望まず望まれた光   作:つきしろ

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第2話

 

 カノンノが目覚めた時、男はまだ眠っていた。まだ息をしていることに安心するとお腹が減る。アニーに男のことを伝えて食堂に向かった。早朝の食堂では食事を担当するクレアと、自分の世話をしてくれている空飛ぶぬいぐるみのような大事な者がようやくご飯を食べにやってきたのかと安堵の表情を浮かべて早い朝ごはんを用意する。

 

 手を合わせて、いただきます。

 

 近くを飛んでいるロックスに昨日あったことを説明すると彼は危ない人だったらどうするのか、とカノンノを叱る。カノンノは眉根を寄せ、頬をふくらませる。

 

 彼は気を失っていたし、そんな人じゃないよ。反論をして驚く。何故そんなことを確信している? 話したこともない相手に。

 

「彼は――」

 

 大丈夫だよ。

 

 カノンノの言葉を遮って、誰かが食堂へと駆け込んできた。

 

 アニーだった。

 

 まさか。と、カノンノの脳裏に眠ったままの男がよぎる。まさかあのまま。

 

「カノンノさん、あの男の人の目が覚めて……治療しようとしたんですけれど」

 

 口の中に残っていた食べ物を飲み込んでアニーに向き直る。いつも真面目に、穏やかに微笑む彼女が眉根を寄せて困った顔をしている。助けを求めるような顔だ。彼女がそんな顔をするのは、珍しい。

 

 それほどに緊急事態なのだ。

 

 彼がどうしたの。敢えて冷静に聞くとアニーも平静を取り戻し、一度大きく息を吐き出す。そうして落ち着いた彼女が語ったのはつい先程の出来事で今も続いているであろう惨状。

 

 つい先程、眠っていた男が目を覚ました。容体も落ち着いていて、本人も困惑はしていたが状況を理解しているのかアニーが治療道具をもって近付いても警戒こそしても、拒絶はしなかった。だから安心して背を向けて作業をしようとした。誰かが医務室に入ってきても背を向けたまま作業をしていた。

 

 だから何故そうなったのかは分からない。

 

 どちらからやり始めたのかも分からない。

 

 けれど、彼らは本気で互いを傷つけようとしていた。

 

 落ちてきた男と、彼女たちの仲間であるはずのクラトスが本気で、組み合っていた。ふざけているようには見えなかった。

 

 どちらも、本気で。

 

 カノンノはアニーの言葉を最後まで聞かず走りだした。

 

 彼の目が覚めたのにどうして。

 

 医務室の扉の前に立つと扉が自動で開き、扉の前に立つクラトスの背中が大きく見える。クラトスが右手に掲げた雷の槍も、包帯だらけの男が苦しそうに片手で腹部を押さえているのも、とても良く見える。

 

 思うよりも早く体が動く。

 

 気づけばカノンノは二人の間に割って入り、臙脂色の髪を持つ男に背を向けて両手を広げた。

 

 まるで、男をかばうかのように。

 

「カノンノ!?」

 

 クラトスの手から既に放たれた雷の槍を止める術など持っていない。

 

 ただカノンノが感じたのは後から力強く引かれたことと、暖かさが自分を包んだことだけ。

 

 雷の落ちる轟音が耳を揺らす。目の前は何故か暗く。そして暖かい。

 

「――、―――」

 

 不思議な言葉に顔をあげると紫色の光と目が合った。

 

 彼はカノンノの無事を見ると安堵したように目を細め、わずかに笑ってみせた。

 

 肩を片手で強く抱かれ、自分に抱きつかせるようにしている男の片手はクラトスへと向けられている。その手の先には光る方陣。

 

 護ってくれた。

 

 雷の槍が来る前にカノンノの体を自分の方へと引き寄せて防御魔法を展開、身を守ってくれたのだろう。

 

「ありがとう、えっと」

 

 体を離すと男は手を離し、カノンノから一歩距離を取った。長い髪が揺れる。

 

 深い紫色を宿した瞳はカノンノを見下ろしている。綺麗だな。なんて。

 

 男の顔ばかり見ていたカノンノは気付かなかった。彼の腹部から再び赤い液体が流れだしていること。彼の足元がおぼつかないこと。

 

 背後のクラトスがいつも以上に神妙な顔をしていること。

 

「クラトスさん、もう出て行ってもらえますか?」

 

 カノンノの後を追ってきたアニーが事態が落ち着いているところを見てクラトスの前に歩み出て睨みつける。

 

 カノンノがアニーが振り返った隙に男は壁に背中を預け、溜息をつく。アニーが駆け寄ると彼は困ったように眉を寄せる。包帯を変えたいので座ってください。

 

 近くの椅子を指すと彼は大人しく座る。

 

「アニーさん、その、この人言葉は……」

 

「話せない、みたいです。こちらの言うこともサッパリ分からないらしくて。こうして動作でなんとなく、しか分からないんです」

 

