自分が殺した竜が倒れた目の前で、彼は立ち尽くしていた。
竜に突き刺さっていた刀は竜の姿が光となって消えることで地面に落ちた。だが、彼はそれを拾うこともせず、竜が姿を変えた光を見詰めていた。
かと思えば片腕を光へと伸ばす。
光は誘われるようにリュウキの手元に集まり、彼の体の中へと取り込まれていった。直後、彼の体は倒れた。
今度こそ駆け寄り、名前を呼んだ。リュウキ。
目を開けないが、呼吸はしている。血も見えない。
ジュディスに手伝ってもらって彼を担いで船に向かうと、レイヴンが慌てて出てきてリュウキを受け取って医務室へと運んでいった。
疲労でしょう。命に別状はありませんよ。
アニーの言葉にカノンノは安堵の溜息をついた。
彼らしいというのか。リュウキは翌日、誰も起きていない早朝の時間に医務室を抜けだした。
目指したのは展望室。空だけは、変わらない。あの場所も、ここも。どちらも彼女が好きだった空だ。彼女の力を取り込んだ右腕を見やり、目を細めた。
――ボクに出来るのは、これだけ。
結局最期まで、助けられた。
カタリ、と物音がして振り返った。
桃色の髪の少女がスケッチブックを抱えたまま、驚いていた。
カノンノ。声をかけると彼女は笑った。
「良かった……、生きてて、本当に」
泣きそうな顔をしていた。
俺なんかのために? 見ず知らずの世界から来た俺のために?
物の力を読み取る彼女に手がかりは残していっただろう。自分が白い竜を思っていることも、この世界を割と軽視していることも。伝わっているはずだろう?
「つらいなら力になるから、お願い」
居なくならないで。
ついに、泣いてしまった彼女。
立ち上がって片手を伸ばした。触った髪は柔らかく、心地が良い。
「ありがとう、カノンノ」
「ぇ?」
か細い、掠れた声。カノンノは泣きそうになるのを必死に堪えながら、リュウキを見上げた。
彼はまっすぐに紫色の瞳をカノンノへと向け、笑う。
「ありがとう。君が俺の味方で居てくれたから、俺はここに居られたんだろう」
「リュウキ?」
「……疑う気も削がれたよ。君みたいなお人好し、早々居ない。ありがとう、彼女を、竜と戦ってくれて。君のことだ。俺を想ってくれたんだろう?」
流暢に話す彼が、目の前に居る。
涙も消えた。驚きに彼を見上げたまま。
「彼女が最期にくれたんだ。この世界における最低限の知識を。やっと話せたね」
思わず両手を広げ目の前の姿に抱きついた。
やっと、やっと話ができた。
「リュウキ! いっぱい、いっぱい聞きたいことがあるの」
「……そうだね。彼女たちもだろう、アンジュに、挨拶しないとね」
喜ぶ彼女とは反対に、リュウキは困ったように目を細めた。
アンジュはリュウキを疑っている。それはカノンノも知っている。話せるようになったならばギルドのリーダーアンジュに挨拶に行くのが筋だろう。お世話になっています、と。
そうなれば自分の素性も合わせて説明しなければならない。
自分を殺そうとした人間も居るこの船で、更に自分の状況を悪化させるような事をしなければいけない。
カノンノは嬉しそうに笑っている。
それでも、話せることは嬉しい。リュウキはきっと悪い人ではないから。話せばアンジュもわかってくれる。そう思っているから。
「アンジュはそろそろ起きてくるだろう。……一緒にカウンターまで行ってくれるかい?」
カノンノが差し出されたその手を取らない理由は無い。
流暢に話しながらクエストカウンターにやってきた二人を見て、アンジュは大層驚いていた。またもリュウキが居なくなったとアニーが走り去っていったばかりだということもあったが、それよりも。
リュウキがこちらの言葉を話していたから。
隠していたのか、という疑念はすぐに消えた。だとしたら今、目の前で話していることの理由がない。
話せるようになった。何かがあって。このタイミングで。
「改めまして、藤野リュウキと申します。こちらではリュウキ・藤野と言った方が正しいかな」
