テイルズオブジアビスAverage   作:快傑あかマント

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崩落

 音素の酷使でもつれる足を叱咤して、やっとの事で封呪の扉に舞い戻ってきたアニス。一気に通り抜けようとしたが、思わず足を止めた。

 

「なんか……《闇》の音素が……量、ヤバくない?」

 

 口を空けた扉から這いずるように漏れ出る《闇》の力に息を飲む。

 

 《闇》と言っても神話や童話で扱われるような悪魔や妖魔の類の邪悪な力の源などではない。

 そこに“世界”が存在する限り、必ず存在する。言い換えれば、世界に必要不可欠な物だ。しかし、水や酸素が過剰であれば生物に害を為すように、音素もまたそうである。音素が過剰なら生物のみならず“世界”にすら悪影響を及ぼす。この音素の量は“世界”に影響を出る程ではないが、耐性の低い者なら闇に飲み込まれて正気を失いかねない。

 アニスも闇の譜術に覚えがあるのだが、一瞬、ひどい虚脱感を感じた。あたかも、大規模な譜術を使った後かのようだ。

 

 イオンが《闇》の譜術を扱えるとは聞いた事がないし、使えたとしても彼の体調でこれ程の譜術を使えるとも思えない。また、第七音素譜術の才能はあるらしいが専門の訓練をしているわけではないルークも当然ながら違うだろう。

 ならば消去法で考えて、ヴァン・グランツが何かしたのだろうか? 始祖ユリアの直系である彼やティアなら《ユリアの譜歌》で可能かもしれない。

 

 しかし、アニス一人で考えたとしても今は無意味な推論にしかならない。

 

「これは、いわゆる『カワイイ虎の赤ちゃんを抱っこしたいなら、虎のママの屍を越えてゆけいっ!!』みたいな感じの状況……?」

 

 アニスは一歩踏み出そうとして、一瞬、躊躇うが、

 

「えぇいっ……! イオンさまのためならっ!!」

 

 と地面を踏み潰すような勢いで一歩を踏み出した。ほんの一瞬、よろけかけるが、それもなんとか我慢する。

 

 導師イオンを、いや……肩書や“もったい”など関係ない。導師守護役としてではなく、アニス・タトリン個人として、世間知らずだけどもガンバリ屋のイオンの手助けをしたいのだ。例え一人でもやらなくてはならない事だ。

 

 また一歩、封呪の扉へと近付いたその時だった。

 

「アニスっ……!」

 

 鈴の音のような心地良いが、聴き慣れた声で自分の名前を呼ばれたではないか。旅の中である意味で憧れを抱いた少女の声だ。彼女がいてくれたら百人力だ。

 

「ティア! ぅわああ!?」

 

 喜び勇んで、少女、ティアの呼び掛けに応えて振り返った瞬間、反射的に短杖を抜き放って身構えるアニス。

 

 何故なら、そこにいたのはアニスが思っていた上品な白いローブを着た胡桃色の髪の優しげな少女ではなく、濃い赤の縁取りの黒衣をまとった、鮮血のような深紅の長髪、そして目つきの悪い騎士だったのだから、当然だった。

 

 アニスは「ここで会ったが何日ぶりだ!? コラ!」や「なに汚ねぇツラ見せに来やがんだぁ!? 引っぺがすぞ! コラァ!」や「いつ声マネ芸なんて身に付けやがったぁ!? お上手ですねっ! コラ」などと飛び出しそうになる台詞を飲み込み、怒りを“力”に換え、ミスリルコーティング合金の伸縮式短杖の先端を、どうアッシュの鼻にネジ込んでやるかを考えつつ、トクナガにも“力”を込める。

 

 しかし、そのアッシュの隣をすり抜けて、今度は正真正銘のティアが姿を現した。幸いな事に先程の声はアッシュの声マネではなかったらしい。本当に良かった……。しかし、あろう事か彼女はアッシュを庇うかのようにアニスと彼の間に割って入ったではないか。どういう事だろうか?

