「ベル、このままじゃ埒が明かないぞ」
「そ、そうですね....」
怪物祭の会場、その近くにある出店が並んだ通りで2人はげんなりしながらそう言った。シルを探して約30分、一向に彼女は見つからない。
「よし、2手に分かれよう。30分後に闘技場の入口前に集合な。それまでに手分けして探すぞ」
「はいっ!」
「よし、それじゃあ......って、あれ?」
さて行こうかというところでクラウドがベルの後ろに目を留めた。鈴のついた髪留めで結ばれたツインテールに、胸の下から両腕までにぐるっと結ばれた青い紐、ヘスティアだ。
「おーいっ、ベル君、クラウド君!」
「え? 神様? どうしてここに!?」
「ふふん、水臭いなぁ。君達に会いたかったからにきまっているじゃないか!」
誇らしげに胸を二重の意味で張るヘスティア。大抵の人にはこれだけで目の毒なんだろうなぁとクラウドは苦笑いしてしまう。と、そこでクラウドはいいことを思いついたと口角を吊り上げる。
「さーてと、それじゃあベル。俺は向こうにシルを探しに行ってくるから、お前はヘスティアと一緒に探してきたらどうだ?」
「「え?」」
ベルとヘスティアは一瞬何のことか分からずにいたが、クラウドがヘスティアにさりげなくアイコンタクトをすると、彼女もどういうことか察したのだろう。パアッと笑顔になって首をブンブン縦に振った。
「そうだね! そうしよう! さあベル君、行っくぞー!!」
ヘスティアは上機嫌でスキップしながら、ベルの手を引いて人混みへと消えていった。ヘスティアもベルと2人でデートを楽しみたいだろうというクラウドなりの気遣いだ。
「楽しんでこいよー」
ヒラヒラと手を振りながら2人を見送り、よし行くかと気を引き締めてベル達とは別の方向へ歩いていった。
■■■■■
クラウド、ベル、ヘスティアがシルを探している、ちょうどその頃の闘技場の地下で『ある出来事』が起きていた。
その場所は怪物祭にて調教されるモンスターの控え室。つまりは多くのモンスターが閉じ込められた檻が配備されていた。
「何をしている、次の演目が始まるぞ!? 何故モンスターを上げない!」
勢いよく扉が開かれ、ガネーシャ・ファミリアの女性団員が部屋に飛び込んできた。次の出番となるモンスターがいくら待っても運ばれてこないため、痺れを切らしてそれを見に来たのだ。
だが、彼女の声に答える者は誰もいない。
「な....お、おいっ、どうした!?」
彼女が目にしたのは力なく倒れている団員の数々だった。何事かと駆け寄って容態を確認する。外傷もなく、息もある。原因はすぐに理解できなかった。
ただ、全員が漏れ無く頬を上気して、息を荒くしている。
「これは......一体なんだ?」
自分の知る限りではこんな症状は見たことがない。彼らはモンスターにやられたのではない。もっと別の....
「動かないで?」
「――ぁ」
不意に、後ろから2つの手が目隠しをしてきた。甘い香りが鼻腔をくすぐり、柔らかい手の感触が伝わってくる。視覚で確認するまでもない。計り知れない『美』が彼女の心を『魅了』していく。途端に意識が朦朧として、思考が遅れていく。
「檻の鍵は、どこ?」
耳元へ囁くように声がかけられた。ぞわっと体が震え、自然と左手が自分の腰につけた鍵の束へと伸び、後ろにいるであろう誰かに手渡す。
「ありがとう」
その言葉が彼女の耳に届いた最後の言葉だった。彼女は地面に膝をつき、ぺたんと倒れこんでしまった。
「ごめんなさいね」
フレイヤはその女性を一瞥し、並べられた檻を眺めた。下界では神は常人と同程度の体力しか持っていない。無論、フレイヤも例外ではない。だが、彼女は他と隔絶した『美』がある。彼女にかかれば何者であっても『魅了』されてしまう。
「....貴方がいいわ」
フレイヤは1つの檻に目をつけた。
真っ白な体毛を全身に生やし、隆起した筋肉をした猿形のモンスター『シルバーバック』
「出てきなさい」
先程手に入れた鍵を使って檻を開く。
シルバーバックはフレイヤに付き従うかのように檻から抜け出す。
何故彼女がこんなことをするのか、それは何とも子供じみた理由だった。
