第10話 神道流道場
Side 昴
エリカさんとの情事をサーシャさんに見られた朝・・・そのまま布団を被って現実逃避をしたかった。
けどそういう訳にも行かず、重たい体を何とか動かし皆さんの待つ部屋へと移動した。
そこで待っていたのは、にこにこと嬉しそうな笑顔を浮かべ食事の用意をするサーシャさん。
苦笑いを浮かべるブラウさんとパオロさん・・・そして何食わぬ顔で紅茶を優雅に口に運ぶエリカさんだった。
部屋に入って来た僕に最初に気付いたのはサーシャさんを見守っていた男性陣だった。
2人は僕に歩み寄ると微妙な笑顔を僕に向けながら切り出した。
「・・・おはよう、昴君。」
「お、おはよう・・ございます。」
「いや・・・今朝の事は妻から聞いたよ・・・その・・災難だったね。」
ブラウさんが慰める様に僕の肩を叩く・・・それが何とも居た堪れない感情にさせる。
僕はブラウさんに頭を下げていた。
「すみませんでした・・・まだ結婚前なのに・・・。」
「謝る必要はないよ・・・君の事だ・・・エリカとの婚約を心に決めてくれたんだろう??」
「は、はい・・・そ、その、エ、エリカさんの事を・・・。」
「あぁ、そこまで聞ければ十分だよ・・・これからあの子の事・・よろしく頼むよ。」
最後の言葉には重さがあった。
僕は神殺しとして戦い続ける事が運命付けられている。
という事は、将来的にエリカさんは僕と一緒に危険に晒され続ける事を意味している。
それを分かっているブラウさんの言葉には重さがあった。
僕も彼の思いに真摯に答える為姿勢を正すと、胸を張って答えた。
「僕の全てを賭けて・・・エリカさんを幸せにします。」
「・・・君がエリカの相手で良かったよ。」
そう言うと嬉しそうに表情を綻ばせた。
僕達の間に穏やかな空気が流れた始めた時、背中が柔らかな温もりに包まれた。
後ろから首に腕を回し抱き付いて来たエリカさんだ。
「朝から胸の高鳴る告白・・・とても嬉しかったわ、昴。」
「エ、エリカさん・・・き、聞いてたん・ですか??」
僕の問いの返事の代わりか頬に唇を寄せるエリカさん・・・柔らかい感触に一瞬で顔が赤くなるのを感じる。
そんな僕を見て嬉しそうに微笑みながらエリカさんは耳元で囁いた。
「愛してるわ・・・昴。」
エリカさんからの甘い囁きに頭が真っ白になる。
真っ赤になって動かなくなった僕と、そんな僕に後ろから抱きつくエリカさん。
それをブラウさん達は微笑ましく見守っていた。
「・・・エリカがここまで積極的になるとはなぁ。」
「俺は予想が付いてたよ・・・だって、サーシャの娘だぞ??」
「そうだな・・・サーシャの娘だからな・・・。」
後から聞いた話だけど、エリカさんの積極的な愛情表現の原因は母親であるサーシャさん。
元々愛情表現が豊かだったサーシャさんだったが、娘が生まれてからもその行為は収まる事は無かった。
・・・逆に愛する対象が増えた事で更に積極的に愛を振り撒く様になったと言う。
それを見て育ったエリカさんの愛情表現はサーシャさんに似たのだろうとブラウさんは言っていた。
「その内慣れるだろうけど・・・適度に此方からも相手をしないと後々大変な事になるぞ。」
と言うのはブラウさんからの忠告だ。
以前適当にあしらっていたらかなり酷い目にあったらしい。
忠告をしてくれた時の彼の表情がその時に惨状を物語っていた・・・気を付けよう。
僕がイタリアに来てから数日が経った。
数日の間に結社の幹部に僕の事を話したり、エリカさんとの婚約を結社内で発表したりと色々な事があった。
そう言えば手紙のお礼も言えた・・・お爺ちゃんが亡くなった事を聞いて力になればと送ってくれたらしい。
そんな忙しい日々も終わりを迎え、僕は日本に帰る為、空港に来ていた。
僕の事を見送りに忙しい中ブランデッリ家全員が来てくれていた。
「それじゃあ昴君、何かあったら連絡してきなさい・・・幾らでも力になろう。」
