Was yea ra sonwe infel en yor… 作:ルシエド
さて、自身に突如芽生えた能力に童貞30歳現象と結論づけたジュード。
彼は前世の記憶があるがために、ちょっと余計なことを考えてしまうタイプだ。
21世紀のキャロル由来の錬金術知識こそあるが、ジュードは錬金術師としてはキャロル以上に未熟な人間であり、万象を解する錬金術師としてのスタンスを身に付けてはいない。
「いや、そんなわけないだろう。都市伝説のようなものを根拠もなく信じるものではないよ」
「え、ですけど……」
そんなジュードの変な思い込みを、イザークはバッサリ切り捨てた。
「錬金術師は、奇跡を解して理に落とす。
奇跡を"よく分からないもの"のままにはしないものだ」
「理に落とす……」
「万象を誰にでも理解できるほどの理にまで噛み砕くのも私達、錬金術師の目指すところさ」
錬金術師イザークは、少年に自身の推測を語って聞かせ始めた。
イザークは理詰めで推測を組み立てるため、ジュードから転生のことを含めた多くの事情を聞き出し、そこから理論を構築する。
結果、この時代でも指折りの錬金術師であるイザークは、一つの結論に至っていた。
「リインカーネイション・システム」
「リインカーネイション?」
「大昔の文明にあったとされる、転生による不死を実現させる科学技術さ。知らないかな?」
「あ、いえ、母と父から少しだけ聞いたことがあります。
遺跡にそれに関することが記されているのを、一度だけ見たことがあったと」
ジュードも錬金術師としては未熟でも、最低限の理解力と知識、落ち着いた思考はある。
余分な説明をしなくて済んだことで、イザークは子供を褒める意志を見せて微笑み頷いた。
「『人に炎で死なない力を与える』という伝承の、ネフシュタンの蛇。
錬金術の始祖が象徴として据えたという、循環を象る自らの尾を喰らうウロボロス。
人々に知恵の実を齧らせ、分不相応な知慧を与えたという楽園の蛇。
人の歴史の中には、語り継がれていく内に元の形が残らなかった"蛇の伝承"がいくつもある。
その中の一つが、先史の文明最後の王・ギルガメッシュが蛇に『不死を奪われた』話だ」
イザークは先史の文明が残した遺跡を、錬金術師としていくつも調査してきた。
そして遺跡のいくつかと人類の歴史の転換点に、たびたびその姿を語られる『蛇』の存在に気が付いていた。
「ギルガメッシュ王は実在の人物だったと言われていてね。
大昔に『誰か』が彼から"転生で不死を実現させる"システムを奪った……
私はそう推測している。その事実が、語り継がれる内に形を変えたものなのだと」
蛇。
イザーク・マールス・ディーンハイムは、永遠の刹那を生きるその"誰か"を、そう呼んでいる。
「推測だが、君が死んだ日に、君の国で死んだのだろう。
コンマ一秒のズレもなく、おそらくは数十kmと離れていない地点で。
その"リインカーネイション・システムを使っていた者"がね」
「!」
「死の瞬間、死の衝撃で君の魂の波長は揺らいだ。
たった一瞬、されど一瞬、君の魂の波長は"その者"と波長を同じくした。
神の奇跡に等しい、ありえない確率で発生した『偶然』だったんだろう」
錬金術の基本は、理解・分解・再構築だ。
完全にとは行かないが、人の魂に対してもその分析は行われている。
この分析が進めば、魂を擬似的に紐付けることで、複製した肉体と記憶のダウンロードにより転生せずとも自己の連続性を保つこともできるだろう。
イザークが分析したところ、ジュードの魂の波形は常時ブレていた。
無論、普通の人間がそんなことになるわけがない。
それは普通の人間で言えば、常時指紋が変化し続けているようなものだ。
ジュードの身に起きた奇跡の理由をイザークが科学的に分析するには、それだけで十分だった。
「そこでシステムは誤作動を起こす。
君の魂と死したその者の魂を、システムは同時に転生の道に乗せてしまった。
けれど、システムはおそらく、君の方には転生先を用意できなかったんだ」
転生先にも条件があるのかもしれない、とイザークは研究用に書き記した文献を開いて見せる。
