――願いを叶える存在が、ルバーブ連山に居るらしい。
そんな噂があった。『願いを叶える存在』 以前、何度かアドリビトムの依頼に出てきた存在だ。赤い煙のようなそれは一度は虫に取り込まれ虫の姿が変異し、何人かの人の病を治し、人を魔物化させる。直接見たことはなかったが、魔物化した人を元に戻したことで間接的にその存在は知っていた。
言葉を知り、聞いたことのひとつだった。『この世界では人は簡単に魔物化するのか?』聞いた先のアニーはとんでもない、と首を振っていた。人であることが変質するなんてそれこそドクメントを触るようなこと、出来るはずも、ありえるはずもない。
と、そこからは専門的な話になるらしく続きは簡単にしか聞いていないが。
リュウキはその願いを叶える存在を確認し、状況によっては確保するというアドリビトムから発信された依頼に手を挙げて参加した。
メンバーはリュウキ、ティトレイ、メルディ、そしてジュディス。ジュディスはリュウキが行くと言った時どうように「じゃあ私も」とよく分からない立候補をした。
言葉を話せるようになってからは依頼にともに行くことはなかったが。いい機会だろうか。
リュウキはルバーブ連山の麓で改めて挨拶を済ませる。
ティトレイには『初めまして』 メルディへは『改めてよろしく』と。ティトレイはリュウキの手を強く握り、大きく振った。
ああ、苦手なタイプだな。表向き笑みを返す。
「あら、私にはないのかしら?」
敢えて振れずに居たジュディスが後から有るきながら声を駆けてきて思わず溜息をついてしまった。
「必要ないだろ? ジュディスほどの人だったら連携なんて簡単に取れるはずだ」
「そうね」
肯定をしておきながら視線はリュウキから離れない。それで?と促しているように見える。
「……悪かった悪かった。改めてよろしくな、ジュディス」
「よろしくね、リュウキ。カッコイイ人に無視されるのはつまらないものよ」
「はっは、それはどうも。気をつけるよ。……そういうのはそういう気になった男に対して言ってやってほしいもんだけどなあ」
決してジュディスの方を向かず話していると前方でティトレイとメルディが一般の人間と思われる人を必死に諭しているのが聞こえてくる。話を聞いている限り『願いを叶える存在』とやらに会いに来たらしい。
なんとも俗っぽい。
ギルドの人間なら護衛を引き受けて欲しい、願いがかなったらどれだけでも報酬を払うから、となんとも非現実的な話をしている。チャラついたカップルだ。悪いとは言わないが。
「お兄さんがた、その『存在』ならさっき街に下りたらしいですよ? 俺たちは山頂に現れたっていう巨大な魔物の討伐に来たのです。申し訳ないが俺たち程度の実力では貴方がたを守りきれないかもしれないので街まで戻っていただけませんか?」
あたふたとしていたメルディの方に手を置いてやりながらそう言うと俗っぽいカップルの二人はブツブツと文句を言いながらも山を降りていった。
正直、アドリビトムの名を落とすような真似をしたくはないが、このまま民間人を入らせるわけにはいけない。
落ちてきた時はともかく、何度かここに足を踏み入れたことがあるため、ここに魔物が多くいるのはよく知っている。あんな軽装な人間に払い切れる魔物ではない。
一般人の姿が見えなくなってからティトレイたちに向き直ると助かったとお礼を言われる。
「得意なやつが得意なことをしただけだよ。さあ行こう、アレの他に一般人が居ないとも限らない。慎重に、そして迅速にね」
軽く背を押せばメルディは少し早めに歩き始める。なんとも素直で、優しい子たちだ。
「余計なことを考えていると魔物に襲われるわよ?」
「! ……悪い、煩わしかったか」
目の前の小さな鳥型の魔物を切り伏せ、突き伏せながら雑談を交わす。
「いいえ。それに、考え事をしている程度のことしか分からないわ」
魔術を使おうとする魔物を発動の早い魔術で牽制をすればジュディスが槍を突き刺しトドメを刺す。いいコンビだよなあ、はいな、ティトレイとメルディがそんな話をしているのにも気付かず、二人は喋りながらお互いの戦いをフォローし合い、難なく山を登っていく。
中腹に差し掛かったころ、記憶陣のある場所で不意にリュウキが後ろを確認した。一度納得したように頷くとジュディスを見やり言葉もかわさず意思を確認する。
「ティトレイ、休憩しよう」
「へ? 俺まだまだいけるぜ?」
「山道っていうのは想像以上に体力を使うんだ、それに……大型の魔物の足跡も見た、正直不確定要素でしか無いが体力が少ない時に鉢合わせたくない」
そうしてチラリと見やったのは最初よりほんの少しだけ歩みの遅くなったメルディ。その後ろには必ずジュディスが居るが、クィッキーもメルディの肩に乗っていることが多くなっている。
視線で言いたいことに気づいたティトレイが大きく頷いた。
もっとも、彼女のことだけではなく、大型魔物の足跡があったのも間違いではない。
