Eastern Wind Tales   作:Rei.O

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9.

 魔法の森、奥地。

 そこには、ともすれば人形用のミニチュアハウスが大きくなったかのような出で立ちの洋館がある。

 それそのものは別段おかしくはないのだが、その立地の悪さと、窓からのぞく無数の人形たちが、魔女の屋敷の如き薄気味悪さをはらませていた。

 しかし、誰もその薄気味悪さを否定することはない。

 なにしろその屋敷は正に、まごうことなき魔女の屋敷なのだ。

 

 ――やはり、書き変わりつつある。

 アリス・マーガトロイドはそう思考した。

 幻想郷中に複数名存在する魔法使いの中でも制御に長け、苦手分野も少ないと有名な彼女は、ここの所の魔法の暴走により、最も大きな打撃を受けた一人である。

 人形たちの中、走る術式を確認し、体を引き起こさせながら、走る痛みに顔をしかめる。

「……いよいよ、駄目ね」

 その金髪碧眼の、人形のような体躯をベッドに再び横たえ、彼女はつぶやく。

 

 "種族"魔法使い故の弊害。

 体そのものの構成を魔法に依存するがために、魔法の暴走は、さながら遅効性のコンピュータ・ワームかなにかのように、彼女を蝕んでいた。

 いかに彼女が人形のようであれど、そう簡単に直り(・・)はしない。

 しかし、数日もの時間を掛け、自慢の操り糸と人形たちで暴走を解析し続けた彼女は、徐々にだが、この現象の根を掴みつつあった。

 

「上海、蓬莱」

 走り回る人形たちに向けて声をかければ、2体が床を蹴って飛び上がる。

 エプロン・ドレスに赤いリボン、必要に応じて装備を変えるシンプルな見た目のそれは、アリスの保有する人形たちの基本形。

 個体名称(ペットネーム)"上海人形(シャンハイ)"、"蓬莱人形(ホーライ)"。この2体はその中でもハイエンド、定期的な魔力供給と再命令を必要とするものの、それさえあれば、自律行動が可能な個体である。

 

 そう。彼女は、この状況下でも人形たちが動けるように、魔法を再構築したのだ。

 そしてそれは、この暴走が、一定の原理に引き起こされたある現象であるということの証明でもあった。

「上海、霊夢と魔理沙にこの手紙を渡しなさい。確実に渡るなら方法は問わないわ。蓬莱、上海の護衛を。それぞれ外装魔力剤(エクステンダー)3単位、命令維持剤(メモリー)1単位、戦闘装備を携行しなさい。いいわね、実行(アクション)

 人形たちが頷き、動き出す。

 長期行動用の薬剤を身に付け、護身用の槍と盾、自己修復キットを持ち、手紙のはいった小さなリュックサックを背負い、一礼し、玄関から飛び出してゆく。

 それを眺めながらアリスは、数週間前ドアに取り付けた、小さな人形用出入口のことを思った。

 ──やはり、作っておいて正解だった、と。

 

 ◆

 

「……蓮子?」

「ん?」

 宇佐見蓮子は、マエリベリー・ハーンとともに、京都中央駅にいた。

 その手には紙のチケット。旧来の風習を新技術でブラッシュアップしつつも引き継ぐそれは、大阪から京都・名古屋を経て長野へとつながる列車、特急"信濃"のもの。

 学割を強引に適用し、色々とルールの抜け穴を突いて8割引きさせた代物であった。

 

「また唐突に、何処へ行くつもりよ」

「長野よ」

「……へ?」

 蓮子は、メリーを長野まで連れ出すつもりなのだ。

「メリー、あなたがキツいのはわかってるわ。……だから行くのよ」

 とある神隠し(・・・)の調査に。

「こういうのは、とにかく動いたもの勝ちなんだから」

 今日、先勝だしね。蓮子はそういった。

 メリーは、目に涙を浮かべて、蓮子を抱きしめた。

 

 大凡2時間。

 卯酉新幹線ならば端から端まで往復できるほどの時間をかけて長野駅へ。そこから先はバス移動だ。

 "信濃交通"と大書きされたバスの中で、蓮子はタブレット端末を取り出しながら言った。

「週刊774の記事、覚えてる?」

「ええ……その……」

「そう、怜霧が消えたことを書き立てたあの記事よ。……基本的に役立たずなのがあの手の記事だけど、今回ばかりは例外」

 長手側面を押し込めば、スリープを解かれた端末が息を吹き返す。

 蓮子はてきぱきとロックを解除すると、現れたランチャーからスクラップブック代わりのビューアを、そしてそこに納まる書籍データを呼び出しながら続けた。

「メリー。神社に行くと言っていたのよね?」

「ええ。おじいさんの遺言を果たす、って」

「その神社はあの記事が特定してくれたわ。これよ」

 

