「……ヒトではないと、お見受けする」
その言葉に、カイウスは反応する。正確には聞いたことのある声に。
「ええそうね、私は氷の大精霊セルシウス。はじめまして、と言うべきかしら」
「はじめまして。そして、先ほどの言葉は撤回願いたい。俺には記憶がある。恐怖も無いような恐ろしい存在では無いのでね」
淡白な言葉。知る姿からかけ離れているからかエミルは首を傾げ、カイウスは食い入るようにリュウキとシュヴァーンを見ている。沈黙を守れないのはいつだって、レイヴンだった。
お久しぶりね、と言ってヒラリと片手を振った彼はエミルたちに近寄る。リュウキがバンエルティア号に戻るにしろ戻らないにしろ、レイヴンは彼らに伝えることがある。エミルへ一枚の紙を渡し、リーダーによろしくね、と笑った彼はまたリュウキの背後へと戻る。
未だ沈黙を守り、何も話さないリュウキは小さくため息をつく。
「俺は確かに違う世界の人であり、この世界では異質だろう。だからといって役目を終えたら消えてなくなる存在扱いは御免被りたい」
「いいえ。撤回はしないわ。アナタはディセンダー。弱った世界樹がようやく呼び出した異世界の救世主」
リュウキ。シュヴァーンに名前を呼ばれてリュウキは片手に込めていた力を抜く。
斬り捨てそうだった。
勝手なことを言う人ならざる何かを。
少年たちの前で人型の物を切り捨てられない。そう、自分に言い聞かせて向き直る。セルシウスに付き従う男は既にいつでも武器を抜けるように構えている。
事を構えてもいい。少年たちが居なければ。
監視の男と本気で斬り合える。それはむしろ素敵な出来事。
だがそれよりも優先すべき『言葉』がある。多少なり守る力があるならば『女子供を傷付けるな』という絶対の言葉。
誰よりも大事な。
だが。
自分からその大事を奪ったのは?
リュウキの纏う雰囲気の変化に気付いたのはセルシウス、彼女に付き従う男、そしてシュヴァーン。
リュウキと女性の間にシュヴァーンは歩いて入り、リュウキに向かう。リュウキ。名を呼ぶが彼の『いつもの』雰囲気に戻らない。
自分が最も大事なものを奪ったものの眷族らしいモノを、ただ享受するなんてことはしたことがない。リュウキにはそんなことができない。
右手が、剣へ伸びる。
「リュウキ……?」
だが、か細い声が彼を呼び止めた。
右手の力は消え、リュウキはその気配に気付かなかったことに驚いた。決して気配を消しきっていたわけではない。足音も聞こえる。
「カノンノ」
ただ、それ以上に慣れてしまったというのか。
振り返った先で、泣きそうに嬉しそうに笑う彼女の存在に。
パタパタと走り寄る姿に右手の力は抜けてしまう。殺しては、傷つけてはならない恩人。駆け寄り差し出された手に、自分の手を返す。無事で良かった。カノンノの言葉に笑いかえす。
変えたはずの姿に騙されることは微塵もなく、剣を抜くなんて思いもしない。
紅い髪飾りをしたこの子は。
全く似ていないのに、彼女を思い起こさせる。
「戻って、くる……?」
不安そうな彼女に否定は返せず、背後からの痛いくらいの警戒心を受けながら彼は一つ頷いた。
バンエルティア号に戻り、彼を迎えたのは酷く不機嫌そうなリーダーと酷く心配そうな顔をしたロックスだった。
「いったいなにを「リュウキさん!出て行くなら一言くらいください!」……無断な行動をされると「もう、食事をつくる人数も間違えてしまって」」
わざとなのか天然なのか。リーダーの言葉はことごとくロックスに遮られる。
ふ、と笑うとロックスは落ち着いて話すためにと理由付けし、ウィッグを外し髪の短くなっただけのリュウキを食堂へと引っ張った。カノンノはそのすぐあとに付き、ホールにはリーダーとレイヴンだけが残る。
「助かったよ。助けられるほど何をした覚えはないがな」
前を飛ぶロックスにだけ聞こえるような声で言うと前からは大きくため息が返ってくる。
「何はともあれ、おかえりなさい」
ただいま、と返すことはなくリュウキはただ食事の用意された机にカノンノと座った。
「ねえリュウキ、今度はどこへ行っていたの?」
「情報収集だよ。ラザリスのね。と言っても……、結果はそんなに得られなかったかな」
ラザリスの居所は不定期に変わり、捉えることはほぼ出来ない。独自の魔物らしきものを生み出そうとしている噂はあるがそれが人を触媒にした物なのか、全く別の物なのかは分からない。暁の従者はラザリスに良いように使われているようだ。もちろん、彼らはラザリスをディセンダーとして崇めているからこそ反抗などない。
だからこそ、傭兵を続けていたが。
カノンノを見やれば心配そうな顔をしている。思わずリュウキは笑う。自分がディセンダーと呼ばれたこともわかっていながら、彼女はリュウキを心配している。他の何者でもない、彼自身を。
そんな優しすぎる恩人だから、裏切る事ができないのだろう。姿を消し、逃げることはできたとしても。そういう意味では何よりも恐ろしい存在なのかもしれない。
「カノンノ、絵は順調?」
彼女は不思議な絵を描く。まるで、この世ではないような風景画であったり、見知らぬ人の人物画。その絵が実際の風景かどうかを信じるわけではなく、だが、そんな絵を見るのは好きだった。
カノンノもまた、誰も興味すら示さない絵を見てもらえるのが嬉しく、今もまたスケッチブックを持ってくると言って駆けていった。
残されたのはロックスとリュウキ。
「変わってないんだな、本当に」
「ええ……、あ、でも。人がまた増えたんですよ。ライマの王族と教育係だそうで」
「変わらず、変な船だなあ。王族なんて抱え込んだら――危険だろうに」
不意に後ろを見やった視界の先で食堂の扉が開く。リュウキにとって見たことがない男が立っていた。鍛え上げているのだろう、体格が良い。だが、王族とは思えない。ということは教育係の方なのか。
立ち上がり、はじめまして、と声をかければ向こうの男もはじめまして、と笑う。
「ヴァン・グランツと申します。暁の従者が落ち着くまで厄介になっています」
「はじめましてヴァンさん、俺はリュウキ。そうかしこまらずとも。本来そうあるべきは俺の方だ。俺も厄介になっている身でね」
それどころか厄介者か。
「ああ、先程聞いた。腕が立つようで」
リュウキは一人で納得する。
この人は出来る人だ。手放しに信用は寄せず、だが敵対もしない。
自分にとっては気楽に接することが出来る人。レイヴンのように。
「ちょうどよかった。魔物討伐の依頼を受けていてな」
船に戻ったばかりなのは聞いているから明日、力を貸してくれないか。
ヴァンの言葉にリュウキは笑みを返した。もちろん、力になれることであれば喜んで。上っ面の言葉にヴァンもまた笑みを返す。
カノンノがスケッチブックを持って戻ってきたとき、すでにヴァンの姿はなかった。