Was yea ra sonwe infel en yor…   作:ルシエド

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『ディーン』と『氷の女王』

 痛む頭を抑えながら、ジュードは奇術の幕を下ろす。

 一斉に行われる拍手、上がる歓声、奇術の舞台が開かれる前と比べれば一変した空気。

 体調の悪さを抑え込みながら、ジュードはうやうやしく礼をする。

 

「皆様、ありがとうございました。また後日の開演をお待ち下さいませ」

 

 人を魅せる奇跡の劇場は、これにて終わり。

 見れば老若男女の村人達も、キャロルも、イザークも、誰もが笑顔だった。

 ハリボテの世界を幻想の世界に仕立てあげる彼の奇術が生んだ光景だ。

 今やもうこの場に、他人を傷付けようだなどと思う者は居まい。

 

「こ、こんな茶番で誤魔化されるか!」

 

 たった一人を除いて。

 

 声を上げたのは、教会に所属している二人の内の片割れ。

 その男はイザークの手に奇術のナイフを突き刺すなどの工作を行い、ジュードの奇術に見惚れながらも錬金術師に対し苛烈な姿勢を貫き、今なおジュードに対し敵意を向けている男だった。

 先程ここに来てすぐの時はジュードの方が民衆の中で浮いていたが、ジュードが空気を一変させた今、魔女狩りにこだわるその男の方がむしろ浮いていた。

 

「貴様らが異端であることに変わりはないのだ! それを――」

 

 それでも、その男は浮いていただけだった。

 村人の中に紛れ込み、村人の声を真似たガリィが、この場の空気を更に一変させる叫び声を上げるまでは。

 

「私見ました! その人がこっそり家に火をつけて回ってたのを!」

 

「――なっ」

 

 今、このタイミングでなら。

 『真犯人』を指差しても、錬金術師の苦し紛れの時間稼ぎと思われかねない時間が終わった、この瞬間になら。

 『真犯人』の名を告げる意味がある。

 魔女狩りに動いていた教会の人間こそが『真犯人』であったと、言う意味がある。

 

「……そういや、俺も見たな……」

「自分も……」

「え、本当に?」

 

 ましてこの男は、火事の時にジュードに声を聞かれてしまい、消火作業中のガリィに姿を確認されてしまうほどに迂闊で考え無しな人間だった。

 ガリィが自分の姿を隠しつつきっかけとなる声を上げれば、その男が怪しい行動を取っていたのを見た人間が、村人の中から次々と現れる。

 ちょっと怪しい、と思っていた程度の印象が、確固たる疑惑へと変わり始める。

 

 普通に生きている分には問題なくとも、こういう時にボロが出てしまうのが普通の人間だ。

 悪い事をしなれていない人間の悪行など、すぐに露呈して当然である。

 村人達が揃ってその男へと目を向け始める。

 その視線に耐え切れず、男は威圧するように大きな声で叫んだ。

 

「な、何が悪い! あのままでは流行り病で全滅を待つだけだったではないか!」

 

「! あなた、まさか……!」

 

 男が放火した理由は非常に簡潔だ。

 それに気付いた教会の司祭――イザークの最後の願いを聞いたり、ジュードに問いかけたりしていた神父――が、男を問い詰める。

 

「火から逃げられない病人を病魔ごと焼き尽くそうと、火を付けたのですか……!?」

 

「私は私を含めた最大多数が生き残れるはずの最善手を打ったのだ! 責められる謂れはない!」

 

 彼は『治せない』と医者が断言した伝染病が今以上に広がること、その病気に自分がかかることを恐れたのだ。

 この時代ではまだ、細菌やウィルスといったものの存在ですらも認識されてはいない。

 ジュードの知識を得たイザークは知っているが、それだけだ。

 病原体がどこからどう来るのかという知識すら無かったこの時代、治せない流行り病というものは、これ以上なく恐ろしい悪魔に等しいものだった。

 

 だから燃やした。

 この時代に殺菌の概念はないが、煙でいぶすなど病気の原因に『火』で対抗しようとする概念はあった。病気を恐れた男は、病魔と病人を一緒くたに燃やそうとしたのである。

 流行り病への恐れが、人の道を外れた外道行為に男を駆り立てたのだ。

 

