれば警察や電話のありそうなところに飛び込んで通報するのが一番だが、その間に確実に見失ってしまう。

 

「護衛する人間が拐われて、護衛される側が助けようとしてるとか、なんなんだよ!」

 

 必死に走って追いかける一宮だが、車の速度には敵わない。車はみるみる遠ざかってしまった。しかし交差点や通りを曲がる度に速度が落ちたり、水牛が横切って足止めされてたりで、なんとか見失ってはいない。視界から消えないギリギリのところでどうにか付いていき、1ブロック先の路地を曲がったところまで視認していた。車を追って一宮も路地への角を曲がる。しかし……

 

「あれ!?」

 

 その道は行き止まりだった。道は木の板の塀で終わっている。しかも車もいない。

 

「曲がる道間違えた!? いや、間違いねえ、この道だった」

 

 ひいふうと上がる息もそのままに横の建物の壁も使って塀をよじ登ると、向こう側はすぐに川だった。この辺りの護岸は石で固められており、船着き場らしく舟がぎっしりと舳先をこちらに向けて並んでいる。が、塀を乗り越えたところはぽっかり空いていた。

 一宮は塀を乗り越えて川岸に降りると、しゃがんで呼吸を整える。息を整えながら地面に顔を近付けた。塀から川までは幅2、3mあるが……

 

「ふう、ふう……半分ほどまで、タイヤの跡が、あるぞ」

 

 川岸の幅半分までタイヤの跡があった。

 

「壁のこっち側にタイヤの跡があるって事は、この塀は仕掛けがあって開くんだな? そして川辺りまでの半分でタイヤの跡がなくなったってことは、ここには道板かなんかがあって、車はそこに上がった。つまりその先には船がいたってことか……」

 

 そこまで推理すると、立ち上がって川を見渡す。川を行き来している船はいくつかあるが、車が乗せられるほどの大きさのものというと……

 数艘あるが、車を載せているものはない。しかしコンテナを載せた浮桟橋型の艀に目が留まった。ちょうど車1台入りそうなコンテナを前後に2つ並べて載せている。動力船が艀を曳いていた。

 

「さてはあの箱に車入れたな!?」

 

 艀は川を下っている。一宮は川岸を走った。ちょうどコンクリート製の3階建ての建物があり、非常階段を見つけると駆け上がった。てっぺんまで上がると川を見渡す。

 この川は支流で、少し先に太い川と合流している。太い川の上流にも船着き場といくつか倉庫が見える。下流はというと、遠くに海が見える。シンガポール島とマレー半島の間のジョホール海峡だろう。下っていけばいずれその海峡に出るに違いない。

 合流したらどっちへ行くだろうか。一宮は海へ向かう方に曲がると賭けた。海へ向かう川を指で追っていく。

 

「とすればあの橋の下をくぐる。先回りで、き、そ、う、だ!」

 

 次の行動を閃いた瞬間から直ちに動き出した。非常階段の手摺を乗り越えると、雨どいのようなパイプを掴んで垂直に降り、隣の建物の屋根に飛び移り、さらに幾つかの屋根を伝ってから道に飛び降りた。そしてまた駆ける。

 

 

 目的の橋に辿り着くと、膝に手を置いて荒れた息を整える。整えつつ橋の上から川を見渡した。予想通り艀を曳いた船は海へ向かう方の川に曲がっていた。こっちへ向かってやってくる。人影は……艀の前の方に男が数人見えた。1人は一宮を突き飛ばした奴だ。

 

「ビンゴ」

 

 してやったりと口角を上げたその横を幾筋もの汗が流れ落ちた。

 

 

 

 

 少し時間を戻し、一宮が橋に向かって走っていた頃。艀の上ではコンテナの扉が開けられ、数人の東洋人と共に西洋人が一人、中へと入っていった。

 

「どうです、なかなかの上玉でしょう?」

 

 チンピラ風の男が車の後部ドアを開けて中を見せる。そこには縛られて気を失ったままの二人の少女があった。トゥと天音だ。

 西洋人の男は懐中電灯で二人を交互に照らすと、ニヤァと卑猥な笑みを浮かべた。

 

「暫くいじくり回すのだから見た目がいいに越した事はない」

 

 

 


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