 

「アニス。今はこの方と争っている時間はないわ。事情は信じ難いけれど、わたしの“お願い”だと思って協力してほしいの……!」

 

 アニスは、……ティア退いて。このままじゃ、そのとっつぁん坊やの鼻の穴を拡張工事してあげられないっ! などと考えていた所で、ティアの言い回しが引っかかった。

 確かにイオンやルークが、何らかの思惑を持った主席総長に連れ去られたのだ。「時間はない」のは間違いないし、いつ障気に巻かれるかも分からないという意味でもそうなのだが……。

 ティアの声音からはそれ以外の"色"を感じた。例えるなら、"すでに時限爆弾が設置された。"とでも言うような焦りの"色"だ。

 敵意に満ち、曇っていた思考に冷静さを取り戻したアニスは改めて、ティアに尋ねる。

「どういう事なの? 詳しく聴かせてよ、ティア」

 しかし、アッシュからは目を離さず、トクナガからも意識を外さない。

 

 とその時、

 

「そいつは俺も知りたいな。ナタリアも同じくね」

 

 という冷淡な声が聞こえた。そちらを見ると、ガイがナタリアを伴って立っていた。ガイは平静であったが、瞳は敵意で満ちている。そして、ナタリアはガイの背後で戸惑いと不安で眉根を寄せてアッシュを見ていた。疑いとすがり付きたい感情がない交ぜになった様子だった。

 

「ティアの話を信用しない訳じゃないが、当然敵の事は信用しきれない。特に他人の体を操って仲間を……その上、女性を斬らせようとする下衆の事なんかね」

 

 とガイは、アッシュを指差して詰問する。ケセドニアでルークがティアを斬ろうとした事件の事で"カマ"を掛けたのだ。根拠はコゲンタの勘だけだったが、このタイミングで現れた事といい、無関係とは思えなかった。

 

 ルーク自身の抵抗とコゲンタが割って入ってくれた事で事なきを得たが、一つでも掛け違いがあればティアは斬られ、命を落としていたかもしれないのだ。

 

 しばしの沈黙。流石の《鮮血のアッシュ》も良心の呵責に堪えかねて、押し黙る。……という事はなく、本当に何を言われているのか分からないといった風で、宙を見ている。

 

「……あぁ、あれか。今は状況が違う。あんな物は実験のような物だ。いちいち騒ぐ話じゃない」

 

 たっぷり十数秒かけて、ようやく思い至った様子のアッシュの態度に、ガイの端正な眉間が怒りで歪み、そして、罷り間違えばイオンが巻き込まれていたのではないかと、アニスの短杖を握る手に力が篭る。

 

「もっとも、その実験もあのクズの抵抗のせいで、無意味な物になったがな。全く……」

 

 あたかも、無益なやり取りに呆れたように、首を横に振るアッシュ。

 

 とその時、

 

「ほほーう。そのお話、興味津々のしんですね。私も質疑応答に参加させて頂いて良いですか?」

 

 疲労の色を滲ませているが、良く通る声が聞こえてきて、アッシュの二の句を遮ったではないか。

 声の方を見れば、泥と埃に覆われた怪人が、頭から生やした無数の触角を不気味に揺らし、颯爽と現れた。

 

「うひぃ!? ドロタボーっ!」

 

 突然の出来事に動転したアニスの強肩が唸り、短杖を回転飛翔する凶器へと変えた。鋭い風切り音と共に短杖が"ドロタボー"の頭を砕かんと迫る。

 

「なんのそのっ! これしきっ!」

 

 奇妙な気勢を一つ! 怪人は自らの泥の表皮を粉砕するほどの電光石火の身のこなしで、唸りをあげる短杖を左手一つで受け止め、そのまま左後方に振って威力を殺して、受け流す。

 

そこには青い軍服を身に付けた長身、長髪の男が眼鏡だけでは隠しきれない不敵な笑みを浮かべて立っていた。

 

「……ジェイドさん!! ご無事だったんですね」

 

「な、なーんだ。大佐かぁ。脅かさないで下さいよぉ。うあぁ、肩痛ってぇ」

 

「泥汚れを落とす暇を惜しんだのが仇となりました。アニス、申し訳ありません……」

 

 果たして、その男はジェイド・カーティスその人であった。そう、ドロタボーでもゾンビでもない。

 

「次から次へと……何なんだ、お前達は」

 

 アッシュのあきれ声に「なんだと?」とガイやアニスの顔が険しくなるが

 

「無駄話は終わりだ。でないと、全員、俺と心中する事になるぞ」

 

 無視して吐き捨てつつ、斬ってでも前に進むぞという様に鞘を掴んでみせる。

 

「私からもお願いします。何より、ルークが心配ですわ」

 

 またしても一触即発というところで制止の声を上げたのは、ナタリアであった。アッシュを睨みながら、手を伸ばしてアニス達を制した。

 

「確かに、その通りですね。ここはルークと合流する事を優先させましょう」

 