 現れたのは、"週刊774"。大本を前世紀の国際ネットワークにあったという掲示板群にもつそれは、草の根的な取材能力の強さから、週刊誌の割には高い評価を得ているものだ。

 その、六月二日号。"古神社失踪事件の謎"と題し、怜霧の事件について特集が組まれていた。

「白霊神社。今日私達が向かう場所よ」

「白霊!?」

「そう。無関係とは思えない。……メリー、今のうちに目薬でも挿しておきなさい。今日はその眼が役に立つわ」

 蓮子はそういって笑った。

「ええ……見つけてみせるわ、絶対に」

 メリーはそういって、わらった。

 

 長野駅からバスに揺られることおよそ1時間、更に徒歩で1時間。

 京都中央駅を出て4時間をかけて二人がついたのは、戸隠連峰と称される山の一角。

「ここ?」

「そうよ」

 蓮子は言う。

 

「戸隠連峰。かつて天照大御神が天の岩戸に閉じこもった時、投げ飛ばされたその岩戸が落ちたとされる場所」

「……それが、なにか関係あるの?」

 メリーは問うた。蓮子は笑って、

「ありゃしないわ。単にそういう場所だってだけ。でもこの手の伝承はあるだけでその場を強めるなんて言われるし、そういうのもありうると思ったほうがいい。でしょ?」

「確かに、雰囲気って大事よね」

「それよ」

 蓮子は一旦言葉を切る。

「伝説はどこにでもあるものだけど、戸隠はそういう雰囲気があるわ」

「確かに、まだお昼前なのに薄暗いけど」

 違うわよ、と蓮子は笑った。

 

「例えばそう、鬼女紅葉の伝説が一番有名かしら。平家系のだったと思うけれど」

 大雑把に言えば、子のない夫婦が天魔に祈った結果天才かつ見目麗しい娘が生まれ、ついには京で源経基の局となるが御台所を殺そうと呪いを掛けたのがバレて追放された挙句、最終的には荒んで京に戻るための資金稼ぎと周囲を荒らし回り、勅命を受けた平維茂に討伐されるというものだ。

 その追放された先というのが戸隠なのだ。

「こういう伝説は大本が事実ベースかどうかはともかく、当人の箔付けのために誇張される傾向があるわ。でもそういうのって結局、信じられる雰囲気が重要なのよ」

「それが、過去からここにあった?」

「そう」

 蓮子は、にやりと歯を見せて言った。

「少なくとも映画の下地になるぐらいには、あるわ」

「この間持ってきてたやつかしら。チヒロだっけ?」

「アレ以降のはどうにも微妙なのよね、あのスタジオなんたらは」

 二人は進む。未だ見ぬ神社を目指して。

 

 ◆

 

 その日、里唯一の邸宅には、里の頭脳二人が揃っていた。

 一人は邸宅の主、稗田阿求。もう一人は、"歴史喰いの半獣"上白沢慧音である。

 二人は深刻な表情を浮かべ、床に散らばるものを見やる。

「……では、やはり」

「ええ。途切れています」

 床には書物。それも一冊や二冊ではない。十、二十、三十。

 否、それ以上。

 解体され、必要部分だけを抜き取られ、不要とされた部分にも無数の注釈が付けられた。一部の巻物に至っては、止むを得ず切断までされている。

 そしてその上に散らばる、数十枚の紙。どれも薄く、極めて白い、幻想郷にはない紙。その表面には、細い、同じ太さの線で、無数の文字が踊る。

 彼女たちは、貴重な外来の紙と自動鉛筆──コピー用紙とシャープペンシルを使用してまで徹底的に調べ、検証し、書物たちの致命的矛盾を確認したのだ。

 

「なんということだ……。今まで気づかなかったとは」

「満月のあなたでも察知できなかったのなら無理もないでしょう。私も、正気を疑いました」

 

 歴史の断絶と再開。

 余りにも巧妙、というよりは、あまりにもあんまりな大雑把さのそれが逆に違和感を産まずにいたのか。それとも、気づこうとしなかったのか。

 ……誰が考えようか。ある日ある時、今存在するこの自分が、今まで存在したという記憶と歴史を植え付けられて発生した、などと。これは、ほぼそれに等しいものだ。

 いや、考えはするだろう。だがそれは、

「……こんなもの、今日日、お伽話でもありはしない」

「外来の本にはいくらか存在しました。しかし、大体は物語です」

 