「君の魂は弾かれて、時間と時間の狭間に落ちてしまった。
世界各地で僅かながら確認されている『空間の狭間から来る怪物』の生息地帯……
あるいは、未来のキャロルが危惧していた空間転移の際に落ちる危険性がある場所……
空間の位相差地点に類似した場所にね。空間の隙間ではなく、時間の隙間。
そこに落ちたからこそ、君の魂は時間を遡り、奇跡的に母の胎内に生まれ落ちた」
それこそが、ジュードが一度死に、19年前の過去に生まれ変わった理由。
「君はその際、システムに魂を加工されたんだ。
何せシステムが魂を運ぶための"魂の型"は、君の魂の形に合わせていたわけじゃないのだから。
だから君は今でも、魂の波形が安定していない。
君の魂は、転生する予定だったその人の魂の形に少しだけ寄ってしまっている」
「僕の、魂の形?」
「ああ。きっとその人が錬金術に関わりの深い人だったんだろう。
おそらく、その人には錬金術に関する卓越した能力があった。
君は昨日の誕生日にて、その能力の一部を偶発的に覚醒させたんだ」
錬金術は分析と技術と理論によってなされる、科学と魔法が分化する前の技術体系だ。
ゆえに、彼らは現代人では理解できない思考による理詰めの分析をもって、世界を知る。
イザークの推測は、恐るべきことにほぼ正答と言っていいものだった。
彼の推測はどれも確証の無い仮定だらけのものであったが、それでも可能性の低い推測を一つ一つ削った先にある、確度の高い推測であったからだ。
「正直な話『ありえない』とまではいかなくても、天文学的な確率の事象だよ。これは」
言っているイザーク本人が、その推測が現実であるという荒唐無稽さに舌を巻いていたりするのだが。
「ジュード君。君はね、存在そのものが、魂そのものが、奇跡の塊なんだ」
「奇跡……」
ジュードは凡庸な人間だ。少なくとも、そのはずだった。
だが天文学的な確率の偶然が重なり、彼は一度死んで蘇るという奇跡を果たした。
その奇跡のおまけとして、何の力持っていなかった彼に、錬金術の力が宿った。
彼の力は才能によるものでもなく、努力によるものでもなく、奇跡によるもの。
いわば、『奇跡』こそが彼の絶対的な個性であった。
「何か、最初に死んだ時に何かを見た覚えはないかい? きっと何かを見ているはずだ」
「何か、と言われても……あ」
ジュードはもう十数年前の彼方、死の前後で曖昧になっている記憶を懸命に漁り、自分が死の直前に見たものを思い出そうとする。
自分を轢いた、何かから逃げるために信号を無視して飛ばしていた車。
地面に赤く広がる自分の血液。
そして仰向けに倒れる自分の目に映った、青い空を背景として鎮座していた――
「遠くの空に……赤い竜が見えた……ような……」
「竜、か。一番最初に思いつくのは『黙示録の赤き竜』だけれども」
――一体の、赤い化け物。
こちらはジュードと違いほとんど情報がないからか、イザークも思考はすれどそれが何であるか分からない様子だ。
だがその転生する蛇と、黙示録の赤き竜の二つに、彼は何らかの関連性を見出している。
「……いや、これ以上はあまり推測しても、休むに似た下手な考えになってしまいそうだ」
「僕からすればイザークさんの思考回路は凄すぎてどこがどうなってるんだかさっぱりです」
「ははは、君もいずれはできるようになるさ」
イザークはいつも娘にそうしているように、凡庸な存在に奇跡を宿した少年の頭を撫でる。
「君は僕の知らないキャロルの教え子で、僕の教え子で、僕の知るキャロルの教え子なんだから」
キャロルが発展させたディーンハイムの錬金術は、0からエネルギーを生み出すといったような物理法則を無視したものではない。
それはれっきとした、この世界の法則を理解し利用するものなのだ。
まず、術者が脳内の電気信号をエネルギーと変える。
『想い出』とも呼ばれるそれを過剰に消費しないよう注意しつつ、「錬金術を使うぞ」という強い意志によって発生する脳内の電気信号を変換・錬成。
そのエネルギーで
作り上げられた魔法陣は、異次元からエネルギーの塊を引きずり下ろす降魔儀式を起動。
更には天体を構成する第五の要素の力、すなわちエーテルを吸引し始める。
