Was yea ra sonwe infel en yor…   作:ルシエド

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「どんな魔法ならば、時の砂は逆巻くと思う?」


戦姫も絶唱もないシンフォギア

 人が生きている世界に『どこにでも居る平凡な人間』なんて存在は居ない。

 人間は一人一人に少しだけ変なところがあり、特別なところがあり、個性がある。

 誰一人として同じ人間は居ない。

 どこにでも居る平凡な人間、なんて形容はその時点で矛盾しているのだ。

 

 だからこそ。

 小説の書き出しで『どこにでも居る平凡な人間』という個性を付けられる主人公は、本質的には"今のところ特筆すべき記号的特徴がない人間"である。パンツを頭にかぶっていたり、性欲に溢れていたり、筋肉ダルマだったりはしない、ということだ。

 そういう主人公は言い換えるならば、一言でその者を言い表せるような特徴、『濃さ』がない。

 この物語の主人公も、そういう"濃さがない"少年の一人であった。

 

「ああ……連休が終わる……なんで僕は連休にこんな時間の無駄遣いを……」

 

 この物語の主人公は、幼少期に両親を事故で亡くしている。

 だがそれだけだった。

 幼児の頃に少しの期間だけ泣いて、幼児特有の立ち直りの早さであっという間に乗り越える。

 最初こそは周囲に同情されていたものの、十数年経てばもう同情もされなくなっていた。

 

 悲しい過去など、現実で他者に語ったとしても、その場の雰囲気を悪くする程度の効果しかもたらさない。不幸自慢にしかならず、他人からの印象を少しだけ悪くするものでしかない。

 2歳の時に両親を喪い、今17歳である彼は、自分の経験からそれをよく理解していた。

 

「預金が……んー、すぐには危なくないけど節約しないと」

 

 "両親が居ない"ということは、この少年にぼんやりとした悪影響を残していった。

 子供が自堕落になるのを止める役目を果たす大人が家に居ないのだ。

 ある程度の年齢までは親戚が育ててくれたが、その人らももう家には居ない。

 必然、受験や就職の時期にこの少年に危機感を持たせる大人が身近に居なくなる。

 大学受験を前にして、この少年が全く危機感を持っていなかったことに、家で全く勉強もしていないのだという事実に、学校の担任は気付きもしなかった。

 

 そして至極当然のように、少年は大学には受からなかった。

 更には正式に社会に出ること、就職することへの不安感からか?

 それとも大学に落ちるまで就職という選択肢を考えもしていなかったからだろうか?

 少年は就職の道も選ばず、自宅近くのコンビニでアルバイトを始める。

 社会の中で責任を背負う人間になることから逃げ、先延ばしに先延ばしを重ね、両親の遺産と貯金を僅かずつ削りながら生きていく道を選んだのだ。

 

 それは大人になることから逃げ、子供のままで居ようとする選択だった。

 

「食費抑えようかな」

 

 少年の胸中に広がるのは、形がないのにやたらと重苦しい『不安』。

 「これでいいのか」と何度も思う。

 「変わらなくちゃ」と何度も思う。

 なのに彼は現実を変えるための一歩を踏み出せない。

 夜寝る時にベッドに寝転がり、真っ暗闇の中天井を見上げるたび、孤独感と将来への不安に押し潰されそうになっているというのに、変わる勇気を絞り出せない。

 

「……何か更新されてないかな」

 

 不安と恐怖に押し潰されそうになっているそんな自分を誤魔化すように、騙すように、彼はさも今ネットのサイトが更新されているかどうかが気になったかのように、ネットの巡回を始める。

 ネットサーフィンをしている時だけは、面白い娯楽作品を見ている時だけは、この現実から目を逸らせたから。

 押し潰されそうなくらいに大きな不安のことを、忘れることができたから。

 

「奇跡か何か、起きてくれないかな」

 

 彼の先の見えない毎日を終わらせてくれる奇跡など、今日まで一度も訪れはしなかった。

 奇跡なんてものは欠片もない、透明で重い『現実』に押し潰されそうな毎日。

 どこか息苦しい日常、何故か生き苦しい繰り返し。

 そんな日々の中を彼は生きていた。

 

「……ふふっ」

 