「だから錬金術師殿を裁くことにあれほどこだわっていたのですか……

 『放火もあの異端がやったことだ』と、皆が自然に思うよう仕向けるために」

 

「……そうだ」

 

「罪を他者になすりつけるその所業、神が許しませんよ!」

 

「そんなことは分かっている!」

 

 放火した教会の男も、罪悪感がないわけではない。後悔がないわけではない。

 だが、既に自分がやってしまったことなのだ。

 病を恐れ、とんでもないことを自分がやらかしてしまったことを後悔しながら、錬金術師に全ての罪をなすりつけることしか思いつかなかった。

 その男は、弱い人間だったから。

 

 ジュードは村を燃やし、イザークまでもを燃やそうとした『人の弱さ』を抱える男を見て、哀れみを滲ませた声を漏らす。

 

「……救うことを諦めたのか、あなたは」

 

 だがその同情、哀れみ、言い換えるならば見下しが、その男の逆鱗に触れた。

 男がジュードに向かって拳を振り上げるが、

 

「何も知らぬ子供に何が分かるッ!」

 

「大人が何も信じられなかっただけだろ?

 正義に胸を張れないだけだろ? そんなの、カッコ悪いだろ」

 

「……っ」

 

 結局のところ、この男が暴走したのは、皆が助かる未来を信じられなかったからだ。誰かが病を治せるだなどと信じられなかったからだ。誰も死なない結末を信じられなかったからだ。

 この男が最後の最後まで、正しいことと人の義に胸を張って生きられなかったからだ。

 この男が"格好良く生きよう"と、世界に己の意地を貫けなかったからだ。

 

 弱さが、彼を凶行に走らせた。

 

「なら僕は、まだ子供でいいよ」

 

 少年は、間違ってしまった大人をまっすぐに見る。

 

「貴方が言う『大人』になるくらいなら……

 この理屈を世界に貫けるようになるまでは、まだ子供でいい」

 

 彼もいつか大人になるのだろう。

 最初の両親か、次の両親(アップルゲイト)か、家族として見てくれる今の親(ディーンハイム)か。どの大人に彼が近くなるのか、まだ分からない。

 それでも、ジュードの中に"こうはなりたくない大人"のイメージは確固としてあった。

 自分がそう見られていることを察したのか、放火した男は激昂する。

 

「子供が、私に説教などするな……! くっ、離せ、離せっ!」

 

 そして力自慢の村人数人に連れて行かれた。

 この後、男がどう扱われるかは分からないが……無罪放免ということはまず無いだろう。

 男が連れて行かれた後、司祭はジュードに向かって深々と頭を下げる。

 

「申し訳ありませんでした」

 

「あなたが謝ることじゃないですよ」

 

 同じ教会の人間として、身内に騙されてイザークを異端だと思い込み、軽率な行動に出てしまった自分を悔いているのだろう。

 同時に、身内の恥を申し訳なく思っているのかもしれない。

 なんにせよ、13歳の少年に目を覚まさせられたことが、司祭に大きな影響を与えていることは間違いない。

 

「僕も昔はロクな人間じゃありませんでしたし」

 

「子供が言う台詞としては正しくないですね」

 

「あはは」

 

 笑って誤魔化すジュード。

 文字通りに生まれ変わったような気持ちで彼が頑張ったことなど、司祭は知るよしもない。

 魔女なんてものより、死んで生まれ変わった彼の方が基督教的には爆弾になる存在なのだろうが……まあ、ジュードがそれを自分から明かすわけもないだろう。

 司祭は懐に手を突っ込んで、一枚の紙を取り出しジュードに手渡した。

 

「これを持って行ってください」

 

「これは……?」

 

「世俗裁判所とベッタリの一派……

 今、魔女狩りを各地で行っている者達の予定表の一部です」

 

「!」

 

「以前中央の集会で貰ったものですが、これで危険な地域を避けて行ければ」

 

「神父様……」

 

 ジュードが人々を奇跡に酔わせ、錬金術師に対する許しを掴み取ったものの、錬金術師が異端と認定される時代であることに変わりはない。

 この司祭もそれをよく分かっているのだ。

 錬金術師は日陰に生きていかなければ、今日のようなことは何度でも繰り返されてしまう。

 魔女狩りは、誰か個人をどうにかすれば止まるようなものではないのだから。

 