 ジェイドは肩を竦めて、ガイとアニスに「押さえて、押さえて」と手を扇ぐ。

 

「お前は物分かりが良いな」

 

「一時休戦というだけですわっ……!」

 

アッシュが、珍しく皮肉の籠らない笑みを投げ掛けたが、それをピシャリと拒絶するナタリア。

 

「ふっ、それで結構だ。行くぞ!」

 

 アッシュは一瞬だけ眉を寄せたが、ニヤリと笑った。

 

 一行が坑道を進むと、かなりの広さを持った立坑のような場所が現れた。そして、その奥にはこれまでの岩石や木材とは異質な洗練された幾何学模様が刻まれた壁がそびえていた。

 

 ガイはジェイドとティアに目配せして、カタナを抜き放つと、アッシュと並んで、壁に開いた入口の左右に立つと頷きあい、一気に踏み込む。

 

 その部屋は、一言で表せば「光の部屋」だった。

 床や壁には幾何学的な模様が彫り込まれ、各々が微妙色合いを変えて点滅している。円形の部屋のようだが、何かを守るためなのか、壁が何枚も立てられて、ちょっとした迷路のように視界を遮っている。

 ティアはその色を見て、以前、兄からの贈り物で、『ラデン』と呼ばれる貝殻から削り出されたという薄片で飾れた小箱を思い出した。もちろん、目の前の壁の方が何十倍の光量で光っているが、少しも眩しさを感じない不可思議な光だ。

 そして、高い天井の部屋の真ん中に巨大な二本の柱が並んでいた。いや、巨大過ぎて柱としてしか認識できなかったが、それは想像を絶する大きさの音叉(としか表現できない物体)であった。

 これが《セフィロト》の根幹である創世暦時代の巨大譜業《パッセージ·リング》なのであろうか?

 

 ふと床の一部が光っていない場所が目に付いた。人間の形をしている。緑色の髪、乳白色の衣、イオンだ。その背後には鮮やかな浅葱色の獣、ミュウも倒れている。

 

「イオンさまっ!」

 

「ミュウもいますわっ」

 

 主を見つけたアニスと、ナタリアが治癒士としての反射神経で走り出す。

 

 ティアは、自分もそうしたいのを堪え、周囲を警戒する。仕掛けてくると思ったのだ。しかし、罠だとは思わなかった。兄ならばそんな小細工など必要ない。

 そこで、部屋の奥の壁の装飾の陰の向こう、音叉の根元に二人の人物が立っているのを見た。その二人は兄のヴァンと、そして、ルークだ。

 ティアは二人の姿に強い既視感を覚える。ルークと初めて出会ったファブレ家での事......いや、光景というよりも周りで感じる音素の感覚に覚えがある。

 

 あの時と同じならこの後ルークは……。

 

「さぁ……『愚かなレプリカルーク』。力を解放するのだ」

 

 ヴァンは暴言ともとれる言葉とは裏腹に、いつもの理性的で柔和な笑みを浮かべていた。

 

そして、突如ルークの身体から凄まじい光と音素の力が吹き出した。

 

 ルークは全身から、力が抜けたように床に崩れ落ちた。しかし、側に立っているヴァンは抱き止めようとせず、いつものように、剣の稽古を見守る時のように笑みを浮かべたまま、ルークを助け起こすでもなく、ただ静かに見下ろしている。

 

 そこにアッシュが、その眼差しを遮るように黒剣を振りかざして、飛び込んできた。

 

「くそっ! 間に合わなかった!」

 

 ヴァンは子供の度を越した悪戯を見咎めたように眉をしかめ、口を開く。

 

「来るなと言ったはずだが?」

 

アッシュに微笑みかける。有無を言わせぬ凄みがある笑みだった。

 

 アッシュはほんの一瞬、気圧されたが、

 

「残念だったな。俺だけじゃない。あんたが助けようとした妹も連れてきてやったぜ!」

 

と、高笑いするように背後から現れたティアを指差した。

 

 ティアの困惑しきった視線が、ヴァンの顔に注がれた。

 

 その時だった。

 

「ヴァン·グランツ! 尋常に勝負!」

 

ティアの背後から、コゲンタが驚くほどの俊足で現れ、真っ直ぐに部屋を突っ切り、ヴァンに斬りかかる。

 