 少年は動画サイトで、他者を笑顔にする奇術を繰り広げる奇術師を見て、少しだけ笑う。

 子供の頃、彼は純粋にマジシャンの魔法を楽しんでいた。

 輝く魔術、煌めくイリュージョン。

 17歳となった今でも、彼は奇術師(マジシャン)の手より生まれる奇跡(マジック)が好きだ。

 見るたびに心躍り、童心に帰ることができたから。

 

 ……子供の頃は純粋に楽しんでいたものを、今でも心から好きなものを、社会に出ることへの恐れと将来の不安から来る気持ちを塗り潰すために使っているのは、本当に悲惨だ。

 

(よし、そろそろ気持ちよく寝られそうだ)

 

 最後に、少年は専用ブラウザを使って匿名掲示板を巡回する。

 彼はそう多くのスレッドを開いていないがために、巡回にそう時間はかからなかった。

 そして開いていたタブの一番下、一番端のスレッド、サーバーが不安定だった時期に作られた2ちゃんねるの過疎板の避難所のスレッドが更新されているのを確認する。

 誰も居ないスレッド。

 誰も書き込まなくなって長い、惰性でタブに残していたスレッド。

 

 興味が湧いてそのスレッドを開き、彼は奇妙な書き込みを見た。

 

「……?」

 

611 名前:名無しさん[]投稿日:2027/06/17(木)23:50:26 ID:???

  未来と過去は、どちらが先にあると思う?

 

「なんだこれ?」

 

 その書き込みが、始まりであり終わりであった。

 

「電波君かな」

 

612 自分:名無しさん[sage]投稿日:2027/06/18(金)00:01:20 ID:???

  過去に決まってるでしょ

 

613 名前:名無しさん[sage]投稿日:2027/06/18(金)00:09:42 ID:???

  例えば時間を行き来できる人が居るとしよう。

  この際、平行世界というものは存在しないとする。

  未来から来た人間が過去を変えれば未来は変わる。

  なら、未来が変わったら? 未来から来た人間にその影響は出るだろ?

  過去を変えれば未来が変わる。

  でも未来が変われば、未来から過去に来た人間も変わり、過去も変わる。

  過去と未来は相互に変え合う関係にあるんだ。

 

614 自分:名無しさん[sage]投稿日:2027/06/18(金)00:13:01 ID:???

  そんなの時間を自由に行き来できるって仮定ありきじゃん

  人間は過去から未来にしか行けないんだから、そういうのはタイムマシン出来てからでしょ

 

615 名前:名無しさん[sage]投稿日:2027/06/18(金)00:15:59 ID:???

  かもしれない。

  ただ、時間を行き来できる存在が居たとしたら、過去と未来に前後関係はなくなる。

  そうは思わないか?

  本当は過去と未来にどちらが先か、なんて話はないんだ。

 

 興味本位で書き込みを返してみて、やはり電波なんだろうか、と少年は思う。

 少年は夢想気味の書き込みを心中で密かに小馬鹿にしていたが、何故だろうか?

 ネットの向こう側の誰かがしているであろうその書き込みに、真剣に考えた返答を返していた。

 

616 自分:名無しさん[sage]投稿日:2027/06/18(金)00:20:51 ID:???

  そういう話がしたいんならそういうスレ行けばいいのに

  第一、タイムパラドックスは?

  例えば未来の子供が過去の世界に行って両親に会う

  →子供が両親が自分を産む前に、両親を殺す

  →これでその子供は生まれなくなるのに子供が居なければ両親の死は起こりえない

  この矛盾は?

 

617 名前:名無しさん[sage]投稿日:2027/06/18(金)00:24:22 ID:???

  この世界に矛盾はない。

  それはそれを理解しようとする人間の解釈のどこかに矛盾があるだけだ。

  その両親は実は実の両親じゃなかったかもしれない。

  子供は両親を殺そうとしたけど運悪く殺せなかったのかもしれない。

  両親は最初から死ぬ人間と決まっていて、それを補完しただけなのかもしれない。

  時間を移動したくらいじゃこの世界に矛盾は生まれないのさ。

  それは万象を黙示録に刻むまでもなく、明らかになっていることなんだ。

 

618 自分:名無しさん[sage]投稿日:2027/06/18(金)00:26:33 ID:???