自分が気に入った相手、ベルとこのモンスターを戦わせる。その勇姿を目にするためだ。所謂、イタズラというものだ。
「『あの子』はこれでいいわよね....後は....」
フレイヤはもう1人の相手、銀髪のハーフエルフを思い浮かべながらクスッと笑みをこぼした。
■■■■■
クラウドが何分か闘技場周りを徘徊していると、入口に見知ったハーフエルフのギルド職員がいるのが見えた。
「よう、エイナじゃん」
「あれっ、クラウド君?」
ギルド所属の職員であり、ベルの迷宮探索アドバイザーでもあるハーフエルフの女性、エイナだ。何故ここに、と疑問を抱いたがそういえば怪物祭はギルドが一枚噛んでいるため、その運営をしているのだと思い出す。
「クラウド君も怪物祭を見に来たの?」
「まあ....そんな感じだけど。ちょっと別の用事があってな。灰色....みたいな感じかな、そんな色の髪したヒューマンの女の子見なかったか?」
「うーん、み....てないかなぁ。というか、さっきベル君が聞きに来たけどもしかして同じ人を探してるの?」
「? ベルが来てたのか。じゃああいつもまだか....参ったな」
クラウドはやれやれと息を吐く。こうなったら、今日はダンジョンには行かずにここでのんびり祭り見物をしてもいいかもしれないと思い始めた。そのとき、クラウドの耳に微かなざわめき声が届いた。
「エイナ....何かあったのか?」
「え? 何で?」
「いや....何かザワザワと慌ててる声が聞こえるんだ。会場の歓声とかじゃなくて、まるで
クラウドは目を細めてエイナの後ろ、会場へと続く通路を見た。そこからは大慌てで走ってくるギルド職員の姿が確認できた。
「ほうら、やっぱりか」
「何かあったんですか?」
走ってきたギルド職員は数秒息を整えて、焦った声色で話し始めた。
「モンスターが....地下に閉じ込められていたモンスターが逃げ出した....」
「ほ、ほんとにっ!?」
「ああ、とにかく今は身近な冒険者に応援を頼む!!」
エイナは勢いよく振り向いてクラウドに詰め寄る。クラウドは苦笑いしながらはいはいと返事をする。
「逃げたモンスターの種類と数は?」
「ソードスタッグにトロール、それとシルバーバック....数は9体」
「なら任せろ、俺が全部倒す」
クラウドは腰のホルスターから銃を抜いて、弾倉を確認した。シルバーバックは11階層、ソードスタッグとトロールは20階層以下におけるモンスターだ。クラウドならば簡単に倒すことのできる強さだ。いける、と踵を返して移動しようとする、が
「ん? 何やクラウド、やけに真剣そうな顔しとるやん」
「....ロキ」
朱色の髪をした女神、かつてはクラウドの主神でもあった神物、ロキが振り返った先にいた。その後ろには彼女の眷族のアイズも立っている。
「何でこんなときに....って言いたいとこだけど、丁度良かった。アイズ、頼みがある」
クラウドはこちらを覗き込んでくるロキを左手で押し退け、アイズと目を合わせる。
「何?」
「モンスターが逃げ出したらしい。始末するから、手を貸してくれないか?」
「....うん、わかった」
アイズが快く了承してくれたことにクラウドは笑顔でありがとうと返して、その場を後にした。走っている背後で「アイズたんをたぶらかすなアホォォォォ!!」などという無乳の声が聞こえたが完全に聞き流した。
「さあて....一体何処にいやがる」
銃を右手で握り、何時でも撃てるよう準備してから辺りを見渡す。会場周りの出店の近くではギルド職員による避難活動が進んでおり、多くのヒューマンや亜人が逃げ惑う姿が目に入った。
「さっさと終らせないとな....被害が出る前に」
辺り一体を見渡し、モンスターがいないか確認する。すると、いた。遠く、闘技場の円形の壁の死角となる位置に巨大な影が見えた。尖った耳に大きく筋肉のついた両手足、そして体毛の無い人形モンスター。あれはトロールだ。
トロールもこちらの姿に気付いたのか、慌てて死角に隠れる。逃がすか、とクラウドは走ってトロールを追いかける。
「姿さえ捉えれば、後は一撃で決めてやるよ....」