四大元素に連なる第五の力、黄金のクレストで制御されるものこそがエーテルだ。
脳内の電気信号の『焼却』で得られたエネルギーは、この二つで更にブーストされる。
このエネルギーを一気に放出、あるいは貯蓄し後に使う。
未来にキャロルが完成させた錬金術は、こうしたプロセスを経るのである。
降魔儀式で得られるエネルギーは事前準備の量と質に比例する。
天体運行より得られるエーテルのエネルギーは時期と星の配置により決定される。
よって緊急性の高い状況で高いパフォーマンスを発揮するためには、記憶を失う覚悟で『想い出』を焼却するしかないわけだ。
……さすがにジュードも、よっぽどのことがなければ記憶を捨てるなんてことは、怖すぎてできないだろうが。
「いっくよーっ」
そんな魔法のような錬金術で、キャロルとジュードはイザークの立ち会いのもと、練習も兼ねて的当てをしていた。
キャロルが声を上げ、手を前に突き出し的に向ける。
ジュードは呼吸を整え、無言で集中力を高めて手をかざす。
イザークもまた真剣な表情で、二人の子供を見守っていた。
「―――ッ!」
キャロルの手から風の刃が飛ぶ。
それは遠く離れた大木の幹に、浅く切り傷を付けた。
ジュードの手から水の塊が飛ぶ。
それは彼が狙った木を大きく外れて、隣のキャロルが狙った木に当たり、切り傷を癒やした。
「よしっ!」
「なんでだよ!」
言うまでもないが、この二人は木に攻撃するという同じ目的で錬金術を撃った。
その結果がこれである。
キャロルは既に攻撃の術として使える練度にまで至っており、ジュードは狙った場所にも飛ばない上に攻撃の術が何故か回復の術になる。
もはやギャグの領域であった。
「さて、ジュード君のこれはどうしたことか」
「死んで治るバカもあれば、死んで治らないバカもあるってことでしょ」
「……ガリィ君か」
キャロルの好調に一人の父として親馬鹿な笑顔を見せつつ、ジュードの不調に一人の錬金術師として考察をするイザーク。
顎に手を当てる彼の背後から現れたのは、何やら事情を知っているらしき様子のガリィだ。
人形はイザークの横を通り過ぎ、頭を抱えているジュードに駆け寄り、"プギャー"と効果音が付きそうな所作で彼を指差しこう言った。
「ネタバレするけど、あんた他者を傷付ける方向性で錬金術使えないから」
「えっ」
「あんた魂レベルで他人を傷付けられないタチなのよ」
バカは死ななきゃ治らない。逆説的に言えば死ねばバカは治る。
が、せきが止まることと風邪が完治することがイコールでないのと同じように、ありとあらゆるバカが死ねば治るわけでもない。
彼の中に残った欠点。
それはとても優しいイザーク以上に、純粋で可憐なキャロル以上に、『人をその手で傷付けることを厭う』というものだった。
彼が優しいから他人を傷付けたくないのか? いや、その答えでは正しくない。
彼が臆病だから他人を傷付けたくないのか? いや、その答えでは正しくない。
一度死んだ彼は、死の痛みと苦しみをその身で覚えている彼は、誰にも"あの時のような"傷と痛みを与えたくないと、そう思うようになった。
ひとたびの死が、彼を変えた。
木を傷付けることにすら、無意識レベルで引け目を感じてしまうほどに。
「前から言ってるじゃない、あんた基本無能だって。こんだけヘタレなんだからさあ」
「なあガリィ、お前隙あらばハズレとかヘタレとか無能とか呼ぶのやめてくんない?」
ジュード・アップルゲイトの錬金術は、何があろうと誰一人として傷付けない。
「ジュードはヘタレじゃないですー、優しいだけですー」
「やだマスターったら盲目! このガリィ、爆笑を抑えるので精一杯です!」
ジュードの背中に隠れつつ、顔だけ出して彼を擁護しつつイーッとガリィを威嚇するキャロル。
一瞬だけ抑えていたがすぐに爆笑し始めたガリィ。
キャロルで遊ぶのはやめろガリィ、と言いながら目付きを鋭くするジュード。
子供らの戯れを見守りつつ、イザークはキャロルが切りつけジュードが治した木肌を触る。
物を壊すのは簡単だ。力を込めればそれでいいのだから。