「汝の隣人を愛せよ、でしたっけ?」

 

「汝の敵を愛せよ、ですね」

 

 ジュードは微笑む司祭に向けて一礼し、彼に別れの挨拶を告げる。

 

「僕らはこのまま帰ります。もう、二度と会うこともないでしょう」

 

「……そうですか」

 

 殺されかけた錬金術師の側も、殺しかけた村人の側も、ここからべたべたと仲良くすることは難しいだろう。

 どうしても、事あるごとに火刑が行われかけた時のことを思い出してしまうからだ。

 だからここで去るのがいい。

 この村に残った場合、仲良くなれる可能性も、破綻する可能性もある。

 だがそのどちらも捨てて、ジュードはこの場を去ることを決めた。

 彼は全ての人間の相互理解を求めているわけではないから、安全策を取る。

 ジュードは、誰の中にも輝きがあると信じられるような英雄ではない。

 

 彼が村の入口の方を見れば、そこにはガリィに連れられたキャロルとイザークの姿が見えた。

 

「私に祈る資格があるかどうか分かりませんが」

 

 村人達が今さっき見た奇跡の幻想を語り合う中、ジュードは人知れず去っていく。

 

「君達の行く先に、幸多からんことを祈っています。

 ……今日見た夢を、私は一生忘れはしないでしょう」

 

 司祭はその背中に感謝を告げて、祈りを捧げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから一週間。

 司祭が想定していた真逆を行って、ジュードは魔女狩りが盛んな場所を狙って飛び回っていた。

 彼は想い出を焼却して力を得ながら、多くの人々に魔女狩りをやめさせ続けていた。

 

「さあ、素敵な夢をご覧ください!」

 

 無論、ジュードを殺しに来た人間も一人や二人ではない。

 そこで他人を傷付けられないジュードを守ったのが、護衛として彼に付いて来たガリィである。

 ジュードとガリィの二人旅。

 二人は錬金術で長距離を移動しながら、ジュードは奇術で人々の意識に変革を促し、ガリィは異端審問官等に追われるジュードを守り切る。

 恐ろしく濃密な一週間の中、ジュードはあらゆる場所に奇跡の幻想を見せていく。

 

「幕を上げましょう!」

 

 誰もすがらない奇跡。

 人を笑顔にする奇跡。

 世界を変えうる奇跡。

 その対価として、錬金術はジュードに想い出の焼却を求める。

 

 だがジュードは一週間の間に絶え間なく奇跡を紡ぎながらも、一切の記憶障害を発生させていなかった。想い出を焼却しているというのに、彼の記憶は何一つとして失われていない。

 いったい何故?

 

(ホント、あたしから見てもとんでもないわコイツ)

 

 想い出の焼却とは、脳内の電気信号を変換・錬成し力と変えることである。

 が、記憶とは本来、脳の神経に保管されるものだ。

 電気信号が失われたくらいで記憶が失われるわけがない。

 ならば何故、人が想い出を焼却するとその記憶は失われるのだろうか?

 

 それは人が思い出を焼却する時、術式によって微細に発生してしまった熱が、脳内の神経細胞を熱変性させてしまうからだ。

 物騒な言い方をするなら、"頭の中が焼かれてしまう"とでも言うべきか。

 オートスコアラーは擬似脳の中に溜め込んだ想い出という電気信号を消費し、人間は想い出を消費するたびにその想い出があった場所が焼け付いてしまう。

 これが記憶の喪失のプロセス、"想い出の焼却"だ。

 

 だからこそ、ジュード・アップルゲイト・ディーンハイムは『唯一無二の反則』である。

 彼はリインカーネーションシステムを用いて生まれ変わった転生者だ。

 このシステムは、転生の際に記憶を完全に引き継げるようになっている。

 そして例えば、転生の対象になった人間の体に、転生させたい人間の魂を入れた後、転生が完了する前にその魂を魂を切る鎌等で両断した場合、その体に魂の記憶は残らなかったりする。

 つまり、システムが記憶を刻印するのは脳ではなく魂なのだ。

 

 リインカーネーションシステムで発生した転生体は、脳ではなく魂由来の記憶と想い出を持っている。老化によるボケで記憶が失われるということもない。

 結果、ジュードの想い出は脳ではなく魂より生み出され、力と錬成されるプロセスを経る。

 そのため"想い出を焼却しても想い出がなくならない"のだ。

 これを反則と言わず、何と言う?

