エンジンカウルの最後のねじを締め、表面に残った汚れやオイルを拭き取る。ジャングルに合わせた深緑と茶色の迷彩塗装。足挿入口の後ろで一度窄まり、また太くなっていく流線型の胴体。丸っこい垂直尾翼。そして二枚羽。扶桑の新しい二枚羽の零式水上観測脚ほどではないが、こうしてよく見ると機体設計は新しいのがよくわかる。リベリオンのグラマーよりずっとスマートだし、飛んでて楽しそうだ。ただ背負い式のエンジンはなあ……。
垂直尾翼に描かれた赤い花は軍曹のパーソナルマークか? リベリオンだとすぐシャークマウスとかドクロとかの威嚇するようなの描くのに、ブリタニアは気持ちにゆとりがあるな。しかしこう手掛けてやると二枚羽ってのは愛着が湧いてくる。グラディエーター、なかなか気に入ったぜ。
一宮は、満足気に頷くと高らかに宣言した。
「よし、整備完了」
「わあ、ありがとうございますー」
たたたたと両手を広げて駆け寄ってくるシィーニーに、ばっと後ずさる一宮。
「あれ、ハグしてあげようと思ったのに。スキンシップおいやですか?」
「ウィッチと接触は基本ダメなはずだろ!」
「淫らなことは死刑になるでしょうが、ウィッチから求められてのハグくらいなら大丈夫ですよ、たぶん」
「たぶん!? 死刑になるボーダーってどこだ? 大丈夫か!?」
「詳しい決まりは知りませんが、グレーなとこはウィッチがハラスメントを感じなければいいんじゃないですか? わたしは差し上げるものなんて何もないので、こんなのでお礼するしかないんです。男性は大概喜びますし」
「そ、そういう体を売るようなのはやっちゃだめだ! もっと自分を大切にしろ! お礼ならさっきのヤシの実ジュースで十分だ」
「まっ」
シィーニーは両手を口に当て、ぽっと頬を染めた。
「ショーヘーさん、おとこまえ」
「からかうな!」
ニコニコと笑顔をふりまくシィーニー。そしてストライカーユニットに目を向ける。
「なんかいつもよりピカピカに見えます」
「外はそんないじってないぞ。主にやったのは中だ。野っぱらで急いで直した配線回りもちゃんと直したけど、心配なら帰ってから新品に交換してもらえ」
「はい」
片付けに入る一宮の背中に、シィーニーは上機嫌で話を続けた。
「本当にありがとうございます。ストライカーユニットの調子は命にかかわることですから、感謝してもしきれません。気が変わったら今からでもハグしてあげますよ」
「い、いらん!」
「チューしてもいいですよ」
「そ、それもうアウトだろ! 俺を殺す気か!」
「誰も見てないですよ……あっ」
アクーラが何も見逃すまいと二人を観察していた。
「アクーラちゃん! 黙って見てないでください。は、恥ずかしいじゃないですか」
こてっと首をかしげるアクーラ。相変わらずステルスな娘である。
「ショーへーさんは歳いくつですか?」
「俺か? 14だ」
「わはっ、わたしと同じではないですか。優秀なんですねぇ、その歳でストライカーユニットを整備できちゃうなんて」
何だかどこかでも誰かに同じようなこと言われた気がする。それにしてもシィーニー軍曹が14才というのは驚きだ。どう見ても年下にしか見えん。
「……別に。実家が修理屋だから、小さい頃から機械いじりに慣れてるだけの事だ」
「英才教育ですね。マレーじゃそんなことできる人いるかどうか。マレーも将来のためにそういう人が欲しいですねえ」
シィーニーは邪魔にならないよう脇の木箱の上にぽんと座って退いた。静かになったおかげで一宮も集中して片付けを続ける。次の作業者がすぐ取り掛かれるよう、工具置き場にきれいに道具を並べた。
こんなもんかなと、片付いた作業場を見渡し、手拭いで汗を拭くと、木箱の上から一宮を眺めていたシィーニーと目が合って、また顔が熱くなた。
なんか今日は頭に血が上ってばかりだ。シンガポールやマレーは暑くてかなわん。
シィーニーの方は、足をぶらぶらと揺らして楽しそうに眺めている。笑顔でまた一宮に語り掛けた。
「どうです、マレーに移り住みませんか? 少しずつ機械化も進んでますし、競合がいないですからお仕事に困ることはないですよ」
