水音の乙女   作:RightWorld

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2021/11/24
誤字修正しました。
報告感謝です。 >ゴリラ三等兵さん
 



第156話「天音編(その1) ~始まり~」

 

 そこは草も木もない、荒れ果てた台地が地平線の彼方まで続いていた。

 

 

 平地も谷も山も全て灰色の石と岩だけの世界。もちろん虫一匹いる気配はない。

 まるで月面のような色の世界だが、月面と異なり、地面はどこもささくれ立って痛々しく尖っていた。

 

 この不毛の荒野は広漠地帯と言われている。昔怪異が大いに暴れまわり、そこにあった数億の人口を抱える大帝国を人も土地も丸ごと破壊し尽くし、生物にとって全く利用価値のない場所へと変わってしまったところだ。

 そんなガレガレの世界が永遠に続くと思いきや、岩や石の肌の地面が次第に傾斜を増してせり上がり、とある一つの尾根に到達すると、その反対側は一変して濃い緑のジャングルへと変化した。怪異はその尾根を越えなかったのだ。越えられなかったのか、あるいは越える気がなかったのか。今となっては分からない。

 

 

 広漠地帯との境の尾根の南は、インドシナ連邦北部カオバン省というところだった。見渡す限りの鬱蒼としたジャングルだが、よく見ると所々木を切り倒して開かれた空間がある。人間の縄張り(テリトリー)だ。地表にまで日光が届くよう広く切り開かれているのは畑だからである。しかし一箇所だけたいして畑もないのに広く木々のない所がある。畑の代わりにあるのは集落だ。アンナン独立同盟の根拠地だった。

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 拠点集落の中央にある一軒の家では重要な会議が開かれていた。

 議論が白熱していたところに、現地の少女の給仕がお茶を持って入ってきた。

 

「おお、ご苦労。皆一休みしようではないか」

 

 議長を務めていた男がそう言って口調を和らげると一同が顔を上げる。少女はお茶の入った急須と、お茶請けにハスの実の炒ったものと砂糖漬けになったものをテーブルに並べた。そして小さくお辞儀をすると、くるりと回れ右し出口へと歩を向けた。

 

「ちょうど小腹がすいたところだ」

「俺は甘いものが欲しかった」

 

 そう言って砂糖漬けのハスの実をひょいひょいと口へ放り込む。ハスはアンナンではよく栽培されており、葉から実まですべて利用できる。実の砂糖漬けは扶桑の甘納豆とよく似ていた。議長の男は談笑しながら急須に手を伸ばす。さて持ち上げようというところで、しかし体になじんだ急須の重さと違い持ち上げることができず、怪訝な顔で急須を見下ろした。

 

「む。妙に重いな」

 

 不審に思って蓋を持ち上げると、中には少量のお茶っ葉に囲まれて黒い艶びかりしたものが入っていた。ぎょっとしたのはそれが金属質だったからだ。それをよく見た男は「ひっ!」と息を飲んだ。驚愕と当惑の混じった顔で扉の方に振り返ると、戸の外に身を半分置いた先程の少女が部屋の中に目線を向けていた。そして

 

「ガリア、我が喜び」

 

 小声でつぶやくとぱたんと扉を閉めた。直後、急須が爆発した。艶びかりしていたそれは手榴弾であった。家の角の部屋が吹き飛び、壁だった木や草がバラバラになって辺り一面に撒き散らかされた。

 家の外でウトウトと立っていた歩哨の兵士がバネ仕掛けのように跳ね起き、我に返って振り向くと、家からは早くも火の手が上がっていた。

 

「大変だ!」

 

 集落はすぐ大騒ぎになった。

 

 火が出た家の横にあった小さな掘っ立て小屋から、仙人のように髭を伸ばした男が飛び出し、「何事だ!?」と叫んだ。

 

「ホー・チ・ミン同志!」

 

 歩哨は声を発した男の姿を見て駆け付けた。

 