「ありがとうございます、パオロさん・・・その時は頼りにさせて頂きます。
パオロさんも僕で力になれる事があれば呼んで下さい・・・すぐに駆け付けますから。」
『神殺し』にしか対処出来ない事もあるだろう。
今はまだ簡単に動く事は出来ないが、必要に迫られれば必ず力になる覚悟がある。
・・・だってここにいる人達は僕の新しい家族なんだから。
1人胸の内に改めて覚悟を決めていると、1人の女性が近寄って来た。
彼女は切なそうな表情を浮かべ、僕の手を取った。
「昴、折角また会う事が出来たのに・・・また離れ離れになってしまうのね。」
「エリカさん・・・僕だって寂しいです。
折角再開出来たのに・・・婚約者だってわかったのに・・・。」
好きな人と離れ離れになるってこんなに辛い事だったなんて・・・。
ここ数日はずっと一緒に居たから尚更そう思ってしまう。
本当に寂しそうな僕を見てエリカさんの表情は嬉しそうな笑顔に変わった。
でもその時のエリカさんの笑顔が、何処か小悪魔チックな笑顔だった事に僕は気付けなかった。
・・・この数日の間に彼女のその笑顔に何度も騙され、弄ばれたというのに・・・。
「もう、嬉しい事を言ってくれるわね。
私に会えなくなる事がそんなに寂しいの??・・・たった数日の事なのに。」
「はい、寂しいですよ・・・だって・・・・・・・・??」
僕は今自分の耳を疑った・・・今エリカさんは何て言った??
聞き間違えかも知れないという希望を持って聞き返す。
「エ、エリカさん??い、今なんて言いました??
たった数日って聞こえた気が・・・。」
僕の希望は無残に打ち砕かれる。
エリカさんはとてもいい笑顔で僕に告げた。
「聞き間違いなんかじゃないわよ・・・だって、貴方を1人で日本に帰すのは心配だもの。
だから、叔父様達と話し合って私が貴方の騎士として日本に着いて行く事が決まったのよ。」
「えっ!!そ、そんな話、き、聞いてませんよ!!」
「それはそうよ・・・だって昨夜、昴が眠った後で決まった事なんですもの。
それに愛する人と離れ離れ何て寂しいわ・・・これからは2人でもっと愛を確かめ合いましょう。」
エリカさんはそう言いながら僕に顔を近付け頬にキスをする。
周囲に沢山の人がいるこの場でキスされた事により、僕の顔は真っ赤になっている事だろう。
この数日で彼女からのスキンシップにもある程度慣れたが、やはり恥ずかしい物は恥ずかしい。
しかし僕の思いとは裏腹に、僕達を見守っていたパオロさん達は優しく微笑んでいる。
・・・何でこの人達はこんなに寛容なんだ!!
「エ、エリカさん、な、何を!!」
「ふふっ、数日とは言え離れ離れになるのだから・・・ちょっとした挨拶よ。
・・・本当は此処にキス・・したかったんだけどね。」
そう言って僕の唇を人差し指でゆっくりと触れて来た。
その行為と耳元で囁かれた甘い言葉に・・・もう顔から湯気が出そうだ。
「近い内に行くわ、待ってなさい。」
そう言って最後にもう一度頬にキスを落とすとやっと離れてくれた。
その後気付けば飛行機の時間が来て、僕はイタリアを後にした。
僕が日本に帰国して最初に行った事は、一緒に卒業旅行に行った皆に連絡する事だった。
神様と戦った後、僕が目覚めたのは二日後の事。
突然居なくなった僕を皆心配してくれて、結構大きな騒ぎになった。
そこでパオロさん達が魔術等を使って夜に散歩に出た僕が事件に巻き込まれた事にしてくれた。
無事救助されたと伝えたけど、一度も皆とは会えなかったし、心配させたのは事実だ。
滞在日数もあって皆は予定通りに先に帰国。
皆僕の事を気にして旅行を楽しめ無かった筈だ・・・今度何かお詫びをしないと。
無事に帰国した事をメールで知らせると、1時間もしない内に家に皆が来てくれた。
「お前何やってんだよ!!」「勝手な行動するからだよ!!」「自業自得だよ!!」
皆本当に心配してくれたんだろう・・・掛けられた言葉の多くは辛辣な言葉だった。