「は、はあ? お、俺、扶桑海軍にいるんだけど。簡単には移れねぇだろ。こっちに生活基盤もねえし」
「なるほど、仕事が回りだすまで不安なんですね」
シィーニーは木箱から飛び降りると、ゆっくりと歩み寄る。
「それじゃ、わたしの夫になりませんか?」
「??」
一宮は何を言われたのか理解できず、一瞬動きが止まった。シィーニーは続ける。
「それで海峡植民地軍に紹介します。その腕ならすぐ採用してくれますよ。わたしもいい整備士が付いて万々歳じゃないですか」
一宮、頭の中でブリタニア語の辞書を引きまくり、やっと翻訳が追いつく。
「ちょちょちょっとまて、夫だあ?! まだお互い14才だろ!」
「マレーじゃ12才過ぎれば結婚は普通です。わたしがウィッチの間は稼ぎもばっちりですから、生活には困りません」
シィーニーはまた一宮に少し触れるまで歩を進めると、二の腕をそっと掴んだ。
「もしかして、わたしの体が貧弱なのを気にしてますか? こんな幼児体型が何を言ってるって。大丈夫です。ウィッチの間はナニできませんから体は必要としないし、上がりを迎えるころになればわたしも食べ頃の大人の女。魅力的なプロポーションになってるはずです」
どっかのちんちくりんから同じようなことを聞いた気がする。ウィッチには多いのか、こういう人は? もしかして成長悪い奴ほどそういう妄想を持つのか?
「あ、でも心身の相性がよいなら、今から肉体関係持っても平気なんですよ。わたしたちどうですかねぇ……」
つつーっとシィーニーは一宮の胸に指を這わす。
うっそ、初耳だ! ウィッチと接触しちゃいけないんじゃなかったのか!? ところ変わればウィッチも違うのか!? マレーのウィッチだからか!?
「ふふふ扶桑男児が法的に結婚できるのは17歳になってからだ!」(戦前の民法では男は17歳、女は15歳です)
「あと3年ですか? いいですよ、待ちましょう。でも……」
シィーニーは一宮の胸の上でのの字を描きながら勧誘を続ける。
「マレーならもうショーへーさんは適齢期ですから、こっちくればいつでも」
「そそそそういうことじゃなく!」
一宮が真っ赤になってテンパってるのに対し、シィーニーはほっぺたをいい色にして甘い声で囁いてはいるが、わりと慣れた感じでお誘いしてくる。もしかして弄ばれてるんだろうか。
そんな二人はまたも視線を感じた。横には好奇のまなざしで静かにじっと観察を続けるステルス少女アクーラがいた。シィーニーがぼふっと頭から蒸気を噴火させた。
「ア、アクーラちゃん! そうだ、いたんでしたっけ。存在消すの上手い人ですね!」
「大変興味深い。続けて」
急に恥ずかしがるポーズを取るシィーニー。
「なななんで静かに佇んでますかね、恥ずかしい。わたし達の馴れ初めを見られました。ど、どうしましょうショーへーさん」
「ち、違うから! 馴れ初めちゃうから! ナニ今になって恥ずかしいとか言ってンだ!」
そんなドタバタをかき消す轟音が外から響いてきた。飛行機の爆音だ。基地の兵士が駆けてきた。
「連絡機が来ました!」
「助かった!」
「空気読めない飛行機ですね」
「やめちゃうのカ?」
◇◇◇
軍医を乗せた連絡機がペカン基地に到着した。バーン大尉は軍医見習いとか言っていたが、来たのは確かに若い軍医少尉ではあったが実戦を経験済みのしっかりした人で、男の子を診察するなり、ここで矯正しても変形してくっついてしまう可能性が高いと即断し、シンガポールの病院で手術すると決めた。余計な考え抜きでとにかく助けなければという思いが先立ったのは、かえって若い軍医だったのが幸いしたかもしれない。
セレター基地に「連絡機に少年を乗せてすぐ戻る。陸軍病院に受け入れの準備を」と連絡をすると、暫くしてバーン大尉から返信があった。
「軍医少尉に言われた通り病院には連絡した。飛行場に救急車を待機させてあるので、いつでも戻ってきて大丈夫だ」
「ありがとうございます、大尉」
「うちのシィーニー軍曹を出してもらえるか?」
恐怖で引き攣るシィーニーにマイクが回された。
「し、し、し、死にそうです、じゃなくてシィーニーです」