なのだが、ジュードが治した部分を触ってみると、そこは切りつけられる前と比べても寸分違わない形に治されていた。
目には見えないが、樹の細胞ひとつひとつに至るまで、精密に。
(はてさて)
未来でキャロルが完成させたという、魔法じみた錬金術。
出力、成長速度、多彩さ、応用力その他諸々はキャロルの方が圧倒的に上。
だが木の細胞の一つ一つすらも緻密に再現する精密性、それを成すイメージ力という二点において、ジュードのそれはキャロルをはるかに超えていた。
(これは才の欠落か、それとも才の偏りか。ガリィ君はその辺り、明かしてくれないからね)
何か一つができなくて、他のことは均一にできるのか。
何か一つができて、他のことは均一にできないのか。
治された木の傷跡からイザークは推測するも、答えは出ない。
結局その日はイザークの腹が鳴ったのをきっかけに、そのまま昼御飯の運びとなるのであった。
昼食が終われば、錬金術師としての仕事の時間だ。
近隣の村への薬を格安で販売するお仕事の始まりである。
ジュードの手伝いのおかげで単純に人手が二倍になったことで、イザークが用意した薬の量も純粋に二倍。
だというのに、イザークの表情は優れない。
その表情の理由をなんとなく察しているジュードの表情も、また然りだ。
「今日はどこにお仕事に行くの?」
「伝染病で大変なことになってるっていう大きな村……なんだけど」
キャロルに話しかけられたジュードが、歯切れの悪い言い方で返す。
どうしたんだろう、とキャロルが思っていると、ジュードは話をイザークに振った。
「薬、足りるでしょうか?」
「村の人口を考えれば少し厳しいかもしれないね。
君のおかげで今日だけは、薬が足りないという状況を避けられるだろうが……」
「? お薬、足りてないのに足りてるの?」
ジュードは薬が足りるかどうかを危惧し、イザークも同様に薬の残量を危惧しているのに、何故かイザークは"今日は大丈夫"と言っている。
キャロルが疑問を口にすると、二人の男は揃って丁寧に解説を始めた。
「僕らが今日行ってできることは、対症療法としての薬を処方するだけなんだ」
「私達はまず特に症状が重い人が亡くならないように動くんだ。
そして流行り病にどの薬が効くのかを特定した後、一旦家に戻って薬を作る。
そしてその薬を改めて処方して、それでようやく病を根絶できるんだよ」
「あ、そっか。パパとジュードは、苦しいのを和らげる薬をとりあえずたくさん作ったんだね」
「そういうことさ。キャロルは賢いなぁ」
「えへへ」
地頭がいいキャロルは、少し説明されればすぐに察する。
例えば、解熱鎮痛剤は患者を楽にはするが病気を治す薬ではない。
厄介な病を治すためには、根本的にその病気の原因を治す薬を投じなければならない。
ジュード達が今回多く携えているのは、つまり解熱鎮痛剤の方に近いものなのだ。
患者の苦しみを和らげるものでしかなく、病気の種類によっては熱を下げることで悪化させてしまうこともあるため、考えながら投与しなければならない。
こちらの薬は十分に足りている。
大きな村の住民全てに与えてもまだ足りる。
……が、病気を治療する方の薬の材料の在庫が、足りるかどうか微妙なのだ。
それほどまでに、予想される患者の数が多かった。
一人や二人の錬金術師の手で生産できる薬の量には、限りがある。
材料を集める過程、材料を薬にする過程、薬を投与する過程。生産の基盤がある現代とは違うのだ。それら全てをイザークとジュードでこなさなければならない。
薬が足りているけど足りていないというのは、そういうことだ。
まだ足りないと決まったわけではないが……時と場合によっては、対症療法で手遅れになる患者が出ないよう状況をコントロールしつつ、途中で材料を調達しに行くことになるかもしれない。
(ガリィ)
ジュードの不安を煽るのは、ガリィが無言で彼らについて来ること。
時たま思い出したようにいつも通りに振る舞うが、時折とても冷たい表情で居る彼女の存在が、彼の脳裏に何かしらの警鐘を鳴らす。
何か、何かが起こる時が近付いてるんじゃないかと、ガリィの表情がそう思わせる。
(何かあるのか?)