クラウドがさっきまでトロールのいた地点まで移動したところで、もう一度その姿を探す。
「そっちか!」
クラウドはその場所からすぐ近くにあった闘技場への入口に目をつけた。ここに来るまでほんの10秒程度しか経っていない。あんな大きなモンスターが隠れられる場所などここしかないと踏んだからだ。
入ってすぐの所にあったのは、大きな階段だった。そう、まるでモンスターが出入りできるような大きさの。
「....何か、あんのか」
モンスターの行動が不審に思えた。クラウドが思うに、このモンスターたちは誰かが逃がしたと推理している。怪物祭の許可が下りているのはモンスターの管理が厳重にされているからだ。間違っても、モンスターが自分の力で逃げ出せるような管理の仕方はしていないはずなのだ。故に、これをした誰かがいる。そしてここまで多くの人がいる中でやったのは、モンスターに人々を襲わせるためだろう。
ならば、何故あのモンスターは戻ろうとしているのだろうか。自分達が囚われていたであろう檻のある地下室へ。
クラウドは地下の薄暗い部屋に入った。そこには無造作に開け放たれた檻が幾つも並んでおり、囚われているモンスターは一体もいなかった。
仕方ない、まずはここに来たはずのトロールを探そう、とクラウドは奥へと進む。すると案外あっさりとそのトロールの姿を見つけることができた。クラウドは右手で銃を持ち、照準をトロールの額に合わせ、引き金に指をかける。
「焼き払え【フレイム・テンペスト】」
魔法の詠唱。スキルによって省略した詠唱によって銃の弾丸にその効果が付加される。引き金を引くと深紅の炎を纏った弾丸がトロールの額に吸い込まれ、命中。全身を炎によって焼き尽くされながら、トロールは絶命した。
しかし、クラウドは楽観できなかった。炎に照らされて暗がりに隠れていたはずの『その神物』の姿が目に入ったからである。
「ふふ....こうして直接会うのは初めてかしら?」
「ああ....初めましてだな。御目にかかれて光栄ですよ、
クラウドは明らかに敵対した表情で暗がりにいる黒いドレスを着た女神を睨み付ける。銀色の長い髪に、白皙の肌、美しく整った肢体、どの女神とも一線を画する美貌。間違いない、フレイヤだ。
クラウドは何人か散らばって倒れている人を見る。全員焦点が合わないまま目が泳いでおり、顔は幸せそうに赤くなっている。クラウドにはわかった。アポフィスから聞いた、美の神の使用する能力だと。
「なるほど....この騒ぎはお前の仕業かよ。ガネーシャの所の団員を『魅了』で無力化して、モンスターを逃がしたのか。今のトロールも『魅了』で操って俺を誘導してきたのか?
どういうつもりだよ? 神のお遊びのつもりなら、傍迷惑もいいとこだぜ?」
「それについては気の毒ね。でも、私も気紛れでこんなことはしないわよ?」
「じゃあ何のつもりだ? 場合によっては....」
クラウドは冷たい視線を向けたまま右手をゆっくりと肩の位置まで上げる。丁度目の前の女神を狙う位置まで。
「少し痛い目にあってもらうぜ?」
「随分と攻撃的ね。そういうところも気に入ったわ」
「悪ふざけはやめろ、早く質問に答えてもらおうか」
引き金を引こうとする手に力が入る。目の前にいるのが神であろうと、ましてや美の象徴たるフレイヤであろうと関係ない。そんなことはクラウドにとって理由にはならない。
「貴方のお仲間の子....あの白髪の男の子に悪戯したくなったのよ」
「....ベルのことか?」
「ベル....ふふっ、いい名前ね。教えてくれて嬉しいわ」
「誰かに嬉しく思われてイライラしたのは生まれて初めてだな」
どうも気にくわない。クラウドはハッキリ言って美の神は嫌いだ。彼女たちの子供たちに対する向き合い方は他の神とは違う。自分の見初めた相手を誰彼構わず手に入れようとするような、そんな考え方が。
「はっ....何かと思えば、まさかそんな好きな子に思わずちょっかいをかけたくなったみたいな理由でこんなこと仕出かすとはな。もしこれでベルが死んだらどうしようとか、考えてないのかよ?」