 ヴァンが悠然とすら感じる動きで剣を抜き、脇構えを取り、後、半歩で一足一刀の間合いとなる思った瞬間、コゲンタの直線的だった動きが激変する。

 あたかも風によって空を舞う木葉のように走る。緩急自在の歩法、ミヤギ流『飛葉翔歩』だ。コゲンタはヴァンの側面を取り、カネサダを横薙ぎに浴びせかける。

 

 ヴァンの視界からは、突然コゲンタ姿が消えたかのように見えた事だろう。しかし、彼は一切の隙も弱みも見せず、無行の位を貫いている。

 

 転瞬、二人が飛び違ったと思ったその時、コゲンタの胸板から鮮血がほとばしる

 コゲンタは体勢を入れ替えて踏み止まり、距離を取ったが、その場に膝を付く。

 

 ヴァンは「ほう……」という顔をしたが、すぐに表情を消すと、左指を咥えて指笛を鳴らした。

 

 すると、二羽の大鷲が部屋の中に飛び込んできた。羽ばたきで突風が巻き起こる。その中でアッシュが動いた。一息に距離を詰め、ヴァンへと斬りかかる。

 

 しかし、ヴァンが一瞬速く剣を最小限の挙動で振りかざすと、無数の剣風が地を走る。

 大きさも感じる譜力もルークもガイも使える「魔神剣」だが、それをヴァンはただ一度振っただけで数発分の剣風を繰り出したのだ。

 

 アッシュはいくつかは避け防いだが、その圧倒的な手数に対応できず、吹き飛ばされる。

 

 そして、床に叩き付けられた所を大鷲の一羽に捕まえられてしまう。

 

「はなせっ! 俺もここで朽ちるっ!!」

 

 巨大な足で押さえ付けられて、アッシュは身動きが取れない。大鷲はもがく彼を連れ、飛び去る。

 

 すかさずヴァンも、もう一羽に飛び乗ると手綱をくれる。

 

 その時、突如ヴァンと大鷲の行く手を阻むように、半透明な水晶のような物が無数に現れ、不可視の障壁を形作ると同時に、大鷲達たちの暴風のような羽ばたきですら吹き飛ばされない白い霧がヴァンと大鷲にまとわりつく。本来は防御用の譜術《バリアー》の応用術と相手の視界を塞ぐ《ディープ·ミスト》である。

 

「お兄様、お待ちください……!!」

 

 その譜術の主はティアだ。彼女は厳しい表情で杖と短剣を構え、ヴァンに立ち塞がる。

 ヴァンは先程のアッシュに見せた物に輪をかけて困った顔をして、

 

「メシュティアリカ、お前にもいずれわかる筈だ。この世の仕組みの愚かさと醜さが……」

 

 あたかも駄々を捏ねる子供に言い聞かせるような口調で言うと、手のひらに音素の力を込めて、無造作にティアの結界を撫でる。

 

 硝子が砕けるように結界が破壊され、大鷲の起こす突風が息を吹き返す。

 

「それを見届けるためにも……お前だけには生きていて欲しい。お前には譜歌がある。それで……」

 

 ヴァンは後半は大人を説得する色を帯びた口調で言うと、大鷲に手綱で撃つと部屋を一気に飛び去っていった。

 

 ティアは一瞬、逡巡する。ここが“震源”だとするならば、ここから一刻も早く離れて、安全な場所を探して負傷者を手当てするか、ユリアの譜歌で結界を作り、ここを持ちこたえるか、どちらもリスクはある。

 この坑道は牛頭の魔人が住む迷宮もかくやという程の複雑だ。しかも、この地震でどうなっているか分からない。

 

 ならば、この人数を包む事は初めて一か八かだが譜歌でこの場を持ちこたえる。やってみせる。

 

「私の側へ来て下さい! 早く!」

 

 彼女の唇から美しい歌が紡ぎ出される。普段の譜術とは桁違いの力が流れ出る。

 

 最後にアニスがたどり着くと、光の部屋が、坑道が限界を向かえ、亀裂が走り轟音んを上げて崩れて行く。




 お久しぶりです。体調不良などが重なり、長らくお待たせしましたが、なんとか更新する事ができました。
 今回の主なシーンも論争となるシーンの一つだったと思います。ここでヴァンの豹変ぶりを目立たせてしまうと、小物感が出てしまうと思い、あまり感情を出さず、超然とした感じにしました。しかしながら、ティアの事を大切に思っているなら、もっと崩れても良いかなと最後まで悩みましたが、ティアを、というか譜歌の力を信頼していたのだという理解をして、このようになりました。如何だったでしょうか?

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