「連絡機を護衛しつつシンガポールに帰還せよ。この勢いでまたどこか爆撃されて負傷者が増えては病院がパンクする。道中ネウロイを見たらソッコーで撃墜しろ」
「はいいい! 了解しました!」
「入院費は1日いくらだろうな……意味わかるか?」
「ご心配なく! シィーニーの給料から引いて下さい!」
「よろしい。お前も怪我するなよ、さらに財布が軽くなるぞ」
「無傷で帰投します!」
慌しく戻る準備が行われる中、シィーニーは一宮とアクーラに急ぎ挨拶をしに来た。アクーラはシィーニーを覗き込むと一宮に問うた。
「顔を青くするにはどうやればいいんだ? 赤くする方法はだいぶ分かったが」
「何か、あったんか?」
さっきの陽気さとは正反対になってるシィーニーに一宮も心配する。
「いえいえ、お気になさらず。それよりお二人には本当にお世話になりました。シンガポールに戻りますので、これでお別れです」
タッと駆けると逃げる間を与えず一宮に抱きついた。
「んな!?」
「ショーヘーさんにはたくさん助けてもらいました。ありがとうございます。運命があるならまたお会いできるはずです。忘れないようショーヘーさんの匂いも覚えておきます」
「犬か!」
スースーと一宮の服の中で息を吸い込んで、腕を解いて上を向くと、満面の笑みを一宮にふるまった。
「落ち込んでた気持ちもこれで復活しました」
続いてアクーラに歩み寄り、その細い肩を抱いた。
「火の中に飛び込んで男の子を助けたあなたはウィッチにも負けない立派な人です。思えば今日の奇跡はあなたが子供を助けてから始まったんです。ありがとう。シンガポールに来ることがあったら寄ってくださいね」
アクーラは珍しく、ほんの少しだが驚いたような表情をした。
「もう会うこともないだろうが、会えてよかった」
「そんなさみしいこと言わないでください。わたしアクーラちゃんにはなんかこう、どこかで会ったような不思議な感じがするんです。待ってますから」
「……そうだな。また生まれ変わったなら、必ず」
「どういう意味です?」
「シィーニー。キミは約束通りヤシの実ジュースをご馳走してくれたから、そのお礼だ」
そう言うとアクーラはシィーニーを抱き返すと、耳元で囁いた。
「ネウロイの拠点はタマンネガラにはない。ベノム山の北東だ。ジェラントゥートの北の森林を北からぐるっと回りこむ欺瞞行動をしてるから、タマンネガラから来るように見えるだけだ。もう大物は作れない。小型もやっと作っている。だからそれほどの抵抗は受けないだろう」
シィーニーの目が大きく見開かれた。
「な、なんでそれを!?」
「見たんだ。うん、そう、見た。見たことに違いはない」
「アクーラちゃん、それ本当に!?」
「シィーニー軍曹、連絡機出発します! 大急ぎで発進を!」
基地の兵が呼びに来た。
「え? え? え?」
「扶桑の整備兵、すまんがエンジン始動を手伝ってくれ」
「わ、わかった」
慌てるシィーニーに二人の兵士が背負い式の魔導エンジンを背負わせ、グラディエーターに足を通させる。一宮は手動でエナーシャを回し始めた。木箱に座らされて発進準備が進むシィーニーのそばに寄ってきたアクーラは、大声を出してるわけでもないのに、大きくなるエナーシャの音の中でも不思議と聞こえる声で言った。
「わたしもできるならまた会いたい。だから祈ってくれ、会えるようにと」
「シィーニー軍曹、コンタクトー!」
「え!? は、はい!」
一宮の掛け声でシィーニーは魔法力を流し込み、魔法陣が展開して魔導エンジンが回りだす。M1919A4機関銃を手渡される頃には、アクーラは振り返ることもなく基地の外へと向かって歩いていた。
「アクーラちゃん!」
もうマーキュリーエンジンの轟音で声も届かない。外では連絡機がタキシングを始め、誘導されている。
「ああ、もう! シィーニー発進しまあす!」
木箱からぴょんと飛び上がり、同時に魔法力を強めるとグラディエーターは浮いたままゆっくりと前へ進み出した。敬礼して見送る兵士。そして一宮。シィーニーは答礼し、特に一宮にはニッコリと白い歯を見せて笑顔を付け足して、そのまま進むと格納庫を出る。ちゃんとした滑走路などないので、基地の平らなところを適当に使って加速し、複葉のグラディエーターはすぐにふわりと浮き上がった。