そう、恐らくフレイヤはここに囚われていたモンスターとベルを戦わせ、その姿を見たかったのだろう。しかし、逃げ出したモンスターはどれもベルが敵う相手ではない。一番弱いシルバーバックでも11階層レベルのモンスターなのだ。下手をすればベルが死ぬ可能性も低くない。
だが、クラウドの言葉にフレイヤは笑いながら返した。
「そうかもしれないわね。でも、それでも構わないわ」
「....何を、言ってるんだ?」
クラウドはわからない、と困惑した表情を見せる。自分が気に入った相手なのに、死んでも構わない? クラウドには彼女の言葉が理解できなかった。
「たとえ死んでしまったとしても、天界へ昇る魂を追い掛けてあげる。そして、私が愛してあげればいい」
「....恋愛の本の読み過ぎだな、色ボケ女神」
「ロキも私のことそう呼んでたわよ? 貴方たち仲良いのね」
「関係ないだろ」
ここまで聞いて、クラウドはもはや呆れてしまった。取り合うだけ無駄だ、と銃を下ろす。
「あら、もう行くの?」
「当たり前だろ、ベルを助けに行く。お前の思い通りにはさせないからな」
フレイヤがベルにモンスターをけしかけたことが判明した以上、ここにいる理由はない。一刻も早くベルの元へ向かって思惑を阻止しなければ。
だが、地上へ続く階段へと足を踏み出したクラウドに後ろから声を投げかけられた。
「ごめんなさいね、貴方の勇姿も見せてもらえるかしら?」
フレイヤの声が届くと同時に目の前の階段に亀裂が走り、階段の上から瓦礫が崩れ落ちてくる。
誰かが階段を上から破壊したのだ。だが、こんなことが簡単に出来るのは第一級冒険者に違いない。一体誰が――
「久しいな。8年振りか、クラウド」
「......ッ!!」
低い男の声。だがこの声には聞き覚えがある。かつて1度だけ銃を撃ち、剣を振るわれた因縁の男の声だ。
「ああ、流石にこうしてまた会うとは思ってなかったけどな。元気みたいだな、オッタル」
冷や汗を流しながら、強気な姿勢で目の前の煙から出てきた男に返事をした。
猪の耳をした獣人――
正直に言って、クラウドが一番相手にしたくない冒険者であり、なおかつ8年前に引き分けたという過去を持つ相手でもある。
フレイヤ・ファミリア首領にして、オラリオ唯一のLv.7。最強の冒険者、【
「何の用だ? 俺には外に出て大事な仲間を助けに行かないといけないっていう、大事な大事な用事があるんだけどなぁ?」
「それは知っている。だからこうして出口を壊したのだ。今お前に邪魔をされては困るからな」
「......っ、わっかんねぇヤツだな。ここで大人しく退けば痛い目に遭わずに済むって言ってんだぜ?」
少々動揺しながらクラウドはオッタルを見上げて挑発してみる。だが、そんなものは彼には通用しなかった。
「抜かせ。今の俺と戦って、お前が無事で済むはずがないだろう。それに....」
オッタルはそこで言葉を区切り、背中に掛けた2本の大剣の内1本を抜く。
「俺がフレイヤ様から授かった役目はお前と戦うことだ。故に、ここで退くなど有り得ない」
オッタルのその言葉を聞いた途端、クラウドは後ろに未だ立っているフレイヤの方を振り返る。
「何の真似だ? 笑えねぇ冗談はやめろよ」
「冗談ではないわ....そう、もう気づいているんでしょう? 私は貴方も好きなのよ、愛しているわ。でも....」
フレイヤは不敵な笑みをしたまま右手の人差し指を自分の唇に添える。
「貴方には、秘密がある。私にも知り得ることのできない秘密が。だから、知りたくなってしまったのよ。
好きな相手のことを知りたくなってしまうのは当然のことだと思わない?」
「....もうちょっと限度を考えろ、アホ」
とは言え、もう四の五の言ってはいられない。地上への出口は塞がれた。ならここから闘技場内へ続く通路がこの部屋にはあるはずだ。オッタルを倒して、そこから脱出するしかない。
冗談抜きで、最強との戦い。本気で戦っても勝てる保証は無い。だが、それでも勝たなければならない。
「かかってこいよオッタル。自分だけが強くなったと思ったら大間違いだってことを分からせてやるよ」
その言葉に目の前の猪人は微かな笑みを作ると、堂々と声を上げた。
「そんなことは百も承知だ。全力で行くぞ」