けど帰り際に「無事に帰って来てくれて・・・本当に良かった」と涙ながらに言ってくれた・・・皆いい奴等だ。
帰国した次の日・・・僕は休んでいた道場を開ける事にした。
この道場は基本的に毎日開いている。
大人の人達は基本的に仕事終わりに寄ってくれるし、学生達は放課後にやって来る。
埃を被っていた道場を綺麗にしていると、早速門下生の人達がやって来た。
春休みで午前中という事もあり、やって来たのは近所に住んでいる小学生から高校生の皆。
今日は小学生が5人と、中学生が1人、高校生が3人の合計9人だ。
いい運動になるとか、集中力が上がるとか・・・この道場の評判は結構いい。
その為小学生の子達は親に連れられて、中学生以上の子達は部活の合間に来てくれたりする。
「皆さん、おはようございます。
今掃除をしてますから、少し待って下さいね。」
「僕達も手伝いますよ!!」
皆が手伝ってくれた事ですぐに掃除を終わらせる事が出来た。
準備が整った事で道場に僕を前に一列に並ぶ。
全員が正座で姿勢を正した事を確認すると口を開いた・・・近くで見守る保護者にも伝わる様に。
「先日この道場の当主であった祖父『神道 統一郎』が亡くなりました。
その為本日より僕『神道 昴』が当主として皆さんを指導する事になります。
若輩者ですがこれから宜しくお願いします。」
床に手を付き、頭を下げる。
夜になったら大人の人達にもやる予定だから、その予行練習だ。
高校生や保護者達は驚いた表情を浮かべていたが、すぐに我に返りいつもの様に礼をする。
「「「宜しくお願いします。」」」
「それじゃあ、早速始めましょうか。」
笑顔を浮かべそう告げると一瞬皆動きを止めたが、すぐに動き始めた。
・・・高校生の女の子の顔が赤かった気がしたけど・・・気の所為かな??
最初は全員で黙祷から・・・『氣』の稽古という訳では無いから気持ちを落ち着かせて集中力を高める。
それが終われば小学生とそれ以上に分かれ稽古を始める。
小学生は受け身や基礎的な動き。
一通り終われば基礎体力作りに鬼ごっこなどをさせて、楽しめる様に工夫している。
逆に中学生以上の子達は運動量を増やす為結構激しい稽古をする。
基本的な動きが終われば、日によって様々だが柔道で言う乱捕りの様な事をしたりもする。
今日は久し振りという事もあって、軽く流す程度に僕が相手をしてあげた。
・・・そう告げた瞬間、皆の顔が引き攣った様な気がしたけど・・・どうしてかな??
稽古も一通り終えると丁度いい時間になっていた。
皆を集めて挨拶をすれば解散だ。
「ありがとうございました。」
「「「ありがとうございました!!」」」
挨拶を終えると子供達は親に連れられ元気に帰って行く。
中学生以上の子達も汗が引くまで僕と軽い雑談をしながら時間を潰す。
今日来ていた人達の中に僕の通う予定の『城楠学院』に通っている人が居たから、色々教えて貰った。
全員を見送ったら僕も自宅まで戻りシャワーを浴びる。
さっぱりした所で昼食を取りながらこれからの事を考える。
僕には残った春休みの間にして置かなくては行けない事が幾つかある。
先ずは高校の入学に向けた準備。
『カンピオーネ』になったからといって学業を疎かにしていい訳では無い。
それに『城楠学院』は進学校だから、しっかり勉強しておかなくちゃいけない。
次に今日、早速開いた道場の事。
お爺ちゃんが亡くなって、これからは僕が『神道流』の当主だからね。
大人の人達も僕が稽古を付けなくちゃいけないから・・・しっかりしなくちゃ!!
それに次いで僕自身の修業の再開。
イタリアに居た間挨拶や話し合いで碌に体を動かす事が出来なかった為、体が鈍ってしまっている。
話に聞いた『神殺し』の『権能』も・・・まだどんな力なのか分かっていない。
だからまずは体を万全な状態まで鍛え上げて置く事に決めている・・・神と戦うのだって基本的に僕自身だしね!!