空に上がると地上を見回した。基地の北側に隣接する森との境にアクーラを見つけると、低空をゆっくりと回った。
「アクーラちゃーん!」
手を振ると、見上げたアクーラも手を上げた。
「きっと、きっとまた会えますからー!」
ずっと表情のなかったアクーラがほんのり微笑んだように見えた。そして森の中へと入っていった。色濃いジャングルに消えた小さな少女の姿はもうそれきり見ることはなかった。
名残惜しみつつ旋回しながら高度を少しずつ上げていく。そうしている間にも連絡機が飛び上がった。シィーニーも森から目線を外し、連絡機の方へキュンっと向きを変えた。
「あ、すごく軽い。なんですこの滑らかな感じ」
試しに左右にロールしてみる。舵の感度がいつもよりすごくいい。
「これもしかして、ショーへーさんの整備のおかげですか?」
湿っぽくなっていた気持ちが、軽やかに動くグラディエーターにならって晴れてきた。
「セレターコントロール、こちらシィーニー。連絡機の護衛を開始します」
≪セレターコントロール了解≫
連絡機を追って向きを変え、基地の上を飛ぶ。地上で基地の人達が手や帽子を振って見送っていた。その中には一宮もいた。
「あれだけアピールしといてなんですが……」
翼を振って地上の人達に答えた。
「また会えるかなんて、夢のまた夢なんでしょうね」
ブリタニアの(正確にはバーン大尉の)気持ち次第でどこの戦場へ飛ばされるか分からない植民地兵と、一介の扶桑の二等兵の整備士。再び出会う接点が思いつかない。
それでも自分の強運と、運命と、ウィッチの奇跡に賭けてみよう。そう思うと、風の中でも頬が熱くなるのを感じるのであった。
しかし、シィーニーは知らなかった。彼女がこの後派遣される事になってる水上機母艦で、一宮がそこの水上偵察ウィッチ隊の整備士をやっていることを。いや、ちゃんと一宮の所属を聞かなかったのが悪いのだが。
連絡機とシィーニーが飛び立ち、ジャングルの向こうへ見えなくなったころ、ペカン基地にいた扶桑整備兵たちも帰り支度を始めた。
「どうだったブリタニアのウィッチは」
一宮と荷物を運ぶ歳の近い兵がニヤ付いて体をぶつけて問いかけた。
「ブリタニアじゃねえっす。現地マレーの植民地軍のウィッチだったっすよ。背格好も一崎一飛曹と変わんないし、中身だって。ウィッチってのは変なのばっかです」
「なんだ金髪のお嬢さんじゃなかったのか。でもウィッチだからやっぱかわい子ちゃんなんだろ? 次会う約束してきたか? ウィッチとはなかなか話せる機会ねえから、チャンスは逃さねえ方がいいぞ」
「は、話す機会ないのはきっと、ウィッチが皆変だから、こっちもおかしくならないようにってんで決めたに違いないっす! やっぱ接触はよくないッス!」
その時、基地にサイレンが鳴り響いた。
「北側、低空に飛行型ネウロイ接近!」
「対空戦闘ー!」
基地のブリタニア兵とマレー兵があちこちからわらわらと湧いて出て、持ち場へと走っていく。
「うわマジか!」
「ネウロイ? ど、どうしますか?!」
「防空壕はどこだ!?」
整備班長が駆けてきて叫んだ。
「機銃弾を銃座に運ぶの手伝え! 大型だったら防空壕へ入ったって無駄だ!」
「う、ういっす!」
弾薬庫から出された弾薬箱を持って建物から出たところで北の方を見ると、1機の縦長の飛行物体がゆっくりと旋回していた。時折地上に向けビームを撃っている。
「ありゃフライングゴブレットだ」
「機関砲で撃ち落とせるぞ! 1番から5番銃座射撃用意! 十字砲火だ!」
その頃、森の中では、時おり上を向きながら走るアクーラがいた。
「もう見つかった」
木の切れ間からフライングゴブレットが通過するのが見えた。
「グラディエーターとかいう古いストライカーユニットの情報では満足しなかったか」
通過したフライングゴブレットが地上にビームを撃ちながら戻ってきた。
「もっとも最新鋭のだったとしても、巣の情報と交換では割に合わないだろうけどな」
