Eastern Wind Tales   作:Rei.O

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11.

 その日、朝から雨が降っていた。

 湖の畔に存在する紅色の洋館、その周囲も例外ではない。

 紅色の洋館、名を紅魔館という。

 

 紅魔館の主、スカーレット家当主、"永遠に赤い幼き月"。

 呼び方はいくらかあるが、つまりその館の所有者は、レミリア・スカーレットと名乗る少女である。

 珍しく朝から起きていた彼女は、その起きた時から機嫌が悪かった。

 雨音に叩き起こされたから、ではない。そもそも紅魔館は雨音が聞こえるような構造をしていない。

 寝苦しくて起きたわけでもなければ、空腹に目を覚ましたわけでもなかった。

 

「……うるさいわね」

 それは、彼女に宿る能力が聞かせた、声なき悲鳴。

 たった一晩でちぎれ落ちた、四万七千六百九十二もの運命の糸たちの悲鳴だった。

「咲夜」

「お側に」

「何か、起きるわ。警戒を厳になさい」

「はい、お嬢様」

 

 レミリアは運命を視る。

 そして不都合な糸を三本ばかり切り払うと、ベッドから、

「ぷびゅっ」

 落ちた。

「お嬢様、お気を確かに……」

「だ、大丈夫よ。心配いらないわ」

 レミリア・スカーレット。

 優に五百を超える年月を生きてきた吸血鬼。

 その苦手とするところのひとつに、起床直後の行動があった。ただそれだけのことである。

 

 ◆

 

 ──お父さんはどこだい。

「しごとです」

 ──では、お母さんとかな。どこだい。

「しごとです」

 ──そんなことはないだろう。嘘をつくものじゃない。

「じじつです。しんじないのはかってですが」

 ──なら、どうやってここに来た。子供が一人で来られるところではないだろう!

「あるきで。……もういいでしょう、はなしてください。じゃまです」

 ──なんだと。

「じゃまだといいました。きえてください。やくそくがあるんですから」

 ──大人をおちょくるのも大概にしろ!

 ずるぅ、

『あらあら、そんな子供に大声張り上げて、』

 ぱぁん、

『──いい大人ですこと』

 ばしゃっ。

 

「っ!!」

 水とも油ともつかぬ、生ぬるい液体が降りかかるその感触に、宇佐見蓮子は思わず上体を跳ねあげた。

 心臓が早鐘を打つ。酸素が足らない。苦しい。

「ぅげほっへ、げほッ!」

 喉が詰まるような感覚。あまりの苦しさに堪え切れずベッドから落ちる。異常な圧迫感。あれは夢だ。悪い夢だ。

「っはぁう、はぁっ!」

 そこで思考がようやく追いついた。喘息がぶり返している。久方ぶりの発作だ。蓮子はベッドサイドの簡易呼吸器に手を伸ばすと、口に咥えた。押し込む。

 しゅ、と音を立てたのは嵌めこまれた缶だ。スプレーそのものの構造で薬剤を吹き出す。アドレナリン受容体を刺激することで気管支を広げさせる発作時用の薬剤を、だ。

 吸えない空気を無理やり吸って、噴霧された薬液を取り込む。もう一度。もう一度。

 

「ぅげっほ、げほっ」

 症状は確実に良くなっていた。薬が早速効き始めたらしい。旧型の吸入剤で、しかも有効期限ギリギリと二重の意味で古いものだったが、どうも蓮子にはこのタイプが性に合っているようだった。

 台所へ向かった。思い切り、わざと咳き込む。無理やりに痰を切るのだ。負担はかかるが、やらねば苦しい。たとえやるなと言われても、この時の蓮子はやっただろう。喘息の苦しみとはそういうものである。

 吐いた。

「げっほ、ひと心地、ついたわね、げほ」

 知らず、蓮子は口に出していた。大丈夫、と気遣うメリーの声が聞こえた気がする。

 流すついでとコップへ水を注ぎ、飲む。痰には水が効くからだ。

 呼吸は、急速に落ち着きを取り戻しつつあった。咳も、一気に鎮まる。

 

「……誰かしら、あの女性は」

 蓮子は、夢に見た女性を思う。

 いや、正確には見てすらいない。ただ声を聞いただけだ。

 その声がメリーに似ていた気がして、蓮子は猛烈な疼きを感じた。

「っ……」

 下腹部から、後頭部から、腰椎から、上腕から、太腿から、米神から、向脛から、それは沸き上がっていた。

 コップを取り落とす。気にする余裕はない。ぎゅっと自分を掻き抱く。それが限界だった。強まる疼き。ひ、と声が上がる。

 電子音がぴりりと響いたのは、その時だ。

「ひぅ!?」

 その音で、蓮子は疼きから解放された。

 音はその高さを変えながら3度鳴った。彼女の端末がその鳴り方をするというのはつまり、メールが来たということだった。それも夜間にわざわざ鳴ったとあらば、それはつまり端末はそのメールが重要だと判断したということである。

 蓮子はまだ見ぬその送信相手に思わず感謝した。あの奇妙な疼きから解放してくれたという一点において、例えそのメールの内容がどれほど面倒であろうとも、まずその一点で感謝するだけの価値があると。