聞いたところでガリィは答えないだろう。
彼女は筋金入りの秘密主義者だ。自分の利にならなければ絶対に話すまい。
自分にすがるジュードを嘲笑って、問いかけるジュードを足蹴にするだろう。
ガリィはそういう者だ。彼女は自分の期待に応えない者に対し、怖気がするほど冷酷である。
ジュードは後頭部を掻いて、思考を切り替える。
(……考えても分からないことを、あれこれ考えてもしょうがないか)
ジュード、キャロル、ガリィの三人に向かって、イザークが出立の号令をかける。
「案ずるより産むが易し、だ。まずは現地に向かおう。いいね、皆?」
三者三様の返答が、彼らの旅立ちにおける第一声となった。
この時代の旅の道中は、21世紀に生きていたジュードからすれば、目を見張るような風景が時折見られる素敵なものだった。
豊かに残る自然。壮大で美麗な山、森、湖。
産業革命さえ起こっていない時代の欧州は、コンクリートのジャングルの中を生きていた人間の心には、さぞかし素晴らしいものに見えているだろう。
(本当に凄いなあ……)
なのだが、この風景を見ているだけで飽きない気持ちになるのはジュードだけだ。
イザークもキャロルも、この風景は見慣れたもので面白くもなんともない。
自分ばかり楽しんでいるのもなんだかな、と、ジュードが歩きながら簡単な奇術を見せ始めるのは当然の流れだった。
キャロルの目が輝いて、イザークの表情が興味深そうなものへと変わる。
そうして、彼は歩きながら見せられる奇跡を披露した。
手を触れずに離れた物を動かす超能力。
何も無い所から紐で繋げた万国旗を出す魔法。
52枚のカードの中からキャロルが選んだカードを、見ずに当てる透視。
「すごいすごい!」
一つ見せるたび、一つキャロルの笑顔が見れる。一つキャロルの賞賛が貰える。
しかし、事象を解する錬金術として一流であるイザークの目は騙せなかったようだ。
ジュードは技術の一環として、自分の奇術を見ている人の視線がどこに行っているかを把握し、その視線を逐一誘導している。
そのため、相手の視線を辿ることで"タネがバレている"ということもすぐに分かるのだ。
袖の中に磁石、袖口の旗が出て来る服の中の道、カードの内容を把握するための単純な計算のトリック。初見でそれら全て見透かされてしまった様子。
ジュードはイザークに対しすごいなあ、と思う。
と同時に、すぐさまタネを見破られて悔しいとも思う。
未来のキャロルみたいだ、とジュードはイザークがキャロルの父親であることを実感する。
タネを見破りこそしたものの、イザークはジュードの指先の動き、視線誘導の技術、多彩な発想の組み合わせなど、この時代にはないそれらを心から賞賛していた。
「見事なものだね。君の指の動きは、私から見ても職人のそれに近いように見えるよ」
「違うわパパ、この指は奇跡の指なの!
ひとたび指を動かせば奇跡が起きて、みんなを笑顔にできるものなんだから!」
興奮気味に語るキャロルを見て、イザークはこらえきれずにちょっとだけ噴き出してしまう。
「ふ、ふふっ、ジュード君は指先に少し怪我しただけでも、キャロルに怒られてしまいそうだね」
「勘弁して下さい……」
まだまだ一流の域には届かぬものの、彼の指は奇術師の指。
キャロルから見れば奇跡を生み出す指先である。
ピアニストの子を持つ親のようなものだろうか?
キャロルは少し、彼の指先を過剰に評価しているように見える。
少々照れているジュードを見て、イザークはポン、と手の平の上に拳を落とした。
「そうだ、キャロル。
お前も楽しませてもらってばかりじゃなくて、彼を楽しませてやったらどうだい?
ほら、キャロルは歌が得意だったろう? お返しにはちょうどいいんじゃないか?」
「ええええええっ!?」
「え? キャロル、歌ったりするんですか?」
「ああ。身内贔屓を抜きにしても良い歌声だと、私は思ってるよ」
「あわわわわ」
キャロルは歳相応に、自由気ままに歌うことが好きだ。
今は亡き母に幼い頃聞かされていた子守唄。
町に薬を届けに行った時、耳にした吟遊詩人や楽団の歌。
歌を正式に習う機会は一度もなかったが、キャロルには一度記憶した想い出をそうそう忘れない記憶力がある。彼女は大雑把に耳コピし、自分なりにアレンジした歌を歌うようになった。
まるで、その身に譜面を刻むかのように。
かくして、彼女は父の前では趣味の歌を見せるようになった。
が。
子の恥部を何もかも知っている親の前で歌うのと、同年代の異性の前で歌うのとでは、難易度及び羞恥度合いが段違いである。
「今からクラスに行って男子の前で得意な曲をアカペラで歌って」と言われて、歌える女子学生が何人居るだろうか? そういうことだ。
なにするものぞ、と叫んで開き直れるような男らしさをこのキャロルは持ち合わせていない。
「ぱ、パパ! それは無理!」
「どうしてだい? パパには時々聞かせてくれるじゃないか」
「は、ははは恥ずかしいんだってば!」
「パパはよくてジュード君はダメなのかい?」
「パパはいいけどジュードはダメなの!」
笑うイザークの背をジュードが肘で小突き、男二人はひそひそと内緒話を始める。
(イザークさん、本人が嫌がってますし無理には……)
(君は本当にキャロルの味方だね。
そこは嬉しいが正直に言ってみなさい。キャロルの歌、聞きたいだろう?)
(………………………それは、そうなんですが、キャロル嫌がってますし)
(嫌がってるわけじゃないさ。照れているだけだよ。父親の私がそう言うんだ、間違いない)
あまりこういう話を長くしているとキャロルに訝しまれるだろう、と、イザークは会話を打ち切ってキャロルの方に向き直る。
なんだろう。ちょっと楽しんでいるように見えるのは、気のせいだろうか?