  つまりあれ?

  何をしようが未来も過去も変わらず可能性は収束するとかそういう理論?

  俺もそういうSF好きだけどさあ

 

619 名前:名無しさん[sage]投稿日:2027/06/18(金)00:31:19 ID:???

  それに近いかな。

  未来を変えれば過去が変わる。過去を変えれば未来が変わる。

  そして世界は、全ての人間の全ての意志による全ての変化を包括する。

  「未来を変える」と決断した人の行動の結果も含めて、今の未来があるんだ。

  人はそれぞれ、自分の意思を持っている。自分らしさを持っている。

  ハチャメチャな人も、型にはまった人もね。

  同じ時間、同じ世界、同じ状況の中でなら、人の心は必ず同じ選択を選ぶ。

  未来を変えようとする行動でさえも、既定の明日を作り上げるための要素ということなんだ。

 

620 自分:名無しさん[sage]投稿日:2027/06/18(金)00:32:40 ID:???

  人が未来を変えようとして、実際変えるから、最終的な未来は変わらない的な?

  この手の話は、未来を変えようとする行動が徒労っぽくてそこが嫌だねえ

 

621 名前:名無しさん[sage]投稿日:2027/06/18(金)00:33:01 ID:???

  そういうものなんだからしょうがない。

  未来が変えた過去も、また未来を変える。未来も過去も変わる。

  でもさっき言った通り、世界の形はタイムパラドックスを起こすほど変わりはしない。

  何故だと思う?

 

622 自分:名無しさん[sage]投稿日:2027/06/18(金)00:34:46 ID:???

  知らね

 

623 名前:名無しさん[sage]投稿日:2027/06/18(金)00:37:58 ID:???

  過去と未来の時間移動による影響を、最終的に包括した世界の流れ。

  最終的に決定された『あらゆる物事はこう流れる』と決められた世界の形。

  それを『運命』と言うんだ。

  普通の人に運命は変えられない。

  変えられるのは、選ばれた一部の人間だけだっていう話さ。

 

624 自分:名無しさん[sage]投稿日:2027/06/18(金)00:39:17 ID:???

  急にロマンチストな単語が出て来て笑っちまったよ

 

 電波もここまで行けば本物だなあ、と思いつつ、少年はあくびする。

 時計を見れば、掲示板での一対一での話に熱中しすぎて、無駄に時間を使った時間がそろそろ一時間ほどになってしまいそうなありさまであった。

 少年はパソコンの電源を落とし、ベッドに寝転がる。

 目を閉じれば意識は微睡みに落ちていき、彼の一日はこうして終わった。

 

 一人だけしか居なくなったスレッドに、最後の書き込みが残される。

 

 

 

 

 

625 名前:名無しさん[sage]投稿日:2027/06/18(金)0:55:55 ID:???

  『運命』にようこそ。そこで、素敵な夢が君を待っている

 

626 名前:名無しさん[sage]投稿日:2027/06/18(金)01:11:11 ID:???

  奇跡を、頼むよ

 

 

 

 

 

 この少年に物語の主人公としての"特筆すべき特徴"はない。

 強いて言うならば、『勇気がない』ことだけが彼の特徴だ。

 親が居ないから愛もない。欲望も薄い。希望なんて欠片もありはしない。

 勇気がない少年は翌日の朝に起きると、バイトに向かうために家を出て――

 

「え?」

 

 ――車に轢かれて、その短い生涯を終える。

 誰かを庇って轢かれたなんてドラマはない。

 猫を助けるために轢かれたなんて優しさはない。

 彼は何の意味もなく、ただ運が悪かったというだけで、過失の事故にて命を落とす。

 

 これが、彼が最初に迎えた終わりの形だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして彼は、生まれ変わる。

 

 不思議なこともあるもんだ、と『少年だった子供』は自分の手の平を見る。

 彼は気付けば車に轢かれていて、気付けば新たな人生を歩んでいて、気付けば赤子としてまた世界に生まれ落ちていた。

 小さくなった己の手を見るたびに、彼は自分が死んだこと、自分が輪廻の輪を巡ったこと、そして"自分が死んだ時から数えて19年前"に自分が転生したことを強く自覚する。

 