「ご無事でしたか!」

「たまたま厠へ行ってたのだ」

「いったいこれは……」

 

 散乱する家や家具だったものの破片、それに煙や火を見て一瞬固まる。が、すぐに理解した。

 

「あの吹き飛びよう、爆弾か何かだ。集落を封鎖しろ!」

 

 爆発した家に向かって周囲から湧くように出てきた人達が駆けっていった。それとは逆方向に少女が一人ゆっくりと歩いている。それはあの給仕の子供だった。

 

「ガリア、我が喜び」

 

その少女は再びそう唱えた。

 

 

 

 

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 アンナン(我々の世界ではベトナムに相当します)の古都フエの王宮で、グエン王朝バオ・ダイ帝のもとに密使が訪れていた。

 

「アンナン独立同盟の重要拠点で爆発と火災があったそうです」

「それで、かの者は死んだのか?」

「副司令、参謀長の死亡は確認されました。目下調査中ですが、側近が軒並み死んでるとなると時間の問題かと」

「そうか」

 

 バオ・ダイは少しがっかりした。

 

「ご覧の通りです。本国が一時的に占領されようと、我が国の海外戦力はいささかも減衰していないのです。革命狂気集団がいっとき盛り上がったようですが、遅れを取ることはありません。王朝はお護りしますよ」

「かの者共の目標は独立だ。君達が守ったのは王朝ではなく植民地総督、植民地権益だろう?」

「私達は王朝には残っていただきたいと思っております」

「宗主国の中央政権は共和派が主流だ。君達ではない」

「ですが全く影響力が無いわけでもありません。彼らはインドシナの権益さえ残せれば体制はどうでもよいのです。なら王朝と長く関係の深い王党派の方が話が通じると思いませんか?」

 

 帝は密使の男をじっと見据えた。

 密使は我々と共和派を秤にかけているのだろうと推察する。どちらを選ぼうがインドシナ連邦が見過ごされることはないのに。そう思うと自然と冷笑が浮かんでしまった。

 

「共和派も王党派もさして違いはなさそうだな」

「よくお分かりで。しかし60年前、インドシナ三国をガリアが保護国としたときを思い出してください。王朝の解体をしないよう促したのは誰であったかを」

 

 バオ・ダイ帝は肩で大きく息をし、目を閉じるとゆっくりと頷いた。

 

「ネウロイによって政府が潰れようと、幾つの臨時政府が立とうと、ぶれないものが宗主国には存在するということはよく分かった」

 

 密使はニンマリと笑うのみで何も言わなかった。

 

「ところでかの者たちの拠点へはどうやって入り込んだのだ?」

「……それは聞かぬ方がよろしいかと」

「そうか……。いずれにしろよくよく調べた方がよい。執念深い男だ。もし生き残っているようことがあれば……」

 

 あの男の報復は王朝に向かうだろう。

 

「ご安心ください。仮にそうであってもフエには入れさせません」

「……わかった。わざわざ報告の為訪れてくれた事に感謝する」

 

 立ち上がると手で密使を出口へといざなう。

 

「ネウロイの混乱に乗じて有耶無耶のうちに独立をなどと夢を見ていたのが、アンナンでは共産ゲリラだけでよかったです。残る二国の王も変わりなければいいのですが。帝からも一つ諭してやってください」

 

「これから行くのだろう? 直接伝えればいいではないか」

「我々の前ではなかなか本心を語ってくれないものですから。では失礼します」

 

密使は立ち上がると片手を上げた。

 

「ガリア、我が喜び」

 

バオ・ダイ帝は黙って見送った。

 

 

 

 

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 シンガポールは今乾季である。乾季といっても乾いているわけではなく、普通に雨が降る。夕方には夕立となるのが常だ。要は雨が多すぎる季節を雨季と言い、そうでない季節に反対語を使っているに過ぎないのだ。そして赤道近くということで一年を通して扶桑の8月のような陽気なので蒸し暑い。