人の良い笑みを浮かべる彼は普段と何ら変わらない。
ただ、話しかけているだけだ。
慌てて自己紹介を返すと困ったように、もう知っていますよ、と返された。そうだ、名前は既に知っているはずだった。彼が名乗ったのは自分にその状況を伝えるためで。
話をするためだ。
気を引き締めて話せるようになってよかったわ、そう返した。すると彼は意図を察したのか、カノンノへ話があるから、と告げる。
カノンノは不満げにしながらもロックスたちに伝えてくると走り去っていった。カノンノが戻ってくるまでにあまり長い時間はない。
目を戻せば彼は困ったように笑っている。
「アンジュさん、実のところを言うとね。聞き出したいことがあるのは俺も同じなんだ」
医務室で自分を殺そうとした妙に無愛想な男のことも、子供を魔物と戦わせる集団のこと。この世界のこと、今までにあったこと、船員のこと、色々。
「だけど、聞かないよ。少なくとも貴女は俺よりも今の状況を知っているのだろう。俺も『善人』ではない。聞き出す術なら幾つもある。だけどそれをするには、あの子たちに世話になりすぎた。……ふ、何も知らない無邪気ほど怖い物はないと思い知ったよ」
笑っているのは表情だけだと心から痛感する。背中に這い登る冷たさをなんと表現したら良いのだろうか。恐怖。だろうか。
恐怖とはそんなものだっただろうか?
「しばらく、互いに不干渉といきましょう。……隠れて話を聞いている貴方もね。悪いが、貴方の今の実力が『あの程度』なら、俺は人質を取らずとも貴方がたに勝てると思いますよ」
彼はまるで。
「リュウキ!」
冷えきった空気を壊す明るい声。駆け込んできた少女に、リュウキは笑ってみせた。人の良い笑顔。先ほどの言葉などウソのようにすら思える。
「ああおかえり、カノンノ。そんなに走らなくてもいいだろ」
「ロックスがね、お話したいって!」
「ああ、行くよ。どのみち挨拶回りはしたかったんだ」
何もなかっただろう?
一瞬、アンジュの元に寄せられた視線にはそんな意味があった気がする。
食堂に入ったリュウキを見つけたのは朝食の準備をするロックスだった。手に持った食材を抱えるようにして、こんにちは、と言う。
さっきの話を聞いていたのか?
リュウキはわざとらしい程に優しげな顔をして見せると背を向けられる。これは驚きだ。リュウキは笑みを浮かべたままロックスと同じように朝食の準備をするクレアへと歩み寄る。
「手伝おうか、下準備くらいなら出来るよ」
「あらリュウキさん。助かります」
さして驚きもせず、いつもと変わらない様子でクレアはリュウキへ手伝いのための食材を渡す。負けじとカノンノも手伝うと行って隣へと駆け込んでくる。
本当に、ただ無邪気な。
無害な無邪気な子供は遊んでいるべきだという考えが第一に在る。その考えを守るために俺たちは命をかけることを良しとした。
子どもたちを護るために剣を取ったと言っても良い。
この世界ではそれがない。子供すら自分を、誰かを護るために戦う。子供はただ、自分の夢のために一心に、そして無邪気に生きるべきだ。そう思っている。
野菜を言われたとおりに切り分けてクレアへ渡せばクレアが鍋の中に入れて火をかける。隣ではカノンノがリュウキの真似をして野菜を切っている。
まるで。
「カノンノ、……答えたくないなら良いが、親は居ないのか」
「あ、うん。小さい頃にね、亡くなったんだって。顔も覚えてないくらいなんだ、覚えてるのはロックスと一緒にアンジュの教会でお世話になってたの」
ふうん、と敢えて興味なさげに答えるとカノンノの向こう側でロックスが表情を歪ませている。知っているのだろう。きっと何もかも。
こんな世界だ。親を亡くした子供も居るのだろう。
それを、少なくするために。せめて親を亡くした子どもたちは幸せになれるようにするのが。
不揃いな野菜を見て、クレアは笑った。
(2016/09/28 22:57:01)