 

(マスターの父親は『存在と魂そのものが奇跡』って評したらしいけど)

 

 先史の時代に作られた、記憶を保持するリインカーネーションシステム。

 今の時代に作られた、想い出を焼却し力を得るキャロルの錬金術。

 その二つを兼ね備えた、唯一無二の反則使い。文句無しに奇跡の存在と言っていい。

 

(まさにそれだわ。こんなん、反則もいいところよ)

 

 リインカーネイションシステムの製作者も、使用者も、想い出の焼却なんていう技術を生み出すキャロルの存在や、ジュードなどという反則が生まれることなど想像もしていなかっただろう。

 無論、ジュードが焼却できる想い出は魂に刻印された想い出だけ。

 要するに最初の人生で刻んできた想い出だけだ。

 だがそれでも、事実上の永久機関に近い力が得られている。

 

 数百年に渡って想い出を溜め込み、それを一気に焼却するような化け物じみた戦闘力には届かないだろうが、小さな奇跡の世界を創り上げるには十分過ぎる。

 彼の力はどこまでも、"転生した"という過去が裏付けになる運命にあるようだ。

 

 舞台を終えたジュードの顔面に、ガリィは真っ白なタオルを投げつける。

 

「お疲れ」

 

「ありがとう」

 

 汗を拭くジュードが頭痛そうにしているのを見て、ガリィは「ちょっと頭痛くなるくらい実質ノーリスクなんだから我慢しなさいよ」と言い、ジュードは「痛いものは痛いんだ」と返す。

 脳に負荷はかかっていないのだが、脳を通して想い出を消費している以上、ちょっとした頭痛は避けられないものだった。

 

「そろそろ帰るわよ。もう時間が残ってないもの」

 

「……もう、なのか」

 

 ガリィが時を告げると、ジュードが寂しい表情を浮かべる。

 彼がこの一週間にやってきたことは、あの村でイザークを助けた時と同じ。

 魔女狩りで焼かれそうになっていた人間を救い、多くの人間に魔女狩りを止めるよう声をかけ続け、その心を染めるために奇術を披露しただけだ。

 諦めず根気強く一週間続けたおかげか、成果はそれなりにあった。

 

 ジュードは『残り少ない時間』の全てを"錬金術師キャロルが生きやすい世界"の構築のため、費やしていたのである。

 

「もう十分よ。これで、この時代の魔女狩りは終わる」

 

「確定なのか?」

 

「元の時代に帰ったら、魔女狩りの歴史の本でも買ってみなさいな。

 『名も無き一週間の聖人』とかそういう名前で、あんたのやったことの影響が載ってるから」

 

「うっへぇ」

 

 そして彼の名は残らないが、彼の功績は後世に残る。

 ジュードがもたらした魔女狩りへの反動風潮は、時間をかけて広範囲に広がっていくだろう。

 

 彼は一週間だけ奇跡を見せて回った。

 それはやがて人々の間に"一週間だけ姿を見せた謎多き奇跡の聖人"として語り継がれ、『聖人が今の魔女狩りに苦言を呈した』という事実だけが残る。

 ジュードはかなり凡庸な性格をしているが、一週間だけの奇跡、及びその神秘性を損なうような行動が一切人に見られなかったということが、奇跡的に噛み合っていた。

 どういう人間かよく分からない人間の方が神秘的、ということである。

 

 聖人の後押しを受け、一部の人々は今の時代の過剰な魔女狩りの風潮に反抗し、それに対して魔女狩りを主導していた人間が対立するようになる。

 結果、国と教会が動き、この世界における魔女狩りは終わりを告げるのだ。

 ジュードが起こした奇跡は数あるが、これ以上の奇跡は彼の人生に二つとない。

 

 とんでもないことに。

 彼はキャロルを守るためだけに、"魔女狩りの時代"そのものを終わらせたのだ。

 

 ここは17世紀の欧州。

 現代においては『暗黒大陸』とすら呼ばれる土地。

 そして、『魔女狩り最後の最盛期』『魔女狩りが終わった時代』と語られる時代であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 聖遺物の力に限界があると、ガリィに聞かされたのが一週間前。