「……世の中、本当に色んなことがあるなあ」

 

 リアクションが薄いが、彼はこれでも驚いている方だ。

 彼は死に、多少のんびりとした性格はそのままに、けれど性格の欠点がほんの少しだけ治っていた。彼がこの世界に生まれ落ちてから11年。

 その間に色々とあったし、何より彼は一度死んでいた。

 

 馬鹿は死ななきゃ治らない。

 逆説的に言えば、死ねば馬鹿は治る。

 堕落する一方だった、嫌なことから逃げ続ける馬鹿な子供でしかなかった彼は、死して多少はマシになる。

 

 そして死んで生まれてマシになったのは、彼の性格だけではない。

 彼の周りの環境もそうだった。

 前世の時、両親は3歳にもなっていない幼い彼を置き去りにしてこの世を去ってしまった。

 だが今世での彼の両親は、彼が11歳になった今も生きていてくれていた。

 彼の中に最初の親の記憶などない。

 それゆえある意味、彼は生まれ変わって初めて"親に育てられる"という経験をする。

 

 親に育てられなかった彼は、20年近い生を生きて初めて、親の愛を記憶に刻み込んでいた。

 

 

 

 

 

 彼の新たな母の名は、ラクウェルといった。

 心強く腕っぷしも強く、度量も広ければ優しさと凛とした美しさも併せ持つという、才色兼備

の一例を絵に描いたような武人であった。

 加え、ラクウェルの夫が彼女のことを語る時の内容を曰く、可愛いところもあるのだとか。

 夜、寝床にて手招きをするラクウェルを見て、彼はそれをちょっとだけ理解した。

 

「ほら、寒いだろう? 母さんの布団に来たらどうだ」

 

「……」

 

「どうした? ……母さんのことが、嫌いになったか」

 

「そんなわけない!」

 

 生まれ変わった後、彼は母の愛を一身に受けていた。

 彼はラクウェルが母親として文句の付けようのない人だと理解していた。

 彼女の愛を嬉しく思っていた。

 だからこそ、打ち明けなければならないと心に決めていた。

 

「母さん……」

 

 幼児らしさなんて欠片も見せられていない、今の自分の事情を全て話さなければならない、と。

 

「……話が、あるんだ」

 

 決断した彼は、自分の人生の全てを話す。

 その過程で、ラクウェルの下に転生したことも話す。

 今の両親に拒絶され、暖かく幸せな今の生活の全てを捨てる覚悟で、彼は打ち明けた。

 「親に愛されていたい」と願う彼の気持ちに変わりはない。

 それでも、ラクウェルに隠し事をしたままで母の愛を注がれ続けるということは、彼には耐えられないことだった。

 罪悪感だけで押し潰されそうなくらいに、苦しいことだった。

 だから打ち明けた。

 

 ……のだが、ラクウェルはさして気にしていない様子で納得したように頷いていた。

 

「ふむ、そうだったのか。合点がいった」

 

「……え? それだけ? 驚かないの?」

 

「いや、驚いている。それに子に秘密を打ち明けられたことを、少し嬉しくも思っているな」

 

「気持ち悪い、とか……」

 

「思わないな」

 

 ラクウェルは剣士がものを斬るように、彼の言葉をバッサリと切り捨てる。

 

「生まれ変わり。そういうこともあるのだろう」

 

 あんまりにもバッサリいかれたものだから、彼の方が逆に戸惑ってしまう。

 

「転生は超高度先史文明の時代、技術的には実用化されていたと知っているか?」

 

「え、い、いや……」

 

「この手の話はアルノーの方が詳しいだろうな。

 気にする者も居るだろうが、私は気にしない。

 アルノーもおそらくは気にしない。それだけのことだ」

 

 産まれた子が、自分の子でないどこかの誰かの生まれ変わりであることを気にする者も居るだろう。だが、気にしない者も居る。

 ただそれだけのことだった。

 ただそれだけのことが、彼にとってはこれ以上ない救いだった。

 

「それに、生前も子供。今も子供だろう、お前は。

 私はお前よりも少しばかり大人だ。愛し、面倒を見てやるくらいの度量はあるさ」

 