 

 力の抜けた体を立て直す。ずるりと滑る。倒れ込みそうになって、蓮子はとっさに何かに掴まる……のではなく、受け身をとった。とってしまった。

「ぷびゅっ」

 コップである。

 滑った右足が内側へと入り込んだ瞬間、蓮子はそのまま背中を丸め右方向へ一つ横回転して立ち上がるつもりでいた。

 しかし、コップがそこにあった。彼女が右肩から床につきそのままくるりと半回転したその時、コップはその左肩甲骨を下から思い切り殴りつけたのだ。

 蓮子は悶えた。しかしアレは重要なメールであるらしい。ならば、急いだほうがいい。

 痛む左肩をさすり、よろよろとふらつきながら、蓮子はベッドへ戻る。ベッドサイドにわざわざ増設したフック、そこに引っ掛けて吊るしてあった端末を手に取る。

 

「……教授ぅ……」

 

 From:岡崎教授

 件名:明後日の件

 本文:

  宇佐美くんへ

  明後日の件だ。

  先方の不手際なのかなんなのか、予定より一時間遅れるらしい。にも関わらず開場時刻は変えないと今更言ってきた。

  どうやら準備時間を一時間奪われたということのようだ。すまないがそのつもりでいてほしい。

  資料その他の準備はどうやら間に合いそうなのが救いだがね。

 

  P.S.

  打ち上げは、寿司だ。二人も一緒に連れてくるといい。もちろん、仕事はしてもらうがね。

 

 重要だと判断しようがなんだろうが、夜間は鳴らぬようにするべきかもしれない。

 つい先程それで助かったにも関わらず、蓮子は真剣にそう考えざるを得なかった。

 

 ◆

 

 樹。

 なかなかの大樹である。

 幻想郷において大きな樹というのはさほど珍しいものではないが、それを鑑みても「なかなかの大樹」といえるだけの威容を誇っていた。

「む」

 根本では妖精が遊ぶその樹の上方、いくらかの鴉が並んで止まるそこに、少女が一人混ざっていた。

 赤五角の頭襟を載せ、真っ赤な高下駄を履き、黒のスカートに半袖の白シャツ。

 そこに首から古風なカメラを下げた快活そうな容貌の彼女は、「やはりおかしい」とつぶやくと、手に持っていた手帳をしまう。

 

 と、

「よっ」

 蹴る。

 両膝を曲げて前方向への押し込み推進力とするそれは蹴るというより跳ぶと呼んだほうがそれらしいものではあるが、ともかく彼女は、そのまま大樹に背を向け頭から落ちる。

 もちろん、彼女は自殺志願者ではない。それどころか、飛び降りても下にぶつかるような枝はないかとか、その先に利用可能な空間があるかとか、そういったことを事前にチェックした上での計画的なアクションだった。

 空気が抵抗する。風となったそれが全身を撫でた。少女はくすぐったそうに笑うと、そのまま上を向く要領で、大地を見据える。

 地面が急速に迫る。恐怖はない。撫でるどころではないはずの風も、彼女に言わせればじゃれつく人の子程度でしかなかった。

「ほっ」

 背から、黒色の翼が生まれた。形状は鳥類のそれだ。先ほどともに枝へ止まっていた、鴉のそれと同一といっていい。

 少女・射命丸文は全身を捻って半回転。腹と背中を入れ替えると翼を広げ、得た速度を一気に揚力へ転換。風を手繰り更に増速。パワー任せのズーム上昇。高度を確保するとゆるく旋回してその場を回り、後から枝を飛び立った鴉たちが追いつくのを待つ。

 

 天狗というものはそもそもが伝承の寄り合い所帯のようなものであるが、現在伝わる天狗伝説の多くは、山伏の姿をとって空を飛び、また神通力を扱うという共通項を持つ。

 鴉天狗はその中でも烏の嘴と翼を持ち、顔は青く、羽団扇か錫杖を持ち大天狗(赤ら顔で鼻が高いヤツ)の下に属すとされる妖怪である。

 伝承の成立自体は天狗伝説の中でも最も古いとされる。が、「天狗」という名の大本が中国における流星の呼び名であり、しかし仏法における迦楼羅天の変化であるともされ、その割には慢心の権化として扱われた挙句国津神・猿田彦と同一視すらされかねないあやふやなものである以上、さしたる意味は無いだろう。

 ともかく、射命丸文はその鴉天狗である。といっても嘴はないし、顔も青くなければ服装は現代的な洋服、翼に至っては任意で出したりしまったりしているが、彼女たちからしてみれば今日日そんな古い姿は流行らない、ということらしい。

 何しろ新聞記者である。時代に置いて行かれるのは我慢なるならないの前に記者として問題なんだとか。

「伊、呂、波、各班散開! 異常を発見次第知らせなさい!」

 彼女は、追いついてきた鴉たちへ指示を出す。三隊に分かれ、さらに散開して動くそれはもはやどこかの空軍といっても通じそうな統制ぶり。

 鴉天狗が(自身が鴉故にか)鴉を使役できるというのもそうだが、それ以上に鴉という鳥の頭の良さと、鴉たちの受けてきた訓練がそれを可能にする。

 文自身も、飛んだ。

 