 物を過去に送るならまだしも、人を過去に送るには制限があると聞かされたのも一週間前。

 人形のガリィはこの時代に残るが、人間のジュードはもうそろそろ元の時代に引き戻されると、そうガリィに聞かされたのも一週間前だ。

 

 だからジュードは、その一週間を全てキャロルの未来のために使うと決めた。

 

「あ、おかえりなさい」

 

 テレポートジェムで帰ってきたジュードとガリィを見て、キャロルは二人を笑顔で迎えた。

 彼女はどうやら洗濯をしていたようで、物干し竿に吊ったシーツに囲まれている。

 今はジュードとイザークのシャツを干しているようだ。

 家事も万能なキャロルは、"いいお嫁さんになるだろう"とイザークが言った言葉が親馬鹿でないということを、如実に証明している。

 

「ちょっと待っててね、お腹空いてるでしょ?

 洗濯終わったら、何かジュードの好きなもの作るから」

 

「キャロル」

 

「なぁに?」

 

「お別れだ」

 

「―――え?」

 

 その一言に、キャロルが固まる。

 

「今日はキャロルに、お別れを言いに来たんだ」

 

 ずっと側に居てくれると思っていた。

 ずっと一緒に居てくれると思っていた。

 ずっと守ってくれると思っていた。

 ずっと守りたいと思っていた。

 そんなジュードからの言葉に、キャロルの思考は完全にショートした。

 

「なるほど、今日がその時だったか」

 

「! イザークさん……」

 

「やあ、ジュード君。確証はなかったが、やはりそういうことなんだろう?」

 

「……知っていたんですか?」

 

「時間移動のプロセスの分析、君とガリィ君の発言からの推測だけどね」

 

 そこに現れたイザークは、全ての事情を承知している様子であった。

 分析、研究、推測という分野では、やはりいまだジュードやキャロルでは届かない高みに居るようだ。会話から情報を抜き取られたことにガリィが嫌な顔をした理由もよく分かる。

 ジュードは21世紀に帰る。

 ディーンハイム親子とも、ここで別れる。

 それをジュードが語り、イザークは自分の推測が間違っていなかったことを確認し、ガリィは無表情のまま佇み、キャロルは呆然とへたり込んだ。

 

「今日まで、本当に助かったよ。ジュード君」

 

「こちらこそ、どれだけ世話になったことか……

 誕生日にくださったこの手袋、一生の宝物にします」

 

「小さい手に合わせて作ったものだからね。

 君に子供が出来た時にでもあげたらどうかな?」

 

「いやいやいや、子供とか僕にはまだ早すぎますって」

 

 イザークが差し出した手に、ジュードの動かない手が重なり、イザークがその手を優しく握る。

 

「ディーンハイム姓は、君の好きにするといい。捨てるも、名乗るも」

 

「なら、大切にします。僕もディーンハイムの錬金術師ですから」

 

 心の中に悲しみはある。寂しさもある。

 それでも笑顔で別れよう、と思えるくらいには、イザークは大人の男であった。

 それでも笑顔で別れよう、と思えるくらいには、ジュードは大人になりつつあった。

 イザークは21世紀の未来には居ない。

 もうこの二人が出会うことはない。

 

 ここで、永遠のお別れだ。

 

「私達錬金術師は世界を知ることこそが本懐だ。

 そんな私達でも知ることができないものがある。一つは未来。

 そしてもう一つは今この世界に無くて、今この世界に生まれたものだ。君の奇跡のように」

 

 イザークは未来に帰ろうとしているジュードを見て、これから先の未来を作っていく子供達を、交互に見る。

 

「知ることの喜びは絶対でも、全てを知るなんていうことが絶対であるわけがない。

 絶対の未来を知ることなんて、誰にもできはしない。

 君達が生み出す明日(みらい)の光景は、万象を知る者にも知ることはできないだろう」

 

 もう一人子供が増えたみたいで嬉しかったと、イザークは心の中で思う。

 彼は手入れの行き届いた愛用のコートを脱ぎ、ジュードに着せてやる。

 成人男性用のコートはジュードが着るにはあまりにも大きくて、ダボダボで、袖も裾も丈が余りに余っている。

 だが、イザークが自分にコートを託した理由を、ジュードが問うことはしなかった。

 そんな無粋なことはしなかった。

 