そしてこれが一番重要だ・・・これから日本で活動するに当たって味方を作る事。
これは日本に帰る前にパオロさん達と話し合って決めた事だ。
パオロさんの執務室に集まって今後の事を相談していた。
この場には僕とエリカさん、パオロさんの3人だけ・・・ブラウ夫妻は急な仕事で席を外していた。
話合いの中でこれだけはという思いを口に出す。
「あの、僕の味方になってくれるのは嬉しいです・・・けど、僕はやっぱり日本で暮したいです。」
皆さんには悪いと思うけど、これだけは譲れない。
だって、お爺ちゃんに任された道場を守らなくちゃいけないから。
僕の言葉にパウロさんは分かっていると言う様に頷いた。
「私達としては此処イタリアに居てくれた方が何かとサポートし易い。
でも、それを我が王は望んでいないんだ・・・ならば王が望む形でサポートするまでだよ。」
「ありがとうございます・・・すみません我が儘を言って・・・。」
「気にする事はないよ・・・王の我が儘を聞く事も私達の仕事みたいな物だ。
・・・それよりも君が『カンピオーネ』として日本で活動するに当たって問題がある。」
我が儘を聞くのが仕事って・・・『神殺し』の人達って我が儘ばかり言っているのかな??
僕はあまり我が儘を言わない様にしよう・・・パオロさん達に迷惑は掛けられない。
そんな事を考えている僕はパオロさんの深刻な声で我に返る。
「・・・問題ですか??」
「日本には既に『草薙 護堂』様がいらっしゃる・・・勝手に動き回れば色々と厄介な事になりかねない。」
「そう言えば、日本にもう1人居るって言っていましたよね??・・・そんなに気難しい方何ですか??」
「いいえ、傍にいる騎士の話を聞く限りじゃ進んで問題を起こす性格ではないわね。
それでも用心するに越した事は無いと思うわ・・・彼の琴線が何処にあるのか分からないんだから。
それに・・・日本の呪術界はヨーロッパとは体系が違うと聞くし・・・。」
「そう何ですか??」
「えぇ、私も詳しくは知らないけど・・・あの国の情報って意外と少ないのよ。」
エリカさんの言葉にパオロさんも頷く。
確かに日本って江戸時代まで鎖国してたし、外に情報を流さない様に情報規制されているのかも。
「そこでだ、君の事を正式に発表するのは日本で活動出来る様に体制を整えてからがいいと思っているんだ。」
「・・・どうすればいいんですか??」
「それは君の味方になってくれる人を作る事だろう。
出来れば後ろ盾になってくれる様な・・・権力を持った人が好ましいね。」
簡単に言うが・・・無理じゃなかろうか。
確かに家の道場に魔術関係者が通っている事は分かっている。
けど、どの人が候補になるのか・・・僕に判断する事が出来ない。
「僕にそんな事が出来るとは思えませんけど・・・。」
「それについては大丈夫よ・・・私に考えがあるから。」
エリカさんの自信あり気な言葉に僕とパオロさんは首を傾げるも、頷いておく。
僕もエリカさんの事は信頼しているので頼る事にしよう。
「ならばこの件に付いてはエリカに任せるとして・・・。
昴君は道場に通っている人の中で、信頼出来る人をピックアップして置いてくれ。」
「わかりました、頑張ります。」
という事で、僕は門下生の人もしくは門下生だった人の中から、信頼出来る人をピックアップする必要がある。
とは言った物の・・・魔術関係者である『氣』を習いに来ていた人達は皆大人の人達だ。
皆さん唯一の子供である僕をいつも可愛がってくれていたけど・・・信頼となると話は変わってくる。
「・・・どうしようかなぁ。」
取り敢えず頻繁に通って来ている人達の中でよく話す人達の名前を紙に書き出して置く。
僕に出来るのは此処までだな・・・後はエリカさんに任せよう。
昼食から2時間・・・腹ごなしに僕自身の稽古をする事にした。
胴着に着替えて道場に向かう。
道場の真ん中で正座をすると、精神統一を始める。
・・・改めて確認してみると『氣』の量が在り得ない程増えてるな・・・。