休んでいるティトレイとメルディを視界に収めつつ、少し先へ進んだ先の小さな峰に登る。視界が開け、山頂も見える。峰の上からでは赤い煙の姿は見えない。花になっていたりすると見えないだろうか。
不意に、耳鳴りのようなものを感じて片手を頭に置く。それは長続きすることは無く、リュウキは気のせいということにした。
大型の魔物のような気配はない。少なくとも近くには。ただし空を飛べる魔物だとすると急激に近寄られることも有る。警戒に越したことはないだろう。
「ご苦労様」
「……どうも。ジュディス、このあたりに強い魔物って居るのか?」
「居ないことはないわ、でも今の時期は大人しくしているはずね」
「ふうん、足跡は蹄だった。考えられる形は多いが、近付いてくる時には音がするはずだ。……あんな子供を危険な目に遭わせたくない。ご協力願えるかな?」
「ええ。もちろん、報酬は用意してもらえるんでしょう?」
思いがけない言葉にリュウキは一瞬動きを止め、そろそろ出発するというティトレイの言葉で我に返った。報酬って、そう言葉をかける前にジュディスはその身軽さで峰から飛び降り、ティトレイに合流した。
とんでもないやつだな。どこに行っても女性には敵う気がしない。
大きくため息をつき、リュウキもジュディスの後を追ってティトレイたちに合流した。
「大して努力もせずに、夢を叶えようってヤロウを見るとムカムカするんだよ」
不意に山道を歩いている時にティトレイがそう言った。
どうにも、ティトレイはいわゆる『熱い男』らしい。苦手なはずだ。
剣の具合を確かめながら、聞いてない素振りをしながら聞いていた。自分では何もしないくせに他人から与えられる何かを求めてばかり。だからこそあんなことが――。
口を出そうとしたのか、開いた口を閉じた。
彼が全ての人間に対してそう言っているのではないのは分かっている、だからこそ自分が口を出すようなことは何もない。
「リュウキ、リュウキはどう思うか?」
どこか不慣れなような言葉でメルディはそう尋ねた。リュウキが別の世界で騎士をしていたことは知れている事実、だからこそ彼女はそう聞いたのだろう。
嘘を付き、平和に事を済ませばいい。だが、どうしてだろうか。
いつものように平和な嘘が出てこない。
無言で有り続ける彼を心配したのは誰よりもジュディスだった。
彼が嘘をつける人間だというのは知っている。だからこそ。
キ――ン、とリュウキの頭の中で何かが鳴る。同時に彼らのいる場所に影が落ちる。音もなく翼をはためかせた大きな魔物が彼らの頭上を飛び、急速に速度を落とした。
降りてくる。マズイ、あれは。
降りてくるのは馬のような、だが強靭な四肢とドラゴンのような頭、そして音もなく羽ばたく大きな翼を持った鱗に覆われた魔物だった。それはティトレイたちの前に足を付けると牙の生えそろった口を大きく開けて咆哮を浴びせかける。
大きな魔物を前にメルディの肩に乗っていたクィッキーは体を縮めて震えている。戦えはしないだろう。
逃げるが得策。ジュディスに伝えようと思ったところ、またもリュウキの頭を痛みが襲う。同時に、聞いたことがない声が響く。
『助けて』と。
この声の聞こえ方は、彼女と同じだった。この世界に毒された、彼女。
一度頭を振って目の前に集中する。
「ジュディス! 脇を抜けて山頂に逃げるぞ!」
山頂へ向かう道は崖に囲まれるようになっており体の大きな魔物は来られないだろう。魔物に戦いを挑もうとするティトレイの首根っこを掴む。
「ティトレイ、少し待て! 隙を作ったらメルディと先に走りこめ!」
「リュウキは――」
「後からすぐに行く、頼むぞティトレイ」
お前にしか出来ないだろ、と言えばティトレイはメルディを見やって頷いた。常に敵の懐に飛び込むからこそ周りは見えているはずだ。
ジュディスは早々に槍を振っている。魔物はジュディスを見ている。
敢えてメルディたちから離れて魔物に向けて威力の弱い魔法を放つ。魔物はドラゴンの顔をリュウキへと向けた。魔物の背中側でティトレイたちが移動を始める。
刀を抜いて威嚇するように振ってみせる。
『タ、スケテ――』
聞こえた声と共に頭痛が襲う。思わず顔をしかめるが、強く地を蹴ってドラゴンの顔へ刀を突きつける。
片目を潰されるとドラゴンのようなそれは酷く動揺し、動きが大きく隙だらけになる。滅茶苦茶な攻撃は避けづらいが、それでも理性的であった時に比べればマシになる。
「ジュディス!!」
目の前に襲い来る前足を渾身の力で弾けば魔物の体はよろめき、声をかけたジュディスが追撃することで魔物は地面に倒れ込む。
ようやく出来た大きすぎる隙に走り、ティトレイたちの後を追った。
追いついた先でリュウキたちを待っていたティトレイの背中を押し、更に先へと進む。出来ることならあの魔物から見えない場所へ。
そうして進み続けた先には山頂が在った。
山頂では赤いナニカがまるで人のような形を取り、待ち構えていた。
――君は何を望む?
かけられた言葉に、リュウキは足を止めた。
(2016/12/23 23:26:46)