 そんなむしむしとした空気の中、特設水上機母艦『神川丸』はドライドックに入渠して赤い船底を晒していた。HK06船団護衛を終えて、扶桑出港以来ようやく大規模整備に入ったのだ。

 艦はドック入りしても乗組員はそう簡単に休みにはならない。工廠の作業員が溶接の火花を散らしてないところでは、神川丸の乗員が自分達でできるところを修理したり、ペンキを塗ったりしていた。そんな中に航空整備兵の一宮少年も忙しく走り回っていた。

 

「一宮、パヤ・レバー空軍基地に部品が届いたそうだから取りに行ってこい」

 

 呼ばれた一宮は、後部砲座の高見から飛行甲板のあちこちにいる整備兵へ指示を出していた整備班長に、そのような指令を受けた。

 

「何の部品っすか?」

「お前が頼んでいた、一崎一飛曹専用の魔導水晶子だ」

 

 ああ、と一宮は思い出す。

 ストライカーユニットがウィッチの魔法力を増幅するには、まず魔導波検波装置という機械で魔法波を拾わなくてはならない。この装置の核となるのが魔法波と共鳴する魔導水晶子だ。魔女に水晶玉という組み合わせがあるように、魔法波と水晶は相性がいいのだ。

 ところが普通のウィッチとは全然違う周期幅の広い天音の魔法波は、既成品ではその一部しか拾えず、一宮は裏技を駆使して複数の標準魔導水晶子を組み合わせる事で無理やり魔法波を拾える特別な装置を作って改造していた。しかし装置が大きく搭載が大変で、何より手作りの品は耐久性が心配で故障の原因になりかねない。要は1個で最初から天音の魔法波と共鳴できる魔導水晶子があればいいわけで、天音の魔法波周期は分かっているのだから、それ用のを作ればいいのだ。特注になるが技術的な問題はなく、標準魔導水晶子で最も周期幅の長いのを拾える4番より更に低い、3から3.5番というものを作ってくれと海軍技術廠に要望していたのだ。世界唯一の水中探信ウィッチのため、技術廠は要望を受け入れたのだった。

 

「大事な部品だから護衛を付ける。造船所入り口で待たせているから、合流して、取りに行ってこい」

 

 そう命令する整備班長は、何故だかニヤニヤして言った。

 

「一宮二等整備兵、パヤ・レバー空軍基地へ、扶桑より届いた部品を引き取りに行きます!」

「うむ。まあ楽しんでこい」

「??」

 

 相変わらずニヤニヤしている整備班長を怪訝に思いつつも、回れ右すると、神川丸を降りて造船所の入り口へ向かった。

 

「ルダン島から戻ってからも、だいぶ張り詰めて作業してましたからね」

 

 整備班長の傍らで散らかった修理資材を整理していた古参の整備兵が言った。

 

「お前なら勝手に道草し放題、捜索願い出さねえと帰ってこないだろうが、あいつの性格だとお使いに出しても途中で息抜きなんかしないだろうしな」

「その護衛は息抜きさせてくれるんですかね」

「違った意味で息抜きにならないかもしれないけどな。緊張からは解放してくれるだろう」

「大丈夫ですかね。行き過ぎたら処罰もんですぜ」

「どっちもまだお子ちゃまだし、大丈夫だろ」

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

「一宮くぅ~ん」

 

 造船所の門の内側に入ったところで盛大に手を振ってるのがいると思ったら、それは現在も世界唯一の水中探信ウィッチである一崎天音であった。

 姿を見た途端、なぜだか顔が熱くなってきた一宮は、今日もまた相当日差しがきついらしいなと唱えながら帽子を深く被る。

 

「ど、どうしたんすか、一崎一飛曹。今日は訓練は休みですか?」

「休みなんだけどね、お使いを頼まれたの」

「そ、そうっすか。俺も忙しいんで、それじゃ」

 