「しかしキャロル。
キャロルが歌を恥ずかしがるように、彼も奇術を披露する時は恥ずかしいんじゃないか?」
「う」
「それはフェアじゃないだろう。フェアプレーの精神だよ、キャロル」
「パパ、それは何か違うと思う」
うー、とキャロルは顔を赤くして悩み始める。
歌は父親に聞かせるよりも、赤の他人に聞かせる方がハードルが高い。そして彼女にとって、赤の他人に聞かせるよりもジュードに聞かせる方がなおハードルは高かった。
「大丈夫、ジュード君もキャロルの歌を好きになってくれるさ」
「……!」
それでも、父親がちらつかせてきた『餌』に食いついてしまう程度には、彼女は子供だった。
「ジュード、な、何かない? こう、ご褒美みたいなの」
「え?」
「……わたしが、勇気を出せる理由になりそうなもの、ない?」
恥ずかしい、という気持ちの合間から、褒められてみたい、という気持ちが顔を覗かせる。
それを見て、ジュードは前世を思い出し心の中だけで苦笑した。
彼は、勇気が足りなかった前世の自分を覚えているから。
(勇気の出し方なんて、僕から一番縁遠いものじゃないか)
ジュードはちょっとだけ考える。
キャロルの歌は、ジュードの奇術へのお礼としてどうかとイザークが提示したものだ。
なのだが、キャロルは勇気を出す理由として「歌って得られるもの」が何かないかと言う。
無論、彼女は物欲にまみれているわけではない。ただ"勇気を出す理由"が欲しいだけだ。
と、いうわけで、ご褒美は過剰に大きなものではいけない。それでは最初の前提がどこかに行ってしまう。
かつ、キャロルに勇気を出させるような、キャロルが好むものでなければならなかった。
(キャロルが好むもの――)
そうなれば、ジュードが頼るのは自分の記憶。キャロルと共に過ごした記憶。
未来のキャロルと共に過ごした記憶の中から、彼はどうすべきかの選択肢を拾い上げる。
想い出が、彼に正答をくれる。
(――そういえば)
ジュードの想い出の中から浮かび上がるは、キャロルに手を引かれた旅の光景。
握ってくれた手の暖かさと、見せられた美しい世界の風景が、彼の脳裏に蘇る。
自分に優しさをくれた人に、人が優しさを返すのと同じように。
してもらったことをして返してこそ恩返しになるはずだと、ジュードは考えた。
「キャロルが歌を聞かせてくれるなら、僕はキャロルと一緒に、世界を見に行くって約束する」
「……世界?」
「そう、世界?」
ジュードは世界の広さを身振り手振りで表すように、両腕を広げて笑顔で語る。
「この世界には、僕らが知らないだけでたくさん素敵なものがある。
世界で一番美しい海。世界で一番荘厳な山。世界で一番綺麗な町。世界で一番大きな塔。
一緒に見に行ったら、きっと感動できるし、きっと楽しめると思うんだ」
キャロルが世界を見せてくれたから、僕もキャロルに世界を見せる。
ジュードは彼女にそうすべきだと思っていたし、彼女とそうしたいと思っていた。
「キャロルが歌ってくれるなら、僕と君で一緒に世界を見て回るって、約束する」
そして何より、キャロルの歌を聞いてみたいと思っていた。
「いいですよね、イザークさん?」
「構わないよ。けれどまだキャロルは小さいからね。
君達二人で行くのなら、最低でもあと数年は待って欲しいな」
イザークから了承が出てしまえば、あとはキャロルの一存で決められる問題だ。
(……世界……)
キャロルはジュードの手から生まれる素晴らしい光景を知っている。
そのジュードが『素敵』『世界一』と太鼓判を押す風景だ。気にならないわけがない。
……だが、それでも、恥ずかしいものは恥ずかしいわけで。
心情的には九割くらい"歌ってもいいかな?"な状態だったが、なんとか残り一割が頑張って、キャロルは何とかこの場だけは誘惑に耐え切る。
「……でも、歌……う、ううう……ほ、保留で!」
「うん、楽しみに待ってる」
「保留だってば!」
キャロルがジュードに歌を聞かせたならば、二人で一緒に世界を見て回る。
世界の各地にある素敵な景色を、一緒に見る。