「だけど君は、遠い未来を知っている。そうだろう?」

 

 託されたものが、『イザークの大切なもの』が、コートを通して少年の体にのしかかる。

 

(みらい)と出会えたこの奇跡に、感謝を」

 

「こちらこそ、師匠(せんせい)と出会えて良かったです」

 

 ジュードはイザークに背を向けて、キャロルの前に歩み寄る。

 彼の姿を認識するやいなや、キャロルはすがりつくようにジュードを抱きしめた。

 その手を離したら、ジュードがどこかに行ってしまうと、そう思ったから。

 

「やだ……行かないで!」

 

 お別れなんて嫌。長い間会えないなんて嫌。ずっと傍に居てほしい。

 まだ、"大好き"と伝えてもいないのに。

 そう思うキャロルは、ジュードを離そうとしない。

 

「お願いだから、行かないで……」

 

 されど、現実は無情に彼と彼女に迫る。

 ジュードの体からぽつぽつと、光の粒が漏れ出した。

 光の粒が体から漏れ出て行くたびに、ジュードの体はその質量と等量に消えていく。

 やがて彼の体は全てが光となり、光はあの日見た光の柱の形となって、未来に跳ぶのだろう。

 それを見たキャロルの口から悲鳴が、目から涙が漏れて流れる。

 

「……っ! いや、いやっ!」

 

 涙を流すキャロルは、別れを認めたくないがために声を上げて首を降る。

 彼女が泣いたならば、放っておけないのがジュードという少年だ。

 ……けれど、その涙を止めるために何かを考える必要はない。

 ジュードが別れの言葉として用意した言葉を、口にすればそれでいい。

 

「キャロル」

 

「いや、聞きたくない!」

 

「キャロル」

 

 ジュードは耳を塞いで目を閉じ、自分の言葉を拒絶するキャロルの顔を真っ直ぐに見る。

 耳を塞ぐ両手を取って、その手を握る。

 彼女の名を呼び、目を開けさせる。

 そして互いの息がかかる距離で、彼女としっかりと目を合わせた。

 

「未来を知ることなんて、本当は誰にもできない。

 だけど、僕は……絶対の未来を知ってるんだ。また会えるって」

 

 何度時間を飛び越えたって、二人は必ずまた出会う。

 

「だって僕が時間を飛び越える時はいつだって、君に会いに行く時なんだから」

 

「……ジュー、ド……」

 

 未来から過去に飛んだ時。彼はキャロルと出会った。

 過去から未来に飛ぶ今も、きっとキャロルと出会うだろう。

 だって、ジュード・アップルゲイト・ディーンハイムは――

 

「キャロル。僕、君が好きだ」

 

「―――」

 

「もし、君が良ければ……この告白の答えを、遠い未来に聞かせて欲しいな」

 

 ――キャロル・マールス・ディーンハイムを、愛しているのだから。

 

「永遠のお別れじゃないって、僕は信じてる」

 

 ジュードの体の大半は、もう消えていた。

 キャロルは涙を袖でぐしぐしと拭って、赤くなった顔を彼へと向ける。

 行かないで、とはもう言わなかった。

 未来に彼を迎えに行くんだ、と彼女の胸に宿った決意があった。

 

 『大好き』と、彼に胸を張って伝えるために。

 

「また、未来で」

 

「……未来でっ!」

 

 交わされた約束があった。

 消えていった少年が居た。

 涙した少女が居た。

 はためくシーツがあった。

 寄り添った父親が居た。

 空を仰ぐ人形が居た。

 完結した運命があった。

 

 別れに終わった、出会いがあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 止まりかけの人形(ガリィ)を見て、キャロルは呟く。

 

「なあ、ガリィ……お前ひょっとして、ジュードのことが好きだったりしたのか?」

 

「はぁ? 人形(もの)人間(ひと)に恋するわけがないじゃないですかぁ。

 マスターちょっとあたしに対して、NTRとか警戒し過ぎじゃないですかね……」

 

「そうか」

 

 あの日から、途方も無い年月が経過していた。

 

「人形が恐れるのは、踊る舞台がなくなることですよぅ?