 立ち去ろうとする一宮の腕を慌てて掴む天音。

 

 「ちょちょちょ、どこ行くの。一緒に行くんでしょ?」

「は、はあ? 俺はパヤ・レバー空軍基地に行く用事があるんっす! 護衛の人と合流しなきゃなんで、離して下さい」

「それ、わたしの事だよ」

「は!?」

「扶桑から届いた荷物を一宮君が取りに行くから、エスコートしろって。エスコートって直訳すれば護衛って事だよね。護衛はわたし達の専門だよ。でも今回はどっちかって言うと案内しろってニュアンスだったかな」

「基地くらい一人で行けるよ!」

「あの飛行場、リベリオン軍が来てどんどん大きくしてるから広いよ? それにわたしは何度か行ってるからあの中知ってるし。一宮君は初めてでしょ?」

 

 天音は一宮の腕を両手で掴んで、ニコニコ顔で見上げた。一宮の顔が一段と赤くなる。今日は飛び抜けて気温が高いようだ。

 

「そ、それじゃ一崎一飛曹は任務中っすか?! そのカッコで?!」

 

 天音はちょっとぽっと頬を染めると、くるりと一回転した。

 

「か、かわいいかな。こないだお店に勧められて買ったんだけど……」

 

 天音はいつものセーラー服の水兵服ではなく、丈の短いクリーム色のワンピース。完全に私服モードだ。しかも回転してふわりと舞った裾の下から覗いたズボンはちょっと大人びたもので、お尻の割れ目が意図的に見えるよう短く切り詰められたものだった。

 同じくらいの丈のものに扶桑陸軍の航空ウィッチが履く95式標準ズボンがある。こちらは白地に中央が黒という精悍さで、丈の短さがこれまた大人っぽさと勇敢さを両立していて格好良く、『扶桑海の閃光』などの映画を見た女学生ならウィッチならずとも一度は憧れるものだ。

 丈が短いからと言って別に見えればいいというものではなく、見え過ぎてしまってははしたないし恥ずかしいと言うのは読者諸氏の世界の感覚と同じ。だが少し見えるは大人の色気とドレスアップであり、ドレスの胸元の谷間のように、定義困難な境がどこかにあるのだ。

 天音のも、短い丈が大人っぽさを見せているものの、色は淡いピンクで若さと清純さをアピールしており、なかなかに悩ましいものだった。

 そんなものを見せられた一宮は茹でダコのようになり、どう対処すればいいか頭が処理できなくなって、階級が下なことも忘れて怒鳴りつけた。

 

「に、任務じゃねえのかよ!? かわいいかなじゃねえだろ!」

「わたしは一応お休みなんだってば~。それじゃ行こうか」

 

 天音は一宮の腕に自分のを絡めると、腕を組み直して、むふーっと満足げな顔で見上げた。

 

「ひ、一崎一飛曹は休みかもしれんけど、俺は任務中なんだ! そ、それにウィッチとの接触は最小限って言ってんだろ! 腕組む必要ねえだろ!」

「えー? エスコートは?」

「腕組んで護衛する兵隊なんていねえ!」

「むー。……ソノトオリデス。ワカリマシタ」

 

 つまらなそうに口を尖らせて、腕を解く天音。二人は横に並んで、門の近くの車止めを目指して歩いて行った。

 

 

 




 
 大変お待たせしました(少なくともお気に入りの数だけは待っていた方がいると信じて)。
 シィーニーちゃん編と間を置かずに投稿するつもりだったのですが、話がだんだんでかく複雑になり過ぎて、ブレが話の出だしにも影響しそうだったり、後半でアイディア枯渇だったりで、ある程度固まるまで投稿できませんでした。天音ちゃんとのイチャコラだけは安定してたのですが。
 結局何話になるのだろ(字数ではなく)。また1日にも満たない話をダラダラとお付き合いくださいませ。

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