 腹部の包帯を外していくと顕になる傷口。傷口から包帯が剥がれる時、痛みがあるのか彼は眉を寄せた。

 

 アニーの手付きを眺めてはいるが抵抗や拒絶の意思は見えない。何故クラトスと組み合っていたのか。真実を知っているであろうクラトスは既にアニーの言葉で外に追い出され、重傷の男は言葉が通じない。

 

 汚れた包帯を取り替えたアニーは手を洗いに行き、立ったままのカノンノと座ったままの男が向き合う形で残される。

 

 男は一息つくと目の前のカノンノに目をやる。彼も言葉が通じないことは承知しているのか一言も話さない。

 

 どうにも居た堪らないカノンノは咄嗟にありがとうございます、と頭を下げた。

 

 頭を上げると男は首を傾げていた。何をされているのか、お礼なのか謝罪なのか挨拶なのか、決めかねているのだろう。

 

 カノンノは扉を指さした後、クラトスの真似をして片手を掲げて、振り下ろした。助けてくれてありがとうございます。そういう意味であることが伝わるように。

 

 男はカノンノの意図することに気付くと小さく首を振った。

 

 言葉が無くては、これ以上対話は出来ない。

 

 男は不意に片手を開いて掌を天井へ向け、もう片方の手を箸をつかむような形にすると掌の上で動かした。不規則で、流れるような動きはカノンノにとって親しみやすい動作。

 

「紙と、書く物? 分かった、待ってて!」

 

 男に頼み事をされるのが嬉しく、また面白い。自分のスケッチブックを持ってきたら彼は何を書くのだろう。

 

 スケッチブックとペンをいくつか抱えたカノンノが医務室に戻ると宙に浮いたロックスがベッドに座る男へ何かを差し出しているところだった。器に入った湯気の出るそれはきっとお粥か何かだろう。

 

 ロックスが振り返った背後でカノンノを見つけた男が笑う。安堵するような笑みに彼も不安なんだ、とカノンノも笑い返して手の中のスケッチブックとペンを彼の前に広げた。

 

 男はペンを動かすと角張った細い記号をいくつかスケッチブックに書き込む。暗号、図形。短く二つに区切られた記号を書き終えて、男はペン先で自分の胸を指す。その動作をカノンノが確認したことを見て、ペン先は再び記号へ落ちる。

 

 意味が分からない。

 

「もしかしたら、この方の名前、でしょうか」

 

 ロックスの言葉にカノンノはなるほど、と納得する。けれどスケッチブックの上の記号に見覚えは無い。

 

 カノンノは余っているペンを手に取り男の書いた記号の下に自分の名前を書き付ける。彼にとっては記号だろうか。

 

「これ、私の名前。カノンノ・グラスバレーだよ」

 

 名前の文字をなぞりながら言うと彼は一度頷き、自分の記号をなぞる。

 

「りゅ--き」

 

 聞き取りにくい、が、彼は続けて同じ言葉を発する。

 

「リュウ、キ?」

 

 ようやく聞き取れた部分を口にすると彼は大きく頷く。

 

「リュウキ。あのね、私はカノンノ。カ ノ ン ノ」

 

 聞き取りやすく、伝わるよう。

 

 三度ほど同じ言葉を繰り返した。

 

「カノンノ?」

 

 男、リュウキの言葉にカノンノは大きく頷いた。そう、それが私の名前。

 

「カノンノ、」

 

 確かめるように彼女の名前を呼んだリュウキは新たにスケッチブックの白紙のページを開くとペンで何かを書き始めた。

 

 簡単に、だが、精巧な地図。

 

 広い海に浮かぶ大陸、島々、大きな山に川、池。目の前につくられていく世界。

 

 この世界、ルミナシアでは見る事の出来ない世界。

 

 リュウキはその中でも小さな島にバツ印を打つと矢印を繋げる。矢印の元となる場所に書かれたのは先ほど別のページに書いていリュウキの名前。

 

「ここに、居たの?」

 

「……ボクは、この世界の地図を持ってきますね」

 

 お粥を手に持ったままロックスが医務室を出るとリュウキが首を傾げた。知ってる? カノンノは首を振る。こんな地図すら、見たことない。

 

「カノンノさん、ごめんなさい。まだこの人そんなに体力無いから今日はもう休ませたいんです」

 

 アニーの声にカノンノは慌てて謝り医務室の扉へと駆けた。お邪魔しました。最後に振り返って見ると男はひらひらと、カノンノに向けて手を振っていた。

 

 やっぱり悪い人には思えないよ。

 

 ルミナシアの地図を片手に戻ってきたロックスへ向けてそう呟くと彼も同調するようにそうですね、と言った。

 

 

 あんな風に笑える人が、悪い人なはずない。

 

(2015/10/04 00:02:02)


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