 『母』にそう言われ、子の目元から涙が溢れる。

 

「ごめん、なさい……!」

 

 頭を下げ、涙を流し謝罪する子供。

 今の両親を好ましく思うからこそ、"この両親には普通の子が生まれて来るべきだったのに"と思ってしまい、彼は涙ながらに謝り続ける。

 その子の頭を抱えるように抱きしめる母。

 優しく抱きしめ、優しく頭を撫で、優しく声をかけ続ける。

 

「僕みたいなのが、僕みたいな変なのが生まれてきて、ごめんなさい……」

 

「申し訳なく思う必要など無い。

 生まれ変わりであろうと、なかろうと、生まれた命が祝福されることに変わりはないのだから」

 

 彼の最大の幸運は、生まれ変われたことよりも、新たに得た両親に恵まれたことだったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 彼の新たな父の名は、アルノーといった。

 ややお調子者で、顔のパーツが整っていて、頭も良くてそれなりに口が上手い。

 その性質は、生まれ変わった彼にもほんの少し遺伝していた。

 

「ほらほら、もっと行くぞ!」

 

「わあ……!」

 

 奇術が好きな性格は、生まれ変わっても変わらなかったらしい。

 昔サーカス団に所属していたことがあるという父・アルノーのナイフさばきは見事なもので、20本あまりの抜き身の刃が宙を舞っている。

 一手間違えれば手がナイフで貫かれてしまいかねない、そんな曲芸。

 銀の刃が陽の光で煌めいて、宙を舞う度に目を奪う美しい光景を作り上げる。

 息子がそれに目を輝かせているのを見て、アルノーはいい気になってナイフを増やす。

 

 最終的に30本になったナイフ全てが頭上へと飛び上がると、そのまま何にも触れぬまま落下し、全てのナイフがアルノーの腰のホルダーに収まる。

 30本同時に、アルノーの体に触れることなく一直線に、だ。

 父の卓越したナイフさばきに、子は飾り気のない感嘆の声をあげる。

 

「おおー!」

 

「技も修めとくもんだな」

 

 父アルノーも、子に尊敬の目を向けられて悪い気はしていない様子だ。

 

「僕も、父さんに習えばできるようになるかな?」

 

「んー……危ないから、教えるのはお前がもう少し大きくなってからだな」

 

 父が子の頭を撫でる。

 二度の人生を生きてきたが、彼が父に頭を撫でられたのは、この時が初めてだった。

 "子供の小さな頭だからこそ大きく感じられる父の手"に撫でられ、子は穏やかな気持になっていく。

 

「大きくなったらって、どのくらい?」

 

「さあ、それは分からないな。

 大きくなってからじゃないと……ま、今は教えるっていう約束だけで我慢してくれ」

 

 父アルノーは子を抱き上げ、高くに担ぎ上げる。

 

「息子との約束を破るような父親には、なりたくないしな」

 

 彼もまた、息子の特異な部分を受け入れながらも愛情を注いでくれていた。

 とはいえ、侠気(おとこぎ)に溢れる母ラクウェルに対し、どこか女々しい父アルノーの方はちょっとした苦悩をしていたという事実もあったりする。

 それを乗り越え、割り切れたからこそ、今こうして笑顔で息子を愛してやれているのだろう。

 彼もまた、度量の大きな男であった。

 

「とりあえず今は、危なくないのから教えてやるさ」

 

 ナイフさばきを教えてやらない代わりに、アルノーは子に色んな技を教え込む。

 小石を使ったジャグリング。カードを使った手札当て。手の中から物を消す技。

 そして人の視線がどこに集まるかという学に、それを誘導するミスディレクション。

 それは人の錯覚や思い込みを利用し、あたかも実現不可能な"奇跡"が起こっているかのように見せる"奇跡の術"、すなわち『奇術』の種となるものであった。

 

 奇跡の元になるものを、子は父に教わり受け取っていく。

 

「ありがと、父さん」

 

「お前が笑ってりゃ、俺は満足だよ」

 

 父アルノーは口数が多い。口も上手い。知識も豊富だ。

 だが妻に対してであれ、子に対してであれ、愛を囁く時はシンプルな言葉を吐く男だった。

 生まれ変わった彼も、だからこそ、父の真っ直ぐな愛を実感することができていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 親の愛が記憶になかった少年は、生まれ変わってようやく親の愛を注がれる。