近くに着弾し吹き飛ばされる。ビームは岩も破砕し、散弾のように飛び散って辺りの木々をへし折る。アクーラは数m先の地面に仰向けで叩きつけられた。立ち上がろうとしたところで急に顔に影がかかった。首を少し逸らすと折れた大木が迫ってきていた。躱そうとするも足が動かない。見ると左の腿を尖った枝が貫通している。そして大木がドスーンと倒れアクーラの顔の横で木片が舞った。横に目を向けると、右腕が大木の下敷きになっていた。しかしアクーラは慌てることもなく右肩の辺りに左手を掛けて思いっきり引っ張ると、右腕はそこからボロっと崩れて取れた。次に左腿を突き抜けてる枝を掴むと、上に引っ張り上げて引き抜く。すぐさま立ち上がり、右腕なしの状態でまた走り出した。倒れてた所に次々とビームが降り注ぐ。
茂みを掻き分け100mもいくと、森が急に開けた。昔の野焼きの跡だった。とうに耕作はされてなく森林への回帰が始まっていたが、まだまだ背の低い草木が茂っている程度のところだった。
「地上では寝そべるだけだったものから動けるものになれたまではよかったが」
真上にフライングゴブレットが静止した。
ここでは隠れることもできない。しかしもう隠れる必要もないだろう。生まれ変わるつもりなら、どのみち今をシャットダウンせねばならないのだから。
上を仰ぎ、頭上で滞空している釣鐘に足が生えたような飛行物体を見やる。3本の細い足の奥が赤く発光しだした。
「次は本物の人間になれるだろうか」
ビームが地上に向け発射された。
「なんであんなに地上を撃ってるんだ?」
フライングゴブレットは盛んに地上を掃射していた。巻き上がる土煙からして、あれでは下にいたら間違いなく骨も残るまい。しかし執拗に1点を射撃しているので動きが止まっていた。
「止まったぞ、チャンスだ! よく狙え!」
「照準よし!」
「こちらも照準よし!」
「ファイヤー!」
凄まじいい金切り声を上げて5基のボフォース40mm機関砲が1点に向け発射された。曳光弾がまっすぐフライングゴブレットへと向かっていき、空中に静止していたフライングゴブレットに次々と命中した。命中する度に姿勢を崩し、空中で転がされるようにくるくると弾かれていると、突如パアンと破裂した。
「ネウロイ、撃墜!」
「うおおお、やったー」
砲手や装填手、弾薬を運んでいた兵などが一斉に拳を振り上げて歓声を上げた。
銃座を囲む土嚢の中に弾薬箱を担ぎあげていた一宮も、破片となったネウロイに見入った。
「他にもいないか周囲警戒せよ!」
周囲が安堵の空気に変わり、扶桑の整備兵達もその場にしゃがんで緊張で張っていた肩を落とした。
「一宮、助かったな。連絡機が来てるときだったらやばかったぜ。あの子供もいいタイミングで飛べたな」
「は、はい」
一宮は周囲を見渡した。ネウロイがいないかというよりは、フライングゴブレットが攻撃していた地上の痕跡に目をやっていた。
「アクーラ、無事かな。ちゃんと帰り道に着けたかな」
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シンガポールに戻ったシィーニーは、軍病院へ向かう救急車に男の子が乗せられるのを見届けると、報告のため司令部へ上がっていった。
「シィーニー軍曹、お帰りなさい。ご苦労様」
アンウィン曹長とスミス大佐が出迎えた。バーン大尉はむすっとして椅子に座っていた。シィーニーは敬礼した。
「はいっ! この度は軍医殿の派遣ありがとうございました」
不機嫌そうなバーン大尉がまず口を開いた。
「まさか入院までさせることになろうとはな。連絡機の往復燃料費、軍医の出張手当、それに入院費が1日……」
「どうぞ遠慮なく、シィーニーのお給料から差し引いて下さい……」
青い顔をして答えるシィーニー。バーン大尉は構わず続ける。
「子供が退院する時、アンウィン曹長は出迎えをするように。記者を呼ぶからな。今回の軍医派遣はアンウィン曹長の人道的進言で実現したものと既に言ってある」
「そ、それシィーニー軍曹がやるべきじゃないですか? 私現場には一切顔出してませんし」
「宣伝効果の絵柄の方が優先だ」
「せめて子供には本当の恩人に会わせてあげないと……」