それは忘れられない想い出である限り、いつかの未来に必ず果たされる約束だった。
だがその前に、彼らには乗り越えるべき壁がある。
片道二時間ほどの旅を終え、彼らは流行り病に侵されていると聞かされていた村に辿り着く。
だがそこで、彼らは燃え盛る村を見た。
人の怒号が忙しなく上がる中、大きな村のいたるところで火の手が上がっている。
「な……!?」
ジュードも、キャロルも、イザークも、驚愕の表情と声を隠せなかった。
彼らは村が視界に入ると同時に足を早める。
息を切らしながらも辿り着いた村の状態は、"ひどい"の一言だった。
炎が燃える音が小さく、人の悲鳴が大きく、ジュード達の耳に届く。
「ガリィ! お願い!」
「はぁいマスター、ガリィ頑張りまぁす♪」
キャロルが頼めば、ガリィは即座に動いてくれた。
ガリィは得意とする幻術を用いて自分の姿を隠し、村を飛び回りながら消化に動く。
今日の天気が曇り空であったことも幸いした。
ガリィは水を降らせて雨天を再現し、それと同時に村を飛び回って火元に水を叩き込んでいく。
ただ雨が降っただけにしては異常な速度で火が消えていくが、普通に生きている人が"雨が降った場合火事の鎮火にどれだけの時間がかかるか"、なんて知識を持っているわけがない。
村人は何の違和感も感じぬまま、雨に感謝し、火事が収まっていくことに感謝していた。
それでも、異端である自分の存在を隠しながら消火作業を続けるのは、ガリィにも厳しいものがある。危険域を脱するまで、あと十分かそこらはかかるだろう。
「二人共、ここを動くなよ!」
「はい、イザークさん!」
ガリィにばかり任せてはおけないと判断したのか、イザークも動く。
おそらくは救助作業を手伝うのだろう。
ただでさえ流行り病の患者が大量に発生していたというこの村で、人手が足りているとは思えない。イザークは「キャロルを頼む」と暗に匂わせ、ジュードは「任せて下さい」と無言で答えた。
ガリィが去り、イザークが去り、この場にはジュードとキャロルのみ。
自然と、ジュードの握った拳に力がこもる。
(僕がしっかりしないと……)
その時。キャロルを守らないと、と自分に言い聞かせていた少年の耳に、物騒な呟きが届いた。
「いいぞ、もっと燃えろ……不浄は、焼いて清めねば」
彼はまずその声を拾った耳を疑った。
だが幻聴ではないと確信するやいなや振り向き、辺りを見回して声の主を探す。
「!? 今の……!」
小さな声であり、呟くような声であったが、滑舌がよくハッキリとした声であったのが幸いだった。ジュードは、その言葉の一つ一つをしっかりと記憶している。
"この火事が何故起きたのか"という問いに対する答えを、期せずして彼は知ってしまった。
(この火、まさか放火……!?)
犯人の目的は分からないが、何かしらの目的でこれを為したことは疑いようがない。
ジュードは横を見て、キャロルの方には聞こえなかったようだ、とほっと一息つく。
だが、片方に聞こえてもう片方に聞こえなかった声は、一つではなかった。
ジュードだけが聞いてキャロルには聞こえなかった声があったように、彼女には聞こえて彼には聞こえなかった声も確かにあった。
「ジュード、今何か聞こえなかった? 助けて、って」
「え?」
「こっち!」
「! キャロル、待って!」
走り出すキャロルを引き留めようと手を伸ばすが、もう遅い。
ジュードは表情に焦りを浮かべ、手が届かないくらいに先行するキャロルの後を必死に追った。
ガリィの消火作業はまだまだ大部分が終わっていない。
火事による建物の倒壊に巻き込まれれば、キャロルの小さな体なんてすぐに潰れてしまう。
(キャロル、一体どこに向かってるんだ……!)
すぐに連れ戻さないと、と思いながら足の差で距離を徐々に詰めるジュードは、前を行くキャロルが上げた大声につられ、そちらを見る。
「いた!」
キャロルが向かう先には、煙を吸い込んでしまったのか、気を失っている子供が居た。
(キャロルが探してたのはあの子か! でも、あの位置は……!)