 そして親に正しく育てられることで、大なり小なりあった前世の歪みを矯正していく。

 生まれ変わった彼本人も不謹慎だと思ってはいるが、彼にとって"自分に愛を注いでくれた両親"は、今の両親だけだった。

 

(ああ、なんだろう)

 

 "魂が親子でない"という意識、劣等感、後ろめたさ、申し訳無さ。

 それを"流れる血が親子である"という意識が塗り潰した。

 父と母が「それがどうした」と子に注いだ愛が、この子の中の暗雲を晴らしてくれたのだ。

 

(僕、今、本当に幸せだ)

 

 結局のところ、成人していない子供が死んで生まれ変わったところで、二つの人生を合わせて30年近く生きたところで、彼は『子供』でしかなかったのだ。

 長く生きていれば子供でなくなるだなんてことはない。

 時間経過で大人になれるわけがない。

 彼は子供だった。ラクウェルとアルノーは大人だった。

 だから奇妙な形ではあったが、彼らは親子として成り立った。

 

(父さん、母さん……ありがとう)

 

 "子供から子供に生まれ変わる"という歪な人生を過ごした彼は、親に恵まれなかった前世の反動のように今世では親に恵まれ、幸せに育てられた。

 だから彼は気付かない。

 前世で山も谷もない下り坂な人生を生き、今世で幸せな人生を送っていた彼は気付けない。

 何のバックボーンも無く自己の連続性を保つ転生を成す。

 それがありえない『奇跡』であるという認識を、彼は毛の先ほども持っていなかった。

 

「すまない。ラクウェルは居るか?」

 

 ある日のこと。家の前で奇術の練習をしていた彼は、話しかけて来た誰かの方を向く。

 

 そうして、彼は運命(かのじょ)と出会った。

 

「母さんに何か用?」

 

「―――」

 

 振り向いた彼の顔を見て、彼女は目を見開いた。

 振り向いて彼女を見て、彼もまた目を丸くする。

 彼の耳に届いた声は声色こそ幼かったが、口調が歳経た大人のように落ち着いていて、『ラクウェル』と母を呼び捨てにしていたことから、彼は声の主が大人であると思っていた。

 なのに彼が振り向いた先には、自分より幼く見える少女が立っていた。

 

 可愛らしくも、前時代的を通り越して数世紀前のセンスを思わせる服。

 服というより魔法使いのローブにも見えるそれに加え、絵物語の中の魔女を思わせる黒いトンガリ帽子が、その少女の印象をとても幻想的なものへと変えていた。

 身長は130cmから140cmといったところだろうが、伸ばした髪を三つ編みにして垂らした毛先が地に付きそうになっているのも、また印象に残る要素だろう。

 整った容姿に据えられた深い色の瞳もまた、彼の目を引いた。

 

「えと、はじめまして?」

 

「……ああ、はじめまして」

 

 彼が挨拶をすると、彼女もまた挨拶を返してくる。

 その時の嬉しそうな、悲しそうな、辛そうな、安らいだような彼女の表情が、何故かやけに気になって、彼はその表情を目蓋の裏に焼き付ける。

 

「お前の名前は?」

 

 少女に名を問われ、彼は思わず前世の名を答えそうになって、口を噤んだ。

 前世の名をもう名乗らないこと。

 今世の名を唯一無二の己の名として使うこと。

 それが一度死んだ自分には相応なのだと、彼は思う。

 

 そして、大切に想う両親に付けられた名を、受け継いだ家名を、誇らしく名乗った。

 

「ジュード。『ジュード・アップルゲイト』」

 

 そして名乗った後、少女の名を問う。

 

「君の名前は?」

 

 少女は帽子のつばを指先で摘んで、帽子の位置を直しながら名乗る。

 

「オレは『キャロル・マールス・ディーンハイム』」

 

 鈴を鳴らしたような声で、彼の目をまっすぐに見ながら。

 

「奇跡を届けるために、お前を迎えに来た」

 

 彼と彼女の物語の始まりを告げる、鐘を鳴らした。

 

 

 


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