 そんなものは、フィクションの産物だ。

 幻想ですら無い、妄想と想像の産物だ。

 

「では彼は、まさか、そんな世迷い言を」

 慧音は泣きそうな声を上げた。それは否定の声。首を振り、それはないと、それだけはあってはならぬと、否定する。

 

「……確証はありません。ありませんが、それは証明ではありません」

 阿求は震える声を抑えつけて言った。九度の転生がそれを可能にしていた。歴史を扱う異能を持つものですら抑えられなかったものを、抑えた。

 

「だがっ、……彼は居る! 今この瞬間も苦しんでいる!」

「それすら確証はないのです! 私たちだって!」

「だがっ!!」

 

 叫び合いになろうかというその時だ。

 使用人の一人が、血相を変えて部屋へと飛び込んだ。

「御当主様! 上白沢様!」

「どうした!」

「居なくなられました!」

 

 ◆

 

「蓮子!」

「"視"えたの!?」

 メリーの叫びを聞いて、蓮子はすぐさま駆け寄る。

 彼女の眼は、境界を捉える。

 境界とは即ち結界であり、この世を区切り保つものであったり、雰囲気の変わる境目であったり、危険地帯の入り口であったりする。

 ここに至ってわざわざ叫んでまで伝えてきたということは、相当なものが視えたに違いない、と。

 

「大きい。これは一体……」

「メリー、大丈夫なの?」

 蓮子は問いかける。

 結界を視ている最中のメリーは、時たま視えすぎておかしくなることがあるからだ。

 声をかけて"こちら側"に引き止めておく必要がある、というのがこれまでの経験則だった。

 

「大丈夫だわ、たぶん。危険な感じはしない。隠蔽と……これは……何?」

「メリー?」

 その経験則が、蓮子の頭のなかで警報を発しはじめる。

 唐突に、違和感を覚えた。今二人が立つ空間と、蓮子には見えない結界の向こう、その関係が急速にねじれ歪むかのような。

「呼んでいるの?」

「メリー!」

 蓮子は、メリーの腕をつかむ。本格的にまずい兆候だった。明らかに魅入っている。視えすぎている。

 

「蓮子、呼ばれているわ、私達」

「やめなさい、メリー! 危険過ぎる!」

 叫ぶように蓮子は言う。

 いくら結界が見えない蓮子とて、脳の奥深く、本能を司る"爬虫類の脳"を圧するような、この異常は感じ取れた。

 ――明らかに、危険過ぎる。

「メリー! これが神隠しだったらどうするつもり!? 白霊怜霧は誰が探すの! メリー!!」

 

 その時だ。

「……あ」

 ふ、とメリーがくずおれる。蓮子は慌てて支えに回った。

「メリー!?」

「だ、大丈夫よ、蓮子……ありがとう」

「大丈夫じゃないわよもう、心配させて」

 異常は、感じ取れない。蓮子はひとまず胸をなでおろした。

 少なくとも当座の危機は去ったと見たのだ。

 力の戻らないメリーを座らせ、周囲を確認する。

 

「メリー、なにか見える?」

「いいえ、なにも」

 周囲はまだ昼だというのに薄暗い。

 この調子では、神社にたどり着くのは難しいだろう。蓮子はそう判断し、一端移動しようとメリーに声を掛けた。

 二人は立ち上がる。そして、移動しようとした。

「……!」

「メリー!?」

 メリーが、駆け出した。蓮子が慌てて追う。

 その方向は、先ほどの結界の方角だ。蓮子は歯噛みする。

 ――安心すべきではなかった。まだ終わっていなかったんだ。なんたること!

 

「怜霧ッ!!」

 

 メリーは、喜一色の声を上げた。そのまま走り寄っていく。

 蓮子は、先の後悔が単なる早とちりだったと知った。そしてメリーのその様子に、安堵と喜びと疑問が、3対5対1ぐらいの割合で湧き上がるのを感じる。

 そこには、一人の人間がいた。

 白霊怜霧。

 顔を上げた。穴が開いていたりとかのっぺらぼうだったりとか、そういう嫌なオチは、ない。

 

「……先輩……!」

 

 六月二十日。

 白霊怜霧は、幻想郷より帰還を果たした。

 それが、はじまりであった。

 

「さあ、はじめましょう。新たなる幻想を」


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