だがその子供は、今にも崩れそうな燃えている家の中に居た。
ドアが崩れ、ドアの向こうの廊下に倒れていることは分かるのだが、同時にその頭上に燃えて崩れそうになっている天井や柱も見えている。
イザークやジュードならば、危険性を考えて慎重に動くことを考える場面。
だがキャロルは子供特有の危うさ、前のめりな考え方で、躊躇いもなく踏み込んだ。
リスクを何一つとして認識しないまま、子供を助けるために躊躇なく踏み込んだのだ。
「待て、待って、キャロル!」
ジュードが上げた声が聞こえていないのか、それとも聞こえているのに無視しているのか、キャロルは子供を助けるために果敢に燃える家の中に踏み込んだ。
「熱っ……大丈夫!?」
キャロルは飛び散る火の粉に猛火の熱さを感じながらも、怯まない。
痛みにも熱さにも怯えず人助けに奔るその姿からは、滾る勇気が溢れ出ていた。
倒れていた子供にキャロルが駆け寄り声をかけるも、返事はない。
仕方なく彼女は子供を背負って家の外に出ようとするが、体の小さなキャロルに子供一人を軽々と持ち上げることなどできず、ふらふらよろよろとしか移動できない。
泣きっ面に蜂。最悪に最悪は重なる。
キャロルがもたついていたせいか、このタイミングでとうとう家が倒壊を始めてしまった。
もう少し早く崩れていればキャロルは家の中に踏み込みなどしなかったのに。
もう少し遅く崩れていればキャロルは家の中から逃げ切れていたというのに。
これ以上なく、最悪のタイミングでの倒壊であった。
「!」
天井が崩れ、キャロルと彼女が背負った子供に向かって一直線に、柱が二本倒れて来る。
キャロルの腕の数倍の太さがある柱二本。キャロルを押し潰して余りある質量の天井。
目を閉じることも、咄嗟に腕で頭を庇うこともできず、車に轢かれる直前のネコのように、呆然と迫り来る脅威を見つめるキャロルに死神の鎌が迫り――
「……え?」
――間に割って入った、キャロルのピンチを絶対に見逃さない少年によって、止められた。
「づ、ぅ……間に、合った……!」
少年は走りながらクレストを形成、土の錬金術によって"崩れて天井ではなくなった破片"をひと繋ぎにし、崩落を止める。
更にそのクレストを消失させないよう維持しつつ、柱の一本に生み出した土の柱をぶつけ、何とか食い止めた。
だが、それでも一手足りない。
錬金術をもう一発撃つより先に、残った柱の一本がキャロルを押し潰してしまう。
そう判断したジュードは、キャロルと柱の間に自分の体を滑り込ませ、柱を支えた。
燃え盛る大質量の柱を、素手で。その手が使い物にならなくなることすら覚悟して。
キャロルを守れるなら構わないと、ただその一心で。
「ジュード! 手……手が!」
「走れ」
「え?」
「走れ!」
「ジュ―――」
「走れッ!」
キャロルは一瞬躊躇ったが、自分がいつまでもここに居たらジュードも逃げられやしないと悟って、子供を背負って必死に家の中から跳び出した。
「ぐ、う……!」
柱を受け止めたジュードの手は、悲惨の一言だった。
手の平で柱を受け止めたというのに、手の甲の傷から血が垂れている。
それは柱から突き出ていた焼けた釘の一本が、彼の手を貫通したということを意味していた。
左手から流れ出す血は、手から手首、腕、脇へと流れ落ちていく。
焼けてささくれ立った柱の表面は左の手の平の肉を削ぎ、むき出しになった肉を焼いていた。
先日、魔女狩りで火刑に処されていた人の周りにあった臭いと同じものが、彼の鼻孔をつく。
それは木が焼ける臭いと、人の肉が焼ける臭いが入り混じったものだった。
それは、彼の手が焼けていく臭いだった。
燃える柱、燃える天井からぱらりぱらりと火の粉が落ち、彼の肌のいたる所を焼いていく。
煙を吸って、彼はむせこむ。あと一呼吸か二呼吸で一酸化炭素中毒になりかねない。
更には加熱された熱風が吹き込んでくるようになり、風に当たるだけでも火傷してしまう。
「……あ、ぎ、じぃ……!」
ジュードは踏ん張るが、とうとう膝が折れてしまう。
腕が釘に貫通されているせいで逃げることもできない。
痛みでクレストグラフを形成することさえもできない。
ただでさえ、13歳の子供に柱一本を支えることなど不可能だというのに。
最悪なことに、そこで更にもう一本、柱がジュードに向かって倒れて来る。
絶対の死を前にして、彼の中に浮かび上がるのは三つの気持ち。
痛い。この痛みと苦しみから開放されたい。
死にたくない。嫌だ、あの場所に、帰りたい。
良かった。キャロルは、守れたんだ。
迫り来る焼けた柱を前にして、彼はその三つの気持ちしか抱いていなかった。
「ジュードっ!」
キャロルが叫び、柱が倒れ、大きな音と共に何かが潰れる音が鳴り、そして―――