大尉は少し髭の残る顎を撫でた。
「ふむ。では病室から玄関まで付き添うことを許そう。同じマレー人、記者も家族だと思うだろう」
「わあ、行っていいんですね。ありがとうございます」
「シィーニー軍曹それでいいの?」
「いいですとも。男の子と会わせてもらえるだけでも、素晴らしいご褒美です」
シィーニーは本当に嬉しそうなのだ。
「……そうですか」
アンウィンは憐憫の色を滲ませて声のトーンを落とした。バーン大尉はさらに続けた。
「それで、一時故障したグラディエーターを直してくれた整備兵は?」
「あ、ショーへー・イチミーヤ二等整備兵という方です。わたしと同い年だったんですよ」
「子供ではないか」
「でもでも凄い優秀な人だったんです」
「ほう。それで所属部隊は?」
「扶桑海軍です」
「んなのは分かってる。扶桑海軍の二等整備兵は何百といるだろう。その中から名前だけで探せというのか?」
「あうっ」
「聞いてないのか。すかたんが」
ズーンと落ち込むシィーニー。ふぅと肩を沈ませてアンウィン曹長が助け舟を出す。
「私がペカン基地に問い合わせておきます。どこの部隊が来たのか抑えてるでしょう」
「うむ。さすがアンウィン曹長、気が利くな」
使えない奴光線がビシビシとシィーニーに降り注がれる。
「他に報告しておくことはあるか軍曹?」
「あっ! あっちで会った人から、ネウロイの拠点の情報を聞きました」
「なんだと?」
「わたしと似たりよったりの歳の、現地の女の子でした。実際見たらしいんです」
「それも子供じゃないか。お前の情報源は小学校か」
あきれ顔を隠さないバーン大尉。
「話を聞いてわたし達が見つけられなかったわけだわ~って思いました。地図を見させてください」
「ふん。アンウィン曹長、すぐ地図を出してくれ」
「え?」
アンウィンが驚いたのは、あれ程呆れ顔をしてたバーン大尉が、こんな怪しげな情報を信じないまでも即確しかめようとしたからだ。アンウィンの懐疑的な気持ちに気付いたバーン大尉は視線を返す。
「アンウィン曹長。シィーニー軍曹はこれまでこの辺りの古臭いが小賢しいネウロイをさんざん相手にしてきたウィッチだ。敵への嗅覚は曹長の比ではない」
そうか、ブリタニア軍がウィッチを皆引き上げさせてしまって、その穴をこれまで一人で埋めてきたのは確かにこの軍曹なのだ。その実績は本物。だからいつも冷遇してるように見えるけど、本当は大尉だって信頼してるんだ。
アンウィンは頼りなさげな植民地兵だけど先輩のウィッチに畏敬の念を抱きそうになる。どうやら褒められたっぽいのでシィーニーはほあああっと顔が綻んできた。
そしてバーン大尉の瞳が歪む。
「間違っていたら矯正し、正しいものを嗅ぎ分けられるまで何度も矯正し、矯正し、矯正して、ようやく格納庫の脇に置くくらいならよいかと思う程度になったのだ。使い倒さねば損だぞ。もしどうしょうもない報告だったら……」
バーン大尉が片方の口元だけを上げて冷たい笑いをシィーニーに向けた。
「その時はまた矯正するまでだ」
喜びはまたも束の間だった。シィーニーはガセネタだったらと硬直しカタカタと震える。アンウィンは深く溜息をついてから地図を取りに行った。
机の上に広げられたマレー半島の地図。
どれ、報告してみろ、と上から圧力をかけてくるバーン大尉に促され、シィーニーは震える指を中央のタマンネガラに置くと、下へとずらしていった。
大丈夫。あのアクーラちゃんは嘘なんか言わない。
タマンネガラの森を抜け、南西へ下っていく。そして一つの山で止まった。ベノム山だ。熱帯雨林に囲まれた大きな山塊で、山頂は2100mを超える。今度は山頂から少し右上、北東へとずらすと、そのへんをくるりと囲った。
「この辺りと言ってました」
スミス大佐がおおっと目を見開く。
「ネウロイはタマンネガラから来てるように偽装してるそうです」
そこまで言うとスミス大佐もずんぐりとした太い指を地図に乗せた。シィーニーが囲ったところから谷に沿って指を這わせ、ジェラントゥートという集落の北の森林をぐるりと迂回し、タマンネガラの下でペカン川に出た。
「こんな感じで飛んでくるんじゃないかね?」