『神殺し』となってから『氣』の量が増えている事に気付いてはいたが、ちゃんと確認したのは今日が初めてだ。
今迄の『氣』の量がコップ一杯分だったとしたら・・・今は海程の量・・・底が見えない。
思わず全力で『氣』を放出してみたい衝動に駆られたけど、パオロさん達との会話を思い出して何とか抑える。
『神殺し』の『魔力』の質は『神』のそれに近い。
神を殺した事により得た力・・・という事を考えれば当たり前だ。
容易に『魔力』をばら撒くと周囲の『霊気』を刺激して、あらぬ騒動を呼び寄せる可能性がある。
それに特殊な『魔力』である事から、それを敏感に感じられる人も存在する。
今の時点で僕の正体がばれる事は協力してくれているパオロさん達に迷惑になるので我慢する。
気持ちを落ち着かせ、いつも通り自身の『氣』を掌握していく。
量が増えた事でいつも以上に時間は掛かったが、滞りなく作業を済ませる。
精神統一が終わると立ち上がり視線を前に向け・・・構える。
基本的の動きを中心に1時間・・・休憩も取らずに動き続ける。
・・・体を動かしていると、気付いた事がある。
体の調子がいい・・・気持ち悪い程に体がスムーズに動く。
数日間動かなかったから鈍っていると思っていたのに・・・どうしてだ??
疑問も出たが今は考えても仕方がない。
午前中は出来なかった体調の確認も出来たからよしとしよう。
夜にも稽古がある事を考え、今日の所はこの辺で止めて置き、道場を後にした。
夜までの時間は買い物に行ったり、勉強をしたりして時間を潰す。
そして・・・夜の7時を過ぎた辺りになると続々と門下生の人達が道場にやって来た。
男性女性・若い人は20代から上の方になると50代まで・・・20人程の人達が僕の前に正座で座っている。
皆さんそれなりに貫録があるから・・・午前中に比べて緊張が半端じゃない。
「本日より僕『神道 昴』が当主として皆さんを指導する事になります。
若輩者で、至らぬ所が多々あるとは思いますが・・・これから宜しくお願いします。」
「「「お願いします!!」」」
うん、噛まずに言えた!!
その事に嬉しくなりながらも気を敷き締めて彼等に向き直る。
今回の稽古で僕が気を付けなくてはいけない事は唯1つ・・・『神殺し』だと気付かれない事。
使う『氣』を最小限に留め、いつもと変わらない稽古風景に見せる。
量が増えたから『氣』の調整が難しくなったが、そこは僕の努力次第だ。
最初は柔軟・・・その後、基本的な動きに入る。
彼等との稽古は主に『氣』の扱い方を学ぶ事にあるので、そちらに多く時間を割いている。
それと体を疲れさせた方が『氣』の繊細なコントロールは難しくなる。
・・・そう言った理由から、大人の方々には先に体を動かすメニュー作りになっている。
適度に体を動かした後は早速『神道流・精神統一』に入る。
姿勢を正し、心を落ち着かせ、自身に宿る『氣』に意識を向ける。
僕は自分の事に気を付けながらも周囲にも意識を向ける。
「千葉さんは少し体の力を抜いて見ましょう。
五十里さんはもっと体の隅々にまで意識を向けて見て下さい。
・・・皆さん、その調子です。」
お爺ちゃんの言葉を思い出しながら、伝わり易い様に言葉を選び指導を行っていく。
『氣』を扱う事は感覚的な所が大きく、やり方も人それぞれだ。
その為、決まった正解がない事が『氣』を扱う上で最も難しい所である。
「この位にして少し休憩にしましょう・・・皆さん、お疲れ様でした。」
各自掛かった時間はそれぞれだが、全員がある程度『氣』を掌握した事を確認して今日の稽古を終える。
声を掛けた事で全員が深く息を吐く・・・集中力を必要とするだけあって、この稽古は結構きつい。
年配の方は熟練者という事もあって平然としているが、若い方々は額に汗を浮かべている。
彼等の様子を見て僕も安心する・・・良かった、ばれなかったみたいだ。
ただ単に感覚の鋭い人が居なかったのか、それともその人にも気づかれなかったのか・・・。
今の僕には判断出来ないが、兎に角今はばれなかった事を喜ぼう。