 人形(あたしたち)が死ぬ時、それは、子供(あなたたち)に飽きられて、捨てられた時です」

 

 オートスコアラーでも、経年劣化は避けられない。

 

「壊れたって、直されている内は、愛されている内は、人形(わたしたち)は死にません。

 人の絆は壊れても直せます。人形だって壊れても直せます。

 でも、人と人形の絆なんて、壊れたらそれっきりです。取り戻すなんざどだい無理です」

 

 子供は、愛せなくなり捨てた人形のことなんて振り向かない。

 

「大人になってから『懐かしい』と人形を求める人は……

 子供の時からずっと人形を好きでい続けてくれた人だけです。

 だから案外、あたしは人形の中では恵まれた方じゃないかなあと思ったり」

 

 ギギギ、と不協和音を鳴らす肘を動かし、ガリィは横たわる自分の姿勢を整える。

 

「あたしほど人間様に長く愛されてる人形は他に居ないんじゃないかな? きゃはっ」

 

「……ガリィ。お前はこれから、スリープ状態に入る。来たるべき日まで、ずっと」

 

「あたしは基本的にマスターとジュードの想い出で動いてますからねえ。

 動くだけで忘れるのはちょっと嫌ですし、寝るのは大歓迎ですよう」

 

「次に起きた時、それはお前がジュードをあの時代に送る時だ。

 お前はまた、何度目かも分からない遡行を行い、ジュードをあの日のあの場所に送る」

 

「申し訳無さとか考える必要ないですよ、マスター。

 人間なら地獄かもですけど、人形には天国ですからね。

 未来永劫、人形として人に愛され続けるこの繰り返し。貴女の舞台で踊り続けますとも」

 

 人間なら耐えられない。けれど人形ならば耐えられる。

 未来永劫ガリィはこの時間を繰り返し、キャロルとジュードの想い出を焼却しながら、キャロルとジュードと想い出を作る日々を繰り返す。

 素敵な想い出を忘れながら、素敵な想い出を何度でも得ていく。

 幸せな日々を繰り返し、別れ、眠り、壊れる度に自身を想い出で修復し、過去へ飛ぶ。

 

 彼女はゲスだ。性根も腐っている。

 だがマスターに逆らおうとしたことは一度もないし、マスターを軽んじたことは一度もないし、マスターを傷付けようとしたことは一度もない。

 彼女はいつだってマスターに忠実だ。

 彼女はマスターと共に過ごしているだけで、それなりに幸せだ。

 

 彼女はゲスだが、いつとてキャロルを敬愛している、

 

「……すまない、ガリィ」

 

「いいってことですよ、マスター。マスターの命令ですからね」

 

 薄れゆく意識の中、ふとガリィは忘れかけていた想い出の一つを思い出す。

 

―――……僕達、友達かな……?

 

 ふっ、とガリィの顔に皮肉げな表情が浮かび上がる。

 こんなゲスにどんな返答を期待してるんだか、と呆れた覚えがある。

 「何バカなこと聞いてんだか」と言った記憶がある。

 その時、何も答えなかった思い出がある。

 

「それに、ま、『友達』が待っていると考えれば、悪いもんでもない……」

 

 だからガリィは、笑ってそう呟いた。

 

「……あいつの奇術、忘れて新鮮な気持ちで見られるのは、ちょっと役得ですしねえ……」

 

 そう言って、自動人形(オートスコアラー)ガリィ・トゥーマーンは、機能を停止した。

 

 キャロル・マールス・ディーンハイムは、帽子を深く被り直して目元を隠した。

 氷の女王(ガリィ)は、『ディーン』のため、あの少年にまた会うために、永劫を繰り返すだろう。

 何度も、何度も、何度でも。

 この時の輪を、運命を完結させるために、何度でも時間を繰り返す。

 

 あの日見た奇跡を、あの日刻まれた想い出を、無かったことにしないために。

 

 停止したガリィの躯体の上に、春風に乗った花が舞い降りる。

 

 四月の風花(Avril Vent fleur)が優しく、疲れ朽ち果てた戦士の休息を、祝福していた。

 

 

 




Avril Vent fleur(アヴリル・ヴァン・フルール)

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