シィーニーは口を丸く開けて驚いた。
「その人もそう言ってました。なんで知ってるんですか?」
「私だって遊んでたわけではないよ。この情報を集めるため、あしげく通った成果だ」
「大佐自らジャングルに行かれたんですか? よく遭難しませんでしたね」
「当然現地の人の協力があったからだとも。協力してくれないかとお願いする度に結婚をせがまれるので、あの辺りの部落の何人と結婚したことか」
「え、結婚しまくったんですか!?」
「地の利のある人に見張りをしてもらったり、偵察に行ってもらったりと無理をお願いするには、身内になるのが一番だったからね」
「そ、そういう発想もありますかねぇ」
自分も何パーセントかはマレーの将来の人材にと思って求婚してみたりしちゃったけど、複数人を囲い込むという発想は思いつかなかった。いえ、思いついてもわたしはできません。
「弄れたブリタニア人よりよっぽど純朴でみんな良い人ばかりだよ。後でまた会いに行ってやらねば。順番に巡ると何日かかるかな」
指を折って数え始める。
「それでいつも留守なんですね……」
平均寿命の短いジャングルの住民ならきっとその女性達も若いに違いない。まさかわたしくらいの娘や、結婚最低年齢の12才なんて人がいないことを祈るけど。工業排水で淀んだテムズ川みたいなバーン大尉と違っていつもお元気だと思ったけど、若い女性から元気分けてもらってたんだ。
と納得するシィーニー。
「バーン大尉、現地の目撃情報と一致した。この情報はかなり価値があると思わないか?」
「確かに大佐が予想された飛行経路の裏付けが取れました。さっそく証言の敵発進地点に探り入れましょう」
スミス大佐はシィーニーの頭をわしわしと撫でた。
「お手柄だシィーニー軍曹」
えへへと笑いながらくすぐったそうに首を窄める様は、おじいちゃんにいじられてる孫のようだ。
「バーン大尉、何か褒美はないか」
「やむを得ん。報奨金を支給しよう。額はそうだな、シンガポールーペカンの往復航空燃料費と出張加算手当、施設宿泊費7泊分とする。ペカンまで退院した子供見舞いに行っても、公費使ってタダで行けるようなもんだぞ」
「え!? 燃料費が一番高いですよね。結構な額ですよ? お土産持っていき放題じゃないですか。そんなに貰っていいんですか?」
「仕方ない。いいだろう」
「やったっ!」
ガッツポーズするシィーニー。アンウィンは気付いてないのかしらと呆れる。
「子供が退院する頃には休暇時期は終わってると思うがな」
シィーニーに聞こえない声でバーン大尉は呟いた。そしてアンウィンも小声で大尉に聞いてみた。
「あの、アレ本当にシィーニー軍曹に負担させるつもりだったんですか?」
「どうかな。しかし帳簿上で金を取り上げてまた元に戻しただけで、ブリタニア軍は何ら経費かからず、戦意高揚した兵隊が一人出来上がるのだ。めでたいではないか」
そう言うとバーン大尉は初めて立ち上がった。
「ご苦労であったシィーニー軍曹。待機所に下がり、バカンス(スクランブル待機)を続けたまえ」
「イエッサー!」
植民地兵は敬礼を返し、意気揚々と部屋を出ていった。
後日シンガポールの新聞には、ブリタニア軍が子供を助けたことと、長く懸案だったマレー半島の潜水型ネウロイの拠点が破壊されたことが大きく掲載され、立役者としてアンウィン曹長の写真がデカデカと載った。が、いずれの新聞社の写真にも隅に小さくシィーニーが写っていたのは、各社とも本当の活躍者が誰だったのか知ってのことだと言われている。
アクーラはロシア語でサメ。
旧ソビエト連邦の弾道ミサイル原潜 941設計重ミサイル潜水巡洋艦の設計暗号名が「アクーラ」です。
NATOコードネームは「タイフーン」(こっちの方が有名)。水中排水量48,000トンという世界最大の潜水艦。
59話でシィーニーによって世界で初めて撃沈(空輸中に輸送型を撃墜し、陸上に落ちて動けないところを爆弾を”置いて”爆破)された潜水型ネウロイのモデルがこれ。150m級の潜水型ネウロイは確認された中では最大で、この時以外には見つかってない。
とうことはアクーラちゃんて……