この『精神統一』の稽古を終えると時間も遅い為、帰宅する人と残って続ける人に分かれる。
帰宅する人は家に家族が居るとか、体力的に限界のある年配の方だ。
逆に若くて時間もあり、体力もある人達は残ったメンバーで組み手を行う。
今日残ってくれたのは・・・全員20代、男性が3人、女性が2人だ。
「人数が合わないので、誰か一人は僕が相手をしましょう。」
「「「えっ!!」」」
男性の三人が表情を引き攣らせた・・・女性陣はほっとしている様に見える。
僕とやるの嫌なのかな??・・・ちょっとショックだ。
僕の表情が沈んだ事により、彼等は慌て出す。
「どうすんだよ・・・俺達じゃ3人纏めても昴君に敵わねぇぞ。」
「だよな・・・だからってこのままって訳には・・・。」
「・・・わかった・・・俺がやるよ。」
何やら小さな声で話し合っていた彼等だったがその内の1人・・・名前を『市原』と言う青年が前に出た。
僕は市原さんが前に出て来た事に気付いて顔を上げる。
「昴君・・・俺の相手をして貰ってもいいかな??」
「は、はい!!」
除者にされなかった事が嬉しくて思わず元気良く返事をしてしまった。
笑顔を浮かべる僕を見て誰かが「・・・可愛いな」と呟いた声は僕には届かなかった。
という事で早速組み手に入る。
夜に道場に来る人は全員が他の流派を習得している人達だ。
・・・その為最後の組手では様々な流派を見て、勉強する事が出来る。
最初は女性2人の対戦・・・二人は同い年という事もあり仲も良く実力も拮抗している。
5分と言う制限時間の中でどちらも有効打を与える事が出来ず・・・引分けとなった。
次は市原さん以外の男性2人の対戦・・・こちらは同じ会社の先輩後輩の中だ。
実力も先輩の方が上で後輩も善戦したが力及ばず・・・先輩の青年に軍配が上がった。
・・・そして僕と市原さんとの組手が始まる。
僕達は向かい合い礼を取る。
「「宜しくお願いします!!」」
二人同時に頭を上げると構えを取る。
僕は腰を落とし、いつでも動ける体制に・・・市原さんは脚を前後に開き、右手を前に左手を脇に構える。
2人向き合って構え後は合図を待つだけとなった時に・・・僕はスイッチが切替わったかの様に体が軽くなった。
「始め!!」
号令と共に市原さんか僕に向かって駆け出して来る。
いつも以上に動く体とは午後に稽古をした時以上・・・しかも動体視力も格段に良くなっている。
先手必勝で突き出して来た市原さんの拳を最小限の動きで避けると、本能の赴くままに足を振り上げた。
「・・・えっ??」
思わず零れた市原さんの声。
彼の視線の先・・・顎下ギリギリの所に僕の右足が添えられていた。
あっという間の出来事に誰もが言葉を失う・・・それは僕も同様だった。
暫し間を開けて我に返った審判が号令を掛ける。
「・・・そ、それまで!!」
固まっていた僕も我に返り、足を降ろして定位置に戻る。
市原さんも我に返って礼を取った事で今日の稽古は全て終了となった。
稽古終了後・・・僕はお風呂で今日の疲れを取っていた。
あの後興奮して声を掛けて来る彼等を「調子が良かっただけ」と笑って誤魔化した。
とは言え僕としてもあの体のキレは予想外だった。
午後の稽古の時は徐々に動きが良くなる感じだったが、さっきは全然違った。
市原さんと向かい合った時には既に体がベストコンディションになっていた。
この事から推理した僕の考えは・・・戦闘になると体が勝手に最高のコンディションなる・・・だ。
・・・僕は深く溜息を吐く。
反則にも程がある・・・『神殺し』の体がこんなに出鱈目な構造になって居る何て思わなかった。
『神殺し』と呼ばれるだけあって、この体は本当に『対神』仕様に創り替えられて居るんだろう。
これからは『氣』だけでは無くて、『体調』の事にも気を付ける必要がある。
「はぁ・・・。」
溜息を漏らす事も今位は許して欲しい。
最後に精神をごっそり削られた僕は、もう何も考えたくなくてそのまま布団に潜り込んだ。