 多くの場合、文が飛ぶと言えばそれは新聞の取材であるのだが、それ一つとっても彼女は他の天狗たちより精力的にあちらこちらを飛び回る。

 鴉天狗は天狗の中でも古株だが、彼女はその中でも更に古株である。歳を食った妖怪は人間同様腰が重くなるものだが、それにしては彼女、あまりにも活動的である。

 要するに、飛ぶことが好きなのだ。

 勿論、飛んでさえいられれば幸せというような馬鹿どもほど単純ではない。しかし天狗は縦社会を構成している。その拘束は近代の人間社会に近い。そのしがらみの中にあって尚、彼女は飛ぶのである。飛ぶことを目的として、取材という手段で。

 但し、今回は逆だった。彼女は今飛ぶという目的のために手段を駆使するのではなく、飛ぶという手段を駆使して目的を完遂せんとする必要に駆られていた。

 任務である。古株であるが外れもの、能力あれど扱いは面倒、警視庁なら特命係といったところである彼女がわざわざ調教済みの鴉たちを合計三班、二十四羽も借りだして飛んでいるというのは、つまりはそれほどの事態だということである。

 

「……さて」

 つぶやき、文は急減速。体を起こし風を巻き上げ、翼を羽ばたかせ、接近する確認済飛行少女の横についてまずご挨拶。

「あやややや、これはこれは霊夢さん、そんなに急いで一体何をお探しで?」

「文? 悪いけど今はかまってる暇ないのよ、あっちいってなさい」

 現れたのは博麗霊夢。

 しかし常日頃どこまでものんびりとしていて、異変解決の時ですらなんとなく飛びながら合うやつ全員しばき倒すという方法で最終的な解決を産んでしまうその少女が、今、傍目から見てもわかるほどに焦り、急いでいる。

 文の直感が囁いた。これは、間違いない。

「まあまあそう焦らずに。……ほら、戻って来ました」

 遠方から、鴉が舞い戻る。それは散開した伊班の一羽。正面右から突っ込んできたそれは一度後方へ抜けると一回り、下方から回りこんで前に出る。

 鴉は器用に速度を調整すると、すぐ横に並び飛び始める。そして、得た情報を伝えるべく鳴き始めた。

 

「一体何よ」

「少々お待ちを」

 霊夢は苛立たしげに言う。鴉の言葉を聞き、文は霊夢に同行すべきという思いを強くする。

 そもそもこの巫女、異常に勘がいいことで有名である。今回の任務も、所詮は「一応内密に」程度のものだ。隠してもどうせバレるだろうし、まあ構うことはない。

 対し、同行のもたらす利益は莫大だ。博麗霊夢の動く先に事件ありである。これを逃す手はない。霊夢の勘の強さは鴉でちまちま探査するよりよほど手っ取り早いセンサーになる。

 ――まあそれでも、隠すところは隠すのが私の流儀というものですが。文はそう口中に呟いた。

 

「実は天魔様から調査を命じられていまして。霊夢さんもお急ぎのご様子、どうやら相当に重要と見ましたが、如何です?」

「当たり前でしょ。で?」

 肯定らしい。まあ、こうして並んで飛んでいても霊夢はまるで速度を緩めないし、文の方を向くこともない。明らかに重要な何かのために急いでいた。

 状況的に間違いない事の確認でしかなかったが、要するに文からすれば、その確定こそが重要なのである。わざわざ問うぐらいには。

「ええ、先程から幻想郷中を探査しているのです。善良なる一天狗としては博麗の巫女サマにご協力をと」

「何言ってんのよ種族丸ごとパパラッチ。まあいいわ、情報はあって困るもんじゃないとはいうものね。結局何が何やらいまいちさっぱりだわ」

 

 この色々な意味で、特に勘の強さと理不尽さで歴代最強間違いなしな巫女が「いまいちさっぱり」?

 これはいよいよよろしくない事態らしい、文はそう判断した。

 任務がどうこうとか、そんなくだらない事を言っている場合ではないかもしれない、と。

 もとより主流とは程遠い位置にある文である。命令の順守と異変級の問題解決を天秤にかけてみれば、片方の皿はカラも同然でしかない。挙句記者としての勘が「コイツはヤバい」とまで騒ぎ出せば、そりゃあもう、命令なんて投げ捨てるものでしかなかった。

「霊夢さん」文は問うた。「八雲紫は、動いていないのですか」

「ええ、まだ冬眠の時期ではないと思うんだけど」

 紅白めでたい巫女の勘をもってしてもわからないこの事態こそが彼女を焦らせていたのかもしれない。文という実力者の協力を得られたとあってか、霊夢は一気に普段の調子を取り戻しつつあった。

「それで」今度は霊夢が問う。「鴉は、なんと言ってきたの?」

 文は、答えた。

「……伊班、この鴉の所属する、八羽からなる鴉の飛行隊ですが」

 

「この子を残して全滅だそうです」


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