「はぁ……」
織斑一夏は自分でも気付かぬ内に深い溜め息を吐いていた。
針の
その無言の圧力と称するに相応しい無数の目を、無遠慮に精神力を削られながら耐え忍ぶ。
「女子生徒が多いだけ」と高を括っていた過去の見込みの甘さを、彼は無理矢理支払わされている気分であった。
(……けどまぁ、俺の席がここでよかった……)
だが、その中にあって救いはあった。
一般的な学校の生徒であれば大多数が望まない教卓前。教室最前列の中央席。彼が座るのは不良生徒が教師とメンチを切り合える座席だった。
(……今日は熟睡出来そうだな、ハハ……)
心配事が1つなくなった事で、枕を高くして眠られる。そう思うと嬉しくもあり、そう思わざるを得ない事に悲しくもなる。授業開始前の午前にして、彼は既に諦観混じりの苦笑を零す。
内なる一夏を確認出来れば、きっとその目は光を失い、死に瀕している事だろう。現実の彼でさえ二次元で描かれる理想と体感しているリアルとの乖離に折れかけているのだ。最も感情が剥き出しとなる心では寝込んでいるに違いない。
そんな彼の内心など露知らず、挟むように座った両隣の女子生徒が一夏の悩ましい苦笑に興奮する。
互いに目配せをして「かっこよくない!?」「うん、かっこいい!!」と以心伝心。握った手を勢いよく上下して、体全体で
訝しげに一夏が眉根を寄せるも彼女等が気にした様子は一切ない。事実、互いに脳裏に焼き付けたレアショットの出来の良さを共感する為、ちょっとしたトリップに浸っていた。
(女子ってやっぱりよく分からん……)
「うーん……」と唸って彼は窓の方へ視線を向ける。
教室の女子全員に言える事だが、先程から飽きずに、その中でも乗せる色の異なる視線をくれる者が1人。
騎手が丁寧に毛繕いした馬の尻尾のように
背後に鬼気迫る澱みが立ち昇っているように見えるのは、決して彼女の髪に結われたリボンを見間違えたからではないだろう。彼にのみ視認出来る何らかの非実体物質が立ち込める。
(いきなり恨み買われるような事した覚えないぞ……、にしても……)
辟易した中で、しかし頭の片隅に何かが引っ掛かる。
一瞬とも呼べる短時間の確認で捉えた顔立ちは、何処か見覚えのあるものだった。
魚の小骨が喉に引っ掛かるような違和感を覚えながら、頭を悩ませる事に埒が明かないと中断しようとした──丁度その時、滑らかに教室の引き戸が開かれ、1人の生徒が入室した。
「ん……」
風邪でもひいているのか保健室で貰えるような白いマスクをした女子生徒は、自分の席を探して教室をぐるりと見渡す。
だが、そこにはまだ空きがある。自分が何処に座れば良いのか分からなかったのだろう、入り口に近い座席に近付き、相変わらず視線を一夏に釘付けにした生徒の机を指で叩いた。
「うん……? え? あ、どうした、の?」
トントン、と微振動を感じ見上げた彼女。その目と交錯したのは、伸びた前髪の間から見下ろす熱を感じさせない眼差しだった。
冷たい、というのではない。これまで有り得なかった男子がいるのに、その焦げ茶色の瞳に何の感動も浮かばせていないのだ。
だが、敢えて何らかの感情を読み取ろうとするのなら、それは「馴れ」であろうか。
別段女子校と銘打っていない以上、男子も女子もいて当たり前。特別
「席はどうなってる?」
ハスキーな声で坦々と。不思議と安心感のある声音で紡がれた。
その際、しっかり伝えんと引き下げられたマスクから完成された顔立ちが
長い睫毛を備えた切れ長の
IS操縦者は軍事利用の印象を和らげるという名目でもあるのか、時にアイドルとして活動する者もいる。白マスクの彼女は、そんな彼女等に負けず劣らずの端整な顔立ちの持ち主だった。
「び──っ!?」
慌てて、尋ねられた彼女は口を押さえた。勢いのまま放とうとした言葉を手で押し返し、ゴクリと飲む。
しかし、耐えられたのは彼女だけ。
ある種の無音で占められていた空間に、唯一響いた音を無視出来る者はいなかった。
自然と移ろう興味。一応顔だけ確認して、また唯一の男子生徒の観察に戻ろうと皆が目を向け、
「び、美人さんだぁ……!?」
辛抱堪らず誰かが言った。
最適な位置に最適な形状のパーツが並ぶ、
教室内の彼女等にとって羨まずにはいられない容貌だった。それが喩え、胸部に何ら
「『美人』、か。それはありがとう、かな?」
「美人」と言った女子に向けて仄かににこっと。微笑を浮かべて礼を述べる。そして途中でその返答で良いのか戸惑い、苦笑に変えて小首を傾げた。
一斉にわなわなと震える生徒達。
そうして次の瞬間、
「「「きゃぁぁぁぁああああっっ!!!!」」」
窓ガラスを震わす勢いで、黄色い声で絶叫した。
叫ばれた当の本人はビクッと肩を跳ねさせ、ぱちくりと目を
状況が飲み込めていない以上、至極適当な反応であった。
「格ぁ好ッいいっ!!」
「でも可愛い!!」
「お姉さまって感じ!!」
きゃいきゃいと一気に教室が賑わう。
先程まで席巻していた獲物を狩るような空気は何処へ行ったというのか。アイドルに恋する少女相応の熱気に、白マスクの彼女は
「けほっ……、……それで、席は?」
「あぁっ、ごめんっ!! えと、名前は?」
「名前? 名前は──」
「おい渡辺、いつまでそうしているつもりだ。さっさと席に付け。貴様等も静かにしろ」
「──ぅっ……」
名乗ろうとした瞬間、その頭にポスンと出席簿の平たい面が落とされた。顎を下げさせる程度の衝撃に言葉が詰まる。
その状況を構築したのは織斑千冬。スーツの似合う長身で、渡辺と呼ばれた生徒と違って女性的な起伏に富んだ肉体の持ち主。織斑一夏の姉にして、出席簿を凶器に変えるという特異な
彼女の性格は厳格。鬼と呼ばれる程で、規律に厳しい女性である。
「席が分からんのなら前を見ろ。視野が狭くては操縦者として生き残れんぞ」
お叱りを受け、渡辺は振り返る。ホログラム電子ボードの右隅にA4サイズで座席表が写っているのを彼女は認めた。
「あ、確かに。えと、1番後ろか……」
「分かったなら座れ、HRを始める」
確認を終えたところで着席を促され、第1回
この時、この場に織斑千冬がそれを指摘しなかった事を疑問に思う者はいなかった。
誰なんだ渡辺。